鬼ごっこ

「やだっ、何すんだよ兄貴。痛……」
 もがく蛇骨を押さえつけて、蛮骨は己の帯で蛇骨の両手首を縛り上げる。
 色白な蛇骨の肌の上に緋色の帯の色はよく映える。
「お仕置きだって、言っただろ?」
 帯を解いてしまったために、着物の前を開けたままで蛮骨は、
「おまえが身動き取れないくらいじゃねえと、面白くねぇ」
 と言って、口の端だけでにやりと笑う。
 蛮骨は下帯を身に付けていない。
 蛇骨が軽く首を起こして見れば、その部分がはっきりと見えていた。
 半分ほど、立ち上がっている。
 ごくり、と、分かりやすい音を立てて、蛇骨が口の中に溜まっていた唾液を飲み込んだ。
 蛮骨が、膝で蛇骨の頭の横へとにじり寄ってくる。
 仰向けになった蛇骨の顔の上を膝で跨いだ。
「ちゃんと勃たせろよ」
 蛮骨が言った意味を、蛇骨はすぐに理解したようだった。
 口を半分開きかけて、そこで困ったような顔をした。
 ほんのしばらく逡巡した後、蛇骨はその困ったような表情のままとりあえず目の前にあるところに舌を這わせ始めた。
 蛮骨が満足げに笑う。
「そこじゃねえよ」
「…届かねぇもん」
 舌を離す。
「どうすればいい」
 蛮骨が薄い笑みを浮かべながら言う。
「……咥えさせてくれよ」
 蛇骨は、蛮骨から軽く視線をそらしながら、言った。
「…上手くやれよ」
 蛮骨の手が蛇骨の頭を床に押しつける。
 そうしておいてから、逸物の先を蛇骨の口の中に押し込むようにして差し入れた。
 差し込まれた亀頭に、待っていたと言わんばかりに蛇骨が舌を絡める。
 頭を蛮骨に押さえつけられて動かせないため、舌だけを使う。
 ぐるりと舌の上も裏側も使って舐め回し、亀頭の裏側を、舌の真ん中辺りを使って擦る。
 また、唇と舌の先を器用に使って擦りながら、ゆっくりとしゃぶる。
 軽く吸い付くようにしながら、舌先を這わせた。
 口の中でそれが硬さを増していくのを感じながら、小さく、
 ぴちゅ、
 ぴちゅ、
 と音を立てて、亀頭だけを丹念に舌で愛撫し続ける。
 今口離したら、ほとんど真上向くかな。
 そんなことを、蛇骨はぼんやりと考えていた。
 こんな舐められ方して、感じないはずがない。
「んっ!」
 急に、蛇骨の口の中深く、逸物が押し込まれた。
 思わず息を詰まらせた蛇骨には構わず、蛮骨がゆっくりと腰を上下させ始める。
 蛇骨の頭は床に押しつけたまま、その口で己の逸物を扱く。
 ゆっくりゆっくり、蛇骨の口の中を犯していた。
 荒い息を吐きながら、
「もっと舌使えよ」
 と、蛮骨が言うと、それに応えるように蛇骨の舌が忙しなく動き始める。
「そうだ……っ…いいぜ、気持ちいい」
 蛮骨の腰の動きが少しずつ速くなっていく。
 蛇骨の口内を隅から隅まで侵しつくすように、深くも浅くも動かす。
 気持ちいい。
 と、本気で蛮骨は思っていた。
 唾液で濡れた口内の粘膜も、絡みついてくるざらざらした舌の感触も、たまらない。
 時折触れる舌の先が、くすぐられているようでたまったものではない。
 また腰の動きが速くなる。
 それでもできるだけゆっくりと、何度も何度も上下させて、そして最後に一度深く下ろしたところでその動きが、止まった。
「は……」
 頭の先から気が抜けていくような顔をして、蛮骨は小さく顔を仰け反らせた。
 特に何も予告することなく、蛮骨は蛇骨の口の中で達していた。
 開放感に肩の力を抜きながら、それでも蛇骨の口の中に逸物を差し入れたまま、蛮骨は蛇骨の顔をじっと見つめた。
 蛇骨が黙って口の中のものを飲み込むまで、そうしていた。
 飲み込む以外の選択肢を与えなかったと言ってもいい。
 ごくっ、と蛇骨の喉が上下するのを見届けてから、蛮骨は蛇骨の口から逸物を抜いた。
「…あの宮本円蔵とかいう野郎、蛇骨、おめえの好みだろ」
 蛮骨がにやにやと笑いながら言った。
「掘りたかったんだろ」
「…そりゃ…まあ、少しは」
「遠慮するなよ。あの野郎に何されたかは知らねえが、まあ、あの時のおまえの恰好見りゃ……」
 言いながら、蛮骨が一旦蛇骨の身体から離れる。
「手は縛られて、帯で目隠しまでされて、円蔵の野郎もいい趣味してやがるぜ」
「いや、ていうかさ……」
「下帯は脱がされてなかったみてぇだけど、犯られはしなかったのかよ」
「……」
 そうじゃねーんだけどなぁ、と、蛇骨は心の中で呟いた。
 口の中に残る苦い味を唾液で喉の方に無理やり流しながら、どう言ったものかと考えを巡らせる。
 そうこうしている内に、蛮骨が身体の上に覆いかぶさってくる。
 唇に吸い付かれた。
「ん」
 差し込まれた舌の先に自分のそれを触れさせながら、蛇骨は、蛮骨に好きなように口の中を貪らせる。
 しかし行為自体は甘くとも、実際はそうではないようだった。
 唇を離して、蛮骨が顔をしかめた。
「苦い」
「…そりゃそうだろうよ」
「ちぇっ」
 蛮骨は半身を起こすと、蛇骨の両腿を膝で跨いで乗りかかりながら、その蛇骨の腰に巻かれている帯に手を掛けた。
 するすると、慣れた手つきでそれをほどいていく。


 睡骨は手酌で酒を飲んでいた。
 その隣で、赤い顔をした霧骨が仰向けに倒れている。
 さらにその隣で、煉骨が、やはり睡骨と同じように手酌で酒を飲んでいる。
 霧骨が半ば呻きながら、
「しけたなぁ……」
 と、呟いた。
 煉骨がそれに答えるように、
「静かでいい」
 と、空になった杯に酒を注ぎながら言う。
「なんだよぉ、煉骨の兄貴、今日はやけに飲むじゃねぇか」
「そんなこたねぇさ」
 睡骨が、意味ありげに上の方に視線を遣った。
「…あの奥方が、今頃細人頭しのびがしらと宜しくやってるからじゃねえのか」
 小声で言う。
 霧骨がむくりと起き上がった。
「へーぇ、煉骨の兄貴はああいうのが好みなのかぁ」
「違う!」
「なんだよ、兄貴も隅に置けねえなぁ」
「…違うって言ってんだろうが」
 にまにまと緩まっている霧骨の頬を、煉骨は思いっきり引っ張った。
「いでで、兄貴、いだいって……」
「美佐には黒田がいる。だいたい八つも年上の人妻に、俺が……」
「恋に歳は関係ねーだろぉ」
「やかましい!」
 そんな煉骨と霧骨の遣り取りを尻目に、睡骨は思う。
(まあ煉骨の兄貴も…あれでまだ二十四だ。浮ついた話の一つも出てこない方がおかしい、か)
 他人事ひとごとだからか、それとも二年ほどとはいえ年長の余裕なのか、やれやれと息をついて睡骨は二人の間に割って入るように、
「霧骨、折角だから夜這いにでも行ってきたらどうだ」
 と、言った。
 煉骨が霧骨の顔から手を離す。
「…睡骨」
 霧骨が呆れた声を出した。
「夜這いってぇのは、折角だからとか、そういうもんで行くもんじゃねーだろー……」
「今日は朔日ついたちだから、夜這いに行っても相手に顔見られる心配がねえぞ」
「おまっ、どういう意味だよそれっ……!」
「それにさっきまでの宴会で酒に酔ったもん同士、その辺でいくらでも目合まぐわってんだ。酔った女なら先っぽくらいは入れさせてくれるかもしれねえぜ」
「……」
「どうした」
「…睡骨、おめえ、明日の飯は気をつけて食えよ」
 睡骨が小さく舌を出すような仕草をする。
 ちょっと言い過ぎたか、とでも言いたげである。
「誰も彼も正月早々お盛んなこった。夕べ一晩戦詰めだったというのによ」
 煉骨が吐き出すように言う。
 少し酔っているのか、目の縁があかみがかってきている。
 睡骨が煉骨の言葉に答えた。
「まあ、あれだ、姫始めってやつじゃ……」
「それは二日にやるもんだぞ。書初めと同じで」
「…そう言われても」
「全体、そんなに女がいいのか、男どもは」
「なんだ兄貴、兄貴もそういう趣味だったのか。蛇骨と同じで……」
「そうとは言っていない」
 ふん、と腹を立てているように煉骨が鼻を鳴らした。
 睡骨が呆れて、視線を彼方に向ける。
「兄貴、酔ってるだろう」
 霧骨が再び仰向けに寝転がりながら、物憂い声で言う。
「俺ぁやっぱり女がいいなぁ……あぁ、一度でいいから、霧骨さまぁ、とか呼ばれてみてー」
 言いながら、自分で自分の身体を、ぎゅう、と抱きしめる。
 煉骨が、それを見て、
「気色の悪い……」
 と、霧骨に毒を吐きかけたその時であった。
 ず、
 と、音を立てて、三人の背後の戸が開いたと思うと、
「蛮骨はどこに行った!?
 その声のあまりの気迫に驚いて、睡骨は後を振り返り、霧骨は起き上がった。
 煉骨だけが、相変わらず手酌で酒を飲んでいる。
「…黒田殿」
 ゆっくりと、煉骨は顔だけを背後に向ける。
 にやり、と口の端を吊り上げて笑った。
「美佐殿と姫始めではなかったのですか」
「それは二日にするものだろう……と、いや、そんなことはどうでもいい。煉骨、そんなふうに顔を赤くして酔ってる場合ではない」
「蛮骨に御用でしたら、俺が代わりに承りましょう」
「いや、おまえたちで構わん。手を貸せ、仕事だ」
「仕事、とは? また敵が攻めてでも来ましたか」
「生け捕っていた宮本円蔵が逃げた」
 黒田が、忌々しげに眉をひそめて言った。


「ちょ、兄貴やだよ俺、こんなん……」
 抗う蛇骨を押さえつけながら、蛮骨は解いた帯で蛇骨の視界を覆った。
「円蔵にされたのと同じだろ?」
「いやだから、兄貴、誤解で……」
 言っている間に、帯を頭の後ろで固く結ばれる。
 下着もさっさと手際よく解かれて、前が開いた着物から露わになった肌が冷たい外気に触れて震える。
「萎えさすなよ」
 蛮骨の温かい手が、前に触れてくる。
 握ったり擦ったりされながら、弄られる。
 目隠しをされているので、どんな顔をして蛮骨がそうしているのかは、見えない。
「そんなんされてて萎えるもんか……」
 ふふ、と、蛮骨が小さく笑ったような声がしたと思うと、
「ぁっ……」
 熱い熱を帯びたものが、不意に逸物に触れた。
 熱くて、ざらついて、濡れている。
 咥えられたのだと、さすがにすぐに分かる。
 しつこいほどに、亀頭の裏側を舌の先で擦られる。
「んぅ……」
 強く噛み合わせた奥歯が、ぎ、ぎ、と口の中で音を立てた。
 ざらざらした舌の感触が、そこの肌に触れるだけで疼くような刺さるような感覚に変わる。
 蛮骨が深く咥え込んで頭を動かし出すと、それが一層顕著になって、腰の辺りまでうずうずとした感触が突き上げてくる。
 たまらない動きだった。
 立てていた膝が震え出しそうになる。
 蛮骨の方もよく心得たもので、ぴったりと密着させた口の動きを少しずつ変えながら蛇骨の様子をうかがっている。
 達してしまいそうになると舌の動きが緩やかになる。
 一番気持ちのいいところで焦らされ、その気持ちよさが引こうとすると再び弄られる。
 一々反応して動く蛇骨の身体を眺めながら、面白そうに蛮骨は愛撫を続けている。
 蛇骨が半分掠れた声で喘ぐようにして呼吸を早める様が、嬌声を上げているのよりもずっと乱れていてみだらに見えた。
 男が見ていても妙な気分になってしまいそうな乱れ様、とでもいうようなさまである。
「っ、ごめん……っ」
 掠れ声で蛇骨が言い切る直前に、蛮骨が愛撫をやめて顔を離した。
「口ん中なんかに出させるわけねえだろ」
 蛇骨の脚の間に蛮骨の手が入り込んだかと思うと、
「ぃっ!」
 いつの間にかしっかりと濡らされていた蛮骨の指が入口を撫でる。
 思わず締め付けたそこにそのまま指が押し入れられた。
 ぬるついた異物感に身体が強張る。
「ぅ……」
 前を弄られる強く刺すような気持ちよさと違って、内側の、特に腹側の壁を撫でられる度に腹の底に溜まる疼痒いような感じがたまったものではなかった。
 蛮骨の指を二本ほど受け入れながら、逃げ出すことのできないその感覚に蛇骨が何度も身体を反らせては捩る。
 そのつど聞こえる座敷と着物の布地が擦れ合わさる音と、蛮骨と蛇骨の二人の呼吸の音だけが、しばらくの間その場に充ちた。


朔太朗さくたろう、おい朔太朗、起きろよ」
 そう、宮本円蔵が小声で何度も呼びかけると、牢の中にいた男も漸く目を覚ましたようだった。
「…円蔵か?」
「そうだよ。ったくおまえよくこんなところで寝てられるな」
「疲れてたんでな。土の上だろうが石の上だろうが、敵を気にせずに眠れるならどこでもいいさ。それより円蔵、おまえどうして牢の外にいるんだ。まさかもう殺されて幽霊になっただなんて言わないだろうな」
「馬鹿、違うよ。見張りの奴が開けてくれたんで出てきたんだ」
「…開けさせた、の間違いだろう。この変態め」
「変態はねーだろぉ、変態は。何もされてねぇし、してねぇし。ちょっと殴る蹴るしてのしただけだぜ」
「じゃあ何て言ってその見張りの男に鍵開けさせたんだ」
「何も言ってねえ。時々流し目くれてやってたら開けてくれた」
「……」
 男が呆れ果てた顔をして円蔵を見る。
「おまえにそういう顔されたくねーよ、朔太朗」
「うるさい。円蔵おまえ、本当に最近そっちの趣味になっちまったんじゃないのか、あの顔に模様入れてる男責めてたときだって……」
「あれは責めてたんじゃなくてほだしてたんだよ」
「同じことだ。俺が入って行ったときのあの男の格好…男のナニ勃たせて何してやがったんだ」
「何だよ朔太朗、妬いてんの?」
「誰が妬くかよ」
「…そりゃまああれくらい器量のいい男だったら、突っ込まれてもよかったけどなぁ」
 朔太朗と呼ばれる男が、再び呆れ果てた顔をして円蔵を見た。
「下半身に正直で、多分ああいう男は根も正直なんだろうな」
「…おまえの下半身の事情は俺には分からん」
 朔太朗が唸るような声で言う。
「それより、無駄な話はどうでもいいからおまえ俺を助けに来たならさっさとここから出してくれ」
「そうしてやりたいのはやまやまなんだけど、生憎ここの牢の見張りは鍵持ってなかったんだな、これが」
「じゃあおまえなんで俺を起こしやがった」
「…聞きたいことがあったのよ」
 急に、円蔵が声をひそめて顔を牢の格子の方へと近づけた。
「朔太朗、おまえ死ぬ気はねえだろう?」
「……」
「俺は死にたくねえ。だからおまえも生き残れよ。な」
「…どうしようってんだ。死にたくないんなら、もう頭のところには帰れないんだぞ。戻れば殺される」
 円蔵がその朔太朗の言葉に嬉しそうに頬を緩める。
「分かってる。だからおまえここで待ってろ」
 牢から離れるように円蔵が立ち上がった。
「待ってろ、って……」
「すぐ戻るよ」
 円蔵は軽く手を上げて踵を返し、黒田の屋敷の方へと向かって駆け出した。


 蛮骨が蛇骨の腕を引っ張ってどこかに消えた時、ああ、こりゃあきっとあれだな、とは思っていたのである。
 だがどうせ皆酔っ払っていたし、気づく者もいるまい、とも思ったのである。
(浅はかだったか……)
 睡骨は心の中で溜め息をついた。
 今や、黒田宅内はまるで家捜し状態になろうとしていた。
 とは言っても酒に酔って前後不覚になっている者もあまりに沢山いるもので、実際に家捜しをしているのは黒田夫妻と、蛮骨と蛇骨を除く七人隊の五人の内煉骨と睡骨、残りの者とその他素面の者は家の外を探している。
 宮本円蔵を捕らえていた土牢は黒田宅の地下にあったので、逃げ出してもまだそう遠くへは行っていないだろうという見解である。
 蛮骨と蛇骨がどこで閨事をしているのかは知らないが、見つかるのも時間の問題だろう、と睡骨は思う。
 ちらりと横の煉骨に視線を遣った。
 蛮骨と蛇骨が見つかれば、待ち受けているのはきっと修羅場であろう、と思う。
 まず煉骨の兄貴が盛大に文句を言うだろう。
 俺は、色沙汰はまあそいつの好きにすりゃあいいと思うのだが、この男はそうはいくまい。
 それでなくたって、仲間内でそういうことになっていると分かれば衝撃は大きいだろう。
 それに黒田のこともある。
 黒田と蛮骨の大兄貴や煉骨の兄貴は、何やら前々からの知り合いではあるらしいが、大兄貴がそういうことになっていると知られたらどうなるのか。
 追い出されかねないではないか。正月早々。
 睡骨が再び心の中で溜め息をつく。
 やっぱりあの二人を咎めて引き止めておけばよかった、とは思っても、大概後悔とは先に立たないものである。
 だいたいもし自分があの二人を見つけたとしたらそれはそれでどうするのだ。
 そういうことになっていると知ってはいるものの、さすがにその場面を真正面から見たくはない。
 気が重い。
 宮本だか何だか知らないがさっさと出てきてくれ。
 願わくは大兄貴と蛇骨が見つからないうちに……とそんな調子で、あまり捜索にも力の入らない睡骨に、
「睡骨さん」
 と、背中から声が掛けられた。
 振り返ると、黒田の妻の美佐が立っている。
「奥方……何か」
 よく俺の名前まで知っていたものだ、と、睡骨は少し驚いた。
 まじまじと女の顔を見つめて、しかしあまり見すぎるのも妙かと静かに視線をそらす。
 煉骨の兄貴がこの女に懸想けそうしていたとしても、それも分からなくはない。
 小袖に袴に右目には眼帯までしているという男のような装いをしているくせに、ほんのりと、三十路を過ぎた女らしい色気のようなものがある。
 目を引く美人というわけではないのに、どことなく惹きつけられるような女だ。
 まあ煉骨の兄貴にしても惚れているというよりも、気になるという程度なのかもしれない。
 それくらいの気持ちはどんな男でもこの女には感じてしまうのではないか。
「あの……」
 大きな声では話せない用事なのか、美佐がそっと睡骨の方へ身体を近づけてくる。
 その身体から、甘い、それでいて鼻を差すような匂いが、ふわりと漂ってくる。
 まるで、熟れ過ぎた通草あけびの実がそのまま腐り落ちていくときのような……
「奥方?」
 身を寄せてきた美佐が、
「何を……」
 その細い指で、睡骨の胸の辺りを撫で上げてきた。
 匂いがより近くなる。
 この女、こんな香の匂いなんかさせてただろうか。
「奥方……」
 僅かに半身を引いた睡骨の胸ぐらを美佐が引っ掴んだ。
「なんっ!?
 睡骨が驚いて美佐の手を引き剥がそうとしたが、その手の力は女とは思えないほど強い。
 避け切れなかった。
「ぅぐっ…!!
 美佐の左ひざが睡骨の鳩尾にめり込んだと同時に、睡骨の息は詰まる。
 気は無くさなかった。
(女の力じゃない……!)
 そう思った途端に、美佐の声音が変わった。
「そうだ、気絶はしないでくれ」
「……」
 ひざを打ち込まれた衝撃に身体を折った睡骨の顔を、相手が覗き込んでくる。
「手荒な真似をしてすまない」
 美佐ではない。若い男だ。
 その男は肩の下ほどまである髪を下ろして、右目の上にだけ黒い布を巻きつけている。
「…てめえ」
「すまんがつべこべ言わずに黒田左兵衛殿の所在を教えてくれないか」
 丁寧なのか命令口調なのかよく分からない言い方を男はした。
「…何だと」
「急いでるんだ早くしてくれ!」
 必死の形相の男に気圧されるようにして、睡骨は答えていた。
「や、屋敷の北側だ……」
「北側か。よし」
 何がよいのか知らない。
 てっきりまだこれ以上に何かされるものと思っていた睡骨は、部屋から出て行く男の後姿を拍子抜けして眺めている。
 丁度その時である。
 睡骨の耳にはっきりと、
「……あっ! …あっっ…」
「……」
 と、いきなりどこぞから聞こえた嬌声の主を、睡骨はよく知っている。


 蛮骨の腹の上にそくされたままの両手を乗せて、蛇骨がゆっくりと腰を沈めていく。
 床に膝を着いて、両目は布で覆われたまま、自分で入れろという蛮骨の言葉に素直に従って、逸物を中に押し込んでいく。
「……」
 蛮骨の腹を跨いで蛇骨が上になっている。
 音も立てずに逸物が納まりきると、
「はぁ」
 と蛇骨が溜め息をついた。
 その腰を両手で抱えて蛮骨が下から何度か突いた。
 いきなり動かれて、蛇骨が驚いて嬌声を上げる。
「あっ! …あっっ……」
「自分でもこすんな」
 言われた通りに、蛇骨が身体を動かし始めた。
 半身を上下させたり腰を揺すったりして、内側と逸物とを摺り合わせる。
「…っ、…っ、……」
 蛮骨は腹の上に置かれている蛇骨の両手に手を触れた。
 自分の緋の帯で手首がしっかりと巻かれているのが、なんとも艶かしくていい。
 慣れた調子で蛇骨は腰を動かしている。
 男の上に乗ったことも無いような初心うぶな女に動かせるのもそれはそれで面白かったりするが、蛇骨くらい上手くされるのも気持ちいいものは気持ちいい。
 それに艶事つやごとが上手い奴は自分が気持ちよくなるのも上手い。
 さっきから同じところばかり擦りつけてくる。
「そこが好きなのか?」
 腰を上下にばかり小さく動かしながら、蛇骨がこくこくと二度頭を上下に振った。
「堪んねぇ……」
 半分掠れた声で言う。
「ふぅん」
 蛮骨はただ頷いただけで、特に何をするようでもない。
 蛇骨の手に両手で触れて、指と指を絡めるようにしていじり始める。
 握ったり、指の腹側を上下に撫でたり、指の股を指先でくすぐったりする。
 蛇骨のすらりとして長い指と蛮骨の骨ばった指がもつれるように絡み合っている。
 指の方は蛮骨のされるがままにして、蛇骨はやはり上下に半身を動かし、時折前後に腰を揺すっては、
「はぁ……」
 と、深く息をついている。
 ぐっ、と、蛮骨が蛇骨の手を掴んだ。
 掴んだ手をそのまま蛇骨の腹の下へと運んでやると、その左手の指を全部開かせて自分自身の逸物を掴ませる。
「えっ……」
 目隠しをされていて何をされているか見えていなかった蛇骨はそれに少し驚いたようだった。
 蛇骨の左手に自分の右手を重ねて、蛮骨がそのままその手を上下に動かし出す。
「んっ……!」
「後ろが留守になってるぜ」
 言いながら下から腰を揺すり立てる。
「あぁ…っん」
 蛮骨に促されて、蛇骨は浮かしかけたまま止めていた身体を、再び少しぎこちなく上げたり下げたりし始めた。
 腰を揺らしながら、それよりも少し速く、腹の下で手を上下に動かさせられる。
「…っあ、んっ…、っ…、うっ……」
「いきそうかよ」
 蛇骨ががくがくと頭を縦に振る。
 さっきから散々弄っては焦らしを繰り返しているのだから当たり前か。
 蛇骨が歯を食いしばっているのが見える。
 蛮骨は蛇骨の手に重ねているのとは反対の手を床について上半身を起こすと、その手を今度は蛇骨の背中に回して支えながら器用にその身体を押し倒した。
 蛇骨の腰の両脇に手を着いて、
「俺が先だ」
 と、言うが早いかすぐに腰を前後させる。
 蛇骨の身体は揺さぶられて、ぐうっと顎を仰け反らせて口元を歪める。
 先程蛇骨がしつこいほどに擦り付けてきた場所を、執拗なほど擦ってやる。
「ぅぁ……」
 息が声帯を振るわせた惰性で出てきたような声を口の端から洩らして、蛇骨はじれったげに腰の辺りを反らせたり、また下ろしてはひくつくように持ち上げたりしている。
 蛮骨の身体はさっきからずっと同じ動きを繰り返している。
 さっきより荒い息を規則的に吐きながら、時折眉を軽くひそめては、その度に思い出したように腰の動きを緩やかにする。
 俺が先だ、と言っておきながらさらに焦らすような真似をする。
 蛇骨を焦らしているのだろうが、自分で自分を焦らしているようにも見えた。
 絶頂感の中に放り出されるのをできるだけ先延ばしにしようとしているように見える。
 内側を強くえぐられるように動かれるのも、それはそれでいいらしくやはり蛇骨が声なのか咽喉が音を立てているだけなのか分からない声を上げる。
 塞がれた視界では蛮骨がどんな顔をして自分を抱いているのかも分からない。
 また薄ら笑いでもしながら腰を使ってるんだろうか。
 こうねちねちと、内側が擦られて刺激されすぎて痺れてきそうなほどしつこくされていると、どうしてもそんな気がしてくる。
 もう別に円蔵に何をされたかなんか兄貴に誤解されたままでもいい。
 泣きたくなるぐらい中を動かれる感触がいい。
 おもむろに蛮骨が蛇骨の頭の下へと片手を差し入れた。
 少し蛇骨に上体を起こさせて、自分は反対に半身を前に倒す。
 脚を開いたままくの字に身体を折り曲げた蛇骨の中を突くことは止めないまま、半分開かれていた口に貪りつくように口を重ねて舌を入れる。
 舌を舐めて、逆に舐めさせて、そして差し出された舌の先をしゃぶるように口に含む。
 蛇骨の声が口の中で痺れるような震えを伴いながら響いている。
 それがなんだかくすぐったかった。
「…ん、…んん……っ」
 痙攣でもしているように、蛇骨の膝頭がかく、かく、と小さく震えている。
 蛮骨は身体を起こしてその膝を掌で撫ぜた。
 さっき口を吸ったとき、腹を蛇骨の先走ってべたべたになったそれが擦ったおかげでその部分が濡れて少し冷たい。


 蹴られた鳩尾の痛みもだいぶ鈍くなってきた。
 全くついてないったらない。
 いきなり得体の知れない野郎に蹴りつけられたかと思えば、その次は蛇骨の声だ。
 ただの声ではない。
 どう考えたって、状況からしたってあれは宜しくやってる最中に出した声だ。
 聞き間違いではない。
 あの後何度か似たような声が聞こえたのだ。間違いは無い。
 声が聞こえる、ということはその宜しくやってる現場はこの近くだということだ。
 かなり近くだろう。
 勘弁してほしかった。
 そんな現場見たくなんかないのだ。
 声だって聞きたくない。
 できれば今すぐこの場を去ってしまいたい。
 だがもしこの辺りを煉骨の兄貴やら、他の人間が通りかかったらどうするのだ。
 困るではないか。
「……」
 そういうわけで睡骨はその場から動けなくなってしまったのである。
「…ぁ……」
 また微かだが声が聞こえた。
(困った……)
 いっそ自分が男色趣味だったら、こういう状況でも嬉しかったりしたのだろうか……と考えかけて、それもあんまり想像したくない状況だったのでやめた。
 仲間内でやってる声聞いて立たせているというのもなかなか変態的ではないか。
 そういう風に、身動きが取れなくなってしまった睡骨は、蛇骨の声を聞きながら違う意味で悶々としていたのである。
 だからだろう。
 少しばかり、隙が生じていたらしい。
「いたぞ! 宮本だ!」
 という声が聞こえてからようやく顔を上げた。
 すると睡骨の正面の襖から、足音を忍ばせて部屋の中に入ってこようとした男と目が合った。
「あっ……」
 と、どちらからともなく声を上げる。
「てめえさっきの……」
 睡骨が腰を浮かしかける。
 襖から入ってきた男は、長い髪の毛を今は高い位置で括っているものの先程睡骨を蹴りつけた男に間違いなかった。
「悪いがあんたの相手をしてる暇は無い」
 言うなり、男はさっと部屋の中を見回して、左手の襖に手を掛ける。
 開こうと力を込めたが、
「……」
 開かなかった。
「開かずの戸か」
 睡骨が嘲笑うように言う。
「残念だったな」
 すると、男がいきなり襖に爪を立てた。
 そのまま襖紙を引き剥がすと、そこに、人が一人横になってようやく通れる程の、細い引き戸がある。
「はっ」
 男は鼻で笑い声を立てて、その戸を開いた。
「あばよ」
 一瞬睡骨の方を向き直ってから、するりと滑り込むようにその戸の内側へ姿を消した。
 戸は閉められる。
「なっ、待ちやがれ!」
 すぐに睡骨は男を追おうと半分ほどその戸を開きかけて、
「うっ」
 と、呻くような声を上げて、その場に硬直してしまった。
 戸の向こうには小さな座敷が一つあるらしかった。
 その座敷の床の上に、自分が知る限り一番最近に蛇骨が纏っていた着物と全く同じ色柄の布の端を見たのである。


「はぁ……」
 と、蛮骨が長い溜め息をつく。
 まだゆるく身体を動かしている。
 痛いほどに昂ぶったものは濁った精液と一緒に身体の外へ流れ出ていくようだった。
 肩の力が抜ける。
 それに対して蛇骨はまだがちがちに身体を強張らせている。
 これでもか、というくらい先走らせたまま、
「……」
 じっと蛮骨に差し込まれたまま仰臥している。
「えらい静かだな、おめえ」
 言いながら蛮骨が蛇骨のその先走っている裏側を、人差し指ですっと撫で上げた。
「い…っ!」
 一瞬、蛇骨の腹の筋肉がぎゅっ、と締まったのが目に見えて分かる。
 引き攣りそうなくらい、ひくひくと震えている。
 蛮骨が、
「もういってもいいぜ……」
 と言って、もう一度指で撫で上げようと指の腹を押し当てた時……
 ばりっ
 という音に続いて、
 がたっ
 そういう音とともに部屋の一方の板壁の隅の方がいきなり開いて、
「…あばよ」
 そんなことを向こうを向いて言いつつそこからこちらに入ってきた男が、部屋の中を全部見回さないうちに絶句して、その場に固まった。
 蛮骨と蛇骨のいた座敷の木壁の一部が隠し扉になっていて、その裏が睡骨がいた座敷の襖だったらしい。
 部屋の真ん中にいた蛮骨としっかり目が合っていた。
「…あっ」
 先に声を上げたのは蛮骨の方だった。
「てめえ円蔵……」
 蛮骨がいい終わる前に男の方がはっと我に返ったらしい。
「わ…悪いな邪魔をして……」
 と、律儀に謝ってから部屋の中をざっと見渡し、手近にあった押入れか何かのような襖戸を開くとその中に頭を突っ込んでなにやらごそごそとし始める。
「兄貴何が……」
 相変わらず目隠しをされたままで、何が起こっているのか蛇骨には分かっていないようだった。
 しかし蛮骨は答えなかった。
 答えずに、黙って蛇骨の中から引き抜くと床に落ちていた下帯を拾い上げて手早く締める。
「えっ、ぁ……」
 昂ぶった身体をそのまま手放されて、蛇骨が心なし不満そうな声を上げた。
 襖戸の中でごそごそとしていた男が…宮本円蔵が、その中に身体ごと入り込んで内側から戸を閉めた。
 蛮骨がすぐに追って襖戸の中に頭を突っ込む。
「……」
 いない……
 襖戸の中は上下二段に分けられていて、どちらにも何も納められてはいない。
 まさか人が消えてなくなるということもあるまい。
 蛮骨は上下の仕切り板に足をかけて、襖戸の中へと入り込み、ぐるっとその中を見回した。
 暗くてよく見えなかったが、あちこち手で触ってみれば一箇所簡単に動くところがある。
「…ここか」
 天井に、ちょうど人一人通れるだけの大きさに四角く板がくり抜かれた部分があった。
 普段はそこには板がはめ込んであるらしく、蛮骨がその部分を下から押し上げると簡単に持ち上がる。
「ちっ、影阿弥の野郎自分のうちにこんな細工してやがったのか」
 おかげで円蔵に逃げられたじゃねえか。
 とはいうものの、どうせここだけではなくいろいろなところに細工がなされているのだろう。
 壁が隠し戸になっているくらいであるから、天井への抜け道もあれば床下にでも抜けているところもあろう。
 いざ屋敷の中で何か起こった時のために……ということであるには違いないのだろうが、こうもさまざまに抜け道を作ったり仕掛けを施してあるのは、半分は黒田という男の趣味なのだということを蛮骨は知っている。
 研究熱心なのは結構だが、そういう熱心さは時にはた迷惑﹅﹅﹅﹅であるということも知っている。
 同じように研究熱心な男が一人ならず少なくとも二人くらいは身近にいるからである。
(天井裏まで追うのは分が悪いな)
 仕方なく、蛮骨は押入れから出た。
 影阿弥に知らせてやったほうがいいだろう。
 ここらで恩を売ってこの間の報酬を上乗せさせてふんだくってやる、という魂胆である。勿論。
 床の上に降り立つと、蛮骨は先程円蔵が侵入してきた隠し戸の方へ足を向けた。
 そこは人が一人横になってやっと通れるほどの狭い通路になっている。
 戸の向こう側は座敷になっているようだ。
 静かにそこを通り抜ける。
 向こう側の座敷に一歩踏み入って、
「…睡骨」
 蛮骨は引き攣った声を上げた。
 部屋の真ん中で、大きな身体を縮こまらせるようにして正座していた睡骨が、少し赤い顔をして、恨みがましい表情で蛮骨の方を振り返った。


 美佐が、羽織っていたあわせの小袖をするりと脱いだ。
 そのまま、しずしずとした足取りで近づいてくる。
「……美佐殿」
「寒いでしょう、煉骨さん。そのひとえの着物では」
 そう言って、煉骨の肩にそっとその小袖を掛ける。
 二人が立っている濡れ縁の上では、息も白くなれば夜風も冷たかった。
「どうも……」
「冬物の着物くらい、おあつらえになったら」
「はあ…まあもう、春も近いですから」
 言いながら、煉骨は見つめてくる美佐の視線から逃げるように、横を向いた。
「なんだ煉骨、寒かったのか」
 と、低い声とともに姿を現した黒田が、自分が羽織っていた袷の小袖を脱ぎながら美佐に歩み寄り、
「女が身体を冷やすな」
 と言ってその小袖を美佐に羽織らせる。
 どこからか地を這うような笑い声が響いてきた。
「それくらいのこと、てめえで言えなきゃ人妻は落とせねえぜ、煉骨」
「……大兄貴」
 煉骨が顔を伏せがちにしながら、その笑い声の主を呼んだ。
「冗談はよしてください」
「冗談ね。じゃあ俺が狙おうかな、美佐さん美人だしよ」
 黒田の背後から姿を見せた蛮骨が、煉骨の隣に立って笑いながら言う。
 その後ろから睡骨もついて来ていた。
「相変わらずお上手ですこと」
 美佐が、ふふ、と笑うと、
「洒落にならんことを言うなよ首領。いくらおまえらでも俺の女に手を出したら許さん」
 憮然とした表情で黒田が言う。
 蛮骨が呆れた顔をした。
「…相変わらず熱いな、影阿弥。美佐さんと夫婦めおとになってもう二十年近く経つんだろ」
「おうとも、お互い十六で一緒になったからな」
「でも十四くらいの時から毎晩離してくれなかったんですから、そのころから夫婦だったようなものよねぇ」
「……」
「ほほ、二十年も経つと元気が無くなって、おかげで跡目が作れなくて困ります」
「……美佐」
 くくく、と蛮骨が笑い声を立てた。
「そうか歳のせいでついに駄目になったかよ。何なら俺が代わってやろうか」
「馬鹿っ、駄目になぞなっとらんわ。そ、そりゃあまだ十七のおまえほどは…元気も無いかもしれんがな」
「…せめて二十日に一度くらいは頑張ってもらわないと困るよ、影」
 睨むように黒田の方を見てから、美佐は再び羽織っている小袖に手を掛けた。
「首領も、そんな格好では寒いでしょう」
 蛮骨の単一枚に帯一つ、という格好を見て言う。
 しかし蛮骨は、
「いいよ美佐さん。子供作るってんなら自分の身体大事にしな」
 と言って煉骨の方を見た。
 煉骨が、黙って肩に掛けられていた小袖を外して蛮骨に頭から被せた。
「わっ、何だよ怒るこたねえだろ」
「別に怒ってなんかいませんよ。それより大兄貴、今までどこにいたんです」
「…煉骨の兄貴、その大兄貴の格好見て分からねえかい」
 ぽつりと挟まれた睡骨の言葉に、煉骨が顔をしかめる。
「大兄貴、まさか……」
「な、何だよ」
「また誰かれ構わず酔った女引き倒して遊んだんじゃないでしょうね。あれは後から文句がくることがあるからやめろと何度言ったら……」
「ああ分かった。もうやめる。やめるから今度は許せよ」
 引き攣った笑いと一緒に蛮骨が言うと、煉骨は小さく溜め息をついて
「まったく……」
 と、眉をひそめたまま一人ごちた。
 蛮骨が睡骨の顔を睨みつけたが、睡骨は我関せずという風に彼方かなたの方を向いている。
 それを見て、
「ちぇっ」
 と蛮骨は不満そうにしていたが、しばらくしてから思い出したように、
「そうだ、円蔵の野郎天井裏に逃げてったぜ」
 と言った。
 黒田が驚いて聞き返す。
「姿を見たのか」
「見たよ」
「天井裏……ということは、もう屋敷の外に逃げられたか」
 睡骨がつと黒田の方を見た。
「そうとは限らない。その円蔵とかいう野郎、あんたを探してるようだったぜ」
「俺を?」
「ああ……ところで、訊きたいんだが」
「何だ」
「昨日、俺と蛇骨が騙されたあの…木の枝を人の腕に見せるような、あの技を使えば男の姿を女の姿に見せることもできるのか」
「何? どういう意味だ」
 その時だった。
「こういう意味だろ」
 言葉遣いとは裏腹な、鈴を転がすような女の声がした。
「美佐?」
 黒田は咄嗟とっさに美佐の方を振り返った。
 美佐は首を横に振った。
「こっちだ」
 声の主は、五人から少し離れた一部屋の柱の影に身を潜めているらしかった。
 その柱の影が僅かに揺らいでいる。
「木の枝が人の腕に見えることもあれば、男の身体が女のそれに見えることもある。特に俺の背格好はそこの奥方様と似ていたから術にもかかりやすかったんだろう」
 その声は、もう女の声ではなくなっていた。
 若い男の声である。
「…円蔵だ」
 睡骨が小さな声で言った。
 円蔵が、柱の影から音も無く姿を現した。
 髪を解き、右目の上に黒い布を巻きつけている。
「奥方様、あなたの姿は便がいい。誰も彼もすぐに術にかかってくれる」
 なるほど言われてみれば、円蔵と美佐の背格好はよく似ているし、解いた髪の長さも同じくらい、極めつけに円蔵の右目の上に巻いた黒い布が美佐の黒い眼帯と、暗いところでならよく似て見える。
 円蔵が足音も立てずに五人の方へと近寄ってくる。
 黒田が美佐の身体を自分の背中へと押しやった。
「影阿弥」
 蛮骨が低い声を出した。
「円蔵を殺ったらいくら出す」
「…おまえ丸腰だろう」
「構やしねえよ」
「……」
 蛮骨が一歩踏み出す。
 円蔵は一瞬立ち止まったが、しかし再び静かに歩を進め始める。
 ぎっ。
 と軋んだ音を立てて、蛮骨が黒田の横に並ぶ。
 そこからほんの四、五尺ほど離れた場所に、円蔵が立った。
 そこは完全に蛮骨の間合いである。
 軽く踏み込めば相手の首に手が掛けられる距離である。
 そのまま首を絞めることも、頚動脈を外すことも、咽喉笛をつぶすこともできる。
 蛮骨になら、素手で相手を殺せる距離である。
 だンッ。
 と濡れ縁の床板を踏み抜かんばかりに蛮骨が円蔵に向かって右足を踏み込んだ。
 しかし……


!?
 蛮骨は円蔵の首に伸ばしかけた手を引っ込め、思わず身体を後ろに引いた。
 円蔵はやおら床に膝を着いて、言った。
「黒田左兵衛様」
 そしてゆっくりと両手を膝の前に置き、身体を折って額を床へ押しつける。
 その場にいた誰もが、息を呑む光景だった。
 何の躊躇いもなく土下座をした円蔵の姿を、五人が五人とも瞬きすら忘れて見つめている。
 かすかに震える声で、円蔵が言った。
「これまでの数々のご無礼を謝り申し上げます」
「……」
「お許しを乞うつもりはございません」
「…どういうつもりだ。これも何かの策か」
「滅相もございません。私は、ただ命乞いに参ったのみ……お笑いになっても、何を思われても構いません。私を、黒田様の手下てかに置いてはいただけませんか。細人しのびとしてでなくとも、下男でも、何でもいたしましょう」
「何故わざわざ俺の下に。牢を抜けたのなら何故逃げなかった」
「戻れば私の命はございません。戻らずとも、一旦敵に捉えられた細人が生かされることはありません。生きていると知れればすぐに追っ手がかかります。そういう掟でございますれば……」
「…なんと」
 黒田が唸るような声を上げた。
「あの男、そこまでやっているのか」
「はい」
「そうかそれでそなた、俺の手下に収まるというわけか。俺を後ろ盾にしようと……」
「…はい」
「何としてでも生き残るというつもりだな。そんなふうに頭を下げてでも」
「はい」
「…よかろう。頭を上げよ」
 だが黒田にそう言われても、円蔵は頭を上げようとしない。
「どうした」
「…厚かましいこととは存じておりますが、もう一人、私とともに黒田様の手下に置いていただきたい男がございます」
「誰だ、それは」
「以前の私の仲間で…名は朔太朗と申します。二人も世話は見切れぬと仰るのなら、この朔太朗だけでも構いません。どうか……」
「…分かったから、まあ、ともかく顔を上げなさい」
 黒田はその場にひざまずいて、そっと円蔵の肩に手を遣った。
「おまえ、本当に命を助けたいのはその朔太朗という男なんだな。己ではなく」
「……」
 頭を上げた円蔵は、俯いたまま首を縦に振った。
「分からねえな」
 不意に口を開いたのは蛮骨である。
「他の男のためになんでてめえが頭下げるんだ」
「…朔太朗は、兄にも等しい男です。以前の里に流れた時、今と同じように二人分の命乞いをしたのは朔太朗でしたから、その借りを俺は返さなくては……」
 黒田が訊いた。
「おまえたち、流れ者だったのか。あの男のところにもどこぞから流れてきたと……」
「はい。特に私は、幼い頃賊にかどわかされて以来、この道に入りましたゆえ」
「賊だと?」
「賊にかどわかされ、しかし身を売り払われる前にどうにか最初の里へ……その後朔太朗とともに以前の里へ流れました」
「…おまえ、生まれは」
「武家でございます」
 呆れたように、蛮骨が溜め息をつく。
「元はお侍か」
「そう侍を毛嫌いするなよ首領」
「で? 影阿弥、こいつを手下に置くつもりなんだな」
「ああ、それはまあ……」
 蛮骨は、何も言わずに円蔵の真正面に立った。
「立てよ」
「えっ……」
「いいから立ちやがれ」
 円蔵を、促して立たせるとその胸ぐらを左手で掴み上げる。
「何を……」
「てめえにゃいろいろと言いたいこともあるが……」
 蛮骨は大きく右腕を振りかぶった。
 それを振り下ろす瞬間、蛮骨は円蔵の耳元に口を寄せて、
「…さっき見たこと喋ったら殺すぞ」

 ばっちぃーーんっっっ

 と、気味のいい音を立てて、蛮骨の平手が円蔵の頬を殴り飛ばした。


 ぱん
 と、朔太朗の平手が円蔵の頬を打った。
「馬鹿野郎」
「…馬鹿ってことはないだろう」
「心配かけやがって……俺のことなんかどうでもよかったのに」
「そうはいかねえよ。そう簡単に腐れ縁が切れるわけもないだろ……それに、おまえに今まで世話になった分考えりゃ、土下座の一つや二つじゃ釣りがくるぐらいだ」
「……」
「なっ、そうだろ」
「……ありがとうよ、二人とも助けてくれて。俺だけ助けられても、俺はおまえを恨んでたぞ」
「…礼はお頭に言いなよ。俺たちに殺された部下だっているだろうに、何の条件も無く俺たちをここに置いてくれるってんだから……」
「また新入り生活、か……」
「また当分苛められそうだなぁ」
 円蔵と朔太朗は、揃って苦笑する。
 その様子を、黒田夫婦と、蛮骨と煉骨と睡骨と霧骨と凶骨と銀骨と、その他素面の者が数名、少し離れた場所で眺めていた。
「おい影阿弥」
 蛮骨が言う。
「おまえどうせあの円蔵、殺すつもりなんか無かっただろ。わざわざ生け捕りにしたわけだしよ」
「ふん…あの才を散らせるにはまだ早いわ。あの朔太朗という男もな」
「へえ、あの男も使えるのか」
「あれは丹波の生まれだな。丹波の忍者は丹波七化けといって……」
薀蓄うんちくはまあいいよ」
 円蔵と朔太朗がゆっくりとした足取りでこちらに向かってくる。
 円蔵の左頬は真っ赤に腫れている。
 勿論、蛮骨の思いっきり力のこもった平手打ちをまともに喰らった痕である。
兄哥あにい
 そう、円蔵は蛮骨に向かって呼びかけた。
「…俺のことかよ」
「もう一度、生きてあんたに会いたかったんだ。昨日、剣を交え…いや、あんたの得物は鉾だったけど。あの時俺の剣を受け止めただろう?」
「ああ」
「俺の突きを真正面から受け止めたのは、あんたが初めてだ」
 円蔵が、一歩蛮骨に歩み寄る。
 蛮骨は、気圧されるように一歩後ずさった。
「兄哥」
 がし、
 という効果音が聞こえてきそうな勢いで、円蔵は蛮骨の手を取る。
「な、何だよ」
「さっきの平手もよかった」
 何がいいのだ、と、つっこむ人間もいなかった。
 二人の回りにいた者は、皆数歩くらいずつ、後ろに下がっている。
 朔太朗だけが、ややうんざりした呆れ顔をしている。
「また勝負してくれよ。それまでにもっと技に磨きかけるから」
「え、ああ、そりゃまあ別に……」
「それから」
「…それから?」
「あんたにその気があるのなら、俺は何されてもいい」
「何って……」
「あの蛇骨とかいう野郎には掘られそこなったけど……」
 蛮骨はその瞬間、背中を大きな蜘蛛が這い上がったのかと思った。
 ……その気とはつまり男色趣味のことか。
 頭の毛まで逆立ちそうな鳥肌が、蛮骨の全身を駆け抜けていく。
 しかもあの時の、昨日の戦場での蛇骨の格好、あれは円蔵にやられかけたのではなくて、逆に円蔵が掘られようとしていたのか。
 脂汗はさすがにでなかったが、冷や汗はじっとりと背中を濡らし始める。
 しかもその上さっき蛇骨とやってるところを見られたから……
 と、そこまで考えて、
「あっ」
 蛮骨は、
「しまった蛇骨……!」
 思い出した。
「呼んだかい蛮骨の兄貴」
「……」
 背中から、ひしひしと伝わってくる気配にとても蛮骨は振り返る気にはなれなかった。
「……ど、どうやって出てきたんだおまえ」
「どうやってだと思う?」
 にっこりと、蛮骨の背後で蛇骨は笑っている。
 と、思ったら、
「てめえ! うちの頭になに手ぇ出してんだよさっさと離れろ!!
 威勢よく蛇骨は円蔵に踊りかかった。
 特に誰も止めに入ろうとはしない。
 皆呆れ返ってそうする気力もなさそうだった。
 ただ蛮骨だけが、後々の言い訳やら機嫌取りやら、そんなことを考えて泣きたそうな顔をしていた。

(了)