騎士であり乙女

 コツ、
 コツ、
 とたどたどしく階段を下りてくる足音が聞こえる。大人の足音のように重厚ではなく、かといってあの小さな猫人族ほど身軽でもない。
 クロウがただ一人きりで階上から下りてきたところだった。
 異教の僧の魂にはいささか窮屈な体を、それでも重そうに引きずるようにして一歩一歩ようやく歩いているという風である。まだ体が癒えきっていないのだろう。
 少々足下がおぼつかず、
 ふら、
 と揺らいだ体を、急に背後から伸びてきた腕が支えた。
―――
 クロウが泰然と振り返るとアルシルが立っている。彼女にしては表情を露わに眉根を寄せている。
「大丈夫?」
「ああ、すまない」
 クロウは一つ深い呼吸をして両足でしっかり体躯を支え直すと、アルシルの手を離れた。
 アルシルは言葉少なながら心配そうだった。
「まだ顔色が悪いわ」
「オレには時間がない」
 と言い捨てて再び歩きだそうとする。その眼前を遮りアルシルは右手を差し出した。
「どうぞ」
 せめても手を取って支えにしてほしいということらしい。クロウはアルシルをちらりと見上げて一瞥いつべつし、
格好なりがこんな風だからといって」
「別に子供扱いしているわけじゃないわ」
―――
 クロウはしばし沈黙し、それから素直にアルシルの手を借りた。
 二人はゆっくりと歩調をそろえて階段を下りていく。
「紳士だな、君は」
―――
「少し前までは君の方が幼かったが――
「あなたこそ子供扱いしないで」
 アルシルはいくらか雄弁になっているように見えた。ちょうど照れ隠しでもしているような風情だったが、クロウには察せざるところらしい。
「私は――誇りあるエステロミア傭兵団の戦士として当然のことをしようと思っているまでよ」
「勇ましいな」
 ふん、とクロウはどこか揶揄やゆするような調子で笑った。
 アルシルの表情へにわかに血が通った。いくらか気分を害したようでもあったが、同時になんとなくくすぐったそうでもある。
――オレは君を侮辱したつもりはない」
「わかってるわ」
 それっきりアルシルは黙りこくってしまった。
 階下に着き、クロウは団長やマールハルトと話がしたいと言ったので、二人の居室へ向かう。
「失礼いたします」
 許可を得てからドアを開けると、幸いなことに団長とマールハルトは両名雁首がんくびを突き合わせて何事か議論の最中であった。
 クロウは一人部屋の中へ踏み入った。別れ際アルシルの顔を見上げ、
「助かった。礼を言う」
 と簡潔な謝辞を述べた。
 団長とマールハルトはクロウを迎え入れた。そしてドアの外に立っているアルシルに目を止める。声を掛けられるのに先んじてアルシルは答えた。
「私はこれで」
「そうか。ご苦労であったな」
 マールハルトがうなずき、
「戻って任務と鍛錬に励むがよい」
「承知いたしました」
 アルシルはさっときびすを返してその場を辞した。
 机でクロウと向き合った団長がぼそりと言った。
「別に彼女も同席しても構わなかったがな」
「老婆心ながら、それは酷かと存じましたゆえ」
「ふうん?」
 団長はそれ以上言及する様子はない。クロウとの会談に取り掛からんと身を乗り出している。マールハルトもそのそばにはべりながら、去っていったアルシルに数瞬おもいを馳せた。
(あの者でもあのような娘らしい顔つきを露わにすることがあるか)
 アルシルの物珍しい心の機微は、ただこの老練な相談役一人の胸の内に納められていた。

(了)