小さな騎士

 五月の聖霊降臨祭の日、エステロミア王城の城下町は大変な賑わいだった。仮装をした人々が街中を練り歩き、花輪を戴いた家畜を引いて回り、バラの花びらを撒く。
 城や街の警護には王の騎士たちはもちろん、それだけでは手が足りないだろうというので、王直属の傭兵団まで駆り出されていた。もっとも、王には別の思惑があったような感がなくもない。
 マールハルトは、
「城での式典にご出席なさってはいかがですか」
 と、傭兵団長に勧めてみたようだったが、色好い返事があるはずもなかった。
 それはさておき、傭兵たちは騎士団と手分けをして街の警護にあたった。傭兵団長は部隊を三つに分け、それぞれに王城の周辺の持ち場を任せた。
 ジョシュアは城の西側を持ち場として与えられていた。彼らしく任務には忠実だったが、緊張はない。人里近くにはもうほとんど魔物がいなくなっていて、心配があるとすれば盗賊や帝国軍の残党くらいのものだ。それでも常の通り鎧は着込み、帯剣して、仲間たちと一緒に人混みを巡回していたとき、
「ん?」
 ふと、足元に違和感を感じて、ジョシュアは立ち止まった。
 見下ろせば、鎧の草摺から腰の前へ垂らした布の裾を、
 むんず、
 と掴んでいる小さな手がある。その持ち主は、せいぜい就学年齢になったばかりといった年頃の男の子で、恐る恐るという風にジョシュアのグリーブの陰に隠れながらこちらを見上げている。
「ちょっとジョシュア、みんな先に行っちゃうわよ」
 と、行く手から声がして、同じ部隊のティティスが引き返して来た。ティティスもすぐにジョシュアの足元にいる子供に気が付いた。
「どうしたのこの子」
 とティティスが屈み込むと、男の子はびっくりしたようにジョシュアのグリーブの後ろに引っ込んでしまった。
「まあ失礼ねー。あなたどこの子?」
―――
 男の子はもじもじしているばかりで何も言わない。
「お父さんやお母さんとはぐれたのかい?」
 とジョシュアも地面に膝を着き、目線を男の子に合わせて尋ねた。迷子なのだろうと安直に思った。
 男の子は、そうだとも、そうじゃないとも取れるようなあいまいな返事をした。よほど恥ずかしがり屋らしく、ずっと言葉少なに、うつむいている。
 ジョシュアやティティスがついて来ないことに気付いた仲間の傭兵たちも、やがて引き返してきた。リーダーのガレスと、それに付き添っているミロードは、ジョシュアたちの姿を見つけてほっと安堵した様子だった。ガレスが二人を叱った。
「おいおまえら、黙って部隊を離れるんじゃねえ」
「ごめんガレス」
 とジョシュアは謝ってから事情を説明しようとした。
 が、それより早く、ミロードがジョシュアの足元にいる男の子を見つけて茶々を入れた。
「あら、あなたたちにもうそんな大きな子供がいるとは知らなかったわ」
「ち、違うわよ!」
「ちち違うよ」
 と、ジョシュアとティティスがわかりやすくうろたえているのを見て、ミロードは半ばあきれさえしたような表情になった。
「はいはいごちそうさま、わかってるわよ」
 ガレスが男の子の上へ屈み込んで言った。
「おい坊主、迷子になったのか?」
 ガレスにしては精一杯優しい声を出したつもりらしい。しかし男の子はティティスのとき以上に驚いて、ジョシュアの後ろに隠れてしまった。
 ミロードがガレスの脇を肘でつついた。ガレスに代わって男の子のそばにしゃがむと、
「初めまして、私はミロード。魔法使いよ。あなたのお名前は?」
 と、丁寧に尋ねた。
 男の子は、ジョシュアの陰でまごまごしながら、
「はじめまして――
 と返事をした。それから名前らしきものを、要領を得ないながらも名乗った。ミロードはうなずいて、さらに尋ねた。
「今日は素敵なお祭りね。私たちは王様の命令で、困っている人がいないか見回りをしているのよ。あなたは何か困っていることはない?」
「おとうさんにあいたい」
 と男の子は答えた。
「お父さんと一緒にお祭りを見に来たの?」
 と、ミロードが聞くと、しかし男の子は首を横に振っている。
 ミロードが手を変え品を変え、根気よく聞き出したところによると、どうも男の子の父親は城で王に仕えているらしかった。
「おとうさんは今日はりっぱなおしごとをするんだって」
 と男の子は嬉しそうに言った。聖霊降臨祭で立派に働く父親の姿が見たくて家を抜け出してきたらしい。
 四人の傭兵たちは困ってしまった。
 ガレスが唸る。城に仕える者と言っても、文官から騎士団の騎士、扈従、魔法アカデミーの魔術師、侍従に雑用係まで数え切れないほどの人数がいる。
 ガレスはミロードをつついて、父親の仕事は何か聞いてみろ、というようなことを言った。
「お父さんのお仕事はわかる?」
 とミロードが尋ねると、男の子はかぶりを振った。その代わり、ジョシュアを見上げて、にこにこしながら言う。
「おとうさんみたい」
「え、僕?」
 ジョシュアはきょとんと目を丸くした。
「あ」とティティスが気付いて、男の子の顔を覗き込む。ティティスと顔が近づくと、男の子はどぎまぎして体を縮めた。
「もしかして、お父さんって『剣士』とか『騎士』なんじゃない?」
「お、おとうさんは王さまの『きし』だよ――でもおしごとはしらない」
「『王様の騎士』がお父さんのお仕事なのよ」
「ふうん」
 男の子はいまいち合点がいっていないようだが、傭兵たちは一安心した。父親が騎士団の騎士だとわかれば、なんとか見つけられるかもしれない。
「よし、それじゃ一旦戻るか」
 とガレスが判断を下し、傭兵たちは男の子を連れて本営へ帰還した。
 ガレスとミロードが自ら使者となって騎士団へ事情を伝えに向かった。ジョシュアが、男の子の面倒は自分が見ると申し出たから、ジョシュアとティティスに子守りは任された。
 男の子は与えられた椅子の上ではじっとしていられないようで、ジョシュアの足元にまとわりついてきて、
「おにいちゃんも『王さまのきし』?」
 と、目を輝かせ、首をかしげる。ジョシュアは首を横に振り、
「僕は『王様の傭兵』だよ」
「でもおとうさんと同じだよ」
「そうだね、見た目は似てるかもしれないね」
「それは剣?」
 とジョシュアの剣を指さす。
「さわってもいい?」
「いいよ。でも危ないから鞘のところだけだよ。しっかり握って」
 ジョシュアが鞘の真ん中辺りを男の子に持たせてやると、男の子はその重さに驚いたらしい。
「おとうさんの剣と同じくらいおもい」
 剣をジョシュアに返し、
「ぼくもほんとうの剣がほしいな」
「君も剣を習ってるんだね」
 とジョシュアはなんとなく察して言った。
「うん。でもまだにせものの剣なの」
「お父さんが剣を教えてくれるのかい?」
「そうだよ」
 父親の話になると男の子は嬉しそうに笑い、父親がどんなに強いのかとか、カッコいいのかとか一生懸命話した。ジョシュアはそれにいちいちうなずき、丁寧に聞いた。
 ふと、ジョシュアが気付いて視線を上げると、ティティスが部屋の入り口のそばに立ってこちらを見ていた。ティティスはジョシュアと目が合うと、ばつが悪そうに視線をそらして室内へ入ってきて、手に持っていたトレーをテーブルに置いた。トレーの上には菓子や飲み物が乗っている。
 男の子はジョシュアにべったりで、ティティスは手持ちぶさただった。
(あたしはあんまり好かれてないみたい)
 と思う。最初に会ったときもそうだったし、今も、男の子はティティスと目が合う度にびくっとしてはまごついている。
(それにしても、ジョシュアって案外子供好きなのかしら)
 とも思った。頼まれたならともかく、自分から積極的に子守を引き受けるなんて、正直なところちょっと意外だ。
「ねえおにいちゃん」
 と、男の子が恐る恐る言った。
「おねえちゃんはおにいちゃんのおかあさんなの?」
 おかあさん、というのは母親の意味ではなく、妻ということらしい。
「ちっ、違うわよ!」
 とティティスが思わず大声を上げ、男の子はやっぱりびくびくしていたが、何か思うところあるような顔になった。
「ふ、ふぅん――
 それから一時ばかりもして、ガレスとミロードが帰ってきた。収穫があったようで、二人とも表情は明るい。
「騎士団でその子のことを話したら、すぐにわかってもらえたわ。そんなにお父さん子で、一人で家を飛び出してくる度胸のある子は他にいないって」
 と、ミロードが笑いながら教えてくれた。肝心の男の子の父親は騎士団の本営には姿がなく、今は城で式典の警護にあたっているとのことだった。
「騎士団の連中が言うには、できれば坊主を城へ連れて行ってやってくれねえかとよ」
 とガレスが言い、ジョシュアが返事をした。
「僕が行くよ。ガレスもミロードも疲れたろう?」
「ティティス、あなたも一緒に行きなさいよ」
 とミロードがくちばしを挟んだ。
「何があるかわからないもの。魔物だって帝国軍だって脅威が全くなくなったわけじゃないわ。単独行動はしない方がいいでしょう」
 と口では言うが、内心別のことを考えているらしく、ミロードは意味ありげに微笑んでいる。物言いたげなティティスを尻目に、ミロードは化粧を直しに奥へ引っ込んでしまった。
 男の子がジョシュアに尋ねた。
「お城にいくの?」
「そうだよ」
 ジョシュアがうなずくと、男の子は、ぱっと笑顔になった。そして、おずおずとティティスの顔を覗き込んだ。
「おねえちゃんもいっしょにいこうよ」
「えっ、あたし?」
 ティティスは、はてなと首をかしげた。
 三人は身支度をして出かけたが、外の通りは大変な人混みで、うっかりすると人波に飲まれてしまいそうになる。
「はぐれないように手をつないでようか」
 と、ジョシュアが男の子の手を取った。男の子はそれに素直に応じながら、自分も反対の手を後ろのティティスへ差し出し、恥ずかしそうにうつむく。
「おねえちゃんも――
「えっ」
 とティティスはまたしても驚いた。
 その拍子に先を行くジョシュアと視線がかち合った。なんとなくジョシュアに促されたような気がして、ティティスは男の子の方へ右手を差し出した。
 三人で手をつないで歩きだし、のんびりと城へ向かった。
 ティティスの手のひらで、男の子の小さな左手が照れくさそうにもぞもぞしている。
「おとうさんがね」
 と男の子が言う。
「『きし』はすてきな女のひとを見つけて、そのひとのためにがんばらなくちゃいけないんだって言ってたよ」
「騎士道精神ってやつね」
 ティティスはうなずいた。古い騎士物語などにはよく出てくる話だ。騎士は心に決めた貴婦人のために冒険をし、武功を立てるのである。
 男の子は顔を赤らめながら言った。
「おねえちゃんとってもきれい――絵本にでてくる妖精さんみたい。さいしょはびっくりしちゃった――
 それから、こうも言った。
「ぼくもおとなになったら『きし』になるからね――
―――
 ティティスはようやく男の子の言いたいことを察して、ちょっと考えてから返事をした。
「あのね、あたしはあなたよりずーっとおねえさんなのよ――あなたが大人になる頃には、もうとっくにおばあちゃんになってるかもしれないわよ」
 男の子の向こう側で黙って聞いていたジョシュアが何か口を出したそうな顔をした。
 男の子はといえば、何の屈託もなくはにかんでいる。
「おねえちゃんはきっと、おばあちゃんになってもきれいだよ」
「まー、おませさんねぇ」
 ティティスは困ってしまって、横目でジョシュアに助けを求めた。
「ジョシュアもなんとか言ってよ」
――僕もそう思うよ」
「ね? 子供の頃からこんなにませてたんじゃ、大人になってからが心配――
「そっちじゃなくて、君はきっとおばあちゃんになっても――
 ティティスが急に赤くなってうつむいてしまったのを見て、男の子の目がきょとんと丸くなった。不思議そうにジョシュアの方へ視線を移す。ジョシュアはいつも通り優しそうな顔をしていたが、やっぱり少し頬が赤らんでいるように見えた。


 城へ着くと、一足先に騎士団から話が伝わっていたらしく、ジョシュアたちが城門を通り終えるか終えないかというところで、一人の騎士が城内からすっ飛んできた。遠目にもきっと男の子の父親に違いないと思い、ジョシュアもティティスも安心した。
「私の息子が大変な迷惑をお掛けして、申し訳ない」
 と、騎士は我が子を抱き寄せて、ジョシュアとティティスへしきりに頭を下げた。騎士は随分大柄な男で、城での式典のために磨き上げられた鎧を身に着けた姿は男の子の言うとおり立派なものであった。
「迷惑だなんてとんでもない。今までずっといい子にしていてくれました。それに、たった一人でお父上に会いに来ようなんて、よほどの勇気がなければできることじゃありません」
 とジョシュアが丁寧に答えると、騎士はお礼を言い、男の子を促して一緒に礼儀正しい挨拶をした。それから二人で城の中へ戻って行った。
 別れ際、男の子は父親に抱えられながら、名残惜しそうにジョシュアとティティスへ手を振った。二人は親子の姿が見えなくなるまで手を振り返した。
 親子が城内へ消えると、
「子供ってむずかしいわね」
 と、ティティスが感慨深そうにつぶやいた。
「あたし、てっきり嫌われてるんだとばっかり思ってた」
「僕はわかってたけどね、なんとなく」
 とジョシュアが言った。ティティスは口をとがらせた。
「わかってたなら教えてくれればよかったのに」
 ジョシュアは困ったように苦笑いしただけである。
「帰ろうか」
 とティティスを促し、二人は傭兵団へ帰った。

(了)