ホリデー
レオナは十二月二十三日の夕方の飛行機でフロクシリアの生家へ帰っていった。二十四日の夜には黒獅子城の地下教会で血の夜明け派のミサが行われる。それにはどうしても出席しなくてはならないのだという。
リンデン空港までレオナを見送りに行ったアダムとイゴールは、祭服を詰めた大きなキャリーケースを引いてセキュリティチェックへ向かう彼女の後ろ姿が見えなくなってから、引き返して帰った。
「晩飯食って帰るか?」
ライムグリーンのトヨタを運転しながらアダムが言い、助手席のイゴールも「そうだね……」と陰気な調子ながらその気になった。日本人のハーフの彼は、黒髪の長い前髪の陰でいつも目を伏せているが、付き合い慣れればそこに微妙な感情を読み取れる。
二人は大聖堂の辺りに最近新しくできたオイスター・バーへ入った。
「静かでいいとこだね……」
人混みが嫌いなイゴールはほっとしたようにつぶやいた。店内は黄色っぽい照明に照らされて落ち着いた雰囲気。まだ黄昏時なこともあってか、テーブルにもカウンターにも来店客の姿はまばらだった。
二人はテーブル席で差し向かいに座った。
料理が来るのを待つ間、イゴールはパン切れを肴にビールを飲んで、アダムはオレンジジュースを飲んでいた。
イゴールは愛煙家でもある。ポケットから加熱式のタバコを取り出して吸い始めた。
「……レオナが帰省しちゃってつまらないね」
「そーだな」
「……彼女とはこの頃どうなの? キスくらいはした?」
「―――」
「………」
「――ほっぺにチューならしてくれたことが」
「それなら僕だってお母さんにしてもらうよ、帰省で会う度に」
「―――」
「……好きになっちゃったんだって言えばいいじゃない、レオナに」
「うるさいな――」
「それとも実は好きじゃないの?」
「―――」
「セックスしたいと思ってるくせに」
「そ、そういう言い方やめろよ」
「隠すことない。しょうがないよ。僕も若かりし頃はそうだった。むやみと性欲を持て余す。つまらない見栄も張る。童貞を守るのも楽じゃないよ」
「まだ三十四だろ君は」
イゴールは聞いていないような顔ですぱすぱとタバコを吸っている。
やがて料理が運ばれてきた。牡蠣と茹でてぶつ切りにしたロブスターをぐるりと並べた大皿、ローストポテト。グラスに盛りつけられたサラダのカクテル――これはアダムの分だけ。
イゴールはタバコを片付けると、ロブスターを手づかみで取って、殻をむしってむしゃむしゃ食べ始めた。アダムも牡蠣を手に取り、殻の端へ唇を押しつけて中身だけを器用に口の中へ滑らせた。
「うまい」
「美味しいね」
「今度は運転しないときに来たいな」
アダムはビールでも飲みたそうな口ぶりで、次はロブスターを取った。それもぺろりと食べてしまった。
「……自信がないわけ?」
とイゴールは話を蒸し返した。レオナに好かれる自信がないのか、という意味合いらしい。
「自信はある!」
とアダムは虚勢を張っている。
「ほんとぉ?」
「本当だ――だけどよ、もし向こうが好きになってくれたとしても、俺は来年のクリスマスプレゼントだって渡せないかもしれないんじゃつまらないだろ――」
「………」
そうだね……と、イゴールは少しシュンとしてしまった様子だった。
「……魔術師の心臓(メイガスハート)を手術で摘出すれば助かるのに……って言うのは簡単だけど、決心は簡単じゃないよね。後遺症だって残るしさ……グレード8になる前に安楽死を選ぶ人だっているくらいだから……」
「うん」
「僕も……」
と何か言いかけたが、それは結局最後まで言葉にならなかった。
イゴールが三個立て続けにポテトを口に入れたのを横目に、アダムはサラダのセロリをもそもそかじっていた。
「むぐ……セロリを生でかじるなんて人間じゃない……」
「君はもうちょっと健康に気を遣えよ」
などと言い合っていたときのことである。アダムのスマートフォンの通知音が鳴った。確認するとレオナからメッセージが届いていて、もうフロクシリアに着いたらしい。
「妹が空港に迎えに来てくれたって書いてある」
と、アダムはテーブルに置いたスマートフォンをイゴールに見せた。レオナのメッセージには写真も添えてあった。レオナの妹のドロシーが子供みたいに両手でポーズを取って写っている。以前アダムが会ったときにはロングヘアだった彼女が、今は男性的なショートヘアになっていた。
「レオナの妹かぁ。僕、初めて見た……」
「あの子髪切ったんだなー」
「ショートカット可愛いね。レオナとよく似てる」
そんなことを話しているうちに二枚目の写真が送られてきた。
今度はフロクシリアの風景の写真であった。もう辺りは暗くなっており判然とはしないのだが、奥の方の山肌にうっすらと明かりの入った建物が見て取れる。高い壁に囲まれ、その頭上に塔の先端やいくつもの黒い屋根を覗かせた館で、中世の山城と呼んだ方がしっくりくる。
〈Leona: 実家です〉
とレオナは書いて寄越した。
「レオナんちってお城だったんだ……?」
と、イゴールが驚いた様子でアダムの顔を見る。
「実はお姫様とか?」
「いや、血の夜明け派の古い教会らしいぜ。『黒獅子城』って呼ばれてる。俺のひいおじいちゃんやひいおばあちゃんもここに行ったんだ」
俺も行ってみたいな、とアダムは太縁の眼鏡の奥で目を細めながら言った。それをレオナへの返信にも書いて――しかし送信ボタンを押すのをためらっている。
「………」
イゴールにはアダムの気持ちが手に取るようにわかる。
未来のこと、楽しみだとか、夢や目標だとかを、語ろうとする度にメイガスハートが締めつけられる思いがするのだろう。自分たちを宿主にして共生するロゴスがそれを許すまいとするように。
ぐずぐずしているアダムの目の前にサッとイゴールの手が伸びて、アダムが止める間もなく送信ボタンをタップした。
「あっ!」
「………」
何すんだ、とアダムには抗議されたが、イゴールは素知らぬ顔でビールを飲んでいる。
すぐにレオナから返信があった。
〈Leona: ぜひ来てください。来年にでも。ドロシーも、パパとママも待ってます〉
「アダム、君、今すっごく嬉しいでしょ……」
とイゴールは陰気な顔に珍しくにやけた笑みを浮かべた。アダムが照れているのをからかう。グレード7+(五年生存率十五パーセント)の彼が不器用に恋をしたり、夢や目標を持ったり、健康を気にしていたりする。彼のそういうところが、自分にはない尊いもののようにイゴールには感じられる。
「僕もクリスマスが済んだら年末は日本に遊びに行くから……それじゃ、また年明けに会おうね……」
と言って、イゴールはアパートメントまで送ってくれたアダムと別れた。
アダムはトヨタの運転席から手を振り、
「生きてたらな」
と冗談だか真面目なのだかわからない調子で。イゴールもちょっと肩をすくめてから、手を振り返した。
(了)