血の枷

「見ろ、あれが名高いエステロミア傭兵団長殿だ」
 さっき回廊をすれ違った衛兵が同行している仲間へそんなことをささやいたようだ。背中に触れたその声は、感心しているというよりは皮肉げで嘲笑がこもっていた。
(やはり城になんか来るもんじゃないな)
 うわさの的の傭兵団長は内心苦虫をみ潰したような気分だった。とはいえ実際の表情にそれを表さない程度には人生経験を積んでいるし、一応は王族としてのたしなみもある。
 そう王族、なのだ。自分は。これでも。
(ああ、面倒くさいことだ。王位だの、王家の血だの)
 傭兵団長は行儀悪くトラウザーズのポケットへ両手を突っ込んで足を速めた。
 すれ違う人々は、城の官吏も、騎士も、雑用係の侍女に至るまで自分の顔を知っているのだから嫌になる。皆の目元に浮かぶ色は高貴﹅﹅な身分に対する敬愛なんかじゃない。
「いかに国王陛下の弟君とはいえ――
 胎を結んだ腹の違う男が、一体何用で大きな顔をして城内を闊歩かっぽしているのか、という好奇﹅﹅の色である。
(やっぱりマールハルトにでも来させればよかった)
 と団長は後悔しきりだった。
 そもそもがマールハルトは、団長が城へ一人で赴こうとすることに難色を示していた。
「護衛も付けずにお出掛けになるのはよいお考えとは申せますまい」
「仕方ないじゃないか、傭兵たちはみんな出払ってる」
「あなた様は少々向こう見ずが過ぎていらっしゃいますぞ。お勤めにご熱心なのはよいことですが――
「そう小言を言うなよ、マールハルト。きょうが今週中はどうしても傭兵団を離れられないと言うから私がわざわざ」
「本心をおっしゃってはいかがです?」
「私だってたまには一人になりたいんだ!」
 と本音を言った。
「そのためには城へ行かれるのもいとわないとおっしゃるのですな」
「別に行きたくはないがな。我慢もするさ。ここで四六時中人に囲まれて暮らすのは疲れる」
「皆御身のご無事を願えばこそ」
「わかってる!」
 わかってるさ、と団長はため息交じりに言った。
「私だって子供じゃない。皆の気持ちは我が身にはもったいないくらいありがたく思ってる。だがな、頼む、少しでいい。一人にしてくれ」
――御意」
 マールハルトはしぶしぶながら承諾してくれた。
 そういうわけで団長は城へ来たわけだが、この人目のありようでは一人になって落ち着くどころではない。
「ちっ」
 舌打ちして、目的の場所へ脇目も振らず急ぐことにした。どうしてこんな追い立てられるような心持ちにさせられなければならないんだか。自分が悪いことをしたわけでもないのに。
 目指すところは城の階上、回廊を直進して突き当たりにある。
 重々しいかしのドアを押し開けると、むせ返るような紙のにおいが鼻腔びこうを突く。いく分手狭な室内を見渡せば、天井まで届く書棚が四面の壁を覆っている。小さな机と椅子がしつらえられた他は、やはりところ狭しと書棚が並び、あふれた本は床にまで積み上げられている。
 幸い書庫の中には誰もいなかった。
 団長はつい、ほっと肩で息をついた。本を踏まないように気を付けて部屋の奥へ進んだ。
 壁際の書棚に詰め込まれた本の背表紙を端から確かめていく。目当ての題が見つからないと、書棚と書棚の狭い隙間へ体をずらして横へ横へ移る。
「『青壁』『双生』『幽魂に対する一考察』『聖処女の杯』――聖教のことを書いた本は今は不要だが」
 と一人ごちつつ、興味を引かれた本へ手を伸ばし、細長い人差し指の先を背表紙と棚板の間へ差し込んで取り出した。
 そのときである。
 ドアの開く低くきしむ音が静寂をうがった。
 団長は反射的に音のした方を振り返った。入ってきたのは思わぬ人物で、我知らず体がこわばった。
「あ――いえ国王陛下」
 ようやく喉の奥から絞り出した声はややもするとかすれてしまいそうである。
 ドアを丁寧に閉めて入ってきたのは、見間違えようもなくエステロミア現国王、団長にとっては兄王に当たる。
「ご、ご機嫌麗しゅう。かようなところでお会いするとは思いませず、ご無礼お許しのほどを」
 国王は、団長の姿を見て形ばかりは驚いた表情を見せた。
「ああまさかこのような場所で会うとは、奇遇なことだ。――そうかしこまるな、他人同士というわけでもあるまいに」
 と、床へひざまずこうとしていた団長をたしなめ、自分は近くの机の椅子を引いて腰掛ける。
 団長は命ぜられるまま膝を上げた。しかし国王とは向き合わず、ことさらに書棚の本たちへ興を感じているそぶりを見せる。
「恐悦に存じます、国王陛下。そうおっしゃっていただけるのでしたら、失礼ながら私も遊びに参ったわけではございませんので」
(私がここにいることを人に聞いて、わざわざ来たのかこの男は)
 と苦々しく思うも顔には出さないように努めた。
 国王に急な対面を驚いた様子がほとんどないのもそうだが、衣服など見てもそうだ。政務の際の正装から上衣を脱いだだけの略装。真実私事でたまたま書庫を訪れたというのなら、こんな慌てたような服装はおかしい。こめかみ辺りの髪が乱れているのも、自分が書庫を離れないうちにと早足で来たせいではないか?
 団長は嫌味の一つも言ってやりたくなり、
「陛下はいかな御用でこちらへ?」
「あるじが我が家を歩き回るのに理由がなければならぬか?」
――差し出がましいことを申しました。お許しを」
 嫌なやつだ、と胸の内で毒づいておいた。書棚から本を抜いては、ぱらぱらと目を通す。
(私は私の仕事を片付けに来たんだからな)
 こちらから王に謁見を求めたわけじゃないし、偶然鉢合わせただけだと国王も口ではそう言っているのだ。追従口を利いてやる必要はあるまい。
 だが国王の方はそんな団長の心情を知ってか知らずか、鷹揚おうように呼び掛けてくる。
「傭兵団長、このように直接にそなたと面会できたのはずい分と久しいことではないか。そなたはかの地下遺跡から帰還した際ですら結局登城することはなかった」
「そのことはおわび申し上げましょう。ただ弁解をお許しいただけるのであれば、あのときは陛下の方から特別お呼び出しもございませんでした」
 避け合っているのはお互い様のはず。それを何の気まぐれを起こしたのか、国王はこうして自分に会いに来た。
 国王の面持ちは穏やかそのものである。言葉にもうそは感じられない。
「いやそなたを責めているわけではないのだ。わしは今このときそなたの壮健な姿を我が目で確かめることができて嬉しく思っている。それだけのこと」
「恐悦に存じます、陛下」
「そなたにとっても我が家同然でしかるべきこの城が敬遠されているのは悲しむべきことであるが」
「さようなことは」
「口さがない連中はすぐ王位のことを話題に上らせる。そなたには肩身の狭い思いをさせているだろう。我が城内のことですら満足に統治できぬ王で申し訳が立たぬ」
 団長は強く返答した。
「私が滅多に城へ参らぬのは元来無精な性格ゆえのこと。ご安心なさいませ、継承権になど、かけらほどの興味もございません」
「傭兵団長」
「はい」
「昨今のそなたの活躍は目覚しい。無論実際に任務を遂行し魔物を討伐しているのは傭兵たちではあるが、彼らが武功を示すことができるのもそなたの指揮が優れていればこそ」
―――
「地下遺跡の探索では一人の犠牲も出さず皆を生還させてくれた。そして近頃では、傭兵団は魔を狩ることも恐れぬと民からの信頼厚く、この暗黒の時勢を照らす一筋の希望だ」
 団長は国王の真意を測りあぐねて、目の端で兄王の顔色をうかがった。
 国王は弟の視線に気付いたようであった。が、泰然としている。一国を統べる男にふさわしい双眸そうぼうの力強い輝きがまぶしくさえある。言葉と心に相違はないように思われた。
「傭兵団長、そなたの才気について耳にするたびわしはいつも思う。受けた胎は違ったとしても、そなたの内に流れるのもまごうことなき先王の血なのだと。我が在位にもしものことがあったとき、次なる世で王冠をいただき玉座に着くべきは」
 バンッ
 と、団長は書棚へ拳をたたきつけた。
 国王の言を遮るためであるのは明白だった。爪が手のひらに食い込むほどに握り締めた拳が小刻みに震えている。
「たとえお戯れにでも! そのようなことを口に出されてはなりません!」
――すまない」
 国王は素直に謝った。
「そのとおりだ。わしの思慮が足らなかった。どこで誰が見聞きしているかわからぬのだ。わしの不用意な言葉でそなたが命を狙われるようなことがあってはならぬ。許してほしい」
 団長はどうしてもやりきれない想いで、唇をんだ。
(だから嫌なんだ、この男と一緒にいるのは! 自分の卑小さばかり思い知る)
「国王陛下、陛下の他に一体誰が王の器を有しているとおっしゃるのです。ましてや私などは所詮たった十六人の傭兵を率いるばかりの、陛下のしもべの一人にすぎません」
 感情を押し殺した声でようやく言うと、書庫で文献を探すという目的さえ投げ出してその場を立ち去ろうとする。
「失礼」
「弟よ!」
 団長はドアへ手を掛けようとしていたところであった。その手が宙でぴたりと止まる。国王に呼ばれて振り返りもしないとは不躾ぶしつけはなはだしい。だが国王はそんなことは気にもとめず句を継いだ。
「我が弟よ、またいずれ顔を見せに来てくれることを願う。どんなわだかまりがあろうとも構いはしない。おまえの平穏無事な姿が見られる以上の幸せなどありえないのだ。おまえはわしの弟なのだから。そしておまえの兄はわしなのだから」
 団長の手がだらりと体の横へ落ちた。
 おもむろに国王の方を振り返る。顔つきは冷えきっている。ただ、眉根を寄せたまなざしはどこか不自然で、胸中の葛藤を表しているようにも見えた。
「一介の臣下には身に余るお言葉、ありがたく存じます」
 団長は、数瞬ばかり逡巡しゅんじゅんしてから、国王の足元へひざまずいた。ぎこちない動作で兄王の右手を取り甲へキスする。
「御機嫌よう」
 団長は今度こそその場を辞した。
 傭兵団へ帰るなり、誰も寄せ付けず無言で自室へ閉じこもってしまった。任務を終えて帰還していた傭兵たちが何事かと心配したが、面と向かってわけを尋ねる勇気はないらしい。
 マールハルトだけが常どおり挨拶を述べにやって来た。
「おかえりなさいませ。道中何事もございませんでしたようで何よりと存じます。して、収穫はございましたかな?」
「明日にでも手空きの傭兵を城へ派遣して文献の調査に当たらせろ」
「は? しかし」
「話はそれだけだ。出て行ってくれ」
 そう取り付くしまもなく命じられては、マールハルトも従うほかない。
 しかしマールハルトが部屋を出ようとしたとき、団長は思い直したように言い添えた。
「バルドウィンが帰っていれば呼んできてくれ」
「承知いたしました――
「ついでに“霊薬”を持ってくるようにな」
 ほどなく、バルドウィンがドアをたたく音がした。
「失礼いたしますぞ」
 老僧侶は急に呼びつけられたのに嫌な顔一つせず、にこにこしている。右手に“霊薬”というのは名ばかりの酒瓶を携えていた。それと杯を二つ。
「わしもお相伴に預かろうと思いましてな。よろしいですかな」
「構わん。飲もう」
 団長は次々杯を空け、いくらもしないうちに酩酊めいていして前後が怪しくなってきた。もっともそんなふうに何もかも忘れたくて飲み始めたのだろうが。
 相手が老成したバルドウィンだからか湿っぽい愚痴をこぼしたりもした。
「おれは何かに縛りつけられるなんてまっぴらだと思って生きてきた。それが何の因果で傭兵団の団長だなんて面倒ばかりの役目についているんだかな」
「我々傭兵は一癖も二癖もある者ぞろいですのでな。さぞご面倒もお掛けしていることでしょうなあ」
「どうせならおれもおまえたちのように自ら剣を取って戦いたかった。その方がよほど性に合ってる」
「ではなにゆえ団長の任をお引き受けに。お断りなさることもできたはずでしょうに」
「兄上がやれと言ったからだ」
 と団長は呂律ろれつの回りきらない口で吐き出した。バルドウィンは一拍遅れてその意味を理解した。
「ああ、国王陛下が」
「そうだ兄上が」
 カップに半分ほど残っていた赤黒い液体を一息に飲み干す。
 椅子へ背中を押しつけて胎児のように膝を抱え込み、あとはただ、喉から頭の中へ焼けつくような酒の熱に身を任せた。

(了)