若草
「信じられないわ!」
トーニの村を離れ街道に出てからというもの、ティティスはそればかり言っている。
同行していたジョシュアやミロード、バルドウィンは苦笑いしていた。
ティティスはさらに言った。
「あの偏屈者の頑固オヤジに、あんな品のいい奥さんがいるわけないじゃない!」
「そうは言っても、現にいたわけじゃからのう」
くつくつとバルドウィンは肩を揺らして笑った。
トーニの静かな夜に現れる徘徊老人事件を解決した功労者のバルドウィンだが、旅の疲れが顔色に出ている。それを察したらしいミロードが提案した。
「この辺りで少し休んでいきましょう。農村も近いし、危険のある場所でもないでしょう」
なだらかに続く山裾に葡萄畑が広がっており、農作業をしている農夫たちの姿がぽつりぽつり白い点になって揺れている。
ジョシュアとティティスは賛成した。
「人をそう年寄り扱いするでない」
とバルドウィンは肩をすくめた。
ミロードは言った。
「年を取れば年寄り扱いされておくものよ。誰だってそうなの。私もいつかはおばあちゃん扱いされるでしょうけど、恥ずかしいことだとは思わないわ」
「ははは、かなわんのう」
四人は小一時間ほど休憩を取った。
街道沿いに石造りの十字架が建っており、旅人や馬が足を休める場所らしい。ミロードとバルドウィンがそこで荷の番をしている間に、ジョシュアとティティスは近くの農村へ飲み物を分けてもらいに行くことにした。
その帰り、畑の脇道を並んで歩きながら、ティティスはさっきの話を蒸し返した。
「ねえ、ジョシュアも意外だと思わない? あの徘徊オヤジにあんな素敵な奥さんがいるなんて!」
バルドウィンに夜間の外出を控えるよう説得されたトーニの老人のことである。
彼を家に送り届けた翌朝、ジョシュアたち四人はエステロミア傭兵団へ帰還するため出発した。その際、老人とその夫人が見送りに来てくれた。
「確かに、上品なご夫人だったね」
とジョシュアも認めるところである。
夫人は礼を尽くして四人に別れの言葉を述べてくれた。無口で控えめそうな老女で、さぞかし夫に手を焼いているのでは――と思いきや、老人も夫人の前では紳士で、なんだか格好をつけているように見える。
四人が出発してからそっと振り返ってみると、夫妻は仲良く手をつないで帰っていくところであった。
「あんなに仲のいい奥さんがいるなら、奥さんから徘徊を止めるように言ってくれればよかったのに」
「まあ、ご老人にも奥さんに言えないような事情とか悩みとかあったんじゃないかな――だからといって村の人に迷惑をかけちゃいけないと思うけどね」
「そんなものかしら」
「僕たちも年を取ってみればわかるようになるのかもしれないよ」
と、ジョシュアが言うと、ティティスはちょっと戸惑ったような顔をして、
「そうね」
とうつろな返事をした。
「あんなふうに二人とも年を取って、おじいちゃんおばあちゃんになっても仲睦まじいのは素敵だと思うわ」
「君も憧れる?」
「そりゃ――」
ティティスは歯切れが悪い。
(何かまずいことを聞いたかな?)
とジョシュアは首をひねった。ジョシュアが間の抜けた顔をしていたせいか、ティティスはもう一歩踏み込んだ返答をよこした。
「だけどもし、あたしがこのままずっと森に帰らずに街で暮らしたとするとよ――」
そこまで言われて、やっとジョシュアは、
(あ――)
思い至った。
ティティスはエルフなのだ。
エルフの寿命は人間よりずっと、はるかに長い。
夫婦共白髪になるまで添い遂げるのがいい、とは、人里に身を置くティティスには悩ましい憧れなのかもしれない。
「もし、その、誰か好い人ができて、け、結婚とかしたいと思っても、やっぱり相手も困るじゃない。あたし一人こんな風なままだったら」
「困ることなんてないよ」
と、ジョシュアは勢い込むようにして言った。ティティスはびっくりして碧眼を丸くした。
「そ、そう?」
「二人が納得してるならどんな形でだって、他人に口を出されるようなことじゃないんだ」
それに、と語を継いだ。
「もし僕ならきっと、奥さんがずっと若くて綺麗だったらみんなに自慢するよ、うらやましいだろうって」
そこまで言い切ってから、ふと振り返ると、ティティスは頭の先から首の付け根まで真っ赤になっていた。
一瞬、ジョシュアは自分が言ったことを頭の中で反芻して思い返してから、自分も赤くなった。慌てて弁解した。
「い、いや、あのっ、これは別に僕が君とその、そういうつもりじゃなくて、きっと誰でもそう思うはずだろうって――」
弁解しながらしゅんと小さくなって、
「ごめんよ、気休めにもならないだろうね、これじゃ」
慣れないことは言うものじゃない。
「いいのよ――励ましてくれたんでしょ? ありがと」
ティティスに顔をのぞき込まれると、ジョシュアは恥ずかしそうに目をそらした。
ティティスはくすくす笑い、
「ジョシュアはきっとチャーミングなおじいちゃんになると思うわ」
じゃれ合いながら戻ってきた二人の姿を見つけたミロードとバルドウィンは、木陰で脚を伸ばしながら、
「若いわねぇ」
「若いのう」
とそれぞれにぼやいていた。
(了)