袖引く女

「お寺さんで、火事があったんだってなぁ」
 町の中は人の声で溢れていた。
「付け火だったんじゃねえかって……ちょうど今、俊三しゅんざ親分とこの若いもんが調べてんだろう」
「お客さんそりゃないよ、それじゃこっちが丸損で……」
白粉おしろいいらんかえ。唐渡りの白粉だよ。見ておくれこのきめの細かさ」
「親分も大変だよなあ。辻斬りもまだ捕まってねえっていうのに……」
「ちくしょう、てめえイカサマしてんじゃねえだろうな!」
「そうだな、大変だな。確か、お寺さんにゃ女童おんなわらわが一人預けられてなかったか」
「そうそう、それで火事のあと、そのガキの母御があんまり悲しくて後追って身投げしたとかいう……」
「お坊さま、どうぞ休んでお行きくださいな……」
「愛らしい男童おのわらわもおりまするぞ……」
「母御がいるなら、なんでその子は寺になんか預けられてたんだ」
「上等な組み紐が欲しいのだけど」
「さあ、そこまでは知らねえ……」
 夕刻である。
 日暮れまでは、まだだいぶ間があるが、風はもうひんやりとして冷たい。
 町の声は、右の耳から入っては左の耳から抜けて出て行く。
 目の前の辻を左に折れると、独特の白粉や紅の臭いが、つんと鼻につく。
 その通りを行く。
 赤や文様の派手な暖簾のれんをかけた店が、ぽつりぽつりと見え始めたと思ってもう少し先まで進むと、通りの両側はいつの間にやらそんな店が並ぶばかりになっている。
「お兄さん寄ってっとくれよぅ」
「こっちこっち」
「お坊さま」
「お坊さま。ご出家さま。温めた般若湯はんにゃとうもございますよ」
「愛らしい男童もおりまする」
「お兄さんてばぁ」
「旦那ぁ、今日はあたしの番だろ、ひどいじゃないか」
 むっとするような白粉の臭いが、一層濃くなった。
「お坊さま」
「お坊さま」
 という、やたらとつやっぽい呼び声と一緒に、両側の店の暖簾から白い腕が伸びてきて通りを行く俺の袖を掴もうとする。
 それに捕まらないように、どうにかこうにか逃れながら、進んでいく。
 青大将が水面を泳いでいくようにでもするすると動ければいいのだが、なかなかそういうわけにはいかない。
 伸びてくる腕を避け、振り払い、そうしてようやく次の辻が目に入った、その時であった。
「捕まえたっ」
 ぐっ
 と、いきなり小袖の袖の後ろを引っ掴まれて、
「あっ、わっ……」
 そのまま思いもよらぬ力で引っ張られ、退紅あらぞめ色の暖簾の掛かった小さな町屋の中に引きずり込まれる。
 しまった油断した……と思う間もそこそこ、背中から、のしかかるほどにして抱きつかれた。
 ぷん、と白粉の匂いがまとわりついてくる。
 背に女の柔らかい胸の膨らみがあたっていた。
「あらいやだ、丸坊主だったからご出家さまだと思ったのに、それにしちゃ随分俗っぽい」
 背の女は、俺の首元から前に身を乗り出してこちらを覗き込んでくるなり、そう言って笑った。
「…悪かったな、俗っぽくて」
 女が、逃がさないと言わんばかりに強く抱き締めてくるものだから、思わず口から溜め息が漏れる。

 女の名は、伊緒いお、というそうだ。
 小さな瓶子へいしを抱えて煉骨の傍に寄ってくると、その手の中の湯呑みに、酒を注ぎ足してやる。
 煉骨はそれを口に流し込んで、椀を干してから伊緒に向かって言った。
「おまえ、遊女にしちゃ随分とうがたってるな」
「……ひどいこと言うのねえ」
 伊緒がぷっと膨れてみせる。
「そりゃあたしはもう二十歳を四つも過ぎてるんですからね。大年増ですよ」
「まったくだ」
「……」
 伊緒が、いぶかしげに煉骨の顔を覗き込んできた。
「ねえお兄さん、女に嫌われるのが趣味なの?」
「そうだな、できれば嫌って俺をここから帰してくれればありがたい」
 と、言って、煉骨はまた湯呑みに注がれた酒を飲み干した。
「…なあんだ」
 にわかに伊緒が楽しそうな顔をして、煉骨の腕に自分の腕を絡めてくる。
「そういうことだったの。可愛いひとねぇ」
「……」
「よほどお急ぎなの?」
「別に急いでるわけじゃねえが、こんなところに寄るつもりなんてなかった」
「だったらこんな通り通らなきゃよかったんだわ。この辺りは、元締めの姐さんが所場代しょばだいにうるさいから、どこの傾城屋けいせいやも必死で客引きしてるんだよ」
「へえ」
 と頷いてから、煉骨は、
「ここにはおまえ一人しかいないのか」
 と、聞いた。
「そうだよ。こんな小さな町屋だもの。残念でしたね、もっと若くて可愛らしい子がいなくって」
 伊緒が意地悪そうな口調で答えるので、煉骨は、ふん、と小さく鼻を鳴らした。
遊女おんなの数は少ない方がいい。隣室となりで何人も聞き耳立ててると思うと、気が散って適わねえ」
 それを聞いて、伊緒はまた、楽しそうに笑った。
「やだ、本当に、顔に似合わず可愛いひとだこと」
「顔に似合わなくて悪かったな」
「何言ってるの」
 伊緒が、煉骨の首に正面から両腕を絡め、また口元に運ぼうとしていた湯呑みを遮るようにして、顔を鼻先まで近づけてくる。
「そういうところが可愛いって、言ってるのに」
 伊緒の顔が小さく斜めに傾く。
 まぶたを閉じながら煉骨の口元に唇で吸い付いてくる。
「…丸坊主でも、お坊さまじゃないのよね……あたしと寝ても、誰にも気兼ねすることなんてないのよね?」
 と、僅かに顔を離して、伊緒は念を押すように尋ねてから、唇をそのまま滑らせるようにして煉骨の頬の鮮やかな紫色の上に落とす。
 生暖かい舌の先が、そろりとそこをひと舐めする。
 煉骨は何も答えずに、手にしていた湯呑みを床に置いてから、その手で静かに伊緒の細い腰を掻き抱いた。
「ねえ」
 伊緒が、自身の眉間を、煉骨の同じところに淡く押しつけてくる。
「あたしのことは伊緒って呼んで」
「たった半時かそこらのことなのに、わざわざか」
「だってせめて気分くらい……」
 言いながらおもむろに懐をくつろげて、乳房の内側が覗くほどに前を開いてから、
「それとも誰か言い交わしたお人でもいるからお嫌なの?」
 少し目を細めるようにして、煉骨の双眸そうぼうを覗き込んでくる。
 そしてまた口を吸ってこようとするので、煉骨もそれにあわせてまぶたを下ろしてやった。
 舌の先を、伊緒の開いた口の中に、差し入れて、
「……ん」
 舌で舌をゆらゆらといらってやる。
 伊緒の細い腰が、きゅ、と強張った。
 そのままさらに、煉骨は、伊緒のくつろげた懐に右手を這い入れさせ、遠慮なく中をまさぐった。
「…お伊緒」
 これでいいのかと確かめるように、煉骨が伊緒の名を呼ぶ。
「はい」
 頬を緩めて嬉しそうに頷いた伊緒を、床に引き倒し組み敷く。

 時折、伊緒が絹糸のような細い声を立てる。
 このひとはお世辞にも優しくはない。
 けれどひどく手の先が器用だ。
 手のひらはざらついている。
 その手を、こちらから取って握ってみると、指は長くて骨ばっていて肌は荒れて硬い。
 顔はどう見ても堅気かたぎの男に見えないのに、手だけ見るとまるで職人か何かのように見える。
 そんな仏頂面で、手が硬くなるほど何か一つのことに打ち込んでいるところを思い浮かべると、どこか微笑ましかった。
 やっぱり可愛いひとだと思った。
 やがて……
 煉骨が、舟の櫓を漕ぐような決まった動きで腹から下を揺するようになると、伊緒は顎を仰け反らせるようにして、少し高い声であえいだ。
 遊女おんなはいく振りができる。男と違って。
 煉骨は、ゆっくりと溜め息をつく。
 本気なのか振りなのか、本当のことなど知れるものか。
 それでもしとどに濡れた女の中は絡みついてくるようで心地がいい。
 他人の肌も、たまには、悪くない。

「あたし子供がいるの」
 伊緒が、煉骨の首の脇に額を押しつけるようにして言う。
 煉骨は着ていた小袖を脱いで、寝転がっている自分の身体と、それに寄り添う伊緒の身体を覆うように掛けている。
「今年で四つになる女の子でね、可愛いのよ」
「へえ」
父親てておやはあの子が産まれる前に逃げちゃったけど……生まれのいいひとだったからしょうがないの。あたしみたいな女じゃお嫁様にはなれないの」
「……」
 煉骨が、ふっと眉を寄せて困ったような顔をしたのを見て、伊緒が苦笑する。
「いいのよ、慰めてほしいわけじゃないから。何も答えてくれなくていい」
「……」
「子供がいるっていっても、あたしはこんな仕事だから一緒に暮らせないでしょう? だから人に預けて面倒を見てもらってたんだけど……」
「だけど、何だ」
「…この間、その、子供を預けてたところが火事になって……それからあの子の姿が見えなくなって、しばらく会ってないの」
 ずっと捜してるのに見つからないのよ、と、伊緒は言った。
 息を詰まらせたような悲しげな声であった。
「だったらどうして、今もこんなことしてやがるんだ。ガキ捜しに行かなくて……」
 煉骨が問おうとすると、伊緒は小さくかぶりを振る。
「だって私が働くのをやめたら、どうやってあの子にまま食べさせてあげればいいのよ」
「……」
「まだ本当に小さな子なの」
「……」
「ねえお兄さん、もし、もしね、それらしい子を見かけたら、教えてくれない。あたしはたいていならここにいるから。あの子を捜しに出てる時以外は、いつだってここに……」
 いるから、と、言おうとした伊緒の言葉を遮る者があった。
「煉骨の兄貴」
 と、店の入り口の暖簾の下から、煉骨を呼ぶ声がある。
 煉骨のよく知った声である。
「何やってるんだ、こんなところで。大兄貴がお呼びだぜ」
 霧骨であった。
 独特のかれた声が低く中に響いてくる。
 煉骨がそちらを見ると、霧骨だけでなく、睡骨も暖簾の間から顔を突き出している。
 睡骨と霧骨が上下に並んださらし生首のようにこちらを見ている。
 睡骨が、
「兄貴が色町のど真ん中に隠れ家持ってるなんて、どうにもぴんとこねえな」
 と言って、首をひねった。
 煉骨は、まさかこいつら俺が情婦おんな囲ってるとでも思ってるんじゃ、と思い、
「隠れ家なんかじゃねえ。これはこの、お伊緒の店で……」
 と、そのお伊緒を指差して言ったのだが、しかし睡骨と霧骨はきょとんとしている。
「兄貴、誰のこと言ってんだ」
「お伊緒って?」
 二人が矢継ぎ早に聞いてくるので、煉骨は、
 えっ
 と思って、隣で確かに寝そべっているはずの伊緒の顔をまじまじと見つめた。

 丸焼けになった庫裏くりを見つめながら、煉骨は一人境内にたたずんでいる。
 まだ、その焼け跡から、焦げた臭いが漂ってくるような心持ちがする。
「…お待たせいたしました」
 ふと穏やかな男の声が聞こえて、そちらを見ると、まだ二十五、六かそこらの若い僧侶が姿勢を正して立っている。
「ああ……」
 煉骨が声を掛けようとすると、年若い僧侶はそれを制して、
「立ち話もなんでございましょう」
 と言って煉骨を本堂まで連れて行った。
 本堂で、二人は座して向き合う。
「…伊緒?」
 僧侶が少し驚いた様子で聞き返してくる。
「その女性にょしょうは、本当にそう名乗ったのですか」
「ええ」
「……」
「娘が行方知れずだと言っていました。預けていたところが、火事を起こして、それから姿が見えないと……」
 淡々と、煉骨は口を動かしている。
「それで、火事と聞いて、町でこちらのお寺のことが噂になっていたのを思い出しました」
「……そうでございましたか」
 僧侶は頷いた。
「確かに六日ほど前に、この寺から火が出たと聞いています。ご覧になったとおり、庫裏はすべて焼け落ちて、中にあった寺の者も皆焼け死んでおります。そのうちの住職が、わたくしの以前の師にあたりまして……ですからとりあえず今は、私が戻ってここを守っているのです」
「はい」
「住職の他には女童が一人おりました。確か今年で四つになる小さな女の子だったそうで……母親は遊女であったそうですね。自分は育てられないからと、住職に娘を預けていたのだと聞いています。しかしその母親も、二日ほど前に……」
「…我が子を亡くした悲しみのあまり、身を投げて自害したと聞きましたが」
「そうです。まだ若いひとでしたのに、近くの海岸から、海に……」
 もう、聞かなくたって分かっている。
 とは思ったけれど、それでも煉骨は口を開いた。
「その母親の名は」
「伊緒というひとでした」
 やはり。
「……」
 僧侶は、悲しげに言った。
「数奇なこともあるものですね」
 それから下を向いて、黙り込んだ。
 しばらくしてから不意に顔を上げ、煉骨の顔をまじまじと見る。
「お伊緒さんに、袖を引かれたとおっしゃいましたね」
「ええ」
「その、袖を引かれたというのが…ひょっとしたら、あなたさまとお伊緒さんがしゅで繋がったということなのかもしれません。だからこそ、あなたさまにだけ、お伊緒さんが見え、触れることもできたのかも」
「どういうことです」
「この世のものが私たちの目に映るということは、私たちが見るものに呪を掛けるということなのです。青い海は、私たちが青いと思うから青いのです。例えば少し気持ちが落ち込んでいる時には、海の色がいつもより暗く見えたりしますでしょう。触れるということも、耳で聞くということも、みな同じです。また見るものに呪を掛けるということは、そのものと呪で繋がるということでもあるのです。縁で繋がるのです」
 と、僧侶は少し分かりにくいことを語った。
 煉骨も顔をしかめる。
「よく分かりませんが」
「つまり、あなたさまには、お伊緒さんとのご縁があったということでございます」
「はあ」
「しかし、普通死人と縁のござる方など滅多におりません。万一あったとしても、相手はすでに死した者ですから……そういう者と呪で繋がっているのが良いことであるとは思えません」
「…悪くすると取り殺されるようなことになると?」
「さあ、それは、どうか分かりませんが……」
 また僧侶は悲しそうにうつむく。
「お伊緒さんがご成仏されれば、それが何よりかと存じますけれど、しかしお伊緒さんは、子供を捜している、と言っていたのでしょう」
「はい」
「我が子を失った悲しみのあまりに自害されたはずなのに、そのことを忘れて……いえ、忘れようとしているのでしょうか。どうしても我が子を取り戻したいと願うあまり、死して死にきれず我が子を捜し続けて……」
「さて、俺は独身ひとりみですから、そういうことはぴんときませんが…まあ、そうなのかもしれませんな」
「何か、お伊緒さんが素直にこの世へのこだわりを捨てられるような、良い手立てはないものでしょうか」
「とりあえず本当のことをいくら説いても無駄でしょうな。例え、もうおまえは死んでいるのだと教えてやったところで、死してなおこの世に残るほどの執念が、そう簡単に人の話に耳を傾けるとは思えない」
「そうですね……きっと、生きた我が子をそのかいなに抱くまで、ご成仏はされない……」
 と思います、という末尾の句を継ぐのも忘れ、僧侶は一瞬はっと目を見開いた。
「生きた我が子を抱くまで……」
 何か、思いついたらしい。

 客を帰して、伊緒はぼんやりと宙に視線を投げている。
 独りになると、我が子のことばかり考えた。
 今どうしているのかしら。
 怪我をしたりしていないかしら。
 泣いていないかしら。
 お腹を空かしていないかしら。
 寂しがっていないかしら。
 そんなことばかりが頭に浮かぶ。
 自然と目頭が熱くなってきてしまって、上下の歯をぐっと食いしばってこらえることになる。
 今にでも娘を捜しに飛び出したくなる。
 まぶたを強く閉じ、かぶりを振って、その気持ちを抑えた。
 今は夕刻だ。
 まだこれから客が増える時間帯である。外に出るわけにはいかない。
 特にこのところ、無理にでも通りを行く男の袖を引かないと客が店の中まで入ってきてくれないのである。
 中を覗いてもくれないのである。
 以前はこんなことはなかったのに、まるで誰もあたしのことが目に入っていないみたいだ。
「……」
 そういえば昨日寄ってくれた丸坊主のお兄さんのお仲間さんみたいな人たちも、あたしのことなんて見えていないような様子だった。
 なぜ。
 分からなかったけれど、でもそれがどうしてなのかを考えたくはないような気がして、なんとなく嫌な心持ちになる。
 すっきりしない。
 伊緒が、不快そうに目を細めて眉を寄せていると、不意に店の暖簾の外から声が聞こえた。
 名を呼ばれた。
「お伊緒」
 聞き覚えのある声だった。
「はい……ええと」
 確か……
「俺だ。昨日ここに寄った坊主じゃない丸坊主だ」
「ああ」
 ひょいと煉骨が暖簾の間から顔を覗かせた。
 生首みたいだ。
 と、伊緒はそれを見て思う。
「また遊びにきてくれたの?」
 煉骨は、細い目をさらに細めて、怒るでも、悲しむでも同情するでもない、なんとも言えない表情をして伊緒を見ている。
「遊びにきたわけじゃねえ」
 では何をしにきたのか。
「縁があったからな」
 と煉骨は言う。
「縁……?」
「ああ、そうらしい」
 ついと煉骨が伊緒から視線を外す。
「娘に会いたいんだろう、死ぬほど」
「……」
「会いたくないか」
 そう言われて伊緒は、はっとしたように、腰を上げて土間に下りた。
「…会いたい」
 恐る恐るというように、煉骨の方に歩み寄ってくる。
「会いたいよ。ねえ、ねえまさか……」
 しかしその時、煉骨は、目をそらしたまま静かに暖簾の外に姿を消してしまった。
「待って」
 慌てて、伊緒が追いかけようとする。
 とすぐに煉骨は、今度は身体ごと暖簾をくぐって、姿を現した。
 左手に、何か握っている。
「さあ、入りな」
 と言って、煉骨がその手を引いて中に招き入れたものを見て伊緒が、
「……」
 まるで、その場に気をなくして卒倒してしまいそうな、そんな表情をする。
 しかしたちまち顔をくしゃくしゃにして、破顔した。
 煉骨の左手には、小さな女の子の右手が握られていた。
 女の子が丸い目をぱちぱちとまばたかせながら煉骨の脚に寄りかかるようにして立って、伊緒を見つめている。
 伊緒が駆け寄ってくる。
「おサチ……!!
 そして伊緒がしゃがみ込んで、女の子を抱きしめた刹那……

 ふわり

 と、伊緒の身体は大気に溶けてなくなるように見えなくなってしまった。

 店の外から霧骨の声がする。
「優しーなあ、煉骨の兄貴」
 睡骨の声もした。
「さすがの兄貴も、一度寝たオンナにゃ情が湧くってもんか。ま相手が幽霊とはいえ」
「つーか幽霊と寝たっつーのがすげぇよなあ」
「寝られるもんなんだな」
 妙なことに感心している二人をたしなめるように、
「往来ででけえ声出してるんじゃない。やかましい」
 煉骨が、暖簾をくぐって伊緒の店から外に出てきた。
 左手に、小さな子供ほどの大きさの、わらでできた人形を抱えている。
 人形の腹の真ん中辺りには、「サチ」という女の名と他に何かよく分からない呪文のような模様のようなものが描かれている札が貼り付けてある。
「その人形、どうするんだ」
 と、睡骨が尋ねると、煉骨はくるりときびすを返しながら、
「寺の坊主に渡せばいいだろう。あの男が作ったんだから、あの男に預ければいいように片付けるだろうよ」
「寺って、町外れのこないだ火事起こした寺か」
「ああ」
「今から行くのか」
「行く」
 言いながらも煉骨は、もう足早にその場から去ろうとしている。
 霧骨がその背に向かって言った。
「女ぁ成仏させてやるなんてよ、意外と優しいよな」
 煉骨がぴたりと足をとめて、二人を振り返る。
「誰が優しいんだ。こんなもんで」
 と言って手にしている藁人形を持ち上げて見せる。
「女ひとりだましてやっただけじゃねえか」
 人形を下ろして、
「こんな人形をてめえのガキと見間違って、勝手に逝きやがったんだ、あの女はよ」
「……」
 またきびすを返して、煉骨は歩きだした。
 霧骨がなにやらあらぬ方向に視線を投げて、ふう、と息をつく。
「ったく、兄貴もあれで案外可愛かあいいんだからよ。素直じゃねえよな」
 煉骨に聞こえないように小声で呟いてから、
 なあ
 と睡骨に同意を求めると、睡骨もちょうどやはりあらぬ方角に目線を遣って、小さく息をついたところであった。

(了)