酒場にて

「見ろよ」
 と指さされた先を見ると、込み合った酒場の隅で、けばけばしい衣服を乱した娼婦の後ろ姿が下から突き上げられて上下していた。地毛かどうか疑わしい金髪が麦穂のようにざわざわ揺らめいている。だらしなく開いた口から突き出した舌がときおり艶めかしく上唇をなめる。声までは喧噪にかき消されて聞こえなかったものの。
 見ろと言われて見たはいいが、傭兵団長が何も言わないままでいるので、リオンはからかうように笑った。
「殿下には刺激が強すぎましたかね」
「よしてくれ」
「ご感想は」
「まったく宿に引き取りもせずこんな場所で、聖書で推奨されているような行為に及ぶとはうらやましいことだ」
「へっ」
 とリオンは強い蒸留酒をなめながら笑った。
「うらやましいなら買うかね」
「見物だけしているのも馬鹿らしい話だが――まあやめておこう」
「禁欲的なことで」
「お褒めにあずかって光栄だ」
 リオンは酒の入った器を置いて、両手で膝の上に女を抱えるような仕草をして見せた。
「どんな野郎だと思う?」
「何が」
「あの金髪の下でこういう格好してるヤツがだよ」
「そんなことを言ってあれを見たいだけだろうおまえは」
「あんた見たくないのか」
「見たいとも」
 二人は一緒にくだんの方を凝視した。
「リオン、あの娼婦は知った顔か?」
おんななら誰でも知ってるとでも思ってんのかよ。少なくともこの辺の妓楼の妓はこんな場所でいたさねえ程度には上品だぜ」
「とするとあまりたちのよくない娼婦を買ったと見える。金がないんだろう」
「金がない男なんざごまんといる」
「金のない剣士だ」
 と、団長はだんだん動きが速くなってきた娼婦の体を頭からお尻までねめるように眺めて言った。女の背をつかむ男の手だけは見えているが、別段剣や鞘のような物がのぞいているわけでもない。
「どうして剣士だとわかる?」
「ふふっ」
 団長は好色そうに笑った。
 リオンも娼婦の胸元で上下に揺れる乳房をにやにや見つめている。
「まあいい、他には?」
「しばらく前――クォドランとの終戦間際頃には仕事もあったようだがその後はさっぱりだったらしい。しかも近頃足を悪くしたようだ。あれでは剣は振れまい。その腹立ちまぎれに娼婦相手に励んでいるのかな? おそらくだがこの国の人間ではない」
「はっきり言えよ」
「断定できるほどの証左はないのさ。だがまあおおよその見当なら付く」
「なら俺の予想と答え合わせといこうぜ」
「いいぞ」
 せーの、と二人は声をそろえた。
「クォドラン帝国軍兵士残党」
 それに呼応したように、娼婦が一際大きくのけぞってあえいだ。絶頂に達したか、その振りをしたかというところである。
「振り、だな」
 は、とリオンが肩をすくめた。団長は酒を一口含んだ。
「おまえはどうしてわかった?」
「女が馬乗りでマジにイくときってのは案外もっとこう前のめりに――
「そっちじゃない」
 帝国軍残党の話である。
「ちらっと見えた顔が、この前の任務で取り逃した野郎に似てると思ったんでな」
「なるほど」
「そっちこそ、種明かししろよ。まずどうして剣士だなんてわかった」
「手を見ればわかる」
 と団長は答えた。
「腕から手にかけてたくましい。右手の指はタコだらけのようで随分太い。腕に比べて手が白いところを見ると日頃手袋をはめているんだろう。ガレスやジョシュアのようにな。普通の剣士は革の手袋くらいは身に着けてるもんだぞ、おまえと違って」
「悪かったな」
「娼婦のそばのテーブルに乗っている銀貨は、彼女への報酬だろう。ここから見てもわかるくらいいびつで質の悪い物だ。終戦間際の貧しい頃にああいう貨幣が作られた。今は陛下が流通させないようにしているはずだから、あれは当時貯えたのを今まで少しずつ崩してきたのじゃないかと思う」
「足のことは?」
「ときどき娼婦が気遣って体の位置をずらしてやっている。右足――膝の辺りらしいな。この国の兵士なら、その辺の教会に駆け込めば無償で多少の治療は受けられる。ただし身元を明かして城に届けられることになるから、それを嫌って治療を受けていないとすればだ」
――種を聞いちまうと、なんだそんなことか、だな」
「世の中の不思議というのはだいたいそんなもんだ」
「で、どうする」
 リオンがにわかに真面目くさった顔つきになって声をひそめた。
「野郎の腰が抜けてる間にとっ捕まえるかよ」
「まあ焦るな。そろそろ傭兵団から応援が来る頃だ」
「応援? あんたまさかそこまで見越してたってわけじゃねえだろう?」
「ま、じきにわかる」
 しばらくして、娼婦は帝国軍残党の男から離れ、身なりを整え報酬を握って去っていった。男の方はぼんやり座ったままでいる。
 と、急にリオンは背後に気配を感じた。
「あー! やっぱり二人ともこんなところにいた。団長、みんな心配してたんだから! どうせリオンが連れ出して――むぐ!」
「なるほど応援が来た」
 リオンは振り向いて、後ろで開口一番小言を垂れんとしていたハヅキの口を手でしっかり押さえた。
 後に続いて来たアイギールには、団長が人差し指を立てて「静かに」と仕草で伝えた。
「いやまさか君まで来てくれるとはな、アイギール、嬉しいよ」
「ふざけてるの?」
「そんな命知らずなことはしない」
 帝国軍残党を見つけたのだと説明するとハヅキもアイギールも納得したようであった。
「リオンが最初に気付いたんだ」
 団長が教えると、ハヅキは感心したように目を輝かせている。
「すごいじゃん! どうやって見つけたの!?
 答えあぐねているリオンの耳元に団長は口を寄せ、
「黙っておいてほしいか」
 咎人とがにんを脅すようなことをささやく。
「て、てめっ――
「では今夜はおまえのおごりということで」
 ぽん、と肩をたたかれ苦りきった顔をしたリオンに、ハヅキはきょとんと首をかしげ、アイギールは何やら察したらしくため息をもらした。

(了)