心を賭けて
上
様子が、おかしい。
七人隊の面々がそう思うようになったのは、夕刻を過ぎた頃のことだったであろうか。
その日の昼下がり、ちょっとしたいざこざが隊内では起こっていた。
「ば~ん~こ~つ~の~あ~に~き~」
「なんだよ」
「兄貴だろ!」
「何が」
「何がって…」
蛇骨はこれでもかというほど目を吊り上げ、蛮骨を睨みつけた。
「俺の、俺の大事にしてた…」
「あー?」
「俺の大事に取っておいた胡麻団子、食ったの兄貴だろ!」
「……」
「……」
「…知らねーな」
さらりと言ってのけた蛮骨に、蛇骨は今にも怒りが爆発せんばかりに怒鳴る。
「嘘付け! じゃあ今の間はなんだよ!!」
「るせえなあ、間だのなんだのってよお、ちょっと返事が遅かっただけじゃねえか」
「それが怪しいっつってんだろうが!」
「…なんだと?」
「あーやーしーいーんーだーよ! 大兄貴が!」
「おい、蛇骨」
「なんだよ!」
「てめえいつから俺にそんな口きけるようになったんだよ」
蛮骨は言いつつ、ゆっくりと背筋を反らして腕を組んだ。
「い、いつからって…」
「随分偉っそうな言い様だよなあ」
「別にそういうつもりじゃねえけどよ…けど兄貴が」
「ああ? 俺がどうしたってんだよ? 証拠でもあんのか!?」
「いや…」
と、こんな調子で蛮骨と蛇骨が胡麻団子の行方をめぐって(?)言い争っているのを、傍で見ている者達がいた。
勿論、七人隊の残りの面々である。
「なあ煉骨の兄貴」
「なんだ霧骨」
「大兄貴のあれは…」
「まったく、蛇骨相手に大人気ねえったらないな。開き直っちまって」
「やっぱ開き直ってんのか…」
「蛇骨も蛇骨だ。団子の一つや二つでうるせえことこの上ねえ」
「よっぽど食うの楽しみだったんだろうなぁ」
さらに少し離れた所では睡骨、銀骨、凶骨の三人が、
「まあ蛇骨にゃいい薬なんじゃねえのか? たまに大兄貴にがつんと言われんのも」
「ぎし」
「お、てめえもそう思うか、銀骨」
金属で覆われた銀骨の体に睡骨は自分の体を預け、蛮骨と蛇骨の方を眺めている。
「ぎし、ぎしし」
「たまにはしおらしくなってくれりゃこっちも楽だぜ」
「ぎし~…」
心なしか、銀骨の声に不満の色が見える。
しかしそれにまったく気づく様子のない睡骨に、凶骨が後ろから声をかけた。
「睡骨~」
「あ? なんだよ凶骨」
「銀骨が…」
「ん? 銀骨どうした」
「おまえが寄っかかってると重いみてえだぜ~」
「ぎし…」
「…なんだよ、それならそうと早く言え」
「ぎ…」
その間にも蛮骨と蛇骨の言い争いはますますくだらな…いや、激しくなっていく。
「でも大兄貴が食ったんだろ!?」
「ああ、食ったよ。なんか文句あんのか!?」
「あるってんだよ!!」
「っ、てめえはんとに可愛げがねえな!」
「可愛げがないのはそっちだろうが!!」
「俺には可愛げなんて必要ねえんだよ!!」
「あーそうだろうとも! 可愛かったらとっくに俺が喰ってるからな!!」
「はっ、誰がてめえなんぞに喰われるかってんだ!」
「やってみるか?」
「おう、やれるもんならやってみやがれ!!」
どうも展開が怪しくなってくる。
傍らで、煉骨と睡骨がそっと目配せ合った。
断っておくが、こういう展開になるのは作者がこの手の展開を好んでいるためでは決して、ない(笑)
しかし蛇骨が蛮骨に掴みかかろうとしたまさにその時、二人の間に二つの大きな影が割り込んできた。
「大兄貴」
「蛇骨」
溜め息とともにそう呼んだのは、もうお分かりであろう、煉骨と睡骨だ。
「な、どけよ睡骨! これは俺と大兄貴の問題なんだぞ!」
「煉骨てめえもだ!! どけよ!!」
「悪いがそういうわけにも」
「いかねえんでな」
随分と息の合った調子で、煉骨と睡骨は蛮骨と蛇骨の二人を引き離し、さらに睡骨は蛇骨の体を己の肩の上に担ぎ上げた。
「睡骨、そのまま蛇骨をどこかに持っていけ。ちっと頭冷やさせろ」
「おう」
「な、こら下ろせよ睡骨!!」
「大兄貴も、みっともないから止めてくれ」
「ふん」
煉骨に諌められても蛮骨はそっぽを向いてしまう。
その間に、ぎゃーぎゃーと喚く蛇骨を抱えて睡骨はその場を立ち去った。
「下ろせよこの馬鹿、鬼、助平、強姦魔ー!!」
「誰が強姦魔だ馬鹿野郎! そりゃてめえのことだろが」
「お~ろ~せ~!!」
「誰が下ろすか」
「お~ろ~せ~…」
そんな蛇骨の喚き声を聞きながら、蛮骨とともに元の場所に留まっていた煉骨は胃の腑の辺りがぎりぎりと締め付けられるのを感じる。
「はー、ったく蛇骨もどうにかならねえもんか…」
「まったくだぜ。もうちっと可愛げのある奴かと思ってたのによー」
「可愛げ、ねえ…」
「ったく見かけ倒し」
あーあ、と、蛮骨はつまらなさそうに呟いた。
本日の宿は山中の荒れ寺。
そろそろ暮れ六つ、逢魔が時を迎えようとしている。
蛮骨と煉骨の二人は湯浴みを終え、一室にてくつろいで、というか板敷きの上にひっくり返っていた。
いや、ひっくり返っているのは蛮骨だけで、さすがに煉骨はそこまでだらしのない格好はしていないが。
「もっと、こうよぉ、俺を兄貴兄貴って慕ってくれるというか、俺一筋みてえな…」
「あー、はいはい。どうせ俺は大兄貴一筋にはなれませんからね」
「そりゃ当たりめえだろ。おめえにゃあいつらの面倒見てもらわねえといけねえんだからよ」
「…どうせ俺はお守り役ですよ」
「…何怒ってんだよ?」
「怒っちゃいねえよ」
「じゃあなんだよ」
「今の蛇骨でも十分大兄貴を慕ってやまねえように、俺には見えるんだがな」
「そうかぁ?」
…自覚ねえのかよ。
「それにそんな弟分、俺は鬱陶しくて嫌だが」
「そうかな…」
「そうだろ。考えてもみろよ、あの蛇骨が『蛮骨の兄貴~』というのはいつものことにしても、それが年がら年中べったりなんだぞ、暑苦しい」
「煉骨…」
「なんですか」
「似てねえぞ、蛇骨の口真似」
「…んなこたどうだっていいでしょう!」
煉骨は真っ赤になって口を閉ざしてしまった。
それを見てつまらなさそうに、蛮骨はごろんと障子の方へ寝返りを打つ。
とその時、誰かがぺたぺたと縁側をこちらに向かって歩いてくる音がした。
「…蛇骨だな」
何しに来やがった。
そう訝しんでいる内に、破れた障子が鈍い音を立てて開いた。
「何しに来たんだよ」
「蛮骨の兄貴…」
蛇骨は伏し目がちで、なんだかひどく弱々しい声をしている。
ゆっくりと蛮骨の方へと歩み寄り、その場に膝をついた。
「さっきは…ごめん」
「なんだ、素直だな」
蛮骨もその場に身を起こすと小さく笑みを浮かべた。
「どういう風の吹き回しだ」
「……ごめん」
「何か企んでんのか?」
「そんな…俺そんなつもりじゃ…」
「じゃあなんだよ」
「……」
蛇骨は伏していた顔を躊躇いがちに持ち上げた。
「なあ、兄貴…俺のこと嫌いになったか?」
「な…」
「お願い…嫌いになんかならないで」
そして、
「おいっ、じゃ、蛇骨…」
蛇骨の腕は蛮骨の首に回され、ぎゅっと力が込められる。
「お願い…」
「い、いや、嫌いじゃねえぞ。嫌いじゃねえけど…おめえどうしたんだよ」
「良かった…」
良くねえって。
なんなんだよ調子狂うじゃねえか…
抱き合った二人を見ながら、煉骨は開いた口が塞がらない。
「……」
な、何事だ…?
そうこうしているうちにも、蛇骨の行為はさらに…
「うひやっ」
蛇骨の頭が蛮骨の肩口辺りに埋められたかと思った次の瞬間に、蛮骨が妙な声を上げる。
「蛇骨、てめ、何してやがる! 舐めるな!!」
しかしそう言いながらも、蛮骨は蛇骨の背に手を回した。
さらに逆の手を蛇骨の膝の裏へ差し入れて抱え込み、両方の手に力を入れる。
「わっ、蛮骨の兄貴!」
蛮骨は抱えた蛇骨の脚を自分の後ろ側へ出させると、抱きついた格好そのままで弟分の体を抱き上げた。
「わ、わ、兄貴ってば」
蛇骨が声を上げる間もなく、蛮骨は駆け出した。
部屋を飛び出し、大きな音を立てて廊下を走って行く。
後に残されたのは、あんぐりと口を開けたまま固まっている煉骨のみであった。
蛮骨と煉骨の部屋から少し離れた一室に、睡骨・霧骨・銀骨・凶骨の四人が顔を寄せて集まっていた。
ちなみに、凶骨は入りきらないので、体の半分は襖を取り払った隣の部屋に納まっている。
「よし、次いくぞ」
眉間にぐぐっと皺を寄せた霧骨がぶん、と腕を振り上げる。
「おりゃっ」
ころころころ…
二つのサイコロが無骨の手の中から転がり出る。
「よし、こい、こい」
「くんな、くるなよ」
「ぎ、ぎし、ぎし、ぎぎ」
「くるな~」
さて、出た目は…二と五だ。
「やった、俺の勝ちだ」
その結果に霧骨がにんまりと笑む。
「ちっ」
「ぎぎし」
「くそ~」
「さ、てめえらさっさと持ち金よこせよ」
「ほらよ」
ちゃりん
「ぎ~」
「くそ~」
ちゃりん、ちゃりりん
「ひいふうみい…なんだよたったこれだけか、しけてんなあ」
「うるせえ」
三人から受け取った小銭を手の中で弄びつつ、霧骨は胡坐を掻いていた足をくずし、小さく伸びをした。
しばしの沈黙。
やっぱ小銭なんか賭けても面白くもねえか…
手の中でじゃりじゃりと擦れ合わさる小銭の音を聞きながら、霧骨はぼうっとそんなことを思う。
どうせならもっと儲かるようなことがしてえな。
あ、そうだ、なんか面白え薬作って売ってみるのはどうだ。
惚れ薬とか惚れ薬とか惚れ薬とか…
「おい霧骨何にやにやしてんだよ~」
「でっかいのは黙っとけ」
でっかいの、とは凶骨のことだ。
やっぱ世間は好き者の集まりだからな、惚れ薬なんて作れりゃがっぽがっぽ儲かるに違いねえ。
がっぽがっぽと儲かれば、贅沢もできるし女遊びもし放題だろうな…
にまにま。
霧骨の想像、いや妄想はどんどんと桃色に膨らんでいく。
傍で見ている三人が気味の悪いものでも見るような視線を向けていることにも気づかない。
いつもは買えねえような高い女も買い放題ってか…
まさに両手に花。
酒池肉林。
むふ。
そんな霧骨の妄想が、ちょうど遊女を侍らせてさて今日はどの
ばぁん!
と、縁側に面した障子が今にも吹き飛びそうな勢いをもって開けられた。
中に入ってきた人物に部屋の中の四人は目を丸くする。
「霧骨!!」
「な、なんだよ大兄貴…その蛇骨は…」
「しらばっくれんじゃねえ!」
蛇骨を前に抱いた格好そのままで、蛮骨はずかずかと部屋の真ん中までやって来る。
「な、なんだよ~」
「この蛇骨はてめえの仕業だな?」
「は?」
「とぼけんじゃねえよ! 見ろ、こんなしおらしくなっちまって、てめえがまた変な薬でも盛ったんだろ」
「はあ? し、しし知らねえよ~、俺じゃねえって」
「てめえはまたこの後に及んで…」
「知らねえんだってば!」
「…ほんっとに知らねえのか」
「ほんとだって」
「じゃあこの蛇骨は…」
と、そこで残りの三人が口を挟んできた。
「大兄貴、蛇骨がどうかしたのか?」
まずは睡骨。
「ぎしい、しぃ」
続いて銀骨。
「どうかしたのか~?」
そして凶骨。
「やかましい、三人いっぺんに訊くな」
三人は顔を見合わせた。
ちらちらと目配せをすると、睡骨が三人を代表するように口を開く。
「蛇骨がどうかしたのか」
「見てのとおりだよ」
「見てのって…」
三人は、未だに蛮骨にしがみついたままの蛇骨の顔をじっと見つめた。
じーっ。
見つめられ、俯くようにしていた蛇骨の顔がようやく持ち上がる。
そして三人の顔を一瞥すると、
「じろじろ見んじゃねえよ、ばーか」
「……」
……
「…大兄貴、別に普通じゃねえか? そりゃ確かにさっきの今で大兄貴とそんなにべったべったしてんのは少し変だけどよ」
「少しじゃなくて大分変なんだよ」
「ねえ蛮骨の兄貴」
蛇骨は再び蛮骨の方を向き直ると、まるで猫が喉を鳴らすような甘えた声を出した。
「こんなやつらほっといてさあ、部屋戻ろうぜ」
「蛇骨、てめえやっぱ何か企んでんだろ。霧骨の薬のせいじゃねえんなら」
「企んでなんかないよ…俺ってそんなに信用ない?」
「今のてめえを信用しろって言われてもな」
「…ひどいな、蛮骨の兄貴はさ」
「なんだよ」
「俺はいつだって俺なのに…俺が兄貴を裏切るなんて有り得ないって分かってくれてるんだと思ってたけど」
弱く苦笑に近い笑みを浮かべて見つめてくる蛇骨の視線に、蛮骨は一瞬たじろいだが、しかしすぐに苦い顔をして、
「別に裏切るとか、そんなこと言ってるんじゃねえや」
「俺は兄貴に嘘つかないよ」
「そうかぁ?」
「やっぱり俺のこと信じてないんだ」
「いや、別にそうとは…」
「信じてよ…」
言うと、蛇骨は蛮骨の肩口に口付けるように、そこに顔を埋めた。
「おい…」
そこで蛮骨ははっと気がつく。
弟どもが見てる。
「おい、蛇骨…」
蛮骨が諌めるように蛇骨の背中を叩く。
しかし蛇骨は蛮骨を抱く腕に一層力を入れ、ぎゅっと抱きしめた。
さすがの蛮骨も狼狽を隠せないようになってくる。
ど、どうしたもんだ、こりゃ…
しかし蛮骨以上に狼狽しているのは周りで見ている弟分たちだ。
本人たち以上に赤くなり、鼓動を早め、どうしたものかと目のやり場に困っている。
ただ一人、睡骨を除いては。
睡骨だけは、ただ険しい目つきで二人を見つめている。
…蛇骨、てめえそりゃねえぜ、卑怯もんが……
「…蛮骨の兄貴」
ようやく蛇骨が顔を上げた。
「信じて」
「…分かったよ」
蛮骨は蛇骨の目を見た。
いつもとは違う、少し何かに怯えるような、物憂い瞳の光。
…分からねえ。
いつもの蛇骨の目じゃねえと、なかなか読めねえな…
蛮骨の答えに蛇骨は小さく微笑んだ。
「ありがと」
そして、
「っ、蛇骨…」
二人の顔の間が急に狭まったかと思うと、生温かい感触が蛮骨の唇の上に被さった。
「っ…」
ただ唇を合わせるだけの軽い接吻であったが、それだけに蛇骨の唇の柔らかさや、そっと吸われるその感覚は鋭敏だった。
周りの弟分たちももう顔を背けるより他ない。
見ない振りをするに限る、こういうときは。
しかしそれもやはり、睡骨を除いては、であった。
「蛇骨」
睡骨は立ち上がると、二人の前、蛇骨の背に立ち、後ろから彼の顎を掴むと強く後ろへ引いた。
二人の顔が離れる。
「卑怯だぜ、蛇骨」
睡骨が忌々しげに蛇骨に向かって言う。
蛇骨はゆっくりと睡骨を振り返ると、にやりと口元に笑みを浮かべる。
「手も足もでなくて悔しいかよ」
「おい、何の話だ」
蛮骨がその二人のやり取りにすっと目を細めた。
「何でもないよ」
「……」
蛮骨の視線は依然として訝しげであった。
「睡骨の野郎やきもち妬いてんだってさ」
にっこりと蛇骨は微笑む。
蛮骨はきょとんとした顔でそれに応えた。
「そうなのか? 睡骨」
「さあな」
睡骨はぷいっとそっぽを向く。
その姿を見て、蛇骨はもう一度にやりと笑みを浮かべた。
妖艶という言葉がよく似合う、笑みだった。
中
濡れ縁。
足の裏から伝わるその硬さや冷たさに、睡骨は頭の中の、脳の奥が痺れるような感覚を覚えた。
「蛇骨」
睡骨よりも随分先を歩いている蛇骨は振り返る気配さえ見せない。
「んだよ」
「…卑怯だぜ」
唸るように睡骨が言った。
「何がだよ」
それに対して蛇骨はまるであざ笑うかのような声音で返事を返す。
「俺何か悪いことしたっけねえ」
「てめえは限度ってもんを知らねえのかよ」
「何それ、食い物?」
「蛇骨!」
「ははは、本気にすんなよ。別に、蛮骨の兄貴に口つけんのなんて初めてじゃねえしな」
「…そうだったか?」
「そうだよ。だから今更限度もなんもありゃしねえって」
蛇骨はあっけらかんと言い放つ。
その背後で、睡骨はむうと小さく唸って眉をしかめた。
「そりゃあどうだか…まあ、俺は大兄貴を信じるけどな」
「好きにしろよ。俺は俺様の腕を信じてるもんでねえ」
そう言うと、蛇骨は睡骨を振り返った。
にやりと笑う。
「てめえのその
「誰が入れるか! 馬鹿野郎!」
「はは」
そしてぺたぺたと足音を立てながら、蛇骨の姿は見えなくなってしまった。
「…もし本当に」
見えない蛇骨の姿を見つめるように、睡骨はただ一点を見つめたまま呟く。
「いや、そんなわけねえか」
いらぬ想像を振り払うように、頭を振った。
長い髪を束ねていた紐をほどき、蛮骨はきつく編みこまれた下げ髪をといていく。
やっぱ解くと邪魔だ。
もう切っちまおうかな…
にしても、あの蛇骨。
あの態度、喋り様、何か企んでいるに違いない。
何か自分にねだるつもりなのか…高い着物か、簪か紅か。
それとも別の企てか。
あの眼。
あんな眼を俺に向けてくるとは思わなかった、といえば、それに間違いはないが。
あんな眼を期待したことがなかった、といえば、それは嘘になるだろう。
俺は兄貴分なんだからな…
唇に手を当てた。
先程蛇骨に吸い付かれた感触がまだ残っているような気がする。
別に蛇骨に口を吸われてもどうのこうのと思ったり、違和感を感じたことはない。
ただ、唇同士が触れ合う分、兄弟としての距離が近いだけだ。
近いといっても
蛇骨の性分によるところも大きい。
こういうことを気にしないんだろう。
蛮骨はごろりと横になった。
考えるのはやっぱり疲れる…
たったこれだけの思考にも頭は必死で回転しているように感じる。
自分は頭は悪くないとは思うが、考えることはすこぶる苦手だと思う。
たいていは考えるより先に体が動き、勘が働く。
その勘に根拠はないが、だがだいたいはその勘に間違いはない。
案外、その勘が働くまでのところで頭は無意識の内に猛烈な速さで回っているのかもしれない。
のんびり考える余裕のあるような場面に出会ったことなんかついぞ無いのだ。
とにかく速い判断、尚且つ正確な判断が必要だった、いつも。
その判断に後悔した覚えもなければ、そんな暇も無い。
だがなぜか今回は、やたらに時間がある。
なんでだ? 今回に限って仕事も無ければ野戦も無いし、季候も良くて平穏そのもの。
騒ぎといえばこの間の蛇骨との喧嘩ぐらいだ。
けどその喧嘩の後すぐ蛇骨はおかしくなっちまったし。
やっぱり仕事も戦も無くて、結局俺は久々にこんなに頭を使う羽目になっちまった。
かえって疲れるぜ。
蛮骨は小さく欠伸をした。
蛇骨は何を考えているのやら…
今回ばかりは自慢の勘も空振りだった。
「…まあ、とはいっても、な」
誰にともなく呟いて、蛮骨は一人にやりと笑った。
ああいう蛇骨の姿を見るのが嫌なわけじゃない。
勘が空振っているとはいったものの、奴が何か企んでやがるってことには気づいているわけだ。
奴はそんなこと思ってもいまい。
単純な奴だ、自分の芝居を信じてるんだろう、ばれていないと。
くくく、と蛮骨は小さく笑った。
知っているということは、知らないことに比べて格段に強い。
戦場で隠れている敵の場所を知るか知らないかと同じ。
当然知っている方が有利だ。
つまり、奴が何か企んでいるということを知っているだけでも、俺は奴よりも優位に立てるかもしれないってことだ。
まだまだ青いよなあ、蛇骨の野郎も。
可愛い奴だよ。
いい弟分だ。
そうして、しばらく蛮骨は一人にやにやとしていた。
やっぱり、何も無くて静かな日も悪くないかもしれない、と、そう思えた。
一瞬。
周りからすべての音という音が消えた。
獣の声も、風の音もしない。
自分の心臓の音だけがとっとっとっ、と
寒ささえ心地良いような錯覚を覚える。
「蛮骨の兄貴」
だが誰かがそんな空気を破った。
「寝てるのかい」
蛇骨の声だった。
返事をしようと口を開きかけて、やめた。
「……」
寝たふりをしてみようかと、何故かそんな気になった。
「兄貴ってば」
蛇骨が俺の上に屈みこんだらしく、目を閉じて見える闇が一層濃くなった。
「おーい」
蛇骨の指が俺の頭をつつく。
「ふむ」
ひとしきり俺の頭をつついたり髪を引っぱったりした後、蛇骨は顔を上げたようだった。
その後しばらくは何も仕掛けてこない…
「ふむ」
どうも蛮骨の兄貴は寝てるみてえだ。
つっついても起きねえし、寝息も一定してる。
起きてる奴ならもっと息が乱れるもんだ。
(こりゃあ…ひょっとしていい機会じゃねえか)
兄貴がまだ起きてるもんと思って、いろいろと無い知恵絞って策も考えてみたけどこれなら手っ取り早い。
得意中の得意だ。
夜這い、なんてやつは。
蛇骨はにんまりと笑んだ。
ついてるぜ、これで睡骨に勝てる。
そっと蛇骨は蛮骨を見下ろす。
やるなら今だ、今しかない。
蛇骨の真っ赤な舌が口元からちろりと覗いて、同じように赤く、薄い唇をぺろりと舐めた。
音を立てないようにそっと、蛮骨が寝転がっている背後の方に腰を下ろす。
そしてその体にしなだれかかるようにして己の体を付けると、蛇骨は蛮骨の耳元に唇を押し当て、囁いた。
「悪いな、蛮骨の兄貴」
「……」
蛮骨には何も反応はなかった。
そらそうだ、兄貴は珍しく無防備にご就寝中だもんな。
蛇骨は心の中でくつくつと笑っている。
手を兄貴分の懐へと差し入れた。
肉の厚い、硬い体が手に触れる。
いい体だぜ、まったく。
脂身のほとんどない引き締まった体つき。
特に腰の辺りの線なんかたまんねえな。
それに沿って手を滑らす。
きれいなままなのが…他の野郎に手えつけられねえのが不思議なくらいだ。
唇を蛮骨の首筋辺りに落とした。
やべえな、本気になっちまいそうだぜ、こいつは。
にやり、と蛇骨の口の端が持ち上がる。
目の光はまさに蛇のそれを思わせるように艶々としている。
何度も蛮骨の懐をまさぐって、蛇骨はその手を引き抜いた。
「さて、と」
さっさと終わらせちまおう。
名残惜しいけど兄貴に目を覚まされたら困る。
蛇骨の手が蛮骨の着物の帯へと伸びた。
片手で器用にその結び目をほどき、裾を割る。
これまたよく引き締まった太腿が見えた。
目え覚まさないでくれよ、大兄貴。
そう念じつつ、蛇骨はその脚へと手を伸ばした。
にやり。
やったぜ、睡骨。
これでもう勝敗は決まったも同然。
俺の勝ちだ。
てめえは負けさ。
蛇骨の指先が、まさに蛮骨の太腿に触れようとしていた。
だが、
何だ!?
蛇骨の目にはその動きは完全には捉えられなかった。
ただ、ふわり、という感じだったのは分かる。
蛮骨が、蛇骨の指が体に触れた瞬間に、動いた。
そして次の瞬間。
「げほっ! ぐ、ごほっ、ごほ…」
蛇骨は大きく体を折り、激しく咳き込んだ。
胃の内容物が今にも口から出そうだった。
「馬鹿が」
そう言って、蛮骨はゆっくり体を起こした。
「あ、あに、ごほっ、兄貴、起きてたのか…」
「ずっとな」
蛇骨の指が触れた瞬間、蛮骨の体が跳ねていた。
それは押し縮められたばねが跳ね上がるような速さで。
触れた瞬間に跳ね上がり、次にはその跳ねた体の右肘が、蛇骨のみぞおちへと埋まっていた。
蛇骨はさらに激しくむせた。
上がってきた胃酸が喉を侵して焼けるように熱い。
「馬鹿が」
もう一度蛮骨が言い捨てた。
その抑揚の無い声に、蛇骨の全身の肌がひり、と疼いた。
「起きれるか」
「ま、まあそりゃ、このくれえなら…」
片腕をついて体を起こす。
ずきんと腹部に痛みが走った。
「ってぇ…」
蛇骨の目が小さく蛮骨を睨む。
「兄貴、何も本気で打ち込んでくるこたねえだろ…」
「だれが本気だよ。本気なら、てめえとっくに腹の風通しがよくなってるころだぜ」
「風っ…って、蛮骨の兄貴、冗談きついぜ」
はは、と蛇骨は苦笑った。
だが蛮骨はそんな蛇骨を冷えた目で見据え、
「蛇骨、てめえがやけに大人しかったのはこれのためかい」
「…へ?」
「ろくでもねえ野郎だぜ」
「いや、兄貴…」
「失せろ」
「兄…」
「失せろよ」
静かな声で、だが蛇骨に有無を言わせない声で、そう言った。
蛇骨はしばらく何も応えなかった。
否、応えたかったが蛮骨の視線ががそれを許さなかった、と言うべきか。
ぐっと口をつぐみ、数度まばたきを繰り返し、ついに蛇骨は立ち上がった。
後ろ髪を引かれている様子が見て取れた。
「…兄貴」
蛮骨は応えない。
「すまねえなぁ…」
声が震えた。
というよりも喉の奥に何かごろごろとした塊のようなものがつかえているようで、上手く声に出たかどうかも分からない。
蛮骨は何も応えない。
ただ周りの空気が一気に密度を増したようで、蛇骨には、兄貴分の周りの空気は怒りに震えているように思えた。
…殺されるかもしれねえ。
そんな思いが蛇骨の背を押した。
そうして踏み出した縁側は、しびれるほど冷たかった。
…蛇骨は出て行ったか。
それでいい。
あのまま顔つき合わせてたって、ろくなことになりゃしねえ…。
蛮骨は十分冷静だった。
と、自分では思っていた。
だが。
胸焼けがするように、胸が熱かった。
嫌だった。
くやしかった。
いろいろなものに対して。
無念で。
ただただ。
体を折って、蛮骨は
下
重苦しい雰囲気が辺りを支配していた。
「……」
睡骨は自分のこめかみをつう、と流れる冷や汗に身震いした。
恐る恐る視線を上げる。
その視線の先には、これでもかというほどの仏頂面を作って胡坐をかいている蛮骨の姿がある。
「……」
冷や汗。
どうにも耐え切れず、睡骨はまた顔を伏せた。
「睡骨、なに下向いてんだよ」
蛮骨が口を開いた。
睡骨の背筋を冷たいものが走る。
「い、いやっ、何も…」
「蛇骨」
蛮骨は睡骨の後ろで小さくなっていた蛇骨に向かって声を掛けた。
「蛇骨、返事くらいしろよ」
「……」
蛮骨に促され、蛇骨もまた小さく顔を上げた。
「何か」
その瞳にはいつものような
「何か、ってこたあねえだろう? なあ、睡骨」
言って、蛮骨はにやり、と口の端を持ち上げた。
鼻で笑うように、睡骨を呼んだ。
「まったくてめえら、大の大人が二人、そろいも揃ってこんなに馬鹿ばっかりだとは思わなかったぜ」
「だから、兄貴そのことはさっきからずっと謝って…」
「うるせえ!」
また、冷たいものが睡骨の背を這った。
「…悪気があったわけじゃねえ」
「はっ、悪気がねえか、それなら
「……」
「蛇骨、てめえも何とか言ったらどうなんだ」
蛇骨は顔を伏せた。
「…悪かったよ」
その言い終わるのを待たず、蛮骨はあざ笑うように蛇骨を睨みつけた。
「それだけかよ」
「余計なこと言うと兄貴が余計起こるだろうと思ってさ」
「ふん、よく分かってんじゃねえか。けどな、それが分かってるんなら今のも言わねえ方が良かったぜ。それも余計だ」
「分かったよ」
「…へえ、何が分かった」
「何…って…」
「結局てめえは俺の言うことなんざちっとも分かっちゃいねえくせに」
「そんなことねえよ…」
「てめえは何度言ったって、俺の言うことなんか聞きゃしねえ」
「そんなことねえ…」
「平気で合戦場で俺の命令を無視しやがったのは、後にも先にもてめえだけだろうなあ」
「それは…」
「俺の獲物を平気で横取りしやがるしよ」
「だから…」
「だからてめえは、結局馬鹿なんだよ」
「……」
「馬鹿が」
「……」
ぎり、と蛇骨が歯噛みをする音が、睡骨には聞こえるようだった。
蛇骨は強く拳を握り締め、ただ下を向いていた。
蛮骨は反論を許さなかった。
嘲笑を浮かべたまま、可笑しそうに蛇骨を睨んでいた。
およそ、睡骨には今まで見たこともないような顔であった。
そうして、蛇骨も睡骨も、ただ顔を伏せた。
言い返そうにも言葉が見つからない。
おそらく言い返せたとしてもまた揚げ足を取られるだろう。
重苦しい空気が辺りに充満していた。
呼吸までも苦しいような気がした。
胸の辺りを締め付けられているようで。
喉に何かごろごろとしたものがつかえているような。
苦しい……。
だが、ふっと、その圧は緩んだ。
蛮骨が一つ溜め息をついた。
可笑しそうに言う。
あざ笑うようにではない、ただ可笑しそうに言った。
「やっぱ、馬鹿だよなあてめえら」
そして続けてくつくつと笑い出す。
やがて声を出して笑い出した。
まさにそれは腹を抱えて笑う、といった様子で、睡骨と蛇骨はよく事情が飲み込めぬままに頭を上げた。
「兄貴…」
「あーあ、ほんとにまあてめえらも馬鹿でぇ。俺が本気で怒ってると思ってんだろ」
「は?」
「兄貴そりゃどういう…」
「まあてめえら苛めて遊ぶのもほどほどにしねえと煉骨あたりうるせえからな。怒っちゃいねえよ。ほんとだ」
睡骨と蛇骨は二人揃ってわけの分からないような顔をしている。
「それは、つまり許してくれるってことか」
「あんな馬鹿げたことに本気で怒る方がどうかしてらぁ」
「う…それはそうかもしれねえが…」
あーあ、と蛮骨は楽しそうにわざとらしく溜息をついて見せた。
「ちっと博打は控えさせなきゃなんねえかな」
「…あの、蛮骨の兄貴」
「なんでぇ蛇骨」
蛮骨の可笑しそうな視線が蛇骨の方へと向けられる。
「俺のことも、もう、いいのかい?」
途切れ途切れ、慎重に言葉を選ぶように言う蛇骨を見て蛮骨は目を細めた。
「そうだな」
「そ、そうかそれならよか…」
「けどなぁ」
蛇骨がびくりと体を引きつらせる。
蛮骨が笑った。
「次にこういうことやるときは俺にも言えよな。煉骨あたりの下帯でも賭けてやろうぜ」
蛇骨がほうと息をついて、頬を緩めた。
つられるように傍らの睡骨も頬を緩ませ、苦笑った。
「いや、それにしても俺達も本当に馬鹿だったぜ。蛇骨があんなこと言い出さなけりゃなぁ」
「何言ってんだよ、睡骨、言い出したのはてめえだろ」
「そりゃ、俺は確かに『賭けよう』とは言ったけどな、何に賭けるか決めたのはおめえだぜ」
「そうだったけ?」
「そうだ。だいたい俺が『大兄貴の下帯取ってこれるか賭けようぜ』なんて言うと思うかよ」
「ああ、てめえなら言いそうだなあ」
「言わねえよ! 言いそうなのはおめえだろうが」
ふーん、と二人のやり取りを聞いていた蛮骨が、
「相変わらず仲がいいなあ、おめえらは」
「どこが!」
二人いっぺんに蛮骨の方を向き直る。
「そういうところがだよ」
言って蛮骨は可笑しそうに笑った。
部屋を出て行こうとした蛇骨を蛮骨は呼び止めた。
「なんでえ、蛮骨の兄貴」
蛇骨の隣に立つ。
わざわざ、むう、と難しい顔を作ってみせる。
「俺はな」
「うん?」
「今度ばっかりは、ちょっと自分に自信がなくなったぜ」
「へえ、そりゃなんでまた」
「ついにおめえの理性を切らせちまったかと思ってな」
「はあ?」
そこで蛮骨は一息ついて、蛇骨の方を見た。
「俺としたことが、弟分になめられるような真似しちまったかと思ったんだよ」
「そりゃ、俺にかい」
「ああ」
「俺が兄貴をなめてるって?」
「ああ」
「…どうしてそうなるわけよ」
蛇骨は蛮骨の方を向き直る。
「俺はあの時、おめえに襲われるかと思ったのよ」
「へぇ」
「そればっかりは駄目だ」
「ほぉ」
「俺は男に、しかも自分の弟分に、どうこうされるわけにはいかねえ」
「…どうして」
「兄貴分だから」
蛮骨は腕を組んで、開け放たれた障子から外を見た。
蛇骨もつられるように外を眺め、こりこりと頭を掻いた。
「なるほどねぇ」
「分かるか? おめえに」
「まあね」
「ん…」
蛮骨はずっと外を見ている。
蛇骨は小さく息をついた。
「俺たちみてえな男に取っちゃ、犯られるってのは相当特別よ。…まあ、餓鬼の頃はそんなこと思わなかったけどな」
蛮骨が蛇骨を見る。
「おめえ、餓鬼の頃から…」
「生きてくためさ、仕方ねえ」
蛇骨は肩をすくめた。
「いいんだ、おかげで今の俺があるんだからよ。でもまあ、昔はともかく、今は嫌だな、犯られんの」
「おめえも嫌かい」
「うん、そりゃ俺だって一人前の
「だよなあ」
「他の野郎に、はいどうぞってに渡せるかって…まあ、兄貴達はともかくとしてよ」
「…俺は抱かねえぞ」
「そういう意味じゃねえってば」
蛇骨が蛮骨を見る。
小さく笑う。
「俺が蛮骨の兄貴に手え出せるわけねえさ」
「そりゃ良かった」
蛮骨のぞんざいな返事に、蛇骨がむっと顔をしかめる。
「本当だぜ?」
そして真剣な顔をした。
「そういう覚悟で兄貴について来たんだ」
どうして俺があんたを兄貴って呼ぶか分かってんのか。
「分かってるよ」
蛮骨はそれに対して微笑みながら返す。
「我ながらろくでもねえ、冷静じゃなかったな」
「兄貴は随分落ち着いてるように見えるけど?」
「おめえに襲われるかと思った時さ」
「へぇ…」
蛇骨は外を見た。
「…そりゃまあ、兄貴は襲いたくなるようないい体してるけどな」
「……」
「兄貴が兄貴じゃなけりゃあなぁ」
「…死ぬ覚悟でくるんだな、したけりゃ」
「おっとこいつは失敬」
蛇骨が笑う。
蛮骨も笑った。
と、急に蛇骨の顔つきが妙に真剣なものになる。
「ところでさぁ、兄貴…」
「なんだよ」
「……」
「なんだよ、言えよ」
「…胡麻団子」
「……」
虚をつかれたように蛮骨は黙った。
「どうしてくれんだよ」
「…おめえまだそんなことにこだわって…」
「だって楽しみにしてたんだぜ」
恨めしそうに、蛇骨は蛮骨を見る。
仕方なく溜め息混じりに、蛮骨は応えた。
「…ったく、仕方ねえなあ」
「どうしてくれんだ」
「どうするったって、さすがに俺の腹ん中に納まっちまったもんはもう返せねえからな。今度また買ってやるよ」
「ほんとか? やった」
嬉しそうに蛇骨は笑う。
「だから好きなんだよ、兄貴が」
「おいおい…俺はまた煉骨に小言言われるぜ、あんまりおめえを甘やかすなってな」
「いいじゃねえか、自業自得だろ、俺の団子食っちまったんだから」
楽しそうに蛇骨が笑った。
「んじゃそういうことで、もういいかい、兄貴、帰っても」
「ああいいよ」
余計な出費が増えたことに不機嫌になりつつも、蛮骨は縁側を歩いてく蛇骨を見送ってやる。
やっとかたがついたか。
はーあ、と蛮骨は溜息をつく。
まったく。
小声で呟いた。
「なんもすることがねえと、ろくなことが起きねえや」
そして笑った。
まあいい。
兄貴業も、そんなに悪くねえもんだしな。
とそのとき、先を行っていた蛇骨が、
「そうだ言い忘れてたぜ」
とこちらを振り返った。
「俺さあ、兄貴についてこうって決めたときに一つ賭けをしたんだよ」
「へえ、誰と」
「兄貴とに決まってるだろ」
「…どんな」
にやっ、と蛇骨が笑う。
「俺はどこまで兄貴のもんになるか」
それを聞いて蛮骨は眉をしかめる。
「おめえはまたそういうことを…」
「はは」
「難しい賭けだな」
「ああ」
「俺が勝っても、おめえが勝っても困るじゃねえか」
「だよなあ」
蛇骨は前を向き直った。
「結局、痛み分けさ」
「俺が勝てねえのもなんか口惜しい気がするけど、こればっかりは仕方ねえってか」
なあ蛇骨、と蛮骨は蛇骨の方を向いた。
「これ、何賭けるんだ?」
黙って蛇骨は振り向く。
右手の親指で自分の胸を指し、
「他に何かあるかよ?」
笑いながら元を向き直ると、足を速めて行ってしまった。
(了)