再見

 ちらちらと小さな白い粒が舞い降りてくる。
 濁った灰色の空から、爪の先程の雪が降りてきて、手のひらの上でするっととける。
「俺が和尚様から果宋の名を貰ったのも、ちょうどこんな雪の日であったよ……」
 果宋はどこか遠くを見るような目をして、そう呟いた。
「俺は洞山三頓どうざんさんとんの公案を持ちかけられたんだ」
「はあ」
 煉骨があまり興味の湧かない様子で頷いている。
 だが果宋は気にしないらしい。
「洞山三頓の公案を知ってるか。無門関むもんかんの第十五則だ」
 と、続けた。
「名前だけは知っていますが……」
「かの昔、唐土もろこしに洞山という僧がいて、それが師匠に怒られる話だ」
 という果宋の説明は、かなり大雑把なものである。
 公案とは、いわゆる禅問答のことで、古き師ともいえる昔の禅僧たちがかわしてきた問答のことをそのように呼ぶ。
 無門関というのは、その中のいくつかの公案について解説した教科書のようなものである。
 だが得てして禅問答というのは理屈で答えが見つかるものではなく、その無門関に納められている公案も、普通の人間からみれば何故そういう話になるのかさっぱり分からないというようなものが多い。
 無門関第十五則、洞山三頓の公案とは次のようなものである。
 昔、洞山という禅僧がいて、この洞山には雲門という師匠がいた。
 洞山が長い長い旅路を経て雲門に参謁さんえつした時、雲門は洞山にこう問うた。
「最近お前はどこに居たのか」
 洞山はこう答えた。
査渡さどにおりました」
「この夏はどこで修行していたのか」
湖南こなん報慈寺ほうじじです」
「いつそこを経ってきたのか」
「八月二十五日です」
 これらの洞山の答えを聞いて、雲門はこう言った。
「お前に六十棒を与える」
 六十棒を与える、すなわち棒叩きにするということである。棒叩きにしてやりたいと雲門は言ったのである。
 こう言われて洞山は戸惑った。
 自分は問われたことに素直に答えただけで、何故棒叩きにされなければならないのか皆目分からない。
 そんな思いを抱えて眠れぬまま一晩を過ごした。
 そして翌日、考えても考えても雲門の言葉に納得がいかなかった洞山は、再び雲門のもとへ現れて、
「昨日、和尚様は私に六十棒を与えるとおっしゃいましたが、私の何が間違っていたのか分かりません」
 と、言った。
 すると雲門は、
「このごくつぶしめ! おまえは江西湖南をそのようにしてうろつき回っていたのか!」
 と洞山を叱りつけた。
 この瞬間、洞山は大悟たいごした、つまり悟りを開いたのであった。
 とまあこれが洞山三頓の公案である。
「その洞山三頓に、果宋さまはお答えになったのですか」
 煉骨が部屋の中から、縁側で胡坐あぐらをかいている果宋に向かって尋ねた。
「答えた」
「そうですか」
「和尚様は、別に俺が公案に答えることを期待していたのではなかったのであろうな。雑談の最後に冗談でも言うように尋ねられた」
「何と答えたので?」
「俺はな、唐土の古典が結構好きなんだ」
「はあ」
「それで、こう答えた」
 そう言ってから果宋は、一息ついて、
「かの宋の国の最果ての果てでは、今こうして雪が降り積もっております」
 と、よく通る声で言った。
「……」
「煉骨、おまえこの意味が分かるか」
「…いえ」
「分からぬなら分からぬでよい。まあともかく、和尚様はそれで俺を認めてくださったのだ」
「それで、名を頂いたと」
「そう。宋の最果て、から転じて果宋という名を……」
「そうでしたか」
「だから、別に昔のように堂山どうざんと呼んでくれてもいいぞ」
 …前の科白せりふと「だから」が繋がってねえよ。
 と煉骨は心の中で呟きつつ、
「しかし果宋さまが存外まともに禅の修業をされていたことがあったとは、知りませんでした」
 幾分嫌味を込めて言った。
「何を言う。俺はいつだって真面目に坊主をしているぞ」
「ご冗談を」
「ばか、本当だ」
 果宋堂山は、少しむっとした声を出した。
「では思いっきり貯め込んでいらっしゃるものはどう説明なさいます」
「貯め込んでいるわけではない。勝手に貯まるんだ」
「詭弁を……」
「いいか煉骨、金というのは使うためにあるんだぞ。使われて、人から人の手に渡るためにある。だから、俺の持っている金は金としてまっとうではないんだ。あまり使われていないからな」
「では使ってはどうです」
「使い道を思いつかん」
「何なりとあるでしょう」
「ないよ。飯だって、米以外はほとんどを寺の畑でまかなえるし、酒も飲まぬし女も買わん。暇なときには座禅でも組んでいれば俺は満足だ」
「……座禅を組んで瞑想でもされるんですか」
「いや瞑想というか、まあ、いろいろと楽しいことを考えてだな……」
 何だその、楽しいことって。
 それのどこが座禅なんだ。
「ああ、勿論、真面目に座禅することもあるぞ」
 今更言っても遅いであろう。
 煉骨が疑わしげに果宋に視線を向ける。
「果宋さまが何とおっしゃろうと、世間はごうつく坊主だと思っていますよ、あなたのことを」
「俺は気にしないから構わんよ。それに俺は金はあまり使わんが、商売は好きだからな。さまざまな人間に会えるというのが何とも楽しい。…しかしまあ俺が金を持っているというのは本当だしな、周りの目は冷たかろうよ」
強請ゆすりたかりまでやっていらっしゃると聞きましたが……」
「俺が何も言わなくても向こうが勝手に金持ってやってくるんだ」
「…よくもまあぬけぬけとおっしゃいますな」
 呆れ果てて煉骨が溜め息をつく。
「そんなに金が余っているのなら少しくらい分けてくださいよ」
「それはできん。今でさえおまえには硝石も鋼もくれてやっているし、商人も紹介してやっているし、十分すぎるほど援助してやっているじゃないか。そりゃおまえは可愛いぞ。可愛いからいくらでも援助してやりたいよ。だがな、甘やかすのは良くないと思うんだ。だから、これ以上何かして欲しければ、おまえの方でそれ相応の見返りを用意するんだな」
「……」
「ちなみに春を売ってくれるのは今後も大歓迎だ」
「…果宋さま」
「何だね」
「それでどこが、真面目に坊主してるっていうんです」
「何を言うか。この俺の厳しさはいたって禅的ではないか」
 いけしゃあしゃあと果宋は言ってから、よっこらしょとその場に立ち上がり袖の雪を払うと、叉手しゃしゅをして部屋の中の方へと戻ってくる。
 叉手というのは、果宋の宗派の場合左手で真っ直ぐ伸ばした右手の四指を覆い、親指を組み合わせてからその手を胸の前に置く、という僧が立って歩く際の作法のことである。
 果宋は煉骨の正面に腰を下ろすと、
「それで? 今日は何をしに来たんだ」
 と、尋ねた。
「おまえ自ら進んで俺を訪ねてくるとは珍しいじゃないか。まだこの地をっておらなんだな」
「ええ」
「用事は? まさか風呂を借りに来ただけじゃないんだろう」
「まさか」
 煉骨は手の中に広げていた濡れた手拭を軽くたたんで、身体のわきに置いて居住まいを正した。
「じゃあ何だ」
「実は……」


 しかし、そう言ったきり煉骨は黙り込んでしまった。
「うん? 何だ」
「いえ、あの……」
「何なんだ、はっきり言え」
「その、金の話なんですが」
「おう、金か」
 金をどうするんだ、と、果宋が尋ねると、
「金を…少しばかり貸していただけないかと思いまして」
 と、煉骨は困ったような表情で答えた。
「少しって、どれくらいだ」
 これくらい、と言って煉骨が、右手の人差し指と中指を立てて果宋に見せる。
「二貫文かんもんか」
「いえ」
「では二十」
「もう一声」
「……二百か」
「まあそんなところで」
 にわかに果宋の表情が曇る。
「何に使うんだ。大金じゃないか」
「具体的なことは話せませんが、今度向かう国で仕事をするのにどうしても必要なんです」
 二百貫文とは二十万文のことで、現代の価値に直すとおそらく八百万円以上くらいにはなるであろう。
きんで払っても六十両以上だぞ、いくら仕事だからとはいえそんなに……」
「そこを何とか」
「……」
 ふうむ、と、果宋は溜め息をついて、膝に肘を着いた右手の甲の上にあごを乗せた。
「…第一、おまえそんなに借りて返すあてがあるのか?」
「……」
「とても傭兵稼業だけで返せる額ではないだろうが」
「…一度に返すのは無理ですが、少しづつなら」
「ばか、そういうのは、少なくとも日々の命が保証されている人間しか相手にせんわ。おまえのようないつ死ぬか分かったもんじゃない男に、毎月少しづつ返しますから、はいそうですか、で貸せるか」
「……」
「かといってそんな大金、くれてやるわけにもな」
「…半分なら、一括して返せます」
「残りの半分はどうするつもりだ」
「何とかなりませんか」
「何とかしてほしいのか」
「はい」
 ふうむ、と果宋はもう一度溜め息をついた。
「おい煉骨、俺はさっき言ったぞ。俺の力を借りたければ相応の見返りを用意しろ、と……百貫文分の見返り、おまえどうするつもりだ」
「……」
「俺に身を任せるとでも言うか? どうせ言わんだろうが」
「…そんなことでいいんですか」
「なに?」
「え、いやその、それではむしろ百貫文分には到底及ばないのではと……」
「……」
 果宋は、驚いているのか何やら妙な顔をしてしばしの間黙り込んだ。
 そしてややあってから不意に口を開いて、
「…俺は別に金が欲しいんじゃないぞ。おまえが見返りとして相応に何かすればそれでいいんだ」
 と言った。
「おまえが俺のなすがままになると言うなら、それでもいい」
「いやそれは、ちょっと……」
 煉骨が困りきった顔をして言う。
「ではどうする」
「それは……」
「……」
 と……
 果宋は急に立ち上がると、一歩煉骨に歩み寄ってその首の後ろに腕を回し、ぐい、と、煉骨が思わず半立ちになるくらい強く自分の方に引き寄せて、
「んっ……」
 強く唇を唇に押し当ててきた。
 そして三つ数えるほどそうしていたかと思うと、ぱっと顔を離して、
「なあ煉骨」
 どこか哀しそうな顔をして煉骨の目を見つめ、言う。
「おまえはいつ命を落としてもおかしくないような生き方をしているだろう」
「……」
 煉骨は煉骨でびっくりしたまま果宋の顔を凝視している。
「おまえがここを訪れて去っていく度に、もう二度とおまえには会えないんじゃないかと思うよ。次はいつやって来るのか知れぬおまえを、ずっとここで一人待っていると時々、どうしようもなく遣る瀬無い心持ちになる……」
「は、はあ……」
「はあではない、ばか。次だっていつになるか分かったもんじゃないだろう」
「それはまあそうですが……」
「だからせめて」
 果宋は、本当に哀しそうな顔をした。
「せめて俺に、思い出をくれないか。おまえをこのかいないだいた思い出だけでも……せめて」


 ふふ、と笑って、果宋は難しい顔をしてうな垂れている煉骨の隣に腰を下ろすと、手に持っていた竹の筒を床に置いて、
「…どうだ、決心がついたか」
 と、隣の顔を覗き込んで聞いた。
「できれば着けたくありません……」
「そう言うな。ちょっと目をつぶってじっとしていれば百貫文だぞ」
「……」
 果宋は床に置いた竹筒に両手を当てて、
「こちらもいい具合にぬくもっておるし」
「……」
 煉骨は苦虫を七、八匹はまとめて噛み潰したような顔をしている。
「俺は、馴れぬ体でことに及ぶのがいかに辛いかは己の身をもって知っている。心配せんでも優しくしてやろうぞ」
「誰もそんなことは聞いておりません」
「では何をためらう」
「…果宋さまには、分かりえないことです」
「ほう」
「やくざな商売をしている人間にはやくざな商売をしている人間なりに思うところが……」
 そんな煉骨の言葉を聞いているのかいないのか、
「あっ、ちょっと」
 果宋はいきなり煉骨を引き倒して組み伏せると、
「誰にも口外せぬよ……」
 煉骨の耳元でそっと囁く。
「いや俺はそういうことを言っているわけでは」
 ない、と言う前に口を塞がれる。
 一旦顔を離して、果宋はゆるく開いた口から舌先をのぞかせた。
「百貫文」
「……」
 煉骨の頬の上に唇を落として、そのまま大きく顔を傾けると耳の下あたりに舌を這わせて、
 ちゅく
 と音を立てる。
 その瞬間に怖気おぞけのような鳥肌が立つのを、煉骨は感じた。
「力を抜いていろ。力んでいても辛いばかりであろうが」
 そう言われても、てなもんである。
 果宋はさっさと手馴れた調子で煉骨の着物の前あわせを広げ、裾をくつろげる。
 煉骨は今日も、墨染めの僧衣をまとっていた。
 黒い僧衣の肌蹴た襟から覗く鎖骨や胸板の辺りが、何だかやたらとなまめかしく見える。
 六尺に手を掛けられると、煉骨もさすがに、
「いやあのっ」
 と、その果宋の手を掴んで抵抗する。
「痛い痛いそう力を込めて掴むなっ」
「だったら手を……」
「それは離さん」
「……」
 果宋が煉骨に掴まれているのとは逆の手を、煉骨の身体の下に差し込んだ。
 そしてどうにかそこから僧衣の裾をたくし上げて、六尺の尻のところから手の先を中に。
「うっ」
 そのこそばゆさにまた煉骨の身体が強張こわばる。
 尻の穴の上をなぜられると、さらにまた。
「か、果宋さま」
 歯を食いしばったままの怒ったような表情で煉骨が果宋の顔を見た。
「手を離してくれたら、俺も手をここから引いてやる」
 意地悪く果宋が言う。
 言いながら、そこの指の先をくすぐるように動かしている。
「……っ…」
「さあどうする」
「…ちくしょう」
 煉骨が手を離すと、果宋は嬉しそうに、
「可愛いなぁ」
 と、呟いて、尻の手を退けた。
 そして煉骨の手も退いたので、六尺をゆるめてやって外してしまうと、
「馴れぬうちはこっちの方が良かっただろう。女陰ほとの中のようで……」
 ゆっくりとした動きで、あらわになった先のところを口に含んで、唇の内側の柔らかいところで、する、となで上げる。
「う……」
 今度は深く咥え込んで同じようにする。
 先の先までなで上げると、
 ち
 と音を立ててそっと口を離した。
「ん…」
 それから舌の先を出してそこを穿ほじくり返すようにする。
「……っ」
「風呂を貸してやったんだから、どこかしこもきれいになっているだろう?」
 また口の中の温かさに包み込まれて、
「あっ、く…」
 煉骨は上体を起こしかけていた中途半端な体勢でまたも身体を強張らせた。
 床に着いた肘が、くっ、と震える。
 何度もさっきのように口で擦り上げて、最後に口を離したあと、寒さで縮こまってしまわないように片手の中に握る。
 てのひらも、じんわりと温かみがある。
「は……」
「脚を開いて」
 果宋が煉骨の足首を掴んで、強引に膝を曲げさせて両脚を開かせようとする。
「いや、ちょ……」
 脚の間が見えるようになったところで、果宋が首を傾けて右脚の内腿に口をつけた。
 煉骨の肘が震える。
「弱いのか?」
 果宋が意地悪な表情を浮かべて、舐めたところの上を指の先でなぞる。
「べ、別に……」
「ふうん」
 果宋はもう二、三度その辺りに唇と舌をくっつけてから、頭を少し横にずらして今度は陰嚢いんのうに同じことを繰り返した。
 そして最後には舌の先を尻の穴の上に押し当ててくる。
 反射的に煉骨が脚を閉じようとしたのを押さえて、
「そう嫌がるな」
 よりこまやかな動きで濡れた舌がそこをいらう。
「う……っ」
 気持ちがいいというより、こそばゆい感触が先に立つ。
 煉骨もいっそ上半身を起こしきってしまえばいいものを、ずっと中途半端な格好のままうず痒そうに、曲げた脚の先でくるぶしを浮かせたり、床に着けたり、また爪先をうごめかせたりする。
 掠れた声で、
 あぁ、
 と、たまらないように眉間を強張らせて、呻いた。
 果宋が楽しそうな顔をして、おもむろに身体を起こした。
 そして床に置いてあった竹筒の中身を少し手のひらに空けて、逆手の薬指の先をその中にひたしてから先程まで舌を這わせていたところに、それをいじるような動きで塗りこんでいく。
 筒の中身は丁子の油で、それを人肌より少し温かいくらいに温めてあった。
 すべりの良くなった薬指がそのまま中まで入ってきた。
「指の一本くらいは難ないものだ」
 小さくその指を前や後に動かして、
「別に痛くはないだろう?」
 と、聞いてくる。
 途中で何度か油を指につけ直して、その第二関節くらいまでを埋めては、引き抜いてを繰り返す。
 馴れてくると軽く関節を曲げて掻き出すような動きになってくる。
「あ……」
「男にも内側にいいところがあるんだが……おまえにはまだ分からんかな」
「は…」
「それでもこのうず痒いのが、なかなか心地がいいだろう」
 指の先が、ほんの入り口のところを何度も掻き出した。
 声にならないような声を咽喉の奥から搾り出して、煉骨は腰から下の筋肉を、
 びくり
 と震わせた。
 腰の辺りすら疼くように小さく振れている。
 果宋は今度は中指を濡らして、薬指の代わりに中に差し入れた。
 中を指の先が探るたびに、掠れて、また低い、
 あ…っ
 あっ……
 という声が煉骨の咽喉の辺りから聞こえる。
 中指は薬指よりほんの少し太いだけであるのに、それだけで指の周りを締め付けられる感触がずっと色濃いような気がする。
 指を曲げては、伸ばし、
「…あ、ぅ」
 時折手首を返しながら、しつこいくらいに、前や後に動かされる。
 指の先が内側を舐めるように動いていて、それが外に出たときには尻の穴の上を弄くる。
 浅く掻き出される。
「は…っ」
 う……と、煉骨が食いしばった歯の間から呻き声をもらした。
 怒っているような表情をしているが、目の下のところが赤い。
「煉骨、ゆるんでるぞここが」
 言葉と同時に指が中をぐるりと掻き回した。
「あ…」
「もう俺の指を締め付ける力が入らぬかよ」
「……」
「なに、それなら結構なことだ。そのまま力を抜いていなさい」
 そう言うと、果宋は一度指を抜いて、その中指とさらに隣の人差し指を揃えて丁子油にひたすと、今度はその二本の指で入り口をなぜ始めた。
「力を抜いていないと痛いからな」
 揃えられた二本の指が、中に押し入ってきた。
 しかしさすがに、先程より明らかに強烈な異物感を感じるその上、少し、痛い。
 果宋は何度も指を抜きながら、少しずつ奥へと行こうとしているらしかった。
 そしてどうにか中指の半分ほど埋まると、やおら煉骨の脚の間に身をかがめ、目の前の鈴口すずぐちを口に咥えて舐めしゃぶった。
「っ、うっ…!!
 ぎゅっと煉骨の腰から下に力が入ったのを見て、果宋が苦笑した。
「そんなに締め付けられると痛い」
「……」
「俺の指を咥え込んだまま離さぬつもりかよ」
 煉骨の身体からふっと力が抜ける。
「そう、たまらなくてつい身体に力が入るのは分かるが、少しくらい我慢していろ……」
 そして果宋は再び身を屈める。
 一度上下の唇を舐めて湿らせると、さっきと同じように一物を含みしゃぶろうと、口を開きながらゆっくり顔を下に下げる。


「果宋さま!!
 とそこまで考えたところで、果宋は煉骨に名を一喝されてやっと我に返った。
「…俺の話聞いてましたか」
「……」
 煉骨がこれ以上はないというくらい不機嫌な様子で果宋をにらんでいる。
「すまん、聞いていなかった」
「何をぼーっとしているんですか、まったく」
「いや少々楽しい世界に意識が飛んでおったわ」
「……」
 何だその、楽しい世界って。
「で、何の話だったかな」
「……」
「聞いていなかったんだ」
「…だから俺が今日ここに来た理由を話していたんですよ! ご自分で尋ねておきながらお忘れになるとは何事ですか」
「ああそうだったな。で、用は何だ」
「ですから」
 だいぶ苛々した調子で煉骨が言う。
「この間の捕り物の時にお借りした火縄銃を、もし果宋さまがご自身でご使用にならないのでしたら俺に買い取らせていただけないかと思いまして参上した次第でございますが」
「そうか。そうだなよな、やっぱり二百貫文の借金なんかじゃあないよなあ、残念だ」
「何をわけの分からぬことを……」
「いやそれはこちらの話」
 ふん、と果宋は溜め息をついた。
「で、いくらで買いたいんだ」
「そうですね、できれば十五貫文…金五両ぐらいで買わ……」
「それは安い」
 煉骨が言い終わる前に果宋は言い放って、それから続けて、
「いくら鉄砲は値段が下がってきているとはいえ、相場はせめて倍はするぞ」
「元手がかかっていない品のくせに、相場の値をつけられますか」
「つけるとも」
「……」
「が、俺も鬼ではない」
「では……」
「金で払うのは半分でいい。その代わりもう半分は別の何がしかの形で払えよ」
「……あの」
「ほら、おまえの体で払うとか」
 煉骨がいきなりにっこりと微笑んだ。
「では何を手伝いましょうか」
「なに?」
「そうですな、本堂の掃除でもいたしましょうか」
 そう言う煉骨のこめかみは引きつってひくひく震えている。
「ああ、東司とうすの掃除でも構いませんが」
「……」
 …俺と寝るのは便所掃除以下か。
 と果宋は心の中で呟いてから、
「煉骨、おまえ俺が何を言われても傷つかん人間だとでも思ってるのか」
 不満げに口を尖らせた。
「傷つくんですか」
「そういう言葉に傷つくんだ」
「体で払うということは肉体労働でいいんでしょう」
「誰がおまえに東司掃除なんぞ頼んでいるか」
 果宋は珍しく屁理屈で煉骨に負けてしまったのが悔しいのか、
「ふん」
 と拗ねたように鼻を鳴らして、
「やはり全額金で払ってもらうかな」
 あからさまに機嫌をそこねた声音で言った。
 うっ……
 と煉骨は言葉に詰まる。
 どうやら取引となると、力関係は常に果宋>煉骨である。
「俺だってな、だから、この間も言ったが別におまえに無理強いするつもりはないんだぞ」
 と果宋は言うが、しかしどうも先程のこの男のこと細かな妄想を思い起こしてみるとなんだか疑わしい科白ではある。
「何か簡単なことでいいから」
「……そういわれてもですね」
 煉骨が苦虫を十匹は口の中に放り込んで噛み潰したような顔をしている。
「どうしてもその手のことで払わなくてはならないんですか」
「口を吸うくらいのことでもいいぞ。前にしたことがあるんだからいいだろう」
「……」
 前にしたことがあるからといって、今後も進んでしたいと思うかどうかは、また別の話だと思うんだが。
 とは煉骨は口には出さなかったが、代わりに、
「しかしそれでは代価として安すぎるのではないですか」
 と言った。
「果宋さまのおっしゃる種子島の半値…金五両に見合うものをというのならもっと別の、例えば米で払うとかそういうことの方が良くはありませんか」
「それはまあ、そうかもしれんが」
「だったら……」
「だがな煉骨、たまにはうまい話に食いついてもばちは当たらんぞ」
「は?」
「だから、おまえの言うことは、つまり俺の要求するところでは俺の方が損だということだろう。金五両で一度の接吻を買うのと同じことだからな。おまえから見ればそれは俺の方が損をしているように見えるということだろう?」
「ああ、まあ、そうですね」
「だがそれはあくまでおまえから見れば、の話だ。俺にとっては別に損でも何でもない。俺とおまえで、状況を見る人間が違えばそれを見て感じることも違う。ただそれだけのことだ」
「……」
「だからたまにはうまい話に食いついておけよ」
 煉骨は今にも唸り出しそうな苦悶の表情を浮かべて下を向いた。
「……」
「金五両だぞ」
 さらにその表情が険しくなる。
「……」
「金五両」
「…分かりました」
 険しい表情のまま絹糸のごとく細い声で煉骨が頷いた。
 果宋がにわかに嬉しそうに頬をゆるめた。
「二言はないな」
「ありませんよ」
「じゃあおまえから来い」
「……は」
「いやだから、ほらおまえから」
 にやついた顔で、果宋が自分の口元を指差して言った。
「聞いてませんよ、そんな」
「前もって聞いておかない方が悪い」
 いけしゃあしゃあと言ってのけると、果宋はもう居ても立ってもいられぬという様子で、自ら煉骨の方へとにじりよってくる。
「舌もちゃんと使えよ」
「……」
「金五両」
 ぐっ、と煉骨が噛み締めた奥歯の奥で唸るような声を出した。
 果宋がかいなを広げて手を煉骨の背に回すと、煉骨はしかめた面のままあごを少し持ち上げて果宋の顔に向き合った。
「眼くらい閉じろ……」
 果宋が言い終わる前に煉骨の唇が触れてくる。
 そのまま二つか三つ数えられるくらい触れていて、それから一度顔を離すと、煉骨は自分の上下の唇を舌先で小さく舐めて湿らせた。
 そして今度はゆるく口を開いて、さっきとは逆の方に頭を傾けて……
 果宋の方でも開いた口から舌の先をのぞかせて、それを受けた。
 時折舌を引っ込めてもう一度それを濡らして、再び触れ合わせて、とそういう風に何度
か繰り返したところで、不意に果宋が唇を離して、
「もっと深く」
 とささやいた。
 煉骨が嫌な顔をして、強く口を押しつけながら舌を深く差し込んでくる。
 果宋もそれに応じて舌を絡めてくる。
 深く深く絡まったところで、急に果宋の煉骨の背に回した手に強く力が込められた。
 ぐっと抱き締められて、煉骨が驚いて眼を開いた。
 果宋が、顔を離してどこか哀しそうな表情で、言った。
「…おまえはいつ命を落としてもおかしくないような生き方をしているだろう」
「……」
 煉骨は煉骨でびっくりしたまま果宋の顔を凝視している。
「俺は、おまえがここを訪れて去っていく度に、もう二度とおまえには会えないんじゃないかと思うよ。次はいつやって来るのか知れぬおまえを、ずっとここで一人待っていると時々、どうしようもなく遣る瀬無い心持ちになる……」
「は、はあ……」
「はあではない、ばか。次だっていつになるか分かったもんじゃないだろう」
「……」
「そうだろう?」
 煉骨の表情がにわかに曇った。
「…いや、できれば二度と来たくはありませんが」
 そして心底嫌な顔をして言う。
「来るたびにこれでは、いい加減嫌気もさすってもんです」
「……」
 寺にやってくる度に果宋に屁理屈をこねられ関係を迫られでは、心休まる暇もない。
「果宋さま、手ぇ、離してください」
「…生意気な」
「何とでも」
「俺は結構本気だったぞ」
 いつの間にか果宋はむくれた顔つきになっていて、しかしそれでも煉骨から手は離そうとしない。
「離してください」
「待っても待ってもおまえが来てくれないから、俺はつい楽しい世界に魂をやってしまうんだ」
「…怖気の立つようなことをおっしゃらないでいただけますか」
「なあ煉骨、せめて俺に思い出をくれよ。おまえをこの腕に抱いてただ一夜を過ごした思い出だけでもあれば、俺はもういつでも笑って逝ける」
 煉骨は溜め息をついた。
「殺したって死にゃしませんよ、あなたは」
 そしてもう口で言うのはあきらめたらしく、力ずくで果宋の腕を振りほどいてその中から逃れた。
「痛っ、おまえ何もそう乱暴にしなくとも……」
 ちぇ、生意気なやつめ
 と果宋が腕をさすったりしている間に、煉骨は踵を返してもう部屋から外へと出ようとしている。
「それじゃ果宋さま、約束は果たしましたゆえ、鉄砲、いただいていきますよ。金は後日届けます」
「おう」
「では失礼を」
 部屋の外の縁側を、背を向けて去っていく煉骨に、
「また来いよ」
 と、果宋はただ一言声を掛けた。
 煉骨は一瞬立ち止まって、顔だけ果宋の方に振り返った。
 そうして、それから黙ってまたもとの方向を向くと、静かにその場を後にした。

(了)