兄弟の領分

 ったくこんな暑い日に合戦なんてすんじゃねえよ!

 シャン

 じめじめとした空気を乾いた金属音が切り裂く。
 暑い。
 いつもなら楽しくてしょうがないのに、今日は戦ってても気分が乗らない。

 シャッ
 自慢の愛刀は弧を描いて伸びていく。
 続いて肉の裂ける音、肉塊の落ちる音、悲鳴。
(……刃のぶれ﹅﹅が強いな。あとで煉骨の兄貴に見てもらわねえと…)
 どうやらまだ頭の芯では冷静な目が開いている。
 だが浅い部分の意識が侵食してきて、ちかちかと落ち着かない。

 暑い。
 暑い。
 畜生っ!
 暑いっ!!
 眩暈がしやがる…

 敵前で倒れるわけにはいかない。

 くそっ……耐えろ…!!


 ドーン、ドーン、と、太鼓の音が響いた。
 合戦の終わりを知らせている。
 終わったといっても、とりあえず今日のところは、だが。
「なんでえもう終わりか」
 蛮骨は最後の一人の首を撥ね、音のした方を振り返った。
 今日の戦果は、いや、今日の戦果も上々。
 挙げた首の数を数えるのが面倒なほど。
 まあそれが蛮骨にとって普通なのだが。
「大兄貴」
 と、煉骨が銀骨と連れ添い、姿を見せる。
「おう、おまえらどうだった、調子は」
「まあまあでしょう。銀骨の改造したところも、特にこれといってまずいことはない」
「そうか、良かったな、銀骨」
「ぎしっ」
 銀骨は、おそらく、嬉しそうに返事をする。
 そのうち霧骨も現れ、凶骨も近くまでやって来たのが地に響く音で分かった。
 しかし、
「……遅いな」
「……ですね」
 蛮骨と煉骨は目を見合わせた。
 蛮骨が霧骨を振り返る。
「おい、霧骨、蛇骨はどうした。おめえ一緒に動いてたろ」
「睡骨のこともだ、誰か知らねえのか」
 二人ともまだ帰ってこない。
「さあ、知らねえよ。俺は途中で別れちまったし」
 と霧骨。
 残る二人も首を横に振っている。
「おい、睡骨はともかくよ、蛇骨が来ねえってのは……」
「おかしいな。いつもなら真っ先に大兄貴に飛びつくのに」
「……変な言い方すんなよ」
「本当のことでしょう。それにしても何かあったのか……」
 煉骨は顎に手を当て、眉をしかめる。
 そして何事か思いついたように凶骨を見た。
「おい凶骨、そこから二人の姿は見えねえのか」
「……いや、見えるのは首のねえ侍ばっかだ」
 ちっ、と蛮骨が舌を打つ。
「そうか……あ、まさか先に詰所に戻ったとかは」
「ねえよ」
 間髪入れずに蛮骨に断ち落とされる。
(えれえ自信だ……)
 煉骨は溜息をついた。
「困りましたね、どうします。先に戻りますか」
 蛮骨は眉を寄せ、目を細める。
「いや……」
 と、

!?

 ばっ、と蛮骨が目を見開き、顔を上げた。
「兄貴?」
「黙れ、なんか音がする」
 そう言われて耳を澄ますと……確かに。
 足音のような…かすかにだが聞こえる。
 その音は徐々に近づいて来て…やがて五人のすぐ近くで止まった。
「蛇骨か」
 蛮骨が問うた。
「半分当たりだ。俺だよ、蛇骨もいる」
 と姿を現したのは、睡骨。
 しかしその肩に、
「蛇骨?」
 ぐったりと睡骨に肩を預け、半ば引きずられるようにしているその姿。
 一瞬にしてその場の空気が張った。
「失血か」
「いや怪我はねえ。ただ…て、大兄貴」
 蛮骨は無言で睡骨に肩を抱えられている蛇骨を奪い取った。
 その瞬間、睡骨が言いかけたことを理解する。
「……なんだ」
 安堵に溜息を漏らす。
「暑気あたりじゃねえか」
 蛇骨の体は酷く熱を持っていた。


「ま、こいつのことだ、暑気あたりくらいじゃ死なねえだろうが、この熱だからな」
「ああ。なあ、確かこの近くに川があったよな?」
 言いながら蛮骨は蛇骨の体を肩に担ぐ。
 熱い。
 着物から覗く四肢も真っ赤になっている。
「ええ…でも連れて行くなら、俺が……」
「いいよ、俺が行く。おめえは銀骨と凶骨つれて先に戻れ。お館様への報告も頼む」
「はあ……」
 煉骨は内心溜息をつく。
 殿さんへの報告は普通頭目がするもんだろうが。
 あんまり、頭目代理、が続いちゃかっこがつかねえ……
「おい、睡骨、霧骨、おめえらは俺と一緒に来な」
 煉骨の心労を知ってか知らずか、蛮骨は一人、話を進めていく。
 煉骨は現実に溜息をついた。
 ったく胃が痛え……
 …苦労性な彼であった。
「来るときに、手拭と、あとちょっと強めの酒持ってこいよ」
「酒?」
「気付け薬だよ」
「ああ…」
 睡骨がうなずき、霧骨も、分かった、と首を縦に振る。
「んじゃ、俺は先に行ってるぜ」
 そして蛮骨は地を蹴った。


「なあ睡骨」
 と霧骨。
「……なんだ」
 と睡骨。
「蛇骨ってよう、女みてえだよな」
「…本人の前で言ってみろ」
「そりゃごめんだぜ。けどよ…」
「なんだ」
「あの顔や手足、たまにどきっとしねえか?」
「…………しねえよ」
「間が長えぞ」
「うるせえ!」
「やっぱ、どきっとするだろ」
「っ、しねえよ。おめえはいつも蛇骨とじゃれてるからだろ」
「あれは苛められてるって言うと思うぜ…にしても、やっぱり年取ると使いモンにならなくなるのかよ、やだな」
「誰のこと言ってやがる」
「齢<よわい>二十六歳、最近の悩みは医者嫌い……」
「…殺すぞ?」
「冗談だってばよ」
「当たりまえだ……だがまあ、どきっとすることがないわけじゃねえ。たとえば今だ」
「ああ、俺も今実はどっきどきだ」
「……」
「……」
「…いつになったら俺たちは帰れるんだろうな」
「ていうか、いつになったらあの二人を振り向いてもいいんだ?」
「知るかよ、んなこと」
 …さて、そんな彼らの背後では……?


 夏といえども、川の水は冷たい。
 膝まで水につかりながら、蛮骨は担いでいた蛇骨の体を横抱きに抱えなおす。
 ゆっくりと、己の体ごと水中に沈んだ。
 自分は川底に腰を下ろし、その膝の上に蛇骨の体を乗せる。
 腕を蛇骨の背中から腕の下へと回し、支えてやる。
 浅い場所であるので、あまり蛇骨の体は水をかぶらない。
 足から腹にかけてのみ、水につかっていた。
 そこで睡骨たちが持ってきた手拭を水に浸し、残りの部分に当ててやる。
 そして手で蛇骨の頬をぺちぺちと叩く。
「おい、蛇骨、起きろ」
 なかなか返事がない。
 念のため、蛮骨は蛇骨の口元に耳を近づけ、息を確かめる。
 息はしっかりしている。
 ここで息がなかったり、薄ければ息を吹き込んでやらねばならないのだが、どうやらその必要はなさそうだ。
 当てていた手拭が熱を持ち始めた。
 もう一度冷たい水に浸し、当て直す。
「たく、しょうがねえな」
 ぼやきながら、蛮骨は懐から一本の竹筒を取り出した。
 中には少々度の高い酒が入っている。
 歯でその蓋を外し、中身を口に含む。
(…あいつら、随分きついやつ持ってきやがったな)
 こんなの倒れてる奴に飲ませて大丈夫なのか?
 …まあいいか。
 ……良くはないと思うが。
 蛮骨は酒を口に含んだまま、竹筒を蛇骨を抱えている方の手に持ち替える。
 空いた手で、蛇骨の顎を持ち上げ、喉を開けさせた。
 そして、

―――

 蛇骨の緩んだ口元に自分の口を合わせる。
 そろっと自分も口を開いた。
 含んだ酒が蛇骨の口内に流れ込む。
 喉を通り過ぎる頃には…

「っ、げほっ!、ごほ、ごっ……」

 派手にむせ込んで、蛇骨は目を開ける。
「よお、蛇骨」
「……蛮骨の兄貴」
「目え覚めたか?」
「…覚めたけどよ、そりゃ」
 けど喉がひりひりするぜ…
「かなり効いたろ」
「効きすぎだっつの……て、それ」
「ん?」
「紅?」
「べに?」
 蛮骨の口元にうっすらとついた紅色。
 蛇骨が手を伸ばし、指先でそれを擦り落とす。
「…まだまだ熱いな、おめえの体」
 唇に感じる指先は熱を帯びて、力無い。
「ああ、頭がくらくらする」
「熱気にあたって倒れたのは分かってんのか」
「ま、こんなに水につかってちゃな……悪りぃ、兄貴の着物まで…」
「洗濯だとでも思えばいいさ」
「…ありがとよ」
「礼なら睡骨に言いな。ぶっ倒れたおめえを俺のとこまで抱えて来たんだからよ」
 …正確には、蛮骨を含めた五人の所であるが。
「へえ、あいつがねえ…なんか下心でも持ってやがんじゃねえだろうな」
「馬鹿、ちったあまともに受け取ってやれよ」
「あはは、分かってるって、冗談だよ」
「確かその辺にいるぞ、睡骨。あと霧骨も」
「あ、そう? …おーい、あんがとなー睡骨ー。愛してるぜー」
 阿呆!、と返ってきた。
「なんだよ、人がせっかく礼言ってやったのに」
「はは」
 蛇骨が気がついて安心したのもあるのか、蛮骨は表情を緩ませた。
 また温もった手拭を水にひたして蛇骨の頬に当ててやる。
「…はー、気持ちいー生き返るー」
「大げさだな」
 それを何度か繰り返す。
 本当に気持ち良さそうに、蛇骨は目を閉じていた。
 それにしても珍しいな。
 蛮骨の兄貴がこんなにしてくれるとは。
「……あ」
 そのうちに蛮骨はあることを思い出した。
「そうだ忘れてたな」
「何だよ?」
 けだるそうに閉じた目を開く。
「いや、飲み水も持ってきときゃよかったなと。喉渇いてるだろ?」
「へ」
「? どうした?」
 驚いたような、間の抜けた声をあげた蛇骨に、蛮骨が不思議そうに言う。
 その顔を見て、蛇骨が頬を緩ませた。
「いや? 蛮骨の兄貴が珍しく気いきかせてくれたもんだからさ」
「な、それじゃ俺がいつもは気がきかねえみたいじゃねえか」
 みたいじゃなくてそうなんだって。
 口には出さず、蛇骨は思う。
 珍しい。
 そして口に出したのはこちら。
「なんか、たまにはぶっ倒れてみるのもいいかもしんねえなあ」
「はあ?」
「堂々と蛮骨の兄貴に甘えられそうじゃんか」
「……おめえな」
 蛮骨は不覚にも頬が熱くなるのを感じる。
「俺は守備範囲じゃねえだろ?」
「ねえけど、好きだぜ? 男として」
「それは、別に…」
「惚れたとかそういうんじゃねえけどさ、確かに」
「惚れられても、俺は困るぜ」
「俺は別に困らねえけどなあ」
「おい」
「冗談。……でもさあ、せっかくなら死ぬまでにできるだけたくさん、いい男といろんなことしてーじゃん」
「だから? なんだよ」
「だからさあ」
「うん?」
「兄貴ともさあ……な? ところでその酒飲んでいい?」
「は?」
 酒?
「って、これか? さっきの。かなりきついぞ」
「いーから」
 なんとなく腑に落ちないまま、蛮骨は先ほどの竹筒を、蛇骨を抱えていない方の手へと再び持ち替える。
「ほれ」
 飲み口を蛇骨の口元へ持って行ってやるが、蛇骨は飲もうとしない。
「…飲ませてくれよ」
 なんとも妖艶な笑み。
「だから、ほら飲め」
「そうじゃなくて」
「あ?」
「さっきみたいにしてくれよ、お・お・あ・に・き」

 がぼっ

 突如、蛇骨の頭が水上から消えた。
 今まで蛇骨の頭があった場所には、代わりに蛮骨の腕がある。
 蛇骨の頭をしっかりと水中に押さえつけ、

「いーややっぱりぶっ倒れたような奴にはこんな酒はまずいよなあ。ほら蛇骨、たんと飲めよ、水」

 がぼがぼがぼ……
 がぼがぼがぼ…
 がぼ……

 ざばっ

「…おめえ、分かってたのか」
「口に紅つけて分からねえことがあるかい」
 蛮骨はひくりと口の端を動かす。
(この野郎……)
「…てめえの喉は満足したか? 蛇骨」
「……十分すぎるほど」
 可愛い兄貴も見れたことだし。

 がぼぼっ

「まだ足りねえみてえだな」
 何考えてるか顔に出てるんだよ! おめえは!

 とそのとき

 グイッ
!?
 蛮骨も水上から消えた。
 ただ川は浅いのでどこに消えたかはよく分かる。
「っぷあはっ、ざまあ見ろ!」
 蛇骨に足を掴まれていた。
 蛮骨はゆっくりと体を起こした。
「……蛇骨?」
 …げっ……

「てめえっ!」

 ぞっ……

 しまった……

「大兄貴勘弁!」
「するか!」


 …季節は夏。
 年甲斐も無く水遊び。
 どうやらこれで、蛇骨の熱も下がりそうな気配である。

(了)