夜闇

 得物は、先がゆるく鉤になった十本の爪である。
 それを両の手にはめ、敵に向かう。
 斬る。
 突く。
 裂く。
 抉る。
 敵の懐に潜り込めさえすれば、はらわたを引きずり出してやることだってできる。
 また、鉤爪をはめていても両手の指は自由である。敵を掴み寄せ、投げることもできる。
 戦場であれば、敵の身に付けている鎧の継ぎ目、隙間を狙う。そこに爪の先を突きこめばいい。
 さながら鷹の爪のように、敵の体を捕らえて離さない。
「誰が鷹だって」
 といつか言ったのは、蛇骨であった。
「おめえが? おめえが鷹なんてそんな、雅なもんか」
 は、と面白くもなさそうな顔で笑い声を立て、さらに言った。
「そうさな、おめえは図体がでかいからよ。鷹より鷲の方が似合いよ」
(礼のねえことを言うやつだ)
 と、言われた睡骨は思ったものである。まあ、蛇骨に礼儀のれの字もないのは、今に始まったことではない。
 蛇骨の得物である蛇骨刀は、離れた場所に立つ敵の首や、胴体を刈るのに威力がある。逆に近間になってしまっては、思うように刃を伸ばして戦えない。
 言わば蛇骨は、睡骨とは正反対の戦い方を好んでいるわけである。
 当然と言うか、二人の気が合ったためしはあまりない。
 が、まあ二人の気が合っているところなんぞ、怖気が立つから別に見たくないと他の五人も思っている。だからさして支障はない。
 さて――
 この度の話の季節と舞台である。季節は文月、現代のこよみでは八月にあたる。現代の八月は、中世では遅い夏、すでに秋口である。
 舞台は山沿いの街道。時刻は宵。
 辺りが深い藍色に染まり、草木の緑がやっと見分けられるくらい――そのような刻限の出来事である。
 七人隊は、ある戦に雇われていた。別にさほどの規模のものではないが、攻城のため夜闇の中を武者足軽が街道を押し進んでいる。七人隊はその中にいる。
 雇い主に「ついて行け」と言われている武者の者の後について、ぞろぞろ歩いている。
「うん?」
 初めに気がついたのは煉骨であった。ちょっと周囲を見回して、
「大兄貴」
 と蛮骨に声を掛けた。
「あんだよ」
「睡骨がいない」
「あん?」
 蛮骨も周りを見回してみた。
 確かに、凶骨も銀骨も霧骨も蛇骨もいるが、睡骨だけ姿が見えなかった。
「凶骨」
 と、背を歩いている図体のばかでかい弟分を振り返り、
「おまえ、睡骨がどっか行っちまうの、見たか」
「聞くだけ無駄だぜ」
 横から茶々を入れたのは蛇骨である。
「んな細かいことに気のつくような、気の利いたやつかよ、そのうすら馬鹿が」
 凶骨が顔をしかめたので、蛮骨は慰めてやった。蛇骨を指差して言った。
「気にすんな凶骨、大差ねえ」
「悪かったな」
 蛇骨は憮然とした。
 凶骨は、改めて訊かれた蛮骨の問いに、
「何も見てねえ」
 とだけ答えた。
 煉骨が横でため息をもらす。
「どこに行っちまったんだか、あの野郎」
「ほっとけ」
 蛮骨は面倒くさそうに、前を向いたまま言った。
「そのうち追いついて来ら」
「だがいないのがばれたら、首をねられかねないですよ」
「そのときはそのときだ」
 煉骨はまたため息をついた。


 睡骨は黒々と流れる小川の水を両手ですくい、顔を洗っていた。
 行軍から一人離れたのは、歩いているうちに気分が悪くなったからだ。もしかしたら、もう一人の自分が外に出ようと暴れているのかもしれないと思ってぞっとした。
 胸が悪く、吐き気も感じた。
 そのうち我慢ができなくなり、そっと皆から離れて脇の林に入った。
 すでに宵闇で辺りは暗かったが、夜目は利かぬ方ではない。足元にだけ気をつけながら、分け入っていった。小さな川の流れの音が聞こえたので、それを目指した。
 じきに小川を見つけた。それと同時に、林の中に人が一人通れるくらいの細い道がつけられているのも見つけた。川には土橋も架かっている。どうやら、近くに庵でもあって、何某かが棲み付いているらしい。
 睡骨は川のそばに下り、うずくまった。
 川に嘔吐した。何度も激しくむせ返り、最後にはい胃液しか出てこなくなるまで吐いた。
 そして、腹の中のものを全て吐ききって胸が治まると、体は楽になった。
 もう一人の自分が外に出ようとしていると思ったのは、あるいはただの勘違いだったのかもしれない。
(何か悪いもんでも食ってあたったか――
 そういえば朝に食った握り飯、何だか色が悪かったような気がする……
 そう考えて、ほっとして、口元の汚れを流すために顔を洗った。
 冷やっこい水が気持ちよかった。そろそろ秋口とはいえ、まだまだ残暑が厳しい。
 手に付いた水滴を振り落としながら、腰を上げる。
 川のそばを離れ、元の街道に戻ろうと踏み出す。
 草と地面を踏みしめる湿った音が、二つ重なって聞こえた。
―――
 足を一歩踏み出した姿勢のまま、体の動きを止める。足音は確かに二つ聞こえた。一つは自分の足元から聞こえたものだが――
―――
 誰だかは知らないが、睡骨が足を止めて以降足音は聞こえなくなった。まともな旅人や、まして庵の住人が帰ってきたなんてことではあるまい。それならば、足音は絶えずこちらに近づいてくるはずである。
 足音の主は、睡骨が立ち止まったことに、気取られたと思って自らも体の動きを止めたのであろう。そんなことをする輩が、善良な手合いであるわけがない。
 夜盗か追剥か、ま、せいぜいそんなところであろう――
 まず、睡骨の頭に浮かんだのは、
わずらわしい)
 という思いであった。
 さっき、川で思いっきりえずいてしまったのがよくなかった。おそらくはそれを聞きつけてやって来たのだ。
「ち――
 睡骨は舌打ちをした。音を隠そうとは思わない。隠してもしようがあるまい。
 闇の中、足音が動いた。
 向こうも、睡骨の己の居場所を隠そうとしない態度に、ひそむのを止めたものと見られる。
 こちらに向かってくる。
 睡骨は腰に提げていた鉤爪の紐を解き、右手にはめた。紐の片方を歯で咥え、急いでもう片方を手甲の穴に通して結わえた。
 意外と近づいてくる足音が速い。躊躇ためらいがないのだ。どうやらこういったことに手馴れた輩であるようであった。
 左手の鉤爪をはめている暇はない。
 黒い影は、睡骨の体の左側から躍りかかってきた。
 手にしているのは大刀であった。初太刀は、睡骨の肩当てを掠め、外れた。もっとも睡骨が身をひるがえしていなかったら、そのまま叩き割って腕を落としていただろう。
――夜盗か」
 と、睡骨は低い声で問うた。
 返答は無い。
 黒い影は、腰を沈め、大刀を右下段に構えている。その構えに心得がある。
 と言っても、睡骨は剣術のことは知らない。心得というのは、人を殺すすべを知っておりその気迫もある、という意味である。
 目を凝らしてみると、影は簡単な具足を身に着けている。
 足軽が戦場で着ける、あれである。頭は大童の総髪であった。つまりざんばら髪である。
 どこぞの家中の若党でも、戦に負けてこのような姿になったか――
 主を失い、次に仕えるところを見つけられず、夜盗に身を落とした――ありそうな話だ。
(夜盗風情が……)
 睡骨は軽侮する気持ちを込めて、影を見据えた。
 枝に止まった鷲のように身を沈め、構える。
 じりじりと影の方へ距離を縮めていく。
 黒い影は、睡骨が思いがけず向かってきたことに多少は驚いた風であった。さりとて、自分から逃げ出したりはしない。刀の構えはそのまま、今の間合いを守る方向へと足をさばく。
 よほど、肝の据わった男らしい。
 男が仕掛けた。
 二の太刀は睡骨ののど笛を狙って突き込んできた。
 ぎゃン、
 と刀と鉤爪のぶつかる嫌な音が響く。
 睡骨は右手の爪で、向かってきた刃を撥ね上げた。影がやや体勢を狂わす。
 そこを狙って、爪の先で首の皮を掻き裂こうとした。
 が、それより早く、影が腰を据わらせ直し後に飛び退った。退る直前、は、は、と静かに吐く息が睡骨の耳についた。まだ息を乱れさせてはいないようだ。
うぬは」
 と、男が声を掛けてきた。
「ただの旅の者ではないな」
 声が若い。十五は過ぎていても、まだ二十歳は過ぎていないだろう。
 睡骨は答えない。相手がまだ子どもだと知って、ますます煩わしくなった。
(舐めた真似をしやがる――
 少年に向かって、駆け出した。一気に距離を詰めようとする。
 少年は逃げた。
 その足が、風のように速い。
 睡骨は、土橋辺りまで追いかけて、面倒くさくなり立ち止まった。が、その途端、少年はきびすを返してきて、抜き身を引き寄せ踊りかかってくる。
 高い気合いの声を上げ、やや前に出ていた睡骨の小手を狙った。慌てて引っ込めていなければ、睡骨は鉤爪ごと手首の先を失っていたところだ。
 二人は、睨み合った。
 少年の視線には、何か鬼気迫るものがある。
 睡骨がそれの正体に気づくのに、さほど時間は掛からなかった。
 正体は、「飢え」であろう。我が身のひもじさがこういう眼をさせるのだと、睡骨も幾度となく飢え死にの一歩手前までいったことがあるから、知っている。
 夜盗に身を落としても、そうそう稼ぎがあるわけではない。稼げねば喰えぬ。喰えねば飢える。飢えれば死ぬ。
 そういう想いの鎖が、少年をここまでのものに縛り上げているのだろう。
 少年にとって睡骨は、久々に見つけた、値の張りそうな獲物なのであろう。だから何が何でも逃がすまいと、憑かれたような目つきすらしている。
 別に睡骨は、そういう事情を憐れむでもない。
 自分だって夜盗と大差ないその日暮らしなんだから、憐れむ気など起こるはずもない。
 所詮、可哀想だなどという気持ちは、相手は不幸だが自分は不幸ではない、と信じる心があってこそ起こるものである。


 睡骨が深く踏み込んだ。
 咽喉を裂くように爪の先を突き上げる。
 少年は、素早く応じてそれを刀で受け止めた。
「う――
 睡骨は力任せに押してくる。がちがちと爪と刀身がぶつかり合う。
 押し合うのは、少年には嫌な形だった。
「ぬ――
 離れて距離を取ろうとしても、押し込まれる。
(く、くそ)
 どう出るか――と思ったと同時に、腹を容赦なく蹴られた。睡骨の足の裏が少年を思い切り蹴飛ばした。
 うめき声とともに少年は地面に転げた。右手から刀を離さなかっただけ誉められたものだ。
 起き上がるより早く、睡骨が飛び掛ってくる。
 鉤爪をはめた大柄な体が向かってくるのは、少年にはさながら巨大な猛禽が襲い掛かってくるように見えた。ぞっと背筋が縮んだ。
 慌てて起き上がり、剣先を前に出して牽制する。
 睡骨は動きを止めた。それを確かめると、見据える。
 恐怖心を静めるように、ゆっくりと左手も刀のつかに添え、握った。
「エ――
 空気を震わすような気合いの声が、睡骨の耳を裂く。
 少年は、けもののような身の動きで、剣先をそのまま突き込んできた。
 睡骨の鉤爪への恐れがない。
(爪に裂かれれば死ぬだけじゃ)
 と大悟したような姿であった。
 刀の先は肉にこそ届かなかったものの、貫かんばかりの衝撃をもって睡骨の鎧の肩口を突いた。
「あ」
 睡骨は、明らかな痛みを覚え声を上げてうめいた。
 腰がくずれる。
 そこへさらに少年が斬り込んでくる。
 睡骨はまともに後ろへ押され、わずかに一瞬均衡を失った。少年が体ごと飛び込んだ。
(しまっ――
 睡骨は、背後に倒された。
 それを跨いで少年は足を踏ん張り、さっと高く刀を振りかぶった。
(もらった!)
(やられる)
 頭を割られる。――そんな予感がして反射的に腕で頭部を庇う。
 が、その腕の上に刀が振り下ろされることはなかった。
 それどころか、全身のどこにも斬られた痛みはない。
 そっと頭から腕を外してみる。
 そのとき、
「ううぐ――
 と、少年が苦しそうに唸った。振りかぶっていたはずの刀を下ろしていた。手で咽喉を掻きむしるようにする。
 あっ、と睡骨は目を見張る。
 少年を背後から襲った青黒い人影が、少年の唸り声ごと彼を地面に引き倒した。その腹の上に馬乗りになる。
 手に、紐のような物を手にしていて、それで少年の首を締め上げた。
「あっ、が……」
 奇妙な喘ぎ声がしばらく続き、やがて静かになる。
 少年の手がだらりと落ち、ぐったりと力が抜ける。まだ、上に乗りかかっている人影は手の力をゆるめない。
 少年の息が完全に止まったのを確かめてから、ようやく手を離した。
 立ち上がり、まだ地面に座り込んでいる睡骨を振り返る。
「てめえ――
 と呼ばれた声に、睡骨は影の正体を知った。
「煉骨の兄貴か……」
「てめえ何やってる、一人行軍から離れやがって」
 睡骨の姿が見えないのを案じたか、兄貴分として責任を感じたのかは知らないが、煉骨はわざわざ探しに来てくれたようである。
 少年の首を締めた鋼糸を手甲の中にしまい、
「おまけに、こんなガキにやられかけてるときた」
 すでに息を引き取った少年のそばに膝を着き、その顔をまじまじと見た。
 睡骨が腰を上げ、隣りに寄った。
 少年はちょうど蛮骨と同じくらいの年頃だった。
 もともとどこの家中の者だとかわかるものは、身に着けていない。
 睡骨は煉骨の顔を見た。
「兄貴、手間ぁ掛けて悪かったよ」
 と、低い声で詫びると、煉骨は、
「ふん」
 と鼻を鳴らしただけで、別に怒っている様子はない。
「さっさと戻らねえと、俺もおまえも揃って首が飛ぶかもしれねえがな」
「違いねえ」
 頷いた睡骨は、何を思っているのかそれからじっと少年の顔を見つめていた。
 そして、あるときふいに、
「く――
 と、肩を小刻みに揺らして笑い出した。
 煉骨はぎょっと目を見張った。
(こいつもとうとうきたか)
 頭に、だ。もとから変なやつだったが、ついに気が違ったのかと思った。
――何が可笑しい」
 一応、尋ねてみる。
「いや」
 答えた睡骨は、笑いを噛み殺している。
「俺はこんな、年端もいかねえガキに殺されかけたのかと思ってよ」
「だから何が可笑しい」
「俺もその程度ってことだ」
「だから」
「俺ぁよ」
 そう言う横顔は憑き物が落ちたようにすっきりとしていた。
「今まで一端いっぱしの悪党のつもりだったぜ。これさえありゃ」
 と右手の鉤爪を見、
「誰でもれると思ってたし、誰にも殺られねえと思っていたがよ。それがどうだ、人に助けられなけりゃ、こんなガキ一人にもうすぐ殺されるところだった。こんなに可笑しいこたぁないじゃねえか」
―――
「夢が覚めた気分だ」
 助けてくれてありがとうよ、と煉骨に礼を述べた。
 煉骨はそんなもの言われても、どうにも困るが。
 何だか照れくさくなって、膝の汚れを払って立ち上がった。夜闇の中でよかった。顔色を見られなくて済む。
「おい」
 殊更無愛想に睡骨に呼びかける。
「いつまでも笑ってねえで、むくろの始末を手伝え」
「ああ」
 睡骨も立つ。
 先ほどまでの辺りの宵闇は深い夜闇へともう色を変えている。
 黒い具足を着けた睡骨の体はその闇に溶け込んで見分けがつかない。ただ右手の鉤爪だけが、猛禽の爪のように底光りに光った。

(了)