ナイトキャップ

「あああああっっ!!
 絶叫とともにジョシュアは寝床から跳ね起きた。
 まるで険しい道を行くように呼吸が荒く、胸は早鐘を打つように高鳴りする。おまけに背中にびっしょり寝汗をかいている。
―――
 顔を上げ、自室で眠っていたことをようやく思い出して深く息を吐いた。
「う――
 手で顔を覆ってうなだれる。額も汗でじっとり濡れていた。寒気のする体を抱くように膝を抱え込んで頭もうずめた。
 夜明けは遠く室内は重苦しいほどに暗い。
 一人きりだ。
 誰もそばにはいない。
 じっとしているとやり場のない不安と心細さに押しつぶされそうだった。ジョシュアはそれでもしばしぐずぐずしていたが、やがて思い切りをつけ寝床を抜け出した。
 部屋を出て、鈍い足取りで階段を下りていく。どこに行ったって一人には違いないけれど、狭い自室よりはましだろう。
 食堂の前を通りかかったときだった。
「?」
 両開きのドアの下から薄っすらと明かりがもれている。
 誰かいるのか、それとも火を消し忘れているのかと思って中をのぞくと、ティティスが一人でテーブルに着いていた。
「ティティス」
「きゃっ!」
 いきなり声を掛けられてティティスは随分驚いたらしい。椅子から飛び上がらんばかりにして、ジョシュアの方を振り返った。
「なんだ、ジョシュア、こんな時間にどうしたの」
「君も眠れないのかい?」
 ジョシュアは食堂へ入り、ティティスが座っている席の隣の椅子を引こうと――思い直して、もう一つ隣の席に座った。
「うん――ちょっとね」
「そう」
「ジョシュアもその様子だとよく眠れなくて下りてきたのね」
 ティティスはジョシュアの顔をのぞき込むようにして言った。オレンジ色のランプの光に照らされた目元はかげり、憂鬱そうにまつげを伏せている。
「まあね。少し、嫌な夢を見て。君は?」
「あたしは逆かな」
「逆って? 夢見がいいのに眠れないなんてことあるかい?」
 ティティスは答えにくそうにもじもじしていたが、そのうち観念したのか、
「そ、その、森の夢を見て、なんだか懐かしい気持ちになっちゃって寝付けないのよ」
 と答えてさらに、
「だけど、別に寂しかったわけじゃないからね」
 と、付け加えた。
 ジョシュアは、くっと肩を揺らして初めて相好を崩した。
「そうなんだ。エルフの森が恋しくて眠れないわけじゃないんだね」
「そうよ! 帰りたくなんかないけど、ほんのちょっと懐かしくなっただけ」
「うん」
「もう! なんでそんなに笑ってるの?」
「いや、ごめん、笑ってるつもりはなかったんだけど」
 ジョシュアはティティスの機嫌が斜め向きになりそうなのを見て話題を変えた。
「そうだ、寝付けるようにナイトキャップでも作ろうか」
 そそくさと席を立ち、厨房ちゅうぼうへ向かった。ティティスも興味ありげに後をついて来た。
 かまどをのぞくと、灰をかぶせた下にわずかに火種が残っている。それを吹いておこし、小鍋にワインとたっぷりの蜂蜜、それにシナモンを加えて温める。火の前で腰が引けているティティスは、手近にあった果物のカゴからレモンを一つ取って離れた。
「ジョシュアー、この前みたいにスパイス入れすぎないでよね」
「大丈夫だよ、今度は」
「あれはなかなか強烈な味だったわよ」
――君が遠征中に作った食事に比べたら大したことないと思うけどな」
「何か言った?」
 いや別に。とかぶりを振った脇からティティスがスライスしたレモンを皿に乗せて差し出してきた。それも鍋に入れ、ほどよく温まったところで火から下ろす。
 カップにそそいだホットワインを持って食堂へ戻った。ジョシュアが元の席に座り、ティティスはそのすぐ隣に腰を下ろした。ジョシュアは何も言わなかった。
 二人で他愛のない話をした。
 任務のこと、街で流行はやりの歌のこと。子供の頃のイタズラ。森での遊び。フライアガリンは塩漬けにして毒を抜くと美味なこと。ただし食べ過ぎると肝臓をやられる。
 しまいにはマールハルトのヒゲの長さが左右で微妙に違うというようなことまで話して、いつしかワインのカップも空になった。
 ジョシュアがふと横を見ると、ティティスはうつらうつら舟をこいでいる。ワインのおかげで体がぽかぽか温まったせいだろう。
「ティティス、部屋に戻って寝なよ」
 と声を掛けてみても、ティティスはあいまいあいまいにうなずいているばかりでらちが明かない。
「仕方ないな」
 ジョシュアはティティスを抱え起こそうと肩に触れ――たついでにイタズラ心が湧いて、目についた亜人特有の細長い耳の先を軽くつまんで引っ張ってみた。
 途端にティティスは跳ね上がるように身を起こした。
「ひゃっ!?
 すぐさまジョシュアをにらんだ。
「な、なな何するのよいきなり!!
「ご、ごめんそんなに驚くと思わなかったから。でも、まあ、目が覚めたならちょうどいいや。もう部屋に戻ろう」
 二つのカップを厨房に片付け、別れ際、
「さっきは怒鳴っちゃってごめんね」
 とティティスは素直になって謝った。
「あ、あのね」
「なんだい?」
「あの、ありがとう。一緒にいてくれて。一人だったらきっと明け方まで眠れなかったわ」
――どういたしまして。今度はちゃんと寝付けそうかい?」
「うん――おやすみ」
「おやすみ」
 ジョシュアは立ち尽くしたまま、暗い廊下に消えていくティティスの後姿をぼんやり眺めた。
(一緒にいてくれてありがとう、だって)
 そんなふうに言われたら胸の奥がくすぐられるようでこそばゆい。二人でいたひとときの間にもし自分の孤独のみが癒えただけだったのなら、きっとこんな気持ちにはならなかった。
「あ――こちらこそって僕もお礼言えばよかった」
 ぼやきながらジョシュアも自室の寝床に帰った。安息の眠りを妨げるものは、少なくともこの夜が明けるまでは、心の隅に影をひそめて大人しくしていることだろう。

(了)