『キメラの啼く夜』後日談

 ジョシュアは平時眠りが浅いらしい。
 とティティスが気付いたのは、彼女が傭兵団に入団してまもなくのことだった。なにせ急なことだったので、傭兵団の建物内にティティスの居場所を用意するのもままならず、とりあえずのところそれまで通りジョシュアの部屋に半ば押しかける形で置いてもらっていた。
 ある晩、ベッドで眠っていたジョシュアがひどくうなされているうめき声でティティスは目を覚ました。
――ジョシュア?」
 わらの寝床を抜け出してジョシュアの枕元へ近寄ってみた。
 ジョシュアは額までびっしょり汗をかいて苦しそうにうわ言をつぶやいている。何と言っているのかまではわからなかった。
「ジョシュア、大丈夫?」
 見かねてティティスが揺り起こすと、
「あああっ!!
 とジョシュアは鋭い叫び声とともに両目を大きく見開いて目覚めた。あえぐように息を吸いながらティティスの顔を見上げる。
 ティティスは反射的にジョシュアの肩に置いた手を離してしまっていた。
「だ、大丈夫?」
「ごめん――君まで起こしたみたいで。なんでもないんだ」
(どう見てもなんでもなくはないじゃない)
 とティティスは内心思った。ジョシュアにはどこかそれ以上踏み込めない雰囲気があって口には出せなかった。
 ジョシュアは再び寝付こうとしたようである。だが気分が悪いのか一旦よろよろと部屋を出て行った。
(ジョシュアにはあたしの知らない事情がいろいろあるみたい)
 ティティスは寝床で毛布にくるまり直しまどろんだ。先日ジョシュアと二人でサンドストームへ出かけたとき、ジョシュアは傭兵団に残ろうと決心したティティスへ、
「だけどティティス、つらいこともきっとあるよ」
 と言った。ジョシュアにもつらいことがあるのかしらという思いが遠くなっていく意識の端に引っかかっていた。
 昼間、ティティスはそのことを思い出してついハヅキにこぼした。
「へえ、ジョシュアがねぇ」
「うん。何か悩みでもあるのかしらと思って」
「うーん、ジョシュアってちょっと普通と違うところがあるらしいとは聞いたことあるけどさ。そのせいかな? でもオレもまだどう違うのか見たことないんだ」
 ハヅキは真剣に首をひねっている。彼女の裏表のないまっすぐな目つきや言葉は好ましい。
 ティティスが傭兵団に入って以来、ハヅキはもちろん、ミロードやバルドウィンも親切にしてくれている。ガレスは厳しくて煩わしく思うこともあるが、それだけ心配してくれているらしい。
 ただアルシルだけはよくわからない。
 部屋の入り口のドアが静かに開いて、そのアルシルが入ってきたのが見えた。
(げっ)
 ティティスは顔に出さないようにしたつもりだが、苦手意識で少々変な顔になっていたかもしれない。
 アルシルはティティスたちの方へ歩み寄ってきた。
「ハヅキ、マールハルトが呼んでるわ」
「あ、うん。ありがとうアルシル。ティティス、じゃあね」
 ハヅキが席を立ち出て行って、ティティスとアルシル二人きりになった。ティティスは落ち着かない。アルシルときたら、表情を見てもほとんど変化がないし、おまけに口数も少ないのだ。やりにくいことこの上ない。
(あたし嫌われてるのかしら。それとも誰にでもこうなのかな)
 性に合わない沈黙にティティスが嫌気を感じ始めた頃、向かいの長椅子に座っているアルシルが突然声を掛けてきた。
「ジョシュアの話をしてたみたいね」
――聞いてたの?」
「ドアの外でも聞こえたわ。あなた声が大きいから」
 アルシルの刺すような言い方にティティスは思わず血を上らせた。
「あなたジョシュアが好きなの」
「え? べ、別にそういう風には思ってないけど」
「なら早く自立すべきだわ。人間の女性なら好きでもない男性の部屋に寝泊まりしたりしないわよ。それにジョシュアの私事は尊重してあげるべきではないかしら」
 必要なこと以外何も言わない。といった調子である。ティティスは辟易へきえきしつつ、くじけず答えた。
「わかってるわ。にしても最後の言い方、あなたジョシュアのその私事っていうのが何か知ってるの?」
「少しね」
「少しって?」
「深い事情は知らないけれど、ジョシュアが他人とどう違うのかは知っているという意味よ」
「あなたは見たことがあるの、アルシル」
「聞きたい?」
 とアルシルはティティスをまっすぐ見つめた。閉ざされた双眸そうぼうから不思議とはっきりした視線を感じる。ティティスはその強さにたじろいだ。
「聞きたいの? 私の口から」
―――
「あなたが望むなら教えてあげるわよ」
「待って!」
 大声を上げてアルシルの言葉を遮った。
 アルシルは、待ってくれているようだった。じっと口をつぐんだままティティスを見つめ続けている。
 ティティスは子供の弁解のように細い声で返答した。
「やっぱりいい。言わないで。そりゃ気にならないと言ったら嘘だけど、ジョシュアが自分から話そうとしないことだもの。あなたから聞くのはずるいと思うわ。自分の目で見るか、ジョシュアが話してくれるまで知らない方がいい」
――そう」
 ふっ、とアルシルの視線が和らぐ。それどころかかすかに微笑んだようにさえティティスには思えた。
「アルシル、今あなた笑ったの?」
 と聞いたら、すぐ元の硬い表情に戻ってしまったが。さらには席を立ち、
「あなたの思う通りにするといいわ。それよりちょっといいかしら? あなたに見てほしいものがあるの」
 アルシルはティティスを促して、傭兵団の宿舎にしている建物へ向かった。
 端の方にある小部屋の鍵を開け中へ案内する。室内は長らく使われていなかったのか古びている。それでも最近掃除されたらしく片付いており、ほこりの落ちている様子もない。
「ティティス、あなたこの部屋を自室として使う気はない?」
「えっ、あたしの部屋?」
「小さいけど日当たりはいいわ」
 アルシルは窓際へ歩み寄り、鎧戸を開けて陽光を室内へ取り込んだ。
「とりあえずは掃除だけしか済んでいないの。ベッドや家具は必要な物を街で買うか職人を呼んで――
「あの、もしかしてあなたがこの部屋を用意してくれたの?」
 そうだとアルシルがうなずく。ティティスは驚き、そしてそれ以上に嬉しそうに顔を輝かせた。
「うわぁほんとに? ありがとう!」
 アルシルの表情がまた柔らかくなった。照れているのかもしれない。
「ねえアルシル、あなたってちょっと怖いなと思ってたけど、全然そんなことないのね」
「私は別に怖がらせてたつもりはないわよ」
「だっていつも目を閉じてて表情がわかりにくいし――でも心まで閉ざしてるわけじゃないってわかって安心したわ。笑ってるととっても素敵よ」
 アルシルは急にうろたえたように視線を泳がせ、結局窓の外を眺めた。
「ティティスあなたみたいなひとは、この傭兵団には初めてだわ。きっと新しい風を吹き込んでくれることでしょうね。ジョシュアももしかするとあなたになら――
 と彼女にしては冗長なことをつぶやいたが、どうやら褒められているらしい。とわかってティティスも、
「期待に応えられるようにがんばるわ」
 と満面の笑みで胸を張った。

(了)