傭兵異聞

 かもめはいいよなあ、いっつもふらふら飛んでてよお。
 気楽そうで、悩みなんてなーんもなさそうで……


 初夏の港町。
 心地よい潮風が、俺の髪や、着古してくったくたになった着物をなびかせる。
 薄青が綺麗で気に入りだったんだけど、この着物…
「あーあ、誰が新しい着物でも買ってくんねえかなあ」
「そういうことは、こんなとこじゃなくてもっと色気のあるところで言いな」
「こんなとこって……」
 ちなみにここ、浜辺のうどん屋。
 確かに色気は皆無に等しい。
「…うっせえな、たこ坊主。じゃあおめえが買ってくれよ」
 たこ坊主、その名のとおりの坊主頭。
 どっかで稚児でもしてたんじゃねえかと思えるほど見目が良くて、頭もいい。
 まあ俺の好みじゃねえんだけど。
「なんで俺が」
「買ってくれたら脚開いてやるぜ。つってもおめえ俺の好みじゃねえけど」
「……間に合ってるよ」
「あそ」
 俺たち二人は今同じ場所に雇われている。
 雇い主はこのあたり一体を縄張りにしている水軍。
 いわゆる海賊というやつ。
 とりあえず用心棒ということで雇われているが、多分奴らはこの土地に理のある戦力が欲しかったのだろう。
 最近海賊たちが不穏な動きを見せている。
 この土地もそろそろ危ないのではないか。
 なんでも城を狙っているとかいないとか、そんな噂が広まっていた。
(狙ってるんだろうな、城)
 奴ら地上戦は苦手っぽいし。
 俺といい、たこ坊主といい、戦力をかき集めてるって感じだ。
 ま、どうでもいいんだけど。
 俺としちゃ派手に喧嘩できりゃあ……
「おい垂袴たればかま
 これ、俺の雇われ仲間内の呼び名。
「んだよたこ坊主」
面胴めんどうだ」
 そーいやおまえはそんなふうに呼ばれてたっけ。
 垂袴に面胴、こんな名前考えた奴の命名感覚には疑うべきものがある。
「で? 何だよ」
「町で噂になってる話、知ってるか」
「賊が攻めてくるって?」
「それじゃない。城のことだ」
「城が、どうしたってんだ」
「城の奴らが水軍の連中を警戒してな、戦力を蓄えだしているらしい」
 ほーお、そりゃ大変なこった。
「そりゃまあ、そうだろうよ」
「えれえ強い傭兵を雇ったらしいぜ」
「傭兵?」
 あまり聞きなれない言葉だった。
 そもそもこの土地は、喧嘩はべらぼーに多くても戦とはあまり縁がない。
「傭兵ねえ……殿さん方が誰雇おうが知らねえが…なあ、そいつイイ男かなあ」
「おめえは…なんか他に言うこたねえのかよ」
「ねえ」
「そうかい……しかし、強いとはいってもどの程度だか…」
「…んー」
 強い男、か。
 だったらいいねえ、そんな男に一度会ってみてえ。
 なかなかいねえとは思うけどよ。
 無条件に見上げたくなるような、一生ついていきたくなるような、そんな野郎……
 と、急に、俺は日影に覆われた。
「?」
 その影の主を、俺は見上げる。
 逆光の中で、背中に一本垂れたお下げ髪が目に入った。
親仁おやじ、うどん一杯。薬味大盛りで」
 振り向いた瞬間、俺は季節外れにも一輪の菖蒲の花を見たような気になった。


 背筋がぴんと伸びている。
 襟元にだけが青く染め抜かれた白い小袖に、街中では珍しいが、同じく白地でそこに青の草模様の入った簡素な鎧。
 それの上で綺麗に映えている赤い帯。
 思わず解きたくなる。
 顔立ちも凛として、なかなかの男前。
 俺の好みだ。
 加えて食いっぷりもいい。
 ただちょっと…さっきは立っていたから分からなかったのだが、
「おい、ちび助」
「……」
「おいってば」
「……」
「お・い・こ・ら」
「……っせえな」
 うどんの椀に口をつけたまま、目だけがこちらをにらんだ。
 そして一度視線を戻し、椀の中身をぐっと飲み干すと顔を離して手の甲で口を拭う。
 妙に子供っぽい仕草。
「おいそこの坊主頭、自分の情婦いろはちゃんと自分で見張ってろよ」
「な…」
「誰が誰の情婦だって?」
「こいつ、おめえのコレじゃねえのか」
 少年……だろう、やはり……は小指を立ててこちらに見せる。
「俺は男だっつーの」
「誰がこんな奴と」
「……ふーん」
 少年が俺をじろじろと見る。
 頭の先から足の先まで視線を向けられる。
「…ほんとに男か?」
「なんなら見せてやろうか」
 ま、ほんとに見たけりゃ褥の中までおあずけだけどよ。
「んじゃせっかくだから」
 ばっ
!?
 制止できなかった。
 意外なほど少年の動きは速く、俺が手を出す暇も無く俺の着物の裾を掴んでいた。
「あ、ほんとに男だ」
 店先で…
「っ、離せよ!」
 …なんか話が変な方向にいってる気がする。
 俺が迫るつもりなのに、これじゃ逆に遊ばれてるじゃねえか。
 俺は一つ咳払いをした。
「おいちび、おめえ俺の着物ん中見たからにゃ……て、こら聞いてんのか!」
 いつの間にか少年は面胴と向かい合って話をしている。
「垂袴、まあ落ち着け」
「そうだ落ち着け」
 なんでおめえに言われなきゃなんねえんだよ。
「あんまりこいつと問題起こさねえほうが身のためみてえだ」
「なんで」
「俺たちのお仲間だそうだぜ」
「……へ?」
「俺たちと同じ、水軍の奴らに雇われたそうだ」
「まあそういうこった」
 少年がこちらを向いた。
 にやりと口の端を吊り上げる。
「蛮天だ。よろしく頼むぜ、垂袴」
 …蛮天、ね。
「…こちらこそ」
 とりあえずこの蛮天って野郎、俺より一つ二つは年下っぽい。


「ま、雇われたっつってもまだ仲介人通しただけなんだけどよ」
 少年…蛮天は口の端を吊り上げたまま言う。
 その顔も言い方もなんとも生意気。
 俺好みといやそれに違いはねえんだけど……
「なあちび」
「蛮天」
「…蛮天、おめえいくつだ?」
「……」
 …聞いちゃまずかったかね。
 眉を寄せてこちらをにらむ目。
「多分、今十四ぐらい」
「あいまいだな」
 と面胴。
「歳なんて数えてねえもん」
「けどそれなら俺と二つ違いか」
 俺十六だから。
「へえ…じゃあおめえ老けてんなあ」
「なっ…」
「ちょっと嫁き遅れたくらいの女かと思ってた、さっき」
「っ、いい加減に女から離れろ!」
 思わず声が大きくなった。
 蛮天はちょっと驚いたように目を開く。
「俺はな、女が大大大っ嫌いなんだよ。今度女って言ったら犯し殺すぞ!!
 少年はそれ以上には表情を動かさなかった。
 目を開いたまま俺を見てる。
「……ごめん」
「っ!? …」
 なんなんだよてめえ。
 生意気な顔してたかと思ったら、今度はやけに素直になりやがって。
 調子狂うぜ、まったく。
「なあ、なんで女嫌いなんだ? おめえ十六で童貞か?」
「俺は生まれたときからの女嫌いだっての。あと、どーてーじゃねえぜ。男とやってるから」
 …あ、やっといい機会。
「だいたいてめえみてえな可愛い野郎とな。やった奴はみんな極楽浄土へご案内だぜ」
 この機に一気に畳み掛けて……
 俺はここぞとばかりに身を乗り出し、蛮天の方へと身を寄せた。
 手の平を奴の腿の上へと滑らせる。
 開いた脚は内腿まで触り放題。
 ここらで狂わされた調子を取り戻さねえとな。
「な、どうだ? ちょっと遊んでみねえか」
「…俺、そんな趣味ねえんだけど」
 手首を使って撫で回す。
「優しくしてやるぜ?」
 逆の手の指で、少年の首筋をつつっ、となぞる。
 蛮天の喉がごくりと鳴った。
 いけそうだ。
 …こいつの血はどんな色だろう、頭の中にもうそんな考えが浮かんでくる。
 早く見てえ…
「なあ……」
 あと、一押し…
 だがそのとき

「お客さん、そういうことは夜になってから、もっと人気のねえところでやってくださいよ」

 …店の親仁の声だ。
「うっせえな、邪魔すんな!」
 だが蛮天は我に返ったかのように立ち上がってしまった。
 ちっ、もうちょっとだったのに…
 面胴があきれたように、半ばからかうように言う。
「まあ昼間っから店先で男が二人、いちゃついてるようなうどん屋じゃ繁盛から遠ざかるばっかりだろうからな」
 きっ、と蛮天がそれを視線で射た。
 思わず悪寒を覚えるような視線だった。
 面胴が面食らう。
 俺も面食らった。
 こいつは、こんな顔もする……
 しかし、そんな氷刃のような視線はすぐに消え、すっ、と見下ろすような視線のみが残った。
「…そろそろ俺は行くわ。水軍の頭に会わなきゃなんねえし」
「…そうだな、俺ももう出よう…垂袴、おめえも来いよ」
「ん……」
 びしびし感じる気まずい雰囲気。
 腰が重かった。


 俺たちを雇っているのは水軍の頭だが、俺たちが話をするのは実際は頭じゃない。
 鬼鷹という大柄な男だった。
 ちなみに俺の好みじゃない。
 いかつい野郎はたいてい守備範囲外。
「なんで頭に会えねえんだ」
 腕を組んで、仁王立ちでそう言うのは蛮天だ。
 鬼鷹と並ぶと、まったく親子ほども背丈が違う。
「お頭はおまえなんぞとは話はしない。それは俺の役目だ」
「それじゃ話が違う。俺は頭と話をつけてから仕事につくようにって言われてきたんだ」
「だからそれは俺の役目だと…」
「なあおい面胴、垂袴」
 急に蛮天がこちらを振り返った。
「おめえらも会ったことねえのか? 頭に」
「ああ、ない」
「ほら見ろ」
「ちっ」
 忌々しげに舌を打つ蛮天に鬼鷹が言う。
「お頭には会えんが、お前のことは聞いている、お頭もな」
「何だって?」
「雇うことに決めた。戦力は一人でも多いほうがいい」
「そうかい」
 頭に会えなくてか、蛮天は機嫌が悪そうだった。
 つん、とそっぽを向いているのがやたら餓鬼くさい。
 だが鬼鷹はそんなことには構わず話を続ける。
「それでだ、さっそくだが働いてもらう。さっき偵察方から連絡があって、明日あたり、城の手勢がこちらの様子を見に来るそうだ」
「で?」
「おまえたちにそいつらを頼む。船までのところでどうにかしろ」
「たち、ってことは俺らもか?」
 面胴が身を乗り出した。
「ああそうだ。殺しても構わん、とにかくこちらに近づけるな」
「俺たち三人で?」
「なに案ずることはないだろう、そこの垂袴がいるしな」
「…そんなに強えのかよ、おめえ」
 …なんだよその疑わしげな目は。
「ま、俺さまの刀にかかりゃ、侍の十人や二十人は軽いもんだぜ」
「へえ…そりゃ明日が楽しみだな」
 でた、あの笑い方。口の端を吊り上げて。
 このときの顔は随分大人びている。
 本当に、この少年は分からない。
「じゃあおまえたち、仲良くやれよ」
 鬼鷹はそういうと、用事があるからといって船室を出て行った。
 俺たちも外へ出た。
 深緑の海の上に浮かぶ船上では、夏の濃い青空が手に取れるように近い。


「…どこまでついてくる気だ、てめえ」
 すでに夕刻。
「おめえが行くとこ全部」
 俺たち三人はもう別れて、皆それぞれに帰路についたのだが…
「な…冗談じゃねえぜ、さっさとどっか行けよ」
 俺は蛮天の後をついて行った。
 昼間いいとこまでいきかけたんだ、絶対に逃がしゃしねえからな。
「やだね」
「期待してんなら、するだけ無駄だぜ」
「そうかねえ」
 俺は意地悪く笑みを向ける。
「だって昼間は結構その気だっただろ?」
「んなわきゃねえだろが」
「嘘」
 蛮天に擦り寄り、背後から体をくっつける。
 脚を奴のそれへと絡ませるようにして擦り合わす。
「ほんとはしてえんだろ?」
 耳元で囁いてやる。
 …が、蛮天は意外なほどあっさりと俺の腕と脚を振りほどいた。
「何を勘違いしてるか知らねえが」
 奴が振り向く。
「俺は男とやる趣味はねえってんだよ!」
 ぞくっ…
 悪寒が背を走る。
 射るような視線とドスの聞いた声に、思わず圧倒されてしまった。
 …いやいやいや、ここで負けてたまるか!
 俺は奴を睨み返した。
 同時に、自分の獲物…刀を確認する。
 昼間からずっと持っていたが、いつも肌身離したことはない。
 俺の相棒。
 それを入れている袋を吊った紐を軽く引き、すぐに抜けるようにした。
「…その刀か、あの鬼鷹とかいう男が信用してんのは」
「俺の腕もな」
「ただの刀じゃなさそうだ」
「そうだぜ……使い方もな、ただ斬るだけじゃねえんだ」
「へえ」
「教えてやるよ。この刀はな…」
 手をかけた。
 もうここまでだ。
 明日の仕事に差し支えるかもしれないが、構わない。
 血への欲望が先を走った。
「じっくり切り刻んでやれるんだよ、おめえをな!」
 振り抜いた。
 つもりだった。
!?
 だが実際には、抜くこともできなかった。
 蛮天の手が、刀の握りの先を押さえている。
 それだけで、俺は抜けなかったのだ。
(なんて野郎だ!)
 その馬鹿力にも驚かされるが、さらに驚くべきは、
(いつの間に間合いを詰めやがった…)
 俺だって結構身軽なつもりなのに、こいつの速さ…比べ物にならない。
「切り刻まれんのは、ごめんだな」
 俺がどんなに腕に力を入れても、蛮天は顔色一つ変えない。
「だから、その刀の威力は明日じっくり見させてもらうぜ?」
「……」
「明日、ちゃんと来いよ」
 ふ、と力が緩められた。
 俺の腕からも、力が抜けてしまった。
「じゃあな」
 蛮天は俺の横をすり抜けて行く。
 もう追う気にもならなかった。
(明日……)
 この分だと明日の仕事は、きっと楽に終わるに違いない。


「お、来た来た。おーい、垂袴ー」
 うっ……
 できればあんまり顔を会わせたくなかった。
 だが奴の方は俺のそんな気持ちなんかお構いなしで、こちらに手を振っている。
 蛮天。
 昨日、その少年に俺はしてやられたばかりだというのに。
 俺に刀を抜かせなかった野郎、そんなのは生まれてこのかた初めてだ。
 珍しく気持ちが萎えてしまう。
「おーい、なーにしけた面してやがる」
 …てめえのせいだろーが。
 浜辺に立つ蛮天の右腕には、一本の長い…やつの身の丈の倍程はある…棒が握られていた。
「…それで戦う気かよ」
「これで十分なんだよ」
「……それひょっとして…」
「船の漕ぎ棒」
 なめてやがる…
「何だよその呆れ顔。ようは物より使いようだぜ?」
「ごーもっともなこって。でもおめえ、いつもそれで戦ってるわけじゃあるめえ」
「まあな、そりゃ」
「いつもは? まさか丸腰か?」
「それも動きやすくていいけどな。いつもは相棒がいっしょだよ」
「今日は?」
「ちょっと預けてるんだ」
 預ける?
 相棒なのに?
「そんなことして、いいのかよ」
「まあ大丈夫だろ」
(ほんとに大丈夫なんだろうな…)
 そう思いかけて、いや、と俺は思い直す。
 昨日のことが脳裏によみがえった。
(…大丈夫か)
 まあいいや、俺の邪魔にならなきゃ、なんでも。
 ふっ、と溜め息を一つつく。
「心配すんな、おめえの邪魔はしねえからよ」
 ぎくり。
「な…べ、別に俺はなんも言ってねえぜ?」
「顔に出てる。ま、ほんとに心配はいらねえよ。おめえの刀と腕、楽しみにしてんだからな」
「…そうかい」
 びっくりした…そんなに出てたか? 顔に。
「それより、遅いなー、面胴の野郎」
 蛮天は何事もないように明後日あさっての方向を見ている。
「…恐くなって逃げやがった、とか? まさかな」
 俺は一人うろたえているのがなんだか居心地悪く、とりあえず蛮天の話に合わせることにした。
「なあ、あいつって強いのか?」
「面胴か? 強いぜ。昨日は持ってなかったけど、戦うときは馬鹿でっかい鉾持っててさ。ちょっと重そうだけど」
「まあそりゃ重いだろうなあ……」
「ん?」
「いや、何でもねえよ」
「ま、とにかくかなりできるやつだよ、あいつ。あれで顔が俺の好みならなあ、襲っちまうんだけど…」
「おめえのその顔であいつを犯るってか…ちょっと見てみてえかもなあ、もの凄そうだし」
 あははと蛮天は笑っている、が、
 俺はおめえを犯りたかったんだっつーの…
 …昨日までは。
 まあ、今はもう萎えちまったけど…
 あーあ、強すぎるってのも考えもんかねえ…
 そうして俺はもう一度溜め息をつ…
 と、

!?
「!」

「…垂袴」
「気づいてるぜ……おめえも…」
「…おう」
 静かだ。
 どんなに耳を澄ませても、まるでこの世から音が消えたように何も聞こえない。
 でも、感じる…!
「誰だ! 隠れてねえで出て来い!」
 蛮天が叫ぶ。
 …気配が分かるだけでも、十、二十、いや三十は軽く越す人数。
 侍どもじゃない。
 ぞくっ…
 俺の体の芯を、何かが通り抜けた。
 それはとても甘美で、魅惑的で、胸躍らせるもの。
 …血が見てえ……
 それはいつも俺にそう思わせる。
「隠れても無駄だっつてんだよ、さっさと出てきやがれ!」
 心なしか、蛮天の声もやや上ずっている気がする。
 見れば表情は至極楽しそうであった。
 なんだ、おめえもかよ、蛮天。
 俺は舌なめずりをして、愛刀の柄に手をかけた。
 蛮天も棒を握り直す。
 そして、
「早く出て来ねえとぶっ殺すぞ!!
 最後には二人同時に叫んでいた。


「どけ蛮天!!
 俺が先に動いた。
 刀を振りぬく。

 しゃっ

 心地よい金属音。
 伸びていく刀身。
 鮮血。
 悲鳴。
 隠れていた奴らざっと五十人ほど。
 どうやって集まったか町中の無頼者が集まっていた。
 見知った顔もちらほらある。
 知ったこっちゃねえがな。
 手首をわずかに動かす。

 ギャンッ

 刃先が大きく曲がる。
 腕ごと引けば、刀はまるで怒り狂う大蛇のように、その身を揺さぶる。
 見たか!
 蛮天が背後で感嘆した。
「蛮天!」
 体ごとひねって背後を狙う。
 蛮天は俺が叫んだ訳をすぐに見取り、姿勢を下げた。
 ギンッ
 悲鳴はとどまらない。
 とどめさせない。


 伸びきった刃がきれいに折りたたまれつつ戻ってくる。
 俺は腕を伸ばしてそれを受け止めながら、息を整えた。
「やるじゃねえか」
 蛮天が背後から言う。
「あったりめえだ、俺を誰だと思ってやがる」
「鬼鷹が言うだけはあったな」
「悪いなあ、おめえに出番残さなくってよ」
「いや?」
 蛮天は持っていた棒を前に引いた。
「そうでもねえぜ?」
 それを勢いに、後ろへと突き返す。
 う゛っ、という呻き声と、鈍い音が聞こえた。
 振り返れば、生きていたらしい一人の男が俺に切先を向けていた。
 しかしその腕もすぐに地面へと落ちる。
「詰めが甘いと命取りになるぞ」
「…そうだな」
 助けられちまった。
 俺は完全に一つの刀に折りたたまれた愛刀を背の袋へと戻した。
「それにしても、何だったんだ、あいつら」
 俺は別に奴らの恨みを買った覚えはねえぞ。
「あれだけの人数、俺たちに恨みはらそうってんじゃねえ」
 どうやら蛮天も同じことを考えているらしい。
「誰かが集めたんだ、あれだけ」
「誰が?」
 訊き返すと、蛮天は何やら難しい顔をして溜め息をついた。
「いるだろ、心当たりが一人」
「え…」
「俺たちが今日ここで集まること、知ってるのは俺たちと、鬼鷹と、あとは……」
「…まさか」
「あいつ、ひょっとしたら城の犬じゃねえのか? 俺たちが今日、城の奴らとはちあわす前に片付けちまおうって魂胆」
 …そんなことが?
 だってあいつとは……
「けど……」
 言いかけて、蛮天の怒声がそれを制した。
「おい! 近くにいるんだろ!? 出てきやがれ!!
「……」
 返答は無い。
「なあ……本当にあいつが?」
「他に考えられねえよ」
「鬼鷹は…」
「あいつは俺たちが死んだら困るはずだぜ。あんだけおめえの腕を信用してたしな」
「……」
「ほら、ネタはあがってんだぜ!? さっさと出て来いよ、面胴!」
 もう一度、蛮天が叫んだ。
 …静かだ。
 ただ潮風が揺らす葉の音だけが耳に届いて。
 でも、俺の体は確かに感じ取っていた。
 たこ坊主…
 そこにいるんだな……
「…ここにいるぜ」
 そこに、面胴はいた。
 岩陰から大きな鉾を抱えた姿が現れる。
 頭に巻いた布が風になびいていた。


 俺は再び刀に手をかけた。
「垂袴、物騒な真似はよそうぜ」
 言いながら、面胴が抱えていた大鉾を俺たちの前へと放った。
 ぼふっ、と鈍い音を立てて、それは砂浜の上へと落ちる。
「へえ、素直だな」
 蛮天が進み出て大鉾を拾い上げ、軽々とそれを肩に担いだ。
「五十人殺すのに数えるほどしかかからねえような野郎と、まともにやり合おうとは思わねえよ」
「なんで俺たちを裏切った」
 俺も刀から手を離した。
 だっておめえは……
「おめえ、今までずっと城の奴らとやり合ってきたじゃねえか」
 俺が言うと、面胴は目を細めてにやりと笑った。
「俺は元から城側の人間さ。あっちの人員整理をな、手伝ってやってたんだよ」
 …人員整理? じゃあ自分で自分の味方を……
「俺を雇っている殿さんにも、そう頼まれたしな」
 …ろくでもねえ……!!
「この野郎…」
 俺はぎゅっ、と拳を握り締めた。
 殴りつけてやりたかった。
「なあ垂袴」
 そのとき蛮天が。口を開いた
「それ俺にゆずれよ」
 言うなり

 どっ

 蛮天の動きは速かった。
 一瞬で面胴との間を詰め、奴の腹に一発喰らわせていた。
「ぐっ…」
 面胴が呻く。
「っ……」
 そしてそのまま身を折り、動かなくなった。
「さて、と」
 蛮天がその体を肩の上に担ぎ上げる。
 右肩に面胴を、左肩に大鉾を、平然と抱えながらこちらを振り向いた。
「行くか」
「行くって…」
「鬼鷹のところ」
「…あいつのところへ?」
「俺たちが勝手に殺しちゃまずい、一応、雇われの身としちゃあな。…それとも」
 すっ、と冷えた目がこちらを見ていた。
「殺りてえのか? この野郎を」
「……別に」
 …その気になれねえよ。
「行こうぜ」
 蛮天はくるりと俺に背を向けると、ゆっくりと歩きだす。
 俺もずるずると重い足を引きずり始めた。


「ほれ、鬼鷹さんよ、あんたに届けもんだぜ」
 どさっ、と面胴の体が下ろされた。
「痛っ、乱暴に扱うんじゃねえよ」
 すでにこの男は目を覚ましている。
 両手首を後ろ手に縛られていた。
「…どういうことだ」
 鬼鷹が眉をひそめて俺たちを見る。
「裏切り者一丁、あんた宛だよ」
 俺はそう言ってやった。
「裏切っただと?」
「城の飼い犬さ」
「何!?
「あんたがこいつを雇ったときから、こいつは城に飼われてたんだ。多分、こっちの動きは全部城の方に筒抜けてるぜ」
 淡々と蛮天は言う。
「どうする?」
 鬼鷹は苦虫を噛み潰したような顔をしていた。
「……お頭の所へ連れて行こう」
「ここで殺しちまわないのか?」
「こいつも何か城側のことを知っているかもしれん」
「そうかね」
「とにかく行ってみる」
「…なあ、俺たちも行っていいかい」
 俺は訊いてみた。
「そうだな…まあ今回は構わんだろう。おまえたちもこいつの最期を見届けてやるがいいさ」
「お頭にも、会えるんだな?」
「ああ。そうだな…夕刻になったらこいつを連れて行く。もう一度ここへ来い」
「いい、面倒臭え」
 蛮天はその場にどかっ、と腰を下ろした。
「ここで待つよ」
 俺は一人、黙って船室を出た。
 気を紛らわしたかった。


 夕刻。
 俺と蛮天、鬼鷹、面胴の四人は、浜沿いの町の薄暗い路地をゆっくりと歩いていた。
 面胴は後ろ手に縛られたまま鬼鷹に引かれていき、蛮天はまだ奴の大鉾を担いで歩いている。
 何故かと問うと、
「別に何も言われなかったけど、一応な」
 …だと。
 なんとなく、俺にはこの大鉾は、面胴が持っているよりこの少年が抱えている方がしっくりくるような気がしていた。
 なんとなく、だが。
「なあ、こんなところにお頭はいるのか?」
 蛮天が鬼鷹に向かって訊いた。
「そのことだが…」
 言いながら、前を歩いていた鬼鷹は俺たちの方を振り返る。
「これからおまえたちが見ること、聞くことはすべて他言無用だ。お頭の正体も、居場所も。他人に知られれば真っ先におまえたちを疑うぞ、いいな」
「…いいけどよ、そんなに隠してえことなのか?」
「ああ」
 再び鬼鷹は俺たちに背を向ける。
(気に入らねえな……)
 別に、海賊どもが頭の正体を隠したがることばかりが気に入らないわけじゃない。
 すべてが気に入らない。
 納得いくことが一つもない。
 全身の毛が逆立ちそうなほど、俺はいらついていた。
「…調子、悪そうだな」
「…蛮天……」
「あいつが城の飼い犬だったことがそんなにこたえたのかよ」
「…別に、そんなんじゃねえ」
 城だの、賊だの、そんなのは俺にとっちゃどうでもいいことだ。
「違えよ……」
「…そうか……なあ、垂袴」
「なに」
「俺のこと好きか」
「…………は?」
 何だって?
 俺はそのとき、おそらくはとんでもなく間抜けな顔をさらしていたに違いない。
 蛮天が俺を見て、ふっ、と笑った。
「馬鹿正直だな」
 それは誉めているのか、けなしているのか。
 訊きたくて、口を開きかけ…
「おい、おまえたち」
 …鬼鷹に邪魔された。
「着いたぞ」


 …着いた?
 俺はきょろりと辺りを見回す。
 先ほどまでとどこも変わることのない路地裏。
「おい…一体どこに…」
 俺が言うより早く、鬼鷹がある一軒の裏戸を叩く。
「おかみさん」
 トントン
「鷹です、開けてくだせえ」
 …カラッ
 細く開いた戸の隙間から、少々老けた女の顔が覗いた。
「確かに。鷹に間違いないね。何の用だい」
「親仁どのに会いに」
 女の目が俺たちの方へ向く。
「あいつらは」
「うちで雇ってる奴らですよ。構わねえから入れてやってくだせえ」
「へえ、今頃は海賊も随分いい男使ってんだねえ。よし入りな」
 女の姿が消える。
「来い」
 そう言って、鬼鷹と面倒の二人も戸の内側へと姿を消す。
 俺と蛮天は互いの顔を見合わせた。
 どちらからともなく頷き合う。
 行こう。
 蛮天が先に立ち、俺の目に奴の背中が映った。
 俺も踏み出す。
 ……行って、この晴れない気持ちに切れ目が見つかればいい。


 この場所に、俺は何となく見覚えがある。
 どこにでもありそうな土間なのに。
 戸をくぐってすぐ、そう思った。
 とは言っても、直接ここに来たことがあるわけじゃない。
 どこかで見たような気がするだけだ。
 それも、ごく最近に。
「…この場所…見覚えがあるな……」
 蛮天がぼそりと呟く。
 おめえもか、蛮天。
 どこで見たのだろう…?
「こら、あまりきょろきょろするな」
 どこで見たかと周りを見回していた俺たちを、鬼鷹が咎める
「さっさとついて来い」
 へいへい。
 俺が歩調を速めようとしたとき、蛮天が口を開いた。
「おい面胴」
「…なんだ」
「てめえここに見覚えあるだろ」
「おい、おまえたち静かにしろ」
 鬼鷹が口を挟むが、二人はやめようとしない。
「見覚え…というよりこの匂いに、俺は覚えがあるぜ」
 匂い?
 言われて、くん、と鼻を鳴らしてみると……確かに。
 粉っぽい匂いだ。
 これもどこかで嗅いだことのあるような…
「っ、いてえな」
 と、面胴が呻くような声をあげた。
 見ると、鬼鷹が面胴の両手を縛っている縄を、締め上げるように手で掴んでいた。
「嫌なら黙っていろ」
「ち…分かったよ」
「坊主、お前もだ」
 坊主、とは蛮天のことらしい。
 呼ばれた瞬間、蛮天は片眉をぴくりと動かしたが、
「分かった」
 とりあえず素直な返事を返していた。
 そしてそのうち、俺たちは一つの木戸の前に立った。
「ここか? 頭がいるのは」
 蛮天が鬼鷹に訊くけれど、返答は無い。
「親仁どの」
 鬼鷹は戸に向かってそう呼んだ。
「開いてるよ、勝手に入っとくれ」
 あれ…今のは……
「失礼しやす」
 鬼鷹は頭を下げ下げ、その木戸を引いた。
「お頭」
 そして頭を上げ、鬼鷹が今度はそう呼んだ先には…
「おう、鷹、どうしたい」
 いかにも人の良さそうな、老人のにこにことした表情、声。
 …こいつ!
「うどん食いに来たわけじゃなさそうだが。そっちの若え衆は」
 うまい隠れ蓑を見つけたもんだぜ…
 頭…その老人は、昨日俺たちが出会った場所、俺の恋路を邪魔してくれた…
「…昨日は店先で失礼しやしたね。雇われ者の垂袴と申しやす」
「右に同じ。蛮天だ。親仁さん」
「おお、おまえたちがそうなのかい。昨日は悪かったなあ、邪魔して」
 そう、昨日俺が蛮天に迫ろうとしていたのを邪魔してくれた、あのうどん屋の親仁だった。


「裏切った? 面胴、おまえがかい」
「城の飼い犬だったようで…」
「じゃあこっちの動きは向こうさんに筒抜けだ。で?」
「はい?」
「はい、じゃない。鷹おめえそれでどうしたんだ」
「どう、とは…」
「拷問の一つでもしてみたのかい?」
「いえ、まだ…」
「それぐらい俺が言わなくてもしてみるもんだろう? ほれ」

 がっ

 鈍い音がした。
 面胴が顔をゆがめて身を折る。
「知ってることがあったら洗いざらい言っちまいな、面胴」
 思わず、そいつは今までとは別人なのかと思ってしまうほど。
 先ほどまでの人の良さそうな表情は消え去り、賊の首領らしい、薄気味悪いほどの凶気が見えた。
「もっとも、喋っても生きては帰れねえがなあ。ちっとは最期が楽になるぜ?」
「ふん……っぐ」
 また鈍い音がした。
「言え」
「…言ってもいいのかい」
「何を俺たちにことわる必要があるってんだ」
「大有りさ」
「ほお…構わねえ、言ってみな」
「…まず、あんたたちは城には勝てねえ」
「おい、俺はそんなことが聞きてえんじゃ…」
「あんたたちの中には手練てだれが少ねえ。せいぜい、あんたと、鬼鷹と、あとそこの垂袴ぐらいだろう」
「……」
「人海戦術もいいが、それじゃあ城の奴らには勝てねえよ。奴らが傭兵を雇ったって話、聞いたかい」
「ああ」
「傭兵は二人いる」
「たった二人か」
「働きは侍三十人分だ」
「三十人だと」
「大げさには言ってねえ。根っからの殺し好きの二人組みさ。三度の飯より殺しが好きだと、な」
「で?」
 頭がさらに訊いた。
 俺は二人の話を聞きながら、またどこか納得いかないものを感じている。
 面胴の考えていることが、皆目分からない。
 城に飼われてるんじゃなかったのか?
 そんな、ぺらぺらしゃべっちまって…そんなに楽に死にてえのか……
 いや、むしろ進んで教えてやってるような…
 考えれば考えるほど分からない。
 俺はちらっ、と蛮天の方を見た。
「……」
 …驚いた。
 奴は、口の端を吊り上げて笑っている。
 …また分からなくなるじゃねえか。
 何が、そんなに可笑しいんだよ……
「今、この土地を治めているのは誰だか知ってるか?」
「そんなのは代々ここの城主の家系の…」
「そりゃそうだ。だが、今の城主はまだ十七、八の若造だ」
「何だと?」
「先代はひと月前に死んだ。だが城側は必死にそれを隠してる。あんたらのことやら、隣国のことやらあるからな」
「それで」
「それで、つまり城は焦ってるのさ。どうにかして早いとこ敵を片付けたい。だから傭兵を雇った」
「ほお」
「しかも、傭兵どもはただ城に飼われてるんじゃねえ」
「というと」
「放し飼いにされてんのさ」
「放し飼い?」
「若殿はなんというか奔放な方で、目的のためには手段を選ばないんだよ。そして人材を選ぶ」
「……」
「だから俺は城の人員整理のために、あんたに雇われてやった。一石二鳥だったよ、まったく。用無しの侍どもを処分しつつ、こっちの動きも見れる」
「見方同士でやり合ってたわけかい」
「侍どもが、解雇された恨みであんたらの方に寝返られたら困るってんでな」
「…随分用心深いこった」
「あんたと違ってな」
「何?」
「言っただろう、傭兵どもはいわば放し飼いにされていると」
「だからなんだ」
「若殿は、奴らが誰を、何人殺しても文句を言わない。あんたも、…鬼鷹さんよ、あんただっていつ首切られるか分からねえぜ?」
「なっ…」
「こんなふうにな」
 そのとき俺は、何となく、もう一度蛮天の方を見た。
 いない…?
「っ!?

 びゃっ

 血飛沫。

 …へっ……?
 すぐに視線を頭たちの方へ戻す。
 俺には、何が起こったのか理解できない。
 分かるのは、真っ赤な色、俺の体まで飛び散ってきたその生温かさ。
 俺の前に立つ、血の付いた大鉾を抱える少年の姿。
 蛮天…?
「お頭さん、あんたの運もここまでだ」
 面胴は両腕を縛られたまま、立ち上がった。
 ぶちっ、と音がして、はらりと腕の縄が落ちる。
「兄貴」
 兄貴?
「おう」
 え…
 蛮天? なんで…
「ご苦労だったな、煉骨」
 煉骨?
「蛮天、まさかてめえも…」
「お頭さんよ、何驚いた顔してんだい」
「言っただろう、傭兵は根っからの殺し好きの二人組みだと」
 二人がにやりと笑った。
「俺は蛮骨」
「煉骨だ」
「覚悟できてるか?」
 二人の声が、揃った。


「ちっ」
 頭が舌を打った。
 己の懐に手を突っ込むと、短くて細い、筒のようなものを取り出す。
 そしてそれに思いっきり息を吹き入れた。
 耳をつんざくような、高い音。
 続いて、

 バンッ

 強引に蹴破られる板戸。
 十人、二十人、三十人。
 ぞろぞろと現れたのは賊の手下連中らしき奴ら。
「てめえら、この二人生きて帰すな!」
「おもしれえ、やれるもんならやってみな!!
 蛮天…蛮骨が床を蹴る。
 なんのためらいもなく、手中の大鉾を振りかぶった。
 あいつの相棒って…あの大鉾が……
「おっと!」
 ぼーっとしてる場合じゃなかった。
 生臭い塊が飛び散ってくる。
 血の臭いに、俺ははっとして身を躍らせ…ようと思ったのだが。
 さて困ったな…
 俺はやっぱり海賊側に立つべきなのか?
 それとも…
「おい垂袴、何をぼーっとしてる! さっさとこいつらを殺れ!」
 頭の怒声が飛ぶ。
 俺はぎゅっ、と唇を噛み締めた。
 いや、やっぱり俺は…
「悪いな! たった今俺は垂袴じゃなくなったんだよ!!
「何だと!?
「ただの名もねえ無宿人だ! もうおめえらのために、戦ってやる義理なんてねえ!!
 明日の飯より、ちょっとの間でも、俺の心を奪ってった男を取る!!
「…いや、ただの、なんかじゃねえな…」
 俺は、ゆっくりと腰を沈めた。
 加勢してやるぜ…蛮骨。
 刀の柄に手をかける。
 が、
「!」
 急に俺はその腕を引っぱられた。
 体の均衡を崩しそうになり、よろける。
「おい」
 その体を支えてくれたのは煉骨だった。
 腕を掴んでいるのも、同じくこの男だが。
「面…煉骨、何しやがる」
「とりあえず、この腕を引っ込めてろ。それから」
 煉骨は腕を放した。
「おまえは早いとこここを出るんだ」
「なんでだよ!」
「てめえばっかりは、こんなとこで死なせたくねえからな。さっさと行け」
 背が押される。
 ちっ…
「死なせたくねえだなんて、俺に惚れてんなら、気をつけねえと火傷するぜ」
「火傷するのはおまえの方だ」
 へ。
 言いながら煉骨はどこから取り出したか、小さな瓢箪を口に咥えた。

 ゴォッ

 離した口から、両手を広げたほどはある炎の塊が噴き出す。
 続いて前に投げ出した両手先から鋼糸が飛び、その炎が燃え移る。
 ぎり、と締め上げ、俺の五感に届くのは呻き声と、肉の焦げる嫌な臭いばかり。
 …うわぉ。
 やるじゃねえか。
 なるほど、煉骨に火傷させられないうちに、俺は早々にその場を離れることにした。
 その間も蛮骨は、室内であるにもかかわらず、自慢の相棒を力いっぱい振り回している。
 相手の首以外、目にも耳にも入らない。
 それでも先刻の煉骨の所業は、意識の隅を掠めていたようだ。
 気のきく奴!
 ぶんっ
 大鉾を横に薙ぎ、寄ってくる輩を一掃する。
 そんなら心置きなくやらせてもらおうじゃねえか!!
 その瞳が炎に赤く燃えていた。


 蛮骨は袖口で、煉骨は頭に巻いた布で、それぞれ己の顔を擦る。
 顔を上げたとき、二人の顔に鮮やかな色が浮かび上がっていた。
「二人とも…派手だなー」
 俺は思わず感嘆する。
「な、触っていい?」
 蛮骨の額には十字の、煉骨は頬を中心に顔中に、彫られた模様は色鮮やかで綺麗。
「やめろ、触るな」
 煉骨は慌てて俺を押しのける。
「俺のはいいぜ」
 やった!
 俺は嬉々として蛮骨の額の十字に手を伸ばす。
「おー、すげえな…よくこんな額のど真ん中に…」
「おまえも入れるか?」
「俺に似合うと思うかよ?」
「その顔に傷が付いてもいいんなら、似合うぜ、きっと」
 蛮骨の指が俺の頬に触れた。
 ちょうど目の下の辺り。
 そのまま、すっとすべり下ろされる。
「垂袴」
「俺はもうそんな名前じゃねえよ」
「なんでもいいさ……最初はおめえも殺すはずだった」
「…なら、なんで早いうちに殺らなかったんだよ? いつでも、おまえら二人、どっちにでも機会はあっただろ」
 蛮骨と煉骨は顔を見合わせた。
「勿体ないからな」
「勿体ない?」
 煉骨が口を挟む。
「そうだ。おまえ、なんで俺がさっきあの場所から逃がしてやったと思ってるんだ」
「俺に惚れてるから」
「んなわけあるかっ!!
「冗談だって、じょーだん」
 あははと俺は笑った。
 腹の底の辺りから笑ってた。
 やっぱ、こいつとはこうでねえとな。
 こういうの、楽しいんだよ。
「…垂袴、手え出しな」
 蛮骨が俺に向かって右手を差し出す。
「だーから垂袴じゃないって…ん」
 俺も右手を出した。

 がしっ

「おまえは勿体ないから俺がもらっていく、いいな」
「へっ」
 握られた右手。
「いいよな?」
 …強引な奴。
 俺は心の内に呟いた。
「強引で悪いか」
「……また顔に出てたか?」
「出すぎてるくらいだぜ」
「あっそ」
 まあ俺にゃ行くあてもねえしな。
「いいぜ」
 俺も手を握り返す。
 ついてってやるよ、おまえに。
「よっしゃ!」
 少年の笑顔。
「……蛮骨の兄貴」
「お、そう呼んでくれんのか」
「おう」
 年下だろうがなんだろうが、そう呼ぶのがきっと一番ふさわしいから。
「あと…煉骨も、煉骨の兄貴って呼んでやるよ、この先は」
「煉骨も兄貴か?」
「こりゃまた随分格が上がったじゃねえか」
「俺より強いもん、おめえ」
「そうか?」
「火ぃ吹けるし?」
「あ、なるほど」
 蛮骨がうなずく。
「火が吹けるとなんで兄貴なんだ……いいのかよ?」
「俺が良けりゃそれでいいだろ」
 それでいいよな。
 本当に、こいつら二人は強いし、それに…
「それに、俺にはそのほうが性に合ってるからさ」
「…そうか」
「にしても、そーなるとこれからは、蛮骨の兄貴とずーっと一緒にいられるんだな」
「あ?」
 握ったままの右手に俺は頬を摺り寄せる。
「あー、もうすっげえ楽しみ…」
「何がだ、馬鹿野郎!」
 ぶん、と蛮骨は手を振りほどいた。
「まあそりゃ色々と…」
「想像すんなよ」
「ばれた?」
 ふんっ、と鼻を鳴らして、蛮骨はくるりと俺に背を向ける。
「さーて、それじゃ帰るか、煉骨、蛇骨」
「……」
「蛇骨」
 蛮骨が俺を振り返る。
「へ…」
「じゃ・こ・つ。今日からそう呼ぶぞ」
「俺のこと?」
「他に誰がいるんでえ」
 言うと、蛮骨は再び向こうを向いて、そして歩を進めだす。
 蛇骨…
 蛇骨ね……
 俺も歩きだした。
 煉骨も続いている。
「蛇骨のじゃは蛇。こつは俺と煉骨と同じ骨。なんか文句あっか?」
「いいや、別に」
 夜のとばりが町を包み始めてる。
「けっこう気に入った」
 長い長い影を引きずって、俺たちは三人並んで歩いていく。
「よし」
 初夏の港町。
「あ、そうだ、じゃあせっかく新しい名前もらったんだから、ついでに刀にも名前付けようかな」
「お、いいなそれ」
「兄貴の大鉾は…」
「蛮竜」
「よーし、じゃあ俺は…」
「よせよせ、頭使うだけ無駄だ」
「煉骨の兄貴は黙ってろよ」
 心地よい潮風が、俺の髪や、着古してくったくたになった着物をなびかせる。
「…よし、決まった。『蛇骨刀』。うん、いい感じ」
「って、てめえの名前に刀付けただけじゃねえか…」
「いーだろ、別に俺の刀なんだからよ…」
 新しい着物を買おう。
 糊のきいた、硬い布地で。

 『蛇骨』によく似合う、綺麗な着物をさ。


 はじまりのおわり。

(了)