野営地の一日 (1)
遺跡探索から野営地へ帰還したアイギールが傭兵団長の元へ報告に向かう途中、
ハヅキもそれを手伝っていて、
「よしよし、いい子にしてなきゃダメだぞー」
と黒猫を抱えて気を引いている間に、ジュランがその後ろ足の爪の先を小さな裁縫用の
にゃぁ――
と黒猫は不満げに足を引っ込めようとするのだが、ハヅキが、
「こらこら。おまえの爪でみんなが
と言い聞かせてやると、黒猫はまるでその言葉が通じているように、仕方ないな――と、大人しくなる。
「そうですよ、大事なことです。すぐ済みますからね」
ジュランは後ろ足の爪を切り終えると、今度は前足に取り掛かった。
「ハヅキの言うことはわりあいちゃんと聞いてくれて助かります」
飼い主兼使い魔の主も苦労が多いらしい。
「私は今日一日はそっぽを向かれますね。後でバターをあげて機嫌を取ります」
「だってさ。よかったね、おまえ」
にゃん――
黒猫はハヅキに顔を
「いや、だからな、私は爪を切る
「ではジョシュアかリビウスにお言いつけなさいませ」
「私の
「慣れない
とマールハルトは頑として譲らず、結局、傭兵団長の方が観念して手を差し出すことになったのだった。
マールハルトは
「あなた様のお父君の身の回りのお世話をさせていただいていた頃を思い出します。もうずいぶん昔の話ですが――」
「―――」
傭兵団長は何とも言わなかった。
「爪を切るのも
「なんだねそれは」
「東方の慣用句でございます。ハヅキにお尋ねなさいませ」
マールハルトは左手の親指の爪を切り終えると、そのまま右手の親指へと移った。
「――先代の王の
ふと、傭兵団長が言った。
「
「わたくしは宮廷に上がったのが遅く歳が近うございましたゆえ、お父君におかれましても恐れ多くもお心安くお思いくださったものかと」
「あんな王でも友と呼べる相手が欲しかったのかもな」
「わたくしの身には余る話でございますよ」
「――そんなことはないはずだが、マールハルト
「―――」
爪を切り終えると、傭兵団長は小指に指輪をはめた左手を顔の前にかざして指先をつくづく眺め、
「上手いものだ。私が自分でやっていたらずいぶん不格好になっていたことだろうな」
とマールハルトの仕事ぶりを褒めた。
マールハルトは
「そのようにお褒めくださるお言葉のお言い様一つ取っても、あなた様はまことお父君によう似ておられます」
と言う。
「似てるか。似ていたところで嬉しくはないが」
「似ておられます――わたくしには懐かしいですな」
「じきに爪は伸びるだろうから、また頼むかもしれん」
「お任せを」
傭兵団長はその後なぜか気後れしたような顔になっていたが、あるときボソリと言った。
「まあ、そのときには先王の話でも聞かせてくれ。私はいまだに、あの父がどういう人間だったのかよくわからんのだ。よくわからんヤツに似ていると言われても困る――」
大の男が子猫のように大人しく手を差し出して爪を切ってもらっているのだから、アイギールは天幕の入口の陰から盗み見ていて内心
傭兵団長はアイギールの気配には全く気がついていないようだった。マールハルトが席を外して傭兵団長一人になったのを見計らい、アイギールは天幕の中へ入った。
「帰還したわよ、子猫ちゃん」
「子猫が? なんだって?」
「だってあなた、まるでジュランの猫みたいに大人しく爪を切られてるんだもの」
「いつからそこにいたんだ」
傭兵団長はひどく赤面
アイギールにとってそれは意外な反応だった。なにやら、意図せず悪事を働いてしまったような気分である。
「からかって悪かったわよ。でも別に恥ずかしがるようなことじゃないでしょ? 王の
「見られてもいい相手と悪い相手があるということだよ。君はよくない――」
「まるで裸でも見られたようだこと」
と、アイギールはちょっと肩をそびやかして見せた。
「そんなところかもな」
と傭兵団長はあいまいにうなずいた。
(了)