月と炎

 満月にはいささか足りなかったが、月の明るい晩だった。
 地下遺跡探索のためのエステロミア傭兵団の野営地では、火を絶やさないようにと交替で夜番をしていて、今夜はリビウスがその当番だった。
 他の皆は寝てしまったようで、傭兵たちの寝起きする天幕はどれも静かだった。月はすでに南中を過ぎていた。耳に入るものといえば野営地を囲む夜の森のざわめきの他は、ときおりき火のはじける音がするくらい。炎の揺らめきはリビウスの眠気を誘う。
―――
 リビウスは眠気をまぎらわすために聖典の一節を暗唱しながら、き木を一つ火にくべた。
 と――
 そのときふいに、傭兵たちの天幕の方で何者かの気配を感じ、リビウスは口をつぐんだ。
(誰か起き出してきたのか? こんな真夜中に)
 まさか、こんなところにわざわざ忍び込もうという賊もあるまいが――とは考えつつも、剣帯に手をかけ、腰を上げる。
 気配のする方へ近づいていくにつれ、なにやら――ちゃぷ、ちゃぷ――という水音が聞こえてきた。
「誰だ? こんなところで何をしている?」
 と、リビウスがひょいと天幕の裏手をのぞくと、
「きゃっ」
 と悲鳴が上がる。控えめなその声で、リビウスはすぐに誰だかわかった。
「シャロット――
 と名前を呼びながら見れば、彼女は水を張ったたらいの上にうずくまり、髪を洗っていたらしい。それを見られたシャロットは、慌てて、れた髪の上にリネンをかぶった。しかし、相手がリビウスだとわかると、ほっとしたようにリネンを下ろした。
「リビウス様――ごめんなさい、できるだけ音を立てないように気をつけていたつもりだったんですけれど」
「いつもこんな夜中に髪を洗ってるのか?」
「皆さんにお見せするようなことでもありませんから――
 とシャロットが言うのは、尼僧らしく自己を律する心ゆえにらしい。とはいえこんな野営地でまでそれを守ろうとするとは、見上げたものだとリビウスは思った。
「君は真面目だな――済んだらこちらに来て火にあたるといい。れたままでは風邪をひくぞ」
 リビウスはき火の前へ戻ると、まきをさらにくべて、シャロットのために火を大きくしておいた。
 やがて、シャロットが頭にリネンを巻きつけてやって来た。火の近くに転がした丸太に腰掛けているリビウスを見つけ、多少気恥ずかしそうにしながらもその隣に座った。
 リネンを背中へ落とすと、しっとりれた亜麻色の髪があらわになり、その一筋一筋が青白い月光と炎の明かりとに照らされて不思議な色に染まった。
―――
 シャロットはき火の方へ少し身を乗り出し、髪にくしを入れながら髪を乾かし始めた。
 リビウスは、隣でその様子をじっと眺めていたが、
「あ、あの――ええと、リビウス様、あまりそうやって見られるのはさすがに恥ずかしいです――
 とシャロットに言われてしまい、
――そうか」
 と、リビウスはシャロットに背を向けて座り直した。
(い、いえ、リビウス様なにもそこまで)
 リビウスにはさっき「君は真面目だ」と言われたが、そう言うリビウスの方がよほどそう﹅﹅だとシャロットは思う。
 シャロットに背を向けている間、リビウスはぶつぶつと何か独り言をつぶやいているようだった。シャロットがそれをよくよく聞いてみると、どうやら聖典の一節を暗唱しているらしい。だがシャロットがそのことに気がついたあたりで、リビウスは急に黙り込んでしまった。
――リビウス様、すみません、もう済みました」
 髪が乾くと、シャロットは元のようにリネンで頭を覆って、リビウスを呼んだ。
 こちらを向いたリビウスは、なぜだか不機嫌そうな顔をしていた。
「そうか」
「な、何か怒っていらっしゃいます? 私がさっき――
「いや。ただ、今夜君が髪をあらわにしているのを見て、なんだか私ばかり得をしたような、浮かれたような気分になってしまっていた。そのことに気がついて、今は恥じているんだ」
 と言うリビウスの調子はどこまでも生真面目であった。
 シャロットは何とも答えられず、ただわずかに頬を染めたが、それも月とき火の明かりの下では隠されてしまうようなことだった。

(了)