『ジョシュア卿の恋人』おまけ (3)

「うーーーーーーむ――」
 と、ハヅキは将棋の盤面をにらんでだいぶ長いこと考えていたが、どう考えてみてももはや勝ち筋はないようだった。観念して、膝の上に両手をそろえ、
「参りました」
 と投了した。盤の向かい側にはまだ五歳くらいの女の子がちょこんと座って、きょとんとした顔をしている。
「つまりね、私にはもう勝てる手がない、負けましたってこと」
 ハヅキが投了の意味を説明すると、女の子はぱっと表情を明るくして、足が床に着かない椅子の上ではしゃいだ。
「わわ、危ない」
「ほんとう!? ハヅキちゃん、わたしの勝ち!?」
「そうだよ。あっという間に強くなったねぇ、驚いちゃった」
 ハヅキは立ち上がって女の子の方へ行き、念のため椅子から降ろしてから、その子の長い黒髪を手でいてやった。将棋に夢中で、おまけにはしゃいだせいでくしゃくしゃになっていたのだった。
 女の子はハヅキに髪を整えてもらいながら、
「ねえハヅキちゃん、父さまにも勝てるかなぁ」
 と碧眼へきがんをきらきらさせている。
「うーんお父上は私よりもっとずっと強いからなぁ。たくさん手筋を勉強しないとね」
「べんきょうかぁ」
 と――そこへ、談話室の入口のところにティティスがひょっこり現れて、
「お姫様が来てるんですって?」
 ハヅキと女の子の姿を見つけると嬉しそうに中へ入ってきた。
「まあーちょっと会わなかった間にもうこんなに大きくなったの?」
 ティティスは女の子のそばにかがみ込んで目線の高さを合わせた。
「私、ティティスよ。覚えてる?」
「ティティスちゃん! こんに――あの、えと、ごきげんよう!」
「まあおませさん。ごきげんよう」
「あのね、ハヅキちゃんに勝ったの! でも父さまはもっとつよいんだって」
 ティティスは、ハヅキと交代して子守を引き受けると、
「じゃあ次は何して遊ぶ? 木登り? それともバルドウィンやマールハルトのところに行って面白いお話をしてもらう?」
 と、女の子と手を繋いで行きかけたが、そのときにわかに、建物の外がにぎやかになった。朝から出撃していた部隊が帰還したらしい。
 女の子はそれとわかると飛び上がって落ち着きを失い、
「あっ、かあさ――」
 と何やら言いかけたが、ティティスが聞いていることを思い出して、慌てて小さな手で口を押さえる。
「んーんー」
 としきりにうなっているのは、自分は何も言っていないという意味合いのようである。ティティスは、女の子が幼児ながらそんなことに気を回しているのをいじらしく思った。
「みんなが帰ってきたみたいね――あらー? そういえば今日のリーダーって誰だったかなぁー、思い出せないわねー――お出迎えに行ってみる?」
「う、うん! うん!」
「よし。じゃ、行きましょ」


 部隊を率いて帰ってきたアイギールは、傭兵団長への報告のため、旅装を解いている皆を置いて一足先に建物へ向かった。
 玄関先で、ティティスが女の子を連れてこちらに手を振っているのに気がつき、ちょっと目を見張ると、足を速めて駆け寄った。
「来てたの?」
 と女の子の前に片膝を着く。両手を広げると、女の子はすぐさまその中に飛び込んできた。
「おかえりなさい――!」
「ええ、今帰ったわ」
 アイギールは女の子をしっかりと抱き締め、仮面の奥の碧眼へきがんを細めて、しばしの間そのまま、愛おしさを噛み締めているようだった。
「かあさ――じゃなくて――えっとね、悪いやつをたくさんやっつけた? こわくなかった?」
「ふふ、ちっとも怖くないわ。あなたの顔を見たら疲れもどこかへ行ったわ」
「うふふ! ねえ、あのね、ハヅキちゃんに勝ったの! でも父さまにはまだ勝てないんだって」
「やあおかえり。私がどうしたって?」
 とふいに傭兵団長の声が挟まれた。
 玄関から出てきた傭兵団長は、まずティティスに我が子の子守をしてくれているお礼を言った。
「すまんな、任務でもないのに君たちに手間をかけさせて」
「いえいえ。子供っていいわね。私も欲しくなっちゃう」
「――だそうだぞ」
 と傭兵団長が後を振り返ると、執務室から一緒について来たジョシュアが真赤になって突っ立っていた。
 ――微妙な雰囲気になっている若者たちは置いておいて、傭兵団長はアイギールと娘のそばへ寄った。
「今朝方、城の方でひと騒ぎあったようでな、アルシルが知らせに来てくれた。王子王女は無事だ。念のためこの子も傭兵団こちらにいた方が安心だろうと思って、領地いえから連れて来させたんだ。次の日曜に帰るまでは、一緒にこちらで過ごそう」
「ずっとこっちにいるほうがいいのに――」
 と、傭兵団長の娘はアイギールにしがみついて甘えていたが、傭兵団長が、
「私も今日の分の仕事は片付けてしまったから、次は父と語学の勉強をしような」
 と言うと、
「やっぱりにちよう日に帰る」
 とねてしまい、父母をそろって可笑おかしがらせた。

(了)