黒揚羽夫人

1

 魔物退治に盗賊退治、迷子探しやご近所トラブルの解決まで、お困り事なら何でもウェルカムなエステロミア傭兵団にある日一風変わった依頼が舞い込んだ。
「わたくし、ユングハイムで仕立屋を営んでおります。どうぞお見知りおきを、殿下」
 と珍しく傭兵団長を殿下﹅﹅などと呼ぶのは、新進気鋭の若い仕立職人の婦人だった。近頃やっと独立して自分の店を開いたばかりだと言う。
 彼女の師匠は王室御用達の仕立職人で、先代の王の頃から王や王子たちの衣装を何着も納めてきたそうである。傭兵団長も師匠の方は知っていた。
「ああ、あの偏屈オヤジああいや――師匠殿は生真面目な職人だったな。子供心には少々恐ろしかったが、仕立の腕は確かだった。私も乗馬服を仕立ててもらったことがあるが、あれが一等気に入っていた」
「恐れ多いですわ、殿下。父も喜ぶと思います」
「君は彼の娘か」
「末娘でございます。父は偏屈オヤジ﹅﹅﹅﹅﹅ですので、わたくしは幼い頃から他の弟子と同じように修行を積みました。半年ほど前にようやく店を持つことを許されたばかりです」
「ふふん、それならば君の腕はお父上のお墨付きだろう。期待の新鋭と見受けるが、何に困っているのかね」
「それが――」
 と仕立屋は言いにくそうにもじもじしている。
「信じていただけないかもしれませんが」
「たいていの信じられないようなことは傭兵団ここでは日常茶飯事だから、とりあえず話してみるといい」
「はい――あの――わたくしの仕立てたドレスをお召しになった方は必ず、不幸な目に遭ってしまうんです」
「ほう」
 それは面白い――と傭兵団長は、婦人に対して馴れ馴れしくない程度に、身を乗り出した。
 仕立屋は「バカバカしい」と一蹴されなかったことにひとまず安堵あんどしたようである。
「面白い――と確かにそうおっしゃるお客様もいらっしゃいます。“不幸のドレス”だなんて、面白いうたい文句だと。新しい店の宣伝なんだろうと思っていらっしゃるんです。でもその方々も、私のドレスを着るとやっぱり不運なことばかり起こりました」
「例えば、どんな?」
「婚約が破談になったとか、ご主人の浮気が発覚したとか。秘密の借金がご主人に露見してしまったとか――その他の細かいことを挙げればきりがありません。せ物や軽い怪我けがなどはしょっちゅうです」
「家庭のあるご婦人方にとっては人生の危機であろうな、そういった不幸は」
「今のところ、それが原因で命を絶たれた方や、生き死にに関わる事故などにお遭いになった方はおられません。でも、いつそんなことが起こってもおかしくない気がします」
 このところは“不幸のドレス”を面白可笑おかしがっていた客も店に寄り付かなくなった。仕立屋のそばに寄るだけでも、財産を失ったり亭主に隠し事がバレたりするのではないかと、すっかり不吉がられてしまっている。
「このままでは店も立ち行かなくなってしまいます。それで、父に相談したのです」
「お父上が傭兵団に助けを求めなさいとおっしゃった?」
「はい。父は国王陛下や殿下の幼少のみぎり、お召し物を仕立てさせていただいたことを今でも誇りにしています。おそろいの小さな乗馬服をお召しになっていた陛下殿下が、片やご立派に国をお治めになり、片や王国一の精鋭部隊を率いていらっしゃると」
「お父上は王国一の“何でも屋”と言ったのじゃないか?」
「まあ、多少言葉のあやはありましたが、父が殿下のご手腕を信じきっているのは本当です」
 仕立屋は師匠でもある父親の勧めに従って傭兵団を頼ってきたというわけである。
「よろしいおおかたの話はわかった。エステロミア何でも屋傭兵団が君の店の評判を回復してみせよう。お父上によろしく」
 と傭兵団長は気軽に請け合った。
「――また妙な依頼をお引き受けになりましたな」
 仕立屋を帰した後、マールハルトに渋い顔をされた。魔を狩る者たる傭兵団の本分はあくまで魔物退治である。
「いいじゃないか。ちょうどそろそろ新しい乗馬服を仕立てようかと思っていたところだしな。才気あふれる若者に恩を売っておくのも悪くない」
「かの婦人の父親はわたくしも覚えております。頑固な職人でした」
「幼少の私の思い出の中では、宮廷では珍しい裏表のない大人の一人だった。きょうやバルドウィンと同じくな。――さてでは、まずは“不幸のドレス”の噂の真贋しんがんを見極めようか」

2

 傭兵団長はさっそく四つばかり手を打った。
 まずはマールハルトに頼んで、仕立屋の経営状況、生地や糸などの取引先、あるいは競合店の有無などを調べること。
 それと同時にミロードを呼び出し、貴婦人たちの間で仕立屋に関するゴシップはないかと尋ねてみた。
「“不幸のドレス”の噂は聞き及んでいましてよ。近頃どこのお茶会もその話でもちきりなんですもの」
「噂は真実だと思うか?」
「いろいろと不幸なことがあったのは事実のようですわ。そういった類の話は貴婦人の間では隠しきれません。それがドレスのせいにできるのなら、不幸な目に遭った当人も多少は気が楽かもしれませんわねぇ」
「ふむ」
「良人や婚約者の――もしくは、自分の――裏切りなんていつでも話題に上る珍しくもない話ですわよ。新しくできた仕立屋は王室御用達の職人筋だと評判になっていましたし、みんなこぞって注文していて、すると同じ頃に仕上がってきますでしょ?
『あら貴女あなた今度のことは災難でしたわね。まあ素敵なドレス、どこで仕立てたの? あのお店? そういえば私も同じお店で仕立ててもらってから、よくないことばかり起きて』
 ――というような調子で“不幸のドレス”の噂が広まるのは容易に想像がつきますわ」
 ここのところ、どういう風の吹き回しかリオンが傭兵団へ帰ってきていた。暇を持て余しているらしい彼も傭兵団長に呼び出された。
「あんだよ」
 とリオンは眠たげな様子ながら求めに応じて現れ、友、兼上官の前で欠伸を隠そうともしないでいる。
「お前夕べはどこに行ってたんだ? 毎日毎日朝帰りとはいいご身分だなぁ」
 と傭兵団長はとりあえず上官として小言をついた。リオンは大袈裟おおげさに肩をすくめて見せる。
「いいだろ別に、任務も振られてねえんだから。そう羨ましがるなよ」
「ハヅキがかわいそうだ」
「よせって」
 それを言われると弱いらしく、リオンは顔をしかめた。
「夕べはコレ﹅﹅だよ」
 と指でサイコロを転がす仕草をする。近所の賭場に顔を出していたのだろう。
 傭兵団長はリオンの真似まねをして、指でカードをめくる手つきを示した。サイコロよりは多少高級な賭博場を指しているらしい。
こっち﹅﹅﹅の方はどうなんだ? 賭け金は必要なだけ私が出資してやってもいい」
「あん?」
「その代わり情報収集をしてきてくれないか。ちゃんとした格好をしていけよ。盗賊ギルドから聞いたところでは、貴族の女もお忍びで出入りをするような場所だそうだから」
 そして最後にジュランが呼ばれた。
「お呼びですか?」
「ジュラン、君にはユングハイムの仕立屋を訪ねて、店や職人に何か魔法の影響が見られないか調べてきてもらいたい。私は職人を疑ってはいないが、彼女に身構えられないように、君の素性を明かさずひそかに行く方がよかろう」
「ああ、この頃噂に聞く“不幸のドレス”ですか。魔法の力によるものなんですか?」
「まだわからん。見極めてきてくれないか」
「しかし――その仕立屋というのは婦人服の店では?」
「男が行ったって構わないさ。恋人へのプレゼントを探しているとでも説明したまえよ」
「私はそういうことは不得意ですよ。ミロードに行ってもらった方が」
「彼女は社交界で顔が知られてる」
 ジュランはそれでもなお不満げだったが、
「もし“不幸のドレス”が本当に魔術によるものなら、私から君に一着プレゼントしよう。好きなようにしていい。魔法の実験に使うのでも何でも」
 と傭兵団長が言ってやると、手のひらを返して任務を引き受けてくれた。
 翌日には、ジュランは仕立屋に出向いて任務を果たし、いくらか疲れた顔をして帰ってきた。
「いささか気疲れしました。こちらは買う気もないのに、生地だのリボンだのをずらりと並べて熱心に説明までしてもらって、店主の方に悪いことをしました」
「で――君の見立ての方は?」
「特に魔法や精霊の力は感じられませんでしたね。この子も何も反応せずお店の入口のところでいい子にしていましたし」
 と、肩の上でグルグル鳴いている黒い子猫をでてやりながら言う。
「残念です」
「私が破産する日が一日遠のいたようでなにより」
 リオンはジュランよりも時間がかかったが、一週間ほど経つと傭兵団長の元へ首尾を報告しに現れた。
「いい気分だな、人の金で遊ぶってのは」
「多少はもうけただろうが。一杯くらいおごれよ」
「なに言ってる、あんたに頼まれた仕事のためにほとんど使っちまったよ」
 他の賭場客から情報を得るために借金を建て替えてやったり、店員に袖の下を握らせたりしたのだろう。
「あんたの言ったとおり、貴族の女が――顔と名前を隠しちゃいたが――何人か溺れちまってたな。そのうち一人は亭主に借金がバレてるらしいが、どうにもめられねえようだ」
「憐れな」
「なんでも“不幸のドレス”を着て来たその日に大負けして、亭主に隠しきれなくなったらしいな。あんな気味の悪いドレス二度と着ないとよ」
「その話に裏はあるか?」
「別に。賭場ではよくある話でしかねえな。あんなもん結局胴元が勝つようになってるのさ。次こそは――でどんどん金を注ぎ込んで引き返せなくなっただけのことだ」
「誰かにはめられた﹅﹅﹅﹅﹅なんてことは」
「ないなぁ」
 マールハルトは仕立屋の身辺を調査した結果を報告書にまとめて、傭兵団長がいつでも読めるようにしておいてくれていた。
「経営状況は――これまでのところ堅実、問題なし。従業員、取引先との関係や近所付き合いも良好。仕立職人のギルドにも加入して抜け駆けたことはしていない。誰かの恨みを買って店の評判を落とすような妨害工作をされることはないというわけだ――」
 傭兵団長は報告書を執務机へ置くと、大仰なめ息をついて天井を仰いだ。

3

「つまり私が出した結論はこうだ。“不幸のドレス”を買った客たちは本当にただただ不運だった」
 以上。――と傭兵団長は天井から正面に視線を戻した。視線の先にはアイギールが腕組みして白けた様子で立っている。
 傭兵団長は弁解するように言った。
「仕方がないじゃないか、どう調べてみてもたばかりだのまじないだのの痕跡が見つからない。見つかった方が私も楽ができたさ」
「―――」
「仕立職人もなまじ筋がよくて仕事熱心だったばかりに、世間の不運を背負しょわされることになったわけだ。ミロードの言うとおりだ。貴婦人たちにとって不幸な出来事は日常茶飯事で、ドレスの噂が広まれば、そういえば自分も――と普段なら気にしないようなことまでそれに結びつけて考えてしまうだろう」
「――で、どうして私が呼ばれたワケ? そこがわからないのだけど」
「かくなる上は君に“不幸のドレス”を着てもらうしかない」
「ますますわからないわよ」
 まあ聞いてくれ――と言いながら傭兵団長は椅子から立ち上がった。
「依頼人に店の評判を回復してみせると請け合った以上は最後まで投げ出すつもりはないんだ。“不幸のドレス”の汚名を返上するには――不運なんぞものともしないような強靭きょうじん強運な女性がドレスを着て、何事も起きないことを示せばいいのじゃないかと思ってな」
強靭きょうじん強運な女」
「君のことだよ」
 と傭兵団長はアイギールのそばまで来て彼女を見下ろした。
「君ほど運のいい女性はそうそういないぞ。今日までただの一度もその仮面を剥がされることなく、全くの五体満足で生きてるんだから」
「それって脅してるつもり?」
「我が傭兵団の幸運の女神――いや悪運の女神かな? ――だと言っているだけさ」
「―――」
「引き受けてくれるだろうな」
「どんな任務でも引き受けるわよ――でも」
「君好みの任務じゃないのはわかってる」
 傭兵団長は執務机の方へ戻ると、一番上の抽斗ひきだしから社交界の招待状らしき豪奢ごうしゃな紙切れを取り出した。
「今度さる伯爵家で仮面舞踏会が催されるそうだ。断るつもりだったが――君に“不幸のドレス”を着てもらう場にはちょうどいいのじゃないかと思ってな」
 アイギールは手渡された招待状を一瞥いちべつし、差出人を見て眉をひそめる。
「――一つ条件があるわ」
「というと?」
「あなたが出席しないことよ。ジョシュアかガレス、このさいリオンでもいいわ、とにかく代理を立てなさい」
「―――」
 傭兵団長は鷹揚おうように微笑を浮かべているばかりで「うん」とは答えない。アイギールは招待状を返してもう一度言った。
「あなたが行くなんてみすみす暗殺されに行くようなものじゃない。私だって余計な護衛任務を増やされるのは御免なのよ」
「危険が多い方が君は燃えるんじゃ?」
「危険に飛び込むのはやぶさかじゃないけど、護衛対象足手まといがいるんじゃ困るわ」
「わかったわかった」
 本当にわかってるの――と念を押したくなるようなあっさりした返事を傭兵団長は寄越して、アイギールにさっそく準備に取りかかるように指示した。
「準備?」
 とアイギールが首をかしげると、
「君のためのドレスを仕立てるに決まってるじゃないか。隣の部屋に仕立屋を呼んである」
 さあさあ――と傭兵団長はアイギールを追い立てようとする。
「ええ? ちょっと、聞いてないわよ」
「もちろん費用は全額私持ちだから心配しなくていいぞ」
 傭兵団長が祝儀特急料金をはずんだおかげで、ドレスは大急ぎで仕上がってきた。この上ない上客とあって、仕立職人の婦人も最後まで人任せにせず自ら完成したドレスを傭兵団へ納めに出向き、アイギールの試着まで手伝った。
「こんなにドレスがお映えになる方、私初めて」
 と職人は、お世辞でなくアイギールの鍛え抜かれたプロポーションにうっとりしている。
「私の店の専属モデルになってもらいたいくらい」
「それは無理だけど、ドレスの出来は確かに素晴らしいわ。完璧に私の注文通りね。今度仕事着も一着仕立ててもらおうかしら」
「この程度の細工はお手の物。私の師匠の父は、王宮へ納めるためにもっと複雑な仕掛けの服をいくつも仕立てたわ」
団長あの人には秘密にしてくれたでしょうね?」
「殿下への請求書には“刺繍ししゅう代”と書いておいたから安心なさって」
 試着の仕上げに、職人は「ほんのオマケよ」と、ドレスと同じ黒の絹布でこしらえた仮面をアイギールにプレゼントした。黒揚羽をかたどり、金糸銀糸で縁取りと細やかな刺繍ししゅうを施した贅沢ぜいたくな品だった。
「あら素敵」
 アイギールもその揚羽ちょうの仮面を気に入った。
 仮面舞踏会の日――夕刻には、アイギールは髪を結い上げドレスの着付けを済ませ、一足先に馬車へ乗り込んで今夜の相棒のジョシュアの支度ができるのを待っていた。
「―――」
 ふいに車の扉が開き、白磁の怪人の仮面を着けた紳士が身を滑り込ませてきた。
「遣ってくれ」
 と馭者ぎょしゃに出発を命じた声はジョシュアのものではない。

4

 アイギールはうすうす予感はしていたからあまり驚きもしなかったが、愉快でもなかった。ずっとそっぽを向いて車窓の暮れゆく景色ばかり眺めていた。
 隣の座席の怪人は、馬車が傭兵団を発ってからというもの、しきりにアイギールのドレス姿を褒めたり、見惚みとれたりしていた。
「本当に綺麗だ――参ったな、日頃こういう局面で言おうと考えていたことが山ほどあったはずなんだが、いざとなると月並みな言葉しか出てこない」
「―――」
「アイギール、君は本当にあのとき﹅﹅﹅﹅から変わらないままで――」
「ああ、もう、何が起こっても知らないわよ、私は」
 綺麗だ綺麗だと連呼されるのもどうにもむずがゆく、アイギールは利くまいと思っていた口を利いてしまった。
 怪人の方へ向き直り、白磁の仮面を剥ぎ取ってやる――と、その下では傭兵団長が面映ゆそうにしている。
「君の足手まといにならないように努力はする」
「そうしてほしいわね」
「私の仮面を返しておくれ」
 と傭兵団長は頼んで怪人の仮面を取り返し、再び鼻から上を覆い直した。
「思い出の品なんだ」
「あらそう」
「――君は覚えていないか?」
「忘れたわ」
「私はずっと君にあのとき﹅﹅﹅﹅の借りを返したいと思っているんだが――」
「貸した覚えがないのに返されても困るわよ。なんだかどこかで聞いたことがあるようなセリフだけど」
「―――」
 それにしても、と傭兵団長は話題を変えた。
「あの仕立屋はまだ若いのにセンスも技術も確かに素晴らしい――が、その胸元のデザインはいささか感心できないものがあるな」
 アイギールはちょっと失望したような色を仮面の奥に浮かべ、黙って窓際へ体を寄せた。
 傭兵団長も反対側の窓に寄りかかって目をつぶった。そのまま微睡まどろんだのかも知れない。馬車が目的地に着くまで、二人はこれといって話をすることもなかった。
 馬車はとある豪邸へと入っていった。
「相変わらず不用心だこと」
 車寄せで停車すると、アイギールが言った。
「何が」
 と傭兵団長は目と口を開いた。馭者ぎょしゃが運転席を降りて扉を開けに来た気配がする。
「旦那様」
 と、開ける前に声をかけて知らせることを忘れないよく気のつく馭者ぎょしゃである。傭兵団長は苦笑いした。
「見られて困るようなことはしてない」
「左様でございますか」
 扉が開いた。
 傭兵団長はアイギールに手を貸してやりながら車から降り、
傭兵団こんなところで安月給の馭者ぎょしゃをやらせておくのは惜しいな。貴族か司教あたりの私邸に勤め口がないか探しておいてやろう」
 馭者ぎょしゃには過分な小遣いを渡して、三時間ほど街で暇を潰してくるように言いつけた。
 邸内には、すでにあらゆる場所に仮面をかぶったり仮装をした素性の知れぬ人々がたむろしていた。楽団のいる広間が最も混み合っていたが、それ以外の展示室や図書室、応接間なども開放されており自由に行き来ができる。
「誰が紛れ込んでもわかりっこないわね」
 とアイギールが顔をしかめる。
「あなたを殺しかねない敵は何人くらい来てるの」
「盗賊ギルドに調べさせた限りでは、正式に招待を受けているのはまあ四、五人だな。招待主を数に入れて六人ほど」
「まったく」
「そう怖い顔をするな。せっかくのドレスが台無しになる。刺客のことはいったん置いておいて、まずは今夜の最たる任務を果たそうじゃないか」
「?」
「皆に君を見せびらかしに行くのだよ」
「嫌よ!」
「今さら何を。そういう仕事だと説明したはずだ」
 傭兵団長はいつになく楽しそうで、アイギールを貴婦人のごとく堂々とエスコートして舞踏会の広間へ姿を現した。
 たとえ顔を隠す仮面なぞ着けていても王家の人間ともなれば、貴族にはひと目でそれとわかるものらしい。傭兵団長がアイギールを肘につかまらせて広間の中央へ進み出ると、招待客たちはハッとした様子で恭しくその両脇へ退いて道を開けた。
「――今まで深く考えたことがなかったけど、あなたってやっぱり王族なのね」
 とアイギールがささやくので、傭兵団長は怪人の仮面の下で目元を上弦の形にゆがめた。笑っているらしい。
「物珍しいのさ。めったに見られない珍獣と同じだよ。君こそ衆人環視の中でよく平然と立っていられるな。才能があるぞ」
「珍獣の?」
「王家の一員のだよ」
 エステロミア王の異母弟おとうと――目下の王位後継者の――が社交場に現れただけでも珍事なのに、王弟殿下が連れているあの黒揚羽の仮面の婦人は何者か――? と、大袈裟おおげさでなく広間中の人々がアイギールを注視していた。普通の神経の持ち主なら耐えきれず逃げ出すか、よくて胸がむかむかでもしているところである。
 とりわけ貴婦人たちはアイギールのドレスにも注目していた。あちらこちらの扇の陰で「あれは――」とひそひそ話が交わされる。
 アイギールのすらりとした肉体を包むドレスは黒一色の絹地で、それだけでも王侯に連なる者にしか身に着けられない代物だった。漆黒の染色は最高級の技法である。
 上半身は無駄な装飾を削ぎ落とし袖がなく(制作時間短縮のためでもあろう)体の動きを妨げず、スカートの部分は緩やかなドレープが揚羽ちょうの羽のように幾重にも重なって複雑な形を成している。
 解放的なV字に開いた襟ぐりと、その胸元にあしらわれた黒揚羽の刺繍ししゅうくだんの“不幸のドレス”の仕立屋のトレードマーク。共布ともぎれの仮面や長い手袋、黒真珠の首飾りまで調和した、彼女の面目躍如たるこしらえだった。

5

 仮面舞踏会の名目上の主催者である伯爵は長病を患っていて、ここ数年はほとんどとこを離れられないでいた。
 それに代わり現在伯爵家の実権を握っているのが彼の妻、伯爵夫人である。今宵も一人で饗宴きょうえんの主人役を務めていた。伯爵夫人は男装の仮装で悠然と主人の席に収まっており、傭兵団長がアイギールを連れて挨拶にやって来ても他の貴族とは違い顔色一つ変えなかった。
「まさか、かようなあばら家﹅﹅﹅﹅へお出ましになられるとは思いませんでした。光栄の至りですわ、殿下――いえ傭兵団長殿でしたかしら」
 自分で招待しておきながらかなりの嫌味がこもっている。
 伯爵夫人は傭兵団長の後ろに控えているアイギールと、彼女のドレスとをじろりとねめた。
「女王か王妃が身に着けるようなドレスだわ。わざわざ用心棒を付けてまでご出席いただけるとはますます光栄ですわ」
「私はほうぼうで人から恨みを買っているのでね。家系図を辿たどっていくと帝国に始祖を持つようなご婦人からは特に」
 伯爵夫人は急に鼻白んでしまって、その後は話も弾まなかった。
 傭兵団長とアイギールは人混みの中へ戻った。
「君は物知り﹅﹅﹅だから、伯爵夫人が私を殺したがっている理由も知っていただろう」
 と傭兵団長はアイギールへ言った。アイギールは黙っている。
「彼女にはそれを実行する胆力もある。伯爵は病床に伏したまま二度と起きてはこないだろうな。まあ、今のは忘れても構わないような話さ――」
「ところで」
 とアイギールは話の矛先をそらした。
「今まで聞かなかったけど、このドレスいったいいくらしたの?」
「本当に聞きたいか?」
「――やっぱりいい」
「大丈夫だ、君の頭に浮かんでいる額よりは安い」
「殿下、ご機嫌麗しゅう殿下」
 と、傭兵団長に声をかけてくる者が後を絶たない。王族でしかも王国最精鋭の傭兵団団長の座をほしいままにする男に対しては皆、自分を売り込みたいせめて顔を覚えられたい――と考えるものらしい。
(やれやれ)
 と傭兵団長は内心め息をこぼしつつも、友誼ゆうぎを示そうとする者は拒まなかった。野心をはらんだそれは純粋な好意ではないにしても、悪意を向けられるよりはよほどいい。
 中にはアイギールを指して「こちらは?」と尋ねる者もちらほらいる。そのたびに傭兵団長はあいまいに微笑ほほえんで、
「秘密なんだ。とりあえず“黒揚羽夫人”とでも呼んでやってくれ」
 と答えた。尋ねた相手は、めいめいに、
(名を明かせない貴婦人だろう)
(ブルーレイクあたりの高級娼婦かな)
(護衛の女戦士)
 と勝手に納得したようだった。
 ようやく人の列が途切れたところで、“黒揚羽夫人”が不満げに口をとがらせる。他人がいる間は耐えていたが、その渾名あだなについては一言物申したいところがあるらしい。
あの日﹅﹅﹅の仮面舞踏会もこんなふうに盛況だったな、“黒揚羽夫人”」
 先んじて傭兵団長がそっとささやく。
「いや正直なところ当時の君は“黒揚羽夫人”より“黒揚羽令嬢”あたりを名乗るのが妥当だったと思うが。まあ気持ちはわかるというか、私もその頃はといえば人から若造扱いされるのが嫌で」
「思い出させないで!」
「思い出してくれたか」
 黒揚羽夫人――ことアイギールは常になく赤面などして、動揺を隠せない様子である。年若い頃の奇行や黒歴史を思い起こすと人はそういう表情になる。
「というか、よく覚えてるわねそんなことまで」
「忘れた日は一日もなかった。――少なくとも、あの遺跡で君が部下として目の前に現れて、いつでも身近に感ぜられるようになるまでは。君がダンスは得意じゃなかったことも覚えてる」
「もう、余計なことばっかり――」
 アイギールは意地の悪い思い出話をめない男の顔をにらみつけようとしたが、不意にその目元に緊張が走った。
 広間には貴族たちの他に、彼らをもてなす従僕たちがそこかしこにいて、雑用を言いつかったり酒類を配ったりしていた。
 ワインの杯をいくつも載せたトレーを右手に持って歩いていた若い従僕が、何もないのに蹴躓けつまずいて前につんのめった。あっ――と反射的に空いた左手を伸ばした先に傭兵団長がいた。
「あっ」
 とその手が届く前に、一拍子早く動いていたアイギールが二人の間に割って入る。
 従僕の体を押し戻し、ついでに彼が取り落としかけていたワインのトレーを自分の手の上へ滑らせるように引き受ける。全てが一瞬のうちの動作で、転ばずに済んだ従僕は自分の身に何が起こったのかわからずキョトンとしていた。

6

「も、申し訳ございません――」
 若い従僕は、ぶつかりかけた相手が誰かわかって顔面蒼白になった。その様子に芝居じみたところはなかったし、
「―――」
 アイギールが見たところ、暗器の類を隠し持っているようでもない。ただの小心な従僕であった。
 傭兵団長は鷹揚おうように笑って従僕を許した。
「ぶつからなかったのだから謝ることもない。彼女に礼を言うがいい」
「あ、あの、ありがとうございます――ええと、奥様」
 奥様﹅﹅などと呼ばれる筋合いはないが、気恥ずかしい渾名あだなを広められても困るからアイギールは黙っていた。
 アイギールがトレーを従僕に返すと、傭兵団長がそれに手を伸ばしてきた。幸いワインの杯はどれも無事である。
「頂こう。ちょうど喉が渇いたところだ」
 本来の務めも果たした従僕は胸をで下ろして去っていった。
「さすがだったな、“黒揚羽夫人”」
「やめてったら」
「そろそろ“不幸のドレス”が本領を発揮し始めたか? 君がさっきの従僕を支えてやらなかったら、私たち二人とも頭からワインを浴びる羽目になったかもな」
 アイギールはあの従僕が刺客かどうかということしか頭になかったが、傭兵団長の視点は違うらしい。
「ばかばかしい」
 と苦りながら、傭兵団長の手からワインの杯を奪った。
「はて」
 という顔を傭兵団長がすると、アイギールは、
「毒見」
 と一音ずつ言い聞かせるように言い、杯に唇を押し当てる。さりげない所作ながら、杯に毒が塗られていないこと、一口含んで中身に毒が混ぜられていないことをきちんと確かめてから、杯を傭兵団長に返した。傭兵団長は困り顔になっていた。
「そこまでしなくてもよいのに」
「これまで自分がどんな目に遭ってきたかもう忘れたようね?」
「さすがにこれだけの数の招待客の誰がどれを取るかわからないものに毒は盛れまいよ」
 傭兵団長はせっかく返してもらった杯を持て余して、薔薇バラ色の水面を揺らめかせてばかりいる。
「飲んでもいいのか?」
「私の毒見が信用できるなら」
「そういうことじゃないんだが――まあ君が気にしないのならいいか」
 いささかぎこちなく杯を口に運び一息に飲み干す。味がわからなかった――というようなことをごにょごにょ呟いて、空になった杯を手近な従僕へ渡した。
 周囲の視線を感じる。肌がひりつくほどに。貴族たちはあからさまに目を向けこそしないが、誰もが王弟殿下と“黒揚羽夫人”の関係を見極めんと血眼である。
(好きなだけ見るがいいさ)
 傭兵団長はごく自然にアイギールの手を取った。ワインのせいで気が大きくなっていたのかもしれない。
「踊ろうか」
 と、こちらもなるべく自然な調子を心がけたつもりだが、多少緊張が混じってしまったように思える。
 アイギールにもそれが伝わったのか、彼女にしては珍しく気後れするような反応を示した。
また﹅﹅あなたの足を踏むかもしれないわよ」
「踏んだら踏んだでそれもダンスの醍醐味だいごみのうちさ――あのとき﹅﹅﹅﹅はきっと私のリードがまずかったんだ」
 二人は手をつないだまま広間の中央へ進み出た。
 アイギールは傭兵団長の肩に手を置き、傭兵団長はアイギールの背に腕を回し触れるか触れないかの手で彼女を支える。その一挙手一投足への周囲の注目の度合いはこれまでの比ではない。
「―――」
 傭兵団長はアイギールの黒揚羽の仮面を見下ろした。仮面の奥の碧眼へきがんが底光りしているようだった。
「緊張してるのか?」
「さすがにね」
「私もだ――周りのことは忘れて私だけを見ていればいい。私も君だけを見ているから」
 傭兵団長のリードでステップを踏み始め、アイギールはぎこちないながらもそれについてきた。
 楽団の演奏する三拍子の円舞曲に合わせて、一小節、二小節、三、四――八小節目の最後に促されてアイギールはその場でくるりと一回りした。ちょうの羽のようなドレスのドレープがひらりと上品に宙を舞う。
「その調子だ」
 傭兵団長は初めて舞踏会で意中の娘と踊る少年のように喜んで、さっきより自信を持って改めてステップを踏み出した。
「あの仕立屋、本当に腕がいいわ」
 アイギールも、ドレスをひらめかせて踊るのは悪い気分ではなかった。いつしか傭兵団長の手にしっかりと背中を抱かれ、一体となって、二人を分かつ境目などなくなってしまったように。
 他の招待客たちも一組、また一組と踊り出す。その間を縫って黒揚羽が舞う。
 彼らがなぜか急によろけてぶつかりそうになったり、床に誰かの手巾が落ちていたりしても、傭兵団長のリードは的確できちんとそれらを回避した。
 そういった小さな不運の種は“不幸のドレス”の仕業か知れないが、気ままに飛び回るちょうには関係のないことだった。

7

「ねえ今度はむこうへ連れて行って」
 と黒揚羽がささやく。
「ダンスも悪くないわね、堂々とそこら中の人間の様子をうかがえるもの」
「――私だけ見ていてくれと言ったじゃないか」
 だがそれでこそ君だよ――と傭兵団長は観念して、円を描いて踊りながらさりげなく広間の端から端まで移動した。
 その途中には、貴婦人と踊っている男装の伯爵夫人もいたし、吟遊詩人や道化、義足の男、偽の従僕に、扇で顔を隠している娼婦、高地人の装束の大男などもいた。アイギールは大勢の中からこれと目星を付けた者を注視した。
(仮面をかぶった得体の知れない連中だらけ)
 私だって人のことは言えないか――と内心苦笑する。
「怪しい輩は見つかったかね」
驢馬ロバ頭の道化と赤いドレスの娼婦。あとは取るに足らないわ――でも、あの獅子の仮面を着けてる高地人もしかしたら――」
「知り合いか?」
「はっきりとは言えないけど――」
「ふむ」
 話していることがいくら物騒でも、何も知らぬ人々の目には、頬と頬がくっつくほどぴったりと寄り添っている二人はずいぶん親密な仲に映ったことだろう。
 楽団の演奏がクライマックスを迎える。
 傭兵団長は両手でアイギールの両脇を抱え上げると軽々と――少なくとも軽々に見えるように――その場で一回転し、そっと下ろした彼女を反らせてポーズを取った。
「――君がちょうのように軽いことを否定するわけじゃないが――えらく腰にくるな」
「書類仕事ばかりでなまってるのよ」
 付近で拍手と嘆声が起こった。
 ざわついている貴族たちの中からくだんの高地人が歩み出てきて、傭兵団長とアイギールに声をかけた。
「よお、お二人さん、見せつけてくれるじゃねえか」
「その声は」
 と傭兵団長は驚き、アイギールは(やっぱり)と眉をひそめる。
 高地人の男は獅子ししの仮面を少し持ち上げ、二人に顔を見せた。その仮面のとおりの獅子リオンであった。
「今夜はジョシュアがアイギールのお供をするって聞いてたはずだがな。今頃あいつマールハルトに叱られてるぜ、かわいそうに」
「お前こそどうしてここにいる」
 と傭兵団長は不信感をあらわにしたが、リオンは「へっ」と肩をすくめ、
「この間、あんたに頼まれて潜り込んだ賭場で知り合った女にせがまれて仕方なくさ」
 とうそぶく。
「ほーぉ、帰ったらハヅキにそう伝えておいてやる」
「おいよせよ。――アイギール、ちょっと借りるぜ」
 とリオンはアイギールに断ってから、傭兵団長の腕を取った。アイギールも仲間を疑う気はない。うなずいた。
 といっても彼らが陣取った場所は数間ばかり先のすぐそこである。
「リオン、お前また極秘任務とかいうのじゃないのか。私という指揮官ものがありながら」
 と傭兵団長が言うと、
「妙な言い方するなよ。あんたが承知してるか知らねえが、ここの館の女主人は帝国と通じてるぜ」
 とリオンは声をひそめた。
「承知の上だ」
「じゃあなおさら悪いな。帝国も敗戦からこっちすっかりガタがきちまってるのさ。皇帝の求心力がなくなった今や内情は派閥争いと粛清合戦でボロボロだよ。ここの主人はそんな中でも中立の立場だ」
「今夜の招待客にも帝国に関係する者が四、五人いるそうだな、盗賊ギルドから聞いたが」
「やつらにとっては“聖域”だったんだよここは」
「この家では争わないということか?」
「これまではな。が、あんたが来たから話がややこしくなった。――あんたマジでアイギールとデキてたのか?」
「なに?」
「まさかあんなダンスを広間を横断して披露しておいて遊びとは言わねえだろうよ。貴族たちは王弟妃が――ようするに、近いうちに王位継承権を持つ子供を産む女が、決まったと思っただろうな。今後の自分たちの身の振り方を決めなけりゃならない。大騒ぎさ」
「何が言いたいんだ」
「帝国のやつらは、あんたがアイギールの新しい“飼い主”になったと承知しちまった」
 アイギールが一人になるとすぐ、接近してきた人物があった。男装の伯爵夫人であった。
「見事なダンスだったわ。そのドレス、いいわね」
「――ありがとう」
 アイギールは当たり障りのない返答をした。伯爵夫人は自分の言いたいことだけを伝えた。
「今となっては帝国我々も一枚岩ではない。あなたも気がついているだろうけど、驢馬ロバと娼婦には気をつけて」
「あなたは?」
「私は家が汚れるようなことは御免よ。この家は中立地帯のつもりだったけどそれも今夜限りね。あなたから殿下に言っておいて、招待状をもらったからって必ずしも来なくてもいいの。社交辞令なんだから」
「私だってそう言ったわよ」
 伯爵夫人が離れていくと、今度は驢馬ロバ頭のかぶり物をした道化が近づいてきた。これだけ目立つ姿をしていながら、近寄るまで気配を感じさせない不気味な道化である。
 道化はアイギールの正面に立つと恭しく一礼し、毛皮の手袋をした右手を手のひらを上にして差し出した。その手の指をパチンと鳴らす真似まねをすると、どこからか一輪の白い花が現れ指先に摘まれている。
 アイギールが手品の花を受け取ることはなかった。
「――私の主が、素晴らしいダンスだったと伝えてほしいと申しておりました」
 驢馬ロバ頭の剥き出しの歯の隙間から漏れ出てくるのは女の声だった。
「あなたのお手並みを拝見するのが楽しみだとも。私の主人をどうか失望させないでくださいませ、副隊長殿」
「で、あなたは?」
「私は小用がありますので。くれぐれもお忘れなく、我々はあなたの味方です」
 道化は背後に赤いドレスの娼婦が迫ってきていることを察し、彼女と顔を合わせる前に再び礼をしてその場を辞す。
 ひときわ人目を真紅しんくのドレスを身にまとい、扇を額の上にかざしている娼婦はアイギールと対峙たいじするなり、
「“不幸のドレス”か――は、そのとおり。死神女め、てめーも今夜でいよいよ運の尽きだよ――」
 と、毒づいた。

8

 娼婦は扇を下ろして素顔をあらわにした。
 豪奢ごうしゃなドレスを身に着けていても立ち居振る舞いや顔つきにどこか退廃的な雰囲気が漂う。肺病でも病んでいるように肌が青白く、華奢きゃしゃで頼りない――そういう婦人だった。
 だがさも娼婦らしい外見に反して口を開けば物言いは苛烈かれつである。
「いいご身分になったもんだな、この裏切り者!」
 裏切り者――と言いざま右手を振りかぶってアイギールの頬を張り飛ばした。アイギールはそれを避けようとせず、甘んじて受けた。
「――気が済んだ?」
「済むわけないだろ。我が主も私も他のやつらのように日和見の腑抜けじゃねーんだよ!」
 激しい平手打ちの音は周囲の注目を一斉に集め、どよめきがさざ波のように人々の間を伝播する。
「なんだ女二人で高貴なお方の取り合いか」
 というような興味本位の流言もあっという間に広まった。
 話し込んでいた傭兵団長とリオンも異変を察知し、アイギールを待たせておいた方へ取って返した。
「どうした、いったい何が――」
「来ないで!!」
 娼婦が扇の裏に隠し持っていた短銃を傭兵団長の頭へ向けた。一呼吸の動作のうちに扇を捨て重心を落とし両手で銃を構える。
「――!」
 傭兵団長が撃たれると悟ったときにはもう避けようがなかった。
 娼婦は――暗殺者は躊躇ちゅうちょなく引き金に掛けた指を引いた。燧石すいせき式の銃は引き金を引くと石挟が当て金に激突して火花を発する。火薬に引火爆発するまで「あっ」と思う暇もない。
 耳を裂くような銃声がとどろく紙一重のところで、アイギールが傭兵団長の眼前に飛び込んできて、彼の代わりに顔面で弾丸を受けた。
 鉛玉が金属面で跳ね返る甲高い音がした。
 倒れ込んできたその体を抱き留めて傭兵団長は生きた心地がしなかったが、驚いたことには彼女は無傷だった。
 頭部への衝撃で失神こそしていたが――銃弾は、どうやら、彼女の着けていた黒揚羽の仮面を弾き飛ばしたに過ぎない。
 暗殺者はまだ硝煙を立ち昇らせている短銃を投げ捨て逃走した。逃げながら神を呪う悪口雑言の限りを尽くし、銃声でパニックに陥っている貴族たちの集団に紛れ込んだ。
「俺が追う」
 とリオンがそれを追って人混みをき分けて行く。
「あんたはそっちについててやれ。にしてもなんて悪運の強さだよ――」
 リオンの姿も人の波にまれて見えなくなった。
 傭兵団長は気を失っているアイギールを横抱きにして壁際へ退避し、空いている寝椅子の上に彼女を下ろした。
 撃たれた頭の様子を確かめなければならなかった。額にかかる髪をそっと指で払いのけると、懐かしい彼女の素顔がそこにある。
(初めて会った夜のまま――と言いたいところだが、お互い年を重ねたな)
「あんたが新しい“飼い主”になった」
 というリオンの言葉が脳裏にこびりついて消えないでいる。
あの夜﹅﹅﹅、君が一緒にいた男がそう﹅﹅だったのか。彼が君を傭兵団に――)
 傭兵団長が自分の着けている怪人の仮面を外してアイギールの顔にあてがってやったとき、その奥で碧眼へきがんが開いた。
「よかった気がついたか」
「―――」
「気分はどうだ? 起きられるか?」
 とアイギールを助け起こすと、彼女の頭の後ろへ両手を回し、仮面の左右の紐をしっかりと結び合わせて固定する。
「――馬鹿なんじゃないの」
 押し黙っていたアイギールがようやく口を開いた。
「君の仮面はひしゃげて使い物にならないだろう。幸運の女神の前では“不幸のドレス”なんて子供の玩具おもちゃみたいなものだったな」
「馬鹿だって言ってるの」
「どういたしまして」
 傭兵団長はアイギールの体の具合を尋ね、自分は暗殺者が逃げたこととそれをリオンが追っていることを伝えた。
「あの仮面は仕立屋の仕込みか? 鉄の板がくるまれていたなんて気がつかなかった――しかし見たところ無傷とはいえ、頭を撃たれたんだ。早く医者か僧侶に診せた方がいい」
「その前にアイツを捕まえないと」
 とアイギールは言い、ドレスの裾を少したくし上げた。
 左のすねに鞘付きのコダチがくくり付けてあった。スカートの中からは他にも、刀用のつばやら柄やらクナイやら、魔法能力を高める篭手こてやらと隠し持っていた物が次々出てくる。
「そのドレスのどこにそんなに物をしまう場所があるんだ。どうりで重いはずだ」
 呆気あっけに取られている傭兵団長を尻目に、アイギールはコダチにつばと柄を通した。刀を立て柄頭を手でたたくと、ジャキッと小気味のいい音を立ててはまった。
 目釘を打つ。
「言ったでしょ、あの仕立屋腕がいいわよ」
 アイギールが支度を済ませたところへリオンが戻ってきた。
「すまん見失った。あんな派手なドレスを着てやがったのに」
「ドレスを脱いで着替えてしまえば簡単に潜伏できるわ」
「なるほど――それからな、同じ女の仕業かは不明だが、展示室の方で年寄りの貴族の女が一人殺られてた。そっちも大騒ぎだ」
「――その死体には驢馬﹅﹅の毛が付いていたんじゃない?」
「よくわかったな。驢馬ロバか、馬の毛みたいなものにまみれてた」
 アイギールは、リオンに傭兵団長を外へ連れ出してくれるように頼んだ。リオンは二つ返事で引き受け、傭兵団長もしぶしぶながらも、結局承知した。
「仕方ない。君の足手まといにならないように努力すると言ったからにはな」
 これを――と言いながら夜会服の上着を脱いでアイギールに羽織らせる。
「綿入りだ、銃弾は無理だが刃物は通さない。私は逃げるのだからもう必要ない」
「ありがたく借りておくわ――」
 傭兵団長が上着の前のボタンをきちんと留めてくれようとするのを、追い立ててリオンの方へ押しつける。
「もうこんなときにそんなところ気にしなくていいの」
「仕立屋は天才に違いないが、やはりそこのデザインには苦情を述べたい」
「まったく」
 ぶつくさ言いながらも自分で上着のボタンを全部はめた。
 仮面舞踏会の招待客たちは皆避難し、広間にはアイギール一人が残った。

9

 女暗殺者は正面の入口からとぼとぼと歩いて広間に入ってきた。
「―――」
 待っていたアイギールと言葉を交わすこともなく、顔を見合わせた瞬間に戦闘態勢に入った。
 ドレスの下に着込んでいたのであろう細身の革製の鎧には、腰の左右にホルスターと短剣がぶら下がっている。短銃は残り四丁あった。
 一発目の弾丸をアイギールは横っ飛びに回避し、二発目は間一髪のところで楽団席のオルガンを盾にした。
 三発目が放たれる寸前に、雷の魔法が暗殺者の手元を襲った。紫電の火花が銃の火薬に引火して暴発する。
「――くそ! くそ!!」
 暗殺者は最後の銃は抜かず、代わりに短剣を握った。アイギールが一瞬で肉薄してコダチを喉元に突きつけてくるのと同時に、暗殺者は短剣で彼女の胸を突いたが、夜会服の上着に阻まれて深く刺さることはなかった。
「今ので殺しゃよかったのに、甘ちゃんになりやがって――」
 暗殺者は後ろへ飛びすさった。最後の銃を両手で構える。
「いくら死神に好かれててもこの距離じゃ避けられねーな。弾をはじく仮面ももうない」
「あなたが引き金を引く前に片付けるわよ」
「やってみな」
 と挑発した直後、暗殺者は銃口を自分のこめかみに向けて押し当てた。
 アイギールにはその予感があった。すでにコダチの間合いに飛び込んでいる。
 鋭く斬り上げ、暗殺者が銃を握る手の小指を斬り飛ばした――が、彼女はその痛みにもひるまず引き金を引いた。
 不運なことに――否、幸運なことに不発であった。

10

 またぞろ出かけたまま二、三日の間傭兵団に帰らなかったリオンが、午後になってふらりと帰営した。
「あっリオン! やっと帰ってきた。今度はどこに行って――」
 玄関先で鉢合わせたハヅキに王都土産の菓子を押しつけ、傭兵団長の執務室へ足を向ける。
 先日無断で仮面舞踏会に行った件でマールハルトにこってり絞られた傭兵団長は、ここのところは大人しく職務に励んでいるようだった。
「やあリオン。おおかたサンドストームの色街や賭場に寄り道してたんだろう。それで後ろめたいからハヅキに土産でも買って――」
「人の心を読むなよ。頼まれたとおりあの女暗殺者を城の牢へ移送してきた。あの女、一言も口を利こうとしなかったぜ」
「陛下の目の届くところにいればとりあえずは安全だ。仮面舞踏会の日に展示室で死んでいた老婦人が彼女の“飼い主”だそうな」
「――盗賊ギルドの情報か? 他には?」
「あのとき招待されていた帝国の者は、一人を除いて、その日のうちに全員殺されるか不審死した。死体にはどれも驢馬ロバの毛が付いていた。伯爵夫人はあれ以来姿をくらましているらしい」
「まあ、帝国の人間同士で潰し合ってくれりゃこっちとしてはありがたいが――つまり、あの日のことを知ってる帝国の人間を皆殺しにしようとしてやがるのか。ひでえな」
「よほど彼らには都合の悪いことだったんだろう。私が引き金を引いてしまったようなものだ――」
 傭兵団長は執務机の一番上の抽斗ひきだしを開け、小さな手巾の包みを取り出した。リオンの方へ投げて寄越す。リオンが手巾を広げて、
「うげ」
 と顔をしかめた。中に包まれていたのは、かぶり物の驢馬ロバから切り落としたと思しき左耳だった。
「なんだ脅しのつもりか? 次はあんたの番だってか?」
傭兵団ここにいる限り私に手は出せまいよ。こちらの動向はわかっているぞ大人しくしていろ、という警告だろう」
「それであんたは大人しく仕事をしてると」
驢馬ロバより恐ろしいマールハルトがいるからだ、それは」


 静養中のアイギールの元に、二日と空けず仕立屋が見舞いに来て、
「私の店の専属モデルに」
 と口説き落とそうとあの手この手を尽くしていた。むろん、アイギールが承諾するはずはなかったが、案外迷惑もしていない。無聊ぶりょうを慰める話し相手としては悪くなかった。
 銃で撃たれた頭は頭蓋骨にひびが入ったようでまだ痛むし、ムチウチも残っていて、シャロットから絶対安静にするように言いつけられている。専門家の言には従うべし、とは暗殺者の教訓の一つである。
 アイギールが寝ている寝台の横に仕立屋が腰掛けを置いて座り、帳面に何やら熱心にスケッチをしている。
「“黒揚羽夫人”の次のドレスは、こういうのはどうかしら?」
 と描き上がるごとにアイギールに見せ、意見を求めるのであった。
「この間は上半身を守るのに殿下のお召し物を借りたそうだから、一体型の上着を付けてみたわ。中には鎖を編み込むの。ミスリルなら絹布と変わらない軽さよ。素材も加工代も目の玉が飛び出るほど高いけど、お支払いは殿下持ちですものね」
「“黒揚羽夫人”はめてってば――もう少し胸元を隠せない?」
「胸の部分は金属線入りのレースで覆うから大丈夫よ」
「そういう意味じゃなくて――私はいいけど、感心しない﹅﹅﹅﹅﹅ひとがいるのよ」
「まあ? 殿下も意外とお古くていらっしゃるのねぇ」
 仕立屋はスケッチを直しながら、近頃店に客が戻り始めた――どころか以前よりも盛況なのだとアイギールに話して聞かせた。
「みんな“黒揚羽夫人”と同じドレスが欲しいのよ。デザインが気に入ってくれた人もいるし、ダンス用にという人も。それになんと言ったって銃弾さえ避けたんだもの、幸運のお守りですって。もう“不幸のドレス”だなんて言わせないわ」
「これから仮面舞踏会には“黒揚羽夫人”が何人も現れることになりそうね」
 自称“黒揚羽夫人”が大勢いれば、誰もそう簡単に本当の正体には辿たどり着けまい。
(その名前が広まるのだけが嫌だわ。あのひとのせいよ、恥ずかしいったら――)
 仕立屋は大枠が決まったスケッチに、トレードマークのちょうの意匠を描き加えているところだった。
「――ねえ、どうしてちょうなの」
 とアイギールは尋ねてみた。
 仕立屋は、ちょっと照れながら答えて言う。
ちょうが好きなの」
「それだけ?」
「なんて言うか――私、着た人がいつでも好きなときに、なりたい自分に生まれ変われるような服を作りたいのよ。蝶々ちょうちょうって芋虫からさなぎになった後、全然違う姿に変わって生まれ直すじゃない?」
「なるほどね――私も好きよ」
「ほんとに? 私たち気が合うわね」
 と仕立屋は顔をパッと輝かせ、ここぞとばかりに私の店のモデルにピッタリだと勧誘攻勢に出たが、アイギールは笑っただけで相手にしなかった。
 スケッチが完成したら教えて――と言い、目をつぶった。アイギールはしばしまどろみ、夢現ゆめうつつの中で、自分があの夜傭兵団長とともに自由に舞う一匹の黒揚羽であったことを思い出していた。

(了)