田園の昼下がり
「さあさあ、みなさん自分の席に着きましょう」
とシャロットは慣れた調子で、孤児たちに号令をかけて食卓に着かせ、幼い子には前掛けを掛けてやり、じっとしていられない子は巧みに諭して座らせ、皆が落ち着くのを待ってから自分も席に着いた。
隣の席にはバルドウィンが、そしてそのまた隣には傭兵団長が着席しており、そのさらに向かいにはこの屋敷の主人でさる資産家の老紳士が座っていて、シャロットの手並みにいたく感心していた。
「王国傭兵団の勇猛果敢の噂は聞き及んでいましたが、このように心優しいご婦人も席を置いていらっしゃるとは、正直なところ意外でしたな」
傭兵団長がそれに答えて言うには、
「我々の元へは日々実にさまざまな事件が持ち込まれるのですよ。魔物退治ばかりでなく、物資の輸送や集落でのちょっとした困り事まで、まあ来るものは拒まずということでして。武張った者ばかりでは務まらぬこともあるわけです」
と。
シャロットがバルドウィンの脇をつついて、
「お師匠様、お祈りを」
と促したが、バルドウィンはにこにこしているばかりで「ついでじゃ、お前がやりなさい」などとのたまう。仕方なく、シャロットはそうすることにした。
「んもぅ――ではみなさん、私の後に続いてください。天にまします父なる御方よ――」
――丁寧な祈祷が済んだのち、皆めいめいに食べ始めた。パンとスープだけの質素な食事だった。それでもスープからは、おそらく山鳥を煮込んだと思しき滋味が感じられる。
「殿下――いえ団長殿のお口には合いませんでしょう」
と、屋敷の主人が恐縮して言う。
「美味ですよ。私の日頃の暮らしをご覧になったら驚かれるに違いない。王侯貴族とはあまりにかけ離れていてね。以前地下遺跡の調査任務に就いていた頃は、ついには魔物の肉を食らうかというところまで追い詰められたこともあります」
「おお、それはさぞ――」
「煮込まれているのは
「ええ――私が仕留めました。近隣の農家では家畜のほとんどが魔物に襲われてしまいましてね」
「野山もまだ危険が多いことでしょう。魔王が封じられて人里近くに現れる魔物も減ってきたとはいえ」
しかし危険を冒してでも食料を手に入れねばならない状況なのだろうということは、子供たちの旺盛な食欲を見れば容易に想像がついた。おかわりの取り合いにならないようにとシャロットがずいぶん骨を折っている。
「魔物が現れるようになる以前は――自分がこうして孤児を引き取って養育するようになるとは夢にも思わなかったのですよ。自分で言うのもなんですが、私はあまり評判のよい金持ちではなかったもので。悪い商売や金貸しをやっておりました」
と、屋敷の主人は打ち明けてくれた。
「ある晩、町がワイバーンの群れに襲われて一夜にして多くが失われました。私は命からがらで生き残りましたが――夜が明けて建物も人もめちゃくちゃになった町の中を歩いていると――途中で足に力が入らなくなって、座り込んだのは覚えておりますよ」
「――我々の力が及ばず本当に申し訳ない」
「ああ、団長殿に頭を下げられては、これはあまりに恐れ多い――まあそういうことがあって、それを機に何かが変わったのでしょう。以来、親が魔物に襲われて行くところのない孤児と聞いてはここへ引き取って世話をしているのです」
「大変立派な心がけです。ですが――やはり何かと手が足りないことも多いでしょう」
「
「ほう」
「ご奇特なことですな」
と脇からバルドウィンが口を挟んだ。
「今は教会の方でも人も物も足りませんのでな、
「孤児院を建てるとなれば人を雇い入れることになるわけですがね――それを監督できるような、こういった仕事に通じた人を紹介していただけないものかと。それに食料や日用の物も安定して買い付けることができなければ。王都の商人に便宜をはかっていただきたい」
「これははっきりと物を
ははは、とバルドウィンは冗談らしく笑いながらやり返した。
傭兵団長は、隣席に口達者なバルドウィンが座っていてくれたことを内心ありがたく思いつつ、
「――ま、一応陛下の紋章を預かる身としては今すぐに踏み込んだ返答はできかねますが、あなたの御志が変わらぬ限りは善処いたしましょうとだけお答えしておきますよ」
と返答するにとどめ、あとはせっせと
アイギールは一人屋敷の外にいて、傭兵団長や仲間が孤児たちの慰問を終えて出てくるのを待っていた。
「アイギール」
と呼ばれたので、振り返ると、しかし屋敷から出てきたのは傭兵団長一人きりである。
「あら、もう済んだの? バルドウィンとシャロットは?」
「あの二人は子供たちの世話についてこまごましたことを主人と話し合ってる。私はちょっとこの辺りを一回り見て歩きたい。孤児院を建てるんだそうだ。君に護衛を頼んでも――?」
「まあ、そういう仕事なら私の領分でしょうね」
傭兵団長は重いマントを羽織り、指輪をいくつもはめている右手で礼装用のステッキを突いて歩きだした。アイギールはその斜め後ろに付き従った。
「君も中に入って子供と遊べばよかったのに。昼飯まで出してくれたぞ」
と傭兵団長が言う。
「まさか食べたの? あなたも不用心ね」
「皆同じ鍋から取り分けたし、席も決まっていなかったからな。子供たちのことを思えば貧相な食事だったが――周りの農家がこの様子ではどうにもならんか」
と、立ち止まって周囲の景色を見やる。本来なら遠くまで麦畑や菜園が広がり、家畜が放されているだろう田園の風景も、先の黒王の変ですっかり荒れ果てている。
働いている農夫の姿さえ見えないのは、おそらくは仕事を求めてもっと大きな町へ出稼ぎに行ってしまっているのだろう。悪くすれば流民となって国外に逃れてしまう可能性もある――
「――意外と子供好きなのね」
「意外とは心外な。子供は大事にしてやらねばならん。もしかしたら彼らの中には将来傭兵団に力を貸してくれようという者もいるかもしれないじゃないか。君は子供は嫌いかね?」
「別に子供嫌いではないけど、囲まれて騒がれるのは好きじゃないわ」
「そりゃ君がそんな格好をして出歩くから子供に物珍しがられるんだ」
と傭兵団長は、いつも仮面を着け暗殺用の武器だの毒物だのを隠し持って歩いているアイギールの格好をからかう。アイギールに言わせれば、それらは、
「身だしなみを整えずに外出するほど軽率じゃないのよ。あなたと違って」
ということではあるが。
「軽率か? 私は」
「なにかとね――」
「ふむ」
傭兵団長は、何か言えば皮肉めいた返事だの、
アイギールは、別にそれがつまらないというわけでもないが、
「何か悩んでいるの?」
と尋ねてみた。
「―――」
傭兵団長はちょっと驚いたような顔をして、肩越しにアイギールをの方を振り返った。が、またすぐに前を向いた。
「いや――なに――ここの主人が孤児院を建てたいと言うのは、嘘ではないだろうと私は思うが――それを陛下に進言するのはなかなかに難しいなと思っていたのさ。昔は悪どいことをしていたそうだし、実際に話をしてみてもその片鱗を感じる。物腰は丁寧だが、どうもこうもやり手だな」
「過去に
「というより、おそらくは陛下の取り巻きの貴族やら騎士やらの中にも高利の借金なぞした輩が一人二人はいて、そいつらがうるさかろうという心配をしているんだ私は」
妙な世の中になった――と傭兵団長はため息なぞ漏らしているのであった。
一方でアイギールは彼ほどには小難しく考えないらしい。
「あの国王陛下がそんな
傭兵団長はなんとも返事をしなかった。
アイギールも、別に聞き流されても構いはしないと思った。が――そう思って返事を待つのをよそうとした頃になって、ふと傭兵団長は口を開き、
「困らせるな――」
とだけ、実りなく
二人が近隣をぐるりと一周して帰ってくると、屋敷の門の前にみすぼらしい身なりの
「近頃は物乞いも増えたな」
と傭兵団長が右手の指輪を一つ外しながら
にわかに強い風が一帯へ吹きつけ、鋭い
「よしな。次はその綺麗な顔が真っ二つに裂けちまうぜ」
と、ふいに
「やあ同業のお嬢さん、武器を捨てな」
と言う。アイギールは短剣を放り捨てた。
「全部だ」
と
「目ざといわね」
「アイギール、言うことを聞いてやれ。私は君の顔が美しいままがいい」
と傭兵団長に促され、アイギールは小さく舌打ちをしてフードとブーツの中に隠し持っていた小剣や寸鉄も投げ捨てた。
傭兵団長はその視線を浴びながら、自らもこの
「――そっちの男は貴族らしいが、ここのジジイ相手に借金しに来たって様子じゃねえな」
と盗賊が言い、それに対して傭兵団長は、
「仲間がすでに屋敷に入り込んでいて、お前は外の見張り役と見える。ここの屋敷の主人に何か
と
「恨みなんか別にねえが――昔から業突く張りのジジイだったさ、どうせ汚え金を溜め込んでやがる。まあ、そうでなくてもこのご時世に金を持ってることが不幸だったのさ。お前もな」
と案外律儀に答え、それから傭兵団長に向かって金目の物だけ置いていけと言う。
「金銀と――そうだな、その上等なマントもだ。脱いでこっちへ投げな。お嬢さんは後ろへ下がってもらおうか」
「いっそ私を誘拐して身代金をせしめた方がいい金になるぞ。こう見えても私の家はこの国で一番由緒正しくて立派なんだが」
「お前みてえなのを連れて行けるか。足手まといになるだけだ。金目の物だけ寄越せばいいんだ。おい女は下がれと言っただろう」
「なるほど」
傭兵団長は了解してうなずき、いまだ自分を
「顔に傷をつけるなよ」
と、右手で突いていたステッキをおもむろに彼女へ差し出す。蛇を
それに気づいた盗賊が再び風の呪文を唱えるのより、今度はアイギールが彼に肉迫する動きの方が速かった。
「――あなたにしては用意がいいのね」
アイギールが地面からステッキの先を拾い上げ、仕込みの小剣をその中にパチリと収めてから、それを傭兵団長に返した。傭兵団長は肩をすくめて言い返す。
「君の
「屋敷の中にまで賊が入り込んだようだけど、大丈夫かしら」
とアイギールは中に残っている僧侶たちや子供たちを心配しているらしく、仮面の奥の涼しく整った目元をしかめている。
「大それたことは起こせそうにない小悪党どものようだから、さして心配ないとは思うが――容易にバルドウィンに捕まってくどくどお説教されている光景がありありと」
と傭兵団長が言いかけたそのとき、まさにバルドウィンが盗賊一味を大喝する声が外まで漏れ聞こえてきた。
「――ほらな」
「そのようね。だけど、それでも助けに行った方がいいわ」
「妙な世の中になったものだ、まったく、実に」
と、傭兵団長はさっきもつぶやいたことをもう一度繰り返す。しみじみと。そうしてから、屋敷の方へ急ぐアイギールの後を追って自らも足を速めるのだった。
(了)