ジゼル

1

 オーキッディリア大学の近間のレストランを借り切って開催されたカップリングパーティーの参加者には、同大学の同窓生が多かった。
 レオナもその一人だった。もっとも彼女は自ら望んで参加したのではなくて、大学時代のテニスクラブの後輩に、どうしても女性側の人数が足りないからと頼み込まれてここにいる。
 パーティーは気軽なカクテル・ビュッフェ。開始して間もない頃、二十人ばかりの参加者たちは自由な場所でカクテルやソフトドリンクを飲み、オードブルなどをつまんで食べていた。
 レオナも他の参加者と同じく胸に名札と花飾りを着けてカクテルを飲んでいた。周囲に見知った顔も見つからないのでぽつねんとしている。そこへ、レオナより少し若い、髪をベリーショートにカットした小柄な女性がやって来て、
「先輩、来てくださったんですね。ありがとうございます。助かります。本当に!」
 と、嬉しそうにレオナの手を取った。
「楽しんでいってくださいね」
「うん――せめて美味しいお料理を頂いて帰ろうと思って。いいお店ね。カクテルも美味しいし」
「せっかくですから気の合う相手も探してくださいよ。あと十分くらいしたら自己紹介タイムが始まりますから。最初は名札の花が同じ人を探してその人とです」
「あの、私本当にそういうのは遠慮したいんだけど――
 とはいえ参加している以上その手のイベントを断るわけにもいかなかった。
 やがて、さっきの後輩が司会になりマイクを持って簡単な挨拶を済ませ、同じ花飾りの相手を探すように指示した。
 レオナはきょろきょろと周りを見たが近くにはいないようである。場所を変えようと歩きだしかけたとき、相手の方からレオナを見つけて声をかけてくれた。
「すみません、そこの、えー――ジュネさん」
「あ、はい」
 と、レオナは振り返って相手の姿を目にし、一瞬だけ、
(えっ、アダム?)
 と思った。相手の男性が鮮やかな赤毛に黒縁眼鏡だったからそう思ったのである。よく見ると容貌は別にアダムに似てはいなかった。それに髪の色も、赤毛ではあるが、アダムのようなきらめくブロンズレッドではなく、赤土のような色合いである。眼鏡もシャープなメタルフレームだった。
「エリオット・スフレです」
 と相手は名乗った。
「レ、レオナ・ジュネです。よろしくお願いします」
 レオナが右手を差し出す。エリオットは丁重な握手をしてくれた。見たところ、ビジネスマンといったふうである。色は目立つがきっちり分けた髪型、すっきりした紺のスーツ、ネクタイはシャーベットピンクに細い白のストライプ。姿勢がよく、キリッとまっすぐに立っているので、なんだか只者ただものでない雰囲気を醸している。
 レオナがやや萎縮気味にうつむいていると、エリオットはにこにこと笑いながら、
「すみません、僕、どうしても男性側が一人足りないからと言われて数合わせで来たんです」
 と、のっけからキッパリと言い放つ。レオナもきょとんとして、
「あ――実は私もです」
 と白状してしまった。すると、気が楽になった。
「なんだ――両方とも一人足りないなら、定員を減らせばよかったのに」
「なぁんだ、まったくですね。まあでもこういう事態になった以上、少しお話しましょうか、ジュネさん」
「ええ」
 エリオットは礼儀正しい紳士だった。口調は穏やかで慌てず、特徴的に平坦である。言葉のアクセントにくせがない。
(これは――良家の子息かも)
 とレオナは勘を働かせた。旧時代の貴族家の末裔まつえい辺り。それなら、確かにこんなところで恋人探しをする必要はないだろう。そう考えたから、エリオットが自分の職業について、
「小規模な事業を営んでます――
 と言葉を濁すようにしたのも、レオナはさほど不審には感じなかった。
「あら、スーツを着ていらっしゃるから、てっきりどこかにお勤めかと思いました」
「ああいえ、まあ半分は会社勤めみたいなものでもあるんですが――ところで、ジュネさんは、お仕事は何を?」
「研究職です」
「それは栄誉あるお仕事です。よかったら、研究テーマをお聞きしても?」
 エリオットは人に話をさせるのが上手い。何の気なしにしていると、自分のことを全部しゃべらされてしまいそうだとレオナは思い、
「なんだか私ばかりしゃべってるみたい」
 と苦笑して見せた。エリオットも苦笑した。
「いいんです、僕は人の話を聞く方が好きです。僕はあまり話せることもないですし。これといって面白味のない、つまらない男なので」
「え、ええとそんな、あの、今日はどなたに頼まれて来たんですか? オーキッディリア大学の方? 私はテニスクラブの後輩に頼まれて」
「大学時代の恩師に頼まれて断れなかったんです。大学では経済学を学びました。まあ、親の会社を継ぐためにというだけで、そんなに専門的に勉強したわけでもないんですが」
 と、あまり多くない言葉で自らについて語るエリオットは、どこか窮屈そうに微笑ほほえんでいる。親の敷いたレールに沿って進むばかりの退屈で自由のない人生――そんなストーリーをレオナは思い描いてみた。
「スフレさんはご両親を助けていらっしゃるんですね――
「そう――だといいんですが。ジュネさんは、ご両親は?」
「フロクシリアの方にいます。血の夜明け派の司祭です」
「魔術師」
「ええ、まあ」
「あなたも?」
「血だけは受け継ぎましたけど、私は、あの、才能がなくて」
 敷かれたレールの上を走ることができるだけの力があるのだって決して並たいていの、当たり前のことではない、とレオナは思っている。
 五、六分ほども話していると、司会から他の相手に替わるように指示があった。そして全員と一通り自己紹介を終え、しばらく自由時間があり、その後は気に入った相手と二人で話す時間になるらしい。自由時間のうちに参加者の希望の相手をまとめたり抽選をしたりするとのことで、レオナの後輩は忙しそうにあちこち動き回っていた。
 レオナは数合わせ同士だからと思い、エリオットを相手に希望した。
 エリオットの方も同じように考えたのかはわからないが、希望は通って、レオナは彼と組み合わせられたので内心ほっとした。

2

 なんだか二人は食事の好みが合うらしい。レオナは淡白な魚介などが好きだが、エリオットはそれに輪をかけて赤身の肉のローストや豆の煮込みなどタンパク質な料理ばかり皿に取っている。おまけにカクテルまでミルク入りだった。
「ジュネさんは、何かスポーツでもしてるんですか? 大学ではテニスクラブだったって――姿勢も綺麗だし」
「いえ今は特に。体を動かすことは好きなので、ジムに通ってます」
「いいですね、僕も運動は大好きです」
 エリオットは意外なくらい快活に笑った。初めに見せたような窮屈な笑顔ではない。レオナから見てもチャーミングだった。
 エリオットはエレガントな手つきでフォークの先にレンズ豆を少しだけすくい取り、口へ運んだ。二人の会話は弾んでいた。
「あの、差し支えなければ聞きたいんですが、恋人はいます?」
 とエリオットが不意に尋ねた。
「わ、私ですか? 恋人――は、いないです」
「恋人とまで呼べなくても親しくしてる方がいる、とか?」
―――
 レオナの胸にアダムの姿が浮かんだ。
 レオナが今夜カップリングパーティーに出席すると聞いて、なぜかねたような顔をしていたアダム。お互いに特別な感情を抱いているというような話をしたことはない。ただ近頃ちょっと、二人で一緒に過ごす時間が多くなったというだけで――
「そうですね、友達ですけど」
 と、レオナはエリオットの問いに答えた。
「その友達は、本当に素晴らしい友達なんです。いつも私をよい方へ導いてくれるような――そんな。なんでもないようなことで褒めてくれて、私が少し自分を好きになれたり、物じしない彼を見てると私まで新しいことに挑む勇気が湧いたりするような――
――なるほど、素敵なご友人ですね。実は僕にもそういう友達はいるんです」
 とエリオットは言った。
「同性の友達で、僕は異性愛者なので、ロマンチックな関係にはなり得ないんですけどね」
「そ、そうですか」
「なかなか気の合う――というか、本当の僕をわかってくれる女性というのは見つからないもので。いえ、僕の方も、本当の自分をさらけだせないでいる弱虫なんですけど」
「でも、スフレさんがさっき、運動が大好きって教えてくださったときの笑顔はとっても素敵でしたよ」
 とレオナは言ってみた。
「あの笑顔はあなたの素顔だったんじゃ?」
 エリオットは、キョンと目を丸くしていた。
 二人の後方がにわかにざわついた。振り返ってみると、パーティーホールの中央辺りでBGMに合わせて手を取り合い踊り始めたカップルがいる。
「ああいいな、『夢の香り』してる」
 とエリオットがつぶやく。流れている曲はちょうど『首の差で』だ。
 最初の二人に刺激されたのか、周囲からもちらほらとステップを踏み始めるカップルが現れた。レオナは、隣のエリオットもひそかに体でリズムを取っていることに気がついた。エリオットは隠しているつもりらしい。けれども踊る男女たちを眺めて羨望に輝いている顔色を隠しきれていない。
「スフレさんも踊りたいんですか?」
 とレオナは尋ねた。
 エリオットはギクリとした様子で、
「あ、すみません、わかりますか?」
 はは――と苦笑いしてごまかそうとしている。
「私でよかったらお相手しますよ。私もダンスは好きですし」
――本当に?」
 エリオットはなんとなく思案げな表情になり、まじまじとレオナの顔を見つめた。今度はレオナの方が面食らった。
「? え、えーと、私何か変なことを言いました?」
――いえ、変なのは僕の方です」
 一呼吸ばかりの間。そのわずかな間に、エリオットは何らかの決心をしたらしかった。
「たぶん、おかしいと思われるでしょう。僕、その、つまり、女性のパートが踊りたいんです」
「女性パート」
 ようするに男女一組で踊るダンスの女性役の方になりたいのだとエリオットは言うのである。
 レオナは、
(まあそういう好みもあるのかな?)
 と首をひねった。確かに、エリオットのような良家の子息らしき男性がそういう嗜好を持っているのは世間的に言えば変わっているのかもしれない。女性のダンスを踊りたい、というだけで偏見の目で見られることがあったのかもしれない――などと想像を巡らせてみる。エリオットが正直な気持ちを教える決心をしてくれたのであれば、名誉に思うべきことではないかしら、と。
「だから僕はジュネさんとは踊れません、残念ですが――
 と、寂しそうな顔をしているエリオットに、レオナはかぶりを振って見せた。
「あの、私、男性パートも踊れますよ」
「えっなぜ?」
「私、コーリオプシリア女学院に通ってたんです」
「東部地方一の名門校ですね」
 レオナの説明したところによると次のような事情である。
 百年以上続く伝統を受け継ぎ守ってきたコーリオプシリア女学院では、二十一世紀になった現在でもなお淑女教育が勧奨されており、その一環として年中行事の一つに正式な舞踏会付きの晩餐ばんさん会が開催されるのだという。
「女子校でしょう。男子生徒がいないのに?」
「近隣の男子校と合同行事なんです。でもダンスの練習は女子だけでしなくちゃならなくて、そうすると誰かが男性役もする必要があるわけです」
「それであなたが?」
「体を動かすことだけは得意だったので――
 それ意外はあまり――とレオナは言いたげな様子だが、とりあえず今は関係のないことである。
「ま、まあとにかく、そういうわけで、私は大丈夫ですよ」
 とエリオットへ笑いかけた。
「でもジュネさん――目立ちますよ、たぶん、かなり」
 エリオットはホールの中央を見やった。そこで踊っているカップルは、皆当たり前のように男が男性役、女が女性役である。その中へ、ただ一組だけ男女が逆のカップルが交じっていけばさだめし注目を集めることだろう。
 こんなとき、レオナの心にアダムがいてくれる。
 アダムならきっと、
「いいじゃん、そんなの、知らない人ばっかりなんだから全然気にすることないって」
 と言ってくれそうな気がするのである。
 レオナは紳士が淑女にするように、エリオットへ恭しく右手を差し出した。
「いいじゃないですか、気にすることないですよ。私たちは、私たちが楽しいことを考えましょう」
―――
 エリオットは、はにかみながらレオナの手を取った。
 ホールの空いているスペースへ二人で進み出て、右腕と右腕、左手と左手とを組み合う。
 エリオットがしなやかに右足を引く。
 エリオットの鍛え上げられた全身の筋肉、手の先から足の先まで、ピンと美しい緊張のワイヤーが張られる。レオナはそれを感じて、そのとき初めて、彼がただのビジネスマンでなく――どうやらプロのダンサーらしいと気がついたのであった。

3

「いいとこのお坊ちゃんふう、で、プロのダンサーね〰〰?」
 と間延びした声を漏らすアダムはなんだか不機嫌だった。レオナがカップリングパーティーに行くと聞いたときもねていたが、パーティーから帰ってきた後もねている。
 二人は、コーヒーショップの片隅のテーブル席に向かい合って座っている。
 レオナはエリオットのダンスが素晴らしかったことを熱心にアダムへ語っていた。
「本当にすごかったんですよ。スーツの上から見ただけじゃわかりませんでしたけど、鋼の肉体って感じで。体幹がものすごくて。スピンでも全くぶれないし。私の方から誘って踊ったのに、かえって恥じ入ったくらいでした」
――で、レオナはそいつと連絡先を交換してその後デートを重ねたりしてるわけ?」
「えっ、いや、してないです。デートも、連絡先の交換も」
「何のためにカップリングパーティーに行ったの?」
「だから人数合わせのためですってば」
 とレオナはまた説明しなければならなかった。
「大学時代のテニスクラブの後輩が主催者だったので、断るのも忍びなくて」
「仕方なく行った割には楽しんできたように見える」
「つまらなかったよりはいいと思うんですけど」
 と言い返してから、レオナはふと感慨深そうな目をした。
「以前の私だったら、パーティーの間ただずっといやだなぁと思っていて終わったかもしれないですね。スフレさんのことだってきっとただ上辺だけ見て、よくある良家の男性だとしか知らないまま別れちゃったでしょうし――アダムのおかげですよ」
「何が」
「なんというか、うじうじ考えるより周りをよく見て! やってしまえー! って度胸が付いてきたというか」
「それは俺が考えなしで行き当たりばったりでそれが君にも伝染してきたっていう――
「そ、そうじゃなくて、アダムが私に、いい影響を与えてくれてるっていう――ような、そういう、意味です」
 とレオナは言いながら、照れくさくなってきてしまって、うつむいた。コーヒーの入った紙コップを手に取り、蓋に空いている小さな飲み口を唇へ押しつける。コーヒーは少し冷めている。
 アダムもつられたように照れた。
 そわそわし始めた。左手首に着けている赤いスマートウォッチを見る。白いデジタルの数字が土曜日の午後二時を表示している。コーヒーショップは休日客でにぎわう頃で、アダムとレオナが座っているのと同じ小さな二人掛けのテーブルはどれも埋まっていた。
――アダムのお仕事の相手、なかなか来ませんね」
 とレオナが言った。
 今日は午後から仕事仲間とミーティングだというアダム。それまでの時間お茶でも、と誘ったのはレオナの方からである。
「アダムならもしかしてスフレさんに心当たりがあるかもしれないと思ったんですけど。アーティスト同士」
「心当たりなんて」
「ないですか?」
「めちゃくちゃある」
「あるんじゃないですか」
「ていうか実は奇遇なことに、これから会う相手っていうのがそいつなんだよ。だけどなー、俺が知ってるあいつのイメージとレオナの話のそいつとが全然一致しない」
 いやでも確か――音楽学校時代は――とかなんとかアダムは一人でぶつぶつ言いながら考え込んでいる。
「音楽学校のお友達なんですか?」
「うん――あいつは同期生で、バレエ科の生徒だったよ。ちなみに俺は音楽科バイオリン専攻」
「バレエ科」
「っていってもバレリーノを目指してたわけじゃなくてな。旧貴族家の令息キャラ、一般教養のつもりで音楽を習ってるっていう嫌味な設定のやつだった。家の会社を継ぐからって大学に進学したし」
「あの、お友達だったんじゃ?」
「キャラ設定と実情は違ってたからね。レオナがパーティーの間に気がついたのと同じようにさ」
 まあ、あいつが来ればわかる――とアダムは腕組みし、高い椅子の上でのけ反って天井をにらむ。
 レオナは店内をさっと見回して、エリオットの姿を探してみた。あの特徴的な赤毛を探した。が、赤毛の頭といえば目の前のアダムくらいしか見当たらない。
―――
 レオナがカウンター席の隅に目をやったとき、そこに一人で腰掛けているやたらめったらに派手な装いの女性と視線がぶつかった。
 リリアの都心部には多種多様な人が集まる。周囲の誰も、ネオンサインのように目立つ彼女を気にしてはいない。だいたい派手というなら今日はダルメシアン模様のジャケットを着ているアダムだって相当派手である。
 彼女の顔に丸く沿っている髪の色はライトピンクで、大きなサングラスが顔の上半分を覆っていて、マットカラーの口紅もピンク。マーブル柄の毛皮のコート。その裾から伸びている引き締まった脚は網目のタイツで覆われていた。シルバーのハイヒール。サングラス越しで目元はわからなかったが、彼女はレオナに見られると慌ててむこうを向いてしまった。
「?」
「どうしたの」
 とアダムが気づいて尋ねる。
「え、あ、いえ――
 レオナが言葉を濁していると、アダムもその視線の先を追い、カウンター席にいる彼女の姿を見つけた。
――悪い、ちょっと」
 と、アダムは断って席を立った。彼女の方へずんずん近寄って、毛皮のコートの肩を叩いた。彼女はやはり狼狽ろうばいしている様子だったが、レオナには何を話しているのかまでは聞き取れない。
(アダムの知り合いなのかな)
 見知った人に会えば挨拶するくらいは普通のことだ。でもあんなに急いで行くなんてよほど大事な知り合いなんだろうか――とレオナはかすかにもやもやし始めた心を持て余している。
 そんなレオナの気分など知りもしないアダムは、カウンター席の彼女の手を取って立たせると、どういうわけかぐいぐい引っ張りながらこちらへ戻ってきた。
「ちょ、ちょっとアダムやめてよ」
 と、彼女は女性にしてはやけにハスキーボイスで、レオナに対面するのが恥ずかしいようにアダムの背に隠れている。
「こ、こんにちは、ジュネさん――
 なぜかレオナの名前を知っている。
 レオナは混乱してしまった。
「ええ、と――こんにちは――どこかでお会いしましたか?」
「何言ってんだレオナ、カップリングパーティーで会ったんだろ」
 とアダムが言う。レオナは驚いた。
「ス、スフレさん――ですか、もしかして」
「アダム、どうして彼女がここにいるんだい」
「おまえこそどうしてそんなに隠れてるんだよ。サングラスくらい外せよ」
「あっだめ」
 アダムがエリオットの大きなサングラスを取ってしまうと、彼の目は左がパープル、右がミントグリーンという人ならぬ色に染まっている。
「おまえ何その目は」
「カラーコンタクトだよ、目が大きく見えるんだ。今夜ショーがあるから――そんなクルエラが欲しがりそうなジャケット着てる君に驚かれたくない――

4

「ようするにパーティーの間は猫かぶってたんだ、エリオ」
 アダムはエリオットのことをエリオ﹅﹅﹅と親しみを込めて呼んでいた。
「いや別に猫をかぶってたつもりはないけど――あれはあれで僕の一つの真実の姿さ」
 と、美しくルージュで彩った唇をとがらせているエリオットは、今はアダムとレオナの間に椅子を持ってきて座っていた。椅子の長い脚に絡む網タイツの下肢がなまめかしい。レオナの方を申し訳なさそうに見て、
「でもジュネさんを驚かせたのはごめんなさい。まさかもう一度会うことがあるとは思わなかったから」
 と小さくなっている。
「いえ、あの、それはいいんですけど――一つお尋ねしてもいいですか?」
「何か?」
「この間と髪の色が違うのは――
「ああ、これはウィッグ」
 エリオットはピンク色の髪を軽くき上げて見せた。
「全然わからないでしょう――本当は自前の髪を伸ばして染めたいんだけど、この間みたいにビジネスマンに徹しなくちゃならないこともあるから」
「その格好でカップリングパーティーにも行けばよかったんだ。堂々と」
 とアダムが口を挟んでくる。
「恩師に頼まれた手前そういうわけにもね。恩師はおじいさんで古い人だし、僕がこんな格好してるのを知ったら卒倒しちゃうよ。両親だって近頃ようやく僕を見てため息をつかなくなってくれたっていうのに」
「いい親じゃん。少しずつでも理解してくれて」
「まあね」
 髪の色といえば、とアダムが思い出したように言う。
「音楽学校で仲良くなったきっかけは、赤毛同士だったからなんだ。最初はな」
「赤毛同盟だったんですね」
 とレオナ。
「そうそう。見た目だけで悪目立ちして上級生に目をつけられてた仲間。でまあ最初は俺もエリオをその辺によくいるお坊ちゃんだと思ってたんだけど、そのうち、レオナが察したのと同じようにさ、だんだんと内部がわかってきたわけ」
「お互いさまだけどね」
 とエリオットが言う。
「僕は母親の意向でバレエを学んでたけど、バレエ自体は大好きで。ただジークフリート王子やアルブレヒトじゃなくてオデットやジゼルになりたかった。優しくみずみずしくチュチュをひらめかせて踊りたかった――自分でもいつからそうだったのか、どうしてそうなのかわからない。ただ僕はそうなんだとしか」
「放課後のレッスン室でエリオが一人でジゼルのヴァリエーションを踊ってるの見つけたときはめちゃくちゃ驚いた。上手くて驚いたんだぜ」
 アダムが懐かしそうに笑う。
 エリオットがしみじみと言った。
「あのとき君がバイオリンを弾いてくれて、僕はそれに合わせて踊ったっけ」
「うん」
「僕の心の宝物だよ、今でも」
「よせよくすぐったい」
 エリオットは、今はバレエ以外のダンスやパフォーマンス、ステージの演出なども手掛けているのだと、レオナへ向けて丁寧に語った。
「まだ駆け出しですけどね。父の会社のことを勉強しながらでもあるし」
「私が先日スフレさんについて想像していた内容がいかにありきたりだったか思い知りました」
 とレオナは恥じ入ったようにもじもじしている。エリオットは苦笑いした。
「想像してたよりずっと変だったでしょう?」
「ずっとユニークでエネルギッシュです。ファッションもガガみたいで素敵」
「えっ本当? 嬉しいな、僕もレディー・ガガ好きなんです。よかったら今度語り合いましょうよ――もう今更ジュネさんに隠すこともなくなっちゃったし、お友達になってもらえたら」
「もちろんですよ。私、スフレさんに体幹のトレーニングの秘訣とかもっと聞いてみたかったの」
 にわかに和気あいあいとし始めた二人の脇で、アダムはなんとなく置いていかれた気分である。
「なんか二人とも意外と気が合いそうじゃん」
 と、また初めのようなねた調子に戻ってしまった。
――そういえば」
 とエリオットがアダムを指して言った。
「この間ジュネさんが言ってた友達って彼のことでしょう?」
「あ、それは――
 レオナはあいまいにうなずきながら赤くなっている。
 アダムはますます置いてけぼりを食らったような気持ちである。
「なんだよ、俺の話なんかしてたのか?」
「うん、それはもう盛んにね」
「何の話を?」
「ヒ・ミ・ツ」
――レオナ」
「えっ、ちょ、ちょっとそれは言えないです」
―――
 そっぽを向いてしまったアダムを、レオナとエリオットはあの手この手でなだめるのに苦労した。
「アダムってば」
 とエリオットが呼んだとき、それまでむっつり口を真横に結んでいたアダムは不意に、
「なんだよアルブレヒト」
 と言った。エリオットはそんなふうに呼ばれた理由をすぐに察したようである。小さく吹き出して笑った。
「じゃあ君はヒラリオンのつもりなの」
 やっとアダムの機嫌も持ち直したところで三人はコーヒーショップを出た。
 アダムとエリオットはこれから予定通り仕事に向かうと言う。レオナは駅から地下鉄に乗って帰るつもりだった。
「駅まで送るよ」
 とアダムに言われ、三人で屋外の駐車場へと歩いて向かった。地面に煉瓦レンガを平らに敷き詰めた明るい色の駐車場は自動車で半分ほど埋まっており、彼らがやって来たとき他に人影はなかった。
 急に、エリオットが何を思いついたのか、
「ジュネさん、見てて」
 と、アダムやレオナが止める暇もなく、ハイヒールを脱ぎ捨てて、タイツの爪先で地面に降り立った。
―――
 左足を軸に、右足のトゥを後ろへ引きクロス。外へ向けて開いた両手を優しく天へ掲げる。
 軸を右足に移して、大きく前に踏み出す。トゥ、ル、ル、ル、とステップ、右のトゥで降り立つ。朗らかに広がる四肢。後ろへ伸び上がる左足を支えるしなやかで強い体の息遣いが、離れていても感じられるようだった。
 アダムが、
「しまったな、今日はバイオリン持ってない」
 と、ぼやいた。バイオリンの代わりに、
 ターラーラーラーラー、ターララ、ラーラ――
 とジゼルのヴァリエーションの伴奏を甘い調子で口ずさむ。エリオットはそれに調和してうっとりと踊り続けた。彼の体の動きにつれて揺れる淡い色の髪が午後の日の光にきらめいていた。

(了)