青い花

 近頃ジョシュアの様子がおかしい。
 なんだかいつもぼーっとした様子で、よく一人で何か考え込んでいる。
 仲間に酒や食事に誘われても付き合わなくなった。そのくせ、一人でちょくちょく街へ出かけているらしい。ティティスが、
「街に行くなら、あたしもついて行っていい?」
 と聞いてみたことがある。するとジョシュアは慌てて、
「えっ、いや、その、ついて来ても退屈するばっかりだと思うよ――
 とかなんとか言って、結局連れて行ってくれなかった。
 今日もジョシュアは一人で出かけてしまい、ティティスは傭兵団で暇をもて余していた。あまりに手持ち無沙汰なのでキャスの毛を三つ編みにして遊んでいると、リオンが扉を開けて入ってきた。
「おいティティス、ちょっと手え貸せ。おまえどうせ暇してんだろ」
「どうせってなによ、どうせって」
「ジョシュアにほったらかしにされてるくせによ。あいつまた一人で街へ行ったんだろ?」
「そ、そうだけど」
「こりゃもうコレができたに違いねえな、コレが」
 リオンは、へへへと下世話な笑みを口の端に浮かべながら、右手の小指を立てて見せた。ティティスもその意味がわからないほど幼くはない。
「なっ!?
 ジョシュアに限ってそんなことあるはずがない! と言い返そうとしたときだった。
 ふいに、キャスが、いささか間延びした調子で口を挟んできた。
「ジョシュアならきっと武器商人のところへ行ってるにゃーん」
「あんた何か知ってるの!?
「い、いい痛いにゃん引っ張っちゃだめにゃん――
 キャスは、ティティスにぐしゃぐしゃにされた髪を小さな手でまごまごと直した。ティティスにしてみればじれったい。
「ねえ、なんであんたが知ってるのよ、ジョシュアの行き先」
「キャスはダーツが折れて困ってたにゃん。そのときジョシュアが武器屋に連れて行ってくれたにゃん。ジョシュアがよく行くお店だって言ってたにゃん」
 キャスが語ったところによると、こういう事情である。
 ジョシュアの通う武器商人というのは、サンドストームにある商家だそうだ。年老いた主と、その娘とが二人きりで切り盛りする小ぢんまりとした店である。
 何より店主の人柄がいい。キャスの折れたダーツを見せたときも、
「いい品物ですね。これ以上の物はそう見つからないでしょうが、できるだけ手を尽くしましょう」
 と、キャスと目線の高さを合わせて、にこやかに言ってくれた。
 屈んだ腰を伸ばすと、今度は店の奥にいるジョシュアの方を振り返った。
「ところで、今日こそ決心は着きましたか?」
 店主は笑いながらジョシュアの背へ呼びかけた。
 ジョシュアは奥に陳列された片手剣を眺めていたところだった。よく磨かれて剣身が光っているが、どれも凡庸な作である。ジョシュアもそれほど熱心に見ているわけではない。
 ふいに話を振られたジョシュアは、一瞬ぎくっとしてから、弱った顔をして店主を振り向いた。
「はは――いや、それが、まだ――
「迷うことはないでしょう」
「そう言われても」
「私も、こればかりは大事に手中に収めてきたものですが、あなたにならお譲りしてもいいと思っているんですよ」
「そんな――僕になんかもったいない」
「私はあなたを見込んでいるんです」
 店主の言葉に熱がこもる。
 ジョシュアは照れて赤くなり、くせ毛の頭をかいている。
 そのとき、店の裏から店主の娘が飲み物や菓子を運んできた。娘は見たところジョシュアと同じくらいの年頃で、店主が手塩にかけて育て上げたのだろう。たおやかで上品だった。
 娘はキャスとジョシュアへ丁寧に挨拶した。
「お父様ったら、また傭兵さんを困らせているのね」
「おまえも、この方にならと思うだろう?」
 と、父親に尋ねられて、娘は素直にうなずいた。
「お父様がそう仰るなら、きっとそうなんでしょう。街の人たちも、エステロミア傭兵団といえば、勇敢なだけでなく優しい方ばかりだと」
「どうです、娘もこう言っているんですから」
「よ、よしてください、お嬢さんまでそんな」
 ジョシュアはますます照れてしまった。
「と、とにかく、ご主人の宝物をそんなに簡単に譲っていただくわけにはいきません」
「そう肩肘を張らずとも――
「いえ本当に、僕にはまだその資格がないと思うんです」
 店主と娘は顔を見合わせて苦笑いする。どちらかというと好感のこもった表情だった。
「では、あなたの心の整理がついたときには」
「そのときには、しかるべきものを持参して参りますから」
「そんなことはお気になさらずとも、いいんですよ」
「こればかりは僕の気の済むようにさせていただけませんか」
 とまでジョシュアに言われると、店主もそれ以上食い下がらなかった。
「わかりました。そういうあなただからこそ、私も見込んでいるんです」
 それがキャスの見た光景の一部始終だという。
「なんだかまるで、ジョシュアが娘さんをお嫁さんにもらう話してるみたいだったにゃーん」
 キャスが言い添えるまでもなく、ティティスの顔はとっくに青白い。
 リオンが、
「まるでというか、そりゃ本当に――
 と言いかけて、ティティスの顔色に気が付き、口をつぐんだ。
 ふいに、廊下の方からぱたぱたと足音が聞こえてきた。
「遅いよリオン、何やってるのさ。ティティスは?」
 部屋へ駆け込んで来たのはハヅキだった。
 打ちひしがれてうなだれているティティスと、キャスと、リオンを順番に見比べ、
「何かあったの?」
 一番話の通じそうなリオンへ問いかけた。
「あーいや――ハヅキおまえ、サンドストームの武器商人って知ってるだろ?」
「そりゃ誰でも知ってるよ。評判の娘さんが結婚するらしいって噂だろ? 相手はまだ誰だかわからないけど、煮え切らないらしくて、なかなか決まらないって――って、ど、どうしたの? ティティス?」
 うわぁん! とティティスはキャスの毛の中に突っ伏したまま動かなくなってしまった。
「オレなんか悪いこと言った?」
 ハヅキはリオンの顔を見た。
 リオンは黙って肩をすくめるばかりである。


「ティティス――ティティス」
 と背中越しに呼ばれて、ティティスはのろのろと後ろを振り返った。誰に声をかけられたのかはわかっていたが、顔を見たくなかったのだ。
 振り返るとジョシュアが立っていた。
 ティティスがようやく気付いてくれたと思い、ジョシュアは嬉しそうに微笑んだ。長椅子の背を回って、ちょこんと腰掛けているティティスの横まで来ると、
「隣に座ってもいい?」
 と首をかしげる。ティティスが了承したので腰を下ろした。
 ジョシュアはなんだかやけに機嫌がいいようで、いつもより人懐っこい笑顔でティティスの顔をのぞき込んだ。
 ティティスは思わず目をそらしてしまう。ジョシュアと視線を合わせるのがつらい。
「ティティス、近頃元気ないよね。みんなともあまり話してないようだし――何かあった?」
(大ありよ!!
 とわめく代わりに黙ってかぶりを振る。
 ジョシュアは優しい声で言った。
「僕にできることがあったら言って。力になるよ」
――結婚なんてしちゃいや)
 という言葉ももちろん声にはならず、ティティスの胸の奥にしまわれた。
 心のどこかにひどく冷静な自分がいて、
(ジョシュアが幸せになれるなら応援してあげるべきよ!)
 と叫んでいる。けれどそれも、単にワガママを言ってジョシュアに嫌われたくないだけなのかもしれない。
「ところで、ティティス、君さえよければこれから一緒に出かけてほしいんだけど――どうかな。気分転換になるかもしれないよ」
 以前なら喜んで飛び付いていたところだ。いや、今だって飛び付きたかった。
「でも、二人で?」
「嫌なら無理にとは言わないけど」
「ジョシュアはいいの?」
「? いいに決まってるよ」
――あなたって意外とプレイボーイなのね」
「え、えっ!?
 どうしてジョシュアがそんなに驚くのか、ティティスにはわからなかった。心に決めた女性が他にいるのに、二人きりで出かけようなんて。
(あたしって、本当にただの友達だとしか思われてないのかしら)
 結局、ティティスはジョシュアと一緒に行くことにした。
 ジョシュアに連れて行かれた先は、サンドストームにある花屋であった。
「ジョシュア、お花買うの?」
 店頭に飾られた切り花は色とりどりで、目移りしてしまいそうだ。ジョシュアもどれを選べばいいか迷っているらしい。
「うん。だけど僕はこういうのはよくわからないから、選ぶのを君に手伝ってもらえないかなと思って」
「誰かにあげるの?」
「今度結婚することになった女の人に――
 ティティスは、
(い、やーーーっ!!
 と思わず悲鳴を上げて逃げ出しそうになったのをどうにかこらえた。よりにもよってプロポーズ用の花束を選べとは。
 ティティスが、まるで氷像のごとく固まっていると、
「ティ、ティティス大丈夫かい? 体の具合でも悪いなら、また今度でいいよ」
 と、ジョシュアは心から心配そうに、優しすぎるくらい優しく言ってくれた。
 それでティティスも、ついに吹っ切れた。心のネジが一本どこかへ飛んでいってしまったのかもしれない。
(うう、わかったわ! ジョシュアがそこまで言うなら、あたしも応援してあげる! だって、ジョシュアには幸せになってほしいもの――
「大丈夫よジョシュア、さ、花を選びましょ!」
「ほ、本当に大丈夫? 熱でもあるんじゃないかい。目元が潤んでるよ。顔も赤いし」
「へ、平気だってば!」
 ティティスが今度はいきなりやる気満々になったので、ジョシュアは不思議そうに首をひねっている。
 ともあれ、二人は花を選んだ。
「ティティス、これなんかどうかな?」
 ジョシュアは小さな青い花を手に取って、ティティスに意見を求めた。
「可愛い――でもあたしはこっちの方がいいと思うわ」
 とティティスは赤い可憐な花を指さして言った。
「君はそっちの方が好き?」
「うん」
 それに、プロポーズならやっぱり赤い花じゃない? と思う。
 ジョシュアは悩んだ末、結局最初に選んだ青い花に決めた。
「赤い花束じゃ、まるで僕が結婚を申し込むみたいだからね」
 と、ティティスへ申し訳なさそうに苦笑いして見せる。
「へ?」
 ティティスは、きょとん、と碧玉のような丸い目をさらに丸くした。
 ジョシュアは、花束にしてもらった青い花を持って、いつもの武器商人の店へ向かった。ティティスも首をかしげながらついて行く。
 店に着くと、常のように店主が出迎えてくれた。
「やあ、いらっしゃい」
「こんにちは。お嬢さんのご結婚がついに決まったと聞きました。おめでとうございます」
 とジョシュアが挨拶した横で、
「えっ?」
 と、ティティスがまた目を丸くしている。
 店の奥に件の娘と、それにもう一人、若い男がいた。二人は寄り添って、小声で何かささやき合ってはくすくす笑っている。完全に二人だけの世界ができあがっており、いかにも恋人同士らしい様子に見えた。
 父親に呼ばれて、娘はやっと来客に気が付いたらしい。頬を染めてこちらへ来た。
「あ、あらすみません」
「いえ、お幸せそうで何よりです。おめでとうございます」
 ジョシュアは青い花束を娘へ渡して祝福した。
 そこへ店主がにこにこしてやって来て、
「ところで、今日こそあれ﹅﹅をお譲りしてもよろしいのでしょうね?」
「あ、それは、あの」
 ジョシュアは途端に照れくさそうに頭をかく。それからちょっと姿勢を正して、うなずいた。
「はい――そのつもりで来ました」
「ありがたいことです。少々お待ちを」
 店主は、一旦店の奥へ引っ込んで、出てきたときには手に一振りの立派な剣を抱いていた。
 店頭に出ている品とは比べものにならないくらい上等な造りだと一目でわかる。腕のいい職人の作に、魔法を幾重にもかけて強化されているのだろう。剣士なら誰でもこんな剣に憧れるに違いない。
 ジョシュアは、きちんと代金を払ってその剣を受け取った。店主は遠慮がちに苦笑していた。
「お代なんて本当に結構だったんですよ」
「いえ、僕の気の済むようにさせてくださいと言ったはずです」
 ジョシュアは、それこそ花嫁の体でも抱くように、大事に剣を鞘に収めて抱えた。
 店主はしみじみとその姿を眺めている。なんだか急に老け込んだようであった。
「娘も、その剣も、大切にしてくれる方が見つかって本当に、もう思い残すことはありませんよ」


 帰り道、それまで黙っていたティティスが急に大きな声を上げ、
「あの娘さんの結婚相手ってジョシュアじゃなかったの!?
 と詰め寄ってきたので、ジョシュアの方が驚いてしまった。
「ち、ちち違うよ! 誰がそんなこと言ったんだい」
「だって、あのお店にずっと通い詰めてたって!」
「それは、この剣を見せてもらいたくて――
 ジョシュアは大事に抱えている剣をティティスに見せ、
「いい造りだろう? ずっとほしかったんだけど、あの、その、ええと、つまり――お金がなくて」
 それで、皆との付き合いを断ったりして貯金をしていたのだと言う。
 ジョシュアはよほど嬉しいらしく、剣の柄に頬ずりせんばりであった。
「だいたい、あの娘さんの結婚が決まった話は、二、三日前からとっくにみんな知ってたんだよ? 幼なじみの鍛冶屋の息子だって」
 ティティスはその頃ふさぎ込んでいたから、みんな話かけにくかったのだろうとジョシュアは言った。
「それにしたって! リオン辺りが教えてくれてもいいのに!」
 絶対、面白がってわざと教えてくれなかったに違いない。とティティスは確信して、
(帰ったら覚えてなさいよ!)
 と、怒りに燃えていたところに、ジョシュアが思い出したように言った。
「あ、そうだティティス、これ、付き合ってくれたお礼に」
 一輪の赤い花をティティスへ差し出す。花弁の下に小さなリボンが結んであった。
 いつの間に買ったのか、ジョシュアの剣を吊るベルトに挟んであったのにティティスは全然気づいていなかった。
「君はその花が好きだって言ってたから」
 ジョシュアから花を受け取ったティティスは、しばしきょとんとそれを見つめてから、やがて恥ずかしそうにお礼を言った。さっきまでの怒りはすっかりどこかへ消え失せたらしい。二人とも上機嫌で傭兵団へ帰った。

(了)