戦国乱世

「…しかし、私は正直に言うと戦などは苦手中の苦手で……」
 しどろもどろと下を向いて言い訳をする侍に向かって、蛮骨はよく通る声で一喝する。
「うるせぇ! 苦手も何もあるか!!
 その厳しい声音に、蛮骨の目の前で侍はびくりと身体を震わせた。
「いいか! てめえはもうこの軍の大将になっちまったんだよ! 今更引き返せねえぞ!!
「し、しかしだな…」
「しかしも甘菓子もあるかってんだよ!!
 言い捨てて、蛮骨は崖下を振り返った。
 崖下には広い広い荒地が広がっていた。
 その上で、真っ黒な塊が、人の群れが蠢いている。
 気迫と恐怖の入り混じったような叫び声が耳についた。
 わあ、わあ。
 わあ、わあ…。
「……くそっ、目の前に合戦場があるってのに!」
 蛮骨がぎり、と歯噛みをする。
 見晴らす限りの、黒い人の塊。
 塊。
 塊。
 両軍を合わせ総勢二万兵。
 この近隣諸国では近年まれに見る、大戦おおいくさであった。


 それは三日ほど前のことであった。
「何!? それは真実まことか!」
「はい、東の荒地で南沢、右京両氏の連合軍と高里氏の軍が総勢二万兵による大戦を始めたとの報告が乱波衆らっぱしゅうより入りましてございます」
「なにゆえもっと早くに気付かなんだ!」
「それが、南沢、右京両氏は高里の出城に何の予告もなく奇襲をかけたとのことで…」
「ええい、敵の見えぬ動きを見るのが乱波どもの仕事であろう! 役に立たぬ者どもじゃ!!
「と、殿、それでいかがいたしましょう。この度の戦には我が軍は…」
 ぐぅ、と城主が低く唸る。
「高里は我が大隈おおすみ家の盟友じゃ、ここで見捨てるわけにもいくまい…」
「で、では援軍を…しかし我が軍とてそう多くの兵は集めることができませぬぞ」
「分かっておる、我が軍は隣国白上しらかみの出城を攻めにほとんどが出払っておるわ」
「その通りでございます。我が城、出城を無防備にするわけにもいきませぬ。兵が集まらぬのに援軍を送ることなど…」
「千人じゃ」
「は?」
「どうにかして千ほどの兵を徴兵せよ。それも、できるだけ騎馬兵を多く集めるのだ」
 その言葉に城主の侍従は唖然とした。
「む、無茶でございます! それほどの兵、何処いずこより集めることができましょう!!
「無理は承知の上じゃ! しかしここで我が軍は参戦せねばならん。高里が落ちた次に攻められるのはこの城ぞ!」
「そ、それは…」
「それにここで高里に恩を売らねば、白上との戦が苦しい状況になったとしても援軍を得ることができん」
「しかしですな…!」
「爺よ、何もわしとて我が軍が敵を破ることなど期待しておらん」
「では、一体…」
「よいか、高里と手を組んでおるのは我が国だけではないのだぞ。他にもいくつかの国が高里と手を組んでおる。そやつらも今回の戦には援軍を差し向けるはずじゃ。それまで時間を稼げればよいのだ」
「……」
「それに我が軍にはあやつらがいるではないか」
「…あやつら、でございますか」
「そうじゃ。折角雇った者ども、今ここで使わぬ手はない」
「……」
「爺」
「…承知、いたしました」
 ついに侍従の方が根負けしたようだった。
「よし、それではさっそく兵を集めい」
「あい。しかし、殿、最後に申し上げておきまするぞ」
「何じゃ」
「二万兵のうち、高里の兵は五千ほどでございます」
「……」
 侍従が伏せた頭で、上目に睨むように城主を見た。
 城主はしばらくの間黙り込んだ後、小さく口を開いた。
「…早う、行け」
「かしこまりましてござりまする」
 言い放って、侍従はその場を去った。
 その姿を城主は見送ると、ゆっくりと顔を伏せ、息を吐いた。
 そして、う、と小さく呻き、片方の手で弱くおもてを覆った。


 ぱん、と手を合わせ、
「ごちそーさん」
 と、蛇骨が間延びしたような声で言う。
 それを見て煉骨は眉をしかめた。
「蛇骨、てめえもっとちゃんと噛んで食えっていつも言ってるだろ」
「噛んだよ。相変わらずうるせーなぁ、煉骨の兄貴は」
「何言ってやがる、てめえこの前腹痛はらいた起こして戦の真っ最中に動けなくなっちまったくせに」
「うるせぇ」
 そう言って、つん、とそっぽを向いた蛇骨を見て蛮骨がくく、と笑った。
「まるでおっかさんみてえだな、煉骨」
「大兄貴、やめてくださいよ」
 煉骨は溜め息をつきつき蛮骨の方を振り返る。
 蛮骨はにやにやと笑いながらそれに返す。
「いいじゃねえか、こんな男所帯で一人でも世話焼きがいりゃいい方だぜ」
「そういう問題じゃ…」
 とそこで、ぽつっと霧骨が口を挟む。
「じゃあ蛮骨の大兄貴がおとっつぁん、てか」
 ……
 一瞬その場がしんと静まり返った。
「…いや、むしろ」
 睡骨が静かに口を開く。
「煉骨の兄貴が財布を握ってるわけだから、父母兼ね備えてんじゃねえか」
「でもよぉ、蛮骨兄貴が頭目なわけだし…」
 霧骨もゆっくりと言葉を紡ぐ。
 蛮骨も口を挟んだ。
「けど雰囲気でいけば睡骨じゃねえか?」
「大兄貴、雰囲気って…」
「いや、煉骨とつり合いがとれそうかと思って」
 それを聞いて煉骨が、
「つり合いも何もあったもんじゃねえだろうが」
 と苦い顔をする。
「ぎしし…」
「こら、銀骨てめえまで何言ってやがる」
 そう煉骨が銀骨をたしなめると同時に、霧骨がにまりと笑う。
 そしてとなりの部屋に向かって大きな声を、
「なあ凶骨、てめえはどう思…」
「ばっかばかしい」
 出そうとして隣から邪魔をされた。
「なんだよ蛇骨」
「七人隊の親父役なんて決まってんだろ」
「誰にだよぉ」
「俺。俺様で間違いなし」
「はぁ?」
 霧骨はあからさまに顔を歪め、意味が分からない、という表情をする。
 他の面々も同じような顔をしていた。
「だーって俺七人隊一番の稼ぎ頭だもん」
 ……
 くくく、という笑い声が聞こえた。
「あーっはっはっは、そりゃいいや。蛇骨が親父で煉骨がお袋で、できる子供の顔が見てみてぇ」
 蛮骨がまさに腹を抱えて後ろへ倒れ込んだ。
「なんだよ蛮骨の兄貴、笑うなよ」
 蛇骨がぷっとふくれて見せると、蛮骨は笑いながら顔だけをそちらに向ける。
「いや、確かにてめえは稼ぎ頭だよ、うん…」
「なんで俺が蛇骨の子供を産まにゃならん」
 煉骨は苦い顔をしている。
「蛇骨と煉骨の兄貴の夫婦か…」
 霧骨もにまにまと笑っている。
 見れば睡骨も、銀骨も、隣室の凶骨もくっくと笑っている。
「うーん、煉骨の兄貴との子供かぁ。でも煉骨の兄貴は俺の趣味じゃねえしなぁ」
 と深刻な顔をして考え込み始める蛇骨に、煉骨がますます苦い顔をする。
「やめろ、てめえの趣味なんぞになってたまるか」
 それより、と煉骨は相変わらず蛮骨の方を振り返る。
「大兄貴、飯の途中だ、行儀が悪い。さっさと起きてくれ」
「へいへい、奥方様」
「大兄貴!」
 ははは、と蛮骨はまた笑った。
 そのとき。
 妙な音が、

 どど…

 とそれぞれの耳に届いた。
「? 何の音だぁ?」
 霧骨が障子の方を振り返る。
 音はどうも外から聞こえてくるようだった。
「こっちに近づいてくるな」
 と睡骨。
 煉骨が蛮骨の方を振り返った。
「これは…」
「馬のひづめの音だな。それも相当暴れてやがる…煉骨、見てこいよ」
「分かった」
 煉骨が立ち上がり、障子を開けて外へ出た。
「あ、兄貴俺も」
 蛇骨もそれに続く。
 が、
「でっ!」
 すぐに、入り口で立ち止まっている煉骨の背中にぶつかってしまった。
「煉骨の兄貴、何止まって…」
 だがその訳はすぐに知れた。
 煉骨の頭の脇から、ぬっと馬の首が頭を出した。
「!」
 馬の方を向いたまま煉骨が蛇骨を呼ぶ。
「蛇骨、てめえ馬の扱いは?」
「へ、い、いや俺は馬は…」
「ならこの機会に覚えるんだな」
 そう言って煉骨は、
「煉骨の兄貴!」
 がっ
 一瞬にして馬の背に飛び乗ると、ぐいと手綱を引いた。
 馬がいきなり手綱を引かれて、前足をばたつかせて暴れる。
「どぅ、どぅ…」
 だが次第に、煉骨が何度か手綱を引くうちに馬も興奮を残しつつ動きを沈めていった。
「煉骨、そのまま馬屋に連れてっちまえよ」
 蛮骨が部屋の中から声を掛ける。
「分かった」
 言いつつ煉骨が蛇骨の方を振り返った。
「馬はこうやって乗るもんだ。膝でな、挟むようにして乗る」
「へ、へぇ…」
 少々呆然としながら、蛇骨が肯く。
「覚えとけよ」
 言って、煉骨は手綱を鳴らして走っていった。
 蛇骨は呆然としたままその姿を見送っていた。
 そしてそのうち煉骨と煉骨が乗った馬の姿が見えなくなると、ゆっくりと部屋の中を振り返って見た。
 蛮骨が立ち上がるのが見えた。
「蛇骨」
 蛮骨は蛇骨の方に歩み寄ってきて、名を呼ぶ。
「仕事だ」
「は?」
「たった今細人衆しのびしゅうから伝手つてが入った。戦だ」
「ほんとか?」
 やりぃ、と蛇骨が腕を振るった。
「それで、だ」
 ぽん、と蛮骨が嬉しそうに笑っている蛇骨の方に手を置く。
 にこ、と笑って蛮骨は言った。
「おめえは騎馬な」
 ……
「…きば?」
「つまりだ、馬に乗るって事だよ」
 にっこり。
「あー、そうか馬な。馬…」
 馬かぁ…
 …ん?
 馬?
「へっ!? 騎馬っ!?


 援軍は約八百兵。
 どこからどう掻き集めたものか、うち騎馬兵は五十。
 その中には七人隊首領蛮骨以下、睡骨、蛇骨の二名を含む。
 ちなみに七人隊からは上記三名に加え霧骨も参軍している。
 残りの煉骨、凶骨、銀骨の三名は城に残り警固にまわった。
 このような、傭兵の中から騎馬兵を出すなどという異例な事態となったのはよほど城に余裕が無かったか。
 それとも何かの作戦か。
 真相が知られることは無かったが、とにかく見た目には異様な一軍である。
 軍の召集より二日、ようやく援軍の出撃と相成った。


「んで」
 崖の上から合戦場を見下ろしながら蛮骨は白けた声で言った。
「どうするよ、大将」
「ど、どうするもこうするもだな…」
 対して援軍の大将は力ない声でしどろもどろになっている。
 蛮骨がそんな大将の姿をちらりと横目で見て、はあと溜め息をついた。
 だーめだこりゃ。
 とってもこの状況で大将に腰据えるような器じゃねえわ。
 蛮骨の跨っている黒馬が落ち着かないように首を振った。
 まあ馬も落ちつかねえだろうなぁ、この状況じゃ。
 落ち着かない馬をなだめるように蛮骨がその首をさすってやっていると、不意に後ろから声を掛けられた。
「大兄貴」
「…睡骨か」
「馬が落ち着かなくて敵わねえよ。どうにかなんねえのか」
「こんだけ人間が動揺してちゃ馬だって落ち着かねえさ」
「そうはいうが、それでもこれじゃ…」
「文句なら、大将様に言いねぇ」
「言いねぇって、大兄貴…」
「あーもう、目の前に血みどろの合戦場があるってのになんで俺はこんなところで馬なんぞに跨ってその首さすってやらなきゃならねんだか…どうせなら女の首でもさすらせろちくしょうめ」
「……」
 これにはさすがに何と返したらいいのか分からず睡骨が閉口する。
 それを横目でちらと見てから、蛮骨は片手に抱えていた蛮竜を横倒しに膝の上に乗せると、その袋をかぶせた刃の上に顎を乗せて、
「あーあ」
 とまた溜め息をついた。
 睡骨は辺りに目を泳がせて何やら考え込んだ後、何か思いついたか蛮骨の耳元に口を寄せる。
「大兄貴、いっそ大将は放っといて俺達だけで突っ込んじまうってのは」
「そりゃ確かにいい案だ。だがな」
「だが?」
「そんなことで首狙われるようになって仕事が減るのもなんかつまんねえ気がする」
「そうか…」
「まあな、大将が弱気になるのも分からんわけじゃねえ」
 蛮骨は身体を起こす。
「こうも大層な騙され方しちゃぁなあ」
 言いながら、蛮骨が崖下を見下ろした。
 うごめく黒い塊が見える。
「何が、味方が優勢だから心配するな、だよ」
 蛮骨は苦い顔をした。
「どう見たってこりゃ負け戦だぜ。普通なら八百の援軍なんか足しにもならねえ」
 敵兵一万五千に対し、味方は五千では…。
「敵陣に突っ込むのは好きだけどよ、戦に負けちゃ金が入らねえし」
 言って肩をすくめる蛮骨を見て睡骨がむうと唸る。
「負けそうか、やっぱり」
「このままいくとな」
「勝つ算段は…」
「ま、あとは気合いの勝負だろうな」
「気合い、なぁ…」
「だいたい士気が低すぎらぁ。こんなに足軽どもの士気を下げちゃぁな、負ける戦も勝てる戦も全部負けちまうよ」
 ったくそれもこれも…
「おい大将、どうすんだよ」
「だ、だから…」
「ったくあんたがしっかりしてねえからこんなに士気が下がっちまうんだろうが」
「そうは申しても…」
 やはりしどろもどろと返す大将を横目に見ながら、睡骨が小さく溜め息をつく。
 やれやれ、どっちが大将なんだかな。
 まあ一軍の大将に向かってあんな口が利ける兄貴も兄貴だが…。
「よし分かった」
 蛮骨が大きく肯いて腕を組む。
「もういっそ皆で突っ込んじまおうぜ。それであんたは討ち死にで、そうしたら俺達はずらかる、と」
「なっ、何を申すか!! この無頼者が!」
「いいじゃねえか、名誉の死だろう?」
「こんな負け戦に突っ込んでいくなどただの馬鹿じゃ!」
「じゃああんた他に策でもあんのかよ? ああ?」
「あればこうも困らんわ! 馬鹿者!」
「んだとこの禿げ親父!」
「はっ…貴様傭兵の分際でこの私にそのような口を利いて良いと思うてか!」
 次第に熱を増していく二人の口論に、周りでは足軽たちが何事かとざわめき始めた。
 なんだなんだ。
 仲間割れか。
 何だか知らんがお侍様と若ぇもんが言い争っとるようだぞ。
 そらぁすげぇや、今時お侍に楯突くようなもんがおるか。
 いいぞ若ぇのやっちまえ。
 …おいおい、と睡骨はそれを聞きながら思う。
 よっぽど信用ねえんだな、あの大将。
 他の侍連中も止めにすら入らねえのか。
「うるせぇ! 苦手も何もあるか!!
 蛮骨の厳しい声音に、蛮骨の目の前で侍はびくりと身体を震わせた。
「いいか! てめえはもうこの軍の大将になっちまったんだよ! 今更引き返せねえぞ!!
「し、しかしだな…」
「しかしも甘菓子もあるかってんだよ!!
 言い捨てて、蛮骨は崖下を振り返った。
 崖下には広い広い荒地が広がっている。
 その上で、真っ黒な塊が、人の群れが蠢いている。
 気迫と恐怖の入り混じったような叫び声が耳についた。
 わあ、わあ。
 わあ、わあ…。
「……くそっ、目の前に合戦場があるってのに!」
 蛮骨がぎり、と歯噛みをする。
 もう理性も限界だ。
 さっきまではいろいろと理由をかこつけて我慢もしていたが、そろそろそれももちそうにない。
 目の前でこれほど大きな合戦が行われているというのに、黙って我慢ができるような蛮骨ではない。
「睡骨」
 蛮骨は密かに睡骨を呼んだ。
「なんだ」
「もう俺も我慢の限界だよ。いいか、俺が出たらおめえも後ろの蛇骨を」
 連れて…と蛮骨が言いかけたその時、一陣の風が、
「!」
 蛮骨と睡骨の間を通り抜けた。


 睡骨が蛮骨の元へと向かってから、蛇骨は珍しく一人軍の後ろの方で大人しくしていた。
 というのも…
「…おい、頼むから動くなよ」
 蛇骨は下を向いてそれに言う。
 だがそれはまるで嫌だとでも言っているかのようにぶるぶるとその身体を揺らした。
「わっ、馬鹿動くなって!」
 蛇骨は慌ててしっかりと手綱を握る。
 そんな蛇骨の姿を馬鹿にするかのように、蛇骨の跨っている栗毛の馬がぐひひひと鳴いた。
「こんの馬…」
「蛇骨、馬に向かって怒ったってしょうがねえだろぉ」
「うっせえ霧骨、てめえは黙ってろってんだ」
 霧骨は蛇骨の馬の横にしゃがみ込んでいる。
 やれやれと息をつくと、立ち上がって着物の泥を払い、馬の鞍に手をかけた。
「蛇骨、引っぱってくれよ。俺も乗りてえ」
「やだよ。なんで俺が」
「いいから」
 ちっ、と蛇骨は小さく舌を打つと、手を伸ばして霧骨の腕を掴み馬の上に引き上げた。
「一人で乗れねえなら乗んなよ」
「なぁに言ってやがる。てめえだってろくに乗りこなせねえくせに」
 うっせえ、と蛇骨が吐き捨てる。
「さっきの今で馬に乗れっつわれてもそう簡単に乗れるかってんで」
「まあ俺も馬は苦手だぜぇ」
「てめえのは手足が短いからだろ」
「なっ、てめっ人が気にしてることを…」
 ふん、と蛇骨が鼻を鳴らした。
「つーか、この馬よぉ、あの馬だろ。あの俺達が飯喰ってるときに来た暴れ馬」
 蛇骨が間延びした声で言うと、霧骨はああ、と思い出したように肯く。
「あの馬か。煉骨の兄貴はうめえこと乗りこなしてたよなぁ」
「どーせ、俺は馬なんか乗れねえよ」
「何だよ、なに拗ねてんだよぉ」
「拗ねてなんかねえよ」
「拗ねてんじゃねえか」
「拗ねてなんかねえって」
「なあ、拗ねてんだろぉ」
「拗ねてなんか…」
 そこまで言って、蛇骨はくるりと後ろの霧骨の方を振り返った。
 そして片手で霧骨の耳を引っつかむとそこにぐいと口を寄せ、
「ねえぇっ!」
 と、大音量で言い切った。
「っでぇっ! 蛇骨! 何しやがんだよ!!
 ふん、と蛇骨が鼻を鳴らす。
「てめえが悪いんだろが」
「んだよだからって何もんな大声出さなくっていいだろがぁ」
 半ば涙目で訴える霧骨は意に介さず、蛇骨はあーあーと溜め息でもつくようにくさしている。
「俺はやっぱり地に足が着いてねえと落ちつかねえよ。こんなでかくて思い通りにならねえ図体の上じゃ刀も満足に振れねえんだろうなあ」
「…蛇骨」
「ん? 今度は何だよ」
 つい、と蛇骨が霧骨を振り返る。
「いや…」
 …こいつはやっぱただの喧嘩好きかねぇ。
 蛇骨の黒い瞳に見つめられながら、霧骨は思う。
 自分ができねえで口惜しいってより、喧嘩が満足にできねえから口惜しいってか?
「…やっぱいい」
「あぁ? 何だよじゃあ呼ぶなよ」
「あぁ悪い悪…」
 だが霧骨がそれを言い終える間もなかった。
 突然、身体ががくりと揺れた。
「いっ!?
「あっ、くそこの馬鹿馬!!
 蛇骨と霧骨が乗っている馬が大きく身体を揺さぶっていた。
 退屈でもしたのか、まるで二人を振り落とそうとしているように大きく身体を揺さぶってくる。
 蛇骨は強く手綱を握り直しながら、
「この馬っ! 大人しくしねえと刺身にして喰っちまうぞ!!
 と罵声を浴びせざまその馬の腹を蹴りつけた。
 それがいけなかったのだろうか。
「わっ!」
 馬はさらに激しく暴れ、ついには
「あっこら待て!!
 暴走を止めぬまま前方へと向かって駆け出した。
 やっべぇこのままだと…
 何とか身体の均衡を保ちつつ蛇骨が前を見上げると、
「うわっ! 蛮骨の兄貴、睡骨避け…」
 ひゅっ、と。
 一陣の風が、
「!」
 蛮骨と睡骨の間を通り抜けた。
「なっ、蛇骨!?
 蛮骨がその風を目で追った先に見えたのは一頭の栗毛の馬と、その上に跨っている今にも振り落とされそうな弟分二人の姿。
 あいつら何やって…
 蛮骨はすぐに後を追おうとして…止めてしまった。
 止めてそのまま、きっ、と大将の方を見る。
「大将、一人…いや一騎出ちまったぜ」
「そ、そのようだな…」
「どうするよ」
「ど、どうもこうも…」
「あんたの不届きだぜ」
「な…しかし…」
「なあ、大将、もうこうなったら取るべき法は一つしかねえと思うんだけど」
 にっこりと蛮骨が笑んだ。
「進撃だ」
「……」
 大将が何も答えることができず黙り込むと、今度は蛮骨の表情は井戸の奥の水のように冷たくなる。
「このままいくとあんたは兵の管理もろくにできねえ侍ってんで城中の笑い者、それで済まなきゃこれだ」
 蛮骨は右の親指を立て、首を切る真似をしてみせる。
「さあどうする」
「……」
「大将」
「…行こう」
 皆の者、と大将は震える声で背後の軍を振り返る。
「し、進撃じゃ!」
 軍はざわめいた。
 だが、ただざわめいただけで掛け声も何も上がらない。
「聞こえぬか、進撃じゃ!」
 さらに震える声で叫ぶ大将に向かって蛮骨が一言。
「アホかおっさん」
「あ…なんじゃとこの小童!」
「ちったあ落ち着けって。まず進撃のときは太鼓。ついでに言うとあんた声が通らねえんだよ」
 言うなり蛮骨は大きく息を吸うと、
「進撃だ!!
 と力いっぱい後方に向かって叫んだ。
 すると遠くで何やら返事をする声が聞こえて、

 どーん、どーん

 と太鼓が鳴った。
 さらに蛮骨が続ける。
「いいかてめえら!! 先頭についてこなかったらぶっ殺すぞ!!
 おいおい、と隣で睡骨が何か言いたげにしていたが、蛮骨は構わずに続ける。
「行くぞ!!
 お、おう! という掛け声が軍から聞こえるとともに、法螺貝が鳴らされた。
 馬という馬のたてがみがなびき、蹄が音を立てた。
 そして蛮骨の乗る黒馬の肉の動きや、蛮骨自身のなびく後ろ髪を横目で見ながら睡骨はこっそり思う。
 本当にどっちが大将なんだか。
 崖の上にあった軍は一気に崖下へと駆け下りていった。


「ひえーっ!!
 霧骨はほとんど涙目で蛇骨の着物にしがみついていた。
 その蛇骨も必死で馬の手綱を握り締めている。
「蛇骨ーっ、なんとかしろぉーっ!」
 全速力で駆ける馬の背でがくがくと揺さぶられながら霧骨が蛇骨の耳元で叫んだ。
「何とかできるもんならとっくに何とかしてるっつーの!!
 蛇骨も霧骨に負けないほどの大声で叫び返す。
「落ちるーっ!!
 と霧骨がさらに大声で叫ぶと、
「なら落ちろ!! てめえが引っぱってるせいで俺まで落ちちまう!!
 またさらに蛇骨が叫ぶ。
「んな殺生なぁー!!
「るせえっ!!
 言って、蛇骨ははっとした。
 馬の向かう先の方に足軽どもの束が見えた。
「ちくしょ…」
「あああーっ!!
「るせえ黙れっ!!
 このままじゃ敵軍に突っ込んじまう!
 この体勢じゃ刀も満足に振れねえってのに!!
「あああああーっ!!
「黙れっつってんだろ!!
 そう蛇骨が腹の底からひっくり返してきたようなドスを利かせた声で叫んだとき、斜め後ろの方で
「へぇ、じゃ言うのやめようか」
 と誰かが言った。
!?
「よ、蛇骨」
 後ろからどろどろと大きな蹄の音を立てて一頭の黒馬が駆けて来て、蛇骨の乗っている馬の横に並んだ。
「蛮骨の兄貴! なんで!」
「進撃だぜ蛇骨、そのまま突っ込め」
「はあ?」
「おい、もっと膝締めろ。そうすりゃ落ちねえから。刀も振れるぜ」
「へ? こ、こうか?」
 蛇骨は少し前に屈んで膝で馬の鞍をぎゅ、と締めた。
「そう。おめえの馬は疲れ知らずでいい馬だな。俺の馬はもうばててきやがった」
 確かに蛮骨の言うとおり、黒馬はやや蛇骨の馬の後方まで下がり始めている。
 蛮竜を担いだ蛮骨が重過ぎるのだろう、馬の息がかなり上がってきていた。
「いいか蛇骨、うちの大将はとてもあてになんかなりゃしねえ! てめえがそのまま突っ込んじまえばこっちの軍にも勢いがつく! しくじるなよ!!
 言いつつ、すでに蛮骨は蛇骨の馬の後ろを走っている。
「分かったよ! まかせろ!」
 霧骨!! と蛇骨が後ろに向かって叫んだ。
「ああぁ!?
「振り落とされんじゃねえぞ!」
 すでに目の前間近に敵軍が迫っていた。

 しゃんっ

 と、まさに目にも止まらぬ速さでその銀色の光は煌いた。
 じゃらり、と音がして振り抜かれた蛇骨刀の刃がうねる。
 それはまるで黒い塊を端から削り取っていくようだ。
 蛇骨が刀を一振りするごとに、敵兵の塊の一角が崩れていった。
 それに一足遅れて背後からどろどろと蛮骨の黒馬が敵軍に突っ込んでくる。
 すでにその馬上で体勢を整えていた蛮骨は馬が敵の足軽にぶつかった瞬間には飛び上がって単身血の海へと飛び込んだ。
 じゃらり、と蛇骨刀が鳴る。
 ぶぉん、と蛮竜が風を切った。
 その背後からは地鳴りのごとく馬の蹄の音。
「っあああああーっ!!
 腹の底から搾り出したような掛け声とともにまず騎馬侍が。
 そしてまだ子供に近いような若者や年寄りを掻き集めたような足軽たちが、敵軍に突っ込んでいく。
 蛇骨が刀を振り、蛮骨が鉾を振り、その一振りごとに地面が赤く染まり敵が減り、軍は進む。
 兵数では圧倒的に不利だったが、奇襲の効果はあった。
 確実に。
「退けーっ!!
 先にこの言葉を吐いたのは敵の侍大将だった。
 敵軍の側面の部分が一気に退却していく。
「待ちやがれ!!
 血にまみれた蛮骨が蛮竜を構えたまま、血走るほどの視線を敵軍に向けて叫んだ。
 今にも敵を追って行きそうになる蛮骨の肩を後ろから誰かが掴んだ。
「深追いはよせ」
 味方の侍の一人が、息を荒げながら言った。
「ちっ」
 蛮骨は舌を打ち、辺りをざっと見回すと蛇骨や睡骨、霧骨の姿を確認して、
「おい! 深追いはするなだとよ! 皆戻れ!」
 と声を大きくした。


「ほんっとーに飲めるんだろうなその酒は」
 霧骨が懐から取り出した濁酒どぶろくの瓶を見て蛇骨が言った。
「へーきだって。前に買っといたやつだからよぅ。俺が作ったのなら飲めねえって」
「自分で言うなよ」
 言いながら蛇骨は霧骨からその瓶を受け取ると、
「ん、蛮骨の兄貴」
 足下にあったかけた湯のみ茶碗を蛮骨に渡し、その中に酒を注いだ。
 援軍として参戦してからすでに七日ほど過ぎた夜だった。
 蛮骨、蛇骨、睡骨、霧骨の四人は野営地で固まってとりとめもなく話をしたりしていた。
「ほらよ睡骨」
 蛇骨が睡骨に向かって酒瓶と湯のみを放る。
 それを受け取って睡骨がぼそ、と呟いた。
「ったく兄貴にばっかりいい態度取りやがって…」
「ああ? 誰が猫っかぶりだって? 睡骨」
 さあな、と睡骨がとぼけると蛇骨が眉をしかめてふん、とそっぽを向いた。
 それを横目に見ながら霧骨が言う。
「つぅか、蛇骨は俺達にばっかりひねくれた格好するんだよなぁ…」
「好きなんだろ、おめえらが」
 蛮骨が湯のみを口に運びながら言った。
 しかしそれに対して、隣で酒に口もつけず、蛇骨がさも心外だというように言う。
「何言ってんだよ、蛮骨の兄貴」
 蛮骨が笑いながら返した。
「素直じゃねえ女ほどこっちに気があるのとおんなじさ」
「そういうもんかぁ」
 霧骨が妙に納得したように相槌を打つ傍らで蛇骨は、女と一緒にすんなよ、と文句を言いつつやっと酒に口をつけた。
 睡骨が酒を少しずつ喉に流しながら呟く。
「あとどれぐらい戦は続くんだろうな…」
「この戦はもう時間の問題だよ」
 蛮骨が湯のみに残った酒を一気にあおり、それに答えた。
「やっぱり、そうか」
「三、四日前から、あっちこっちから援軍が来てる。兵の数に不足はねえし、もう敵方の降伏は近えだろうよ」
「じゃあもうすぐ、仕事も終わりだな」
「まあな。でも…」
 言い終えずに、蛮骨は後ろに身体を傾けた。
 ちょうどそこには木が一本立っていて、蛮骨はその木の幹に身体を預けるような格好になった。
「…どうせまた、次の戦があるからな」
 俯き加減で半分ほど目を閉じて蛮骨は口を開いた。
 蛇骨が湯のみ茶碗から口を離して息をつく。
「次はどこ行くんだろうな。俺今度はもうちょっと京の都の近くがいいなぁ」
「どうせまた、俺や煉骨に着物でもねだろうってんだろ?」
「はは、ご名答」
「まあ、たまにはいいかもな、ああいうところも」
 蛮骨が目を閉じた。
 目を閉じたそのまま、蛮骨は口を動かす。
「…どうせ俺が爺になって死んだって、戦は終わらねえんだろうなぁ」
「え? 何だって?」
 蛮骨の言うことがよく聞こえなかったらしく、蛇骨が訊き返すと蛮骨は先程より少し声を大きくして言った。
「俺達みんな、この世の男はみんな戦の申し子だってことだよ」
「…よく意味が分かんねえんだけど」
 ふふ、と蛮骨が笑う。
「馬に乗れるようになって良かったな、蛇骨」
 それだけ言って、やはりよく分からないという顔をしている蛇骨と、黙って酒を口に運ぶ睡骨と霧骨の二人を残して、蛮骨はとろとろと浅い眠りの縁を彷徨い始めたのであった。

(了)