里山の古狸

 春も間近と風で感じられるようになったこの頃には珍しく、空が冬を思い出したように肌寒い日のことであった。
「このねぐらさぁ、出るんだよ」
 と、何かの拍子に霧骨が言った。ゴリゴリと薬研やげんを動かす音が部屋中に満ちていたので、霧骨の覆面にこもった声は他の者の耳にはほとんど届かなかった。
 同じ部屋では、蛮骨が昼寝をし、煉骨が古びた書を読んでいた。部屋を出てすぐの濡れ縁に蛇骨もいる。
 蛇骨が軒につるした干し柿に手を伸ばそうとすると、眠っているとばかり思っていた蛮骨が怖い声を出した。
「蛇骨、いくらてめえでも勝手に取って食いやがったらただじゃおかねえぜ」
 蛇骨は慌てて手を引っ込めた。
 蛮骨は、目をつぶったまま、くるりと寝返りを打ち、霧骨の方を向いた。
「霧骨、おめえ今なんか言ったか」
「だから出るんだよ」
「小便がしたけりゃかわやへ行けよ」
「そうじゃなくて」
 霧骨は薬研の動きを止めた。一帯がぴたりと静まる。
「化けもんだよ、化けもんが出やがるんだ」
「どんな化け物だ」
「さあ」
 蛮骨が、じろっ、と半目を開いてにらんでくる。
「霧骨、おめえ馬鹿にしてんのか?」
「いや、し、してねえって」
「おめえ、化けもんが出るって言うからには、どんなやつか見たんだろ?」
「そ、それがよ」
 霧骨が話すところによると次のような次第であった。
 七人隊が近頃ねぐらにしているのは、さる山腹に建つれ小屋で、手狭な小屋が二棟続きになっている。その脇に掘っ立て小屋も一つ。あちこち腐っていつ土に返ってもおかしくない様子だが、これでも以前はどこかの山城として使われていたらしい。国境くにざかいに近い要所に建っている。
 霧骨は夜になると、皆が寝ている母屋を離れ、外の掘っ立て小屋で一人薬の調合を行っていたらしい。
「夜中にそんなことしてっからお化けになんか遭うんだよ。夜は寝ろよ」
 蛮骨が右の足で左の足をきながら言った。
「そう言うなよ大兄貴」
「それで?」
 と続きを促す。
「それでよぉ、おれがあの小屋の中でこうやって薬をひいてると、誰かが外から戸口をたたきやがるんだ」
 トントン、トントン、
 と、いかにも中に入れてほしそうに戸をたたく音がするそうだ。
「最初は他のみんなの誰かがよ、来たのかと思ったのよ。だから、開いてるから勝手に入れって言ってやったら、戸をたたく音はやんじまった」
「それだけか?」
「まだあるんだよ。それから一刻いっときもしてからかなぁ、また戸をたたく音が始まった。イタズラかと思ってな、今度はほっといたんだ。そうしたら、そのうち戸をたたくのは止まったんだけどよ」
「けど、なんだ」
「その代わりひでえ家鳴りがしやがる。あっちこっちギシギシピシピシ、今にもぶっ壊れるんじゃねえかってくらい」
「へえ」
「それも一晩のことじゃねえんだよ。ここ二、三日、夜遅くになると決まってそういうことが起きやがる」
「なるほど」
 蛮骨は再びごろりと寝返りを打ち、霧骨に背を向けた。話を聞いてはみたものの、大して興が乗らなかったらしい。
「なんだよ、大兄貴が話せって言うから話したんじゃねえか」
「ま、別に化けもんに取って食われようってわけじゃねえんだからいいじゃねえか。家鳴りの一つや二つ、気にすんなって」
「大兄貴は自分が遭ってねえからそう言えるんだ。結構怖いぜ、夜中一人でいるときに家中ガタガタいい出したら」
 霧骨が言い張っていると、濡れ縁でぼーっとしていた蛇骨が、つとこちらを振り返った。
「情けない野郎だねぇ」
 それまで黙って書に目を通していた煉骨までもが、
「まったく」
 とうなずいた。ただしこちらは書面から顔を上げようとはしない。
「てめえがそういう風に弱気だから、化け物も調子に乗るんだ」
 そんな調子で誰も味方してくれないので、霧骨はすっかりすねてしまった。わざとらしく大きな音を立てて薬研を動かしながら、むっつり黙り込んでいる。
 煉骨がさすがにうるさそうに眉をひそめた。
 蛮骨は、おかまいなしに寝息を立て始める。
 蛇骨が、
「何のお化けなんだろうなぁ。ここらで死んだ侍の亡霊でもいるのかねぇ」
 そうつぶやいたときちょうど、視線の先にあった茂みを小動物がさっと横切ったのが目に入った。
「それともその辺のたぬきかな」
 まさかその独り言に答えたわけではあるまいが、小柄な狸が一匹、茂みからちょろりと鼻先を出して蛇骨を一瞥いちべつした。


 やがて夜になり、
「霧骨、今夜はあの小屋はおれが使う。構わねえだろうな」
 と煉骨が言い出した。
「好きにしろよ。おれはもうごめんだ。怖いもんは怖い」
 霧骨はまだすねている、というかいっそ開き直ったらしい。ぷいとそっぽを向いて皆の寝ている部屋へ収まった。
 煉骨は銀骨を連れて小屋へ入った。遅い刻限のことでもあり、銀骨はいく分眠そうな顔をしている。
「銀骨、なんなら寝ててもいいぜ。済んだら起こしてやる」
 煉骨はそのように告げて、銀骨の背中から大きな歯車を一つ外した。布でそれを軽くぬぐってから、手元を灯明で照らし、一尺ばかりの長さのヤスリでもって歯先を削り出した。
「このところおまえの体の音がよくねえようだ。隣の歯車との遊びを少し大きくして様子を見る」
「ぎししし、わかった」
 銀骨はうなずき、一眠りしようというのだろう、目をつぶった。
 煉骨の手は細心の注意をもってヤスリを縦横無尽に動かしている。カリカリと金属が削れる音は単調で、むしろ子守唄としては心地がいい。
 じきに銀骨は、その巨体に似合わずささやかな寝息を立て始めた。煉骨は煉骨で、その一定間隔の呼吸音に合わせるように、歯車の歯一つ一つへ規則正しくヤスリを使った。
 四半刻も過ぎた頃だろうか。ふいに、
 トントン、トントン、
 と、小屋の外から戸口がたたかれた。
 銀骨がはたと目を覚まし、
「煉骨の兄貴」
「放っておけ」
「だけどよ」
「霧骨が言うには化け物らしいが、害はない。知らん顔してりゃ、そのうちいなくなるだろう」
「ぎしっ」
 銀骨は返事の代わりに肩の辺りをきしませて、再び目を閉じた。
 すると、戸口がたたかれる音はやんだが、今度は、
 ガタッ、
 ミシッ、
 と小屋中でひどい家鳴りが聞こえ出す。板の壁は今にもはがれるんじゃないかというほど、メリメリと不気味な音を立てる。屋根もガタガタときな臭い。ひと風吹いたら飛んでいってしまいそうだ。
 この家鳴りの中では銀骨も寝付けないらしい。目を開け、いく分不安そうに煉骨の顔を見た。
「兄貴」
「気にするな」
「そうは言われても」
「おびえて見せりゃ、向こうも調子に乗る。相手にするんじゃない」
 そう言う煉骨は、怪異が起こる前と全く変わらない手つきで歯車の手入れを続けている。手元が狂った様子など一分ほども見られない。
 化け物はともかく、この騒がしい中でよく気を落ち着けていられるものだと銀骨は思った。
 二人が少なくとも表面上は驚いていないことに怪異の方も気付いたのかもしれない。
 あるとき、ぴたりと家鳴りが止まった。
「ほらみろ」
 と煉骨が言った。
 銀骨もほっと息をつく。
「ぎし、兄貴、そっちはまだ終わらねえのか」
 煉骨の手元を覗き込もうとしたが、どうしても巨体が影になって暗いのでやめておいた。代わりに煉骨はどの程度ヤスリがけが済んでいるのか教えてくれた。
「あと歯が六つほどだ。もうしばらく寝て待っていろ」
「なんだか目がさえちまったぜ」
「だったらこれでも食ってろ」
 と、煉骨は懐を探って干し柿を一つ取り出し、銀骨へ投げてよこした。
 銀骨は受け取ったそれをじろじろためつすがめつしている。この干し柿には見覚えがある。
「煉骨の兄貴、こりゃ蛮骨の大兄貴が大事に取っといたやつじゃ――
 二、三日前、ふもとで催された市へ食料などを買い出しに出掛けた際、米売りのおばさんが親切な人で、若い男ばかりの所帯だと見るとオマケに干し柿をつけてくれた。わら縄に十個ずつ結んだのを三つもくれたのである。
 ねぐらに帰ってさっそく皆で食べた。ことに蛮骨は久しぶりの甘いものが気に入ったらしい。十個の束をひと振りまるまる引き受けて、母屋の軒につるしておいて日に一個か二個ずつ食べている。他の者が勝手に手を出そうものなら――怒られるだけで済めばいいが。
 そんなわけだったから、銀骨はもらった干し柿を持て余しているわけである。
「ぎししし、兄貴、蛮骨の大兄貴にどんな目に遭わされるか」
「なに、一つや二つなくなっても気付かねえだろう」
「いや、気付くと思うぜ、さすがに」
「五つより上はろくに数えてねえ大兄貴のことだ」
 一、二、三、四、五、たくさん。というような大ざっぱさだから大丈夫だと煉骨は言うのである。
 大丈夫だと言われても、銀骨は全然安心できない。干し柿を手に乗せたまま、まんじりともせずにいる。
 そのときであった。
 トントン、トントン、
 と、またもや戸口をたたく音が聞こえた。
「なんだ、またか」
 煉骨も銀骨も無視を決め込もうとすると、たたかれた戸の外からよく知った声がした。
「おーい、煉骨、銀骨、どうだ? 今夜も化けもんが出たか?」
 蛮骨の声である。
 銀骨がにわかにうろたえ、
「煉骨の兄貴、やっぱりばれたんじゃねえか? 大兄貴が干し柿を取り返しに来やがった」
「まさか。大兄貴だってこんな夜中に起き出して柿の数を数えるほどいやしくはねえだろう」
 とすると、昼間は興味がわかないようだったが、やはり蛮骨も怪異が気になって様子を見に来たのだろうか。
 煉骨は歯車とヤスリを置き、腰を浮かせた。
「大兄貴、今開ける」
「いや、いいって」
 蛮骨の声は戸を開ける必要はないと言い、
「それより、化けもんは出たのか?」
「ああ、さっきまで霧骨の言ったとおりずい分家鳴りがしてたが、そのうちやんだ。亡霊だか狐狸妖怪こりようかいの類だか知らねえが、もうあきらめたんだろう」
「ふうん、化けもんってのはそんなに簡単にあきらめちまうもんかな」
 蛮骨は妙に意味ありげな口調で言った。
「ところで、煉骨」
「なんだ」
「おまえさぁ、おれに謝らなくちゃならねえことがあるんじゃねえか?」
「なんのことだ」
「へえ、心当たりはねえってか」
―――
 煉骨が押し黙っていると、銀骨が目配せしてきた。
(やっぱり柿のことで怒ってるんじゃねえか)
 とでも言いたそうである。
(馬鹿馬鹿しい。何もそれくらいでわざわざこんな刻限に叱りにくるか? 明日になってからでもいいだろうに)
 とは思えど、他に蛮骨に怒られる心当たりはない。
 蛮骨は気味の悪い猫なで声を出した。
「なあ煉骨」
―――
「おれはな、おまえのこと大事な仲間だと思ってるぜ。できればこれからもそう思ってたいなぁ。仲間のおまえをおれの手に掛けたくはねえもん」
 煉骨は思わず立ち上がり、戸口へ駆け寄った。
 戸を開けてみると、しかし誰もいなかった。ついさっきまで蛮骨の声はしていたはずなのに、蛮骨の姿はおろか、人っ子一人見当たらない。向こうの茂みに住み着いているらしい狸がごそごそ動いているのが目に入るばかりである。


 蛮骨はいつの間に帰っていたのか、母屋で他の皆と一緒に雑魚寝ざこねしていた。つい先刻には怒っているようなそぶりを見せておきながら、すやすや眠っているというのもおかしな話だが、事実そうだったのだからしょうがない。
 起こして機嫌をますますそこねては怖い。煉骨は翌朝になってから、恐る恐る蛮骨に申し出た。
「あの、大兄貴、夕べのことなんだが」
 ちらりと顔色をうかがうと、蛮骨は思ったよりけろりとした表情をしている。
「おお、夕べはどうだった? 霧骨の言ったとおり化け物が出たか?」
 どういうわけか、昨晩も聞いたことを再度問われた。
「はあ。確かに戸をたたく音やひどい家鳴りがしてましたよ。無視していたら、じきにおさまったが」
「そうかぁ。やっぱり霧骨がびくびくしてたから化け物も面白がってたんだな」
「それより、蛮骨の大兄貴、その、夕べのことで」
「なんだよ、なんかあったのか」
 蛮骨は首をかしげている。
(どうもおかしいな)
 と煉骨も首をひねりつつ、切り出した。
「夕べおれと銀骨が小屋にいたところへ、大兄貴が来て声を掛けてきたじゃねえか」
「は?」
「おれに謝ることがあるだろうと。正直に言わねえと、おれを大兄貴の手に掛けることもいとわねえというような意味合いのことを――
「何のことだよ。おれはずっと部屋で寝てて、一度も目を覚ましゃしなかったぜ」
「えっ」
 どうも話がかみ合わない。
「でも確かに小屋の外から大兄貴の声が」
「ふうん」
 蛮骨は、ちょっと考えるような格好をして、
「なあ煉骨、おまえさ、おれに謝らなくちゃならねえような後ろめたいことがあるらしいな。だからこうしておれのところへ話しにきたんだろ」
「そ、それは」
「とりあえずそれを聞かせろよ」
 と、意地の悪い笑みを口の端に浮かべる。煉骨は腹をくくった。
「じ、実は――
「実は?」
「大兄貴が大事に軒先へつるしておいた干し柿を取って食った」
「なんだと!?
 蛮骨は血相を変えバタバタと部屋を出て、柿を干してあるところへ走って行った。柿の数を確かめるとすぐ取って返して、
「煉骨てめえっ! よくもやりやがったな。覚悟はできてるんだろうな!?
 煉骨の胸ぐらへつかみ掛からんばかりに詰め寄ってくる。
「ま、待ってくれ大兄貴、なにも柿の一つや二つで殺さなくとも」
「はぁ?」
 なに言ってんだてめえは、と蛮骨は怪訝けげんそうに眉をひそめた。
「いくらおれだって柿取って食われたくらいで殺しやしねえよ」
「夕べはそう言ってたじゃねえか」
「だから、おれは夕べは一度だって起きちゃいねえし、おまえのところにも行っちゃいねえっつーの。おまえ、それこそ化け物に化かされたんじゃねえのか?」
「まさか」
 煉骨は細い目を大きく見張った。だがそう言われてみれば、昨夜聞いたのは蛮骨の声だけで、姿は見なかったのである。もしかすると――
 などと考えている暇はなく、蛮骨が煉骨をじりじりと部屋の隅へ追い詰めていく。まさに袋のねずみ、猫の方は爪を出して機をうかがっているといったところ。
「さぁてどうしてくれようかな」


 蛇骨が今日も相変わらず濡れ縁で手持ち無沙汰そうにしている。
 脇から足音が聞こえたので振り返ると、煉骨が濡れ縁の角を曲がってこちらへ歩いてきた。その剃髪ていはつの頭を目にした瞬間、
「ぶっ」
 と蛇骨は噴き出しそうになった。
 煉骨にギロリとにらみ付けられて、慌てて口を手で押さえる。
 煉骨の頭から顔まで墨が塗りたくられ、蛮骨にやられたとおぼしきイタズラ書きがところ狭しと並んでいる。ほっぺにうずまきを書かれたくらいはまだしも、とても口では言えないような単語まで書かれているから憐れである。
 蛇骨は、煉骨の姿が見えなくなってから腹を抱えて笑った。
 近くの茂みから一匹の狸が鼻先を突き出して、その様子を眺めていた。心なし、狸の顔も笑っているように見えた。

(了)