浮気心

 今朝方から出撃していた部隊が帰還したらしい。シャロットが迎えに出ると、ちょうど玄関でリオンとハヅキが靴の泥を落としているところだった。
「おお、シャロットいいところに来たな。ちょっと持っててくれ」
 と言って、リオンが右手に乗せていた毛玉を無造作にシャロットへ渡した。
「きゃっ、なんです――あら子猫!」
「傭兵団のすぐそばで拾ったんだ。親兄弟は見当たらなかったから近くの村から迷ってきたんじゃないかな」
 ハヅキが言い添えた。
 シャロットに抱えられて胸元へ収まった小さな茶色の縞模様の子猫は生後一、ニヶ月くらいだろうか。いかにも好奇心旺盛そうなまん丸い黒目をくりくりさせてシャロットの顔を眺め回している。
「まあそれなら早く飼い主を探してあげなくてはいけませんね。こんなに可愛い子がいなくなったらきっと心配なさっていますわ」
 シャロットはしばらくにこにこしながら子猫をなでていたが、リオンが荷解きを終えると子猫を返して、
「お腹を空かせているかもしれませんから、私台所から何か取ってきます」
 と、そわそわと廊下の奥へ姿を消した。
「おいおい、俺たちより猫が先か」
「いいじゃないかリオン。ねえオレにも抱かせてよ」
「しゃーねぇな。ほらよ」
 なんだかんだ言ってこの二人も子猫に構って玄関先でぐずぐずしている。それをよほどさとく嗅ぎつけたらしい。二人はふいに不気味な気配を感じて一緒に顔を上げた。
――ジュラン」
 ジュランが階段の陰から目を光らせてこちらの様子をうかがっている。ハヅキが、
「あ、あのジュラン、ジュランも子猫――
 と誘い終えない内に、戦闘でもそれぐらい俊敏に動けと言いたくなるほど素早く近づいてきて、興奮気味に子猫を腕に抱いた。もう、メロメロ、としか形容しようがないような弛緩しきった定形外の表情である。ハヅキが子猫を拾った経緯を説明したがちゃんと聞いていたのか怪しい。
「ああなんて可愛いんでしょうね!」
 天使ですよ天使! などと毛並みをなでてはうっとりしたり、ふわふわしたあんよを握って感に堪えないといった風である。
 リオンが苦笑して、
「相変わらずだなおまえ」
「研究と猫とどっちが大事かと聞かれたら三日悩んでなお答えが出ないほどです」
「いや意味がわからん――だいたいおまえ自前で猫を飼ってるじゃねえか。あの黒いの」
「それがどうしたんです?」
「猫なんて毎日思う存分触ってるだろうが」
「それはそれ、これはこれです」
 ジュランは大真面目な口調できっぱりと言った。そしてすぐまた笑み崩れて子猫とたわむれ始める。
 リオンはハヅキを見下ろして顔を見合わせ肩をすくめた。
 が、ふと何事か思い付いたらしい。くるりとジュランに向き直った。
「いや、待てよそうか、たとえて言うなら嫁さんがいてもやっぱり娼館で綺麗な女といちゃいちゃして遊びたいようなもんか?」
「全っ然違いますよ!」
 ジュランが急に大声を上げたので、腕の中の子猫が驚いてじたばた暴れた。
「ああ、おおよしよし大丈夫ですよ。この与太者のおじさんが悪いんですからね」
「お、おまえ、仲間に向かって与太者はねえだろうがよ――
 しかもおじさんときた。
 さすがに言い返そうと考えたリオンは、しかし口を開くと思わず間の抜けた声を上げた。
――あ」
「今度は何です」
 ジュランがリオンの視線の先を追うと、さっきまで自身がひそんでいた階段の陰にすらりと細身の黒猫がちょこんと座っている。

 にゃぁあん、

 と不満気な鳴き声を上げ、不潔なものでもねめるように非難がましい目つきでジュランを見ていた。まるで亭主の浮気を見つけた妻のような顔――に見えないこともない。
 黒猫は、ぷい、とそっぽを向き階段を駆け上って行ってしまった。
 ジュランが慌てたのは言うまでもない。
「ちょ、ちょっと何か誤解してるんじゃありませんか!?
 子猫をリオンへ返して自分の飼い猫を追って行ってしまった。
「ほらみろ、やっぱり女と同じようなもんじゃねえか」
―――
 ハヅキが横から手を伸ばして子猫を奪い取った。
「なんだよハヅキ」
「リオンに触らせとくとスケベなのがうつりそうだ」
 ハヅキは、むすっ、と口を横一文字に結んで、それでも手つきは優しく子猫の頭をくしゃくしゃになで回した。

(了)