アンブロージア

 くしゅん!
 と、ジョシュアの頭上から大きなくしゃみが一つ、続けてもう一つ降ってきた。
「ほらティティス、またくしゃみが出た。やっぱり風邪なんじゃないか?」
 枝の上にいるティティスは小さく鼻をすすりながら、
「ちょっと寒いだけよ」
 などと強がっている。
「エルフがこれくらいの寒さで風邪なんて引くわけないじゃない」
「でもエルフの体力じゃ、もし倒れたりしたら体がもたないだろう?」
 と言う間にも、ティティスは丈夫な枝を選んで身軽に乗り移り、手近なところに実を付けている果実をもいで足下へ落としていく。ジョシュアがそれを受け止め、傷付けないように注意してかごに収めた。
 帰らずの森で見つかる幻の果実は、深い傷や難病を癒すアンブロージアの材料として珍重されている。魔族や盗賊との戦闘で生傷が絶えないエステロミア傭兵団は、ときおりその果実を求めて森へ入ることがある。ジョシュアとティティスも、休みの日に遠足がてら幻の果実狩りにやって来たのだった。
 うっそうと茂る森は高いところまで樹木の枝葉が重なり合っており、日の光が届かず薄暗く肌寒い。
「ティティス、暗くなる前に帰ろう。日が落ちたら余計寒くもなるだろうし」
「うん――そうね」
 ほどよく熟している実はあらかた取り尽くしたようだ。
 それにしてもこれだけ手軽に入手できると、どの辺りが「幻」なのか疑問ではある。
「昔は手に入りにくかったのかしら」
「どうだろうね。今でもあらかじめ場所を知ってなければ見つけにくいのには違いないけど」
「それでも幻ってほどじゃないわよねぇ」
 まあその疑問はさておいて、もいだ果実の数を数えてみると大きいのから小さいのまで全部で十二個あった。
「これだけあれば十分だよ」
 とジョシュアが言った。
「帰って瓶に詰めておこう」
「みんな喜んでくれるといいね」
 ティティスは、ぴょんと枝から飛び降りて、着地したのと同時に三度みたびくしゃみをした。
「ほらまた」
――うん」
 さすがのティティスもばつが悪そうな顔になった。
「早く帰って、暖かくして休むのがいいよ」
「そうね」
 とうなずきつつ、ティティスはどこか不安げに上空を見上げた。
「ちょっといやな風――嵐が来そう」
 そう言われてジョシュアも空を見た。ジョシュアにはこずえを透かして薄曇りの天が見えるばかりだ。しかし森のエルフであるティティスには、人間の自分にはわからないことも感じ取れるのだろう。
 二人は荷をまとめて帰路に着いた。
 帰らずの森は、聖霊の森に比べれば随分人の手の入った森らしい。今でこそ魔物の危険があるから、よほど腕に覚えがなければ足を踏み入れられない場所であるが、もともとは狩人たちの狩り場であったようだ。彼らの忘れていった物とおぼしき罠や荷の残骸があちこちで見つかる。それら陰に魔物が潜んでいたりするから油断できない。
 森の中に造られた道も、今では荒れ放題である。雑草やこけに覆われて獣道と大差ない。
「手入れをする人がいないと、すぐに自然に還ってしまうものなんだね。きこりも森に入れないんじゃ、この辺りの木の根元は朽ちてしまいそうだ」
 ジョシュアは足下の悪さに難儀しているが、先を行くティティスは森育ちらしく平気そうだった。
「ジョシュア、そこ地面がくぼんでるから気を付けて」
「う、うん」
 ティティスの先導がなければ、自分一人では森を抜けるのにだいぶ苦労するだろうなとジョシュアは思った。
 そのとき――
 遠くで雷鳴がとどろいた。低くうなった灰色の空が二人の不安をあおった。天を吹く風は濁流のように強く、すぐにも雨雲を連れて来てもおかしくない。
「急ごう」
「ええ、ともかく森を抜けないと」
 ジョシュアもティティスも足を早めたが、結局森を出る前に雲足に追いつかれてしまった。
 ぱらぱらと頭上で雨粒が枝葉をたたく音が聞こえ始めたかと思うや、またたく間に大降りになった。二人は雨具を用意してこなかったことを悔やんだ。
「どうしようジョシュア」
「このまま森の出口を目指して大丈夫だと思うかい?」
「やめておいた方がいいと思う。視界も悪いし、雨で足下も危ないわ」
 空が白く雷光らいこうを発した直後、耳を裂くような轟音が落ち、山々の腹でこだまする。
「きゃっ!」
 ティティスは思わず首をすくめた。
 ジョシュアが言った。
「雷も近いようだよ。確か近くに狩人の小屋があったはず――とりあえずそこへ避難しようか」


 森の東の方に、今はもう使われていない古い山小屋がぽつんと建っている。
 もともとは、狩人たちが長い狩りの季節を過ごすために建てられた物と思われる。森に入る人がいなくなった後は放り出されて荒れるがままになっていた。傭兵団の探索でも中までは入ったことがない。
 それでも雨風くらいはしのげるだろう。
 戸口に掛かっていた錠前はさびついて腐食しており、ジョシュアが剣で力を込めてこじ開けるとあっさりと壊れた。
「お邪魔しまーす――
 とティティスが声を掛けたが中に誰がいるはずもない。ほとんど暗闇の屋内は腐った木の臭いがしていた。
「外よりましよね」
 二人は小屋の中へ入った。戸口を閉め、風で開かないように外から拾ってきた枝でつっかい棒をした。
 腐った屋根は雨漏りを起こしているらしく、暗がりのあちこちで水滴の落ちる音が聞こえる。それらを避け、できるだけ床の平らなところを選んで荷を下ろした。床はむき出しの地面だった。
 少し目が慣れるのを待ってから、小屋の中を探ると、隅の方に狩人が残していった木箱などが積まれている。幸いしけていない。いささか荒っぽいが、ジョシュアはそれを壊して薪の代わりにした。
「ティティス、火をたいても構わない?」
「うん――大丈夫」
 明かりと暖を取るために小さな火をおこす。
 ティティスは、めろめろと薪をなめ始めた炎から離れて座った。
「雨、早く通り過ぎるといいね」
「濡れただろう。寒くない?」
「寒いけど、どうにもならないわ」
 ろくに体を拭ける布も持っていないのだから。ティティスは上着を脱いで水を絞り、それで手足や髪を拭った。
(うっ)
 ジョシュアは慌てて目をそらした。ティティスのむき出しの腕が薄暗がりに白く浮かび上がっていた。
「? ジョシュアどうしたの?」
「べ、別に」
「ジョシュアも体を乾かさなきゃ凍えちゃうわ」
 と言ったそばから盛大なくしゃみを二つもする。
「ティティスこそ」
「うん」
「こっちへおいでよ。火が苦手なのは知ってるけど。熱で乾かした方が早いと思うから」
「でも」
「怖くないよ、大丈夫」
「こ、怖がってるわけじゃないわよ!」
 ティティスは、しばらくぐずぐずして、やがて恐る恐るという風にジョシュアのそばへ近寄ってきた。
 が、やはり、パチパチと火花が散る音や、ジリジリと木の焦げる音には腰が引けている。
「大丈夫」
 ジョシュアは繰り返し言った。
「こ、怖くないわよ」
 とティティスも強がった。地に着くほどの金髪が濡れてじっとり重くなったのを抱えて、落ち着かなそうになでている。
「髪も熱に当てて乾かした方がいいよ」
 とジョシュアは勧めた。毛先を結んでいるリボンをほどくのを手伝ったり、髪をほぐして熱を通りやすくしてやったり。手を動かしてる方が気が楽なのかもしれない。二人きりで黙り込んでしまう方が気まずい。
 ティティスは髪を触られると照れくさそうだった。碧玉へきぎょくのように大きな目がうんと細まる。エルフにとって忌むべき炎の近くにいるのは心穏やかでいられないことだが、今はそれを我慢してもいいかなと思った。
 多少頭がぼんやりするような気がしたのは、しかし羞恥心からだけではなかったらしい。
 雷雨はなかなか弱まる気配がなかった。
「そろそろ日暮れだ」
 ジョシュアがため息混じりにつぶやいた。この天候では近隣の晩課の鐘さえ聞こえないものの、おおかたの時間の感覚は間違ってはいまい。
「夜になったら――もし雨がやんでも森を歩くのは危険かな。ちゃんと装備を整えてればまだしも僕たちはほとんど丸腰だし」
 二人とも軽量な武器の他は、特に身を守るための装具がないに等しい。いかにも心もとない。
「夜が明けるまでここで過ごした方が安全だろうけど」
―――
 ティティスは返事をせず、ただうつむいている。ジョシュアは、
(疲れたかな、ティティス)
 そのときはそう思って、さして気に留めなかった。


 ティティスの様子がおかしいと気付いたのは、一時間ばかり経った後のことだった。
 ジョシュアが話しかけてもいつものような快活さがなく、妙に口数も少ない。さすがに心配に思い始めたとき、
「寒い――
 と、ティティスが震える声でつぶやいた。
「ティティス?」
―――
「ティティス!?
 よく見ればティティスは、焚き火にあたり始めた頃よりよほど身を震わせている。両腕を抱き、そこにうずめるようにしている顔が真っ青だった。
 はっとしてジョシュアはティティスの額に触れた。触れてから手袋越しだったことを思い出し、革手袋を脱いで改めて手のひらを当てた。焼けるように熱い。
「ティティスひどい熱が――
 大丈夫、と尋ねようと思ったが聞くまでもないことである。
 ティティスはいつになく弱々しい声を上げた。
「ごめんなさい」
「何を謝ることがあるんだい」
「あたしが自分の体のことちゃんとわかってなかったから。昼間のうちに帰ってれば――
「済んだことはしょうがない。そんなこと今はいいよ」
 ジョシュアはティティスの言葉を遮り、
「ともかくこれ以上体を冷やさないようにしないと」
 それが今できる精一杯の手当てだった。ますます夜の間外に出るわけにはいかなくなった。弱っているティティスを連れて夜道は歩けない。
(一晩ティティスの体力がもつだろうか)
 と、ジョシュアは口には出さずに考えた。
 体力のないエルフのことだ。衰弱して肺炎でも起こしたら――不安が冷たく背筋を走る。 荷物の中に一枚だけ防寒用のウールのマントがある。それを引っ張り出しティティスの体に巻かせた。
 焚き火はあえて消すことにした。残した方が暖かいには違いないが、ティティスにとっては苦手な炎の近くにいるのは心安らかでないだろう。
 火が消えると小屋の中はすっかり闇に覆われた。目が慣れるのを待ってから、ジョシュアは次の仕事に移った。
「ティティス、おいで」
 炉の周りの床をきれいにならす。炎の熱が残っており幾分暖かい。そこへティティスを寝かせた。
(一晩くらいはなんとか)
 ジョシュア自身もティティスの脇へ腰を下ろした。
 視界の悪い闇の中で、かえって音には敏感になるものらしい。外の雨音が和らぎ始めているのがわかる。
「嵐はもうじき去りそうだよ。夜が明けるまでの辛抱だから」
 とティティスを励ます。夜はまだまだ長い。
 ティティスの呼吸に耳を澄ますと、少し苦しげで速いようではあるが落ち着いている。ときどきため息をつくように深く吐いて吸う。眠ってはいないようだ。
「ティティス」
「大丈夫――
「具合が悪くなりそうならすぐ教えて」
 ティティスは、気丈に口をつぐんでいた。けれどとうとう耐えられなくなって、
「寒い――
 とだけ言った。体の震えが治まった様子はなかった。
 暗闇で物音に敏感になっているのは、ティティスも同じだった。熱に浮かされているせいもあるのかもしれない。長くとがった亜人の耳はささいな音まで拾った。
―――
 ジョシュアがおもむろに腰を上げたのが土を踏む音でわかった。立ち上がったジョシュアに見下ろされているような視線を感じ、
「?」
 ジョシュアは脇に寄せてあった荷からロングソードを鞘ぐるみ抜いて戻ってきた。
「ジョシュア――?」
 剣なんて持ってきてどうするつもりなのだろう。とぼんやりする頭で考えていると、ジョシュアは剣をティティスの前に横たえて置いた。それから自分自身も同じ場所に膝を着く。
 しばしの逡巡しゅんじゅんがあった。
 腹が決まった。
――ごめん」
 ジョシュアが急に身をかがめ、ティティスを抱き寄せるように覆いかぶさってくる。
 ティティスは間近に迫った体温にびっくりして、苦しいのも忘れて後に飛びすさった。
「きゃっ!! な、なに――
 ティティスに逃げられて中途半端な格好になったジョシュアと目が合った。暗くて定かではないが向こうの視線も感じたからたぶんそうだ。
 ティティスはたった今の出来事を、ようやくちゃんと認識して、熱のせいばかりではなく首の付け根まで真っ赤になった。
「や、やだ! やめてよ――!」
「ちょ、ちょちょちょっと待って! 誤解だよ!」
「だって!」
「違うんだ、僕は別にやましい気持ちがあるわけじゃない!」
 ジョシュアも赤くなりながら、必死で弁解した。
「そうじゃなくて、ただ、その、このままじゃ君の体、朝までに冷えきってしまうよ」
「だからって――
 ティティスが身じろぎしたらしいきぬずれが聞こえる。喉につかえるような声で語を継ごうとした拍子に激しくき込んだ。
「大丈夫かい!」
 ジョシュアは胸にひやりとしたものを感じた。ティティスに寄り添い、背をさすってやる。
「しっかり――息はできる?」
「平気、よ」
「とにかく、肺がやられるのだけは防がなくちゃならない。そのためにも」
 と諭すジョシュアの声が、ティティスの耳元へだんだん近づいてくる。
「ジョ、ジョシュア! だけど、あの、やっぱり!」
 ティティスはまた離れようとしたが、背に回っていたジョシュアの腕にしっかり抱きとめられて逃げられなかった。
「ごめんよ、嫌な目に遭わせて」
「違うの! そうじゃないけど、でも、だって」
「君を傷付けるような真似まねはしない」
 ジョシュアは、ティティスとの間に横たえたロングソードのつかを握って言った。
「誓って」
 剣身、つばつか柄頭つかがしらが十字を成す騎士の剣は、ただ武器としてのみならず、騎士道を象徴する物でもある。
 聖者のかけられた処刑台と同じ十字の形は、騎士の貞潔と操を表した。それに誓うとジョシュアは言う。
 鞘に収められた鋼のやいばが二人の間をわかっている。
 ジョシュアはできる限りティティスへ体を寄せ、熱を逃がさないようにした。ティティスが身震いしたのは寒気のせいだけではなかった。
「だけど、ジョシュアに、風邪がうつっちゃうかもしれないし」
「僕のことは気にしなくていいよ」
「そんな」
「君さえ無事ならそれでいいんだ」
「そんなこと――
「少しでも眠るといいよ」
 ジョシュアは子供をあやすようにティティスの背をぽんぽんとたたいた。
「僕も体力を消耗しないように寝ておくから」
 ジョシュアの耳に届くティティスの息遣いは長く定まらないままであったが、そのうち腹が据わったように落ち着き始めた。
 それを数えながらジョシュアも次第に夢うつつの境をさまよい出した。


 夜半に目が覚めた。
 ジョシュアが眠気を払い外の音に耳をそばだてると、雨音は聞こえず、風が木々をざわめかせているのだけが伝わってきた。嵐は去ったらしかった。
 今何時頃だろう。
 夜明けを期待して起き上がり、小屋の入り口を開けてみた。
 外はまだ暗い。ため息がもれた。
 嵐の雷雲が消えた空には星が出ている。こずえ越しに見える天がほの白く明るいところを見ると、どこかに月も浮かんでいるのだろう。朝は遠い。
 ジョシュアは戸口を閉め、ティティスの元へ戻った。
 耳元を近づけてティティスの呼吸を確かめ、手を当てて熱を診た。呼吸は眠る前より荒くなっているように思えた。熱も相変わらず焼けるようだ。脈も速い。
(まずいな――
 悪くなる一方だ。ティティスは、眠っているというよりはぐったりと衰弱しきっているのではないだろうか。
 恐怖に近い不安がひたひたと闇の底をい忍び寄ってくる。
(何か他に、僕にできること――
 こんなときシャロットやバルドウィンがいてくれたら。そうでなくても、自分に他人を癒す魔法や力が使えたら。そんなことを考えてみたところで何の役にも立たない。
 もっと現実的な思考へジョシュアは向かった。
―――
 昼間手に入れた幻の果実がある。
 薬にすれば難病も癒すアンブロージアと呼ばれるほどだ。その力は果実そのものにも宿っているはず。
 だがこの容態のティティスにどうやって与える?
 ジョシュアは、床に置いたロングソードをちらりと見やった。物言わずティティスの傍らに添うように静やかに横たわっている、この剣に誓ったことを思い出して、いくらか悩んだ。


「ん――
 薄くまぶたを持ち上げたティティスはもう苦しげな息を吐いていることもなかったし、寒さに震えてもいない。
 ただ、いまだ少し意識が白濁としているようではあった。
 視線をゆっくり巡らせて、ジョシュアがそばにいてくれているのを確かめ、ほっと安心する。ジョシュアはそっと額をなでてくれた。
「大丈夫」
――うん」
「朝まで眠っていなよ。僕がついててあげるから」
 優しい声と手つきに素直に甘え、ティティスはジョシュアへ身を寄せながら目を閉じた。
 はっ!
 と次に目を覚ましたときには、夜が明けていた。
 ティティスは、がばと身を起こした。戸口の隙間から朝日が細く差し込んで足元を照らしている。陽光の暖かさをはっきり感じた。自分で自分の額を触ってみた。
「あ、あれ? あたし具合が」
 夕べは高熱で寒気に震えていたはずなのに。息も楽だ。一晩明けてみたら驚くほど体が軽い。
――なんで?」
 手当てらしい手当てはできなかったのだ。極力体を冷やさないようにとジョシュアが抱いて眠っていてくれたくらいで。
 そのことを思い出してティティスは一人で赤くなった。抱き寄せられた感触に、間近で聞いた声に、と思い起こすたびに顔が熱くなる。
 そして、はたと気付いた。
「ジョシュア?」
 ジョシュアの姿が小屋の中のどこにもない。おまけにあの誓いを立てたロングソードもなかった。
 ティティスは小屋の外へ出てみた。
 ジョシュアは戸口のすぐ正面に立っていた。右手に抜き身のロングソードを持ち、剣身を日の光にかざすように掲げている。ジョシュアは何を思っているのか、光を反射して輝いているやいばをじっと見つめたままでいる。
「ジョシュア」
 ティティスがおずおずと声を掛けると、剣を鞘へ収めてこちらを振り向いた。
「ああティティス、目が覚めたかい。体の調子はどう?」
「あの、それがね、もうすっかりいいみたい」
「ほんとに?」
「自分でも驚いてるわ。昨日の夜はあんなに苦しかったのに。どうしてかしら」
「まあともかくよかった」
 ジョシュアは、ほっと安堵あんどしてほほえんだ。
「一時はどうなることかと思った」
「ごめんね、心配かけて」
「いいんだ。君が無事なら」
「ありがとう」
 ティティスは気恥ずかしそうにジョシュアの隣へ立った。
「き、きっとジョシュアがいろいろ面倒見てくれたおかげよ。一晩中ついててくれて、その、あたしも安心できたっていうか、嬉しかったの」
 ティティスの言葉は無邪気そのものである。
「ところで、さっき剣を抜いて何してたの?」
「え? ああ」
 ジョシュアは、眉尻を下げて困った顔になった。一言、二言、言いよどんでから、
「僕は剣に誓って貞潔な騎士道を守ってるつもりだったし、今も守りたいとは思ってるけど、心のどこかでそうなりきれないところがあるのかなって考えてたんだ。僕にはただの剣士の方がお似合いなのかな」
「?」
 どういう訳でジョシュアがいきなりそんなことを言い出したのかと、ティティスは不思議そうに丸い目をさらに丸くしている。
 ジョシュアは笑ってごまかした。
「いや、なんでもないよ。身支度をして出発しようか。帰ったらみんな心配してるだろうな」
 予想通り、傭兵団に帰営した二人は皆に無事を喜ばれたり、心配をかけたことをしかられたりした。
「ごめんなさい、これからは天気や体調にもっと気を付けるわ」
 ティティスはお土産の幻の果実を差し出した。
「あら、たくさん見つかったようね」
 かごを受け取ったアイギールが数えると、果実は全部で十一個あった。
「あれ? 確か昨日の昼数えたときは十二個あったはずなんだけど」
 とティティスが首をかしげている。
 ジョシュアは、ぎくりとしたように目をそらし、何も知らぬ振りをした。

(了)