滅びの竜は青い兎の夢を見るか

(退屈だな――
 この世に生を受けて以来、無限に考えてきたことを反芻はんすうしている。
 ラフニールは地の底から天を見上げた。といっても不思議な遺跡の最奥にあるこの場所からは青い空や白い雲など見えるはずもない。
 そも魔族は日の光を嫌って地下に都市を造った。そしてそれよりさらに地中深くでラフニールは永劫えいごうの時を過ごしている。
 見上げた天はどこまでも闇が続き、上に行くほど暗い。狭いのは困るが、それにしても今の小さな体にはうらめしいほど広い空間だった。
 無論地下に本当にこんな空洞があったら地の底が抜けてしまう。人ならぬ力が働いているに違いない。
(退屈だな!)
 ラフニールは視線を元に戻して繰り返し思った。
 気の遠くなるほどの年月の間にありとあらゆる思考を試したし、遊戯の類は概ね飽きた。それでもときたま独りで駒を動かす遊びをしたりはする。自分で考えた手を忘れた頃に自らそれの相手をするような気の長い話だ。
 ラフニールは闇の中にうずくまり、とぐろを巻いた。
 考えてもどうにならないことは考えるまい。この世の全てを焼き滅ぼすときが来るにしろ、ついに我が身が朽ちるときが来るにしろ、いつか命は尽きる。
 人間なら長すぎる孤独に気の狂いそうなものだが、この魔竜の創造主はそこまでの繊細さは持たせなかったらしい。ラフニールは待つしかなかった。
(近頃は「あれ」がないからな!)
 この前はいつだったか。百年前か二百年前か。思い起こすと少しわくわくする。
 この忌々しいおりの中で唯一の刺激。思いもよらない出来事。だがそれは外の世界の生き物にとっては当たり前すぎて何の感慨もないことなのだ。
 うとうとするようなあいまいな心持ちでラフニールは過ごした。数時間、数日、あるいは数年もその間に経っていたかもしれない。時間の長短などこの場所ではどうでもいいことである。
 はた、
 と、あるとき起き上がった。ラフニールの気の変化に応じるように周囲の空間までもが熱を帯びる。輝き始める。
―――
 ゆっくりと辺りの気配を探るにつれて、今まで闇でしかなかった場所がきらめき、燃え上がるような力の渦が巻き起こる。
 それだけで押しつぶされそうな威圧感があった。
(来たか――私を失望させてくれるなよ)
 ラフニールはまだ見ぬ「訪問者」へ心の中で呼び掛けた。心は躍っていた。長い間重くのしかかっていた退屈がこのときばかりは吹き飛ぶ。
 魔竜の体と魔力は焼け付くほどの熱を放った。それが哀れにもここへ迷い込んだ訪問客を絡め取って、居場所を灼熱しゃくねつの主へ教えてしまう。
!!
 客人はいつからそこにいたのか、ラフニールのすぐ足下にうずくまっていた。
 ラフニールの子供のような姿よりもっと小さい。見た目は丸い黒い毛玉で、魔力など存在すら知りもしないように、怖じもせずそこらをふんふんとかぎ回っている。野兎であった。
「なんだ、人間ではないのか」
 ラフニールはがっかりした。
「おまえのような小動物では人間よりもっともろい」
 野兎は我関せずと辺りを跳ねている。腹を空かせているのかもしれない。一体どうやってこんなところまでやって来たものやら。
 人間ならラフニールの神々しいまでの魔力に畏怖するところであるが。
「おい、おまえは世界を焦がし滅ぼす魔竜の前にいるのだぞ」
 試しにラフニールは本来の竜の姿に戻ってもみた。空間から熱を食らったかと思うようなすさまじい魔力の激流が生じ、その中心で巨大な、全身を炎と同じ色の鱗に覆われた翼竜が咆哮ほうこうする。
 が、野兎はきょとんとこちらを見上げているばかりだった。多少は怖がってもいいと思うのだが。さすがにここまで生き延びてやって来ただけはある。妙に肝が据わっている。
 ラフニールは面白くなかった。
 人の姿に戻ると、野兎をむんずと捕まえた。捕まえられて野兎は初めて暴れた。よく見ると黒い毛皮は青みがかって光っている。
「さっさとね!」
 とラフニールは野兎を結界の外へ放り出した。
 こうしてまた独りきりである。元のように闇の中でとぐろを巻いた。目をつぶってうとうと夢想する。
 空想の中でラフニールはさっきの青黒い野兎になって、いかにも自由に外の世界の野山を駆け回っていた。もっともラフニールは外がどんなものか知らない。彼の思い描く世界が人間の知る物と同じだとは限らないが。
 それにしても退屈を紛らわすには悪くない空想だった。ラフニールは随分長い間それを続けた。何時間か、何日か、何年か。
 ようやく飽きて目覚めた頃には、あの野兎はもうとっくに命が尽きて死んでいるのかもしれなかった。

(了)