春雷

 霧骨が、顔を隠していた白布の結び目を解き両端をそれぞれ右手と左手で握り、器のようにして持つと、
「安く賭けんのはなしだぜ。さあ蛇骨が勝つか睡骨が勝つか、張った張った」
 と言って、銀骨と凶骨に向かってそれを差し出す。
 銀骨と凶骨は各々手の中の金子を霧骨の手にしている白布の中に放り込んで、
「睡骨」
 と凶骨が、
「蛇骨」
 と銀骨が言った。
 そして霧骨も懐から銭を取り出してそこに入れると、
「じゃあ俺は睡骨」
 と言って、中庭にいる蛇骨と睡骨の方に向き直る。
 ここしばらくねぐらにしている、山中の破れ寺の中庭とそれに面した濡れ縁に、五人は集まっている。
 もう日暮れ前の夕焼け時で、時々春疾風はるはやてが強く吹きつけてくる。
 蛇骨が口を尖らせて、濡れ縁に固まっている三人に向かって文句を垂れる。
「なんだよてめえら、小銭ばっかりじゃねえか。鐚銭びたせん混ぜてんじゃねえだろーな」
 鐚銭とは質の悪い銭のことで、貨幣として価値の低い銅銭のことである。
「だいたい俺に賭けんのは銀骨だけかよ」
 蛇骨と睡骨は、雑草で荒れた中庭で向き合って、双方もろ肌脱ぎになって鳩尾みぞおちから下にさらしを巻いているところであった。
「だってよ」
 霧骨が言う。
「やっぱ組み手にゃ、睡骨が有利だろうよ。体格がまず違うじゃねえか」
「けっ、言ってろよ」
 ぜってー損させてやる、と蛇骨が霧骨を睨んだ。
 蛇骨より先にさらしを巻き終わった睡骨が、着物の袖に腕を通しながら、
「それよりおまえら、ちゃんと俺か蛇骨……組み手やって勝った方にも取り分寄越せよ」
 と、言うと、
「分かってるって」
 霧骨が頷く。
 睡骨は着物の襟を正すと、足元に放ってあった長紐を取り上げて片端を口に咥え、手早く襷掛けをした。
 蛇骨はそうではなくて、もろ肌脱ぎにした小袖の袖を腹の前に回してそこでぎゅっと結ぶ。
 そしてこれは二人とも、小袖の裾は両からげにして腰の帯にしっかりと挟んでおく。
「どうせ、今夜は兄貴たちは帰ってこねえよなぁ」
 その時不意に銀骨が口を開いた。
「大兄貴が文句言いそうじゃあねえか、兄貴たちがいねえ間にこんなことしてたって知ったら」
「何て」
 と霧骨が尋ねると、銀骨が、ぎし、と苦笑いした。
「俺も見たかった、ってよ」
「ああ、そりゃそうかもなぁ。まあでも、兄貴たちはどうせ黒田んとこで酒でも飲ませてもらってんだろうけどよぅ、俺ぁそっちの方が羨ましいぜ」
「それもそうだな」
 銀骨がまた苦笑いする。
「おい蛇骨、睡骨、用意いいか」
 と霧骨が聞けば、
「おう」
「ああ」
 と、蛇骨と睡骨は頷いて返事をする。
 腹部にさらしを巻いたのは、打撃から内臓を守るためである。
 霧骨がさらに言う。
「先に三本取った方が勝ちだぞ。地面に倒してとどめぇ刺すところで一本な。ナニを思いっきり蹴んのは無しだぞ。潰れてもいいなら別に構やしねえが」
「冗談じゃねえ」
 言うなり蛇骨が足を開いて腰を落とし身構える。
 睡骨も同じように構え、さらに一歩前ににじり出た。
「……」
 そのまま、三つ四つ数えるほど睨み合って、
「……」
 先に動いたのは睡骨であった。
 蛇骨の喉を狙って右腕で鋭く正拳を突き出してくる。
「ちっ…」
 蛇骨は軽く半身をひねってそれをよけつつ、さらにその突き出してきた睡骨の右前腕を左手で掴んで、
 ぐ
 と自分の方に引き寄せてきた。
 引き寄せ、睡骨の左脛に右足の甲で一撃を加えるつもりであった。
 しかし、
「……」
 睡骨の方が速い。
 まず脛を守るように左足を後に引く。
 次に掴まれている右腕の手首を外に向かって返し己の身体に引きつけながら、肘骨ひじぼねを体重を掛けて蛇骨の左肘内側に押しつけ、
!?
 肘関節をくだき落とす。
 そうして蛇骨の左腕が、かくん、と曲がって離れ、体勢を崩したところをすかさず腕を取ってねじり上げ地面に押し倒す。
 右掌底しょうていの脇を、はずみをつけて蛇骨の首の後ろに

 とん

 と、軽く落とした。
「…一本だな」
 ふん、と睡骨が笑うと、
「ちっ」
 蛇骨が舌を鳴らした。
 睡骨の腕を振り払うようにして立ち上がる。
「次いこうぜ、次」
 炯々けいけいと光る眼で睡骨を睨みつけ再び身を構える。


 あれは……
 あれは、蛇骨が、やっと十八歳になった春のことであった。
 その日は雨が降っていた。
 雨粒が、もう、一本の透明な紐に見えるくらいの豪雨であった。
 天から地面に叩きつけてくるような雨である。
 ざあ……
 という雨音に混じって、
 ばちばち
 ばちばちばち
 と、雨粒が草木を叩き飛沫しぶきを上げる音が聞こえる。
 同じような音を立てて、蛇骨の身体にも頭から雨粒が叩きつけられている。
 辺りを山で囲まれた、そう広くない平地には春になって芽を出した野の草がびっしりと生い茂っていた。
 蛇骨から三間(約五・五メートル)ばかり離れたところに、男が立って、腰を落として身構えている。
 こちらを睨んでいるのであろうが、雨が酷くて顔も見えない。
 分かるのはその男の体躯と手にしている得物くらいである。
 背が高い。蛇骨よりも身の丈は大きいだろう。
 多分がっちりした体つきをしている。
 諸手もろてに鉤爪のようなものをはめているらしい。
 雨の中でも、鋼が鈍く光って見える。
 蛇骨はいつものように右手に蛇骨刀をげていた。
 足を開いて姿勢を下げ、目の前の男を睨みつけている。
「……」
 蛇骨は珍しく躊躇ためらっていた。
 今にでも、斬りかかって斬れないことはないだろう。
 男は十分に刀の射程内にいるし、逃がさない自信はある。
 しかし自信がないのは、その逆のことが起きたらどうするかであった。
 つまり、男が刀から逃げずに、逆にこちらの懐に飛び込んできたらどうするかということである。
 蛇骨の刀は懐に入られると弱いのである。
 射程を長く作られているのが仇になって、刃が伸びきっている時に接近されると困る。
 せめてその時、右腕を振れるほどの距離の余裕を取れれば、反撃できるが、密着されるくらい近づかれると蛇骨刀は無力である。
 利き腕が自由でなければ刃を引き戻すこともままならない。
 それで問題は、この目の前の男が、いかにも懐を狙ってきそうなことであった。
 まず男の得物が鉤爪である。これでは接近戦をしかけますよと言っているようなものではないか。
 それに、身構え方などを見ると、どうも男はこの手のことについて素人ではないように見える。
 それは男の方でも同じように感じているのであろう。
 蛇骨の得物や力量を警戒しているからこそ、身構えたまま未だかかってこないのであろう。
「……」
 このどしゃぶりで視界が悪い間は動きたくなかった。
「……」
 お互いに睨み合ったまま、ただ雨に打たれている。
 そうして……
 そのまま、小半時(約三十分)ほどは睨み合っていただろうか。
 不意に、雨足が和らいできたような気がした。
 気のせいではあるまい。
 先程までは身体に叩きついてくる雨粒が痛いほどであったのに。
 天から降ってくる雨の筋が次第に細くなってきたのが分かる。
 ばちばちと野の草を叩く音も小さくなって、だんだんと、視界も開けてくる。
 眼前の男の姿が、はっきりと捉えられるようになってくる。
 いい男だったらいいな。
 と、蛇骨は頭の隅で考えた。
 むせ返るような青草の匂いと、雨の匂いが交じり合って大気に溶けている。
 遠くの空で、低く響く雷の音が聞こえた。
 春雷しゅんらいだ。
 それを合図にするように、蛇骨刀を振り抜いた。
 男に向かって、
 しゃっ
 と一直線に刃が伸びていく。
 男は蛇骨刀の思わぬ動きに一瞬驚いて身体を硬直させかけたが、
「……」
 すぐに平静さを取り戻すと、飛んでくる刃の横をすり抜けるように、膝にばねを利かせて蛇骨の懐に跳び込んできた。
!!
 ちくしょう、やっぱり来やがった……
「…あっ!!
 蛇骨刀を振り切って伸びた蛇骨の右腕を狙って、男が肘を横に突き出してくる。
 よけ切れず、男の肘が蛇骨の右肘関節を強烈に一撃した。
 その衝撃で蛇骨の手から刀が吹っ飛んで、伸びたまま戻らなかった刃がじゃらじゃらと地面に落ちる。
 蛇骨が体勢を崩したところを、さらに男は一歩踏み込み蛇骨の顎の下を狙って右鉤爪の先で突き上げてくる。
「っ……!!
 それをどうにかよけると、蛇骨は後ろに大きく下がって一旦男との間に広い間合いを取った。
 取り落とした愛刀に一瞥いちべつをくれて、忌々しげに顔を歪める。
 それから改めて男を睨みつける。
 男の得物は諸手の鉤爪だが、双方とも手から離れることがないように篭手こてのようなもので手首に固定されているらしい。
 これでは、今自分がそうされたように、得物を手から叩き落してやるようなことはできないではないか。
 ぐ
 と音がするほど、蛇骨は上下の奥歯を強く押しつけ合って、歯噛みをした。
 男が再び間合いを詰めてくる。
 今度は喉を狙って爪を突きこんで来る。
 さっき顎を狙われたときと、ほとんど同じ軌道で腕が伸びてくる。
 蛇骨は、今度はやや余裕をもって、横に首をそらしてそれをよけた。
 が、
!?
 男はその動きを読んでいたように、表情一つ変えず、突き込んだ方の手の指を開き蛇骨の肩をしっかと掴んだ。
 さらに同じ腕の肘を残りの手で取られる。
 まずい。
 このまま腕をねじられたら……
「くそっ!!
 蛇骨は咄嗟とっさに身体を引き、掴まれている腕と同じ側の足のかかとで男の膝を思いっきり蹴り付けた。
 一度で男が離れなければ、地面に着いた方の足で体重を支え腕をねじられないように踏ん張りつつ、二度、三度と蹴る。
 四度目になってさすがに男も足の位置を崩した。
「…ちっ」
 蛇骨の肩と肘から手が離れる。
 だがまだ男は諦めなかった。
 すぐに次の動きに移る。
 自分も膝を蹴られて体勢を崩しているのを逆に利用して、蹴りつけてきた格好のまま持ち上がっている蛇骨の脚を片腕で抱え込むなり、そのまま前に体重を掛けて押し倒そうとしてくる。
 男に体格負けしている蛇骨は分が悪い。
 しかも慣れぬ接近戦と緊張からくる息があがるほどの疲労も重なっているから、尚更である。
 男の体重に脚がこらえ切れずに背から地面に倒れ込んだ。
 …野郎に押し倒されるなんざ何年ぶりか。
 ガキの頃じゃああるめえし。
 男が蛇骨を押さえつけて得物で喉を突こうと狙ってくる。
 両手を男の左手で押さえられ、左脚の上には身体ごと乗りかかられている。
 蛇骨が自由に動かせるのは唯一右脚のみである。
 ならばと蛇骨は右脚を曲げ、軽く横に開くと勢いをつけてその膝を男の脇腹に叩き込む。
「ぐっ…」
 痛みに怯んだ男を一気に跳ね飛ばして、蛇骨は立ち上がった。
 押し倒されるのに慣れてて良かったなんて、思う日が来るたぁな。
 荒くなった息をつきながら、少し離れたところに落ちていた蛇骨刀を拾い上げ、柄で、蛇骨を追うように立ち上がろうとした男の後頭部を一撃する。
 鈍い音がして、昏倒した男が前のめりに倒れる。
 ついでに股間に蹴りの一つも入れておいてやろうか、とも、思ったが、
「……」
 いやそうする体力も今は惜しい。
 蛇骨は、伸びきった蛇骨刀の刃を一枚ずつ拾い上げて刀に収めると、それからおもむろに倒れている男の髪の毛を掴んでその顔が見えるようにぐいと引いた。
 改めて、まじまじと男の顔を見つめる。
「…可愛くねえ」
 なぶってもしょうがない。
 迷わず刀の腹を男の首の後ろに押し当てた。


 睡骨が、蛇骨の左肩と肘を取ってねじり上げようとする。
 それを両脚を踏ん張ってこらえながら、蛇骨は睡骨の着物の肩を掴んでいた右手を離し、四指を曲げて強く握った。
 あの十八の春から、そう長い年月が経ったわけではない。
 肘をたたみ睡骨の左こめかみ目掛けて握った小指の脇を鋭く打ち下ろす。
 睡骨はなまじ蛇骨の腕を掴んでいたばかりに逃げ場がなく、
「ぅっ…」
 頭蓋に響く打撃をまともに食らって身体の重心を崩した。
 蛇骨がそのまま前に体重を掛けて、睡骨を地面に倒そうとする。
 しかし、
「っ!?
 睡骨の手が思わぬところを掴んできた。
 腹に巻いたさらしの隙間に両手の指を掛けてぐっと握られる。
 蛇骨の体勢が崩れる。
 睡骨が押し倒された勢いを奪って逆に蛇骨を投げ飛ばそうとする。
 いわゆる、柔道でいうところの巴投げのような格好である。
 蛇骨のさらしを掴む腕をしっかり引きつつ、自分は背から地面に向かう。
 崩れた体勢から投げに入る不安定をなるべくなら小さくしたい。
 ならば。
「……」
 睡骨は右脚を振り上げて、その足で蛇骨の身体の下腹と股間の間辺りを押し上げ一気に引っ張り込んだ。
 そうして投げに入ってしまえば腕力のあるもの勝ち、睡骨に利がある。
 受け身を取りつつも派手に落下した蛇骨を押さえ、うつ伏せにして後頭部を押さえる。
「二本目だ」
 軽く息を上げながら、睡骨が言った。
 倒された蛇骨も呼吸が乱れ出しているのが分かる。
「…次だ」
 蛇骨は睡骨の手を振り払うなり立ち上がって、また体勢を整え直す。
 そして睡骨が身構えたと知るや、膝のばねで睡骨の懐に跳び込んでくる。
 正拳に握った両手を、肘を曲げて前腕を立て高い位置で構える。
 右の拳が顔面に来る、
 と、睡骨は思った。
 それなら逆に伸びてきた腕を取って引き倒してやればいい。
 蛇骨が僅かに右肩を引いた。
 来る。
 いな、睡骨の意に反して蛇骨の右腕は伸びてこない。
「なっ…」
 読み違えたのか。
 一瞬睡骨が硬直したところに、蛇骨はしっかりと狙いを定めてくる。
 右拳ではなく、右肘であった。
 蛇骨が、右腕を曲げたまま身体ごと左に大きく捻るようにして、睡骨の左顔面に右肘を叩き込んだ。
 軽量な者が打っても、肘撃ちというのは強烈なこと限りないものである。
 蛇骨の全体重が掛かったそれを受け流すこともできずに食らって、睡骨が横から地面に叩きつけられんばかりに倒れた。
 その首の後ろを、すぐさま蛇骨が掴む。
 低い声で言う。
「…なめんなよ」
 ちっ、と睡骨が舌を鳴らした。
 すると、濡れ縁から嘆声が上がった。
「やるじゃねえか、蛇骨の野郎」
 霧骨が関心したように言う。
「どー見たって睡骨に体格負けしてやがるくせに」
「まあ軽い分動きが速えってことだなぁ」
 そんなことを呟きながら、凶骨が食い入るように庭の二人を見ている。
 蛇骨も睡骨も立ち上がって向き合い、腰を落とし身構える。
「でも蛇骨はやっと一本だ。睡骨はあと一本で三本だからな」
 という霧骨の言葉を合図にするように、蛇骨が睡骨の肩と懐に掴みかかった。
 膝で脇腹を狙おうと、脚を小さく引いて勢いをつけようとしたが、
「甘いぜ」
 すかさず睡骨が腰を前に出しながら片足を蛇骨の脚の間に入れる。
 脹脛ふくらはぎで蛇骨の右脚を外側に押しやり、膝を前に打てないように広く脚を開かせた。
「っ……」
 さらに動きを緩めることなく、睡骨は、両手を蛇骨の両腕の間にくぐらせ、
「…あっ!?
 その手の親指と残りの指で、蛇骨の左右の鎖骨をそれぞれ掴む。
 濡れ縁から霧骨が、それを見て少し呆れた声を出した。
「出るぞ裏技が」
 掴んだ鎖骨に、身長差を使って上から遠慮なく体重を掛ける。
 すると……
「ぁ、う……っ!!
 蛇骨が歯を食いしばってうめいた。
 掴まれているところに激痛が走り息が詰まる。
 まさに睡骨に上から潰されるように、膝が曲がって姿勢が崩れる。
 それでも抵抗しようと睡骨の腕を掴むには掴んだが、手に上手く力が入らない。
「おい睡骨ほどほどにしとけよ、蛇骨の骨がもたねえんじゃ……」
 霧骨がやはり呆れて言いかけたのを最後まで聞くことなく、睡骨は蛇骨の鎖骨から手を離して、先程蛇骨の脚の間に入れた脚で内側から脚払いを掛けた。
 蛇骨が背から地面に倒れ込むと、両手と左脚を押さえて組み敷く。
 …十八の春あのときの殺し合いじゃあるまいし。
 蛇骨が血走るほどの眼で睡骨を睨みつける。
 右膝を開き勢いをつけて睡骨の脇腹を狙った。
 しかし、
「…あのとき」
 蛇骨の膝が打ち出される前に、睡骨の左足裏がその膝を押さえつけ、動きを止めた。
「こうして俺が脚を押さえてたら、おまえ死んでたな」
「……てめっ」
 蛇骨の右頬に拳が飛んでくる。
 骨と骨のぶつかる、くぐもった音がした。
「さっきのお返しだ」
 そう言って睡骨は、蛇骨の身体をひっくり返すと首の後ろを押さえる。
「俺の勝ちだな」
「…くそっ」
 蛇骨が半身を起こすなり、睡骨に食って掛かる。
「てめえまだあん時のこと根に持ってやがんのかよ」
「別に根になんか持っちゃいねえが」
「なんだよちくしょうめ……」
 面白くなさそうに、蛇骨がそっぽを向く。
「てめえだって、あのとき兄貴たちが俺をとめなきゃ死んでたんだ」
「ああ」
 頷きながら、睡骨は深く呼吸をして息を整えている。
「そりゃあそうだが、蛇骨おまえなに怒ってやがんだ」
「おまえに負けたのが口惜くやしいんだろう。一本しか取れなかったしよ」
 と濡れ縁から言ったのは、銀骨であった。
「今日は勝てるかと思ったけどな。あの肘撃ちも結構強烈だったしよう。なあ蛇骨」
「うるせえな」
 蛇骨は地べたにあぐらを掻いて、すっかり拗ねている。
「ちぇっ……」
「ま、次は儲けさせろよ」
「わーってるっつーの、ちくしょう」
 せっかく酒が飲めると思ったのに、と、蛇骨が不貞ふてた口調で呟いた。
「……」
 そんな蛇骨の様子を濡れ縁から眺めていた霧骨が、急に何か思いついたように、
「…ああ」
 と、語り出す。
「なるほど兄貴たちも考えたもんだな。とてもじゃねえが蛇骨おまえ、素直に黙って他人に組み手の稽古つけてもらうような神妙な野郎じゃねえもんなぁ」
「どーいう意味だよそりゃあ」
 睡骨が、ふん、と笑った。
「俺と初めにやった時よりだいぶいろいろマシになったってことだろうよ」
「……」
「俺を殺す前に兄貴たちがとめに入ってて良かったじゃねえか」
「…それ、俺のこと誉めてるつもりかよ」
「誉めてるぜ」
 蛇骨が、
「けっ」
 口を尖らせて、
「俺に最初は負けたくせに何言ってやがる」
 と、悪態をついたが、それがいかにも照れ隠しのようで、睡骨も濡れ縁の三人もやれやれと苦笑いした。
 幸いというか、ちょうど日暮れで辺りが赤く染まっているものだから、
「なに笑ってんだよ」
 と蛇骨が四人の方を振り返っても、顔の色ばかりは、はっきりと知れることはない。
 その時であった。

 びゅっ

 と一陣の疾風はやてが各々の身体の間をすり抜けて吹き上がっていく。
「…兄貴たちは今ごろ何やってんだかなぁ」
 銀骨が、ぽつりと呟いた。
「春だからなあ、酒も食うもんもうまい時季だし……」
 霧骨が笑う。
「案外大兄貴が大酒飲んで酔っ払ってよ、煉骨の兄貴に抱えられて帰ってきたりしてなぁ」
 まあ実際のところ、似たようなものである。
「…なんてまさかな。それよりせっかく賭けに勝ったんだ。なあ凶骨睡骨、一杯飲みに行こうぜ」
 あまり楽しそうに霧骨が言うので、また蛇骨が口を尖らせた。
「ああ良かったな。勝手にしろよ、酒なり女なり……」
 疾風の余韻のような春風が、身体を撫で髪や着ている物をなびかせていく。
 そんな春の夕暮れであった。

(了)