逢ヶ辻

 男の名は恭八きょうはちと言う。
 年の頃は十八。
 中肉中背で、美男ではないが、眼つきは鋭く眉は吊り眉できりっとしている。
 侠気おとこぎのある顔、とでも言おうか。
 昼の間は木工職人をしていて、街で町屋まちやを建てたりしている。
 しかしこの恭八博打が好きなもので、賭場とばに出入りするうちにやくざな連中ともそこそこの付き合いができていた。
 その内のある者は何を思ったか恭八に剣術を指南してくれたりもして、しかも恭八にはそれなりの素養があったらしい。
 三月みつきも経つ頃には、素人相手にはまず負けることがなくなった。
 剣術も、上手くなれば面白くもなる。この頃から恭八は真剣を手元に置きたくなった。
 好きで仕方がない博打もしばらく我慢して金を貯め、安物ながら長脇差ながどすを一振り手に入れた。
 安物でも、己の眼で見て、それで心惹かれて買ったものであったから、気に入っていた。
 それから半年の間は、それを眺めるだけで満足であった。
 剣の練習は続けながら、ただ毎日寝る前にその刀を抜いてみて、曇っていれば磨いて、それだけで気持ちが満たされていた。
 大事に大事にしていた。
 ところでこの頃、恭八はときどきやくざの知り合いに頼まれて出入りの助っ人をしていた。
 木刀を担いでやくざ連中の後にくっついて行く。
 それほど派手に活躍したわけではないが、それでもいつも二、三人はのして帰る。
 それが、この辺りを縄張りにしている博徒連中の若頭の目にとまったらしい。
 ある日、知り合いの一人がこう言った。
「なあ恭八、若頭がさあ、おまえの腕はこのまま木工屋なんかに放っておくにゃ惜しいって」
 と、まあその後も何度かそんなことを言われたが、恭八は木工職人を辞めなかった。
 自分の腕が、他人が言うほど良いとも思えなかったし、今更職を手放すのには不安がある。
 もしやくざになって上手くいかなかったらと思うと、どうしても尻ごみしてしまう。
 一度やくざなんかやってたとなれば、大工の親方ももう雇ってはくれまい。
 そう思って、知り合い連中の誘い文句にはいつもあいまいな返事しか返さなかった。
 しかし、
「恭八、脇差どすを取れ」
 いつものように、恭八が出入りの助っ人にやって来ていたときのことである。
「え……」
「脇差を取れと言うんだ。今日は木刀じゃ命がねえかもしれねえぞ」
 腕を組んで仁王立ちになって、貫禄ある声で若頭は言った。
「いやでも、俺は……」
「おまえが脇差を握ったことがないのは知っとる。だが誰にでも初めてということはある」
 そう言って、若頭は恭八の手に無理やり長脇差を握らせる。
「……」
 恭八は、困ったように手の中の刀を見つめた。
 木刀じゃ命が無いかもしれない、などというのは嘘に決まっている。
 そもそも若頭が直接自分に声をかけてくること自体、おかしいではないか。
 俺は子分でもなんでもないのに……
 仕方なく、溜め息をつきながら恭八は長脇差を腰に佩いた。
 まあ、絶対にこれで人を斬れと言われたわけではないし、抜いたところで、きっと自分は人間を斬る度胸なんぞ持ち合わせていないだろう。
 と、思っていた。
 その時は、確かにそう思っていたのである。
「……」
 だから、血に塗れた脇差を握っている己の両手を見ても特に動じることのなかった自分に、自分が一番驚いている。
 もっと罪悪感とか、そういうものが沸くと思っていたのだ。
 だが特にそういったものは感じなかった。
 斬られて息絶えた者が痛そうで気の毒だとは思ったが、それだけであった。
 恭八の働きぶりを見て、若頭は見事だと言った。
 そして、
「俺が口添えしてやる。すぐにでも一家に……」
 と、若干興奮した声で恭八に迫ったが、恭八は、
「少し考えさせてください」
 と言って、血を拭った長脇差を若頭に返して自分の家へと、とぼとぼと歩いて帰っていった。
 家の暖簾のれんをくぐる。
 独り身だし、親兄弟もとうの昔に流行り病で亡くしたから、誰が待っていてくれるわけでもない。
 迎えてくれるものといえば、大事に置いてある長脇差くらいのものである。
 恭八の眼は吸い寄せられるようにその長脇差に向けられている。


「どけよ糞野郎……っ」
 恭八は息を荒くしながらも怒りを露わにしていたが、その男はそんなことにはお構いなしに、仰向けの恭八の胸の上に跨っている。
 それで恭八は余計に苦しいのだが、どうにもならなかった。
 男は巻いていた帯をほどいて、恭八の手首を近くに生えていた細い松の木にくくりつけている。
 帯をほどいてしまったために、男の着物の前が開いて胸や腹や太腿が露わになっている。
 わりと細身だがかなり鍛えこんである身体であった。
 恭八が身動きをとろうとしてもびくともしないのも、それを見れば納得できる。
 それに恭八が動けないのにはもう一つ理由がある。
「……」
 男に斬りつけられた全身の傷が痛むのである。
 斬りつけられたというか、斬り刻まれそうになったというか。
 その男の得物は、刀身が蛇の胴体のように曲がったり、また伸びたり縮んだりする妙な刀であった。
 もちろん、恭八が今まで戦ったことはおろか、見たことすらない得物である。
 一応もとから抜いていた長脇差で応戦したのだが、敵わない。
 あらゆる角度から斬りかかってくる刃に全身を傷だらけにされて、もはやここまでかと思った時、
「…なんだ、可愛い顔してたんじゃねえか」
 恭八の眼前から一尺(訳三十三センチメートル)と離れていないところに男の顔があった。
 恭八は、思わず顎を引いて僅かに後に下がっていた。
 男は想像していたよりずっと若い男であった。
 そして、想像していたよりずっと、やたらと顔のつくりの整った男であった。
 眉は細いし、目元は涼しく鼻筋が通っている。
 恭八の両手を帯でしっかりと結わえると、男はようやく恭八の身体の上から降りて、今度は恭八の足下の方に回ってきた。
 着物の裾から手を突っ込まれて、下帯をほどかれる。
 内腿や股間に触れられると首の後ろや二の腕に鳥肌が立つ。
「……」
 着物の裾も広げられて、ほとんど腰から下みんなが剥き出しになるような格好をさせられる。
 男が得物を握って立ち上がり、恭八の足の先に仁王立ちになった。
 恭八の内腿を、男の刀の湾曲した腹の部分がすっと撫で上げる。
「脚を開けよ」
 男が言った。
「ほざけ」
 恭八がふいと男から顔をそらすと、刃が太腿の肉に一筋切れ目を作る。
「……」
 男の表情には何も躊躇ためらっているところはなさそうに見える。
 こみ上げてくる嫌悪感を無理やり飲み下して、恭八は緩く脚を開いた。
「もっとだよ…もっと大きく開いて見せな、てめえの脚の間隅から隅まで……」
 ぴたぴたと刀の腹が内腿を叩く。
 恭八は不意に、手首を縛り付けられている松の木の横に突き立てられている長脇差に目を遣った。
 しかしそれは一瞬のことで、すぐに視線を戻すと、
「糞野郎」
 低い声で男を卑下する科白せりふを吐きながら、ぎこちない動きで軽く曲げた両脚を大きく広げる。
 先ほど斬られた太腿から流れ出した鮮血が、脚の付け根の辺りまで垂れてくる。
 他にも、両脚にはいくつか新しい斬られ傷がついていて、どれもがどれもひりひりと焼け付くように痛む。
「……う」
 その痛みどもの中を、突き刺さるような得も言われぬ快感が走り抜けた。
 女の女陰ほとの中のようだ。
 男が、恭八の身体の上に身を屈めて、口に恭八の男根だんこんをすっぽりと咥えこんでしまっている。
 ざらついた舌の感触が裏筋を這い回る。
 口の内側の柔らかくてぬるついた肉がさおの根元から先まで包んでいて、
「……」
 男が頭を上下させるのが気持ちのいい刺激になって、腰の辺りまでじんわりと広がってくる。
 男にとって女陰ほど気持ちのいいものもそうそう無いだろうとは思っていたが、これはまあ……
 恭八が顔を持ち上げてみると、自分の脚の間で男の頭が上下に振れるのが目の当たりにできて、今までおんなにさえされたことのない愛撫にいささか興を覚えた。
 男の柔らかい髪の先が下腹に擦れてこそばゆい。
 男が口を離すと、棹は腹に付くくらい反り返っていて、さらにその裏をべろりと男の舌が舐め上げてきたりするとそれがまた気持ちがいい。
「ぅ……」
 しかしそれにつられて恭八が声をもらすと、男が脚に強く爪を立ててくる。
 そしてさらに身を起こし、再び得物を掴んでその先を腿の裏側に突き当てる。
 そのまま刃先の辺りが少しばかり皮を破って肉の中にめり込んできた。
「……」
 目の覚めるような痛みが身体を強張らせる。
 男は楽しそうな顔をしながら、得物を握っていない方の手を己の尻へ回して下帯をほどき地面に落とすと、今度は得物を肩に担いで反対の手では前の開いた着物の裾をたくし上げる。
 両脚で恭八の身体を跨いで、そのまま足下から頭下の方へと、じりじりと近寄ってくる。
 恭八の首を挟むような形で地に膝を着いて、それから、
「自分だけいい思いができるなんて思ってねえよなぁ……?」
 得物を後ろ手に握り直すと、刃の部分を恭八の喉笛の上に押し当てた。
 男が僅かに柄を引くだけで、喉の皮に血がにじむ。
「口開けて…それでちょっとだけ舌ぁ出してな」
 得物を握っていない男の左手が、恭八の額を押さえつける。
「歯、立てんじゃねえぞ」
 口の中に男の逸物の先が押し入ってきて、
「どうせこんなことしたことねえんだろうが……首が惜しかったらな、何にもしなくていい、そのままじっとしてな……」
 そしてゆっくりと男の腰が上下を始める。
 男が独り言でも言うように、
「気持ちいいよなあ、口ン中って……」
 と、呟いてから、恭八の眼を見つめてきた。
 恭八がそれを睨み返すと、
「可愛い顔してやがんなあ…そんな顔して俺のまら咥えやがって……」
 男は一旦動きを止めて、ぐっと前に半身を倒してくる。
 身体を二つに折り曲げるようにして、左腕で恭八の頭を抱きかかえながら、愛おしそうにその耳の上に唇を押し当てた。
「どうして俺は、こんなふうにいっぺんに好きになっちまうんだろ……」
 また独り言のように男は言った。
 身体を起こして、再び腰を使い出す。
 少しずつ恭八の首の刀を横に引きながら、裏腹に腰の動きはゆっくりと、優しいくらいにする。
 ただどちらにしても、恭八には苦痛に違いがない。
 流れ出す血量の増えていく喉の痛みも、辱めに等しい行為の息苦しさも。
「……」
 ほどほどで男は身を離すと、また元のように恭八の脚の間に戻っていった。
「持ってきてて良かった」
 と呟いて、男は懐から小さな竹の筒を取り出して蓋を取り、中身を少しだけ手の中に出してぬるついた指先を擦り合わせて見せる。
 竹筒の中身は何かの油のようだ。
 匂いからしておそらく丁子ちょうじか何かであろう。
 恭八の股間に手を遣って、陰嚢いんのうごと腹の方にひっくり返して脚の間に筒からその中身を垂らし、塗りつける。
 ひんやりとした油の中に男のてのひらの熱を浮き立つように感じる。
 これからなされるだろうことを考えると、あまりぞっとしなかった。
 触れるごとにひくつく菊座をおもしろそうにいじくり回してから、男の指がその中にまで及んでくる。
 心地良さも何も無い。
 鳥肌の立ちそうな異物感が腰から下にじわじわと広がっていく。
 男は静かに指を引き抜くと、また菊座の上を撫でた。
 恭八の身体を二つに折り曲げるようにして押さえつけると、今度は男根を突き入れてくる。
 恭八も、これはさすがに痛いというか、息苦しいというか、苦痛であった。
「……」
 そしてそれ以前に、むなしかった。
「……」
 己の精神こころの、男として一番大事なところをこの男に、否定されたような気がした。
 屈辱だった。
「……」
 男がいきなり強く腰を使い出したので、
「ぅ……」
 恭八は思わず小さく呻き声を上げた。
 痛い。
「痛ぇのか?」
 男が、腰の動きは緩めないくせに、ぞっと怖気おぞけの立つような優しい声で訊いてくる。
「なあ、痛ぇのかよ」
「……」
「どうして欲しいのか言ってみろよ、ほら」
 男は言いながら得物を右手に取ると、刃を恭八の首に向けて、そして冷たい刀の腹は頬に押し当ててきた。
 刃が首の皮の上を滑る。
「……」
「言えったら」
「……」
 耐え難いほどの屈辱感が恭八の身をさいなんだ。
 こんな男に、どうして己が服さなくてはいけないのかと、ますますむなしさが募る。
 大声で、あらん限りの卑しい言葉でこの男をののしってやりたいと思った。
「……」
「…言えよ」
 喉元に、いくつ目か知れぬ血の筋が流れる。
 もう、こんな痛み、身体が慣れてしまいそうだ。
「…もっと……優しく」
 今にも消え入りそうに細い声で、恭八が哀願すると、男は嬉しそうに口の端を吊り上げて笑った。
「可愛いやつ……」
 負けた、と、恭八は両眼を静かに閉じながら思った。


「おーい蛮骨、いるんだろう。居留守使ってねえで顔見せんかい」
 と、俊三しゅんざが外から声をかけると、十数える間ほど何やら中からばたばたと物音が聞こえて、そしてそれからようやく、
「おう、俊三親分、何用だい。挨拶ならついこの間煉骨と一緒に行ったはずだろ」
 家の暖簾の間から蛮骨が顔を覗かせた。
 俊三の姿を見て、蛮骨が怪訝けげんな表情をする。
「何だい親分、その格好なりは」
「いやなに、お須磨すまに黙って来たもんだからな。『お父っつぁん、暇なら孫の面倒くらい見ておくれよ』って、まあ一日中、家にいると文句垂れられるんだ」
 俊三は暖簾をくぐって家の中に入ってくると、頭にかぶっていた手拭を取って、からげていた着物の裾を引き下ろして乱れた懐や帯の辺りを見映えよく直した。
「目に入れても痛くねえような娘と孫だろうが、親分」
「まあなぁ。だが普段はともかく、今日はちょっと、どうしてもおめえに話があってよ」
「何だいその話って。仕事のことなら喜んで聞くぜ」
 蛮骨は軽く足の裏を手拭で拭ってから土間から上がり、隅の方に山になっている鎧やら脚半きゃはんの類をさらに隅に押しのけた。
 ところで今蛮骨と俊三がいるのは、町屋と呼ばれる当時の貸し町家であり、どうやら蛮骨はそれを借りてとりあえずのねぐらとしているらしい。
 町屋にはたいてい、土間と、四、五畳くらいの広さの板敷が一つだけあって、玄関は木戸ではなく暖簾などを掛けて済ませているのが普通であった。
 先ほど外から声をかけた時に聞こえた、ばたばたという音は、どうもその鎧やら何やらをとりあえずひとまとめにした音であったらしい、と、俊三は思った。
 きっと最初は足の踏み場も無いくらい散らかっていたのだろう。
 大急ぎで片付けたようだが、片付けきれなかったものが一つ、どんと板敷の上に転がっている。
「悪いな親分、狭っ苦しくってさ。こいつ当分起きる気配がねえんだ」
 そう言って、蛮骨は土間のきわで横になってだらしなく眠りこけている蛇骨の姿を指差した。
「ああ、いい、いい、そのままで」
 苦笑しながら俊三も土足を脱いで土間から板の上に上がる。
 そして蛮骨と俊三は、部屋の真ん中の囲炉裏いろりを挟んで差し向かいに腰を下ろした。
「蛮骨、湯呑みかなんかねえのか」
 俊三が腰につけていた酒瓶を取って見せると、蛮骨は嬉しそうに口元をほころばせる。
「湯呑みはねえが…飯椀めしわんでもよけりゃ。蛇骨の使ってるやつでも、親分、気にしねえよな」
「他に気にする輩がいなけりゃな」
「さあ、外の男のことは知らねえが」
 苦笑いをしながら、蛮骨は木の椀を二つ取り出すと一つを俊三に手渡して、
「俺が注ぐよ」
 と言って、酒瓶を受け取り蓋を取って中身を俊三の椀の中へとそそぐ。
「女の酌じゃなくて悪いけどさ」
「そりゃお互い様だ。どれ、おまえのは俺が注いでやるよ」
 蛮骨が椀を持ち上げると、俊三がその中に酒を注いだ。
「…親分、これでさかずきを交わしたとか言って、俺を一家に引き込むつもりじゃ……」
「馬鹿野郎、こんな貧乏臭い杯事さかずきごとがあるか」
 双方の椀が満たされると、蛮骨と俊三は揃ってそれを口に運ぶ。
 二人とも一息に一杯目を開けて、今度はそれぞれが自分の椀に手酌で酒を注いだ。
「それで親分、話ってのは」
「ああ、蛮骨おめえよ、最近この近くで辻斬りが出てたの知ってたか」
「ああそりゃ、まあ、噂程度になら」
 蛮骨は椀の中身を一口含んでから先を続けた。
「男ばっかり背中からばっさり、ってやつだろ。ここ十日で五人くらい斬られたとか……」
「そうだ」
「別に大して興も沸かなかったし、親分のシマの話だからと思って何もしなかったがよ。ひょっとして俺たちにそれを捕まえろってか? 親分あんだけ子分がいるのに、面子めんつが潰れるぜ、そりゃ」
「そうじゃねえ、その辻斬りはもう捕まったんだ」
「捕まった?」
「ああ、今日の朝、死体でな」
「……」
 蛮骨が眉を寄せて顔をしかめる。
 俊三は小さく息をついてから、厳しい表情で語り始めた。
「実はな、辻斬りの正体は、だいたい知れてたのよ。恭八ってぇ名の、町の若い男で、まだ堅気かたぎの男だった」
「まだ、てえのはどういう意味だい」
「若ぇの、うちの子分と付き合いがあったらしくてよ、その子分が喧嘩の仕方なんか教えてやってたらしいんだ。しかもそこそこ筋が良くて、何度か小さな出入りにもまじってたらしい」
「それで」
「それで、だ、若頭が、そいつに一家に入らねえかと誘ってたらしいんだな」
「ああ、あの伊吉いきちの後釜か。後釜はやたらひょろ長ぇ男だったよな確か」
「そうそうその若頭がよ。だがなかなか色のいい返事が貰えなくて業を煮やしたんだな、とりあえず強引に脇差を渡してみたそうだ」
「へえ? 脇差を」
「それで覚悟決めてくれりゃと思ったんだろう。実際、そのとき連れてった出入りで、その若ぇのは相手一人斬り殺しやがった。それで、初めて真剣を握ったのに度胸のある男だと若頭も喜んだ。だがそれでも、若ぇの、少し考えさせてくれと言ったんだとよ」
「……」
「その若ぇのな、実は自分でも一振り長脇差を持ってたそうだ」
「……」
「何でも半年も前に買ったらしいんだが、周りの人間もそのときは何事かといぶかしんだが半年も経ったら忘れちまってた。来客も少なかったらしいし、その少ない客も俺の子分が三人か四人……」
「…その子分が密告ちくったんだな」
「五人斬られた後でな。一家のもんも、他に町で刀を持ってる輩も皆調べつくして、困ってるときにその野郎の名が出たのよ」
「なるほど……」
「子分どももまさかその男だとは思わなかったんだろう。出入りに行ってたとき意外は別段荒くれ者でもなし……だが辻斬りが出た夜には、その男決まって行きつけの賭場に来なかったから、それでそんなのが五人殺されるまで続いたから、もしや、と、な」
「なんでその野郎辻斬りなんか……」
「さあ、そればっかりは、死人には口がねえから。まあ俺が思うところでは、多分自分の脇差の切れ味に酔っちまったか、そんなところだろう」
「そんなにいい刀持ってたのかよ、そいつ。だってただの町の男だろ? どこにそんな金が……」
 と、蛮骨が言いかけたとき不意に、蛇骨が、
「う……」
 と、何やら唸りながら今寝転がっている場所からさらに土間の方へと寝返りを打った。
「…そうさな、おめえの言うとおり、どうやって金策したのかは知らんが、辻斬り男の死体の傍にあった松の木に刺さってた、その辻斬りのものらしい長脇差は俺の目にだっていい刀だと分かったぜ。ちゃんと銘も切ってある、名のある刀鍛治の打ったもんだった」
「……」
 しばらく黙り込んだ後、
「それで?」
 と、蛮骨は俊三に向かって訊ねた。
「辻斬りが死体で捕まって、今更親分が、俺たちに何の用があるんだい」
「…その辻斬りの死体よ、全身滅多斬りにされてたんだ」
 蛮骨は表情を変えることはしなかった。
 ただ、
「ふうん」
 と頷いて、
「だから、用は何だよ」
 と、言った。
「全身滅多斬りの上、裸に剥かれて……それでその、何と言うかな、された痕が残ってたわけよ。いろいろと……」
「……」
「でな、前におめえから聞いた話を思い出したのさ」
 蛇骨が、また何やら呻きながら寝返りを打つ。
 俊三は、その蛇骨の腰の帯にところどころ赤黒い斑点が付いているのを見逃さなかった。
「おめえの弟分、よく寝てるが夕べ眠ってねえのか」
「さあ」
「…ひょっとして辻斬りにでも襲われたかな。だがこの男の腕ならそれも返り討ちか」
 蛮骨も蛇骨の帯の斑点に目の先を遣りながら、言った。
「知るもんか」
 あまりに板敷の端まで転がり過ぎたか、ついに蛇骨が土間の方に足を踏み外して、その弾みでそちら側に転げ落ちる。
「でっ……」
 腑の抜けた声を上げて、それでやっと目を覚ますと、ぼさぼさの頭を掻きながら気だるげに身体を起こした。
「ああ、痛ぇなくそ……」
 大口を開けて欠伸をつく。
「なあ、蛮骨の兄貴、今何時なんどき……」
 ぶつぶつと言いながら、蛇骨は蛮骨と俊三の方を向いて、
「あれ、親分さん来てたの」
 と、呑気な声を出した。
 蛮骨も俊三も、眉を寄せて厳しい顔つきで蛇骨を見つめていた。
 しかしすぐに蛮骨が一人溜め息をつきながら、蛇骨の顔から視線をそらした。
「ん?」
 ただ蛇骨だけが、何だかわからないという風に、きょとんと首をかしげている。

(了)