花の17歳

「五限の数学、当たりますよ」
 ぴっ、と音を立てて、カレーパンの袋を破る。
「…俺?」
「他に誰がいるんですか」
「あー……」
 玉子焼きを一つ口の中に放り込んで、蛮骨がどこか遠くを見るような目をする。
 それを横目に、弥勒はカレーパンを一口かじった。
「椿先生は、出席番号で当てますからな」
「…あのセンセー、すげえ若作りだよなあ」
「は?」
「桔梗先生もだけど、見た目よりだいぶ歳食ってんだろ?」
「それ、本人の前で言ってみてはどうですか」
「やだよ、呪われそうじゃねえか」
 いけしゃあしゃあとそんなことを言ってぬかしながら、蛮骨は弁当のおかずを突っついている。
 その弁当の中身はというと、白いご飯に、茹でた豚の和え物に、夕べの残りの煮物に、玉子焼きに、それに少し青い野菜が添えてある。
「だってよ、確かあの二人の実家って両方神社だろ? 巫女とかやってんじゃねえの」
「巫女だから呪えるということはないでしょう……まあ確かに、何か妖気のようなものは感じますが、あの二人には」
「だろ?」
「しかしマニア受けですな、女教師に巫女とは……」
「おめえだって十分マニア受けじゃねえか。学ラン男子高生で坊主なんだし」
「わ…私はまだ坊主ではありませんよ。未来の坊主ですけど」
「高校卒業したらすぐ修行に出んのか? 高野山とか?」
「そうですなぁ、多分……」
「あ、でも高野山て頭丸めなきゃなんねえんだろ。そうかおめえもついに丸坊主に……」
「そういう、今すぐ丸坊主にしなくてはならないような言い方やめてもらえませんか」
 憮然として弥勒が言った。
 からからと蛮骨は笑っている。
「楽でいいらしいぞ、スキンヘッドは。日焼けは怖えらしいけどな」
 ところでさ、と、蛮骨が弥勒の方に身を乗り出してくる。
「最近そっちの方はどうなんだよ。珊瑚とは上手くやってんのか?」
「勿論です」
「へー、浮気ばっかりしてたエロ坊主も成長したもんだな。じゃあそろそろ……」
「…まだ」
「まだ? いつもあんだけ手が早えくせに」
「あそこのお父上は、そりゃあもう厳しいんですよ。一度会ったときも、睨み殺されるかと……」
「学校帰りとかにどっか連れ出しちまえば」
「それでもしばれたら、私は半年ほど入院しなくてはならないことに……」
 蛮骨が小さく息をつく。
「苦労してんな、おめえも」
「そういうそっちはどうなんです」
「彼女はいなくても相手に不自由はしてない」
「…ようするに相変わらずですか。羨ましい」
「んなことばっか言ってると、その内珊瑚に言いつけるぞ」
 弥勒は苦い顔をして溜め息をついた。
 蛮骨は、最後に一つ残った里芋の煮物を口に運ぼうとして、しかしふと何かを思い出したようにその手を止める。
「なあ……おまえらひょっとして結婚とかすんのか」
 弥勒がきょとんとして、それからまじまじと蛮骨の顔を見た。
「何を言ってるんです、あんた」
「別に何となく」
「結婚と言われましても……んな先のこと分かりませんよ。私たちはまだ高校生でしょう」
「いや…」
 つまらなそうな顔をして
「そりゃそうだけどさ……」
 と、頷いてからようやく里芋を口に運んだ蛮骨を、弥勒は、訝しげに見つめていた。


「あ、新しいの買ったのか」
 と言って、蛮骨は蛇骨のエプロンのポケットから薄い色のサングラスを抜き取って、それをかけながら正面の鏡を覗き込んだ。
「似合うじゃん」
 蛇骨が、言いながら刈布かりふを広げている。
「でも兄貴三白眼だし、ちょっと傍目にゃ怖ぇかなそりゃ」
「おめえだって、いかにもゲイって感じになるくせに」
「何だよそのいかにもゲイってのは……」
 機嫌を損ねたのか、
「ほらもう返せよ。髪切りに来たんだろ」
 さっと蛮骨の手からサングラスを取り上げると、蛇骨は広げていた刈布を蛮骨の身体に掛けた。
 蛮骨が後ろを振り返って言う。
「だってそれかけて二丁目とか行くんだろ?」
「行ってる暇ねーよ、んなとこ。仕事終わったって、カットの練習もしなきゃなんねえし、バイトもあるし、あといろいろと……」
 蛇骨が言いかけている時、不意に店の奥から飛天が顔を出してきた。
「ああ、なんだ来てたのか三つ編み坊主」
 蛮骨が多少むっとした顔で返事をする。
「よぉマスター。…あんただってお下げ頭のでこっぱちのくせに」
「うるせーや。これは俺のトレードマークなんだよ。それより蛇骨」
「何すか」
 霧吹きとブラシの準備をしながら、振り向きもせずに蛇骨が聞き返す。
「さっさと終わらせちまえよ。向かいに見つかったら、うるせえだろ」
「分かってますって」
 向かいというのは、道路を挟んで店の向かい側にある、結羅の美容院のことである。
 その結羅が、髪の毛がそれはそれはもう好きなものだから、長髪でしかも黒髪であまり傷んでもいない蛮骨の髪など、もし見つかれば触られ放題なのである。
 蛇骨が蛮骨の三つ編みをほどいて、ブラシでかし始める。
「しっかし、また伸びたね兄貴。がっこで怒られるんじゃねえの」
「別に、俺以上に変な頭してる奴なんかいくらでもいるし」
「あ、そりゃそうか。犬夜叉も銀髪だもんなぁ……」
 何となく浮き立った声になって、蛇骨が言った。
「ここ最近会ってないんだよなぁ。今度定休日にでも高校まで行ってみるかなぁ……」
「止めろよ、今度こそ不審者か性犯罪者でとっ捕まるぜ。それにおめえが校門の前に立ってるとすんげー目立つし」
「……性犯罪者ってさあ」
 蛇骨が一転して溜め息をつく。
「今日は兄貴言うこときついぜ。機嫌悪ぃの?」
「んなこたねえけど、ちょっといろいろと……」
「女の悩み以外だったら聞いてもいい」
「そんなんじゃねえよ。そんなんじゃなくて、進路希望のプリントまだ出してないってのがだな……」
「なんだそんなことか」
 せっせとブラシを持った右手を動かしながら、蛇骨が続けて言う。
「このままの付く商売でもやったらいいじゃねえか」
「冗談じゃねえ。第一、それどうやって書くんだよ」
「就職、でいいんじゃねえの。だいたい、どうせ進学する気ねえんだろ、兄貴は。どっちみち働くんだろ?」
「まあ、多分な……ったくよ、弥勒は山に上るっつーし、先のことは分かんねえとか言ってやがるけど、もうほとんど決まってるようなもんじゃねえかよ」
「ああ、跡継ぎな。そりゃ寺とか神社とか、医者とか自営業とかならなぁ……」
 綺麗に全体を梳かし終わると、蛇骨は今度は大きめのクリップで髪を留め始める。
「なあ蛇骨、おまえどうして理容師になろうと思ったんだよ」
「えっ? 俺?」
 不意に蛇骨が遠い目をする。
「高校の時好きだった男が理容師になりたがってたもんだからさ……」
「…聞いた俺が馬鹿だったよ」
「まあいいじゃねえか、きっかけは何でもさぁ。やってりゃその内楽しくなることだってあるし」
「うん……」
「兄貴ならボクサーとかでもいいんじゃんねえ?」
「…ボクサぁー?」
「それともK1に出てファイトマネー稼ぐとか」
「おまえてきとうなこと言ってんじゃねえだろな」
「言ってるよ」
 ははは、と、蛇骨が笑う。
「よく、やりたいことを探してるって言ってずーっとフリーターしてる奴とかいるじゃねえか。学校のセンセー方も、好きなこと探せとかっていうけど、そんなのただ探してるだけじゃあっという間にジジイになっちまうよ。理容師だってな、最初はつまんなくたって、一年も二年も経って上手くなってくりゃ面白いぜ」
 はさみに指を入れて、それから逆の手の指で髪を引っ張って、毛先を押さえる。
「人生早いうちから楽しまなきゃ損だろ」
「……」
 蛮骨は、小さく息をついてから、うん、とどこかすっきりとした顔で頷くと、
「そうだよな」
 と、ぽつりと言った。
「そうだよ。前向きにいこうぜ」
 しゃん、と音を立てて、銀色の鋏がふぞろいな長い髪の先を真っ直ぐに切り落とす。
 そうしてから、
「で兄貴、その前向き、ってことでさ」
 内側からつっかえ棒のされた店のガラス戸にちらりと目をやって、居心地悪そうに蛇骨が溜め息をついた。
 結羅が仕事をほっぽり出して、外側からその戸に貼り付いて中を恨めしそうに見つめいている。
「オーナーと兄貴と俺と、とりあえずいっそ揃って丸刈りにするってのはどうよ」

(了)