忠実なる陛下の僕より

「我らが仇敵きゅうてきクォドラン帝国は、先の降伏後中央での軍事力こそ衰えたものの依然帝国軍の残党共は我が国での活動を続けております。近頃特に市民を巻き込んだ破壊活動が増えて参りました。死傷者は増える一方です」
 騎士団団長の重々しく語る言葉にエステロミア国王は沈痛な面持ちで頷いた。この王はあまり笑わないので悩める国王などと揶揄やゆされることもあるが、まださほど老獪ろうかいとも言えない双肩にそれだけの重責を背負っているのである。
「わしも聞き及んでいるところだ。騎士団長、そなたの率いる騎士団の勇猛な働きがなければ被害は今以上に甚大だったことだろう。そなたは我が誇りだ」
「恐悦に存じます、陛下。しかし我ら騎士団の働きばかりではございません。傭兵団の力には幾度も助けられました」
 と騎士団長はいかにも騎士らしい謙遜を見せた。正面の席に着いているマールハルトへ一瞥いちべつをくれる。マールハルトは恭しくその視線を受け止めた。
 城の政務室に国王を筆頭に騎士団長、マールハルトの他数名の重臣が集まり、一つの卓を囲んでいる。その中の一人が苦々しげに言った。
「傭兵団と言えば、此度こたびも傭兵団長は登城せなんだか」
「申し訳ございませぬ。傭兵団長におかれましては日々民の求めに応じるため部隊の指揮監督に一刻の暇もござりませぬゆえ」
 とマールハルトがすかさず答えた。
「マールハルト卿! それは何か、我らが暇を持て余しているとでも――
「滅相もございませぬ。皆様がどれほど我が国の将来を憂い尽力なさっているかわたくしが存じ上げぬとお思いでございますか。当傭兵団団長は若年にございますゆえ、少しでも皆様に倣って立派な働きができるようにと死力を尽くしておるのです。どうぞお許しくださいませ」
「相変わらず口の上手いことだ。傭兵団長の元へ幾度か刺客が送り込まれたとの噂もあるそうではないか。案外この場へ現れたことがないのも我らが信用ならぬとの考えではないのか」
「マールハルト殿」
 と騎士団長も言った。ただしこちらはトゲがなく礼を尽くした口調だった。
「もしそのように傭兵団長がお思いなら心外の至りだ。どうぞご安心して登城なさるがよいとお伝えしてほしい」
「はっ。そのように私から申し上げておきましょう」
 マールハルトが丁重に低頭したとき、誰とはわからないが口を挟んだ。
「まったく、同じ先王の血でも腹が違えばここまで違うとは」
「! 陛下の御前ですぞ!! なんと礼を欠いた――
「マールハルト卿、大きな声を出すとはそなたらしくもない」
 ふいの貴い声にマールハルトは、はっとして、国王の方を振り返った。
「陛下――申し訳ございませぬ。私こそ御前にて非礼なことをいたしました。お許しを」
「よい。他の皆も心を鎮めるよう。傭兵団長のことに関してはわしからも皆に謝らねばなるまい」
 臣下たちの視線が国王へ集まる。その中には決して油断のならないものもあるように思われた。国王は次のように付け加えざるを得なかった。
異母弟おとうとだからというわけではない。傭兵団は我が直属の部隊。全ての責はわしが負っているのだ。監督が行き届かず皆に苦労を掛ける。これからも厳しい指導を願いたい次第だ」
 国王は慎重に言葉を選んだ。言い終えて周囲の様子を注意深くうかがうと、先ほど感じた緊張は薄らいだようであった。
 国王は、ほっと密かに息をつき、そして少し寂しげに目元を曇らせた。


 城から傭兵団へ帰営したマールハルトの機嫌はかなり斜め向きになっているようであった。さすがのエステロミア傭兵団長も無視しきれず、仕方なく聞くしかなかった。
「マールハルト、よほど城で腹の立つことでもあったのか」
「あなた様が登城なされば私とてこのような思いをせずに済みましたぞ」
「私が城へ行かないのはいつものことじゃないか」
 団長は書きかけている書面に目を落とした。よほど大事な文章をしたためているのか、ふうむ、とうなる。
「帝国軍残党に関する議論というのは興味があったが、あんなところへ行く気がするものか」
「しかしですな」
「だいたい私が出向いたところで何になる。お偉方の前で何を言うにもにらまれて座りっぱなしでケツが痛くなるのを待つくらいなら、傭兵団で民の声を聞いている方がずっと益になるのじゃないか? それに私はあまり信用ならん人間に囲まれるのは好きじゃないんでな」
「最後の件に関しては騎士団長があなた様の身の安全を請け負っております」
「私にとっては所詮よく知りもしない人間の言うことだ!」
「聞き分けのないことをおっしゃいますな!」
 マールハルトにしては珍しく叱りつけたので、団長はびっくりして思わず書類の陰に隠れるようにまでした。
「なんだマールハルト――今日はよほどこっぴどくやられたのか? 城のクソジジイ共の嫌味なんぞ気にすることは」
「私とてあのような輩共の言うことでしたら右の耳から入って左の耳に抜けましょうぞ!」
「じゃあ何をそんなに」
「私は情けないのでございます!」
 とマールハルトは嘆き、
「国王陛下の御心を安らかにして差し上げられないことがです。あなた様のために王者たる陛下が臣下に許しを請い、しかもその言葉の一つ一つにすら油断のならない始末とは」
――陛下も気苦労の多いことだ」
 団長はぷいとマールハルトから顔をそむけた。
「私のことで陛下が引け目をお感じになることはないと伝えておけ。登城しないのは私の無精グセのせいだ」
「たとえそうだとしても陛下はあなた様のために臣下へ低頭なさるでしょう。陛下は――御兄君は」
「よしてくれ!」
 マールハルトの言葉を遮り、以後は書面に向かったきりでマールハルトが何を言ってもとりつくしまがない。マールハルトの方もついに話にならないと観念して、部屋を出て行こうとした。
「おいマールハルト」
 そのときになって団長はようやく顔を上げた。そしてわざわざ呼び戻した。もっと早く引き止めればいいのに、余計な手間を食わされたがマールハルトは文句を言わない。
 団長はむっつり不機嫌そうな顔で書き終えた書面を丸めて封蝋ふうろうをし、宛先を記した紙片を添えて突き出した。
「出て行くならついでにこれを郵便屋に持たせてくれ」


 エステロミア国王の元へは日々国民からの請願・嘆願が寄せられる。
 所定の様式にのっとったものであれば、最終的に取り上げられるにしろそうでないにしろ、国王はそれらすべてに目を通す善良な王だった。
 城へ書面で送られた意見書は係の者がまず開封して危険のないことだけ確かめてから、まとめて国王の手元へ届く。
 ある日、その係の家臣が変な顔をして国王の元へやってきた。
「本日付けで届いた意見書でございます――がその」
「どうかしたのか」
「はあ、それが、少々変わっておりまして。一番上のものがそれにございます」
 国王が言われるままに手に取ってみると、至極丁寧な文章で次のようにつづられていた。

 親愛なる国王陛下へ
 陛下におかれましては我らが国を平らかにお治めになるため、御心をお砕きあそばしていることとお察しいたします。
 こと昨今クォドラン帝国軍残党が多くの市民を苦しめていることに関して、懇篤なご気性の陛下は大いにお悩みであろうと存じます。
 帝国軍残党は各地の町村や砦に拠点を持っているばかりではございません。一部は盗賊として、あるいは何食わぬ顔で我らが国民に紛れ込んでいるのです。案外我々や陛下のお近くにまで迫っているのかもしれません。これは誉れ高き我らが騎士団でもいまだ知らぬ事実であると存じます。
 かような者共を根絶せぬ限り帝国軍の脅威はついえぬでしょう。それによってたとえ身近な者を失うことになっても我らが国のためとあらば――
 そしてその任は昨今武勇に名高い陛下直属の傭兵団へお任せになるが最善と存じます。なぜならば騎士団よりも民に近く生活し、敵を警戒させずに任を果たすことができるためでございます。傭兵団は日々鍛錬し陛下のために働くときを待ちかねていると聞き及んでおります。――傭兵団長こそ少々無精な気性ではあるものの。

「これは――
 国王はそこまで読んで目を白黒させながら、最後の一文に視線を落とした。一見社交辞令的だが急いで書き加えられたらしくそこだけ筆が乱れている。

 少しでも陛下の御憂いを晴らし、一日も早く御尊顔にお優しい笑みを取り戻される日が来ることを願っております。

 差出人の名前はなかった。匿名となっている。
 国王は文面を頭から最後まで読み返してからつぶやいた。
「どういう気まぐれが起きたものか――いやわしの独り合点かもしれぬ。が、それでも悪い気はせぬものだ」
 家臣は意味がわからず不思議そうに首をかしげている。彼を下がらせてから、国王はもう一度同じ書面をゆっくりと読み直した。ところどころの文字の綴りに見覚えがあるのは気のせいだろうか。
 国王は困ったように眉尻を下げ目を細めて微笑んだ。悩める王の顔に久しぶりに浮かんだ笑顔がそれであった。

(了)