帰還の日
クォドラン帝国に接する王国北端の国境警備にエステロミア傭兵団も狩り出され、ひと月ほど
同じ頃街道沿いの市街を盗賊団が襲撃する事件があり、国境警備にあたっていた傭兵のうち半分は本拠へ引き上げて盗賊の討伐を優先することになった。
「黒王を倒して以来魔物は随分減ったけど、盗賊は相変わらずね」
盗賊団のアジトへ出撃するため身支度を整えながらティティスがぼやいている。
「まったくね」
と同じ部隊のハヅキもうなずいた。黒王との決戦からそれなりの年月が過ぎ去り、娘々していたハヅキも幾ばくか大人びた顔つきになっている。
「おかげでオレ――わたしたちの仕事もなくならないわけだけどさ」
「そうだけどっ」
「ティティス、こっちに帰ってきてからずっと機嫌悪そうだね」
ハヅキは苦笑して、
「ジョシュアはリオンたちと一緒に砦に残っちゃったもんねぇ」
「べ、別にそれは関係ないわよっ」
「帰ってきてもう二週間――国境警備は二ヶ月の予定だから少なくともあと二週間は会えないか」
「だから、それとこれとは関係ないってば」
「ほんとに?」
「ほんと」
「今朝届いた手紙の中にジョシュアからのもあったよ」
「えっ!? あたしに!?」
ティティスが飛び跳ねんばかりに驚き、急に顔色を明るくしたのを見てハヅキはにやけた。
「ティティスさー、今さら隠さなくたっていいじゃないか」
「な、何も隠してなんかないわよ」
言葉を濁しながらティティスはいそいそと短剣を腰に差した。支度を終えて一足先に部屋を出ようとドアへ向かう。その後姿へハヅキは声を掛けた。
「手紙ならまだマールハルトがまとめて持ってるから、書斎へ行きなよね」
ティティスは返事こそしなかったが、まっすぐ書斎を目指したに違いない。
その日の任務を無事終え、夜自室で一人になってからティティスは手紙を開けて見た。本当は帰営してすぐにでも読みたかった。しかしさすがに他のみんなに見られたら恥ずかしかったので我慢した。
封を開けると中から二枚重ねの
(そりゃ、ロマンチックな詩でも書いてほしいってわけじゃないけど)
それにしたってそっけないというか、通り一遍にすぎるというか。
物足りない気持ちで便箋をめくり、枕元のランプの明かりにかざした。手紙の最後の一文は丁寧な筆跡でこう
「どこにいても、いつでも心は君のそばに」
ティティスは便箋を持ったまま寝返りを打った。
居ても立ってもいられぬというように手足を小さくばたばたさせた。頬は
国境警備の任務は予定より二週間ほど長引くことになった。
帝国軍残党の活動があり、集会が開かれて資金や物資を調達している、との情報がもたらされたためだが結局は
「まあ何事もなくてよかったよ」
とジョシュアは皆と帰還の支度をしながら言った。
「早く帰ってやらねえとティティスがしびれ切らしてるんじゃないのか」
横からリオンがからかった。
「さあ」
ジョシュアは、いたって平常通りという風である。
北の国境から傭兵団の拠点までの道のりにさらに日数が掛かる。足の速い馬をとっかえひっかえ走らせる馬車なら数日といったところだが、そこまで急ぐ必要もない。ジョシュアも特に不満げなことは言わなかった。
傭兵団へ帰還するまでに十日ばかりを要した。
薄曇の午後、ジョシュアたち国境警備部隊がもうじき到着するとの知らせが傭兵団へ届いた。
「ティティスー」
と、ハヅキがにやにやしながら広間へやって来た。ティティスがふて寝している長椅子の背へ寄りかかり、
「また不機嫌にしてるの」
「してないわよ」
「しょうがないだろ? 国境警備が長引いたのは帝国軍の動きが不穏だったせいだし――砦は遠いしさ。帰ってくるのに時間はかかるよ」
「わかってる」
「さっき、ジョシュアたちがサンドストームを出発したって知らせがあったよ。今頃はもう近くまで帰ってきてるんじゃないかな?」
ティティスは長椅子から勢いよく跳ね起きた。
「ほんと!?」
「ほんとほんと」
ハヅキは懐から丸めて封蝋を押された一枚の書類を取り出し、広げてティティスへ見せた。
「だからみんなが帰ってくる前に一仕事」
「えーっ!?」
途端にティティスは不満げな声を上げたが、団長のサインが入った指令書には逆らえない。与えられた任務は近隣の村への薬の輸送だった。
「もうこんなときに! 団長のバカ!」
文句を垂れつつ、大急ぎで治療薬を届けに行った。依頼主の村長はティティスが予想以上に早く来たので驚き、
「まさかこんなに早く来ていただけるなんて。急な依頼に応えてくださってありがとうございます」
と結果的には喜んでくれた。
村で一休みしてはどうかと引き止められたのを断り、ティティスがとんぼ返りで傭兵団へ帰還すると建物の中がなにやら騒がしい。
「ああ、おかえりティティス」
聞き慣れた、しかし懐かしい、優しい声に迎えられた。
「ジョシュア! 帰ってたの!?」
廊下の向こうから旅装を解いたばかりらしいジョシュアが歩いてくるのが見える。ジョシュアはティティスの目の前で足を止めた。
「うん。ついさっき」
「そう――あっ、あたしの方が先におかえりって言うつもりだったのに!」
「はは、ただいま」
「うん、おかえり」
ティティスは
「ジョシュア、髪伸びたね」
とティティスの言う通り、三ヶ月前に短く切ったばかりだったジョシュアのゆるい巻き毛が今は首筋をかすめるほどになっている。
「少し日にも焼けた?」
「うん、話したいことはいろいろあるけど、先に荷ほどきをしないとね。それに君も他のみんなに会ってきたらどう?」
ジョシュアは恨めしいほどいつも通りである。ティティスの先に立って皆の集まっている広間へ向かう。ティティスは物足りない気持ちで仕方なくその後を追った。
(せっかく久しぶりに会えたのに)
とりあえずは砦から帰還した皆に挨拶したり、労をねぎらったりしつつ、その後も隙あらばジョシュアと話そうしたが、そのたびに、
「片付けが済んでから」
とか、
「まだ団長への報告が済んでいないから」
とかなんとか言ってジョシュアはするりと逃げてしまう。
結局そのまま日が暮れ、暮れたら暮れたでその夜は帰還した仲間のためにささやかながらいつもより少し豪勢な酒食が振る舞われた。きっとシャロット辺りが腕を振るったのだろう。
皆の集まった食堂はにぎにぎしかった。久しぶりに会った仲間と話に花が咲いたり、酒の回ったガレスのがなる声が少々うるさいくらいだったり。
いつもならティティスもセイニーやハヅキやキャスと一緒に率先して騒ぐ方なのに、今日はやけに大人しい。と気付いたジョシュアが部屋の中を見回すと、ティティスはテーブルの隅に寄りかかってうつらうつら舟を漕いでいた。
「ティティス」
呼びかけてみても、ちょっともぞもぞしたばかりで目を覚ます様子はない。
「いやだな、寝ちゃったのかい」
ジョシュアの声にかすかにがっかりしたような色が見えた。そのときミロードとガレスが近づいて来て、
「あらいやだ、ティティス寝ちゃったの?」
「あ、うん、そうみたいだ」
「疲れてたんだろう。昼間必死で村まで行って帰ってきたんだからな!」
赤ら顔のガレスが大声で言った。ジョシュアは首をかしげた。
「そうなの?」
「おまえらが帰ってくる前だったから大急ぎでな」
ガレスが意味ありげににやつくので、ジョシュアは困ったように眉を八の字にして笑う。
「もう、よしてよ」
「ジョシュアあなた、ティティスを部屋まで連れて行ってあげなさいよ。こんなところで寝てたら風邪引くわ」
ミロードが口を挟んだ。
「え、ぼ、僕が?」
「つべこべ言うんじゃないわよ」
半ば気おされるようにして、ジョシュアはティティスを横抱きに抱え上げ、こそこそと廊下へ出て行った。
ガレスはますます笑った。
「相変わらずだな、あいつらも。事知らずなことだ」
「そう?」
しかしミロードは難しい顔をしている。
「そう? って何がだ」
「ジョシュアが妙に相変わらずすぎるというか、なんだか白々しいと思わない? 久しぶりに会ったんだからもっと嬉しそうにすればいいのに、昼間からやけに平時通りにティティスの相手をしてて、わざとらしいくらいよ」
「――おまえの見方は相変わらずひねくれてるな」
「女の勘が働いた結果なのよ」
とミロードは変なところで豊かな胸を張って見せるのであった。
「ティティス」
暗い廊下を夜目を頼りに歩きながら、ジョシュアは腕の中のティティスを軽く揺すってみた。
「―――」
「ティティス、起きてるんだろう? 本当は」
「――起きてないもん」
「手、離すよ」
「きゃ、きゃっ! 待ってよ」
本当にジョシュアは手を離してティティスを床に下ろしてしまうと、やれやれという風にため息をもらした。
「どうして寝たふりなんかしてたの」
「だって」
とバツが悪そうに目をそらす。ようするにジョシュアの気を引こうとしたか、あるいは部屋へ運んでやれと誰かがジョシュアに言いつけるのを期待したか、そんなところらしい。まさに目論見通りになったわけだが。
「ねえティティス、せっかく久しぶりにみんなそろったっていうのに」
「わかってるわ。ごめんなさい」
「うん。――今日は任務が忙しかったんだって? 僕たちが帰ってくる前に大急ぎで村まで行って帰ったって」
「ええ、ジョシュアたちの帰営には間に合わなかったけどね。疲れたのは本当。もう休みたいわ」
「いいんじゃないかな。下のみんなもそろそろお開きにするだろうし」
自室へ向かって歩きだしたティティスの後からジョシュアもついて来る。
「ジョシュア、早くみんなのところに戻らないと変な勘違いされちゃうわよ」
「別に勘違いじゃないだろ?」
そういえば、と話の矛先を変えた。
「砦に駐留中に僕が書いた手紙ちゃんと届いてたかな」
「届いてた」
ティティスはいくらか口をとがらせてうなずいた。
「な、何か怒ってる?」
「だってジョシュアたまにしか手紙くれなかったし! くれてもいつもそっけなかったじゃない」
「それは、その、万が一誰かに見られたら恥ずかしいじゃないか」
「あたし以外に誰が見るっていうのよ!」
「結構悩んで書いたんだけどな。心はいつも君のそばに――とか――」
「うん。それは気が利いてた」
でも、と嬉しそうに顔をほころばせ言い添えた。
「でも、やっぱり、心だけじゃなくてジョシュアが丸ごとそばにいてくれる方がいいわね」
やがて二人はティティスの自室の前までやって来た。
じゃあね、と手を振ってティティスは中へ入った。ジョシュアは一旦はそのままドアが閉まるのを見届けようとした。
が、やはり思い直したらしい。半ば閉じたドアを急いで押さえると、残りの隙間から室内へするりと滑り込んだ。
(了)