転転死神

 はいるな。
 と、ご丁寧に仮名文字で紙に書いて戸に貼り付けてある。
「なあ兄貴、これ何て書いてあるか読める?」
「馬鹿にすんな。これくらい俺だって読めるぞ」
 蛇骨が眉を寄せて眉間にいくつも皺を作りながら、紙の上の「は」という文字を指差す。
「…ほ?」
「…は、だろ」
「あ…は、か。じゃあ、ええと……はい、は、い…る、な。入るな?」
「だろうな」
 蛮骨が頷く。
「こんな神経質な字書くのは煉骨しかいねえよなぁ」
「蛮骨の兄貴の手は蚯蚓みみずがのたくったような……なんていうか暗号みたいなやつだもんな」
「うるせえなあ」
 蛇骨に言われて、蛮骨が気恥ずかしそうに頭を掻いた。
「文字なんか、読めりゃ困らねえだろ」
「でも仮名しか読めねえんだろ、兄貴は」
「す、少しくらい読めらぁ、仮名じゃなくたって……」
「まーでも、煉骨の兄貴なら唐土もろこしの古い詩も読めるし、歌だって詠めるけどさ。芸が多くて羨ましいぜ」
 蛇骨は、淡々と他人事のように言う。
 自分は平仮名さえおぼつかないことなど、これっぽっちも気にしていないらしい。
「字が読めりゃ、そりゃ便利かもしれないけどさあ、でも俺が読めなくても他のやつが読めるしよ」
 おそらく、睡骨や霧骨を指しているのだろう。
 睡骨は一つの体の中に、医者としての睡骨と傭兵としての睡骨という二つの人格が同居してせめぎあっている、いわゆる多重人格というやつで、しかし人格は違えど日常生活に関する記憶は共有しているらしい。
 医者の方は文字が読めるだろうから、傭兵の方も読めるのだろう。
 霧骨はあらゆる季節、地域の薬草、毒草、そしてそれらやその他生き物などを使った新薬の研究に首までどっぷりつかっている男だから、文字の読み書きはできよう。
 薬に使う材料の配合割合などを書き残しておくことも、ままあるだろうからである。
「しっかし煉骨の兄貴、なんでこんな張り紙してんだ」
「さてな。入っちゃまずいことでもしてんだろ、この中で」
「入っちゃまずいって?」
「俺が知るかよ……女でも連れ込んでんじゃねえのか。それにしちゃ静かだけど」
「あの煉骨の兄貴がご丁寧に張り紙までして、女連れ込んでるだぁ?」
 蛇骨が怪訝な顔をする。
 今ひとつぴんとこないらしい。
「どっちかっつーと、右手が友達って感じがするぜ、兄貴は」
「……おまえ、それ後で煉骨の正面で言ってみろよ」
「やだよ、殴られるじゃねえか」
 ぬけぬけとそう言って、蛇骨は張り紙がされている戸に手を掛ける。
「入るのかよ」
 蛮骨が訊いた。
「中で何してるか気になるしさ」
 言いながら蛇骨が薄く戸を引くと、
「そうだな…じゃあ俺も」
 蛮骨もその戸の間隙かんげきから部屋の中を覗き込むようにして身を乗り出してくる。
「煉骨?」
 何となくこそこそした風に、声を潜めて蛮骨が呼んだときだった。
「駄目だ入るな! そこから一歩も動かないでくれ大兄貴!」
 という、やけに必死な声が部屋の中からした。
 しかもどういうわけかその声は煉骨のそれではなくて、霧骨の声であった。
 蛇骨が虚を突かれたように眼を丸くして言う。
「何やってんだよ霧骨、んなとこで」
「あぁっ、蛇骨もそこから動くなよ! 命に関わるぜ」
「はぁ?」
 わけが分からずに蛇骨が首を傾げていると、
「大兄貴、蛇骨、そのままゆっくり後に下がるんだ」
 と、今度こそ煉骨の声が聞こえた。
「煉骨、おまえら一体何やってんだよ」
「いいからゆっくり下がって部屋から離れてくれ」
 あまりに真摯しんしな顔と声で言われて、蛮骨と蛇骨は仕方なくゆっくりと後ろに下がり始める。
「何なんだよ」
 ついに部屋から一間も離れたところまで下がって、蛮骨が再び訊ねた。
 煉骨は足音を忍ばせるように静かな足取りで蛮骨と蛇骨の前に立つと、後ろ手でそろそろと戸を閉める。
そうしてから、ふう、と、息をつく。
「火薬ですよ」
 と、煉骨が言った。
 頭に巻いている布とは別に、鼻と口を覆うようにしていた覆面を剥ぎ取り、深呼吸をする。
「やっぱり、たまには外の風を吸わねえと危ねえな……」
 蛮骨が、眉をひそめて首を傾げてみせる。
「火薬って……それならおめえいつも、俺たちがいる前でだって作ってるじゃねえか」
「ええ、いつも使ってる火薬なら」
「今作ってるのは違うのかよ」
「違います。危ないからあんたたちは近寄らないでください」
 そっけなくそれだけ言って、また部屋の中に戻ろうとする煉骨の袖を蛮骨が掴んだ。
「何だよ、連れねえな」
「こっちまで命が危なくなるんだ、大兄貴と蛇骨が入ってくると」
「どうして」
「今度の火薬は、振動や衝撃に敏感なんです。がさつに動かれちゃ命がいくつあっても足りない」
 言いながら、煉骨が手に持っていた覆面を巻きなおす。
「悪かったながさつで」
 ふん、と蛮骨が面白くなさそうにそっぽを向いた。
「おい煉骨、中には戻るなよ。別の話があるからよ」
 言うなり、蛮骨は両手をそれぞれの逆袖の中に突っ込んでその場を去ろうとし始めた。
「なんだ、蛮骨の兄貴、煉骨の兄貴に用だったのか」
 蛇骨が呟くように言う。
 特に蛮骨について行くつもりは無いらしく、戸の閉められたままの部屋の中が気になるようでじろじろとそちらばかり気にしている。
「……」
 煉骨は小さく肩をすくめると、再び覆面を外し、戸を薄く開いて、
「霧骨、たまに外に出て風に当たれ。いくらおめえでも、半日も中にいりゃ体がおかしくなるぞ」
 と、霧骨に呼びかけた。
 薄暗い部屋の中で、霧骨は頷いたようであった。
 それを見届けてから、先を行く蛮骨を追おうと踵を返した。
 しかし四、五歩くらい行ったところで急に背後を振り返る。
「…入るなよ」
 はいるな、の張り紙のされたままの戸に貼り付いて、今にもそれを開きかけていた蛇骨に向かって、念を押すように煉骨が言った。


「大兄貴、それで話というのは……」
「次の仕事だよ」
「ああ……」
 煉骨が頷く。
「何かありましたか。特に変わった仕事とは思わなかったが…援軍に参加して軍を攻城こうじょうまで持ち込めばいいはずでしょう」
「そっちじゃねえ」
「……」
 煉骨は一瞬黙った。
「他に何の仕事が……」
「敵軍の援軍に参加して、こっちの軍を攻城まで持ち込ませない、っていう仕事」
「…ちょっと待て」
 にわかに煉骨の表情が曇る。
「それじゃ大兄貴、今度の仕事を蹴ったのか」
「そういうことになるかなぁ」
 能天気な声を、蛮骨が出した。
「どうして! 何か不満でもあったのか」
「別に」
「だったら何故……いや、それはともかく、敵軍と話がついてるんだな」
「ついてない」
 さすがに、これには煉骨も驚いたらしい。
「ついてないのに、どうして仕事を蹴るんです!」
 ついに煉骨が大きな声を出すと、
「じゃあてめえむざむざ殺されに行きてえってのか!?
 蛮骨も負けじと怒鳴り返してきた。
「…殺される?」
「見ろよ」
 そう言って、蛮骨がたもとから取り出したものを、煉骨に向かって放り投げる。
 煉骨が受け止めると、それは、折りたたまれて結び目にされている紙片だった。
 開いてみると、紙の真ん中に赤黒い文字が書かれている。
「分かっただろ」
「……これは、誰が」
「知らねえ。部屋の中に転がってたんだ」
「……」
 紙に書かれていることを簡単に言うと、こういうことになる。
 うちの殿様は今度の仕事が終わったらおまえたちを殺すつもりだから、仕事は請けずにさっさと逃げなさい。
「これは、墨で書かれたものじゃないな……」
「ああ」
 蛮骨が頷く。
「多分血文字だぜ。もう、だいぶ色が黒く変わっちまってるけどな」
「どうしてわざわざそんなことを」
「さあ……信じてくれってことじゃねえの」
 なるほど、と、煉骨は心の中で肯いた。
 それは有り得るかもしれない。
 しかし実際、血文字で書かれたところで、信用できるかどうかは分からないが。
 敵国の方が、俺たちを合戦場から退かせるためにこういう文を寄越したのかもしれない。
 それとも、敵国が俺たちを寝返らせるために、ということも考えられる。
 寝返ったら寝返ったで、それこそこの文に書かれているようなことにもなるかもしれない。
「これを信じるんですか」
「そのつもりだけど。いいだろ?」
「……」
 いいも何も、もうこれを信じる他ないではないか。
 こういうことは仕事を蹴る前に言ってほしいものだ。
 煉骨が、苦い顔をした。
「俺は構いませんよ」
「ま、罠だったとしても銭の多少も奪ってやれりゃそれでいいしな」
 あっけらかんとして蛮骨が言う。
「それはともかくとして……寝返るつもりなんですね」
七人隊俺たちは貧乏だからよ」
「確かにここのところ百姓仕事の忙しい時期で戦が少ないからな……」
「そうそう。外道悪党仕事は儲からないし、体もなまるぜ」
「…それじゃ、明日にでもさっそく馬を飛ばして敵の城主と交渉に……」
「いや」
 蛮骨が僅かに眉をひそめる。
「俺が行く」
「わざわざですか」
 煉骨が少し驚いたように聞き返した。
「ああ。ちょっと驚かしてやるよ、それこそ戦が終わってから面倒なことにならねえように」
 やはり蛮骨も、あの文が敵軍の罠であるかもしれないということは、懸念しているらしい。
 高が傭兵とはいえ、あまりに戦闘能力が高いと各地の領主にとっては七人隊も危険因子となろう。
「驚かす?」
七人隊俺たちの化け物ぶりを見せてやるのよ。凶骨か銀骨でも連れて、ちょっと暴れてやりゃいいだろ」
 と、蛮骨が大して面白くもなさそうに言うと、それを聞いて煉骨はしばらくの間黙り込んだ。
「何だよ」
「いや……」
 煉骨は、じっと何かを考えているらしかった。
 十数える間ほどずっとそうしていたが、十一を数えるときになって、煉骨が急に唇の端を持ち上げて、
「大兄貴」
 と、笑いながら言った。
「余興をやるなら、俺に考えがありますよ」
 まるで、面白い悪戯いたずらを思いついた子供のような顔をして言う。
 その顔に興をそそられたのか、
「何だよ」
 思わずにやにや笑いながら、蛮骨は煉骨の語るに耳を傾け始めた。


 頭に紺色の手拭でほっかむりした蛇骨が、河原の土手に置かれた木箱の蓋を開けようとそっと手を伸ばしている。
 しかし、
「蛇骨、俺がいいと言うまで触るんじゃねえ。命が惜しかったらな」
 すぐに横から、同じように手拭でほっかむりをした煉骨にその手を掴まれた。
「ちぇっ」
 と、蛇骨がつまらなそうに立ち上がる。
「俺も蛮骨の兄貴の方につきたかったなぁ」
「こっちの仕事にはおまえが適任だ。おまえの方が、睡骨より腕が細いし、霧骨より手足が長い」
 言いながら、ゆっくりとした動作で煉骨が木箱の蓋を外した。
 蛇骨が横から箱の中身を覗き込んでくる。
「…これが?」
 静かに蛇骨が首を回して煉骨の顔を覗き込む。
「俺が考案した新しい火薬だ」
「あの、部屋ん中で霧骨とこそこそ作ってたやつかよ」
「そうだ。霧骨の野郎は薬の扱いに長けてるしな……それにしても、こんなに早く試せる日が来るとは思わなかったぜ」
 それは嬉しそうに、煉骨は笑っている。
「……」
 蛇骨が、呆れたようにそんな煉骨の顔を見つめている。
「俺は火薬なんて使わねえからよく分かんないんだけど、これ、そんなにすごいの」
「すごいさ」
 煉骨は即答した。
 そして、新しい玩具おもちゃを手にして喜ぶ子供のように、楽しそうに語りだす。
「これまでの火薬とは違う。今までは、火薬を爆発させるにはたいてい着火しなくちゃならなかったし、火薬自体が湿気に弱くて使い勝手の悪いところもあったがな……」
 ちなみに、この当時主に使用されていた火薬は現在では黒色火薬と呼ばれるもので、硝石、硫黄、木炭をうすで挽き、細かい粉末にしたものをそれぞれをある割合で混合して作られていた。
 現在、黒色火薬は花火の花や、打ち上げ、導火線などの用途に用いられている。
「じゃあ今度のは火ぃ着けなくてもいいのかよ。どうやって爆発するんだ、それ」
「強い衝撃を与えるんだ、落とすとか、投げつけるとか、叩くとかな」
「ふぅん」
 蛇骨はやはり、あまり興味がない、という風に頷いた。
「蛇骨、分かってねえな。この火薬が大量に作れれば、合戦の方法ががらっと変わるってことだぞ。なにしろ点火無しで爆発が起きるんだ、敵陣に投げ込めばそれだけでも、鉛球を撃ち込むのに比べて威力は大きい。それに、この火薬は出る煙が少ない」
「……」
「これまでは、石火矢や火縄銃に使う火薬からは大量の煙が出て視界も悪くなれば、肺や目を傷めることもあったが、この火薬が装薬に使えればそういうこともなくなる」
「……あー」
 いつになくよく喋る煉骨の横で、蛇骨はついに呻き声を上げる。
「兄貴の話聞いてると頭痛くなりそう……」
「おまえの頭の容量は少なすぎるんだ。…ただし、この火薬はまだ爆発の威力が定かでなくてな、普通に爆発する以外に怖ろしく強力な爆発をすることがある。爆発の直後に、爆風以外の衝撃風が来るんだ。まあ、火薬の量を減らせば威力は調節できるが、この衝撃風が抑えられないと砲や銃の装薬には使えないな。砲身や銃身が破壊されちまう」
「……」
「それで、葡萄牙ぽるとがるの人間が言うには、南蛮の方では……」
「わ、分かった兄貴、もういいよ」
 まるで拷問だ。
 本当にずきずき痛み出しそうな頭を押さえながら、蛇骨は軽く片手を上げて煉骨の語るを制した。
「それで、その新しい火薬を使って何するんだよ」
 言いながら箱の中身を指差す。
 箱の中には、一寸四方くらいの正方形をした包みが二十個か、二十五個くらい詰められている。
 その包みは、なめした動物の皮を二枚貼り合わせてあって、その中に火薬が詰められているらしく包みの真ん中が僅かに膨らんでいる。
 さらに、それぞれの包みに、一、二、三、…という風に順に数字の振られた紙が貼り付けられている。
「これからこいつらを仕掛けるんだ、あそこにな」
 そう言って煉骨が指差した方を見て、蛇骨が首を傾げる。
「橋?」
「ああ、仕事はそれだけだ」
「なんだ、楽なことじゃねえか」
 脳天気な声で蛇骨が言うと、
「てめえ、さっき俺が言ったことをもう忘れやがったか」
 しかし煉骨が厳しい口調で、そんな蛇骨の態度をたしなめる。
「この包み、一つ一つに包まれている火薬の量は大したことねえが、それでも足下にでも落っことしたら命の保障はねえぞ。それにあんまり雑に扱うのもな、両腕が吹っ飛んでも知らねえぜ」
「……」
「衝撃に弱い火薬だと言っただろう」
 煉骨が己の懐の中をまさぐって、折りたたまれた紙片を取り出した。
「いいか、この紙にどの包みをそこの橋のどこに仕掛けるか書いてあるから、それを見て確かめながらやれよ」
「…字なら俺読めねぇよ」
「字が分からなくても、紙に書いてある字と、その包みに貼ってある字が同じ形かどうかくらい分かるだろう」
 煉骨がきょろきょろと辺りを見回す。
 橋を挟んで北側が国境を挟んで町中に続く街道、南側はこの領の城へと続いている。
「そうだな、城側から始めるか……」
 呟きながら、折りたたまれていた紙片を開いて、蛇骨に見せる。
「仕掛けるのは一つを除いて全部橋の下だ。紙に描いてある橋の絵の、それぞれの部分に記してある数字と同じ数字の包みを縄で落ちないようにそこにくくれ。それで一つだけは、橋の下じゃなく一番城側の柱に付けるんだ」
「分かったよ」
 それでもさっきよりは少しばかり緊張したようすで、蛇骨が頷いた。
 煉骨が付け足すように言った。
「じきに銀骨が手伝いに来る。それまでに手の届く所は終わらせるぞ」


「本当なのか、今日こっちの城の軍師があの橋を通るってのは」
 欠けた湯呑みの中身をぐいと飲み干して、睡骨が言った。
「ああ」
 蛮骨も、口に含んでいたものを飲み下して、頷く。
「どっから入ってくるんだよ、大兄貴、そういう話はよぉ」
 すでに空になった湯呑みを手の中に抱えて、霧骨が言う。
 三人が腰掛けている茶店の長腰掛の後ろから、店主がその三人の異装を半分怪しむように、半分物珍しそうに眺めている。
 蛮骨と睡骨は鎧をきっちり着込み、蛮骨は手に布袋で刀身を覆った蛮竜を携えていて、霧骨はいつもの白装束に白覆面をして竹葛篭つづらを背負っている。
 とても普通の武士にも商人にも旅人にも見えまい。
 蛮骨が、湯呑みの底に残っていた酒を喉に流し込んで言った。
「霧骨、俺にだって知り合いくらいいるぜ」
「どんな知り合いだよ、城の動き教えてくれるなんて」
「そこまで教える義理はねえよ」
「ちぇっ」
 霧骨がつまらなそうに舌を鳴らす。
「冷てえ兄貴分だよなぁ」
 口を尖らせて霧骨が言ったが、その横で蛮骨はただ笑っているばかりである。
 睡骨がのんびりとした口調で言う。
「けっこう大きな橋だな、あの橋は」
 三人が居る場所からは、その橋が見えている。
 橋の幅は二間(一間は約1.8メートル)ほど、長さは三間か、それにもうあと半間ほど足したくらいか。
 この橋の下に、今は煉骨と蛇骨がいるはずである。
「上手くいくのか」
 さらに蛮骨に向かって睡骨は訊いた。
「さあ、俺は知らねえ。どうだよ霧骨」
「俺も、いくら薬でも火薬のことは知らねえよ」
「煉骨が大丈夫だってんなら、大丈夫じゃねえの」
「それはそうかもしれねえが……」
「まあ、大丈夫じゃなかったときのためにおめえらがいるんだけどなぁ」
「上手くいかなかったときには、凶骨も連れて参上すりゃあいいんだろう」
「そうそう、おまえら顔が恐いから、その強面こわもてでひと睨みかましてやれよ」
 いけしゃあしゃあと蛮骨が言った、そのときである。
 道の向こうの方から、足早に歩いてくる人影がある。
 編み笠を深く被って、ぼろぼろの黒衣にその上からぼろきれのような袈裟を纏った僧侶が、どこに急ぐのかかなりの早足で歩いてくる。
 しかしその僧侶は不意に立ち止まると、笠の先を持ち上げて茶店の店先に腰掛けていた三人に視線を投げかけてきた。
 そうして、再び笠を被りなおすと、三人に向かって真っ直ぐ向かってくる。
 それを見て霧骨が腰を浮かしかけた。
「何だ?」
 しかし、すぐに蛮骨に肩を押さえられ、動きを制される。
「首領さん」
 寄ってくるなり、僧形の男がそう蛮骨を呼んだ。
「予定より半刻早く出たようです。そのおつもりで」
「半刻? けっこう早いな」
 蛮骨が眉をひそめて、男の顔を覗き込む。
「ええ、もうじきにやってくるでしょう」
「分かったよ。煉骨たちにも伝えてくれ」
「はい」
 返事とともに、男が踵を返す。
 しかし、それを蛮骨が思いついたように、
朔太朗さくたろう
 と、呼び止める。
「心付けだ」
 言いながら蛮骨が手の中から放った物を、男は片手で受け止めて少し驚いた顔をした。
 指の先の大きさくらいの、光る銀の粒であった。
「…ありがたく受け取らせてもらいます」
 律儀に礼を言って、男は銀塊を懐にしまうと再び早足に橋の方へと向かって歩いていく。
「…なるほど」
 霧骨が横から声を上げる。
「ああいう情報元か。それにしても兄貴も気前がいいなぁ」
「いい男は金を出ししぶったりしねえんだ」
 蛮骨が手の中の湯呑みを置いて立ち上がる。
「おめえら、後頼むぞ」
 睡骨と霧骨が、小さく頷いた。


 蛇骨の長い指が、窮屈そうに狭い橋桁はしげたの間で動いている。
 なかなか手際よく、小さな火薬の包みを細い麻縄で桁に結わえ付けていく。
「…そうだそのまんま動くなよ、銀骨」
 手を動かしながら、蛇骨が尻の下の銀骨に向かって言う。
「ぎ……」
 銀骨が、自分の頭の上に腰掛けている蛇骨に不満を言うように、身体を軋ませた。
「文句言うんじゃねえよ」
「ぎっ……」
「…よし、おい銀骨次だ」
「おうよ」
 蛇骨を頭の上に乗せたまま、銀骨がゆっくりと動き始める。
 振動で橋に仕掛けられた火薬が誤爆しないように、足音をひそませるようにしてできるかぎり静かに移動する。
「もうちょい右……ああ、もうちょっと左だって。そう、そうその辺だ」
 蛇骨が橋と、手に持った図面を見比べる。
「これで最後だな」
 図面には、几帳面に仕掛け終わった場所から墨で×印が付けられていた。
「さっさと終わらせて俺の上から降りてくれ……」
「言われなくたって、俺だってケツが痛ぇよ」
 そんなことを言い合いながら、蛇骨は再び手に持った火薬の包みを橋にくくり付け始め、銀骨はただじっと動かないでいる。
 そのとき、
「おい蛇骨」
 と、銀骨の足下で煉骨の声がした。
「何だよ、兄貴」
 視線は己の手の動きを追ったままで、蛇骨が返事をする。
「予定より半刻早くやっこさんが来るらしい。間に合いそうか」
「余裕だね」
「そうか、それならいい。…正直俺はもう少しかかると思ってたが、蛇骨おめえ、案外手の先が器用じゃねえか」
「俺が一体何人の男を、この手で極楽浄土に連れてってやったと思ってんだよ」
「何人だ」
「数えるの忘れちまった」
「…ったく馬鹿なこと言ってねえで、さっさと終わらせちまえ」
「兄貴が聞いたんじゃねえか」
 蛇骨が口を尖らせる。
「おまえが言い出したんだ」
「兄貴が俺の言うことにつきあうからだよ」
「…屁理屈こねてねえで……」
「へいへい、もう終わったよ」
 そう言って、蛇骨が動かしていた手を止めた。
 煉骨が言った。
「よし、それじゃ俺たちは退散するか」
 しかし、どうしてか蛇骨は橋桁の隙間に両手を突っ込んだまま銀骨の頭の上から動こうとしない。
「……」
「…どうした蛇骨、降りねえのか」
 蛇骨の表情が、心なしか青ざめているように見えた。
「どうしたんだ」
「…なあ煉骨の兄貴、その、城の軍師だったかがこの橋通るのって、あとどれくらいしてからだったっけ」
「さあ、半刻早く着くってんだからもうじきに来るだろう。それがどうした」
 蛇骨が、悪戯の言い訳をする子供のように、おずおずと言った。
「手が抜けねぇ……」
「何だと?」
 すぐに煉骨は銀骨に歩み寄り、その肩の上へと登る。
「ぎし……」
 と、大人二人の体重がかかって重たそうに、銀骨の体が軋む。
「どこだ」
 煉骨が蛇骨の手元を覗き込んで、訊いた。
「ここ……」
 蛇骨が言い終わる前に、煉骨が蛇骨の手首を掴んで軽く引っぱった。
「……」
「…どうしよ」
 蛇骨が引き攣った半笑い顔で言うと、
「蛇骨、手ぇ動かすんじゃないぞ」
 と言って煉骨が、真顔で懐から取り出したものを見て蛇骨はぎょっとした。
 刃渡り一尺(一尺は約33センチメートル)程の、鞘に納まった刀器だった。


 部下二人を連れた合計三騎で、軍師山城は街道をのんびりと進んでいた。
 山城は地味な素奥すあおを纏って、広い月代さかやきを入れた髷頭をしているが、顔はそれほど齢を重ねていないように見える。
 特に目鼻立ちがぱっと目を引くほど整っているわけではなく、精悍な顔つきをしているわけでもなく、はっきりいって冴えない容姿である。
(合戦はまぬがれんわなぁ……)
 近頃こればかり考えている。
(まったく、あの喧嘩好きのじじが……)
 心の中で敵の当主を罵りながら、馬の手綱をる。
 よけぇ領地を持っちょうもんはいいわい。
 俺んとか貧乏だけん仕官してごすもんもおらぁへん。
 合戦一つやぁだけで火の車だじ。
 故郷の訛りを剥き出しにして、山城は思う。
 そういや、あの爺、土地のもんの他にも兵を集めちょうとか諜報ちょうほうのもんが言っちょった。
 流れもんだぁか。
 どげだいなぁ、向こうの手下なら作戦も立てれぇが、流れもんは……どげな奴らか分からんけんなぁ。
 溜め息をつく。
 傭兵なぁ。
 どげん金がかかぁだあか、そういうもん雇うにゃ。
 山城が、自分の胃の腑の辺りを押さえながら思ったときであった。
「山城様」
 急に部下の者に名を呼ばれて、山城ははっと我に返る。
 僅かに俯いていた顔を持ち上げた。
「ん?」
 山城は手綱を引き、馬の足を止めさせた。
 ちょうど、国境に程近い橋を今まさに渡ろうとしていたところであった。
 その橋の向こう岸に、異様な恰好をした少年が一人、身の丈より大きな鉾を肩に担いで道の真ん中に胡坐をかいて座っている。


「どうだ」
「駄目だ、まだ抜けねえよ」
「くそっ」
 吐き出すように、しかし押し殺した声で呟きながら、煉骨は再び橋桁の材木に、やすりの先を押し当てた。
 渡り幅一尺ほどのやすりが、かりかりと小さな音を立てて蛇骨の左手のすぐ横で動いている。
 蛇骨が、すでに橋から抜け出た右手で自分の左腕を押さえている。
 息の音だけで喋る。
「煉骨の兄貴、やべぇんじゃねえの、馬の音が……」
「分かってる! くそっ、一番上等な歯車用のやすりだったのに……蛇骨、今度の報酬のてめえの取り分から差し引いてやるからな、磨ぎ代」
 橋の前に胡坐をかいていた蛮骨が、やおら立ち上がると言った。
「軍師山城さまか」
「…いかにも」
 橋を挟んだ反対側で、山城は頷く。
「何者だ、貴様」
「七人隊……土地を流れて戦のお供で飯を食ってる悪党。俺は首領の蛮骨」
「…傭兵、というものか。貴様が首領だと?」
「そうだ」
 ただの少年にしか見えん、と、山城は脇で腰のものに手をかけている二人の部下を押さえながら思った。
「その傭兵が何用だ」
 蛇骨は唇を噛み締めてやすりの動きを睨みつけている。
 やすりに削り落とされた、粉のような木のくずが絶え間なく降ってくる。
 火薬を仕掛けたということは、この橋は、どういう風にかは知らないがその火薬で吹き飛ばされるのだろう。
 このまま腕が抜けなかったら俺の命は無いかもしれない。
 少なくとも片腕は無くなる。
「単刀直入に言うよ」
 蛮骨が言う。
「戦で俺たちを使っちゃくれねえか」
「……」
「腕に自信はある。俺の仲間の腕も、保障するぜ」
「腕が良いというだけで、雇うことはできぬ」
「他に何が必要なんだ」
「今、会うたばかりで信用などできるか」
「今の戦況は、あんたの国の方が圧倒的に不利なんだろう」
「……」
「その国にわざわざ加担しようってんだぜ、およそまともな神経はしてねえよ」
「…だからこそ信用できん」
「だがそれを信用してくれりゃ、勝神さまを呼んでやるぜ、俺たちが」
「……」
「今の形勢じゃ、まともなことやってちゃもう勝てねえよ」
 そんなこた言われんでも分かっちょうわ。
 山城の顔つきが次第に厳しいものに変わっていく。
「煉骨の兄貴……」
 蛇骨が、掠れた声で呼んだ。
「俺と一緒に心中する気なんてねえよな……」
「誰が好き好んでてめえなんかと手ぇ繋いで死ぬかよ」
 木を削る音が橋の上に届かないように気を払いながらも、煉骨はとにかくやすりを動かしている。
「…そこまで嫌がらなくてもいいじゃねえか」
「馬鹿野郎、冗談言ってる場合か」
 山城が言う。
「確かに、それは貴様の言うとおりだ。しかし、まともなことをやらないのと、無鉄砲なことをやるのは違う」
「無鉄砲か、俺たちを使うのは」
「信頼できぬものを使うのは良策とはいえぬ」
「俺たちを、敵の罠か何かだと思ってんのかい」
「それもあるかもしれんな」
 蛮骨は眉をひそめて、山城を見た。
 やっぱりそう簡単にはいかねえか。
「少しでも陣中で妙な素振りをしてると思ったら、殺してくれたって構わないぜ」
 実際に殺せるかどうかは、別としてだが。
「ほぉ……」
 山城が少し驚いたような声を上げた。
 そこまで言うか。
「そうまでして、我が国に力を貸そうというのか? 我が国に、義理も何も無い流れ者の傭兵風情が」
「俺たちは、別に義理で戦に出てるわけじゃない」
 憮然として蛮骨は言った。
「…分かった、そこまで言うなら話くらいは聞いてやろう。…そちらの手勢は」
「七人」
 蛮骨が答える。
「七人だと……」
 それじゃあ焼け石に水だ。
 どっちみちそげな数じゃあ役に立たん。
「七人だ。だが甘く見てもらっちゃ困るぜ。足軽百人束になってかかってきたって、蹴散らせる自信があるよ」
「…それは大した自信だな」
 持ち上げたままひたすら上下に動かし続けている手が引き攣りそうだ。
「まだ抜けねえのか!?
 蛇骨の腕はとっくに血の気が下がって青白い上に、細かくかたかたと震えている。
「駄目だよ…手の甲がつかえてやがる」
「畜生……」
 それでも煉骨は手を動かすのを止めるつもりはないようだった。
 橋の下にいる三人の耳には、橋の上の蛮骨と山城の会話がすべて届いてきていた。
 大兄貴は俺達がまだ橋の下にいるとは思ってないだろう。
 さっきから、煉骨の背中の上を冷たいものがいくつも流れ落ちている。
 そろそろ大兄貴が動いてもおかしくない。
「騎馬の者を同じだけ集めても、足軽百人まではいかんぞ」
「お侍さんと俺たちじゃ話が違わぁ。俺たちは戦で飯食ってる悪党よ、戦い方が違うんだ。一人一人の鍛え方もな」
「戦いにおいては傭兵の右に出るものはいないとでも言いたいのか」
「さあ、少なくとも俺たちの右や左に立てる奴はまずないだろうぜ」
「……」
 蛇骨が何度も腕を下に引いているが、どうしても手の甲がつかえてしまう。
「くそっ」
「ここんとこが引っかかっちまうんだ多分」
 蛇骨が言いながら、左手の中指の根元の関節の辺りを指差す。
「だがやはりそう簡単には信用できん」
 山城が唸るような声で言う。
「そも雇ってほしいというのなら、紹介状の一つも持って訪れるべきではないか」
「こっちも時間が無かった。下手すると、追われる身になっちまうもんでね」
たれに追われるというのだ」
「あんたの敵国にだよ。俺たちゃあんたに信用してもらわなくちゃ食いっぱぐれるから、包み隠さずに、正直に話すけどよ、俺たちはもともとあっちの国に雇われてたんだ」
「何だと」
 山城が目を見開く。
「それでは貴様ら……」
 蛇骨が眉間にいくつもしわを寄せて、やすりの先を睨みつける。
「……」
 木のくずが少しこぼれる度に、何度も腕を引いてみるが、抜けない。
 よく手を突っ込んだときには引っかからなかったものだ。
 行きはよいよい帰りは恐いとはまさにこのことである。
 一息ついて、蛮骨が言う。
「俺たちを雇ってくれたら、敵のことも知ってる限りは教える。目新しい話があるとは限らねえけどさ」
「……」
 もしこの話が本当なら。
 こいつらを雇やぁ、案外戦で優位に立てるかもしれん。
 こいつらが持っちょる話もだが、何より……
「…つまり、貴様らはこの国に寝返るつもりだということか」
「そういうことになるかな」
 蛮骨が頷く。
「あっ、兄貴もうちょい……」
 ずるっ、と、蛇骨の左手が橋桁の間からずり落ちかけて、あと少しのところで止まる。
「……」
 こいつらがほんに、そげに強ぇなら、寝返らせりゃあ敵を動揺させられぇかもしれん。
 これは、魅力的だ。
 山城は、生唾を飲み込んで蛮骨を見た。
 心の中で、天秤が傾き始める。
 敵の動揺を誘って戦を優勢に持っていけるかもしれないという魅力と、力量も得体もよく知れない連中を手中に抱え込むという危険が、秤にかけられていた。
 …せめてこいつらの力量だけでも知りたい。
「貴様、今ここで貴様の腕を披露しろと言ったら、できるか」
 待ってましたと言わんばかりに、蛮骨が目を炯々けいけいと光らせて笑った。
 あっ、という顔を蛇骨がした。
 ずるりと、蛇骨の左手が今度こそ橋桁の隙間から抜け落ちる。
「兄貴抜け……」
 蛇骨がいい終わらないうちに、煉骨は蛇骨の身体をひっ抱えると、
「銀、伏せろ!」
 言いながら銀骨の背を蹴り、地面に向かって飛び降りた。
 刹那、
 ひゅっ
 と、蛮竜が風を切って振り下ろされた。
 蛮骨が立っているすぐ目の前の橋脚に、細い麻縄で縛り付けられていた小さな皮の包みを真っ二つにするように蛮竜が叩きつけられる。
 蛮骨が、心の中でえた。
(行け!!
 力を込めて蛮竜を振り切ったとき見えた光景は、それはまるで、そこを一陣のかまいたちが通り過ぎていったかと思うような光景であった。
 まず耳をつんざくような爆音がした。
 そして次の瞬間に、見た。
 竜だった。
 まるで透明な風の竜が、木の架け橋を端から食い尽くしていくようだった。
 すべてを切り刻み、噛み砕く竜の牙が、轟音を纏って橋を喰らっていくように見えた。
 竜に食われた部分から、すべて消し飛んでいく。
 僅かな煙とともに消し飛んでいく。
 竜は、爆風とともに、蛮骨と、山城とその部下たちの身体を突き抜けて、
「……」
 そして宙に消えた。
 ばらばらに砕かれた橋の材木が、じゃぼじゃぼと音を立てて土手の下を流れる川の中に落ちていく。
 山城とその部下の騎乗していた馬達があまりの轟音と爆風に驚いたらしく、暴れだそうとしたところを三人は何とか手綱を繰って抑えている。
 蛮骨は蛮竜を肩に担ぎなおすと、山城に向き直った。
「いかがか、軍師さまよ」
「……」
 山城の背後で部下達が、
「あれは魔性のものに違いありませんぞ」
 と、震える声で言ったが、
「ふん」
 と笑って、山城は言った。
「何が魔性だ、あれはうつつぞ」
 だがなかなか面白い。
 蛮骨が、最後の駄目押しとばかりに、
「必要なら紹介状は三日以内には用意する。心配はいらねえよ、れっきとした武家の男に書かせるぜ」
 と、言えば、ついに山城の心の天秤も、完全に片方に傾いたらしい。
「歓迎しよう」
 明朗快活に、山城は言い放った。


「…とまあそういうわけで、俺たち三人は奇跡の生還を遂げたわけよ」
 手に持った扇子をくるくると回しながら、蛇骨が言うと、
「そういうのは、九死に一生を得た、っつーんじゃねえのか」
 と、その横で霧骨が間延びした声を上げる。
「まあほんとに、よく助かったなぁ、おまえ」
「俺が思うにだな」
 にまにまと、蛇骨は笑っている。
「煉骨の兄貴は俺に気があるんだよ。そうでもなきゃわざわざ身をていしてまで……」
「……」
「ん、おいこら霧骨聞いてんのかよ、いいとこなのに」
 蛇骨が手に持っていた扇子の先で、霧骨の頭を小突こうとしたときである。
 ごつん、
 と、何か硬い物が蛇骨の頭を叩いた。
「誰がてめえに気があるだって?」
 煉骨がこめかみに青筋を立てて、蛇骨の背後に立っている。
 その手の中に、あの橋で蛇骨の命を助けた金やすりが鞘に収められたまま握られている。
 このやすりが、蛇骨の頭を叩いたらしい。
「痛ぇなあ、もう」
 蛇骨が、手の平で殴られたところを押さえながら、煉骨の方を振り返った。
「愛しい男がこれ以上馬鹿になったら困るだろ、兄貴」
「愛しいもくそもあるか! ちょっとかばってやったくらいで勘違いするな」
「俺に気があるから、あの時橋の爆発からかばってくれたんじゃねえの」
「違う。てめえがたまたま先に地面に落ちただけだ」
 憮然として煉骨は言う。
「それより、出かけるぞ。準備しろ」
「出かけるって、どこに」
 蛇骨の横で、霧骨も不思議そうな顔をする。
 部屋の、障子の辺りで物音がした。
「…国を出るんだ」
 そこに蛮骨が立っている。
 その後ろに、睡骨と、銀骨と凶骨が控えている。
「国を出る?」
 眉を寄せて、蛇骨が首を傾げる。
「もう次の国に行くのかよ。戦だって、やっと終わったばっかじゃねえか」
「戦が終わったからだ」
 静かに、蛮骨は笑っていた。
「流れ者は、流れていかなくちゃならねえだろ」
「でも……」
「それにこのままだと面倒なことになるからな、手の掛からねえ内に隣国に抜けようぜ」
「……あの軍師の野郎か」
「ありゃばりばりの現実派だな。橋一つ吹っ飛ばして見せたって、他の連中は化け物の技だって驚いて恐がってくれたところを、あの野郎、ただの仕掛けだと気付いてやがったからよ」
「だからって、戦手伝ってくれた恩人殺してもいいのかよ」
い悪いじゃねえ。俺たちがいつか敵に回るかもしれねえと思えば、殺しておいたほうが安心だろ? 自分の国のこと考えりゃ当たり前かもな」
「そりゃそーかもしれねえけどよ」
 はーあ、と溜め息をついて、蛇骨が立ち上がった。
 霧骨もそれに続き、そうしながら呟いた。
「結局俺たちは、どこに行っても嫌われ者か」
「死神は嫌われるもんだろ」
 蛮骨が笑いながら言った。

(了)