白扇の咄

 もう長月ながつきの初頭を迎えようとしているのに、今日はやたら日差しが暑い。日陰に入れば涼やかな風が身を撫でるが、いったん日向に出れば天道様の光が容赦なく肌を焼く。
 使い込まれた和紙の扇ではたはたと首筋を扇ぎながら、小袖一枚に袴もつけない姿の睡骨がねぐらに戻ってきたときには、ちょうど一番日が高い頃でその場にじっと立ち尽くしているだけでこめかみを汗が流れるような陽気であった。
 今の七人隊のねぐらは町外れの山中にある古びた寺院……寺院には違いないがとっくに廃れてしまっていて、破れ寺である。柱も床板もぼろぼろ、鼠がかじり野良猫が爪を研ぎ、腐っているところもあるし、気をつけていないと足で濡れ縁の板を踏み抜いてしまうようなこともある。無論、夜になれば隙間風も吹く。しかし今日のような天候であればそれも心地よく感じられるかもしれない。
「さすがにこれは……銀骨を床に上がらせただけで部屋の底が抜けそうじゃないか」
 と、煉骨はこの寺をひと目見てまず、渋った。しかし蛮骨はにやりとして、
「どうせこんな寺、いつかはぶっ壊して建て直すなりなんなりするさ。もしおまえが言うようなことになりゃそのぶっ壊す手間がはぶける。わざわざ人足にんそく雇う金もいらなくなるし、人助けだ人助け」
 本当は、人助けだなどとこれっぽっちも思っていないくせに、調子のいいことを言う。
「なあ風呂残ってねえかな、風呂」
 そしてずかずかと境内に入り込んでしまった。また煉骨は煉骨で、このときには小さく溜め息などついて見せたものの、夜にはもうちゃっかりとひとつこぢんまりとした部屋を確保して、灯りを乗せた皿を引き寄せ書見をしていた。
 残りの五人は特に文句を垂れることもなく、そこそこに広さのある本堂で頭をつき合わせて博奕ばくちに興じたりした。本堂だが本尊はとうの昔に賊に持ち去られている。
 そのうちに蛮骨と煉骨が代わる代わる様子を覗きに来たりして、しかし二人とも丁半にひとくち乗っては勝ち逃げしていくので、まあたちは悪い。やがて皆遊び疲れて、そのままそこでごろりと横になり寝入ってしまう者もあったし、思い思いの場所へ足を向けた面々もあった。
 その本堂で、今日は何やら蛮骨と煉骨と蛇骨と銀骨が昼間から面を合わせている。
「何やってる」
 と声をかけながら、足半あしなかを脱いだ睡骨が上がり込んでくると、四人は揃ってそちらを一瞥いちべつする。
 蛇骨など建物の中にいても暑がっているらしく、尻っぱしょりの上に片肌脱ぎになっている。戦場でも出入りでもないときはさすがに腹と胸を守る胴当てを外しており、肩から下の裸身が左半分だけ露わになっていた。
「睡骨おめーこそ、どこ行ってたんだよ。真っ昼間から種付けか?」
 蛇骨が揶揄やゆしてくるので、睡骨は苦い顔をしてまとっている小袖の裾を持ち上げて見せた。
「種付けんのに、どうしてこんな返り血浴びると思うんだ」
 そう言って睡骨が指したところには、確かに赤黒いシミが点々と付着している。それが睡骨が出かける前には無かったものであることは、誰もの記憶に残っていることである。
 ふん、と、鼻を鳴らして、煉骨が真面目な顔をする。
「最近のおんなは随分過激な客の相手までしてくれるんだな」
「…あんたまでくそ真面目に何言やがるかと思えば」
「ふん、冗談だとも。ナニがついてて声の野太い遊女なんかいてたまるか」
「冗談ってのは、そういう顔して言うもんじゃあねえよ」
 睡骨は銀骨と蛇骨の間であぐらを掻いた。
「ちょっと辻でひと悶着あってな」
 と、言う。そのひと悶着は大して面白いことでもなかったようで、睡骨はいつもの無愛想な目つきのまま僅かに口の先を尖らせるようにする。
「なんだやっぱり血生臭い話か」
 隣りで銀骨ががっかりしたように呟いた。そうやって声を出し息をつくたびに、
「ぎし……」
 と咽喉の辺りで何かの軋む音が聞こえる。
「色っぺー話なら聞きたかった」
「そうだな。それなら聞きたかった」
 銀骨の言葉に笑いながら頷く蛮骨の手に、小ぶりの真新しい扇が握られているのを睡骨は目にとめた。
「大兄貴が扇を新調とはまた、珍しく洒落たことするもんだな」
「珍しくは余計だ」
 そう言った蛮骨の口元はしかし、緩んでいる。睡骨の口調にも嫌味はなく、むしろ親しみのあるからかいであった。
「それに俺が金ぇ出したわけじゃねえよ」
「へえ?」
「煉骨の旦那の一人から土産だってさ。なあ煉骨、京の坊主だっつってたよな。これ買ってくれたおまえの旦那」
「ああ」
 煉骨は細いあごを小さく引いた。
「今日顔を拝みに行ったときに、いつも世話になっているからぜひ首領にも、とまあそう言ってな」
 ふいに、蛇骨がいやらしく目を細めて下世話な笑みを浮かべる。
「世話ねぇ……」
「何が言いたい」
 煉骨がにらんでも、蛇骨は笑っている。
「いや世話って、ひょっとしたら腹から下のお世話かなぁと思ってさ」
「……」
「坊さんには多いだろ。現になにがしいう和尚に言い寄られてるって聞ーたけど、その都の坊さんとは違うわけ?」
 「某という和尚に言い寄られていると聞いた」のところで、煉骨はいきなり蛇骨から睡骨に視線を移して射通さんばかりにねめつけた。
「てめえっ」
「こないだの冬のあれ﹅﹅を、しゃべっちゃいけねえとは聞いてなかったからよ」
「だからって……」
 煉骨は勢いよく立ち上がって睡骨に掴みかかろうとまでしたが、背中から蛮骨と銀骨にまあまあといさめられ、仕方なくもとの位置に腰を下ろした。それにしても、よほど男に言い寄られていることに自尊心を傷つけられているらしい。腹立ち方が尋常ではない。
 煉骨はすっかり、ぶすっと顔をしかめて機嫌を損ねてしまった。
「ともかく、京の旦那は某とは別人だ。そういう類じゃない。」
 その横で、蛮骨が手中の扇を開き、
「うん。俺も一度つら拝んだけど、なんか、ぼんやりした感じの住職でそーいう風じゃなかったな」
 だけど、と言葉を継ぐ。
「あれで案外茶目っ気があるんだな。知らなかった」
 どこか感心したように呟きながら、開いて見せた扇の白い紙の中心には、
 一撃必殺
 と大きく四文字、墨でそれは流麗で見事な手によって記されている。もとは白扇はくせんで、最近筆を入れたものであるようだ。
 睡骨がおかしそうに顔をゆがめる。
「そりゃあ大兄貴の持ち物らしい。だがあんまり達筆過ぎて、何だか可笑しいな」
「なあそうだろ。絶対分かってて書いてるんだぜ、あの男」
 睡骨と同じように、銀骨も外に唯一覗いている双眸を細めて、笑っているらしかった。やはり軋んだ音を立てながら、
「京の都の月舟円悟げっしゅうえんご法師といったら、お茶目はともかく能書のうしょで名が知れているな」
 と、言った。能書とは現代でいうところの書道家のようなものだ。存外銀骨も変わったことを知っているものである。
「武家や金持った商人どもには、飾り物にするためにわざわざ金払って書いてもらうってやつらもいるくらいだ」
「何だそりゃくっだらねー」
 と吐き捨てたのは蛇骨である。
「たかが文字だろうがよ。金持ちの道楽にゃついていけねーな」
「おまえが着物や化粧けわいに道楽してんのだって、俺たちにゃついていけねえよ」
 蛮骨が呆れた風に呟いた。


「そーいや睡骨、おめえも白扇使ってたな」
 蛇骨が思い出したように睡骨を振り返る。
「すんげーぼろっちかったけど」
「うるせえな」
「確かにぼろいが、役には立つだろう」
 煉骨が、そのように口を挟んで少しにやりとした。腹の虫もそろそろおさまってきたのだろうか。
「今日はどうだった」
「ん」
「その裾の返り血のひと悶着の話だ」
「ああ……」
 睡骨は、ようやく合点がいった様子で、
「確かに、役には立ったぜ。得物代わりとまではいかねえが、丸腰よりは気が楽になる。急所を狙えばそこそこには使える……が」
「が?」
「重い」
「ほざけ」
 おまえの長爪の方がよほど重いわ、と、煉骨が言う。
「そりゃあれに比べりゃ軽いわさ。だが普段扇ぐにはちっと重いぜ」
「……」
 睡骨は、隣りの蛇骨が不思議そうな顔でまじまじと見つめてくるのに気がついて、懐からくだんの白扇を取り出だし目の前に放り投げた。
 ただ和紙を張った扇が床に落ちたとは思えぬ、かつん、という硬い音が響く。
「よく見ろ、親骨のところだ」
 と言ったのは煉骨である。
 蛇骨が扇を取り上げ、双眸に近づけてじっと見入る。
「あ……」
 気がついたようだ。
「気がついたか」
 煉骨が、滑らかな語調で語り始める。
「このあいだ、歯車を削ったときにいくらか鉄が余ったんでな。捨てるのも惜しい。それでその余った鉄を知っている鋳物師に預けてだ、薄い棒切れに鋳させて、睡骨の白扇の親骨の中に仕込んでみたってこった」
「仕込んでみた、って……簡単にいうけどよ、こりゃ……」
 蛇骨は、はあ、と感嘆して、
「ほんっとに器用なんだなぁ、煉骨の兄貴は」
 そしてまた、はあ、と同じように溜め息をつく。
 手にしている扇の親骨の中には、まっこと器用なことに、手の爪ほどの厚みの鉄が挟み込まれていた。接着されている様子はないので、中で鉄と骨木とが組み手にされているのであろう。ますます器用なことだ。
 蛮骨も感心したように頷いた。
「確かに中に鉄なんて仕込んでありゃ丈夫にもなるし、いいな」
 しかし煉骨は表情を曇らせる。
「いや、大兄貴にゃ大して利はない。素手で殴った方が早い」
 蛮骨が口先を尖らせる。
「そう言うなよ」
「その円悟からもらった扇にも同じような細工しろってんでしょう」
「なんだばれてたのか」
 蛮骨は声を出さずに苦笑すると、もう一度手の中の扇を広げてまじまじと見つめ、にやりとしてから懐の中に押し込んだ。
「まあいいや。これだけでも話のタネにはならぁな」
「どこか出かけるのか?」
「女のところだろ」
 蛇骨が言う。
「今日はどこの傾城屋けいせいやの遊びだよ。白鷺しらさぎか? 時任ときとうか」
「それとも、桜の枝か蜜花みつはなか小菊か、あるいは青音あおね……」
 蛇骨の言葉をさらに銀骨が継いだ。
 蛮骨はにやりとする。
「お時だよ」
 時任のことを言っているらしい。
「京の女はいいよな」
 何がいいのか、顔か気立てかは知らないが、上機嫌で呟き、立ち上がると、
「そうだおまえら、俺の女、みんな知ってるんなら、手は出すなよ。おまえたちたそりゃ兄弟分だけどよ、女ぁともにして別の兄弟になれるほど俺はできた男じゃねえや」
 笑いながら残りの四人にしっかりと釘をさして、この場を去った。
「……なあ」
 釘をささずとも心配はいらない嗜好の蛇骨だけ、大して面白くもなさそうに溜め息をついている。
「今のって、あれ?」
 じろりと汚いものでも見るように周りの三人を見回して、
「もしかして万が一ひょっとするとさあ、もう蛮骨の兄貴と兄弟になったのがいちまったりするわけ?」
 蛮骨は本堂を出ると、火打ち袋を提げた腰刀を差しいつもの白い小袖と括り袴の上から憲法黒の小袖など羽織って、普段よりもきちんと身支度を済ませ、京の町へと下りた。


「すみません、時任は今宴席の方へ呼ばれていまして……」
 と、店の主はすまなそうに頭を下げてくれた。
「そっか」
 蛮骨は苦笑して、
「どれくらいで戻る?」
 と、尋ねた。
「さて……夜を越すことはないと思いますが」
「じゃあ戻るまで待つ」
 そうだな、と土間の外の清水坂下界隈を見遣り、
「六つ(午後六時前後)までその辺で暇を潰してくるからよ。もしそれまでに時任が戻ったら、根無し草の蛮の字が来たとでも伝えといてくれ」
 言いながら、腰の火打ち袋から銀片を取り出だして、主に握らせる。欠片の表面には三匁の記しがある。
「じゃ、よろしくな」
 主もそこは心得たもので、苦笑はしつつも、
「六つには必ず」
 しかと頷いて、蛮骨をいったん店から送り出した。
 京の都で名を売る遊君ともなると、逢うのもなかなか容易でないらしい。蛮骨自身もちゃんと腰に短刀と火打ち袋を提げ、身なりにだって多少は気を遣っているし、せめてそれくらいはしないと店の風格にそぐわないのである。だいたい傾城屋、傀儡宿くぐつやどなどというものは得てして怪しげなものが多いが、名のある遊君のある店にはそれなりに上品なところもままある。まあ面倒といえば面倒なことだが、その分、面倒な分女の格は高い。
 同じ金で、一人だけいい女を可愛がるか、安い女を五人にするかは各人の勝手である。
 しかし、いい女といえども嫉妬はするし、長らく逢いに行かなければ恨み言も言われる。情無しめと愚痴られる。本当に好かれている客なら尚更である。
 しかし客にも、逢いには行ってやりたいが金がない、ということがある。七人隊などおそらく年中これだ。先立つものがない。金を持たない客は客ではない。遊女だって相手をしてくれるのは客が金を持っているときばかりである。たとえ遊女と惚れ合った関係になっても同じことだ。ただではない。
(さぁて、どうしたもんかな……)
 蛮骨は辺りをぐるりと見回して、それから照り付けてくる日の光に一瞬眉をしかめる。まだ随分日が高い。六つどころか七つ時(午後四時前後)にもまだ少し時間がありそうだ。
 それにしても暑い。
 懐から例の扇を取り出して、はたはたと首筋を扇ぎながら、蛮骨は歩きだした。ゆく宛ては、まだ決めていない。
 他の遊び女……白鷺か、桜の枝か、蜜花か、小菊か、青音かに逢いに行くのも悪くないが、懐具合が少々不安ではある。
 それに他の女の匂いをまとわりつかせたまま逢いに行っては時任も気を悪くするであろうし、ここは大人しく、きよみつ(清水寺)の茶店で茶でも一服して時間を潰すのが賢いかもしれない。茶を飲むくらいの小銭ならそう懐も痛まない。
 そうしよう。
 さて。
 と、もう一度蛮骨はぐるりと辺りを見回し、音羽山の境内に見える塔の先などちらちらと眺めながらのんびりと坂を上り始めたのであった。


 一服一銭(一文)という安価で茶を飲ませる店というのはこの当時から特に寺社の付近などに建ち、茶以外にもあぶり餅などの菓子、軽食の類を出す店もあったといわれる。
 蛮骨が茶を受け取って店の外に出ようとすると、
「兄さん兄さん」
 と、
「ちょっちょっとちょっと、兄さんちょっと」
 と、腰の辺りで声がする。見れば店の者らしい背の曲がった老爺が軒先に据えられた小さな台の上に腰掛けて手招きをしている。
「兄さん、旨いよ。喰ってみて。ただでいいから」
 老爺の差し出したのは串に刺さった小さな餅の団子であった。
 蛮骨がそれを受け取って味を見ている間にも、老爺はにやりとしたまま文句を並べ続けている。
「旨いじゃろ。一本一銭。三本うてくれたら茶ぁ一服おごらせていただきますよ」
 蛮骨も老爺につられるようににやりとして、奥の店主を振り向いた。主は黙々と釜に湯を沸かしていたが、その背中が笑っているように見えた。
「三本」
 火打ち袋から小銭を取り出して、蛮骨は老爺に手渡した。
 店の外には用意よく長い腰掛などが置いてある。
 そこに腰掛けて餅をかじり、茶をすすっていると涼やかな秋風が肌やお下げを撫でていって、日差しは相変わらず強いがいくらか心地良くなった。咽喉が潤って、また腹がふくれたせいもあるかもしれぬ。
 寺のそばというのは、下界から隔離されたように静かである。
 街の喧騒も耳に入らず、なるほど坊さんの修行には丁度いいだろうし、荘厳な雰囲気も自然と醸すであろう。
「……」
 店におごってもらった二杯目の茶に、蛮骨は口をつけた。
 先ほどまで手にしていた餅の串の代わりに、また扇を取り出し掌中でいじくり回しながら、湯呑みの中身をすすった。
 と、そのときである。
 ふいに茶店の中から茶を手にした若い男客が一人出でてきて、蛮骨の隣りに小袖をからげた尻を落ち着け、ちらりと彼の手中の扇に流し目をくれてから湯呑みに口をつけ始めた。餅は、老爺に勧められはしたのであろうが、買わなかったようだ。
 扇に視線を投げられたのに、蛮骨は気づいている。
「……」
 蛮骨は、お下げのこともあるし、まあ堅気の姿はしていない。全体堅気ではあるまい。隣りに座った男はもしや同業か、似たような小悪党か、それともまた別の……
「…おい」
 などと蛮骨がぼんやり考えているうちにむこうの方から声をかけてきた。
「おまえ、さっき立売ノ辻たちうりのつじで俺の弟分に無体をしなかったか」
 男は蛮骨を振り向かず、ずっと前を向いたままで喋っている。年の頃は二十歳と半といったところか。
「知らねえ」
 と、蛮骨も正面を向いたまま、答えた。
「おまえは七人隊のもんだろう?」
 男が尋ねる。
「顔にそんな飾りをする派手好み、今時外道の中にもそうはいねえよ。それにその白扇、俺の弟分は白扇でここを」
 と、自らのこめかみを指差して、
「骨が割れるほどぶったたかれたって言ってる」
「……」
 白扇じゃないよく見ろ、と言って蛮骨は扇を開いて見せた。
「……」
「俺ならこんなもので頭なんか狙わねえ。俺がやったら間違いなく一撃目で扇の方が真っ二つだからな」
「…だが弟分は、あれは七人隊の誰かだったと言ってる」
「じゃあそりゃ、俺の弟分だ」
 睡骨のことに間違いあるまい。さっき、辻でひと悶着あったと言っていたのはこのことか。
「なに?」
 男が初めて蛮骨を振り向いた。
「おまえの弟分だと」
「俺が首領だ」
「おまえが?」
 あからさまに、男は疑う様子を見せる。
「信じたくなきゃ信じるなよ。俺が首領でなんか不都合でもあんのか」
「いや……」
「なあおいてめえ、わざわざその、てめえの弟分痛めつけた野郎探しにこんなとこに来たのか?」
 蛮骨は呆れた顔をした。
「いや、別にそういうわけじゃない。たまたまここでおまえを見かけて、もしやと聞いてみただけのことよ」
「ふん。俺がそのお尋ね者なら手間がはぶけたのにな」
「なに、俺はおまえが相手でも構わねえがな。滅多やたらにやられっぱなしじゃ面子めんつに関わると親分に言われてるだけよ。かたがつくなら当人じゃあなくてその兄貴分相手でも構やしねえさ」
 と、男は出し抜けに物騒なことを告げ、にやりと笑む。
 蛮骨は困ったような顔をする。
「その辻でのことだがよ、いったい何人やられたんだい」
「六人」
「…六人」
「そう六人だよ。六人相手にてめえの弟分が大立ち回りしたってわけよ。多勢で負けちまったこっちの気持ちだって、てめえならちった分かるだろうが」
「まあな」
 ちっ、睡骨の野郎、目立つのは結構だがこう面倒を起こされちゃ困るぜまったくよ。
 蛮骨は苦虫を噛み潰したような顔をして、
「で結局、てめえなんでこんなとこで茶ぁ飲んでんだ。聞かせろよ」
 と、苛立ち紛れに、男に問いかけた。
「おまえに教えなきゃならねえ義理はねえわさ」
「けっ、格好つけやがって。いいか俺ぁ女待ってんだ。時任っていうな、そりゃあ可愛い、喰いっ殺したいくらい可愛い女よ。それと六つにゃ逢って仲良くすることになってるんだ。いっとくがてめえと遊んでやれるのはそれまでだぜ」
 時任、という名が蛮骨の口から出た、その刹那だったであろう。
 男は一瞬、あっけにとられたようにぽかんと口を開けて、目を見開いていた。咽喉の奥からしぼり出したような声で、
「と、時任……」
 信じられぬという風に呟く。
「何だよ。時任で悪いか」
「俺も時任を待ってる」
「なにぃ?」
 今度は蛮骨が信じられぬという顔をする。
「おまえも?」
「おう」
「じゃあおまえも、時任は今宴席に呼ばれてるって追い返されたのか」
「おう」
「…てめえ、何時までここで待つ」
「六つだ。店の主にも心づけを……」
「いくら渡した」
 男の言葉に間髪入れずに蛮骨が問いかける。
「そ…それは、百文、傍のもんに言って届けさせた」
「ふ……」
 ふふ、と、蛮骨が口元をゆがめて笑う。
「じゃあ俺が先だ」
「なんだと?」
「俺の方が多く渡した。だから俺の相手が先だ」
「そん…いや、いや時任は俺に惚れてんだぞ。そんな金ごときどうにでも」
「なんだばかだなおまえ、遊女の『惚れた』を本気で信じてんのか?」
 蛮骨は、一瞬哀れむような表情を見せたが、それが却って男の神経を逆撫でしたらしい。
 男の左手が蛮骨の胸ぐらを荒々しく掴んだ。
「いいこと教えてやるよ」
 蛮骨が意地の悪い笑みを浮かべる。
「この扇な、お時がくれたんだぜ。わざわざ能書で名の知れた月舟法師に頼んで、書まで入れてもらってな。俺のために」
 俺のために、が、効いた。
 ひゅっ、
 と風を切る音とともに男の拳が真っ直ぐ蛮骨の顔面に飛んだ。
 男の打ち筋は悪くはなかったはずである。しかし蛮骨にはこうなることが見切れていたのだろう。男自ら我慢ができずに殴ったのではなく、蛮骨にわざと殴らされたと言ってもいいくらいだ。
 でなければ、なぜ扇のことに嘘をつく必要がある。
 蛮骨は拳が届く前に体をひねって、逆に男の顔面左頬のど真ん中、一番目立つところに正拳を叩き込んだ。
 男の口からも鼻の穴からも血が吹いて、もしかしたら歯もいくらか折れたのかもしれない。気の毒なほど顔をゆがめ、右手のひらで口を覆って痛々しい呻き声を上げた。
 その隙を見逃すような蛮骨ではない。
 すかさず背後から羽交い絞めにして、肘のところで男の首根っこを締め上げる。
「ぐぅ……」
 男が息を詰まらせて蛮骨の腕を握り締めてくる。
 蛮骨は、にんまりと笑んで、
「爺ぃ、見たよなっ」
 と、勢いよく後を振り返り、いきなりのことに茶店の戸の陰に隠れるようにしていた餅売りの老爺に言った。
「先に手を出したのはこっちの男で、それを俺が返り討ちにしたんだ」
 事実である。老爺もかくかくとあごを上下させて、冷や汗だらけになりながら頷いている。蛮骨は満足げにさらに口の端を吊り上げた。
「せめて人目がないところで突っかかってくりゃよかったんだ」
 男に向かって朗々と言う。
「これでてめえの一家は、三下どころか若頭まで人様の目の真ん前で七人隊にやられちまったってわけよ。しかも少なくとも若頭は返り討ちだ。この後てめえの親分が何言ってくるかぁ知らねえが、俺たちゃしっかり名ぁ売らせてもらったぜ。ありがとうよ」
「て、てめ……まさかもとから、俺が時任に入れあげてるてぇ知ってからこのつもりでか。それが狙いか」
「今更なに言やがる」
 今の蛮骨の顔は、
 悪党面
 と呼ぶのがまさに相応しい。
「時任一人に狂わされちまったてめえが悪い。いっとくが、俺はてめえと違ってもてるんだぜ。他にあと京だけで五人は女があらぁな」
 しかし、ふいにその凶悪な面を崩し、苦笑して、
「だいたいな、お時はおまえが思ってるよりずっと賢い女だぜ。俺たちみたいなよ、いつ死ぬか分かりゃしねえ男なんかに惚れるもんかよ」
 と、思いのほか優しい声音で呟いた。


「もう、兄さんたらあたしのお客さんにひどいことしないで」
 と、音羽山でのいきさつを聞いて時任はぷっと面を膨らませて見せたが、蛮骨は苦笑するばかりである。時任は今年で十八になる。女ざかりであった。
「それにしても……」
 時任は手の中で広げた蛮骨の扇を見つめ、溜め息をついた。
「これが月舟様の手なのねぇ。流麗だわ。素敵ねぇ。きっとご本人も素敵な方なんでしょうね」
「…おいおい」
「あらだって、月舟様はまだ三十そこらの方だと聞くもの」
 時任が小娘のように頬を染め、物想いにふけるさまは実に可愛らしかった。可愛らしかったから、つい手も伸びる。
「こんなときまで俺じゃないの男の話か」
 蛮骨に背から抱きすくめられて、時任は、小さく身をよじらせる。
「なあ、お時」
「いやあね、格好つけてもだめよ」
 笑いながら、時任は蛮骨の体のあらぬところに手を乗せてくる。
「ふふ」
 吐息が耳朶をくすぐる。
「ぅふふ……」
「なんだよ」
「何でもないったら……」
「ふん……」
 蛮骨は時任を腕に抱えたままごろりと仰向けざまに寝転がって、頭もとの灯明皿とうみょうざらの火を
 ふっ、
 と、吹き消した。何から何まで闇に隠れたが、じきに眼は慣れる。
 あとは、蜜月。

(了)