暴れん坊の若様
「―――」
シンジュウロウは静かに
「で、キツネの隠れ里へ呼びにやった医者というのはまだ着かぬのか?」
と尋ねた。相談役は難しい顔をしてうなずいた。
「は――」
「とりあえずだ、城の医者に診せてはどうだ」
「いや診せましたが、『現代医学の敗北だ!』とかなんとか申して医者の方が寝込んでしまいました。まあ、それを責めるのも酷というもので、なにしろ人間の病気の外は診たことがないわけですからな」
「うーむ」
とシンジュウロウはしばし思案していたが、やがて、
ポン、
と膝を打ち、
「やむをえまい、ここは私がキツネの里まで様子を見に――」
と腰を浮かしかけたところを、相談役にすかさずしがみつかれた。相談役は、死んでもこの手は離さぬと言わんばかりの形相になっている。
「なりませぬぞ! ユリワカ様がちゃんとお戻りになるかどうかでさえ心配いたしておるところを、この上に若様の心配までするハメになってはわたくしの胃がもちません!」
「じいよ――少しくらいは私のことを信用してくれてもよいではないか」
とシンジュウロウは参った表情で言いつつも、
「ちっ」
と、ひそかに行儀の悪い舌打ちなどしているところを見ると大方は相談役の予想通りだったようである。
「とは申せ、医者が来ぬのには困ったな」
ファーリンの容態は悪くなる一方であった。
あるとき、
「御免」
と
ファーリンは
「あら――ごほ、ごほ、いけませんわ、シンジュウロウさん、もしうつったら――」
「頑丈なのが取り柄だ」
シンジュウロウは手を伸ばしてファーリンの額に触れようとした。が――
「っ――!!」
ほんの指先が触れただけで、まるで火に触ったかというように熱い。慌てて引っ込めた手には火傷ができていた。
「じい!」
と相談役を呼び寄せる。
「せめて熱冷ましでも飲ませた方がよくはないか」
「それよりも火消しを呼んでおくべきかもしれませんなぁ」
「たわけ! たちの悪い冗談を申すな!」
と、シンジュウロウは一喝し、
「やはり一刻も早く医者を迎えに行かねばならぬ」
と立ち上がった。今度は相談役も「なりませぬ」とは言えなかった。
出ていこうとするシンジュウロウを、しかしファーリンが呼び止めた。熱に浮かされて弱々しい声ながらも、芯は失っていなかった。
「待って――ごほ、わたしなら大丈夫ですから――」
「キツネの隠れ里までは一本道だ。入れ違いになることはあるまい。馬を飛ばせばすぐだ」
「シ、シンジュウロウさん、お願いします――行かないで」
「ファーリン殿」
「ここに――そばにいて、ごほっ、ごほ――ください。その方がわたし――安心できます」
「―――」
ファーリンの言葉は、シンジュウロウの足をその場に縫いつけるに十分な力があった。
シンジュウロウはその場から動けず、といって元のように座るでもなく、うつむき加減になって長い間
相談役が険しい顔つきでいざり寄ってきて、
「シンジュウロウ様、ファーリン殿がああまで言っているのですから、おそばについていて差し上げては」
とシンジュウロウを
「若様――」
やがて、シンジュウロウは
「若様!!」
* * *
「いやまことに申し訳ない、海辺までは来ておったのですが、そこでなんだかやたらと凶暴なカニに目をつけられてしまいましてな」
と、キツネの隠れ里からようやく城へ
ともあれ医者が無事に着いたというので、まずは何をおいてもファーリンを診させねばということになった。
高熱でうなされているファーリンの元へ案内されたキツネの医者は、ひととおり脈を取ったり熱を測ったりしてから、
「ま、風邪でしょうな」
と診断した。
「さ、さようで。しかし、今にも火がつきかねないほどの熱があるのですが」
と、そばで見守っていた相談役が尋ねると、
「わしらのような者は人間より
とキツネの医者は言うのであった。
「それにしても、そのお化けガニに襲われていたところへ、白馬に
「いや、はは――それでその若様は、今どちらに?」
相談役は膝を進めて前のめりになりながら、心配そうに表情を曇らせている。すでに胃が痛むのか腹を手で押さえてまでいた。
キツネの医者は、ハテと首をかしげている。
「わしを城門の前へ送ってくださったところまでは一緒でしたが、そういえばその後はどちらに行かれたものやら――」
「―――」
ふ、とファーリンは目を覚ました。
(あら、いつの間に眠ってしまったのかしら――)
枕元を見ると、薬湯と思しき土瓶が載せられた盆があり、ファーリンも知っている熱冷ましの薬草の匂いがした。
そういえば体の方はだいぶ楽になっている。まだ少し熱っぽい感じはするものの、起き上がることもできそうである。
「きっと、お医者様が来てくださったんですね」
しかし、部屋の中にその姿はなかった。それどころかシンジュウロウや相談役の影も見えない。
「――シンジュウロウさん」
シンジュウロウさん、やっぱりどこかへ行ってしまったのかしら――と思い、小さなため息が漏れた。
(ごめんなさい、ユリワカマルさん――わたしではシンジュウロウさんを引き止めることはできませんでしたわ)
と、そのとき、不意に
「起きたのか?」
とむこうからかけられた声に、ファーリンは、はっとした。シンジュウロウの声であった。
「そろそろ起こそうかとは思っていたが、ちょうどよかった」
そんなことを言いながら、シンジュウロウはこちらの部屋へ入ってきた。食事の膳を手ずから運んできて、ファーリンの枕元へ膝を着いた。膳に支度されているのは、
「シンジュウロウさん、あの、どうして――」
「今、じいは台所で医者からキツネの民の風邪薬の調合を教わっていて手が離せんと言うのでな」
「い、いえそうではなくて――わたし、シンジュウロウさんはてっきり戻っていらっしゃらないのかと思っていました」
「そなたが言ったのではないか。そばにいてくれと――」
「えっ、そ、それは、えーと、そうですが」
ファーリンは、確かに自分でそう言ったことながら、なにやら急に、わけもなく気恥ずかしい気持ちになってきた。
いっそ布団の陰に隠れてしまいたくなったが、せっかく用意してもらった食事を放っておくのも申し訳がない。シンジュウロウの方をできるだけ見ないようにしながら、もぞもぞと起き上がった。
「一人で食べられそうか? 無理をすることはないが」
とシンジュウロウは、意外なほどあれこれと気にかけてくれる。
「だ、大丈夫ですわ」
ファーリンは食べ始めたものの、
膳の隅の卵酒に手を伸ばしたとき、シンジュウロウが言った。
「幼少の頃――私やユリワカマルが風邪を引いて熱を出すと、父上が台所でこっそりこれを作ってきて飲ませてくれたものだ。そのことをふと思い出してな――城へ戻るとすぐ父上にせがんで作り方を教えてもらった」
ファーリンは一口飲んで、ほ、と息をつく。頬にぱっと赤みが差した。
「美味しいです、とっても」
「ちと
とシンジュウロウに顔色を
(了)