オズ

「ねえレオナちゃん、彼氏できた?」
―――
 週末、土曜日、レオナの妹のドロシー・ジュネは日曜に開催されるライブイベントのために、首都リリアで一人暮らしをしている姉のアパートメントへ泊まりに来ていた。
「ねえねえレオナちゃん、彼氏できた?」
 とドロシーはもう一度聞いた。スマートフォンに表示されたお手本片手に、姉のドレッサーを借りて明日の髪型を作る練習をしている。
 レオナはといえば聞こえていないような顔で、寝室の床に敷いたマットの上でストレッチをしていた。
「ねえレオナちゃんてば」
――できてないってば、ドロシーちゃん」
 レオナは近頃ドロシーに会う度に同じ質問をされるので辟易へきえきしている。
「パパやママがそういうこと聞いてきなさいって言うの?」
「そういうわけじゃないけど――レオナちゃんもなんやかんやで人並みに恋愛とかしてるのかなって」
「してないから安心しなさい」
「本当かなぁ」
 ドロシーは長い金髪をブラシでかし、真ん中から左右二つの束に分けた。それぞれの先を持って、ドレッサーに置いたスマートフォンの画面をにらみながらああでもないこうでもないと悪戦苦闘している。
 レオナはそんな妹の様子を見かねて、
「手伝ってあげようか」
 と腰を上げた。ドロシーの後ろに立って、髪の毛束を受け取った。
「どうするの? 結ぶの?」
「あのね、こう、ねじって後ろでまとめる」
 レオナが手伝って押さえている髪の根元にドロシーはピンをいくつも刺して留めたが、いささか髪の毛の量にピンが負けている感がある。頭を左右に傾けてみたり振ってみたりする。
「これ崩れないかなぁ。大丈夫だと思う?」
「さあ」
「しばらくこのままでいてみる」
 と、ドロシーは立ち上がると、今度は明日着るつもりのレザージャケットをレオナに見せたり、好きなロックバンドのミュージックビデオを見せたり、はしゃいでいる。ライブには大学時代の友達と一緒に行くのだと言う。その友達について、レオナはなんとなく尋ねられなかった。
 ドロシーはフロクシリアの親元に住んでいて、レオナが帰省するときと、今日のように彼女の方から遊びに来るとき、顔を合わせるのは年に数回程度のことだ。
 ドロシーはコーリオプシリア女学院を卒業後、地元の児童書専門の出版会社に就職した。すでに彼女自身の人生がある。レオナは、妹には自分の知らない交友関係や夢、人生設計、悩みなどがあるのだろうと思う。何から何まで一緒に行動して、いっそうっとうしくさえ思っていた子供の頃とは違う。
 ドロシーがロックバンドに夢中になっていることだって、昨日空港まで彼女を迎えに行ったとき初めて知ったのだ。
 場面は寝室からリビングへ移って、ドロシーはケージ越しにホオミドリウロコインコのバターカップへエサをやっている。
「バターカップちゃん元気? 私のことわかる?」
 バターカップはインコながら人間の見分けがつくのか、嬉しそうにドロシーの方へすり寄ってくる。
「ドロシーチャン、コンニチ※◎■×△◆×○(よくわからない)」
「バターちゃん賢い! ねえレオナちゃん、ケージから出してもいい?」
「エサが済んでからにしてあげて。それと私たちのご飯も――今夜はデリバリーでいい?」
 とレオナもスマートフォン片手にやって来た。姉妹が頭を寄せ合って、今夜は寿司のデリバリーにしようかと相談していたそのときだった。
 急にスマートフォンに着信があって、画面に「Adam Camus」と相手の名前が表示された。決まった着信音を覚えているバターカップが「アダム、ダムダム」と騒いだ。
 レオナが電話に出た脇で、ドロシーもバターカップに負けじと、
「あーっ男の人の名前だった!」
 と騒いだ。電話口の向こうでアダムがバツの悪そうな声を出した。
「取り込み中だった?」
「いえ別に――ちょっと妹が遊びに来ているだけで」
「あ、そうなの。今仕事終わって近くまで来てるんだけど、晩飯でもどうかと思ってさ。よかったら妹さんも一緒に」
「はぁ」
 そして二十分ほど後には、アダムのトヨタがアパートメントの前にまって、二人を乗せて行った。
「なーんだ、アレクセイ・カミュのひ孫の人だったのね。パパとママも会いたいって言ってたよ」
 と、ドロシーは前の運転席に座っているアダムの横顔をのぞき込んで得心がいったという顔をしている。
「あ、血はつながってないんだっけ。ひいおじい様には全然似てないね」
――君はライオネルの子孫なのに獅子の名前じゃないの?」
「ライオンの名前がもらえるのは一番上の子だけ。古風でしょ」
 助手席に座っているレオナはハラハラした気持ちで、アダムと妹の応酬を聞いている。
「ドロシーはよくレオナんとこに遊びに来るの?」
 とアダムが聞いた。レオナは慌てたように答えた。
「えっ、よく、というほどじゃないですけど――今日は明日のイベントのために泊まりに来てるんですよ。ええと『MUムー』っていうロックバンドのライブで」
「あ、そのライブなら俺も出演するんだ。といっても急な代役でちょこっとだけ。今日リハーサルでさ」
「えーっホント!?
 と運転席にかじりついてきたのは後ろのドロシーであった。
「すごい、なんで? ロッカーなの? 魔法使いじゃなくて?」
「いや俺はバイオリン弾き」
「カッコいい! MUのメンバーに会った?」
「挨拶しただけね」
 二人とも今度は急に音楽の話題で意気投合した様子である。
 レオナはほっと安堵あんどしたような、かえって少し悩ましいような、複雑な気分だった。
「私MUのチャンが推しなんだ」
「ああ、ドラムのね。上手いよね彼女。そういえば君のその髪型、彼女と同じなのな」
「明日これで行くつもりなの」
 レオナは門外漢の自分が口を挟むのも悪いような気がして、ずっと黙っていた。回転寿司のレストランに着いて駐車場で車を降りてからも、二人に気を回して、一人で少し先に立って歩いた。
 後ろのドロシーが、隣を歩いているアダムにそっとささやいた。
「ねえ、レオナちゃんて昔からああなの。可愛いでしょ。オズの魔法使いの臆病で優しいライオンみたい」
―――
「ねえねえアダムってレオナちゃんの彼氏? よくデートしてるんじゃない? 車の助手席、初めからレオナちゃんが座ってぴったりの位置だったもん。それにバターカップがアダムの名前覚えてたし」
「彼氏じゃない――まあ今のところは」
「彼氏になったらレオナちゃん取られちゃいそう。あーあ私なんてレオナちゃんが二歳の頃から知ってるのに。二歳の頃から。なのにきっと結婚式のパーティーでは隅っこの家族一同の席に座らされるの」
「レオナはそんなことしないって、二歳の頃から知ってるならそう思わない?」
 とアダムはのんびり言った。
「なあそれよりレオナって寿司が好きなの? 何取ってあげたら喜ぶと思う?」
 ドロシーはきょとんとしてアダムの顔を見上げた。しかし結局、何も答えずにぴょんと駆け出すと、姉に追いつきまとわりついた。
「きゃっ、びっくりした、ドロシーちゃん」
「レオナちゃんの好きなアマエビたくさんあるといいね」
 とわざわざ大きな声で教えてくれたのはいかなる理由なのか、アダムにはよくわからなかった。

(了)