窓の月

 晴れ上がった東天にふっくらと大きな満月が昇った。
「こんな月は久しぶりに見た――
 と、ユリワカマルは窓から空を見上げてため息をつく。二階の部屋だから、月もいっそう近くに臨むことができるような気がした。
 窓の下の温泉街は、まだ宵の口ということでにぎにぎしい。
――この頃は政務が忙しくて城下を出歩くこともままならなかったからな」
「なーんだユリワカマル」
 と、背後でスマッシュのにやついた声が聞こえたかと思えば、
 ずしり、
 とユリワカマルは肩が重くなる。後ろからスマッシュが寄りかかって、胸の上に腕を回してきたのだった。
「お前もついに﹅﹅﹅真面目にお姫様するようになったのか?」
「おれは、いくつになってもふらふらしてるお前さんとは違うんでな」
「いいんだよオレは、自由を愛してるんだから」
 後ろから回されたスマッシュの手は、ユリワカマルが着ている温泉宿の浴衣の襟の合わせ目を狙って、もぞもぞと動き回っている。ユリワカマルは不埒ふらちなその手を捕まえ「ふん!」と気合い十分、思い切りねじり上げた。
「あだだだ――! っ、お、お前、そんなんだから姫様なのにいまだに結婚し損ねてるんだぞいやマジで」
「なんだとこの」
「いっ、いでで――!!
 スマッシュはさらに肘関節をめられて涙声になっていた。
 ユリワカマルが離してくれた後も、スマッシュは腕をさすりながら、
「おーいて、また技のキレが鋭くなってやがんの」
 とぼやいている。
東の国こっちに来るたびによ、今度こそお前も観念して結婚してるんだろうなーと思ってんのに、会ってみたらこれだもんな」
「うるさいな! だっておれより強い男が見つからないんだ」
「だーかーらー一生見つからねーってそれ」
「何と言われても、おれはそれだけは譲るつもりはないぞ!」
 と、ユリワカマルは言って、また月の見える窓際に陣取った。
 スマッシュも懲りずにまた背中からのしかかってくる。ユリワカマルと同じ温泉宿の浴衣を着ている半人半獣の体は湯上がりでぽかぽかして、匂いもよかった。
――スマッシュ」
「あんだよ」
「言っておくが――おれはお前に剣で負けたことは一度もないからな」
「そーだったっけ?」
「そうだ!」
「でもオレの方が強いぜ。まあ、たぶん」
「っ――
 この話になるといつもそうだ。そうやって双方譲らない。まだ子供だった頃はともかく、この歳になってまで決着がつかないとは閉口ものである。
 スマッシュの手が再び胸元へ下りてきてごそごそし始め、ユリワカマルはやはりそれを捕まえた。が、今度は腕をねじり上げたりはしない。処女むすめでなくなって以来、ユリワカマルはその毛むくじゃらの手の愛撫あいぶ以外知らない。
 なんでこんなバカでスケベなやつと――と思う。思うが、最初の晩以来、こうしてときどきうたびになんやかんやでどちらからか相手の肌を求める。ユリワカマルの方からしとねに忍び込んだことだってある。
(お前のバカとスケベに愛想を尽かさない女なんてそうそういない――
 と言ってやったこともある。
 しかし、お互いに本当に肝心な言葉は避けたままだった。
「スマッシュ」
「だから、なんだよって」
「おれは――おれより強い男じゃなきゃいやだ。で――お前はオレの方が強いとか言うが、意味がわかって言ってるのか?」
(ここまで言ってやったんだからお前の方から言え)
 と期待はしてみるのだが、スマッシュは「へっ」と笑ってはぐらかしてしまう。
「お前こそ、オレには勝てないって認めちゃっていいのかよ?」
――このバカ」
「えぇなんでだよ、今のは結構上手い切り返しだっただろ」
「ばか――
「バカでスケベでも愛想尽かさないでくれるはいるらしいし?」
―――
 そこまで言っておいて一言「好きだ」とは言えないのかよ。
 とユリワカマルはもうかえって腹が立つような思いさえする。けれども体の方は主に対して白状者で、腹が立つどころか腹の奥が照ってきた。
 スマッシュの手が懐までもぐり込もうとしてきて、ユリワカマルはそれをちょっとつねってほどくと、
「先にとこに入ってろ」
 と赤い顔をうつむいてごまかしながら、膝で鏡台の方へにじって行った。


 頭の後ろで一つに結っていた髪をほどく。くしを入れてから、手でさっとでつけた。
 浴衣の帯を前で結び直して立ち上がると、窓際へ行って窓を閉めた。月は少し高くなって、夜空に浮かぶ真珠のようになっていた。
 月明かりのなくなった室内はずいぶん暗い。ユリワカマルは目が慣れるまで待った。
「閉めるのか?」
 と寝床で横倒しになっているスマッシュが言った。
「月が綺麗だったのに」
「月なんか見てる方がいいのかお前は」
「?」
 やがてユリワカマルも布団の端をめくって、静かにその中へ体を滑り込ませた。
 スマッシュは、ユリワカマルのそういう所作がいちいち綺麗なところに育ちのよさを感じる。しばしそれに感じ入ってから、自分は反対にお行儀悪く掛布団を蹴って足元へやりながら、ごろりと転がってユリワカマルと肩を並べた。
 ユリワカマルは、なにやら浴衣の前を手できつくき合わせていて、
「月でも見てる方が楽しいんだろう?」
 と言う。
 スマッシュは急に胸の奥がむずがゆくなってきた。
「よーするに、お月様よりお前の方が綺麗だとか言わねーとダメなやつ?」
「それくらいは言ってもバチは当たらんぞ。昔はさんざん色気がないとか言われたしな」
「あ、気にしてたのな、それ」
「当たり前だろ!」
 「へーぇ」とスマッシュは伸び上がって行灯あんどんを引き寄せ、マッチを擦って火を入れた。その明かりを枕元へ置いた。
「まあ――なんつーか、久しぶりだし? 先に改めてよく見せてもらってからじゃねーとわかんねーかなーって」
「言い逃れするな」
「い、いや別にそんなつもりじゃねーけど」
 とスマッシュは言いつつ、ちぇっと舌打ちなどしたところを見るとやはりそのつもりだったらしい。
「仕方がないな――
 と、にわかにきりっと真面目な顔つきになってユリワカマルを抱き寄せる。そんなことだけでもユリワカマルは足の爪先までぞくりと震えが走り、潤んだ双眸そうぼう行灯あんどんの光を揺らめかせていた。
 スマッシュはユリワカマルの頬に手を当てて、
「オレはだな」
 と切り出す。ますますユリワカマルの瞳が潤んだ。
「う、うん――
「オレは今まで古今東西ありとあらゆるエロ本を手にしてきたし目利きには自信がある」
――?」
「こんなエロい顔ができるはどんなエロ本にも――って、いって!! 痛えって蹴るなよ! オレの正直な気持ちを告白してやったのに」
「このバカ犬!」
「褒めてるんだってオレは。しかもエロ本と違ってだな、こんなにやらしーのにオレだけしか見られないと思うとメチャクチャいい気分なんだよ」
 月は綺麗だがエッチな気持ちは満たしてくれない! などとひどいことを言いながら、スマッシュはユリワカマルを体の下に抱き込んだ。
「もちろんオレはエッチなことできる方がいーがな」
 浴衣の襟をくつろげてユリワカマルの胸元へ顔をうずめる。
「お前がヘンな話でらすから――
 と、不意に低い声に変わる。ユリワカマルは太ももにれきった陽物を押しつけられて身をよじった。
「っ、こすりつけるなバカ」
「蹴られたお返しだっての」
 スマッシュが動くと、その脚が何かの拍子にユリワカマルの陰阜を押さえることもある。そのたびにユリワカマルはわななき、
「んん――
 と切なげな吐息を漏らす。すがるものが欲しくて胸元に埋もれているスマッシュの頭を抱えたが、スマッシュはそれを逃れて、下へ下へ下がっていく。
 浴衣の帯をほどいてさらに下へ。ユリワカマルは中に肌着も何も着けていなかった。あらわになったほとへスマッシュは遠慮なく鼻先をもぐり込ませた。
「あ――っ、〰〰っ!」
 長い舌の先が小さなめしべにまで届く。そこをちろちろとめられただけでもユリワカマルはあられもなく感じてしまった。
「あ、あっ、ま、待て! ――
 たまらず大きな声を上げそうになり、慌ててスマッシュの頭を押し返す。
「『待って﹅﹅﹅』って言えよ。人を犬みたいに――いや犬だけど」
―――
「お前、やらしー声が出そうで恥ずかしかったのか?」
 と言い当てられて、ユリワカマルは顔から火が出るような思いがした。
――な、なんでわかる」
「そりゃまー昨日今日の仲じゃねーし? 高貴なお方だもんなー一応﹅﹅
「一応を強調するな、一応を」
「やっぱお姫様ってそういうもんなの?」
「し、城ではいつも隣の部屋で侍女が寝てるから――
「おおおってことは――もしお前と結婚したら毎晩のぞき見されたり隣でうら若い侍女が聞き耳を立てながら夜な夜な――なプレイになると。そ、それはそれで」
「そんなことで興奮するヤツがあるか!」
 と言いつつ、「結婚したら」とか「毎晩」とかの言葉にユリワカマルの方もたちまち下腹部がずきんとしてしまうからあまり人のことは言えない。
 ユリワカマルはさりげなく膝を立てて脚を開きながら、
「続き――
 をしてほしいのか、してもいいのか、その辺りはごにょごにょと言葉を濁しながら脚の間にスマッシュを呼び入れた。
「ちゃんと『待て』ができて忠犬だろオレって」
「どうせお前のことだかららされるプレイも好きだとか言うんだろう」
「まあな――
 実際、らされてスマッシュの方もだいぶ切迫してきている。
 目の前に広げられたほとの谷間に触れてみるとすっかり潤んでいて、ユリワカマルも期待のこもったため息を漏らした。
 中もれて、充血してふくらんだ肉襞にくひだが指を締めつけてくる。スマッシュは、ぐび、と喉を鳴らした。同じ刺激をムスコの方にも与えられることを想像したからだった。
「物欲しそうだな」
 と、ユリワカマルは少しからかうような調子で、乗りかかってこようとするスマッシュの浴衣の帯をほどいて脱ぐのを手伝ってやった。
「欲しい。もー限界」
 とスマッシュは正直に言った。背中では尻尾がそれ以上に正直に揺れていた。
「おれも――あ、っ!」
 ユリワカマルはまたなんだかごにょごにょ濁していたが、それを最後まで言うのを待たずにスマッシュが入ってくる。ゆっくりとした一突きでズンと奥まで来た。
 スマッシュは根元まで入れて、さっき想像した通りの快感を味わいながらいささかだらしない顔をしている。
「あぁー、これこれ――たまんね」
 腰を振ってさらにむさぼる。
 ユリワカマルも下からスマッシュの体にすがりついて、
「は、あっ、はあ、はあ――っ」
 と切ない声を漏らしながらそれに応えた。スマッシュの動きに合わせてその声も早くなったり遅くなったりした。
(ああおれだって――
 たまらないのだとユリワカマルは思った。仕方ないじゃないか、久しぶりに会った好きな男にうずく体を許したんだから、こんなの――とも。
 スマッシュは結合したまま器用に体位を変え、横向きに伏したユリワカマルを背中から抱きかかえた。
「あ――スマッシュ」
 上の脚を持ち上げて脚を開かせたときに、ユリワカマルが恥じらいとも期待ともつかぬ声を上げた。
「ん」
 と、スマッシュは生返事で、またむさぼり始めた。ユリワカマルも名前を呼んだことなどもう忘れたようにあえいだ。
「あっあっあっ――あぁ、っく」
 そしてにわかに乱れる。スマッシュが乳房やほとのすぐ上の突起に手を伸ばしてきたからである。
「あっ――あぁそれ、いく、あぁいく、あぁ、っ〰〰――!」
 ユリワカマルはもはやみだらな声を抑えきれなくなって、身もだえして快楽の頂に上りつめた。
 一方でスマッシュの方はまだで、イッたばかりの女体を堪能しながら、にやにやして、
「確かに隣で寝てる侍女も、こんなの聞かされたらココがビンビンになっちゃうだろーなぁ」
 などとユリワカマルにじゃれついては怒らせている。
「バカ犬――
 スマッシュはおびのつもりか、後ろから身を乗り出すようにしてユリワカマルの口元に鼻先を押しつけてきた。キスというよりは口をめられたような格好である。
 ユリワカマルもその愛撫あいぶを求めてけ反った。ゆるく口を開くと舌と舌がもつれ合う。
(現金だな、まったく)
 と思ったのは、そんなことでころりと機嫌を直してしまう自分に対してで。
 スマッシュはゆるゆると前後の動きを再開し、後ろからも、下からも突いた。
「あ〰〰――
 ユリワカマルはスマッシュの腹をまたいで座ってもいられなくなって、胸の上に手を突いてへたり込んだ。スマッシュはそれをきつく抱き締めて、一心に腰を突き上げてくる。爆発寸前、らしい。
――お前のバカとスケベに付き合ってやれる女なんてめったにいない)
 と、ユリワカマルは汗ばんだ毛皮の肌に顔をうずめながら思った。
(おれくらいだぞ、そんなの――
 口を開けばスマッシュの動きに合わせて息が乱れる。だからそんなことを言ってやる余裕はなかったし、勇気もなかった。


 水平線から黄金色に輝く朝日が昇る。
 港町の船着き場にはまだ人気ひとけも少ないが、朝一番の船に乗ろうというのでそれを待っている人の姿はぽつりぽつりとある。スマッシュもその一人だった。
 スマッシュは、なにやらすっかり毒気が抜けたような調子で、
「おお美しい日の出――心が洗われるなぁ。オレの人生、いや犬生? なんかちっぽけに思えてくるような――
 とかなんとか達観したことを言っているようだが、ようするに昨晩の房事でちょースッキリしてまだ腑抜けているのだった。
 スマッシュを見送りに来たユリワカマルは、あきれ顔でやれやれとため息をついている。
「あ」
 そうそう――と、スマッシュがこちらを振り返った。
「ファーリンちゃんが久しぶりに会いたいって言ってたぜ。お前もたまには海渡って遊びに来いよ」
「ファーリンにはおれも会いたい。ますます綺麗になってることだろうな」
「そりゃぁもー」
「政務がなければ会いに行きたいところだが――
「来たらついでにオレの里にも寄ってけよ」
 とスマッシュが言うので、ユリワカマルはどきりとした。
「い、犬の民の里に? 何しにだ」
「何って――お前の居合を見たがってるヤツは結構いるぜ。天祥流の師範代だろ? あとじーさんの話し相手とかな。じーさんも近頃すっかり耳が遠くなった」
―――
 ――考えておくさ。とユリワカマルは答えて、それから不意にくしゃみを一つ。朝晩は冷え込む時節である。
 スマッシュは自分が巻いている襟巻きをほどいて、ユリワカマルの首に引っ掛けてやった。
「言っとくけどやらねーぞ、気に入ってんだから。貸すだけ! 返しに来いよな――
 やがて船の出る時間が来た。スマッシュは他の乗客たちの後から乗り込んで、出港早々に船酔いし始めたらしくデッキに青い顔でうずくまっていた。
 ユリワカマルは船が見えなくなるまで見送った。
 スマッシュが押しつけていった襟巻きに鼻先まで包まると、昨夜顔をうずめた毛皮の匂いがした。柔らかく波の立つ水平線を一人眺めながら、しばしそうして赤い顔のまま立ち尽くしていた。

(了)