眠れる美女の見る夢

「これは王子、また一段と重くおなりになった」
 エステロミア王とその王妃の間に第一子が――つまりエステロミア傭兵団長にとっては初めての甥が生まれてから半年ばかりが過ぎようとしていた。
 晴れた日の午後、王城の宮殿の中庭でのことである。傭兵団長はまだまだ赤子赤子している甥を抱き上げ、こんなときにはさすがのこの男も顔がほころぶのだった。マントの襟をしゃぶられてよだれまみれにされても許していた。
「元気のよいことで大変結構。この先たとえ何が起ころうとも、我々エステロミア傭兵団が必ず守りましょう。だから王子も安心して、すくすくお育ちになるのがいい」
「そうやっていつも同じことをおっしゃるのだもの」
 と、かたわらでくすくす笑っているのは王子の母たる王妃である。傭兵団長から見れば兄嫁に当たる婦人であった。
 傭兵団長は王子を丁重に王妃の腕の中へ返し、
「王妃陛下も産後大過なく過ごされているようでなにより――
 と王妃をいたわる言葉をかけようとしたが、その王妃はなぜかにこにこ笑ってこちらを見上げているばかりで返事をしない。
「王妃陛下」
―――
「陛下」
―――
――義姉上あねうえ
「ふふ、ありがとう。優しい言葉をかけてくださって嬉しいわ」
 敵いませんなと、傭兵団長は苦笑いするしかない。
「そんなことおっしゃらないで。家族じゃありませんか。ここへだって、お城への用事のついでと言わず、気兼ねなくいつでも好きなときに遊びにいらしてくださいな」
「もちろん、義姉上あねうえがそうおっしゃるのなら」
 と傭兵団長は答えたものの、彼らの側近くには常に王子の乳母だの、侍女だの護衛の武官だのが控えており、なかなか家族水入らずでの団欒だんらんというわけにもいかないのであった。
「乳母や」
 と、あるときふと王妃が乳母を呼んだ。抱いているうちに王子が眠たげになってきたので、
おねむ﹅﹅﹅だわ。お床の支度をして頂戴。支度ができたら呼びに来て」
 と乳母に頼んだ。そうして乳母がその場を離れると、間近にいるのは侍女一人になった。武官たちは話し声がはっきりと届かない程度には離れている。
「この侍女は私の輿こし入れに一緒について来てくれた、気心の知れた娘です。安心なさって」
 と、王妃は傭兵団長に言うのだった。傭兵団長は、急にそんなことを言われたので首をかしげている。
「? 左様で」
「あのお話は、その後どうなりました?」
「あの話というと」
「あのお話ですよ、ほら」
 と、王妃はなにやら目を輝かせて身を乗り出してくる。傭兵団長には何のことやら、ますますわからない。
「ですから、あなたが恋している婦人のことです。どうなんです? 何か素敵なことは起こって?」
「ああなんだ、その話――
「なんだじゃありません。王家の子息たるもの結婚は大切なことです。一大事ですわよ」
「いや、まあ、そうかもしれないが――つまりなんというか、この間もうっかり口が滑――いえお話したとおり、全然全くそんなような段階のお話ではないというか。実のところ身分違いの相手なもので」
「体裁なんてどうとでもなるじゃありませんか。家名がと周りから文句が出るのなら、相手の方を一旦どこかの養女にしてもらってもいいのですし。あなたほどの方がそんなことにも気がつかないとは思えません。それより、お互いの気持ちが問題です」
「それこそ我々の結婚には無縁のものでは?」
 お互いの気持ちが、ということである。
「あ、いや、義姉上あねうえが陛下と――その、兄上と、非常に仲むつまじい夫婦でいらっしゃるのは承知していますがね」
「たとえ家のための政略結婚であっても、夫と妻とがお互いを思いやる心は必要だと思いますの――だって嫌な相手と毎晩あんなことできません」
「毎晩なさっているんですか――いや失礼」
 これは次の王子か王女が生まれるのも時間の問題かもしれぬ。とは傭兵団長が内心でだけ思ったことである。
「とにかく――
「ああほら義姉上あねうえ、乳母殿が戻って来られましたよ。ではこの件はくれぐれもご内密に」
 と、傭兵団長は義姉がまだ何か言いかけているのを封じると、その腕の中の可愛い甥も天使の寝顔でお昼寝の時間のようであるから、自分もさっさとこの場を退散することにしたのであった。


「嫁いで来たときはまったく少女そのものであったのに、たくましくおなりになったことよ。あの分なら宮廷でなんやかんやとまれてもまず心配あるまい」
 と傭兵団長は、護衛として登城に付き添ってくれたアイギールと一緒に馬車庫に向かう道々ぼやいていた。
「王妃陛下の話?」
「私が陛下﹅﹅と呼ぶと返事をしないんだ、あの義姉あねは」
「あなただって殿下﹅﹅と呼ばれても答えないのだから、似た者同士ね」
―――
「人をって馬車を車寄せまで呼べばよかったのに。あなたがわざわざ行くようなところじゃないわよ」
「それは無理だ。なぜなら馭者ぎょしゃがいない。今仕事を投げ出して城下へ遊びに行ってしまっている」
「なんですって?」
「いくばくか小遣いを渡して、しばらく羽を伸ばしてくるように言っておいたからな。九時課の鐘より早くは帰ってこないぞ」
―――
 そういうことかと、アイギールはようやく気づいた様子だった。傭兵団長は笑っている。
「君のそういう、案外にぶいところは私は嫌いじゃない」
「私は職務に忠実なのよ、あなたの馭者ぎょしゃと違って」
「そのことについては、それはもうよくよく知っているとも」
 馬車庫には人気ひとけがなく、本当に馭者ぎょしゃは仕事をサボってどこかに行ってしまったらしい。馬車に馬すらつながれていなかった。
 傭兵団長は重いマントを脱いで抱えながら言った。
「あんな若者でも町に懸想している娼婦の一人くらいはいるものさ。昼間のうちなら、あのくらい渡しておけば夕方までは一緒にいられるだろうよ」
 一両だけ停められている馬車の戸を開けて、まず自分が乗り込み、それからアイギールに手を貸して中に引きずり込んだ。
 内鍵が下ろされ、しばし二人は無言だった。口から漏れるのはキスを貪る合間の吐息くらいのものだった。
「っ――――さて、さすがに狭いが、ま、その分君を放さずにいよう」
 と、傭兵団長はアイギールの顔の仮面に無造作に手をかけ、それを足元へ放り落とした。
「私が上になっていると窮屈な上に重たいだろう」
 とアイギールを腹の上に抱いて、自分は硬い座席に背中を預けた。アイギールはされるがままになりながらも、それだけではくやしいようでもあり、
「紳士ね」
 と挑発するように、自ら体を押しつけた。
 二人の脚と脚が絡んで、傭兵団長は下から片膝を軽く立て、膝頭でアイギールの脚の間に割って入った。そこを、トン、と突き上げてやる。
「っ――!」
「前言を撤回しても構わないぞ」
「そうしようかしら。――っ。――
「君も――淑女でなくてもいい――
 アイギールが片脚を使って脚の間に入れられた膝を絡め取るようにし、もう片方の脚を軸にして自分から陰部をこすりつけてくると傭兵団長もたまらずうめいた。その口をアイギールはキスで塞いだ。
―――
―――
 ひとしきり貪り合う。アイギールは離れようとしたが、彼女の黒髪をでていた傭兵団長の手ににわかに力がこもりそれを許さなかった。
「んん――――っ、ぁ、――!」
――すまん。アイギール、だが――
 と合間にささやきながらも傭兵団長は貪るのをめない。キスは次第に唇から下へ降りて行こうとする。フードの付いた盗賊の装束の留め金を外して喉や胸元の方まで。
 アイギールはそんなことでさえ体の芯がズキンと熱を帯びてくるようで、それは今自分を抱いている男に貫かれる以外どこへもやり場がないこともわかっていて、切なかった。


「毎度思うが七面倒くさい服だ――
 起き上がってアイギールの装束を脱がせようと骨を折りながら、傭兵団長はぼやいた。
「武器を隠すために簡単に脱げないように作ってあるのよ。脱がせ方と着せ方を知ってるのはあなたの他にいないわよ」
 とアイギールは言う。
自惚うぬぼれるぞ」
自惚うぬぼれてもいいわよ――その金具は手前に引いて」
「む」
 こうか――と、傭兵団長はやっとアイギールの服の前をくつろげることができ、ため息をついた。
「ようやくありつけた」
 アイギールにむこうを向かせ、背中の方から抱きかかえると、その手がすぐ胸元に伸びる。衣服からこぼれている乳房をすくってその先を指で転がす。そこはすぐに硬くとがってきた。
 アイギールはけ反って、頭を傭兵団長の胸に預けた。
「あ――
 キスが降ってくる。
「君は声を我慢するんだろうが――念のため――
 乳房をもてあそんでいた手はいつの間にか下腹部の辺りまで下がっていた。そしてためらいなく脚の間に滑り込む。布の上から窪みに沿ってなぞられるだけでもこの上なく官能的だった。衣服の中まで指先がもぐって、れているそこを触られるのはたまらなく親密な行為だった。
―――
――そんなに膝をきつく閉じられるとやりにくい」
 と傭兵団長はアイギールの片足を床に下ろさせ、改めて女陰に指を滑らせる。そこがれているのを確かめるのは気分がよかったし、少し上にある小さな突起物に愛液をなすりつけるとアイギールが動揺して身をよじるのも自尊心がくすぐられた。
「やっぱり、ここは狭すぎるわ――
 と、ふいにアイギールがそんなことを言った。
「っ、何も反撃できないのがくやしいってことよ――――っ!」
「静かにな」
 傭兵団長は開きかけたアイギールの口をキスで押さえてから、
――私だって君の手並みを拝見したいが――君を毎晩寝台に引きずり込めたらいいんだがな」
 と、唇を離すのもそこそこに、触れるか触れないかのところでささやいた。
「あなたの寝室に忍び込めってことかしら」
「そういう意味じゃない」
 そりゃ君には造作もないことだろうが――と傭兵団長は肩を揺らして笑っていた。


 一糸まとわぬ姿になったアイギールは、座席に座って大人しく待っていた傭兵団長の体をまたいで上になった。
「ま、そう急かなくてもまだ時間はある」
 傭兵団長は、身を乗り出そうとしてくるアイギールをやんわりと押し返した。いつの間にやらこっちも衣服はとっ散らかって、着ているような着ていないような格好になっている。
 アイギールは、押し返されても負けずに彼の首の後ろへ両腕を回しながら、
「乾くわよ」
 と言う。
「生々しいことを言うな」
「今その気になってるんだから今にしなさいよ」
「私は時間をかけて楽しむ方が好みなんだが」
 とは言いつつも、ねだられて悪い気がするものでもない。反り返っている陽物の根元を自ら持って、その先をアイギールの脚の間に押し当てた。
「早く――
 陰唇の谷間をなぞってらしていたら、アイギールに急かされ、
「わかったわかった。お望みどおり――
 とようやく腰を突き上げた。途中まで入ると、後はアイギールが自分から腰を落として深くつながった。
 はぁ――と、アイギールがやっと充足のため息を漏らして、その息が傭兵団長の耳元にかかる。私も同じ気持ちだと、傭兵団長は言おうとしたが、それを制してアイギールが動き始めていた。
「アイギール――
 と呼ぶと、むこうもこちらの名前を呼んでくれたのが嬉しかった。
「アイ――
 何度目かに呼びかけたとき、その口をキスで塞がれた。
――静かにと言ったのはあなたの方じゃないの」
「すまん、つい――夢中でな――
 だからくなと言ったんだとかなんとか、胡乱うろんな言い訳もアイギールに吐息とともに飲み込まれた。
 身一つ、背中が二つある生き物になったように、二人はお互い貪り合って離れなかった。
―――
 傭兵団長はアイギールの背中に回した腕を強く引き寄せながら、次第に切迫してきた様子で、男根の先が突き当たるところまで入っては引く動きを繰り返した。
―――
 アイギールにとっては目がくらむようなひとときだった。抜き差しされるたび、火照ほてった下腹の奥まで揺さぶられるような言いようもない性感に襲われる。もうどうなってもいいどうにでもして――と正気を失って叫んでしまいそうになるほど。
――っ、おい大丈夫か? アイギール」
 と傭兵団長が様子を心配して動きを止めるのさえもどかしい。
「あ――違うの、もっと。――
―――
 好きな女に「もっと」とねだられて、名前を呼んで首根にかじりつかれて、拒むはずもない。
 傭兵団長が再び腰を突き上げて動き出すと、アイギールは先にも増してそれに翻弄されるのだった。
「アイギール」
―――
「アイギール私には、君だけだ――
―――
―――

   * * *

義姉あねがな」
 傭兵団長は自分の身支度を済ませて、アイギールの難しい装束の方を手伝いながら言う。
「私と君――もちろん君の名前や素性までは知らないんだが――のことを嗅ぎつけていて、結婚はまだかいつだとうるさいんだ」
「え?」
 アイギールはぎょっとして、背中の金具を留めてくれている傭兵団長の方を振り返った。
「結婚って――結婚、ねぇ――
義姉あねは十六で陛下に嫁いだ。なんじは結婚せよ、と教えられて育ってそれを忠実に守ってるのさ。悪気はない」
「あなただって同じ教育を受けたんじゃないの」
「まあな。ただし私の場合現実はもう少し灰色だ――たとえば――近頃王子の乳母が私のことを快く思っていない」
――あなたの王位継承順位が繰り下がっても、なお心配だというわけね?」
「そういうことだ。私が王子の地位をおびやかしはしないかといらぬ心配をしているんだな。あるいは、私に子ができればその子が。そしてそんなようなことを考えるばかりでなく利用までしようという輩が、たたけば他にいくらでも出てくるだろう。宮廷というのは嫌なところだ」
「なるほどね」
 と、うなずいてから、アイギールはふと何か思い当たったらしい。
「あなたがさっき、寝室がどうとか言ってたの、あれは――
―――
 傭兵団長は、
「公に寝台を狭くしたいじゃないか。だいたい元が広すぎる。こういう場所で人目を忍ぶのも情緒があってたまにはいいと思うが、腰と尻は痛くなるしな」
 と照れ隠しだかなんだかわからないことを言った。
「傭兵団に帰ってからバルドウィンに貼り薬でももらったら」
「神聖な行為で負傷したのだから神聖魔法が効いてもいいのに」
「ばかね」
 ばかね――と言いながらも、アイギールの声は優しかった。
「まあ、そうね、夢物語としては悪い気はしないわよ。でも目が覚めたら忘れるわ」
「そうか――忘れるか」
 アイギールは装束を身に着け終えると、最後に顔を覆う仮面を着けるために、はじめに傭兵団長がそれを投げ落とした辺りを探した。
 見つけた――と同時に、横から傭兵団長の手が伸びて、アイギールのそれを制して仮面を拾い上げる。
「返して」
「これを着けたら君は目を覚ます﹅﹅﹅﹅﹅というわけだ」
 傭兵団長はアイギールを側近くに呼び寄せ、
「眠れる美女に目覚めのキスを与える栄誉に預かっても?」
 と冗談らしくわざと仰々しい物言いをする。アイギールは返事の代わりに、少し伸び上がって自分から唇を唇にそっと押し当てた。傭兵団長が「あ」という顔をしているうちに離れた。
――いつもそうだ。私がとお言って、君は仕草一つでそれを完璧に打ち負かす」
 傭兵団長は、観念してアイギールの目元に仮面をかぶせてやり、頭の後ろに両手を回して細い金具を手ずから留めてやった。
「悪くない寝覚めだわ」
 と、アイギールが仮面の奥で整った形の目元を細める。傭兵団長も目を細くし、未練が残る様子ながらも、アイギールの黒い髪の中に入れていた手を下ろした。
「何か言いたそうね?」
「なあ、暁の夢というのは――ほら、つまり、なんというか案外と忘れがたいものじゃないか?」
「あきらめが悪いわよ。――
 アイギールは夢の名残りのように我知らず傭兵団長の名前を呼んだ。呼んでから、あら、つい――と顔をしかめる。遠くで、教会の九時課の鐘が鳴っていた。

(了)