裂け姫

「すみませんユリワカマルさん、来て早々にご迷惑をかけることになってしまって――
 と、ファーリンが弱々しい声で謝りながら、枕元に座っているユリワカマルの顔を見上げる。ユリワカマルは「気にするこたないさ」と慰めた。
「近頃海の風も冷たかったからな。船旅の間に風邪の一つや二つひいたって仕方がないよ」
 とユリワカマルが言う間にも、ファーリンは二回立て続けに「くしゅん!」とくしゃみをする。熱もますます上がってきたようで、頬は上気して目元も潤んでいる。
「ファーリンのことだ、ろくに休みもせずまっすぐこっちへ向かってくれたんだろう。この際いっそいい機会だと思って、ちゃんと体を休めることだな。今、キツネの隠れ里へ人をやって医者を呼んでもらってる」
「そ、それはありがたいですが――くしゅん! ――妖怪退治の方は」
「それならおれとバカ犬で片付けてくるさ」
 ユリワカマルは部屋の濡れ縁を指して言う。そこには、いまだ船酔いが治まらず中庭に向かってえずいているスマッシュと、粗相をされては大変と手に桶を抱えて控えている相談役がいる。
――ま、もう小半時もすればさすがに立ち直るだろ」
「でもユリワカマルさん、聞いたお話では、今回の事件は男の方ばかり襲われてるんじゃありませんでした――くしゅん!」
「うむ。それで、キツネの民のおさの仕事で忙しい中すまないと思いつつファーリンを呼んだんだが、まああのバカ犬でもおとりにはちょうどいいだろうしな」
「確かにスマッシュさんなら、くしゅん、きっと大丈夫だと思います――くしゅん!」
「本当なら、私が行きたいところだったのだ」
 と、脇からくちばしを入れてきた人物がある。ユリワカマルと並んで座っている兄のシンジュウロウであった。
「じいに泣きつかれて、兄上にしては珍しく大人しく引き下がったんだよな。どうせ、妖怪を退治したらそのまま帰ってこないつもりだったんだろ」
「あんな暑苦しい泣き顔で迫られたら誰だって『あいわかった』としか言えぬわ」
「というわけでファーリン、ここには兄上を置いていく。もし何かあれば遠慮なく申し付けてやってくれ」
「そんな――くしゅん! 恐れ多いですわ。次の殿様になる方ですし」
 と困り顔のファーリンに、ユリワカマルは「いいからいいから」と笑って見せ、
「あのスケベ犬を弱ったファーリンのそばに置いていくよりはいくらか安心だ」
 と、あながち冗談でもないような口調で言ったが、ファーリンは今ひとつピンとこない様子だった。
「? そうなんですか?」
――いくらか﹅﹅﹅﹅とはどういう意味だユリワカマル」
 シンジュウロウがさも心外だと言いたげに、妹を横目ににらみつけた。


――お前さん、バカ﹅﹅スケベ﹅﹅﹅犬の割にはファーリンには何もしてないんだな」
 道々、ふとユリワカマルが口を開いたかと思えばそんなことを言うので、先を歩いていたスマッシュは立ち止まって後を振り返った。
「な、なんだよいきなり」
 ひどかった船酔いもようやく治まったらしく、いつもの調子である。
「いや別に」
 と言いながらユリワカマルはスマッシュに追いついた。
「言ったそのままの意味さ。バカ﹅﹅スケベ﹅﹅﹅なくせに」
「いちいちその二つを強調すんな!」
「お前ファーリンのことが好きなんだろう?」
「えっ」
「好きなんだろう。もちろん、お前の片思いだろうけどな」
「す、好き――好きかぁ、好きかって言われりゃ――そりゃ、なんだ、まあ――
―――
―――
――本気で好きでもないのにファーリンの尻を狙ってるのか?」
 ユリワカマルの声が一段低くなり、左手は大刀のつばを腹の前に押し出して鯉口を切る。
 スマッシュは、ギョッとして、
「う、うるせー! お前にゃ関係ねーだろ!」
 と顔を赤くして、ごまかすようにまた先に立って行ってしまう。
――オレだって何かできるもんならしてるっつーの――ファーリンちゃんってああ見えてやけにガードが固いからな――
 とかなんとかブツブツぼやいているのがユリワカマルの耳にも届いた。
 ユリワカマルは刀を戻した。やれやれと息をつく。
(まーったく、男ってのはどーもうじうじしててハッキリしないもんだな)
 二人は潮の匂いの強い浜辺を過ぎて海辺の町までやって来た。
「で、その男ばっかり襲う妖怪ってのはどんなヤツなんだ? 手かがりの一つくらいないのかよ?」
 スマッシュが辻の立て札に寄りかかりながら、後から来るユリワカマルを待って尋ねた。
「髪の長い綺麗な女らしいとは聞いてるがな」
 とユリワカマルが答えると、スマッシュの目の色が変わった。
「おおっ、そ、それってもしかして美女が夜な夜な若い男を求めてとかそーいうタイプのやつか?」
「確かに襲われた男たちはみんな若かったな。尻子玉でも抜かれたような様子で、どいつもこいつも寝込んでいてろくに話もできないらしい。どういう相手にしろ――くれぐれも油断はするなよ。やられた男の中には城の腕利きの侍や力自慢の力士もいるんだぞ」
 とユリワカマルは釘を刺したが、スマッシュは聞いているのかどうか、ともかくヤル気だけは満タンになったようであった。
(実際、このバカ犬をおとりにして妖怪をおびき出すのが手っ取り早いとは思うんだがなー――
 とはユリワカマルは口に出さず、代わりに、
「とりあえず、町を一回りして町人の話を聞いて回ってみよう。おれたちになら、港町奉行には話さなかったことを話してくれるかもしれないしな」
 と、スマッシュを促して歩きだした。
 二人は足を棒にして町中尋ね歩き、日も暮れかかってきた頃、港の近くにある繁華街を通りかかった。
 スマッシュがきょろきょろと辺りを見回し、
「前に来たとき、こんな場所あったっけ?」
 と首をかしげている。ユリワカマルは「最近できたばかりなのさ」と言った。
「近頃ますます外国との船の行き来が盛んになって、この国に来る人間も増えたからな。この辺には異人向けの店や宿が集まってるんだよ」
 というユリワカマルの説明の通り、この国ではまだ珍しい洋風の酒場や、寝台ベッドを置いた宿屋が小洒落じゃれた石畳の道沿いに建ち並んでいる。
「なあここでも何も手かがりがなかったら、今日のところはどっか宿取って休もうぜ」
 腹も減ったことだし、とスマッシュは緊張感のない調子で、手近な酒場のドアをくぐった。中は薄暗く、手狭ながらバーカウンターとテーブル席がいくつかあり、スマッシュには馴染なじみの光景だが、ユリワカマルには物珍しい。
 二人が隣り合わせにカウンター席へ着くと、ちょうネクタイを締めたバーテンダー兼店の主人が声をかけてきた。他に従業員らしき姿はない。客の方も、まだ宵の口ということもあってかまばらだった。
「いらっしゃい。ご注文は?」
「この店、オッサン一人でやってんのか? バニーガールとかいねーの?」
 とスマッシュが言い、
「それがあいにく、この国は取り締まりが厳しくてなぁ」
 と酒場の主人が答え、それを横で聞いていたユリワカマルは白い目で男たちを見ている。
「『ばにーがーる』とやらが何かは知らないが、おれの国の風紀を乱すだろうってことはよーくわかるな」
 いや、はは――と酒場の主人はごまかし、改めて二人の注文を取った。
「注文は何にするんだい? アンちゃんたち」
「オレは酒はいらないからなんか食わせてくれ」
「おれも――いや、やっぱり熱燗あつかんの一本でも付けてもらおうか」
「なんだよユリワカマル、一応まだ仕事中じゃねーのか?」
 とスマッシュに横目でにらまれたが、ユリワカマルは真面目な顔で、
「おれが飲むわけじゃない。こういう場所では何かの役に立つこともあるだろうと思ってな」
 と言う。
 ほどなくして簡素な食事がスマッシュとユリワカマルの前に並び、二人は夕飯も兼ねながら酒場の主人にくだんの妖怪のことを尋ねた。
「ああ――アンタら、あの女を探してるのか」
 酒場の主人には何か心当たりがあるようだった。
「襲われた男はみんなうちの客だよ。なんならその妖怪女とやらもそうだ」
「なっ、なんだ――もが!」
 とスマッシュが身を乗り出しかけたのをユリワカマルが押さえた。
「その女のことは、港町奉行が調査してるそうだな。当然ここにも話を聞きに来たと思うが、お前さんそのことは伝えたのか?」
 酒場の主人は返答の代わりに肩をすくめて見せる。
「そんなことを教えたら、事情聴取だの、サムライが店に来て張り込みだのってことになるだろう。商売上がったりだよ」
「ようするに黙ってた、と」
「妖怪だろうが何だろうが金を払って飲んでくれるなら客に違いないからな。店の中で暴れるわけでもなし。男を引っかけて店を出た後、どこで何をしてようが知ったことじゃねえな」
 酒場の主人はユリワカマルの顔をじろじろと見、
「アンタはさっきユリワカマルとか呼ばれてたが――客から聞いたことがあるぜ。城下町で評判の美形の遊び人で悪事は見逃さないとか。ずいぶん剣の腕も立つらしいな。想像してたのと違ってなんだか女みたいな顔だが、確かに美男子だからあの女の目にとまるかもな」
 店内の暗さもあってか、客商売の割にはユリワカマルが女だと見抜けなかったようである。
「こ、こいつが? 美男子ぃ?」
 とスマッシュは何か言いたそうだが、こらえている。ユリワカマルの方は、美形と言われて悪い気がしないらしい。
「ふっ――人の噂なんてたいがいいい加減なもんだが、今回ばかりは当たってるな」
「自分で言うな、自分で」
「そうひがむなスマッシュ――で、その女はよくここに来るのか?」
 とユリワカマルは酒場の主人に尋ねた。
「だいたい三日と空けずに来るぜ。今夜あたり来るかもしれないな」
「ふーむ」
「おっ、噂をすれば――
 カラン――とドアベルが鳴り、新しい客が来たことを告げた。入ってきたのはやたらと色っぽい雰囲気の美女であった。
「おおおっ!? こんな場末の酒場には不釣り合いな――
 とスマッシュが真っ先に反応して尻尾をざわつかせたのも無理はない。女はすらりとした体つきで、それでいて出るところは出ていて、そのみずみずしい肉体を異国のドレスで包んでいた。胸元が大きく開いており、裾は長く床まで垂れているが、脇には太ももの付け根近くまでスリットが入っている。
 そして一番印象的なのは、頭の後ろでひとまとめに結い上げたつややかな長い黒髪だった。
「いらっしゃい。ご注文は?」
 と酒場の主人に声をかけられると、女は、
「いつもの」
 とだけ甘ったるい声で答えて、隅の方のテーブル席に着いた。
 ユリワカマルが声をひそめて「あれかい?」と酒場の主人に確かめ、主人は黙ってうなずいている。
 スマッシュはもうさっそく顔が崩れきっていて、
「な、なんて極上美人――正直、あんなおねえさんになら何されてもい――いっ! って!!
 とだらしないセリフを言い終える前に、ユリワカマルに尻尾をきつく引っ張られて悲鳴を上げた。
「な、何しやがるユリワカマル」
「ふん」
「お前なー、人の尻尾を乱暴に扱うんじゃねービンカンなんだぞそこは!」
「そっちこそ妙な言い方するな!」
 ぺし、とユリワカマルはスマッシュの尻尾を打ち捨て、少し顔を赤くした。
「まったくこのスケベ犬め――お前ファーリンが好きならちょっとは自重しろ! 見てるこっちが恥ずかしいくらい尻尾を振りやがって」
「ファ、ファーリンちゃんの名前を出すなよこういうときに」
「お前〜、そういうとこだぞ女にモテないのは」
 二人は言い争っている場合ではなく、先の女が本当にくだんの妖怪で人を害すのかどうか自分たちの目で確かめねばならなかった。
 たとえ正体が何でもあれほどの美女になら何をされても構わないというかむしろ何かされたい、とか思っているらしいスマッシュをカウンター席に押し込めておいて、ユリワカマルが自ら腰を上げた。
「あっ、おいユリワカマル――
「もしものときは後のことを頼む」
 ユリワカマルは行きかけたが、ふと思案するところあって足を止めた。手を付けずに置いてあった酒の徳利と杯をつまみ上げると、それらを片手にぷらぷらさせながら、さり気ない感じに店の隅へ足を向ける。
 女はユリワカマルが近づいて来ることに気がついていたらしいが、素知らぬ顔をしていた。強い酒と氷の入ったグラスを傾けいい飲みっぷりである。こちらには背中を向けているのに、ユリワカマルは女の視線を感じるような気がした。
 ユリワカマルは女のいるテーブルのそばまで来ると、
「ここは空いてるかい?」
 と、女の隣の席を指して尋ねた。
「見ての通りだけど」
 と女は答える。
「いやなに、お前さんほどの美人なら、待ち合わせの約束の一つや二つ当然あるだろうと思ってな」
 「御免」と断ってから、ユリワカマルはその席に腰を下ろした。徳利の酒を女に勧めた。
「よかったら一杯おごらせてくれ」
――あんたが町で評判のユリワカマル? あの犬族の坊やにそう呼ばれていたわよね。話に聞いた通りの美形だけど、思ったより若いわね」
 女も酒場の主人と同じく遊び人ユリワカマルの噂は聞き及んでいるらしかった。
「まだ子供じゃないの」
「ふっ、子供かどうか確かめてみるかい?」
 とユリワカマルは重ねて女に酒を勧めた。そして自分も飲み始めた。酒場の主人にはどんどんおかわりを持ってくるように頼んだ。しかし実はユリワカマルの手元に並べられていく徳利の中身はどれも水で、女に飲ませる分だけに酒が入っている。
 ユリワカマルは水を飲んでいるばかりだから、二杯三杯、五杯六杯と杯を置くことなく重ねていく。それにスマッシュが隙を見て酒場の主人にいくらか握らせておいてくれたようで、
「お客さん、女の前でいいところを見せたいのはわかるが、そんな飲み方しちゃ体に毒だぜ」
 と主人も口裏を合わせてくれている。
 女も酒場の主人の言葉までは疑わなかったらしく、
「噂じゃ剣術の達人だって聞いたけど、こっちの方もずいぶん強いのね」
 と、いくら飲んでも乱れないユリワカマルに一目置いたようであった。そう言う女の方も、飲ませても飲ませてもまるで腹にまっていないように顔色一つ変えない。
「お前さんこそ強い」
 とユリワカマルは、これは本心から言った。
「あんた、アタシを酔わせたいのならあてが外れたわね」
「おれはこれでも侍だ。女を酔い潰させてどうこうなんて卑劣なことはしないさ」
「ただの遊び人じゃないらしいわね」
 女は、ユリワカマルの物腰や立ち居振る舞いから、市井に属さぬなんとなく高貴な感じを察したらしい。
「ご大身の武家のお坊ちゃんといったところかしら?」
「ま――当たらずといえども遠からずってところだ」
「子供は趣味じゃないけど、若様﹅﹅はそそられるわねぇ」
 と言いながら、テーブルの下でわざとらしく足を組み替える。ドレスのスリットが大きく割れて、下着を着けているのかも定かでない下半身がほとんど丸見えになった。
 しかしユリワカマルは眉一つ動かさない。鼻の下を伸ばしているのはカウンター席の方からこちらの様子をうかがっているスマッシュと酒場の主人ばかりである。
「ふん!」
 と女は笑って脚をほどいた。
「いいわ、あんた気に入ったわ。場所を変えない? ここじゃ落ち着かないわ」
「まったくだな」
 とユリワカマルはうなずきながら、スマッシュと酒場の主人を白い目でにらんだ。
(こんのスケベ野郎どもが)
 同時に、
(外でこの女の正体を暴いて決着を着けるぞ)
 と目配せもして、席を立つと大刀を腰に帯びた。
 外はとっぷりと日が暮れていた。
 この辺りは新開地ということもあって、大通りを少し外れるともう野山に分け入る。人気ひとけもなく、獣や木霊の気配がするばかり。足元を照らすような明かりももちろんない。
 女はユリワカマルの先に立って、ドレス姿には不似合いな原っぱに足を踏み入れた。その背中が言う。
「あんたの後を隠れてついて来てるあの犬はあんたの仲間ね。酒場にいたときからそうだろうとは思ってたけど」
――なかなか鋭いじゃないか。背中に目でも付いてるのかい?」
 ユリワカマルは密かに居合の構えを取る。しかしそれも女は見通しているようであり、
「アタシを退治するつもりなんでしょう。二人がかりでこようと同じこと――
 と、足を止めると、頭の後ろへ両手を回し、なまめかしい手つきで高く結い上げてあった黒髪をほどいた。
 長い髪がばらりと落ち、
――そうねまずは、あんたの方から頂こうじゃないの」
 と、後頭部にぱっくりと開いている巨大な赤い口が舌なめずりしながら言った。
 ユリワカマルは反射的に抜刀しそうになったのを息をんでこらえた。まだ居合の間合いに入っていない。全身総毛立つのを鎮めた。
 二口女は思わぬ動きで間合いを詰めてきた。肘、膝がありえない方向に曲がって、背面をこちらに向けたまま飛びかかってきたのである。
 ユリワカマルは意表を突かれ、かわすことだけはできたものの抜刀し損ねた。
「!」
 その体勢を立て直す間もなく、急に足元がぐらついて地面に倒れ込む。見れば足首に二口女の長い髪が巻きついている。ただの髪の毛ではなく、二口女の意のままに操ることができる触手のようなものらしかった。
 二口女はユリワカマルの生白い足を絡め取って引きずり寄せながら、
「殺しやしないわ。アタシ近頃封印が解けたばっかりでさぁ、妖力が戻りきってないのよね。まあ、少し精気を飲ませてもらうだけよ――
 と、耳まで裂け上がっている後ろの口をいやらしくゆがめている。
 しかし――
 その口から垂れている尋常でない長さの舌が今にもユリワカマルの肌の上をおうという、そのときに至って、
 はた、
 と、かの妖怪は気がついたらしい。なにやらにわかに慌てたようになって、ユリワカマルの片足を無遠慮に高く吊り上げて見た。あっ――と、長い舌がにわかに引っ込んだ。
「ってあんた――女じゃないのよ!!
「はっ!」
 とユリワカマルは吐き捨て、
「そっちが勝手に勘違いしたんだろうが! おれは一度だって自分を男だなんて言ったことはないぞ!」
 ハレンチな上に無礼者めと、捕えられた足で二口女をどかどかと蹴りつけて押し返した。
「っ! この、乱暴な女ね。そんなんじゃ彼氏できないわよ!」
「う、うるさいな――!」
「いやーホント、妖怪のおねーさんのおっしゃるとおり――
 出し抜けに、そんな気の抜けるような声が、み合っている二人の間近へ迫った。
 獣の形をした影が二人の間を割って飛び込む。のんきな声とは裏腹に鋭い身ごなしで体をねじ込んできたのはスマッシュであった。
 スマッシュはユリワカマルをかばうように身を低くしながら、背の忍者刀へ手をかける。
「ちっ!」
 と二口女が紙一重で身を引いた。女の胴体があった場所をスマッシュの抜き打ちの一撃がかすめていった。
 スマッシュは追わず、ひとまずは剣先を下げた。
「あぶねーとこだったな。大丈夫か? ユリワカマル――って、いてっ!」
「遅い!」
「いて、いてーって! 蹴るなよ! お前マジ色気が足りねーぞ」
 とスマッシュが悪態をつきつつ、しかしなんだか変な顔色をしたので、ユリワカマルもようやく自分の今の格好に気がついて、慌てて着物の裾をき合わせた。
 むこうから再び二口女の髪が伸びてきて、スマッシュの両手両足を絡め取った。
――っと、と!」
 スマッシュはその場にうんと腹で踏ん張ると、剣を構えた。
 二口女はユリワカマルが女だとわかった以上、スマッシュ一人に標的を定めたようだった。この際趣味の良し悪しは二の次らしい。
「うるさいわね! こっちだって結構必死なのよ!」
 スマッシュと二口女が対峙たいじする。女のまとうドレスは横一文字にばっさりと切り開かれており、夜目にも白い生肌があらわになっていた。さっきスマッシュの剣がかすめたせいだ。
「お、おおお~やはり極上ナイスバディ――
 でもなぁ、妖怪なんだよなー――と、こんなときにも関わらず残念そうな顔をしているスマッシュを、二口女は髪の毛の触手で引き寄せようとしたがびくともしない。
 ならばと自ら肉迫し、後頭部の口が牙をいてスマッシュの頭からかぶりつこうとする。
 スマッシュは剣でそれを受け止めた。牙と刃で二人が押し合う形になった。
「おほなひくわはひのものになりなはいよ、ぼーや――!」
 今のは「大人しく私のものになりなさいよ、坊や」と言ったようである。
「い、いやー気持ちはとっても嬉しいんだけど、まだオレ心の準備が」
 こすれ合う歯と刃とがガチガチと不気味に高い音を立てている。下手をすると剣をねじ曲げられかねない――
 スマッシュは踏ん張っていた力をふっと抜き、二口女をわざと自分の方へ引き込んだ。そこへ――
「スマッシュそのまま――動くな――!」
 とユリワカマルの鬼気がこもった声が背に迫る。
 居合の構えに立て直したユリワカマルが、飛び込みから一拍子の抜刀突きを放つ。獲物を定めた蛇のように鋭く長く伸びる切っ先はスマッシュの脇をわずかに避け、前のめりに崩れた二口女の背中を突いて乳房まで貫き通した。
「ぐ――!!
 二口女は、胸を貫かれてなお息をしており、
「あと少しだったのに――
 と無念そうにうめく。ユリワカマルは女の胸から大刀を引き抜いた。
「ま――お前さんの趣味にどうこういうつもりはないが、このバカ犬に限ってはよしておいた方がいいぞ。――こう見えて案外、オクテだしな」
 二口女は、胸の傷から血の代わりに溜め込んだ妖気を吹き出して息絶えた。
 ユリワカマルがすらりと剣を収めると、
「ユリワカマルお前~、オレも斬られるスレスレだったぞさっきの! あと変なこと言うな!」
 と、スマッシュがこちらも剣を背に収めながら文句を言った。
「は!」
 とユリワカマルは肩をそびやかして笑うばかりだった。
 翌朝になってから、二人はもう一度この場所を訪れた。
 原っぱの片隅に、崩れた小さな封印であったとおぼしき石塚を見つけた。表に刻まれていた名はとうに風化していてほとんど読めなかった。
 おそらくは、ここ新開地を造るために野山を切り開いたときに、誰にも気づかれないままに破壊されたのだろう。
 そしてそのために、古くからこの地に封印されていた名も知れぬ妖魅の、長く安寧な眠りを妨げたのであろう。

(了)