死の妖精

1

「エステロミア傭兵団より遠路はるばる、よくぞ参った――
 と、静寂の遺跡でジュランとミロードを迎えてくれた魔法アカデミーの枢機官は決して歓迎しているようでもなかったが、二人が想像していたよりは嫌な顔もされなかった。
「本当に遠いですわよ、ここ。道も悪いし」
 とミロードが余計なことを言う。
 それでもアカデミーの枢機官は別に怒りもせず、
「我々も城からここまで難儀して来た。だからお前たちも同じ思いをしただろうとねぎらっておるのだ」
 と、仏頂面ながらそう言ってくれた。ミロードは意外そうに、ジュランとちょっと目配せし合った。
「あら、まあ、何と言うか――多少﹅﹅雰囲気がお変わりになりましたのね」
「ふん。殿下に感謝するがいい」
 ついて来い――と枢機官は歩きだした。
 遺跡の地上部分に設けられた野営地を出て、地下に残存する遺構の中央部へ向かう。
「殿下――というと、つまり私たちの――エステロミア傭兵団長のことですの」
 とミロードが尋ねると、枢機官は「そうだ」と言う。
「そうだ。この不敬者め」
「あの方はご自分から『殿下』と呼ばれるのを嫌っていらっしゃるので――
 と、ぼそりと口を出してきたのはジュラン。
「殿下におかれては、先年より我らがアカデミーの研究におおいに理解を示してくださっておられる。ご寄付を頂くこともしばしばある――エステロミア傭兵団長としてではなく、殿下個人のご探究心によってとのことだが」
「それって賄賂を受け取っているという意味ですか?」
「ばかな」
 まつりごとのわからんやつめ――とでも言いたげに枢機官は眉をひそめた。
「例えば――このたびお前たちを呼び寄せたことが殿下のご所望されるところであったとなれば賄賂だが、そういうことではないのだ」
「ではなぜ厄介者の私たちをここへ?」
「お前たちも魔術師の端くれならばわかるだろう。自分の研究に興味を示されるというのは、結局、いくつになっても嬉しいものだ」
 ようするに懐柔されたってこと――とミロードはこっそりとジュランへささやいた。
「団長は何のためにそんなことをしてるんですかね?」
「黒王との戦いで何度かアカデミーの手を借りたけど、そのたびに国王陛下にお願い申し上げて手間のかかることといったらなかったからでしょ」
「お前たちそんな話はもっと小声でこちらに聞こえないようにやれ――
 遺跡の地下部は細い石の通路が入り組んだ迷宮になっている。正しい道を辿たどってさらに地下深くへと進むと、周囲の石壁が崩れているような箇所も増え、そこでは瓦礫がれきの撤去や壁の補修といった工事作業を行う兵士たちの姿もあった。
「我々が発掘調査を行っているのはもっと奥――最も奥の間だ」
 と枢機官は足を止めることなく進んでいく。
「少しはご休憩なさっても結構ですわよ。お足腰に障るのじゃなくて」
「その時間が惜しい」
 それほどの遺跡なのだぞ、ここは――と枢機官は、いささか興奮を帯びた口調になって言うのだった。
 やがて最奥部に着いた。
 長い階段を下りた先に地下とは思えぬ広大な空間が存在する。調査のために魔術の光をたたえた宝珠がいくつも掲げられてなお、隅や天井の方まではその叡智えいちが届いていなかった。
 今下りてきたような空中階段が四方に伸びており、その先は闇――
 ここは祭壇とも、霊廟れいびょうともつかない場所である。
「確かに、これは見事な――
 とジュランが、古代のいかなる建築技術によるものかいまだ一切解明されていない中空の階段を見上げて感嘆した。
――この場所が黒騎士によって発見されたことだけは、複雑な心境ですが」
「その黒騎士とやら、遺跡の封印を解いてくれたことに関しては、悪徳の騎士とはいえ感謝してもよいくらいだ」
「黒騎士の話はよしましょ」
 とミロードが言った。
傭兵団私たちにとっては微妙な問題なのよ――それより遺跡そのものの方に興味を向けましょう。まずは調査隊の皆さんに私たち二人を紹介してくださらない?」
 ジュランがそばに連れている黒猫を抱き上げながら言う。
「できればこの子のことも――
「二人と一匹」
 枢機官はその頼みを承知してくれた。
「そうだな――幸い﹅﹅お前たちのことをよく知らぬ若い魔術師も多いゆえ」
 十数名ほどの魔術師で編成された遺跡調査隊の元へジュランとミロードは連れて行かれ、枢機官から手短に彼らへと紹介された。
「諸君らも知ってのとおり、我らがアカデミーの外にも魔術師はいる。かの勇猛果敢と名高きエステロミア傭兵団にもだ――このたびは我ら調査隊の護衛のみならず、遺跡調査にも協力を依頼した。わからぬことがあれば互いに意見を求め合い、教え合うように」
 魔術師たちの中には『エステロミア傭兵団』と聞いて顔を引きつらせる者もいたが、大半を占める若者たちは特別気に留めていないようだった。

2

 にゃぁん――と、ジュランの使い魔の黒猫はときおり人の気を引こうとするように鳴き声を上げながら、荷物の袋にもぐり込んで悪戯をしたり、枢機官や魔術師たちの間を渡り歩いては皆から毛並みをでてもらったりして、気ままに過ごしていた。
 主の方はといえば発掘された遺物を床に整然と並べて、それらを一つ一つ検分するのに夢中である。
「この紋様は傭兵団の任務で他の遺跡を探索したときにも見たことがあります。魔術的な力はありませんが、まあ魔除けの類いかと思いますね」
「これは鳥の意匠ですか?」
 と、一緒に遺物をのぞき込んでいる若い魔術師の一人が尋ねた。
「翼を広げた形に見えますね。コウノトリかな――
「おそらくそうでしょう。鳥は魂を運ぶ者として古代の魔術師には好まれました」
 とジュランは答え、少し早口になりながら古い伝承をいくつか話して聞かせた。日頃冷静なように見える彼もこんなときには饒舌じょうぜつになるらしかった。
「祭壇なら呪具の一つも出てくるはずだと思うのよねぇ」
 と、別の場所ではミロードが魔術師たちと意見を交わしている。
「遺跡の周辺を含めた地図はある?」
「作ってあります。ご覧になりますか?」
「あらさすが。お若い方は仕事が早いわ」
「いえ――私たちもこの辺りの土地全体を調べるべきだと考えたので。方角や天体の位置が手がかりになることもあります」
「そのとおりよ、賛成だわ。ね、見せて見せて」
 彼らから少し離れたところで、
「まったく――枢機官殿も何をお考えなのか。よりにもよってあの二人を呼びつけるとは――
 調査隊の中では年かさの魔術師が三人ばかり寄り集まり、なにやらぶつぶつぼやき合っている。
「若い連中はやつらのことを知りませんからなぁ」
「今のところこれといって問題は起こしていないようだが――万が一やつらに重大な発見をされて今回の手柄を傭兵団にかすめ取られるようなことになってはたまらんぞ」
「え、いや、それは別に構わないのでは――?」
「見つけたのが誰であれ、価値ある発見ならば、それを裏付けるために我々が正確な調査を行うことが肝要かと――
「うるさい。同じ陛下の御下命を直接頂ける身分にありながら傭兵団にばかり華を持たせるのがしゃくに障ると言っているんだ」
 「俗物だなぁ」とか「こいつはこれだから偉くなれない」とかひそひそ話が交わされている足元でから、
 にゃーん――
 と子猫の鳴き声がした。さっきまでむこうで若者たちに愛玩されていた黒猫が、今度はこちらに愛嬌あいきょうを振りきに来たらしい。
「おお、主に似ずこの子は大変愛らしい――この帯が気になるのかね」
 と猫好きらしい一人は、首に掛けている魔術師の階級を示すための帯の端を振って、黒猫の気を引こうとする。
「よさんか」
 “俗物”と悪口を言われていた魔術師が苦い顔をした。
「外見は可愛らしかろうと魔性のものに違いないぞ。かすかだが精霊の力を感じる。あの男のことだ、どんな邪悪な精霊を使い魔にしたか知れたものではない」
「考えすぎでしょう。ただの子猫にしか見えませんよ」
 黒猫は自分のことであれこれ言われているとはつゆ知らないようなあどけない顔で、魔術師たちの足元にまとわりついてくる。毛並みをこすりつけたり尻尾まで巻きつけたりして甘えてくる様子は、確かに無邪気でよく人に慣れた小さな獣でしかなかった。
 あっちへ行け、といくら言われても黒猫は聞かない。
でてほしいんでしょう。猫は己がかわゆいということをよくわかっているものですからな」
「だからこやつは当たり前の猫ではないと――ええい人の足先でうろちょろするな、身動きが取れぬ。やれ、仕方のない」
 と、魔術師が根比べに敗れその小さな額へ手を伸ばそうとしたときだった――
 今まで愛くるしかった黒猫の目つきが一変したかと思うや、全身の毛を針山のようにし手足をピンと立てて後ろへ飛び退すさった。フウッ――とうなり声まで上げられ、魔術師も手を引っ込めて鼻白んだ。
「後ろ――!」
 と誰かが鋭く叫んだ。
 魔術師の一団の中でも魔力の強い者たちは、皆急にぞっと寒気を覚えて震え上がった。広い室内の四方の暗がりに不可視の不浄な魂がひそんでいるのを感じ取ったからだった。
「ゴースト!」
 と引きった悲鳴を上げる者がいた。不浄な魂は悪意に満ちて、闇の中から魔術師たちへ襲いかかってきた。
 魔術師たちがわっと逃げ惑いそうになっている中、
「と、これは、いけません――向かってきました――
 場違いなほどに落ち着き払っているのはジュランとミロードの二人だけであった。
 ジュランが魔法杖に魔力を込め、短い呪文の詠唱の後に冷気の魔法を放った。ゴーストは少しばかりひるんだが、大きなダメージは受けなかったようである。
「冷たいのがお好きってワケね。じゃあこっちはどう」
 今度はミロードが術具も詠唱もなしに火の粉を放った。
「!」
 炎を恐れたらしい。火種が弾けるまでもなくゴーストの気配は一瞬にして霧散し、いずこへか消えてしまった。
「ま――逃げられちゃった」
「たいした敵ではなさそうですし、いいんじゃありませんか。それより」
 とジュランが魔法杖の先で暗闇の一角を指す。
「あれを、ほら、あそこです。先住者がいたようですよ、どうやら」
 目を凝らすと、その陰に死の妖精バンシーの姿を見つけることができた。彼女は魔術師たちには目もくれず、一人うずくまって顔を伏せ、かすかな嗚咽おえつを漏らしているばかりだった。

3

「バンシーが本来人を襲う魔物ではないことは我々も承知しているが――本当に危険はないのか」
 枢機官は厳しい表情だった。黒王復活の災禍はまだ人々の記憶に新しい。凶暴化した魔物たちに植え付けられた恐怖や不信はそう簡単に拭えるものではなかった。
「それを言われると、私たちも絶対に安全と断言できるわけではありません」
 とジュランが答えた。ミロードも「そうね」とうなずいている。
「でも、といって何も悪さをされていないのにこちらから危害を加えるのもどうかしらねぇ。そうすれば間違いなく敵意を持たれて排除せざるを得なくなるでしょうけど――政治的﹅﹅﹅にはその方がよろしいのかしら?」
「見損なうな」
 と枢機官は言う。
「ここでは我々の方が余所者なのだ。先にいた者を無理やり追い払うわけにはいかん。発掘調査が妖精の怒りを買うようなことがなければいいが、その保証はない。調査を続けるか――中止するか――私一人で決めるにはいささか荷が勝ちすぎる」
「今更になって止めるなどと!」
 と割り込んできたのは、“俗物”扱いを受けていたあの魔術師だった。彼は他のどの魔術師よりも強く調査を続けるべきだと主張した。
「私にはわかります。この場所で必ずや古代魔術を謎をひもとく手がかりとなるものが見つかるはず。我々魔法アカデミーがその栄誉に預からずしていかがいたします。他の枢機官の方々もご落胆なさるに違いありませんぞ」
「確かにおっしゃるとおり、何か見つかる可能性は高いと思いますね。バンシーやゴーストがみついているとなれば、この場所はおそらく――
 別に加勢するというつもりでもないが、ジュランが賛同しようとすると、しかしかえってにらみつけられてしまい、口をつぐむしかなかった。
 なんやかんやと言われたものの枢機官はあくまで慎重な姿勢を崩そうとせず、
「必ずしも調査を取り止めると言っているわけではない。すぐに判断がつかぬと言っておるのだ。とにかく今日のところは、もう仕舞いにして野営地へ帰還するように。明日以降については追って指示する」
 それからミロード――と、最後になって不意に矛先を彼女に向けた。
「なんですの?」
「ゴーストを追い払った火の魔法は見事だったが、正規の術具や呪文を用いた手順を踏まないのは関心せん。お前がいかに天性の才能ある魔術師だったとしてもだ」
―――
「お前の身を案じてわざわざ言ってやっているのだ。でなければ、アカデミーの外の魔術師を叱ってやる義理はない」
――ご忠告感謝いたしますわ」
 ミロードは愉快そうな顔はしなかったが、反抗的な態度を見せることなく叱責を甘んじて受け入れた。
 その日の晩、地上の野営地で休息を取っているとき、
「少し意外でした――
 とジュランが言った。「何が?」とミロードは膝に置いた書物を片手でめくりながら聞いた。反対の手には手燭てしょくを持って紙面を照らしている。その蝋燭ろうそくの炎は多少の風にあおられても揺らぐことなく、赤々と力強く燃えていた。
「あなたが枢機官相手に何も言い返さなかったことがです」
「まるで私がいつもアカデミーのお年寄りの方々をいじめてるような言い草だこと」
「いじめてますね」
「ちょっと」
 ミロードににらまれてもジュランは知らん顔で、黒猫を抱き上げて顔をでてやったり、ふわふわした丸い額に鼻先を埋めたりしている。
 ミロードが手にしている手燭てしょくの火が彼女の心に呼応するように複雑な形にうねり揺らめいた。
――私だっていつまでも小娘ではないわよ」
「それはまあ、見ればわかりますが。――ああすみません、容姿のことじゃなく内面的な話でしたか」
 と、ジュランが蝋燭ろうそくの火を炎上させるようなことを言っていたところへ、
「すみません、あの――温かい蜂蜜酒はいかがですか?」
 年若い娘の魔術師が一人、両手にナナカマドの木杯を持ってやって来た。さかずきの上には白い湯気が高く立ち昇っている。
「どうぞ――冷めないうちに」
「どうも――
「お気遣いありがたく頂戴するわ」
 ジュランとミロードはそれぞれさかずきを受け取った。
「あの――
 と、若い魔術師は空いた両手を胸の前でもぞもぞこすり合わせながら、何か言いたげな様子だった。ミロードが気がついて尋ねた。
「私たちに何か用があるの?」
「あの、いえ――ええと――昼間あなた方がゴーストを魔法で追い払ったのを見て非常に驚いてしまったもので――
「あら。ま、だけどそうねぇ、アカデミーでは攻撃魔法を研究することはあっても使うことはないわよね」
「規則で禁止されていますので」
「それはよーく知ってる」
「外の世界では当たり前に魔術師が魔法を使うんですね――当たり前ですけど。それにあなたは呪文の詠唱もなしに」
真似まねしちゃだめよ」
「皆さんあんなことができるんですか? あなたも?」
 と魔術師はジュランの方を見た。
「私はできません」
 とジュランは答えた。蜂蜜酒がいささか熱かったらしく、まだ口を付けず水面を吹いてばかりいる。
「傭兵団ではエルフや盗賊も魔法を使うわよ。異国の魔術を操るもいるのよ。彼女たちの魔法は魔術師私たちとは結果の導き方が違うのだけど――そう、あなたの思考は正しいわ、つまりね――
 ミロードはときどき口を蜂蜜酒で潤しながら、聡明な若者と魔術の深淵について語らうひとときを楽しんでいるようだった。

4

「アカデミーで学ばなければならないことがまだたくさんあるのはわかってます――でも、ときどき――私たちは所詮籠の中で飼われている鳥にすぎないんじゃないかと感じることがあるんです」
 と若者は、あるときふと神妙な面持ちになり、そんな想いを吐露するのだった。
「あなた方のお話を聞いていると、アカデミーで学ぶことが全てではないと思われますし――
 若者が最後まで言い終える前に、ジュランが冷ややかな口を挟んだ。
「あなたには無理だと思いますよ、傭兵稼業は」
―――
「ジュラン」
 あなたってホント、そういうところ――とミロードが顔をしかめる。
「気にしないで、彼って言葉足らずなの。あなたのことを心配して言ったのよ――たぶん。傭兵団私たちの仕事ってとても危険よ」
――私のような者では足手まといになるでしょうか」
「正直に言えばね――。戦闘にはいつか慣れるでしょうけど、それは今のあなたが持っている繊細さと引き換えだと思うわ」
「私は傭兵になってからも別に自分が変わった気はしませんが」
「ねえジュラン、そうやって変な口を挟まないで、ややこしくなるんだから。確かにアカデミーは閉鎖的で、不自由に感じる気持ちは我が身のようにわかるわ。だけど、その籠の中にいるのも他には代えがたい経験だと思うわよ。籠から飛び出す方は簡単なんだから。枢機官二、三人相手に何か難しい議論をふっかけてやればいいの」
「禁書室の書物に書いてある魔法を一つ選んで試してみるのもいいですね」
 ミロードとジュランから代わる代わる助言﹅﹅され若者はきょとんとしていたが、それらを結局は冗談だと解釈したのかクスリと笑みを漏らした。
「そうですね、おっしゃるとおり――さっきは軽はずみなことを言いました」
「あなたがもし、本当によくよく考え抜いてアカデミーを去るのなら歓迎するわ。少なくとも私たちはね」
 三人が話し込んでいる間に夜も更けてきて、やがて天幕の方で消灯を知らせるベルが振られた。
 ジュランの膝の上で丸くなっていた黒猫がベルの音でぱちりと目を覚ました。小さな体を起こし、前足、後足と順に伸ばしながら大きなあくびをすると、ひょいと地面へ飛び降りる。
 にゃあん――
 と黒猫は、何者かに訴えるような鳴き声を上げた。この場の人間たちに対するものではない。いうなれば草木や大気に宿る小精霊たちに対して、一段高いところから鷹揚おうように問いかけているような声色だった。
「どうしました?」
「にゃーん――
 ジュランが再び抱き上げると、黒猫は途端に甘えた態度になる。ごろごろと喉を鳴らしてただの子猫と変わらなかった。
「ふむ」
 とジュランはその頭をでてやりながら、それでもやはりなにやら尋常でない感じがして、しばらくそのままでいた。
 その直感が正しかったことはじきにわかった。
 突然、不気味な金切り声の悲鳴が静寂の遺跡を巡る一帯の夜気を震わせた。
「! バンシー!」
 ミロードはその声だけで正体をつかみ緊張を走らせた。ジュランも同じように推量した。“魔を狩る者”の彼らには聞き馴染なじみのある声だが、他の魔術師たちは違う。皆驚いて天幕の外へ出てきて、野営地は騒然とした。
「大丈夫。落ち着いて、おそらく昼間のバンシーの声よ」
「声は地下から聞こえたようですから」
 ミロードとジュランは枢機官を捕まえて、念のため全員の所在を確認して野営地を結界で守った方がいいと勧めた。
「言われなくても今点呼を始めておる」
 しかし野営地中探しても見つからない魔術師が三人いた。昼間“俗物”呼ばわりされていた例の魔術師とその取り巻きの二人である。
 そのことがわかったときには、もうミロードもジュランも装備を固めて出撃の支度を済ませていた。
「なんにしろバンシーは普通なら大人しい妖精よ。滅多なことで悲鳴を上げたりしないわ。遺跡の地下で何か起こったものと考えて動いた方がいいわね」
 枢機官もすでに腹をくくっているらしく、二人の出撃を許可した。
「転送の魔法陣を使うか? 遺跡の内部へつなげてある。因果律に影響はないとみなして構わん」
 ジュランが答えた。
「使わせていただきましょう。起動は私が。その代わり戦闘は任せましたよ、ミロード」
「はいはい、任されたわ」
 辰砂シンシャで描いた深紅の魔法陣の中心にジュランが立ち、ミロードは後ろに控えた。ジュランは魔法杖を両手の間に水平に渡してささげ持った。
 杖に魔力を込めると、魔法陣が応え、その力はたちまち何倍にも何十倍にも増幅される。
 ジュランは少しずつ自身の魔力を解放していく。そしてあるとき規定のエネルギーに達し、魔法陣の作用は増幅から変換に切り替わった。
 魔法陣が赤い閃光を放ち、周囲にいた魔術師たちは誰も目を開けていられなかった。まぶたを上げたときには、魔法陣の上にジュランとミロードの姿はなかった。

5

 バンシーの泣き声には死の気配がまとわりついているせいか、それにゴーストたちは呼び寄せられどんどん集まってくるようだった。
 地下迷宮中を大音声で反響する彼女の金切り声は、まともに耳を傾けてしまえば正気を失う。
「悪いけど泣き止んでもらうわよ!」
 ミロードは胸の前に抱いた宝珠オーブへ魔力を込めた。
 呪文を紡ぐと、練り上げられた霊力が無数の火矢に変じてバンシーに降り注ぐ。アァ――とバンシーの断末魔の悲鳴が尾を引いて虚空に消え、一息と置かず今度はゴーストの群れがミロードへ肉迫する。
 ミロードはさらに詠唱を続け、霊力をほどいて別の形に編み変えた。炎の力から逆位相の雷の力への変換はたやすい。
 紫電が舞い乱れ、雷撃ライトニングが八方を撃つ。
 ゴーストたちが蜘蛛の子を散らすように皆逃げ去ったのを確かめてから、ミロードは、ほっとめ息をついた。ジュランを探すと、部屋の隅の方でうずくまっていて、その辺りでくだんの魔術師三人組は失神して倒れていたらしかった。
「もしもし、大丈夫ですか? もしもし――
 とジュランが声をかけて肩をたたいたりしていると、やがて三人は目を覚まし、
「ひえっ」
「ひぃ」
「うぅっ――
 と、初めは急に眼前に現れたジュランとミロードの姿に驚いて多少混乱していたが、すぐに落ち着きを取り戻したようである。
「頭がご無事なようでなによりです」
 ジュランが言った。
「幸い皆さん気絶しておられたので、バンシーの声を聞かずに済んだのでしょう。もし気が狂っておられたら、無理やりにでも正気に戻して差し上げなければならないところでした」
「ジュラン、よしなさいよ。そりゃ迷惑をこうむったとはいえ、おじ様方をいじめるのは」
「私は別に、そんなつもりはないですが――
 三人組の一人が「助けてくれてありがとう」と小声でお礼を言って寄越した。“俗物”魔術師は見たところ忌々しそうな顔つきで、むっつりと口を結んだまま黙り込んでいる。
 あの――と、ふとジュランが物問いたそうな顔をした。
「あなた方が――たぶん、そちらのあなたが主導されたのだろうと思いますが――処罰を受けるのはむろんご承知の上でしょうね? こんな無茶をなさったのは、もしかするとこの場所に本当に何かがあるとわかっていた﹅﹅﹅﹅﹅﹅からですか?」
―――
「昼間そうおっしゃっていましたよね」
―――
「あなたはこの子のことも見抜いていましたし――
 ジュランは自分の肩にしがみついている黒猫をそっとでて言う。
「魔力に対して感受性の強い方なのだろうとは思っていました。この場所からも何かを感じ取っていらっしゃるのでは? 調査が中止されるかもしれないと、誰よりも焦っていらしたのは」
「知らん」
 と魔術師は言い捨てた。その後へ「ただ――」と苦虫をむように続けた。
「ただ、何かきつけられるような――誰かに呼ばれているような気がして落ち着かない。この部屋にいるのも気分が悪いが、離れたら離れたで無性に気になる。頭の中が呼び声でいっぱいになるようでどうにも仕方がないのだ――
「そのお年になって魔力の扱いに関しては子供同然でいらっしゃるのねぇ」
 とミロードが口を挟む。
「気を悪くなさらないで。今のはアカデミーへの悪口ですわ。こういう方をちゃんと導けないところにアカデミーの教育の問題があるのよ」
「この場所からはきっと、いえ間違いなく古代魔法に関わるものが発掘されますね。夜が明けたら探査の魔法を行ってみるように枢機官に提案してみましょう」
 とジュランは少し興奮気味で、早口だった。
「探査の――ってジュランあなた、簡単に言ってくれるじゃない。水脈や鉱脈を探すアレのこと? 一部の魔女や祭司シャーマンにしか伝わってないって聞くけど」
「私は一度も成功できた試しがないですが、こちらの方なら挑む価値があるかもしれません。上手くいけば、何重もの手続きを経てアカデミーから専用の工芸品を取り寄せるよりはるかに早いです」
「枢機官が許可をくれると思ってるの?」
「そこは、ええと、あなたの話術でなんとか」
 翌日――遺跡の最奥広間には発掘調査隊の魔術師が全員集まり、彼らに取り囲まれた中心にジュランと、強い魔力を持った魔術師の男が立っていた。
 ジュランは魔法杖を持って、先に付いている円板状の機械の目盛りや突起物をあれこれといじっている。弦楽器の調弦にも似たその作業を済ますと、杖を魔術師へ差し出した。
「さあどうぞ。意識を集中させてみてください。あなたを呼ぶ声のを探しましょう――
 二人は長い時間をかけて繰り返し魔法を行いながら、地面に白亜で印を付け、線を引いて、図形を描いていった。
 そしてそれを元に、この国の選り抜きの頭脳である皆があれこれと頭をひねって考えた結果、四方の空中階段の一つを上った先、壁面のある一点にたどり着いた。そこは、暦によれば冬至の夜に凶星の方角となる位置だった。
 遺跡の上層で工事をしている兵士が呼ばれ、壁が剥がされると、古いひつぎが見つかった。中に納められていたのは相当に古い時代のものと思われる遺体だった。
 死蝋しろう化してほとんど完全な状態で発見されたそれは、副葬品から生前は魔術師であったと見られ、自らこの遺跡を守るため結界の一部になったのではないか――と、そのような見解を述べる者もいた。
「まあ詳しいことは今後の研究次第でしょう。でも想像以上の発見ですよ――素晴らしいです」
 気味悪がって近寄らない者も多い中、ジュランはそんなことを気にも留めず熱心にひつぎにかじりついて、いつになく快活だった。
「正直なところ私も予想していませんでした。ここまでのものが見つかるとは。あの片手の先だけでもいったいどれほどの魔力を秘めているものか――
 とミロードや枢機官に向かって熱弁をふるう。
 ミロードが、隣に立っている枢機官に、
「こうなったら彼、止まりませんわよ。いっそ今回の発見物のついでにアカデミーで引き取っていただけません?」
 と、冗談だか本気なのだかわからないことを言い、枢機官に悩ましい顔をさせた。

(了)