光る

「お~」
 蛇骨が嘆声をあげた。
「すげえ、綺麗じゃん」
 己の身にまとわりつく黄緑色の光を物珍しそうに見ている。
「蛍がそんなに珍しいかよ?」
 横を歩いていた蛮骨はそれを見て頬を緩ませている。
 手には酒瓶と、瓶子が二つ。
 蛮骨と蛇骨、二人連れ合って蛍でも肴に一杯、というわけである。
 やって来た川岸には、満天の星空のように蛍が明暗を繰り返しながら飛んでいる。
「珍しい、って程でもねえけどよ」
 蛇骨はかがみ込むと、近くの草むらにとまっていた一匹の蛍に手を伸ばした。
 両手で包むようにしてその蛍を掌へと納める。
 そっと手を開いてみて、少し顔をしかめた。
「なんだ雌か」
 蛮骨が覗き込んでくる。
「よく分かるな、んなこと」
「だってほら、あんま光ってねえだろ、この先の所が。雄はもっと光ってるからな」
 ちぇっ、と蛇骨は立ち上がると、放り投げるようにして手中の蛍を宙へと放した。
「相手が虫でも女嫌いは変わらねえってか。それにしちゃよく殺さなかったな」
 蛮骨が可笑しそうに言う。
「蛍って潰すとすげえ臭いがするんだぜ?」
 顔をしかめて蛇骨は応える。
「光ってるだけなら綺麗なんだけどさあ…」
「そりゃそうだろ。生きもんは皆そうじゃねえか」
「どういう意味だよ?」
「人間だって、どんなに外見そとみを飾っても、結局内側は血とはらわたの塊だろ。血生臭えだけさ」
「ああ、そういうこと」
 確かにな。
「そんなことより、早く飲もうぜ」
 蛮骨がその場にゆっくりと腰を下ろした。
 蛇骨も寄り添うように座り込む。
 蛮骨から瓶子を受け取ると、酒瓶も掴み取り、瓶の口を兄貴分の方へと差し出した。
「ん」
 蛮骨はただ黙って瓶子を持った手をそちらへ向け、その中に透き通った液体が溜まるのを眺めている。
 続いて蛇骨は自分の瓶子にも酒を注ぐと、その縁を蛮骨の持つ瓶子の縁へと当てる。
 蛮骨の瓶子が少しばかり傾けられ、その中身が蛇骨のそれの中へと流れ込んだ。
 蛇骨も同じようにして返す。
 そうしてから、二人は瓶子を口へと運んだ。
「あーっ! うめえっ」
 杯から口を離すなり、蛮骨は破顔する。
「やっぱ煉骨に無理言って高い酒買わせただけはあったなー」
「あー、煉骨の兄貴は財布の紐が堅えもんなあ」
 言いながら蛇骨は瓶子を持った手をゆらゆらと傾け、それにつられて動く水面を眺めていた。
 時折そこには黄緑色の光が映り、明暗を繰り返している。
「綺麗か?」
 蛮骨の視線はしっかりと彼を捕らえる。
「綺麗だよ」
「それ…その光は命なんだぜ」
「そうだな」
 光り終わったら、蛍は死んでしまう。
「馬鹿らしいと思わねえか」
「は?」
「他の虫は、光らなくたってもっと長く生きるじゃねえか」
「はー、まあ確かに蛍はすぐ死んじまうけどさー」
「人間だって、いくら生きてるとき立派でも、死んじまったら意味がねえ、そうだろ?」
「え? えーと……」
 蛇骨は一瞬返答に詰まった。
「…俺は、別に毎日楽しけりゃそれでいいけど……」
「死んでもか?」
「楽しく人生生きられてりゃ、そんなに思い残すこともねえし…」
「ふーん」
 蛮骨がふ、と目をそらした。
「うん…」
 なんとなく、蛇骨は居心地悪く感じていた。
 自分が悪いことをしたとは思わないが、どうも蛮骨は機嫌を損ねているように見える。
 なんだよ…俺なんか悪いこと言ったか? …
 蛮骨の目が、ゆっくりと蛇骨のほうへと向けられた。
「馬鹿野郎」
「なっ…」
「おめえはなんにも分かっちゃいねえ」
「そ…んなこと……なんでだよ」
「おめえはな、一番大事なことを忘れてるぜ」
「何」
「おめえは俺の物だってことだよ」
「へっ」
 ぽっ、と蛇骨の頬に朱がさす。
「あ、兄貴、悪いけど俺兄貴のことそんなふうにはまだ…でも兄貴がそう言うんなら…」
「馬鹿、勘違いしてんじゃねえ」
「…分かってるって」
「おめえだけじゃねえ、煉骨も、睡骨も、霧骨も銀骨も凶骨も、みんな俺のもんだ」
「うん」
「勝手になんか、死なせねえぜ? この世に未練があろうがなかろうが、三途の川からでも引っぱり上げてやる」
「…それ、我儘か?」
「さあな」
 蛇骨はくすりと笑った。
「我儘だな」
「さあな、って言ってるだろうが」
「兄貴は蛍みたいにすぐに死ぬのは嫌なんだろ? 俺たちにも、死ぬなってんだろ?」
「さーな」
「俺に言わせりゃ兄貴はよっぽど蛍みてえだぜ」
「…なんでだよ」
「確かに蛍はすぐ死ぬけどよ、それまで…それまでは必死だろ。光れるだけひたすら光って死ぬ、兄貴そっくりだぜ」
「……」
「ひたすらひたすら上を見てる兄貴にそっくりだ……だから、蛍は綺麗なんだよな」
「…馬鹿野郎」
 蛮骨はぷい、とそっぽを向いた。
 その頬は朱に染まり、手の平でそれを隠すように顔を覆っている。
 …あーあ。
 馬鹿な弟分を持っちまったもんだ。
 まったく…
「可愛い弟分持って幸せだろ、蛮骨の兄貴」
「っ、自分で言うなよ!」
「へへ…って、あーっ!!」
 蛮骨は傍らにあった酒瓶を一気にあおった。
「ずるいじゃねえか、大兄貴!」
「ふん」
 蛇骨は蛮骨が地に転がした酒瓶を取り上げると、ほとんど空になったその中を、少しくらい残っていないかと覗き込む。
「あーもうちっとも残ってやしねえ」
 名残り惜しそうに瓶の口を舐める蛇骨をよそに、蛮骨はすくと立ち上がる。
「さて酒も無くなったことだし、帰るぞ」
「飲んだのはほとんど兄貴だろー……ほら、あんな一気に飲んじまうからだぜ。顔赤くなってる」
「うるせえなっ、行くぞ!」
 …へいへい、と蛇骨は腰を上げた。
 我儘なんだから。
「あーあ、また煉骨の兄貴買ってくれねえかなあ」
「ま、無理だろうな。今度だってなだめてすかして、ようやっと折れたわけだし」
「ちぇー、俺ちょっとしか飲んでねえのに」
 我儘でもいいけどさ。
「どっかの殿さんにでもねだってみたらどうだ」
「やだよ、あんなオヤジども。どっかにイイ男の若殿でもいれば別だけどさー…そうだ、いっそ兄貴なれよ。そうすりゃ話は早え」
「やだね、面倒臭え」
 大兄貴だもんな…
 先程より、さらに蛍の数は増しているように見えた。
 儚い命。
 力強い、命の光。
 たとえあと数日の命でも。
 それが運命さだめならば。

 尽きるまで我儘に、その命を燃やして……

(了)