レースの騎士

 天気のいい日は屋外で戦闘訓練をするのも悪くない。
 傭兵団訓練場での実戦に準じた訓練もよいが、特に戦士たちにとっては基礎的な武術の稽古も欠かせない訓練の一つだろう。
 宿舎の裏手にある空き地に戦士五人の姿があった。
 中央の辺り、訓練用の簡易防具を着けた二人が向かい合っている。頭部顔面を保護するアーメットをかぶっているから顔は見えないが、グレートソードを構えている方がガレス、対してナギナタを握っている方がハヅキであろう。なお武器も訓練用に刃を落としてある。
 模擬試合、スパーリングというやつである。
 ガレスはほぼ正眼の構え、ハヅキは切っ先を下げて、すり足でじりじりと間合いを測っている。双方とも簡単には打っていかない。お互いの実力は熟知している。小手先の攻撃は通用しまい。
 狙うのは一瞬のチャンス。
 そしてそれをいち早く嗅ぎ取ったのはハヅキの方だった。
 気合もろとも深く踏み込み、ナギナタが鋭い弧を描いた。ガレスは剣を振りかぶって応じたがわずかに間に合わず、まともに右脚を一撃されてしまった。
 打たれた脚の防具が甲高い音を立てた。
「ちっ」
 ガレスは観念して一度剣を下ろした。
 ハヅキが嬉しそうにガッツポーズを取っているのを見て、
(まったく大した勘のよさだ。戦闘センスじゃかなわねえな)
 と内心舌を巻く。
(だが――
 再び剣を構える。
 今度はこちらから積極的に打っていく。踏み込んで斜めにり下ろし、ハヅキがナギナタの柄で受けたところまで読みどおりだ。
 ガレスはさらに踏み込みながら素早く剣のポメル(柄頭)をひねり上げ、剣先をハヅキの顔面に突き込む型へ持ち込もうとした。
 ハヅキは反射的に身を引きそうになり、そこに隙が生じた。
「うっ!?
 ガレスは突きの型から一転、剣から左手を離しその手でハヅキの腕を掴んだ。熟練した戦士の経験があってこそ可能な近接戦における駆け引き、と言ったところか。
 ハヅキはそのまま体重を掛けられ、ひょいと地面へ投げ転がされてしまった。
「うわっ!!
 これで同点である。
 ガレスはアーメットを脱ぎ、転げているハヅキに向かって怒鳴った。
「ハヅキおまえまた軽くなっただろう! 踏ん張りが利いてねえんだ。もっと重量を増やせ!」
「ガレスー、女の子に向かって体重増やせってのはキツイと思うよー」
 とのん気な声が聞こえる。少し離れた木陰に残りの戦士たち――セイニーとジョシュア、それにアルシルがいて、ガレスとハヅキの模擬試合を見学していた。
「ばかやろう! 体重と命とどっちが大事だ!? だいたい俺は太れっていってるわけじゃねえんだ、筋力付けろって言ってるんだよ。腹筋毎日百回増やせ!」
 まるで一昔前のスポコンのノリである。
 木陰に座っていたジョシュアがおもむろに腰を上げた。
「次は僕たちにやらせてもらおうか、アルシル」
「ええ」
 二人ともアーメットをかぶり、剣を準備した。
 セイニーがうらやましそうに言う。
「あーいいなー。あたしなんか格闘専門の仲間いないもんねー。せめてバンやリオンが残っててくれればよかったのに」
 あの二人はなんとなく肉弾戦に打たれ強そうなイメージがある(筋肉のせい?)。
「ま、ないものねだりしてもしょーがないか。それに、ジョシュアとアルシルのご登場をお待ちかねの人もいるみたいだしねー」
 と笑った。
「え?」
「あそこあそこ」
 セイニーの指差す先、空き地の外れに小さな礼拝堂が建っている。その陰からこちらを見ている二、三人の少女の姿があった。近隣の街の娘らしい。ここのところ外で訓練をしているといつも見かける顔だった。
「あの子たちまた来てるの」
「きっとお目当ての騎士様がいるんだよー。まさかあの年頃でガレスみたいなオジサンが好みってことはないだろーしね」
 アルシルとセイニーの視線が自然とジョシュアへ向かった。
「え? ど、どうして二人とも僕を見るんだい」
「またまたー、わかってるくせに。あとでティティスに言いつけといてやろー!」
 とセイニーがはしゃいだ。
 が、その心配はご無用である。
 というのも、ティティスはすでに事を察知して今日の訓練を偵察にやって来ていたからであった。
 空き地の北側には傭兵団宿舎が建っており、その陰からティティスはジョシュアたちの様子をうかがっている。
(ちょっとー! ジョシュアなに嬉しそうにしてるのよ!?
 実際ジョシュアは訓練用のアーメットをかぶっているので、顔は見えないはずなのだが、見えないものまでも見えてしまう恋の力は恐ろしい。
「あのー、ティティスさん、なにも隠れなくてもいいんじゃありませんか?」
 と、後ろからシャロットがおずおず言った。
「わたしたちは皆さんへ差し入れを持ってきただけですし」
 シャロットの手にはぶどう酒とお菓子の入ったバスケットが抱えられている。そもそも、ティティスをこの場へ誘ったのはシャロットで、今朝、
「ティティスさん、今日の午後は非番でしょう? 一緒に戦士の皆さんの訓練を見に参りませんか」
「せっかくの休みに、そんなわざわざ」
 とティティスは一旦断ったものの、
――近頃ジョシュアさんの模擬試合をいつも見に来る女の子がいるんですよ」
 それを聞いて目の色を変えたというわけだ。
 空き地の中央へ出たジョシュアとアルシルは、試合開始のベル代わりに剣を握った拳同士をコツンとぶつけ合った。
 互いに距離を取り、ジョシュアは右手に片手剣、左手にバックラーを構える。アルシルは右手のレイピア一本である。
 間合いを整えながら、まずは軽くブレード(剣身)を合わせて離れた。
 一撃目はジョシュアから仕掛ける。
 基本の斬り込み。迷いなく利き足でアルシルの懐に踏み込んで、上段から剣を振り切る。このとき左手のバックラーは剣を持つ手を守る。
 アルシルはレイピアを外へ開いて剣を受けた。流水のようになめらかな重心移動で衝撃から手首を守り、一気に攻勢へ転じる。
 右、左にぎ浅く深く突く。
 もとより力ではジョシュアにかなわない。しかし非力な者にはそれなりの戦い方があるというだけである。
(く――!)
 ジョシュアは防御に徹しながら、アルシルの攻撃のテンポから次第に遅れ始めていた。レイピアが縦横無尽に振られるのも嫌なものである。まるで蜂が飛び回っているようで視界が乱れる。
 長引くと不利だ。
 剣戟におけるバックラーの役割というのは、身を守るというよりは利き手の保護と、同時に相手の視界を遮って剣の軌跡を悟らせないことが大きい。
 第一に必要なのはアルシルのテンポを崩す何か。ジョシュアはレイピアを受けとめたバックラーの陰から咄嗟とっさに刺突を放った。
 意外なところから来た切っ先にアルシルは思わず呼吸を乱した。
 そして追撃。ジョシュアはもう一歩踏み込んで斬りつけた。勝負が決まるときはいつも一瞬である。
 剣はアルシルの首を両断する位置すれすれのところでぴたりと止まった。
「さすがね」
 とアルシルがつぶやくと、ジョシュアは剣を下ろした。一本目先取といったところ。
 お互い剣を構え直し、間合いを詰める。
「負けないわよ」
「それは僕のセリフ」
 アルシルはいっそうスピードを増してレイピアを突き込んできた。
 普通の剣士には到底真似できない多段突きを容易にやってのけるのがアルシルの怖いところである。
 特にレイピアの引きが巧みなのだ。
 レイピアを引き寄せ次の狙いを定める動きに寸分の乱れも無駄もない。重心を正確に操り、全身の使い方に完璧な均整が取れている。そこから続けざまに放たれる刺突はくいを打ち込まれるように重い。
 ジョシュアは剣で受けたが勢いを殺しきれず、やむを得ず力任せに払った。
 アルシルの攻撃が止まった瞬間、勝負を掛けるしかなかった。突き出したバックラーで視界を遮りつつ剣を大きく振りかぶり下半身のバネを利かせる。
 だがどうやら主導権はアルシルに握られていたようだ。
 疾風迅雷に斬り込んできたジョシュアの剣はアルシルの誘い通りの軌跡を描いた。あらかじめわかっていて応じられないはずもない。
 ブレードとブレードが交差するすさまじい金属音が響き渡った。
 アルシルのレイピアはほとんど切っ先だけでジョシュアの剣を押さえ込んでいる。
 ヒュー、と脇の見学席から口笛や感嘆が聞こえた。ガレスが独りごちた。
「決まったな」
 アルシルは剣を受けた型へ一段ひねりを加え、ジョシュアの頭部へえぐり込む。決定的一撃。これが実戦なら眼窩がんかから脳髄まで貫き通していただろう。
 まあそこは訓練のこと、レイピアはきっちり顔面からそれて、アーメットのこめかみ辺りをかすめた。
 決着である。
 ジョシュアはアーメットを脱いだ。短時間の試合だったが汗みずくになって息も上がっている。
「素晴らしいよ」
 とアルシルの剣技をたたえた。
 アルシルもアーメットを脱ぎ、珍しく顔をほころばせ素直にお礼を言った。
「ありがとう。あなたもね」
「二人ともー、そろそろ休憩にしよーよ」
 セイニーの呼ぶ声がしたので、二人は連れ立って歩きだした。
 そのときである。
 礼拝堂の陰から訓練を眺めていた少女たちが、ふいに黄色い声を上げて色めき立った。意を決したようにこちらへ近づいてくる。
「来たわね!?
 と傭兵団宿舎の陰に隠れていたティティスも飛び出した。
「ちょっ、ティティスさん! 待ってください」
 シャロットが止めるのも聞かずジョシュアたちのところへまっしぐらに走る。
 驚いたのはジョシュアとアルシルである。いきなり少女たちが駆け寄ってきたかと思ったら、一体どこから現れたのかティティスまで。
 ティティスは少女たちとジョシュアの間に立ちはだかるように急ブレーキを掛けると、
「ちょっと! ここはエステロミア傭兵団の敷地内よ! 部外者が勝手に――あれ?」
 ところが少女たちはジョシュアには目もくれず、隣のアルシルの方へ詰めかけていた。
 三人おそろいのお仕着せを着て、友だち同士らしい。年頃は十三、四だろうか。そのうちの一人は金髪の巻き毛の少女で、他の二人に押されるようにしてアルシルの前に進み出た。
「あ、あのっ! 突然お声を掛けたりして、失礼をお許しください」
「何か?」
「お、お名前を教えていただけませんか!?
「?」
 アルシルよ、と簡潔に答えた。
「アルシルお姉様――
 少女はしばし、ぽーっと頬を赤らめていたが、やがて思い出したように、
「あの、さっきのお姉様のご活躍、わたし精一杯応援していました。こ、こ、これっ、お姉様に」
 と小さな包みを差し出した。中身は美しいレースの襟巻きである。
「まあきれい。だけどこんな贈り物をされる理由はないのだけど」
「いえっ、どうか受け取ってくださいませ! その、もちろんご迷惑でなければ――
 あんまり少女が必死なので、アルシルも逆らわず受け取っておくことにした。
「ありがとう」
 お礼を言って、襟巻きを訓練着の首のところへ結んだ。それだけで少女は卒倒せんばかりに感激していた。
 余談だが、いにしえの騎士は馬上試合の際など、心に決めた女性の持ち物や紋章を身に着けて戦うことが通例であった。
「それよりあなたたち、ここは傭兵団の敷地で部外者は立ち入り禁止よ」
「はいっ! お稽古中にお邪魔して申し訳ございませんでした。これからもアルシルお姉様のご武運をお祈りしています」
 少女たちはくるりときびすを返すと、ぱたぱた駆けて去っていった。中でもアルシルに贈り物をした巻き毛の少女は、よっぽどアルシルと話せたことが嬉しかったのか、若干が足元がおぼつかない。
「あの子の“騎士様”はアルシルだったんだねー」
 セイニーの笑う声がして、アルシルは振り返った。セイニーとハヅキも手に可愛らしくリボンを掛けた箱を持っている。巻き毛の少女の友だち二人が渡したものらしい。
「オレたちもお菓子もらっちゃったよ。みんなで街の教会で焼いたんだって。――最初はあの子たち、あそこにある礼拝堂で遊んでたみたいだ。それで、ひと月くらい前だったかな? オレたちの訓練を見かけたんだってさ」
「ジョシュアやガレスと互角に渡り合えるあたしたちに憧れちゃったんだってー。いやー照れるねー」
「そういう年頃もあるわ」
 アルシルはいたって冷静である。
「もう少し大人になればすぐに忘れるわよ」
「だろーね」
 三人は苦笑いしながらも、どこか懐かしむような、こそばゆそうな表情だった。
 その間ジョシュアとガレスは完全に置いてけぼりにされていたわけだが。ついでに飛び込んでくるだけ飛び込んできて出番のなかったティティスも。
――ジョシュア、げ、元気出してね」
 と思わず慰めてしまったくらい男二人の間にはむなしい風が吹いていたようである。
「わからねえなぁ女ってやつは」
 ガレスがぼやいた。
「ええと、ティティスはどうしてここに?」
 ジョシュアは今さら首をかしげている。
「えっ、いや、それはその」
 まさか本当のことも言えずもじもじしていると、幸いようやくシャロットが追いついてきて、
「皆さん休憩にしませんか? お菓子を持ってきましたわ。もしおケガがあれば遠慮なさらず言ってくださいね」
「そ、そうそう! あたしもシャロットを手伝いに来たのよ! ジョシュアどっかケガしてない? 大丈夫?」
「僕は大丈夫だよ。ありがとう」
「ほんとに? さっきアルシルに突かれたところとか平気? 見せてみなさいよ」
 なんだかんだ言ってこの二人はいい雰囲気なのであった。
「いつもすまねえな、シャロット」
 ガレスがお礼を言うと、シャロットははにかんでほほえみ、
「りんごのトルタとピシュコータを持ってきました。今日はうまく焼けたんですよ」
「そいつは楽しみだ」
 みんなが集まってシャロットの作ってくれたお菓子と冷たいぶどう酒で喉を潤した。晴れた青空からそそぐ光と風が心地いい。常の戦いや喧騒をひととき忘れることのできるような、そんな午後であった。

(了)