父の威厳

 今日も傭兵団でのきつい任務を終え帰宅したジョシュアは、安楽椅子に深く身を沈め、膝に乗せた息子をあやしてやっていた。
 先頃五歳になった息子は、まだあどけないながらジョシュアをそのままミニチュアにしたような面差しである。言葉だけはもうすっかり一人前の口を利く。
「ねえおとうさん」
「うん?」
「あのね、ぼくもう夜ひとりで寝られるんだ」
「そうだね、ちゃんと自分の部屋で寝てるんだもの。まだ五歳なのに立派だよ、偉いね」
 とジョシュアが優しく抱きかかえてやると、息子はくすぐったそうに赤らんだほっぺの上で両目を細めた。
「ぼくはひとりで寝るんだよ」
 息子はもう一度繰り返してからさらに言った。
「おとうさんは大人なのにどうしていつもおかあさんといっしょに寝るの?」
「えっ!? そ、それは――
 ジョシュアは困ってしまった。
 確かに妻とは同じ寝室で寝ている。が、それをどうしてと問われても困る。しかもまだ五歳の子供に答えられるようなことじゃない。
「う、うーん、それはだねその――
「それに!」
 息子は他にも言いたいことがあるらしい。
「おとうさんこの前おかあさんをいじめてたでしょ!」
「はっ?」
「おかあさんがかわいそうだよ」
「ちょ、ちょっと待って何のことだい?」
「だっておかあさん泣いてたもん」
 なかなか要領を得なかったが、ジョシュアが根気よく聞き出したところ次のような次第だった。
 先日部屋で一人で寝ていた息子は、夜中ふと目を覚ました。尿意を催していたのでベッドから出た。そこまではいい。
「おかあさんとおとうさんの部屋のちかくを通って」
 手洗いへ向かおうとしていたとき、息子はその部屋の中から母親のすすり泣くような声を聞いたのだと言う。
―――
 ジョシュアはその話を聞いた頃にはもはや首の付け根まで赤くなる思いがしていた。
 幸いにも息子はそのまま通り過ぎて手洗いに行き、自分の部屋に戻って眠ったそうだ。声は気にはなったが、なんとなく怖いような気がして両親の部屋に入る勇気はなかったらしい。
 それを聞いてジョシュアは少し安心した。だがそれもつかの間、父親が母親をいじめていると思った息子は、ひどいひどいとジョシュアをなじった。
「い、いや、違うんだよ。お父さんはお母さんにひどいことをしてたわけじゃ決してなくて」
「じゃあ何してたの?」
「な、何って」
 おまえに兄弟を作る相談を、とも言えず、ジョシュアは答えあぐねて、
「大人になって、お父さんとお母さんみたいに結婚したらきっとわかるよ」
「大人になってからじゃやだ! 今おしえて!」
 こうなったら答えてやるまで聞かない。一体誰に似たものやら。
「お、お父さんはね」
 ジョシュアはしどろもどろになりながら、あれこれ悩んだ末、ようやく答えた。
「その、お母さんにミルクを飲ませてあげてただけだよ」
「? それだけ?」
「それだけ」
 息子はしきりと首をかしげ、純朴な疑問を続けたそうな顔をしていたけれど、ジョシュアは逃げるようにこの話題を切り上げてしまった。


 その晩、眠る前に温めたミルクを飲んでいた息子は、そばについている母親へ言った。
「ねえおかあさん」
「なあに」
「おかあさんミルクきらいなの?」
「どうして? 好きよ」
「だっておとうさんが――
 息子がたどたどしい話しぶりで先程のことを母親に教え始めたものだから、安楽椅子でうつらうつらしていたジョシュアは慌てて跳ね起きたがもはや遅かった。
 大方の事情を理解した母親は白い目でこちらをにらんでいる。
 母親は息子の方に向き直った。
「お母さんは嫌で泣いてたんじゃないのよ。お父さんに飲ませてもらうのが嬉しくて泣いてたの」
 などと言い出すからジョシュアの方が恥ずかしくて隠れたくなってしまう。
「おとうさんばっかりおかあさんといっしょに寝てるし、おかあさんが喜ぶことしててずるい」
「そう言ってくれるだけでお母さん嬉しいわ。今夜はお母さんと一緒に寝ようか」
 息子はしばらく考えてから、
「ううん」
 と首を横に振った。
「ぼくはいい。もう五歳だから。おとうさんにゆずってあげる」
 それを聞いて母親は感激して息子を抱き締め、ジョシュアはますます恥ずかしそうに、真っ赤になって椅子に沈んだ。

(了)