休息日

 原因ははっきりしている。
 ようするに、ジョシュアが傭兵団の任務にかまけてティティスに構っていないのが誰の目にも明らかだったということである。仕事熱心と言えば聞こえはいいが、そればかりでは人生よろしくあるまい。
 わからないのは誰が言い出したのか、であった。どうにも定かではないのだが、
「ジョシュア、おまえそんなんじゃそのうちティティスに逃げられるぞ」
 とガレスが既婚者の説得力でもって言ったのか、あるいは、
「ジョシュアあなた、釣った魚にエサはやらないなんて言うんじゃないでしょうね?」
 と、ミロード辺りがにらみを利かせたのか、これがはっきりしない。
 が、まあいずれにせよ、
「たまには二人でゆっくりしてきなさい」
 と周囲に諭され、ジョシュアとティティスは追い立てられるようにして傭兵団を出発した。表向きには治療薬の輸送の任務ということになっている。
 ティティスは、ジョシュアが轡を引く荷馬に並んで歩きながら、さっきからずっと何やら文句をこぼしている。
「もー、みんな変に気ぃ遣っちゃって! こっちが恥ずかしいわよ!」
 しかし口でそう言う割には、どこか心弾んで足取りも軽そうな様子に見えた。なんやかんやで、久しぶりにジョシュアと二人きりになれたのが嬉しいに違いない。
「ご、ごめんよ、僕のせいで――
「ジョシュアが謝ることじゃないわよ。それに」
「それに?」
「ジョシュア少し休んだ方がいいって、あたしも思ってたところだったから」
「目の前にやることがあるとつい、ね」
 ははは、とジョシュアは苦笑いした。
「疲れてるなら疲れてるって、ちゃんと言わなきゃだめよ」
「僕は平気だよ」
「平気って言ってる人が却って危ないんだから!」
「っと」
 ジョシュアは急にティティスに背中を叩かれ、足が絡まりそうになりながらどうにか荷馬の手綱につかまった。馬の方もいささか迷惑そうに、ぶるっと鼻を鳴らした。
 はたから見れば恋人同士というよりは、無邪気にじゃれ合っているようにしか見えまい。そんな調子で二人は、長い街道をリトルエデンへ向かって歩き続けた。


「ティティス、お湯空いたよ。お先に」
 階下で湯浴みを終えたジョシュアが寝室に戻ってきて、ベッドに転がっていたティティスへ声を掛けた。
 リトルエデンでのことである。
 商店で治療薬の荷降ろしを終えたジョシュアとティティスは、その晩は村の宿に宿泊することにしたのであった。
 宿と言っても、酒場の二階を間借りした程度のものだったが、寝室には一応こじんまりしたベッドもあり、掃除も行き届いていて悪くない。
 主人に頼めばお湯も使わせてくれるというから、ありがたいことだった。
 先にさっぱりした体になったジョシュアは、濡れた髪もそのままにベッドの上へ陣取り、荷物から愛剣を出して手入れを始めた。
「あ、ねえジョシュア――
 ティティスが話しかけても、ジョシュアはもはや上の空である。剣のこととなるといつもこうだ。
 ジョシュアがまるで恋人の体でも扱うように丁寧に剣身を拭っているのを恨めしげに見つつ、ティティスは諦めて入浴に向かった。
 階下の暖炉の前に、湯を張った大きな盥が支度してあった。
 立ち上る白い湯気に、ティティスはうっとりと目を細めた。ちゃんと体をきれいにしてくつろげるのが嬉しい。
 ぬるま湯に浸かり、石鹸で念入りに体を洗った。
(今夜は――
 どうするつもりなのかとジョシュアに聞きたかったのだが、さっきは相手にしてもらえなかった。どうするというのは、つまり、そういうことをだ。何のためにリトルエデンくんだりまでてくてく歩いてきたのか。
「薬を困ってる人に届けるためにだよ」
 と、ジョシュアなら案外言いかねないのが悲しい。
 世の恋人たちというのもこんなものだろうか。
 普段は任務が忙しくて、たまに二人きりになってもその気があるのやらのらりくらりしている。
(期待しない方がいいのかしら)
 いやいや、あんな狭いベッドで一緒に一晩過ごすのだからさすがに。と自分を励ましてみたりもする。
(この前はいつだったっけ――
 思い出すのに難儀するくらい前のことらしい。
 ジョシュアの腕に抱いてもらった感覚を思い出すだけで、下腹の辺りがぽっと熱くなる。
 のぼせるような温度でもないのに、ティティスは真っ赤に上気して湯から出た。
 寝室へ戻ってみると、ジョシュアはもう剣の手入れを終えたらしい。ベッドに横になっていた。
(うっ、やな予感)
 嫌な予感ほど往々にして当たる。
「ジョシュア、ジョシュアー」
 と呼んでみても、案の定返事はない。
 枕元まで近寄って顔をのぞき込んでみると、安らかにすやすやと寝息を立てている。
――ほらやっぱり、疲れてるんじゃない。何が、僕は平気だよ、よ」
(起こしてやろうかしら)
 一瞬そう思いもしたが、止めた。ジョシュアは本当に芯から疲れているのだろう。
 小さなため息をついて、ティティスは身仕舞いをした。
 寝間着代わりの下着一枚の姿になってベッドへ上がり、ジョシュアの隣へするりと滑り込む。
―――
 淡い期待はあったが、やはりジョシュアが目を覚ます気配はない。
――おやすみ」
 ジョシュアに聞こえていないのは承知でつぶやいて、目を閉じた。


 ティティスだって日々の任務で疲れていないわけではなかったが、休息よりは愛情に飢えている。
 しばらくは寝付けず、もぞもぞと狭いベッドの上で寝返りを繰り返していた。が、それでもやがて寝入ると、朝まで目を覚まさなかった。
 ふと目を開けた頃には、すでに外は明るく、窓の鎧戸の隙間から差し込んだ朝日が室内に縞を作っていた。
 目覚めたのはその明るさと、それに肩にのしかかっている重さのせいだ。
「ジョシュア重い――
 いつの間にやら、ジョシュアの腕が伸びてきていて、ティティスの背中から抱きかかえるように絡み付いている。
 ティティスは逃れようとしたが、上手くいかず、諦めていっそジョシュアの方へ向き直った。
 規則正しい寝息が聞こえる。
「よく眠れた?」
 と、うとうとしながら独り言を言った。
「うなされたりしなかった?」
 手を伸ばしてジョシュアの栗毛の髪の中へ差し込んだ。少し寝癖が付いて丸まった毛先を指に巻きつけた。
 首の付け根辺りへ鼻先を埋めると、夕べの石鹸の匂いがまだかすかに残っている。
 なんでこんなにこの人が好きなの。
 と、そんな気持ちが急に込み上げてくる。
 頭の先から足の先までいとおしさでいっぱいになる。
(こんなふうになるのってあたしだけかしら――
 他のみんなも、好きな人の前ではそうなるのだろうか。照れくさくて、面と向かって話したことはないけれど。
 夕べちょっと寂しい思いをしたことも、今ではどうでもよくなって、ジョシュアの体へすり寄った。
 しがみつくように両脚もジョシュアのそれへ絡める。
―――
 ジョシュアが、ふいに、ぴくりと背を震わせたような感じがしたが、気のせいだと思って気に留めなかった。
 ほー、とティティスのゆるく開いた口からため息がもれる。もどかしげに身じろぎしていると、今度ははっきりと、
「っ、ティティス――
 とジョシュアがうめき、身をこわばらせた。
 ティティスはさすがに驚いて、跳ねるようにジョシュアから離れた。
「きゃっ!」
「おはよう」
「お、おはよ――い、いつから起きてたの?」
「ひみつ」
 ジョシュアは意外に味な返答をよこしてきた。
 まだ眠たげに青い目を半開きにして、
「もう気が済んだのかい?」
 とティティスの顔を見る。
「ごめんよ」
「なんでジョシュアが謝るのよ」
「夕べ一人で先に寝ちゃって」
「別にいいわよ、それだけ疲れてたんでしょ」
「うん――ありがとう、寝かせておいてくれて」
「元気が出たならよかったわ」
 ティティスはすっかり目が覚めてしまい、寝床を出ようとした。
 が、ジョシュアがお尻の辺りをむんずと掴んでくるものだから起きることもままならない。力では敵うはずもない。
「さっきの続き」
 と、ジョシュアが言う。
「してくれないかな」
「さ、さっきのって」
「だからさ」
 抱き寄せられ、手足を絡め合う。
 ティティスのすべすべした太ももに挟まれた膝が気持ちよかった。
「あ、やだ」
 ティティスが腰を引いて逃げようとするのを、がっちり押さえて離さない。
「あっ、んん!」
「自惚れそうになるよ、そんな顔されると」
 甘えた声を上げたティティスの顔をのぞき込むと、大きな碧玉のような目が潤み始めているのがわかる。
「もうもうっ! ジョシュア、そろそろ起きなきゃ出発が」
「うん、わかってる」
 と言いつつ、ジョシュアの手がティティスの下着へ掛かった。
「いや、ちょっ、わかってないでしょ!? それにあたしそんなに濡れてない――
「優しくするから」
 話が噛み合ってない、と文句を言いかけたティティスの口から、代わりに鼻にかかった声がもれた。
「やっ」
 脚の間まで忍び込んできたジョシュアの指がそっと中心をなぞり、中まで入ってくる。
「ああだめだめ――
 ときどき手前の突起を転がしながら、指先で優しく中を探られていると、じきに濡れ始めたようだった。
 ジョシュアはティティスを抱き起こし、
「乗って」
 とささやいた。声だけは優しい。
 ティティスは逆らわず、ジョシュアが穿いている物だけ下ろした上へ乗りかかった。
「ん」
 脚の間に硬い感触がした。が、自分で入れるのはなんだか勇気がいるようで、ティティスは小さくお尻を揺らしているばかりである。
 そのうちジョシュアの方が我慢できなくなったらしい。
「ティティス――
 と、切なげに名前を呼んで、ティティスの背へ両腕を回す。
 同時に下から腰を突き上げた。
「あっ、っ!」
――ごめん、痛かった?」
 ティティスは、ううん、とかぶりを振り、
「大丈夫――
 自分もジョシュアの背中を抱き締める。
 ジョシュアはまだちゃんと上着を着たままで、自分だけ裸同然の姿なのが恥ずかしい。ジョシュアの上着の中へ手を差し込むと熱いくらい熱がこもっていた。
「あっ、あっ、ん」
 突き上げるというよりは櫓を漕ぐような動きだった。
「気持ちいい」
 とティティスは声に出して伝えた。
 寄せては返す波のような快感の中をたゆたう。
 ジョシュアが嬉しそうな顔をしているのがわかった。キスをせがまれ、応じた。
 ジョシュアはそのまま首筋や胸元まで唇を滑らせてくれた。
(ああもう、好き――
 手も足も使ってジョシュアにしがみついた。
 どうやら思ったことがそのまま口に出ていたらしく、
「僕も」
 と、ジョシュアがささやき返してくれる。
「好きだよ――
 最後の方はほとんどかすれて声にならない声だった。
 自分が抱いているというより、ティティスに抱かれているような気分だ。四肢をいっぱいに使って抱き締められて、つながったところもきつく離さないようにして。
(僕は信頼されている――
 そんなふうに自惚れさせてくれるのは君だけだよ。と言葉にする代わりに、ジョシュアはティティスを抱いて寝床へ倒れ込み、飽くことなく互いに求め合った。


「傭兵団へ着くのが一日遅くなりそうだね」
 と、宿を出発してすぐジョシュアが参ったように頭をかいていた。
 普通の旅人が発つには遅すぎる時刻だった。もうとうに日が高い。この分では、今夜は予定より一つ二つ手前の町へ泊まることになるだろう。
 荷のなくなった荷馬の背へ鞍を置き、ティティスを乗せ、ジョシュアはその後ろに座って手綱を取った。
「馬を飛ばせば遅れた分取り戻せるんじゃない?」
「いいよ、ゆっくり帰ろう」
「みんなにからかわれるわよ、何してたんだーって」
「さあ、なにしてたんだろうね?」
「嘘はついてないわね」
 と他愛もなくティティスが笑う。日向ぼっこしている猫みたいに満足そうな顔をしていた。
 それが可愛かったので、ジョシュアはわざとゆっくり馬を繰った。
「ジョシュア、そんなにのんびりしてるともう一晩余計にかかることになっちゃうわよ」
 さらにティティスが笑うと、さすがに惚気るのもいい加減にしろとばかりに、二人を乗せた荷馬がにわかに機嫌を損ねて暴れた。
「うわっ!」
「きゃっ、ジョシュア!」
 振り落とされそうになったのを慌てて支え合う。
 目が合い、なんだか急に照れくさくなり、二人とも苦笑いしてしまった。
 ジョシュアは改めてしっかりと手綱を繰った。荷馬も機嫌を直したらしく、日差しの下をのんびりと駆け出した。

(了)