聖母様のおみ足

 昨晩降り続けていた雨は明け方になってようやくやんだ。
 路傍の草に付いた露を僧衣の裾で落としながらシャロットは歩き続けている。
「よかったですわね、雨がやんで」
「そうか?」
 と、隣を歩いているリビウスがにこりともせず言った。
「むしろ雨が降ったままだったら、馬車の一つも頼めたかもしれないぞ。シャロット、君もこんなぬかるんだ道を歩かずに済んだだろうに」
「でも雨上がりで晴れた空はきれいですし、風が澄んで心地いいじゃありませんか」
「君がそう思うなら私は別にかまわないが」
「それに――
「それに?」
「歩いた方が行き先にもゆっくり着きます」
「ゆっくりした方がいいのか?」
 リビウスは素朴に首をかしげた。生真面目というか行間が読めないというか鈍い。
「ええ、まあ、その、いいんです」
 とシャロットはいささか恥ずかしそうにうつむいた。
 二人が目指す先は傭兵団からさほど遠くない農村にある小さな教会であった。そこに勤める老牧師に聖教の教典の鑑定を頼まれて来たわけである。リビウスはシャロットの護衛も兼ねているといったところだろう。
 昼前には村に着き、教会へ赴いて用事を済ませた。
「わざわざお越しくださってありがとうございました。おかげさまで助かりました」
 人の良さそうな牧師に見送られ教会から出ようとしたとき、二人は出口のそばに置かれた聖母像に気付いてそれを見上げた。布をまとった聖母が天を仰いで祈りを捧げている姿をかたどった物だ。
「素敵な聖母像ですね」
 シャロットはそう評したが、リビウスは何か言いたげな顔はしたものの口をつぐんだまな外へ出た。
 帰路に着いてからシャロットはリビウスにそのことを尋ねた。
「ああ、さっきの聖母像のことか?」
「はい」
「確かに美麗な像だったが、少々いかがわしい気持ちで作られたようだったからな。ああいうものはあまり感心しない」
「い、いかがわしかったでしょうか?」
 そう言われてみれば、聖母像の足元辺り、少しわざとらしいくらい布がめくれて膝から下がなまめかしくあらわにされていたような気がする。
(相変わらず真面目なんですねぇ)
 とでも言いたげな、ちょっと困った顔でシャロットはリビウスを見た。が、口には出さなかった。
 二人は帰り際に商店に寄るついでもあり、行きとは違う道を通った。
 その途中に小川があった。いつもは大人なら飛び越えられるほどの川幅だが、今日は昨晩の雨で増水している。川の中に置かれた飛び石も濁った流れで隠れてしまっていた。
「しかしまあ歩いて渡れないほどでもないだろう」
 リビウスが川の深さや流れの速さをうかがった。増水しているとはいっても、せいぜいすね辺りまで浸かる程度で済むだろう。
「そうですね」
 シャロットもうなずいた。そして気も早く僧衣の裾を少しまくり上げた。まぶしいほど白くほっそりしたすねがあらわになる。
 リビウスは思わず大きな声を上げた。
「おいシャロット!」
「えっ? な、なんでしょう? 私何かしましたか?」
 戸惑ったようにおろおろしているシャロットを見て、リビウスは咳払いを一つしてから僧衣の裾を下ろさせた。
「君も近頃傭兵団の女性諸氏のおてんばがうつってきたな」
「あの、でもこのままだと水にれてしまうのですが」
「心配は無用だ」
 いきなりリビウスはシャロットを横抱きに軽々抱え上げた。
「きゃっ!」
「これなら濡れはしない」
 自分は衣服が水浸しになるのも構わず川に入っていく。シャロットが申し訳なさそうにしても、
「当然のことをしたまでだ。気にするな」
 と平然としている。
 シャロットはもう一つ気がかりなことがあって、遠慮がちに聞いた。
「え、ええと、リビウス様、もしかして私のこともその、いかがわしいとお思いになりましたか?」
「そんなことは思うものか。君はあの聖母像とは違って無邪気で清らかだ。それに君の足の方がよほど美しかったさ」
 リビウスの言葉に迷いはなかった。リビウスに冗談が通じないのは今に始まったことではない。冗談はやめてくださいと笑ってごまかそうにも、本当に本心からそう思ったのだ、としかリビウスは言わないだろう。
 シャロットは返答に困って顔を赤らめすっかり黙りこんでしまった。結局、傭兵団に帰るまでほとんど口を利けずじまいだった。話しかけてもろくに返事もなく、リビウスは生真面目に首をひねるのであった。

(了)