京の夢大坂の夢

 結跏趺坐けっかふざ……
 主に禅宗の仏教で用いられる坐法の一つで、左足を右腿の上に、右足を左腿の上に乗せて座す法である。特に先に左足を右腿に乗せ、次に右足を左腿に乗せるようにする足の組み方を吉祥坐きちじょうざといい、その逆の組み方は降魔坐ごうまざという。
 坐禅の際には、結跏趺坐をし、手はへその下三寸のところに置き、肩の力を抜いて目は完全には閉じず、半分くらい開いたままにして目線はやや下に落とす。
 頭では何も考えないのが一番だが、それでもただ座っていれば、いろいろと考えを巡らせてしまうのが人情、人のさがというものである。
(書きかけの文を早く出しちまわねえとなぁ)
 とか、
(全体なんで俺はこんなところで坐禅なんて組まされてるんだ)
 とか、考えてしまうものである。
 しかしそういうことを考えていると、
「これ」
 警策けいさくを手にした和尚に目ざとくそれを見つけられ、目の前で立ち止まられてしまう。
「煉骨、結跏が乱れているぞ」
 と、和尚がどこか楽しげに、意地悪く言う。
 警策というのは、坐禅の間に眠気や惰気によって姿勢や心を乱した者への戒めに肩を叩くことと、またその肩を叩くための木製の偏平な細長い板のことの両方を言う。警策は指導僧が坐禅者の様子を見て行うこともあれば、坐禅者自らが願い出て行ってもらうこともある。
旦過たんが詰めの新到しんとうじゃあるまいしとは思うが、まあ、最初だけは理由をつけて叩いてやろう」
「……」
「まず合掌せよ」
 煉骨は面白くなさそうな顔をして、胸の前で両手を合わせた。
「前に深く屈め。肩から背にかけてをこちらに差し出すように……そう」
 煉骨が差し出した右肩、ちょうど肩甲骨のあたりに、警策の先が当てられる。和尚が息を整え、
 パン
 と気味のいい音を立ててそれを振り下ろした。さらに続けて二回。右から左に肩を変えてまた三回、叩かれる。方丈(本堂)の広縁に見上げる薄紫色の夕空にそれらの音は皆、とけていった。
 煉骨が身を起こしたのを見計らって、
「最後に合掌して低頭だ」
 和尚はそう言いながら自らも警策を水平に持ち上げて、丁寧に礼をする。その姿がくやしいくらい様になっている。ゆっくりと頭を上げて、再び警策を立てると、坐禅している者の眼前を静かに行ったり来たりし始める。
 坐禅をしているのは煉骨を含めて三人ばかりである。そのうち僧侶の姿をしている者となると、煉骨を含めて二人。
 三人は寺の方丈の広縁に、庭の方を向きやや距離を空けて各々結跏に足を組み、坐っていた。いや実際のところは、坐らされている、と言ったほうが、正しい……
 広縁の角のところには香炉が置かれ、線香が一本だけゆらゆらと煙を昇らせている。これは計時をするためのもので、線香一本が燃え尽きる時間を『いっしゅ』と呼び、一回の坐禅の目安とすることが多い。
 坐っている三人のうちの、僧の姿をしていない一人の前で、和尚が立ち止まった。
「これ弟分、おまえもだ」
 その言葉に、先の煉骨に倣うように睡骨が背肩を差し出すと、再び容赦なく気味のいい音が立て続けに宙にとけた。
 そして残りの一人の僧形の者はこの寺の僧侶であるようで、年若いのだがさすがに普段から坐り慣れているらしく、微動だにせずじっと趺坐をしていた。しかしそれでも和尚は、その者の前で立ち止まり、策を入れていく。
 理由など言わない。
 僧侶は和尚が立ち止まったと見るや合掌し、身を折る。そこに和尚もまた無言で警策を打ちつけ、打ち終わるとそれぞれに低頭する。実際、僧堂で坐禅をするときには一切声を発してはならないから、もとより打たれる理由など聞けないのである。先ほど和尚は煉骨に、「最初だけは理由をつけてやる」と言ったが、それは仏門に帰依しているわけではない煉骨や睡骨に対する親切心なのかもしれない。
 和尚は広縁の向こう端まで行ってから折り返し、煉骨の前まで戻ってきて立ち止まった。すべての所作に足音一つ、衣擦れの音すら立てず、煉骨に向き直る。
(またか……)
 また姿勢が乱れていたかなと思ったが、まださっき打たれてから僅かな時間しか経っていないし、たぶんそうではないだろう。
 では何か。
 前屈みになりながら、煉骨は考えた。
 というかこの和尚のことだから、案外「俺が叩きたいから叩く」で叩いているのではないか。とそんな気までしてくるから困った住職である。
 ぱん、
 と警策が打ち下ろされる。またこれがけっこう痛いもので、日々坐禅をしている雲水(修行僧)には背中が警策によって一面青や紫や緑色の痣だらけになってしまう者も珍しくないという。まるで出入りの後のやくざ者の姿である。
 打たれ終わって、身を起こし、低頭する。和尚もまた頭を下げ、足先を広縁の端へ向ける。
 坐禅とは、ただ坐ること。手足を静かに組んでじっと坐り、何の声も発せず、ときに警策でしたたかに打たれる。ただそれだけの中に、坐る意味や、警策で打たれる意味を見出すのは坐禅する者自らの役目である。


 一緒に坐禅した僧侶の名は彰英しょうえいといって、年頃は煉骨と変わらない。何となく気の弱そうな雰囲気を醸している男である。何でも住職の隠侍いんじという役を務めているそうで、隠侍とはつまり師家(この寺の場合住職)の傍についていろいろと身の回りの世話をする役目である。
 彰英は相当住職にこき使われているらしいが、知る人に言わせればそれも修行のうちだそうだ。実際、隠侍というのは師家が
「おい」
 と一言呼んだだけで、何の用事か察せるようにならなければ本物ではないとすら言われる。僧籍にない普通の人間には分かりにくい世界ではある。
 だから、ひどいときには寺と港を一日に二十往復もするくらいこき使われている彰英が、これで住職の一番弟子と言われてもにわかには信じられないのが道理というものである。ちなみに二番弟子を挙げるなら、それは凛道りんどうという名で、さっき煉骨が会ったところでは彰英よりもきりりとした顔つきの、二十歳ほどの年の僧侶であった。こちらはさほどこき使われてはいないらしい。
 彰英が、赤紫色の痣だらけになった煉骨の背中に、冷水で濡らした手拭を当てながら心配そうに顔を曇らせている。
「大丈夫でございますか」
「いえまあ――
「老師様も何も、初めての方にここまで打たずともよいでしょうにね」
 老師というのは僧堂を預かる師家のことである。決して年寄りだから老師なのではない。実際この寺の老師、すなわち住職の和尚はまだ三十路のぎりぎり手前である。
「老師様はまだ雲水の頃に、罰策だけで一万発以上の業を成したそうですから、どこをどう打てばより痛いのかしっかり身に染みていらっしゃることもあるんでしょうけれど……」
「一万発――
「罰策だけで、ですから、普段の警策も数に入れたら一体どれだけ叩かれていらっしゃるやら分かりません。まあ昔から型破りな方だったのでしょう」
「はあ」
「背中は、痛みますか」
「見た目ほどではないでしょうよ。仕事柄怪我には慣れてますからね」
――そのお仕事のことですが」
 彰英は神妙な顔つきになった。
「今日いらしたのは、そのことで老師様に何かご相談があったのでしょう。老師様が何とお答えになったかは知りませんが、広縁に坐られていかがでした。見れば表情はここにお着きになったときより随分、和らいでいらっしゃいますよ」
「………」
「意外と、禅僧に向いていらっしゃるのかもしれませんよ」
 気の弱そうな顔を崩して笑う。彰英はつまびらかには語らなかったが、この僧には、広縁で坐っている間に何やら感じるところがあったらしい。
 今日の夕方、睡骨を供に連れた煉骨がはるばる和尚のもとを訪れて、なんやかんやと談じた後、
「では今日のところは失礼を――
 と腰を浮かしかけたときであった。和尚は急ににこやかに微笑んで、
「まあ待て。どうだ、せっかく来たんだから坐禅の一つもしていきなさい。弟分、おまえもな」
 と、口調こそ優しかったが、実質二人を引きずるようにして方丈の広縁まで連れて行ったのである。そして途中ですれ違った彰英に、
「彰英ついでだ、おまえも来なさい」
 これは彰英は完全なとばっちりというものである。が、彰英は突然の言いつけにはもうすっかり慣れているので、
「はい、承知しました」
 と素直に従った。それで、ああいう仕儀になったわけである。なぜいきなり坐禅だなどと言い出したのか、そのわけについては和尚は一切を語らなかったが、少なくとも彰英は、自分なりにその意向を汲み取っているらしい。
 彰英は、煉骨の肌に押し当てているうちにぬくもってきた手拭を、また桶の冷水に浸けた。煉骨が前を向いたままで言う。
「さすがあのご住職の側付きというか、一番弟子なだけはありますな。あの人の考えることをよく分かっていらっしゃるようだ。俺はさっぱり分かりませんが」
 というか、これっぽっちだって分かりたくない。
 と、これは心の中で付け足した。
 はは、と彰英が苦笑する。
「私は一番弟子などではありません。何せこの寺では新参から数えた方が早いくらいです。まして老師様の考えが分かることなど……そも人間、己以外の誰の考えも本当に分かりはしませんでしょう。あの方のお考えはこうではないか、と、すべてはひとえにそういう憶測に過ぎず、しかしそれ以外に他人を解する法はないのでございましょう」
 禅僧らしく、少し分かりにくいことを言った。濡らした手拭を固く絞り直し、再び煉骨の背に乗せる。
 ふと、部屋の障子の外に人の気配が湧いて、そちらを振り返る。
 障子を開いて中に足を踏み入れたのは、睡骨で、後ろに凛道が控えている。睡骨の背越しに中を一瞥し、
「彰英さん、和尚様がお呼びですよ」
 と、彰英に向かって呼びかけた。彰英が腰を浮かしかけたところを、
「兄貴の方は後は俺が」
 と、睡骨が無愛想に呟いて、手拭と水の入った桶を引き取った。
「ああ、ではお願いします」
 彰英は、 
「凛さん、わざわざありがとう」
 と外の凛道に声をかけながら、ぱたぱたと足早に、縁側伝いに去っていってしまった。


 睡骨は煉骨の斜め後ろにあぐらを掻いた。元から格別機嫌がいい男でもないが、不機嫌そうにしているのは煉骨の目にもありありと分かった。心当たりはある。
――蛇骨か霧骨でも暇にしてりゃな、そっちを連れてくるつもりだったぜ。おまえじゃなくて」
 吐息交じりにそう呟いて見せた。ま、坊主と医者が嫌いだ嫌いだと言ってはばからない睡骨のことだから、寺の中で心安い表情をすることはあるまい。そうでなくても、最近七人隊は負け戦をしたばかりで、気が立っている。煉骨がこの寺を訪れたのも、そのせいでこの間住職から硝石を買ったとき、ツケにしてもらった分を返すあてがなくなったので、返済期限を延ばしちゃもらえないかと、そういう相談であった。
 しかし煉骨の方は、無理やり坐禅させられて、警策で肩を叩かれているうちに概ね気持ちの整理がついてしまっていた。あれは不思議なもので、理由を聞かされずに何度も打たれて、何故打たれるのかと考えているうちに坐禅とは関係のない罪悪まで心に浮かんでくる。記憶が新しい分、負けた戦のことを特に様々に思い出した。
 で結局、
(この間の戦で負けたのは、俺の武家を見る目が甘かったからかもしれねえなぁ)
 と、坐禅を終える頃には、煉骨はそういう心持ちになっていて、そう考えてしまうと、では次はもっとしっかり雇い主を見極めればよし、と思えて気が楽になった。
 が、一方睡骨の方はというとそう簡単にいかなかったらしい。なんでこんなところで坐ってなくちゃならないのかとでも思っていたらしく、寺に着いた時より今は余計に機嫌が悪くなっているようであった。
「ふん」
 と、睡骨はやはりあまり面白くなさそうに口先を尖らせる。
「別に――
 一旦言葉を切ってから、続けた。
「ここの住職は兄貴の旦那だろう。むげにはしねえが」
 睡骨の言う旦那とは、現代で言うところのスポンサーすなわち、出資者のことである。
 睡骨は煉骨の背に向き直ると、意外なほど柔らかい手つきで、痣だらけのそこをひと撫でした。その指のうごめき方が、何だか遊女の体でも撫ぜるように淫靡な風で、煉骨は思わず、
 ぞくり
 と、肩に震えが走るのを覚える。
「兄貴に坊主の衣を着せておいて脱がすのが楽しみってんだから、まあ住職が聞いて呆れるぜ」
―――
「あの住職の考えそうなことだ。背中が痣だらけになるまで警策で打っておいて、後から手当てとでも言って……」
「やめろ怖気が走る!」
「ふん」
「あっ」
 と――
 にわかに背から睡骨の左腕が腰を回って煉骨の腹を抱きかかえ、引き寄せ、逃げる間もなく耳元に口を近づけられる。薄い色の唇が耳朶に押しつけられ、生温かい息が耳の穴の中、ずっと奥の方まで届く。
――何の真似だ」
「あの住職はこんなふうに兄貴を可愛がりたいんだろうな、と思ったのさ」
 睡骨が一句一句口にするたびに、耳の穴を息がくすぐってこそばゆい。
「思ったからって何も本当に抱きつくこたあるまい」と、煉骨が言おうとしたとき、今度は睡骨の右手が、煉骨の右の腿の脇から法衣と着物の裾を割って脚の間に滑り込んできた。下帯の上から、上下に撫でさすられた。
「んっ!」
 刹那ひきつって縮こまった煉骨の肩を、睡骨は左腕で抱えて体を開くようにさせる。
「睡骨――睡骨てめ、何考えて」
 は、と睡骨は口を煉骨の耳朶につけたまま笑った。
「いいな、同じ男の体は分かりやすい。最近自分じゃ抜いてなかったかよ、兄貴。あんまり溜めてるとこらえ性がなくなるぜ」
 んなこた余計なお世話である。
 下帯の内側にまで入り込んできた睡骨の手が、自分のものを一人慰めするような手つきで上下し出す。
「何のつもりだ――
 のどの奥からしぼり出すように、やっとそれだけ言って、煉骨は、
「ぅ……」
 息の音だけで、呻いた。
 あ、いや待てその動きはまずい。
 そう奥の方まで触られるといやその。
「睡骨、てめえ、蛇骨じゃあるまいにてめえこっちの趣味だったのか!?
「ってわけじゃねえが、嫌がる相手を無理やりってのは嫌いじゃない」
 もっと嫌がってくれたって、いいくらいだぜ、と言葉を継いだ。
 法衣の裾あわせから覗く右手首が、小刻みに揺れている。親指、中指、薬指で掴んで扱きながら、時々手のひら全部で握ったり、もっと脚の付け根に近い奥の方まで指を伸ばしたりする。普段触れ慣れた自分の体とはやはり感触が違うような気がしたが、それでも女の股よりは随分と分かりやすい。
 煉骨の、
「ちょっと待て……!」
 そう吐くように呻く声がやや上ずっている。


 待て、と言ったところで相手が待ってくれそうな気もしないのに、どうして人間つい口をついて出てきてしまうのか。と、悠長にそんなことを考えている場合でもなさそうだ。
 睡骨の腕から逃れようとしたが、やつの力はさすがに強い。大兄貴ほどじゃないが、専ら接近戦を得手にするだけはある。何せこちらの体を捌くのが巧みなもので、
「いっ……」
 赤子の手をひねる――とまではいかなくても、あまりじたばたする暇もなく俺は床に押さえつけられた。参ったな、くそ。
「てめ、やっぱり蛇骨の頭の虫がうつりやがったんだろっ」
「あれと一緒にされちゃかなわねえな」
 睡骨は悪党面を歪めて苦笑いした。俺だって善人じゃないが、今の睡骨の顔が普段の三倍は憎らしく見えるのは気のせいか。ああ、これだから年上の弟分は扱いにくい。何考えてるんだか分かりやしねえ。年上の弟分だらけの大兄貴は、ひょっとしたらそれなりに偉いのかもしれない――
 だから、そんなことを考えてる場合じゃないのである。
「あっ!?
 左脇で俺の体を床に押しつけたまま、また睡骨の右手が脚の間をまさぐってきた。根元から鈴口の先まで扱かれる。
「ぁ、ん――。……ん?」
 しかし、ん? と気がつけば、どうしてかさっき触られたほど気持ちがよくない。
 ああそうか、と思い至る。
 なるほど今俺は体の右半分床に押さえつけられた形で、睡骨の手は正面からナニを握っているからだろう。背から掴まれるともろに自慰と同じ格好だから、そっちの方が睡骨の手も俺の体も長年慣れているわけで感じやすかったのかもしれない。いやそんな仔細な分析はどうでもいいのだ。
 俺はここぞとばかりに思いっきり睡骨の腹を蹴り上げた。
 それが俺の体を触っていて少しばかり隙の生じていた睡骨の、鳩尾みぞおちの真ん中に入ったものだから、奴は声こそ出さなかったが、顔を歪めて一瞬身を折ろうとした。あとは逃げるばかりだ。
 腕の下から這い出して、急いで着物の裾を掻き合わせて少し離れたところから睡骨をねめつける。
「てめえ兄貴分に手ぇ出そうとしてただで済むと思ってるのか」
 低い声で脅してやったつもりだったのに、睡骨は意外な表情を見せた。鳩尾を蹴りつけられたせいでむせ込んでいる口元を手のひらで隠しつつ、嫌な目の細め方をする。どうもまだ腹に何か一物抱え込んでやがる風だ。
「何笑ってやがる」
「なあ喋っちまうぜ、兄貴」
「喋る?」
「前に一度この寺に来たとき、鋼とたたら場を安く譲ってもらう代わりに、兄貴がしたことをだ――
「………」
 血の気が引いた。
 睡骨は膝でにじり寄ってきて、俺の胸板をぐっと押さえた。
「蛇骨にでも話しちまえば、もう全員に言ったのと同じことか」
 眼を覗き込まれ、胸板の手にさらに力を込められる。黙ってて欲しけりゃ押し倒されちまえよ、と、そう言いたいのだろうか。
「卑怯だ……」
 俺は背の後ろの床に片手をつきながら、睡骨の眼を見返した。は、と睡骨は声を立てて笑った。
「今更。卑怯がどうした。俺たちゃ悪党だぜ」
―――
「それに」
 睡骨の指の爪先が、法衣の上から胸の先を引っ掻くようにしていじった。
「卑怯だとか人でなしだとか言われながらヤルのも――
「この変態が」
 背についた腕が、腹の上にかかる睡骨の体重で深く曲がる。眼と鼻の先まで近づいて来たやつのにやついている口元が、我慢なんてしたくないくらい憎たらしかった。
 畜生めっ――
「くそっ」
 背の腕はとうとう肘まで床についてしまって、睡骨にそのまま抱き締められて背筋まで床板に預けてしまうと……
「ちくしょう――
 にわかに耳に濃くなる衣擦れの音。


 気持ちいいから悔しい。
「は――
 菊座をくぐっている睡骨の指が中を掻き回してくるのがたまらなかった。しかしケツってこんなにいいもんだったか?
 指が出たり入ったりするたびに、ちくちくと粘ついた音がする。
 穴から指を抜かれる瞬間がまた。
 周りの肉が擦れるのもいいったらないのだが、その、指が出て行って尻の穴が狭くなる瞬間に耳の後ろの辺りがぞくぞくする。
「ここか?」
 中に入った指の腹が、たまらないところをぐりぐりと刺激してきた――
「ぁっ、やめ……」
「ここか。すげえな。垂れてきた」
 菊座に入っているのとは逆の手が、前を掴んで、先走って濡れた鈴口の先を指先でほじくり返――す、んっっ。ぅ。う……中の指がいいところに刺激を与えるたびにこじ開いた先端から滴って棹を伝っていくさまを、面白そうに眺められても、こちらは、困る。前と後ろとそう一度にされては、っ、
「ぁ。あっ。いい、くそっっ」
「いいなら何よりだ。兄貴こっちの才能があるんじゃねえのか?」
 そう言って、一旦菊座の指を抜き、尻の穴の上をこね繰られる。っ。んな才能があってたまるかと言い返したいのだが、ああもうたまんねぇったらない。自分で気が付かなかっただけで本当は俺はそういう才能があったのか。
 嫌だそんなこと断じて信じたくない。い、ん。ぅ……
 信じたくないのに指を出したり入れたりされるのが気持ちよくて、泣きたい心持ちになってくる。
 百歩、いや一万歩は譲ってそっちの才能があったとしても、それにしたってどこかおかしいんじゃないかってくらい気持ちがいい。ああ。
 よもや夢でも見てるんじゃないだろうか、俺は――。んっ
「は。ああっ! いい、ちくしょう……あ!」
(意外だ。乱れるなぁ)
 と、睡骨は中指で尻の穴の内側を掻き回しながら、心の中で苦笑いした。どうもこの兄貴分は火がつくと、とにかく燃えるだけ燃えてしまうたちらしい。冷静で冷徹そうでいて、ひとつ思い込んだら一直線なのかもしれない。一歩間違えばその身を滅ぼしかねないたちではないか……
――入れるか」
 何だかふいに睡骨の声が、ほんの少し優しげになったような気がしたが、俺の顔を覗き込んでくる目はやはり、憎たらしかった。気のせいか。
 指を出し入れされるままに、どうせどう答えたって入れるんだろうと思って黙りこくっていたら、睡骨はそれを肯定と取ったらしい。
 自分の着物の前をゆるめ、煉骨の脚を広く開かせて、その間に何度か鈴口の裏を擦りつけてから菊座に押し当てる。
 それは、さっきの指よりずっとゆっくりと中に入り込んできた。少しずつ周りを押し広げながら差し込まれる。
「う……」
 息苦しい――わけではないのだが、何となくそういう気分だ。だいたいそもそもが外から物を入れるように作られているわけじゃない場所である。痛くはなかった。あられもなく崩れた法衣と着物の裾から伸びた自分の脚が、間に男の体を挟んで開いているのはあまり好んで見たい姿ではない。
 煉骨は首を左に傾けて、部屋の隅の方に視線を逃がした。
――は」
 睡骨は一物のつき入った菊座を眺めながら、肩の力を抜くようにため息をついた。菊座と一物の擦り合わさっているところを指で撫でてみて、
「すげえ、ちゃんと入ってるな……」
 感慨の深そうな様子で、呟いて、軽く腰を揺り立てる。
「んっ」
 ああ、たまんねぇ――と、煉骨は口には出さなかったが、厭らしい吐息をつき、無意識なのか、きゅ、と菊座の奥をせばめていた。本当に無意識なら、それこそ才能があるのではないかという応じ方である。その奥の動きは、睡骨にまた湿ったため息を吐かせた。
 煉骨の腿を上から掴んで、入れたり、出したり――
「っ、はっ!」
 さっき指でさんざん弄られた菊座の中のいい場所を、鈴口の一番太いところで丹念にこまやかに擦られると、煉骨はもうそれ以上声にならない様子で、首筋を反らせ手のひらで腿を押さえつけている睡骨の手を掴んできた。
「………っ」
 その手の意味が、やめてくれ、なのか、もっと、なのかは煉骨の様子からだけでは分からない。分からないが、睡骨にはどちらでもよいことだった。
 腹から下を、く、く、く、く、く、く、と前後にするばかり。
「……んっ。ん。ふ。んっ。ん。うぅ……、っ」
 濃やかに腰を使うことを、もとよりもっと濃やかにするつもりはあっても、やめるつもりなんぞない。
「ぅ。ん、はっ。ぁっ。ん。んっ。んん。ぃぃ――っ」
 煉骨の、向こうを向いて奥の歯を食いしばり、細眉を八の字に歪めるその表情をもっと歪ませるつもりはあっても、その逆はなかった。普段にはどうしたって目にできない表情である。そう考えると、妙に厭らしいものを見ているような気がしてくる。
 睡骨は熱い息をつきつき、
「いいのかよ。スケベだなぁ尻の穴でこんな――
 そんなことを呟いて、腿から片手を離してその手のひらを、もう鈴口が下腹にくっついている煉骨の股間の裏筋に乗せる。人指し指と中指の間に鈴口を挟むと、体を揺らすのにつられてその手も僅かに前後に動いた。
「は、ぁッ」
 煉骨は、ほとんど息の音だけで息苦しそうに喘いだ。
 それほど前の刺激が強いわけじゃないのだがそっ、そ、そう後ろと一緒くたにさいなまれると――っ。うっ、ぁ、あっっ
「あっ!!
 下腹の底から鋭い愉悦が突き上げてきて、思わず腹の筋を突っ張らせる。脚の肉も引きつって、ほんの一瞬体が動かなくなって、勢いはあまりなかったが射精していて、睡骨の硬い手が精液の出ている間中そこを掴んで扱いて気持ちがよかった。
「ぁ……」
 射精がとまると、手は離れた。
 あとは常の通りであった。
―――
 女と寝た後と変わらなかった。いったら急に気持ちが落ち着いてくる。冷静さが、今まで一体どこに出掛けていたのかと思うくらい自然と頭の中に戻ってくる。自尊心も取り戻す。
 で、取り戻した自尊心からすると、開いた脚の間に睡骨の体があって、尻の穴に一物突っ込まれているこの状況はやっぱりものすごく屈辱的で腹立たしかったのだが、それ以上に煉骨には、
 ぎょっ
 とすることがあった。
 睡骨の肩越しに、その背に立っていてこちらの目を見つめてくる双眸がある。
 手には警策。
「随分よさそうだったな?」
 双眸を細め、笑って言われたが、本当に笑っているのは口元だけである。次の瞬間すっと凍るように警策を手にした住職の顔つきは冷淡になった。
果宋かそうさま」
 いつの間にそんなところに、と口を利こうとしてはっとすると、確かに今まで睡骨の体を迎え入れるような格好をしていたはずが、いつの間にか坐禅してうずくまり、背を上に向けている。警策が、とん、と肩に触れる感触があった。
 ひゅ、と耳元で警策の振り上げられる音が。


「いっ!! った」
 そこで右肩に激しい痛みを覚えて、煉骨はやっと居眠りから目を覚ました。とんとん、と警策の脇でこめかみを小突かれ、顔を上げると正面に果宋堂山が立って、肩でため息をついている。別に怖い顔はしていない。常どおりの何となくつかみどころのない表情だ。
 広縁の前に広がる小さな枯山水の向こうで山肌の木々が夕方の風に吹かれ、さあ――と葉を鳴らした。同じ風が頬を撫ぜるひんやりとした肌触りも、夢想などではないうつつのものである。
 そっと横に目を向けると、睡骨も彰英もじっと斜め下を見つめたまま坐っている。
 そうだ俺は坐禅させられていたんだ。硝石のツケの返済期限を延ばしてもらいに果宋堂山を訪れ、帰ろうとしたらここに連れて来られて坐禅させられている。どうやら考え事をしているうちにうとうとしていたらしい。
 じゃあ、彰英に手当てをされたり、睡骨に押し倒されたり何だか脅されてあんなところに指やナニを突っ込まれたり、それを住職に見られたりしたのは全部――
「………」
 煉骨は、居眠りしていた間よほどよっぽどやましい夢でも見ていたのか、やおら神妙に掌を合わせ、深く深く深く身を折った。果宋はゆったりとした動作で、「いい心がけだ」とでも言いたそうに、丁寧に警策の先を煉骨の背に押し当てた。
 警策で打たれる意味は坐禅者自身が見出すものだというなら、今の煉骨には明確にその意味が分かった。
 これは懺悔。
 あんな夢を見てすごく、非常に、どうにも申し訳がない。誰に申し訳がないって、己自身にであろう。なんであんな夢――なんて、考えるのも恐ろしいではないか。
 ひゅ、と耳元で警策の振り上げられる音がして、果宋が気前よく策を入れてくれる。
 その数実に、両肩合わせて三十連発。
 さすがの痛みに煉骨は片方の肩を押さえてしばらくじっとうずくまったまま、動かなかった。それでも何とか身を起こして、低頭すると、その正面で果宋が警策を持ち上げて、しれっとくやしいくらい様になる綺麗な形の礼をして見せた。

(了)