ジョシュア卿の恋人
「今度こそ捨てる。ほんとに捨てる。絶対捨ててやるあんな男――!」
と、このところずっと息巻いていたハヅキだが、
面と向かうと、ハヅキもあれだけ怒りに燃えていたのが恋しさでにわかに消火されたらしく、なんやかんやで機嫌も直って二人で
「どうせそんなことだろーと思ったよ」
と、セイニーがリオンの帰営と入れ替わりに旅支度をしながら、笑って言った。ハヅキが捨てる捨てると喚いているのはいつものことだが、それでもなんとなく心配して出発を先延ばしにしていたのだった。
「ねえセイニー、今度はどこまで行くの? いつ帰る?」
支度を手伝っているティティスが尋ねた。
「リザードマンの里に行ってみるよ。バン――はまたぞろどっかで迷子になってて留守だろうけどねー。リザードマンの戦士たちに組手の相手でもしてもらおうかな」
「この辺じゃもうセイニーに敵う人、いないものね」
「すぐ帰るよ。次の満月までには」
「いい加減時計くらい持ち歩いたら?」
「いいんだあたしは、あんまりきっちりしない方がいい」
セイニーは旅支度の仕上げに武具を鍛冶屋へ持って行って研いでもらうのだと言う。今夜はそのままそこに泊めてもらって、明日の朝早く発つそうだ。ティティスはハヅキと一緒に見送りに行くねと約束した。
翌朝、ティティスは近所の村までハヅキを迎えに行った。先年念願だった道場を建て直したハヅキは、近頃では平時はそちらに住んでいるのだった。
夜が明けたばかりで外には
村に着くと、もう畑仕事に出ている村人の姿がちらほらと見られた。皆黙々と働いていて、ときおり
ティティスは農家の人々に挨拶をしながら道場の勝手口へ向かった。
珍しい極東風の板塀伝いに建物の裏へ回ると、外に出て待ってくれているハヅキの姿があった。あったが、しかし、一人ではない。リオンと一緒にいた。
(あ)
とティティスは足を止めた。途端に気まずくなって目がそわそわ泳いだ。なんでこんな朝っぱらから二人一緒に――ということがわからないほどさすがに子供でもない。
リオンは、「寒い」というようなことをボヤきながらハヅキを背中から
ハヅキは、
「そんな格好してるから。もうティティスが来る頃だよ」
と言いつつも、リオンの腕を振りほどくでもなかった。リオンがささやくことには同じようにささやいて返す。
二人の間にはいかにも気の置けない親密そうなぬくもりがあった。ささやき合う口元が次第にどちらからともなく近づいていって、しかしそれが重なる直前に、ハヅキはすぐそこでティティスが赤くなって突っ立っている姿に気づいた。
「わぁ!」
とまるで娘だった頃のような頓狂な声を上げ、後ろのリオンに思い切り肘鉄を食らわせて突き放すと、
「ティ、ティティスお早う――来てたのなら声をかけてくれていいのに」
と口調を改め、羽織の袖で赤い顔を隠しながら言う。肘がいいところに入って
「あの、ご、ごめんね、邪魔しちゃって。ちょっと早く来すぎちゃったかも」
とティティスも、もじもじしながらようやく言った。
ティティスからすれば、ハヅキは瞬く間に大人びたように思われた。気がついたときには彼女の装いや立ち居振る舞いから娘らしさがすっかり抜けていて、リオンもとっくに子供扱いを止めていた。
ハヅキばかりではない。セイニーだって、他の皆だって。いつの間にか戦いの技を極めたり、思慮を深めたり、伴侶を得たり――人間の世の中はエルフにとってはあまりにも目まぐるしい。
セイニーが見送りを待つ街道の駅までハヅキと一緒に歩いて行きながら、ティティスは恋人のジョシュアのことを考えていた。
「少し顔を見なかった間に君はまた老けたんじゃないのか。まったく人間の歳を取る早さときたら――」
ゼフィールは温かいチョコレートの飲み物が入った小さな器に口をつけながら言った。苦い顔をしているのはチョコレートのせいばかりではないらしい。
ジョシュアはゼフィールと同じテーブルに着き、向かいの席に座って、やはり同じようにチョコレートを飲んでいた。
「この間会ってからひと月も経っていないよ。さすがにまだそこまでは変わってないと思うんだけどな」
「では君が疲れた顔をしているからそう見えるんだろう、ジョシュア――いや、
「そうなんだけど、まだ慣れなくて。ただのジョシュアでいいよ」
はは――とジョシュアは照れくさそうに笑い、
「騎士に叙されたとはいえね、僕は今のところ何が変わったわけでもないんだ」
と言う。
「エステロミア傭兵団は相変わらず忙しいのだな」
「まあね、なんやかんやで――でも近頃新しい傭兵が入ったから、僕もこうして城からの帰りに喫茶店に寄り道するくらいの余裕ができた」
「新入りには能がありそうか?」
「うん――かなり――」
ジョシュアは、傭兵団の新人の戦士が入団時の実技披露で自身の背丈ほどもある大剣を軽々と扱って見せたこと、ハヅキの
「普通剣士は長柄の武器や魔法を苦手にするものだけどね。天性の
「話を聞いていると、若い頃の君に似ているな」
「―――」
ジョシュアはあいまいにうなずいて、それ以上あまり多くを語らなかった。
「まあ――そういうわけで人員が増えたから、僕はこの頃もっぱら城との連絡役なんかをやらされてる」
「マールハルト
「先月腰を痛めちゃって、膝がよくないバルドウィンと二人で日向ぼっこして療養中。二人ともまだまだ元気だけど、歳が歳だから」
「すると君はマールハルト殿の役目の後を継ぐわけか」
「そんな
話すことはいくらでもあり、尽きることがなかったが、そのうちチョコレートも飲み終えてしまったから、二人は連れ立って店外へ出た。
「傭兵団へ寄って行ったらどうだい? みんな喜ぶよ」
とジョシュアはゼフィールへ勧めたが、彼はかぶりを振り、
「新入りの顔を見てマールハルト
と、すまなそうに言った。
「書物だの絵画だの――菓子だのと――」
「昔地下遺跡で一緒に働いたときの報酬もそろそろ使い切れるんじゃない」
「文無しになったらまた傭兵として雇ってもらうか」
ゼフィールは満更冗談でもなさそうに言い、それからふと真面目な表情になってジョシュアの方を見た。
「森の年寄り連中が君に会いたがっているぞ」
「えっ、どうして」
「どうして――君はティティスと交際しているだろう」
「ああそれはまあ――でもエルフの長老方に申し開きをしなくちゃならないようなことは、僕たちは何も」
「まだぐずぐずしてるのか」
と
が、すぐに真面目な顔つきに戻り、
「いや、いやこの調子では君はあっという間に爺さんになってしまいそうだ」
とにかく今度一度森に来い、と言う。
考えておくけど――とジョシュアは困り顔だった。
「今度って、たとえばいつ頃?」
「そうだな――可能ならむこう五年の内には――」
やっぱりゼフィールといえども、どこかエルフらしい気の長さは持ち合わせているのだった。
ジョシュアはサンドストームに先日新しくできた菓子屋にゼフィールを案内し、町娘や商家の奥方といった客たちがひしめいている店先で彼とは別れた。
馬上の人となり傭兵団への帰路につきながら、その道々どんな小さな村でも通りかかるたびに立ち寄って近況を尋ね、困ったことがあればまず第一に傭兵団を頼ってくれるよう頼んだ。
そういった各所へのご機嫌伺いは今までマールハルトが頻繁に細やかに行ってきたことだった。ジョシュアは代理を務めてみて、初めてそれがいかに心身ともに疲れる仕事であったかを知った。
傭兵団へ帰り着いた頃には夜である。夕食も済んでしまっている刻限だった。
(そういえばバルドウィンがよく、このくらいの時間に台所に一人でいてお酒を飲んでいることがあったっけ)
あれはもしかしたら、マールハルトが帰るのを待っていて、夜食に付き合ってあげていたのかなとジョシュアは思った。シャロットに隠れて晩酌をしていた、というばかりではなくて。
馬を
昼間のチョコレートはとっくに腹を行き過ぎて空腹の極みである。足は真っ先に台所へ向かった。残り物があればそれで簡単に済ませよう――と思って暗い廊下を来てみると、台所からは
「あ、ジョシュア――」
ティティスが一人台所で帰りを待っていてくれた。
「おかえりー。マールハルトに聞いたけど、お城に行った後で近くの村も回ってたんだって? 疲れたでしょ。お腹空いてるよね」
「ただいま。腹ぺこだよ」
ジョシュアはティティスが自分の帰りを待っていてくれたことがなんとも言えず嬉しく、それに愛おしかった。それだけで疲れも少し和らいだかと思うほど。
「だけど夜も遅いし、君も先に休んでてよかったのに」
「ジョシュア最近出かける用事が多いじゃない。こんな時間でもなきゃ二人で話せるタイミングがないじゃない?」
ティティスは、かまどの方へ行って鍋の残り物を確かめながら言った。夕食は
「残り物オムレツにしてあげるね。ちょっと待っててね」
今でも炊事が得意とは到底言えないが、それでも昔に比べればよほどしっかりした手つきで残り火を
その間、ジョシュアは食器を用意したり、パンやチーズをナイフで薄切りにして皿の上に重ねたりしていた。
「何か僕に相談したいことでもある――?」
「え?」
「いや、二人で話したいことがあるって言うからさ」
「あの――ううん相談っていうか、ね――別に何もないのよ――」
とティティスはなんだかもじもじしていてはっきりしない。はて? とジョシュアは内心首をかしげた。
「ああそういえば、ゼフィールが王都に来てるけど、君知ってた?」
「えぇ、また?」
「うん、また」
「どうせきっとおじいちゃんにお菓子のお遣いでも頼まれたんだわ。おじいちゃんたら甘い物食べ過ぎよ。ゼフィールはおじいちゃんに強く言えないから」
「そうみたいだね」
ジョシュアは苦笑いし、
「そのおじい様たちが僕を森に招待してくれるつもりらしいとか、ゼフィールは言ってたけど」
昼間の一件をティティスに伝えた。
「えっ、なんで――」
とティティスは言いかけて、しかし言い終える前に、エルフの長老たちの考えに思い当たったらしく急に口をつぐむ。
「――おじいちゃんたちがジョシュアに会いたいって言ってくれるのは嬉しい気もするけど、でもちょっと不安。森でジョシュアが不愉快な思いをしたら嫌だし――」
その続きは、ジョシュアが食事を始めてから話した。
「そりゃエルフたちだって悪気はないのよ。少し前とは森の雰囲気も変わってきてると思うわ。だけど、そう簡単に根っこからは変われないかもしれないし」
「僕は、まあ、そういうのは大丈夫だよ。
「慣れてるから大丈夫とか――そういうことじゃなくって」
ティティスはジョシュアが
「ごめん。心配することはないよ、って言いたかったんだ」
ジョシュアはティティスにそんな顔をさせてしまうのをすまなく思う一方で、ついつい見とれてしまってもいた。
ティティス自身は、人里の中で暮らしていてエルフの自分ばかり歳を取らず、置いてけぼりになっている気分だとよくこぼしているけれど――ジョシュアの瞳に映る彼女はそんなことはなかった。
昔よりいっそう強くなった。優しく、繊細になった。美しくなった。自分ではまだ気づいていないとしても。
(でも僕だって、ゼフィールに言われなきゃ自分が歳を取ってるとは思わないんだから、似たようなものか。あっという間にお爺さん、か――)
ジョシュアは夜食を平らげて、
「美味しかった」
と、人心地のついた
「そう? よかった」
「――ときどき、昔の君の料理が懐かしくなることもあるけど」
「もうやめてよ、その話は」
ティティスは笑いながら立ち上がり、食器を片付け始めた。ジョシュアも手伝うために洗い場へついて行く。
ティティスは、ジョシュアはすぐ後ろにいると思っていたから、洗い場に着いても彼が何の声もかけてもこないのが不思議で、後を振り返った。
想像していたよりはるかに間近にジョシュアは立っていた。ティティスは思わず、
「きゃ――」
と身をすくめそうになり、ジョシュアはこちらに伸ばしかけていた両手を気恥ずかしそうに引っ込めてしまった。
ティティスは慌てて、
「ああっ違うの驚いただけ――!」
と弁解したが時すでに遅し。悪事が露見した子供のように面目を
「あの、本当に嫌なんじゃないのよ、本当にね、嫌じゃないの。ただ私ってやっぱりエルフだから、こういうことのスピード感? にまだ実感が湧かないっていうかその」
「うん、うん、驚かせて悪かった」
ジョシュアは、一呼吸置いて気を取り直したようで、もう一度やり直してもいいだろうかとエルフの恋人へ丁寧に尋ねた。
「も、もちろん」
とティティスも意気込んだのだが、結果が予想通りとはいかないのはままあることである。伸びてきたジョシュアの腕は彼女を軽々と横抱きに抱き上げた。
「えーっ、なんだ――」
ティティスは思わず吹き出して笑ってしまった。肩透かしを食らったというよりは、いくらかホッとしたような気分だった。
「なんだと思ったの?」
ジョシュアも笑って、ティティスを抱えたまま二、三度その場でくるくると回った。ティティスはジョシュアにしがみついて、きゃあきゃあとはしゃいだ。
そして、地面に下ろしてもらうと、
「
とちょっとお
ジョシュアは、“
「ありがたく頂戴いたします」
と、恭しくティティスのキスを頬に受けた。
(了)