犬の嫁入り
1
                            「はあっ、はあっ、はっ」
                             と息を切らしながらも林の中を縦横無尽に駆け回っている一つの影がある。木々の間隔が狭くなんとなく薄暗い。その間を縫うように黒い影が走り抜けると、あるとき急に視界が開けて野原へ出た。
                             雑草の生い茂る原っぱへ転がり出てきたのは、他でもない犬の民の忍者剣士スマッシュであった。
                            「くっ、くそうっ、しつけーヤツらだ!」
                             息をつく暇もない。地面の傾斜に飛び込むように滑り降りる。と同時に、
                             シュッ、
                             と風を切る音がして、四方八方から先端に
                            「追え! 追え! 逃すな!」
                             追手の頭目らしき声が聞こえた。
                            「捕まってたまるか!」
                            「くそっ! 手を掛けさせやがって!」
                             追手たちの姿は見えないが、草木の陰を伝ってスマッシュにピタリと追随してきているのがわかる。
                            「おい煙玉を使え!」
                             頭目が手下に向かって叫んだ。スマッシュは、ぎょっとして思わず後を振り返った。
                            「は、はあ? 煙玉だって? おいそりゃ逃げる側が使うもんだろ――ってうわわっ!!」
                             お構いなしに飛んできたこぶし大のボールは、ちょうどスマッシュの足元で爆発し、
                             ボン!
                             という音とともに辺り一面に濃い煙幕を張った。しかも、
                            「うわっ、なんじゃこりゃ、くせえええっ!!」
                             鼻だけは人一倍利く犬のスマッシュにはたまらない。まるでクサヤでも焼いたような強烈な悪臭がして、少しでもそれから逃れるにはスマッシュはその場に伏せるしかなかった。
                             だがこの煙と臭いでは相手もうかつに動けまい。周囲に気配はするものの、こちらへ踏み込んでくる様子はない。
                             スマッシュとしては煙のない風上へ逃げたいところであった。
                             しかしたぶんそれが相手の狙いなのだろう。風上へのこのこ出て行ったら待ち構えていてつーかまえた! というわけだ。
                            (飛んで気に入る夏マムシはゴメンだぜ)
                             それを言うなら飛んで火に入る夏の虫。
                             スマッシュは煙にむせ返りそうなのをこらえ、襟巻きを引き上げて鼻先をかばいながら風下へといざって進んだ。
                             いつまで待ってもスマッシュが姿を現さないことに追手たちも気付いたらしい。
                            「ちっ! 逃げられたか」
                             とはいえスマッシュの向かった方角はおおかたの見当が付く。頭目は手下を引き連れて駆け出した。
                             そしてその直後眼前に仕掛けられていた落とし穴に体ごとハマった。
                            「ぐおおっ!?」
                            「ア、アニキっ!?」
                             手下たちが驚いて駆け寄ってくる。
                            「だ、大丈夫ですか、ってうわっ臭い!」
                            「アニキ、まさかびっくりしてもらしちまったんですかい」
                            「アホっ! 誰がもらすか!!」
                             穴をようよう
                            「落とし穴だけならまだしも穴の中に小便引っ掛けていきやがるとは――こんな下品なまねをするのはスマッシュ以外におらん! くうう新調したばかりの黒装束が――」
                             頭目はしばし打ちひしがれていたが、やがて悔しさを胸に立ち直り、
                            「スマッシュ――必ず捕まえてやるからな!」
                            「その意気ですぜアニキ!」
                            「クリーニング代弁償させてやる!! 行くぞ!」
                            
                            
                            「くそー! あきらめの悪いやつらだぜ!」
                             スマッシュは風上から届いた自分の臭いに顔をしかめた。もうすぐそこまで追手が迫っているようだ。
                            (どーしたもんかな)
                             スマッシュとて何のあてもなく山林を逃げ回っているわけではない。この辺りにはキツネの民の隠れ里があるはずだった。キツネ族のたばねをしているファーリンもいるはずである。初めはそこでかくまってもらおうと考えていたのだが、
                            (でもこのまま逃げ込んだらあいつらもついて来るだろうし、ファーリンちゃんに迷惑かけちゃうよなぁ)
                             ううん困った。と頭をひねっている間にも追手は猛烈な勢いで追い上げてくる。
                             ヒュッ、
                             と空を切って飛んできた鉤縄が今度こそスマッシュを捕らえた。スマッシュは縄に巻かれそうになった寸でで背の忍者刀を抜き、縄を一刀両断した。
                            「えーいやめろ! 気持よくなっちゃうだろーが!」
                            「知らんわ! お前の性癖のことなんか!」
                             追い付いて来た追手の頭目が、木の影からぬっと生えるように姿を現した。今時珍しい黒装束に身を固めたいかにもな風体。鉤縄や煙玉といった忍器を見るに、間違いなく忍者のようだった。
                            「さあ追い詰めたぞスマッシュ」
                             頭目に続くように、次々忍び装束の手下たちがぽこぽことあちこちの陰から現れた。
                             スマッシュは彼らと
                            「ち、ちくしょー!」
                            「ふふふ観念しろ――クリーニング代を払え! ついでにお前それ以上下がると後ろは崖だぞ!」
                            「え?」
                             はたとスマッシュが下を向いたときには、すでに足元に地面はなく、つまり体を支える物は何もない状態だったわけである。
                            「そういうことはもっと早く言ええええええ!!」
                             という断末魔を残して哀れにもスマッシュは崖の下へ吸い込まれて消えた。
                            「ああっ! あのアホが!!」
                             頭目が慌てて崖下をのぞき込んだのと同時に、ざぱーんと派手な水音が聞こえた。どうやら下は川が流れており、スマッシュは幸運にも水面へ落ちたらしい。
                            「やれやれ――とはいえアイツは泳げないんだ。溺れる前に拾いに行かなくては」
                             追手たちは再び影に溶け込み散っていった。
                        
2
                             うっそうとした林の中、静かに暮らしている獣たちも驚いて逃げ出すような目も覚めんばかりの派手な羽織袴姿の若侍が一人、ぶらぶら歩いている。
                             ユリワカマルであった。片手につまんだ紙切れに描かれた大雑把な地図をじっとにらんでいる。真ん中辺りにデフォルメされたキツネのマークがあり、目的地を指しているらしい。
                            「この辺のはずなんだがな」
                             付近を見回してもあるのは樹木ばかり。
                            「おれの国でもキツネの民の里は人里離れたところにあるが、西国でもそうなのか?」
                             そういえば以前ファーリンから、キツネの民はなんでも大陸に散らばった七つの封印の一族のうちの一つで、隠れ里で封印を守るのが役目だと聞いたことがあるようなないような。
                            「うーん日が暮れる前にはなんとか辿り着きたいところだな」
                             そんなことをぼやきながら細い山道をひたすら行く。
                            (しかしなんだな、こっちの国にはえすえる? だったか便利な物がある。あんな鉄の箱が馬より速く走るとはなー。いずれおれの国にもああいう物を)
                             ユリワカマルも乗って来た東の国と西の国を結ぶ蒸気船、西の国を南北に縦断して走る鉄道、異人は変わった物を思い付くことだ。港や駅に集まる人々の姿も、ユリワカマルのようなクラシックな格好ではなくほとんどが洋装・洋髪であった。その中でユリワカマルはかなり浮いていたが、日頃東国にいても派手な羽織袴で目立ちまくっているので別段気にはしなかった。
                             ふとユリワカマルは足を止めた。
                            「むっ」
                             この人通りのなさそうな山中だというのに、にわかに気配を感じたのであった。
                            「それも一人や二人じゃなさそうだな――」
                             もしや自分を城へ連れ戻そうと追いかけてきた連中だろうか。とも考えたが、まさかここまで来るとも思えない。となると追いはぎの類だろうか。
                             ユリワカマルは腰の居合刀に手を掛けた。と――
                            「ま、待て!」
                             とふいに声がして、ユリワカマルがそちらを見ると、木の影からぬっと生えるように黒装束の忍者が現れた。
                            「何やつ!」
                            「我々は怪しい者ではない」
                            「どう見ても怪しいぞ! こっちの国でそんな忍者みたいな格好したヤツは見たことがない」
                            「お前さんに言われる筋合いはないわい! 今どきサムライのコスプレとは!」
                            「こすぷれじゃない! おれは正真正銘の侍だ!」
                            「は? だってお前さん女だろう?」
                            「!?」
                             ユリワカマルが語を次ごうとしたのを遮って忍者は言った。
                            「とにかく、お前さんがコスプレ趣味のサムライ娘だろうが何だろうがこちらには関係ない」
                            「だ、だから違うって」
                            「そんなことより我々は人を――いや犬を探しているんだ」
                            「犬?」
                            「ここらでスケベそーな顔をした犬族の剣士を見かけなかっただろうか?」
                            「スケベそーな顔をした犬族の剣士!?」
                             ユリワカマルは思わず大声を上げてしまってから、はっとして口をつぐんだ。
                            「見たのか? どこにいた?」
                            「い、いや」
                            「なんだ見てないのか」
                             黒装束の忍者は、驚かせて悪かったな、と謝ってから元のように影の中へ消えようとした。それを今度はユリワカマルが呼び止めた。
                            「ま、待て、なんでその、犬族の剣士を探してるんだ?」
                            「お前さんには関係のないことだ」
                             黒装束はすげなく言って消えようとしたが、再びユリワカマルに呼び止められた。
                            「なんだ、まだ何かあるのか?」
                            「いや、す、すまない、この辺りにキツネの民の里があると聞いて来たんだが、もしかして場所を知ってないかと思って」
                            「ああキツネの民に用があるのか。それならあー行ってこー行って――」
                             黒装束は意外にも懇切丁寧に道を教えてくれた上、おまけに最後に、
                            「里に着いたらファーリン殿によろしくな」
                             と言い残して今度こそ消えてしまった。ユリワカマルはしばしぽかんと立ち尽くしていた。
                            「なんだったんだ一体――ファーリンとスマッシュの知り合いか?」
                            
                            
                            「とまあここへ来る途中そういうことがあったんだ」
                             無事キツネの民の里に着いたユリワカマルが、ファーリンの家で旅装を解きながら語ったのはそういう次第であった。
                            「そんなことがあったんですか」
                            「ああ、ファーリンには忍者の知り合いがいるのか?」
                            「さあ――この国で忍者といえば、わたしはスマッシュさんくらいしか心当たりがありませんけれど」
                            「そーいえばあのバカ犬、あれでも一応忍者だったな。でもあいつら、はぐれた仲間を探してるって感じじゃなかったけどな」
                            「スマッシュさんが忍者のお仲間と一緒に行動しているという話も聞いたことがありませんわ」
                            「そうか――」
                             ま、いいか。とユリワカマルはファーリンの隣へ腰を下ろした。
                            「せっかく来たのにバカ犬の話なんかしてちゃもったいない。ファーリン、達者にしてたかい?」
                            「ええそれはもちろん。ユリワカマルさんこそお変わりなさそうで何よりですわ。でもこんなところまでいらしたら、お城の皆さんが心配なさるんじゃありませんか?」
                            「なーに、みんなもう慣れっこになってるから平気さ」
                            「もう、そんなこと言って」
                             とたしなめつつも、ファーリンも内心は再会が嬉しいらしく顔がほころんでいる。
                            「うふふ、でも正直に言うと嬉しいです。ここへはなかなか訪ねて来てくださる人もいませんし」
                            「そうなのか。確かにわかりにくい場所にある隠れ里だとは思うけどな」
                            「わたしたちの一族は外とあまり交流がありませんでしたから――今も行き来があるといえばスマッシュさんの生まれ故郷の――」
                             言いかけて、あっ、とファーリンは控えめに声を上げた。
                            「もしかするとユリワカマルさんが途中で会ったのは」
                             ファーリンの従者が血相変えて玄関から飛び込んで来たのはまさにそのときであった。
                            「ファーリン様! ファーリン様大変です!!」
                            「ま、まあどうしたんですか? 来客中ですよ?」
                            「それどころではありません! こ、こちらに!」
                            「えっ待ってください、ちょっと! ユリワカマルさんすみません」
                            「気にするなファーリン、ただごとじゃなさそうだ、おれも行こう」
                             ファーリンは従者に腕を引っ張られるままに外へ連れ出され、ユリワカマルも押っ取り刀で追いかけた。
                        
3
                             ファーリンとユリワカマルが従者に連れられて向かった先は、里の外れを流れる川のほとりで、何が大変なのかはその場に着くとすぐわかった。
                            「まあスマッシュさん!!」
                            「スマッシュじゃないか!」
                             二人が思わず声をそろえてしまったのも無理はない。川岸にぼろきれのようになってかろうじて引っ掛かっているのは、まぎれもなくあのスマッシュである。
                             従者が言うには、
                            「私が通りかかったときちょうど川上から流れてきまして、川にゴミを捨てるとは迷惑なことをする人もいるものだと思ったのですがよくよく見ると――というわけです」
                            「まあそうでしたか」
                            「それでスマッシュのやつは生きてるんだろうな?」
                            「さ、さあ」
                             そこまでは確かめていないらしい。
                            「ええい、それくらい確認しておけよ。とにかく引き上げるぞ、手伝え」
                             ユリワカマルは従者とともに川へ下り、どうにかこうにかスマッシュの体を岸の上まで運んだ。
                            「ど、どうでしょう? 死んでますか?」
                            「こいつがそう簡単に死ぬとも思えないな」
                             ファーリンもやって来て、スマッシュの脈を取ったり呼吸を確かめたりした。
                            「息はあるようですわ。ただ弱々しいですし、それに水を飲んでいるかもしれません。人工呼吸して差し上げた方が」
                             とファーリンが言うと、ぐったりしていたスマッシュの犬耳が気のせいかピンと立ったようにユリワカマルには見えた。
                            「バカ犬のことだからほっといても大丈夫だと思うけどなー、まあファーリンがそう言うならしてやればいいんじゃないか?」
                            「ええ、ではさっそく」
                             ユリワカマルには、またスマッシュの耳がピクリと動いたように見えた。
                             
                            「う、うおおおおおっ!?」
                             さっきまで死にかけていたのがうそのように、スマッシュは目にも止まらぬ素早さで従者の下から這い出した。
                            「おおっ、スマッシュ殿気が付かれましたか! 私はまだ何もしてませんが!」
                            「うううっ! きっとファーリンちゃんが優しく――と思ってたのにいい!!」
                             相変わらずな様子のスマッシュをファーリンはきょとんと見つめ、ユリワカマルはあきれたようににらんでいる。
                            「まったく、お前は一回死んだ方がバカが治るかもしれんぞ」
                            「オレは一回死んでるんだって! ――ってファーリンちゃんがいるってことは、ここはまさかキツネの民の里か? しまったオレとしたことが、ファーリンちゃんには迷惑をかけたくないと思ってたのに」
                            「何をぶつぶつ言ってるんだ?」
                            「うるせー! お前はユリワカマルじゃねえか、なんでこんなところに」
                            「それはこっちのセリフだ。スマッシュ、お前こそどうしてこんなところに流れ着いて来たんだ? どうせまたロクでもない理由だとは思うけどな」
                            「まあまあ二人ともその辺にして」
                             とファーリンがおっとりした口調で割って入った。
                            「スマッシュさんも気が付いたことですし、屋敷へ戻りましょう」
                             そういうことになった。
                            
                            
                            「ユリワカマルお前オレの知らないところで――」
                             と、ファーリンから話を聞いたスマッシュはいきなりユリワカマルに食ってかかり、
                            「ファーリンちゃんを口説きに来てるんじゃねーよちくしょー!」
                            「お前は本っ当にバカだな! 口説きに来たんじゃない、遊びに来ただけだ! おれたちは女同士なんだぞ!」
                            「そうですよスマッシュさん、変な誤解しないでください」
                             ファーリンも口を挟んだ。
                            「い、いやファーリンちゃん、オレはファーリンちゃんを信じてるよう」
                            「はあ、はるばるファーリンに会いに来たってのに、こいつのバカ面まで拝むことになるとは」
                            「お前は大人しく東の国で姫さんやってろよ。相変わらず色気のねー格好しやがって」
                            「色気がなくて悪かったな!!」
                            「そんなことよりスマッシュさん、スマッシュさんこそどういうわけであんなところに流れ着いたんですか?」
                             とファーリンに問われると、
                            「うっ、それは」
                             スマッシュはバツが悪そうに黙り込んでしまった。ユリワカマルがいぶかしげに首をかしげる。
                            「おれがここへ来る途中、お前を探してるらしい連中に会った。何かあったのか?」
                            「げっ、アイツらもまだこの辺りをうろついてやがるのか!」
                            「もし追われてるのなら、事と次第によっちゃ助太刀してやってもいいぞ」
                            「いえユリワカマルさん、ユリワカマルさんが会った方たちはきっと――」
                             ファーリンが口を開きかけたそのときだった。
                            「ファーリン様! ファーリン様!!」
                             キツネの従者が血相変えて玄関から飛び込んできた(本日二回目)と思ったら、
                            「ファーリン殿、お久しぶりです」
                             なぜか天井の方から声が降ってきた。従者が説明するところによると、
                            「またしてもお客様です」
                             とのことである。ファーリンとユリワカマルは天井を見上げた。スマッシュだけはなぜかファーリンの後ろに隠れるようにして小さくなっている。
                            「あの、どちら様ですか?」
                            「お邪魔しております」
                             声とともに黒装束の忍者が天井の影から舞い降りて、ファーリンの前に膝を着いた。ユリワカマルが驚いて前髪の隙間からのぞく目を丸くした。
                            「あっ、お前は来る途中で会った」
                            「おお、お前さんはあのときのサムライ娘。無事着いたようで何よりだが、それよりも」
                             黒装束がファーリンの後ろに隠れているスマッシュをジロリとにらむ。
                            「やっぱりここにいたか! やっと捕まえたぞスマッシュ! さあオレたちと一緒に里に帰るんだ」
                            「ヤ、ヤダ!」
                            「長老さまのご命令だぞ!」
                            「あのじーさんが何て言おうがヤなもんはヤなんだよ! オレは絶対に帰らねーからな!!」
                             一連のやり取りを
                            「なあファーリンこの今どき珍しい忍者はもしかして」
                            「ええ、スマッシュさんと同じ犬の民の方ですわ」
                            「その通り!」
                             と黒装束が頭部を覆っていた覆面を脱ぎ捨てると、そこには確かにスマッシュと同じ犬の顔があった。
                        
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                             といってもスマッシュほどのスケベ面ではない。
                            「犬族が全員スマッシュと同じだと思われるのはとても不本意だなぁ。いやまあともかく、ファーリン殿からもこのアホに何とか言ってくださらんか」
                            「はあ、事情はわかりませんが、スマッシュさん、皆さんを困らせるのはよくないと思います」
                            「そ、そう言わないでよファーリンちゃん。オレにとっては人生、いや犬生がかかってる話なんだから」
                            「そんな一大事なんですか? それなら皆さんとよく話し合ってください」
                            「わかった。やいお前ら! オレにはもうファーリンちゃんという大事な人がいるんだ! 諦めて帰りやがれ!」
                            「ええっ!? ちょ、ちょっと何の話ですかスマッシュさん!!」
                            「なっ、ファーリン殿正気ですかこんなスケベ犬と! 正直シュミ悪いと思いますよ!」
                            「あなたも真に受けないでください!!」
                             スマッシュと黒装束の犬族の男はファーリンに怒られてしゅんと尻尾を垂らした。ファーリンがそんな大声を出すことも珍しい。
                            「おいバカ犬!」
                             ユリワカマルが刀の
                            「なーに勝手なこと言ってるんだファーリンの番犬の分際で! お前一体どういう理由で里に連れ戻されそうになってるんだ?」
                            「――ずけ」
                            「は?」
                            「いいなずけ」
                            「飯菜漬け? どこの漬け物だ? うまいのか?」
                            「違ーう! 許嫁だよ、い・い・な・ず・け!! 長老がオレに里に帰ってケッコンしろって――」
                            「おいスマッシュ、うそならもうちょっとマシなうそをついたらどうだ?」
                            「うそじゃなーい!!」
                            「うそではないぞサムライ娘」
                             と黒装束も言った。
                            「スマッシュの言う通りだ。長老はスマッシュの許嫁をお決めになって、もう祝言の準備も進めているのだ。なのにこいつは嫌がって里を逃げ出しおった」
                            「へ?」
                             ぽかん、とユリワカマルはスマッシュの顔を見つめた。しばらくすると派手な羽織の肩が小刻みに震え出し、だんだんとそれが大きくなってついに決壊した。
                            「く――くく、くくく、あはははは!! お前みたいなスケベ犬でもケッコンしたいと思う女がいるんだな! 世の中には物好きな人間がいるな、顔が見てみたいもんだよ!」
                            「どーいう意味だよそりゃ! だいたいお前だって、オレとケッコンしたいって言ってたじゃねーか」
                            「だ、誰がケッコンしたいなんて言った! あれはお前が、おれより強いのは自分かおれの兄上くらいしかいないなんて言うから、じょ、冗談で、聞いてやっただけだろうが!!」
                            「まあスマッシュさんが結婚するだなんて」
                             ファーリンが感慨深そうに言った。なんだかんだで今まで数々の冒険をともにし、危機を乗り越えてきた仲である。寂しく思ってくれているのだろうか。スマッシュは感激した。
                            「ううっファーリンちゃん、ファーリンちゃんはオレのケッコンに反対してくれるかい?」
                            「いえ、これもきっと一族の皆さんのためですわ、スマッシュさん、いいお婿さんになれるように頑張ってくださいね」
                            「そっ、そんなぁファーリンちゃん」
                             打ちひしがれて部屋の隅でめそめそしているスマッシュを尻目に見ながら、ユリワカマルは首をひねっている。
                            「それにしても、スマッシュがああまでケッコンを嫌がるってのも妙な話だとは思うな。自由でいたいとかなんとか言っちゃいたが、それでもあのスケベ犬がなぁ」
                            「ええそれに、犬の民の長老さまは、スマッシュさんが嫌がるものを無理やり押しつけるような頑固な方ではないはずですわ。今までもスマッシュさんが長い間里を離れていても何もおっしゃらなかったはずなのに、急に結婚させようとするのもちょっと変だと思います」
                            「おい犬族の忍者よ、お前は里の様子がおかしいと思わなかったのか?」
                            「へ? いやオレたちは長老がそう言うならと従ったまでで」
                             ユリワカマルは、ふむとため息をもらした。
                            「どーも頼りにならん連中だなー」
                            「ユリワカマルさん、わたしスマッシュさんと一緒に犬の民の里へ行ってみようと思います」
                             というファーリンの言葉を耳にするやいなや、スマッシュはすっ飛んで来て目を輝かせた。現金なヤツである。
                            「えっファーリンちゃん!! 一緒にじーさんを説得しに来てくれるの!?」
                            「それはわかりませんけれど、長老さまのお話をうかがっておきたいんです。もしスマッシュさんが結婚なさるなら、キツネの民としてもお祝いを申し上げないといけませんし」
                            「ま、まあ、とにかく一緒に来てくれるんだなファーリンちゃん!」
                             スマッシュが大人しく帰郷する気になったので、黒装束はほっとしたようであった。
                             ユリワカマルは半ばあきれている。
                            「ファーリンは律儀だな」
                            「ごめんなさいユリワカマルさん、せっかく遊びに来てくださったのに」
                            「いやいいさ。また次の機会があるよ。気にするなって」
                             そういうわけで話はまとまった。今日はもう日が暮れるので、スマッシュもスマッシュ捕獲隊の犬族の者たちもキツネの民の里に泊めてもらうことになった。
                             翌朝を待って、一行は犬の民の隠れ里へ向けて出発した。
                            「――って」
                             先頭辺りを歩いていたスマッシュが急に後ろを振り返った。犬族の忍者たちに護衛されるようにして歩いているファーリンと、その隣になぜかユリワカマルもいる。
                            「ユリワカマル! なんでお前までついて来てるんだ!?」
                            「昨日言ったじゃないか、物好きな女の顔を拝んでやろうと思ったのさ! どうせ暇だしな! それにもしファーリンが危ない目に遭うようなことがあったら困るだろ?」
                            「ファーリンちゃんならオレが守るから平気だっての!」
                             スマッシュはいつものようにケンカ腰だが、他の犬族の忍者は、ユリワカマルが多少変わったいでたちをしてはいるものの中身は娘だとわかっているせいか、ちやほやと世話を焼いてくれた。
                            「ユリワカマル殿も、もしものときは我々がお守りしますのでご安心を」
                            「そいつはお前らが束になったってかなう相手じゃねーよ!」
                             ちぇっ! とスマッシュは悪態をつきながら、どんどん山道を進んでいった。
                        
5
                            「ああっ! スマッシュの兄貴がようやく帰ってきた!」
                             スマッシュがファーリンとユリワカマルを連れて帰ってくると、犬の民の隠れ里はにわかに騒然となった。といっても山間の小さな村のことである。全員顔見知りの住民が各々の家から出てきて、わいわいとスマッシュたちの周りに集まった。
                             いつもスマッシュの家の留守を預かっている弟分が、ファーリンとユリワカマルを交互に見て首をかしげている。
                            「兄貴、まさかキツネ族の里まで行ってきたんですかい? それにこっちの娘さんは?」
                            「な、なんでオレを追っかけて来たやつらといい、お前といい、ユリワカマルが女だってすぐわかるんだ?」
                            「なんでってそりゃ匂いで。兄貴だってわかるでしょ?」
                            「ううっ、それは」
                             ユリワカマルが意地の悪い目つきになって口を挟んだ。
                            「スマッシュ、お前はおれの父上から聞くまでわからなかったよなぁ~。この上鼻も利かないんじゃいいとこなしだな」
                            「あ、あのときは、お前がファーリンちゃんに手を出すんじゃないかと気が気じゃなかったからだ! ――たぶん」
                            「もう、スマッシュさんもユリワカマルさんも、こんなところまで来てじゃれ合っている場合ではありませんよ」
                             とファーリンが冷静に言った。
                            「早く長老さまのところへ参りましょう」
                            「別にじゃれ合ってなんかねーんだけど――まあ、まずはじーさんに会いにいってやるか」
                            「だったら俺が先に行って知らせておきますよ」
                             スマッシュの弟分は先立って駆け出していった。
                             三人は里の皆に挨拶をしたり、簡単に近況を聞いたりしながら長老宅へ向かった。そうして家に着くと、犬族の長老は先に来ていたスマッシュの弟分と一緒に玄関先で待ちかねていて、
                            「こりゃスマッシュ! 勝手にどこへ逃げたかと思えばファーリン殿にまでご迷惑をかけて帰ってくるとは!」
                             開口一番にスマッシュはしかりつけられてしまった。
                            「なんだよー、おかえりくらい言ってくれてもいいんじゃねーの?」
                            「何を言うか! すまんのうファーリン殿、スマッシュに付き合わせてご足労いただいて」
                            「いえわたしは――」
                             長老はユリワカマルへと視線を移した。
                            「こちらの娘さんはどなたかな?」
                            「ユリワカマルと申す」
                             とユリワカマルは簡単に名乗った。
                            「おれはファーリンのところに遊びに来てたんだが、そこにスマッシュが現れたんでな、以前二人に
                            「それはそれは。ところでお前さん今どき珍しい格好をしとるのう。最近はそういうサムライのコスプレが流行っとるのか?」
                            「これはこすぷれじゃないって!」
                            「歳を取ると若者の最新のトレンドにはついていけんのう」
                            「だーかーら! だいたいこの里の犬の民だって今どき珍しいと思うぞ、忍者だなんて」
                            「わしら犬族は長い間人里離れて隠れ住んでおる。先祖の
                            「まあ一応三百年は続いてる一族らしいからな。歴史だけは古いぜ」
                             スマッシュが言い添えると、長老はその面をまじまじと見つめた。
                            「なんだよ、じーさん」
                            「お前も意外とやるのう」
                            「なにがだよ?」
                            「若くてピチピチの娘に二股かけるとはうらやま、いやけしからんぞ。わしはてっきりお前はファーリン殿一筋だと思っていたのじゃが」
                             ファーリンが慌てたように大きな声を出した。
                            「長老さままで! やめてください! わたしとスマッシュさんはそんな関係じゃありません!!」
                            「ファーリンちゃん、なにもそんな力いっぱい否定しなくても」
                             しょぼくれているスマッシュにユリワカマルが追い打ちをかけた。
                            「バカだな、ファーリンがお前みたいなスケベ犬を相手にするわけないだろーが。そんな当たり前のことでいちいちしょげ返るなよ」
                            「くっ、お、お前なんかにオレの気持ちがわかるもんか!」
                             売り言葉に買い言葉な二人の応酬を長老はしばし眺め、やがて、ふむとうなずくと、
                            「では本命はユリワカマル殿ということで――」
                             言いかけたが、最後まで言い終えることはなかった。
                            「そんなわけないだろっ!!」
                             と、スマッシュとユリワカマルがやけにタイミングを合わせて力いっぱい遮ったせいである。
                            「うーむ最近の若者は複雑じゃのう。が、まあともかく、話を聞く限りではファーリン殿もユリワカマル殿も別段スマッシュを好いておるわけではないようじゃな。こちらにとってはありがたい話じゃ」
                            「じーさん!」
                             スマッシュが反論しようとしても、長老には取り付くしまもない。口調は落ち着いているが有無を言わせない貫禄がある。
                            「二人ともスマッシュの縁談を邪魔立てする理由はないはずじゃ。スマッシュも帰ってきたことじゃし、明日にでも祝言を上げることにしよう」
                            「あ、明日だって!?」
                            「お前が逃げておった間に支度は整っておる。お前の許嫁も今夜にでもここへ到着することになっておるしのう」
                            「待ってくれよじーさん! 少しはオレの話も聞いてくれって!」
                            「これも一族のためなんじゃスマッシュ。お前は育ちこそ悪いが」
                            「育てたのはじーさんだろ!」
                            「――まあ育ちは置いておいて、血統だけは文句のつけようがないのは確か。どこの骨ともわからぬ女に手出しをされぬように、そろそろ身を固めてわしを安心させてくれんか」
                             そういう言い方をされるとスマッシュも強く言い返せないらしい。まごついていたとき、ファーリンが穏やかな調子ながらきっぱりと言った。
                            「長老さまのおっしゃることはわかりますが、こんな頭ごなしなやり方は長老さまらしくないと思いますわ」
                            「ファーリン殿」
                            「スマッシュさんだってまだまだお若いのですし、こういうことはもっと時間をかけて、スマッシュさんにも納得のいくようになさった方がよろしいのじゃありませんか?」
                            「これは犬の民の問題であって、いくら
                             長老はそれ以上取り合おうとせず、スマッシュたちに今夜は家で大人しくしているように告げて自分は奥へ引っ込んでしまった。
                        
6
                             夜になると里には照明らしい照明もなく、すっかり闇に覆われて山中に隠れてしまう。今夜は月が明るいのだけがほぼ唯一の明かりと言っていい。明日には満月になるだろう。
                             スマッシュ、ファーリン、それにユリワカマルはスマッシュの家で囲炉裏を囲んでいた。長老から三人の世話役を命じられたスマッシュの弟分もいて、火にかけた鍋の中身をときどきかき回している。
                             夜もとっぷりと更けた頃、外でにわかに住民が家を出入りする気配があった。長老宅のことらしい。
                            「兄貴の嫁さんになる人がお着きになったんじゃないですかね」
                             スマッシュの弟分が鍋の具合を見ながら言った。
                             三人は外へ出て様子を確かめようとしたが、
                            「おっと、スマッシュお前は家から出すなと言われてる。また逃げ出されちゃたまらんからな」
                             と、家の周りをうろついている見張りにとがめられた。スマッシュ捕獲隊の忍者たちが今は張り番として働いているのだった。
                             仕方なくスマッシュは家に残り、ファーリンとユリワカマルだけ外出した。
                             里の者皆考えることは同じらしい。長老宅には夜中だというのに見物人が集まっていて、出遅れたファーリンとユリワカマルは人垣に阻まれてほとんど得るところはなかった。
                            「あれがスマッシュさんの許嫁さんでしょうか」
                             玄関から中へ入っていく若い女の後ろ姿がちらりと見えたばかりである。背に垂らした長い黒髪の生際のところにふさふさとした犬耳が生えていた。丈の長い着物の裾を引きずりながら、しずしずと奥へ消えた。
                             ファーリンとユリワカマルはスマッシュの家へ戻った。
                            「スマッシュ、お前あの許嫁がどんな女なのかくらいは知ってるんだろう?」
                             ユリワカマルが尋ねるとスマッシュは渋い顔になり、
                            「知らねーよ。会ったこともねーんだから」
                            「じゃあ、明日祝言の場で初めて顔を合わせるわけか。なんだか古臭いな」
                            「わけがわからねーよ、あのじーさん、今まではそんな時代錯誤なことさせようとなんてしなかったのに」
                            「お前がきっぱり断らないからいけないんじゃないか?」
                            「おれは断ったんだって!」
                             とスマッシュは言うが、なんやかんやで長老のことを無下にできないのだろう。
                            「長老さまはスマッシュさんの血統のことを気にしていらっしゃるようでしたけど、許嫁さんは身元の確かな方なんですか?」
                             今度はファーリンが問い掛けた。
                            「さあ、じーさんの親戚の娘だとか言ってたけどなぁ」
                             スマッシュのあいまいな答えに弟分が何気なく付け加えて言った。
                            「長老さまが言うには、長老さまによく似た可愛い女の子だそうですよ」
                             ユリワカマルはスマッシュを白い目でにらんだ。
                            「あの長老によく似た可愛い子ねぇ」
                             どうしてこの根っからのスケベ犬のスマッシュが結婚を嫌がって逃げ出したのか、その理由がわかったような気がする。
                            「おれには初耳なんだが、スマッシュ、お前そんなに血筋のいい血統書付きの犬だったのか? 全っ然そんなふうには見えないけどな」
                            「そんなふうに見えなくて悪かったな! まあ、そういうことらしいぜ。犬族って一口に言っても今じゃいくつもに分かれてるんだが」
                             東の国のキツネの民のように他の地へ移り住んだ者もいるのではなかろうか。
                            「中には落ちぶれて里が潰れて、山犬同然になっちまったヤツもいたとか聞くぜ。オレんとこは田舎でもちゃんと残ってるだけマシだな」
                            「そういえばお前の親兄弟はここには」
                            「いねーよ」
                             とスマッシュは簡潔に答えた。別に聞かれたくない話のようでもなさそうだったが、自分から語るそぶりも見せないので、ユリワカマルはそれ以上踏み込むのをやめた。
                             ファーリンが困り顔で言った。
                            「長老さまのあの様子ではそう簡単に説得できそうもありませんね。明日の結婚式には到底間に合いそうに――」
                            「もうこうなったら、ファーリンちゃん!!」
                             ガバッ!
                             と、スマッシュは何を思い付いたのか威勢よく腰を上げた。耳も尻尾もピンとおっ立てている。その勢いのままファーリンに飛びつこうとしたところを、隣のユリワカマルがすかさず突き出してきた刀の鞘につまづいて顔面から囲炉裏に突っ込みそうになった。
                            「わあっ! 兄貴危ない!!」
                             スマッシュの弟分が間一髪で鍋を脇に避けたので幸い夕飯は無事であった。炭火に突っ伏したスマッシュが無事だったどうかは微妙なところである。
                            「うわちちちっ!! あつ! あつあつあっつ!!」
                            「このバカ犬――その顔なら明日いざ祝言になっても、相手の方から願い下げられるかもしれないぞ」
                             ユリワカマルはスマッシュの焦げた前髪や鼻先を見て半分本気で言った。一方ファーリンは心配そうにスマッシュの顔をのぞき込んでいる。
                            「スマッシュさん、大丈夫ですか?」
                            「うっ、ううっ、ファーリンちゃん」
                            「はい、なんでしょう」
                            「ファーリンに駆け落ちしてくれとでも言うつもりか?」
                             ユリワカマルに先を制されてスマッシュは出鼻をくじかれた格好になった(くじかれっぱなしという気もする)。そんなこんなでスマッシュはすっかりいじけてしまい、夕飯もろくに食おうとしなかった。
                             夜半、家の戸をたたいて見張りの者が入ってきた。
                            「ファーリン殿、ユリワカマル殿、申し訳ありませんが今夜はここではなく別の家に泊まっていただきます。夜のうちにスマッシュが万が一のことをしでかさないようにと、長老さまのお言い付けで」
                             ファーリンとユリワカマルは外へ連れ出され、教えられた民家に向かい二人肩を並べて歩きだした。月の上をゆったりと雲が流れており、その柔らかい光で足元は十分に明るい。
                            「なあファーリン、ファーリンは本当のところ、スマッシュが明日ケッコンするって話を聞いてなんとも思わないのか?」
                            「え?」
                            「その――なんだ、嫉妬とか寂しさとか――」
                            「はぁ」
                             ファーリンはあまりピンときていないらしい。おっとりとうなずいて、しばし思いを巡らせる。
                            「そうですね、スマッシュさんが落ち込んでいるのを見るとかわいそうだとは思います」
                            「そうか――」
                            「――ユリワカマルさんは嫉妬したり寂しく思ったりしているんですか?」
                            「だっ!!」
                             ユリワカマルは思わず声を裏返らせ、
                            「誰が嫉妬なんかするか! あんなスケベ犬を婿にしようなんて女がいるとはな、まったく気が知れないよ。せいぜいスマッシュにしっかり首輪でも付けておいてほしいもんだな!」
                            「ユリワカマルさん」
                            「―――」
                            「ユリワカマルさんがここまで一緒に来てくださったのは、本当はスマッシュさんの結婚を」
                            「べ、別に、ぶち壊してやろうとかそんなことを考えてたわけじゃないぞ! ただ相手の女はよほど変わったヤツだろうから、顔を見てみたいと思っただけで」
                            「――では見に行ってみませんか?」
                            「は?」
                             ファーリンはにこにこ笑ってユリワカマルの返事を待っている。
                            「いや、でも」
                             とユリワカマルが尻込みすると、その手を取って促した。ファーリンの細い手に込められた力が頼もしい。
                            「何もせずに後悔するよりはずっといいはずですわ」
                        
7
                             夜中にも関わらず堂々と長老宅の戸口をたたいたファーリンの後ろで、ユリワカマルの方がいっそ気後れして身を固くしている。
                             奥から出てきた長老は二人を見て白い眉をぴくりと跳ねさせたが、追い返したりはせず中へ通してくれた。
                            「このような夜分にいかがなされましたかな」
                             と長老は二人に対面して座し、低いしわがれた声で言った。
                            「はい、実は」
                             ファーリンは至極丁寧に切り出した。
                            「先程スマッシュさんの許嫁の方がお着きになったようですので、キツネの民のたばねとしてぜひご挨拶させていただけないかと思って参りました」
                            「それはご丁寧に――しかし今夜はもう遅いので明日になさってはいかがかの」
                            「許嫁の方はもうお休みなのですか?」
                            「いや、まだじゃが」
                            「遠方よりいらしてお疲れのところ大変申し訳ないと思っておりますわ。でも明日になれば結婚式でもっとお忙しいでしょうし、わたしも自分の里へ戻らねばなりません。ですからぜひ今夜のうちに――」
                            「うーむ」
                             長老は悩んでいたようであるが、結局判断つき兼ねたのか、
                            「少々お待ちくだされ」
                             と断って奥へ消えた。じきに戻ってくると、ファーリンとユリワカマルをスマッシュの許嫁の元へと案内してくれた。
                            「ありがとうございます、長老さま」
                            「お二人のことを話すとあの子もぜひ一度会いたいと申すのでな、さあこちらに」
                             月光に照らされた縁側に長老は膝を着き、すっと障子を開けた。
                            「失礼いたします」
                            「失礼する」
                             ファーリンが先に入り、次にユリワカマル、最後に長老が入った。月明かりが入るように障子は開いたままにされた。
                             部屋の中には、青白い光を受けて犬族の少女が一人ちょこんと座っていた。大人びた丈長の着物を重ねて身にまとっているが、顔立ちはまだ十代そこらの娘である。切りそろえた前髪の下で、大きなくりくりとした
                             その二人は少女と向かい合わせに座り、長老は少女の脇に控えた。
                            「で、スマッシュの許嫁はどこにいるんだ?」
                             とユリワカマルが長老に尋ねた。
                            「どことは――おぬしの目の前におるではないか」
                            「へ?」
                             ユリワカマルは改めて犬族の少女をまじまじ見つめた。
                            「この子がそうなのか? てっきり侍女か何かかと――だって可愛いじゃないか。聞いたところではスマッシュの許嫁は長老殿によく似た娘だってことだったぞ」
                            「わしによく似て可愛いじゃろうが」
                            「どこが似てるんだ!? どこが!」
                            「えーと――ほれ、耳の付け根の毛の逆立ち具合とか」
                            「それは、他は全然似てないってことじゃないのか?」
                             実際似ていないのである。少女が長老の縁者だなんてとても信じられない。
                             ともあれファーリンが頭を下げて名乗った。
                            「ファーリンと申します。キツネ族のたばねを務めております」
                            「おれはユリワカマルだ」
                             とユリワカマルも名乗り、ファーリンがそれに言い添えた。
                            「こう見えてもこちらは東の国の城主さまのご息女です」
                            「ふん――それでどっちがスマッシュ殿の彼女なの?」
                             少女は何の前置きもなくずばり言った。
                            「それとも両方? 
                            「違います!」
                            「だれがあんなスケベ犬と!」
                             ファーリンとユリワカマルはもう何度目になることやら、また力いっぱい否定しなければならなかった。
                            「あら違うの? あなたたちはわたくしとスマッシュ殿との結婚を邪魔しに来たのではないのかしら。スマッシュ殿はこの縁談を大層嫌がっていると聞いたからてっきり他に女がいるのかと」
                            「あのスケベ犬ならお前さんが直接会ってれば大乗り気だったことだろうさ」
                             ユリワカマルが苦い顔で言った。
                            「でも、もしそうなってれば、きっとお前さんの方が嫌になったに違いないぜ。なにしろアイツはただのスケベじゃない。死んでも治らない筋金入りのスケベなんだ」
                            「――なんだかんだ言ってやっぱりわたくしたちの結婚を破談にしたいのではないの?」
                            「い、いやっ違――!」
                            「スマッシュさんが乗り気なのでしたらともかく」
                             ファーリンが横からくちばしを入れた。
                            「少なくとも今は納得していないのですから、事を急がず、まずはよく話し合ってから結婚のことはお決めになってはいかがですか?」
                             少女は、じろりとファーリンをにらみ上げた。
                            「あなたには関係のないことよ」
                            「関係ないとは思いません。スマッシュさんはお友だちですから」
                            「ふん、結局どうあっても邪魔する気なんじゃないの。やっぱり今のうちに始末しておくしかなさそうね」
                            「わたしは、もう少しスマッシュさんのことも考えてあげてくださいと言っているだけですわ」
                            「わたくしに会って正体を知ったら、いくらスマッシュ殿といえども今度こそ本当に逃げ出すに違いないわ」
                            「いえ、スマッシュさんに限ってそんなことはないと思いますが――」
                             なにせ可愛い女の子なら同族はもちろん異種族でも、ワニのギャルでも興奮できるほどのスケベ犬である。
                            「わかったようなことを言わないでちょうだい。現にこの里の長老は、わたくしに里の血統を分けるわけにはいかないと言って追い返したのだから!!」
                            「なに?」
                             ユリワカマルが居合刀に手を掛けた。
                            「わたくしが山犬だと思ってバカにして!! 我が一族だってかつては忍びの技を極め他に比する者なき隆盛を誇ったものよ。でもそれが今では山犬にまで堕ちた没落一族。一族の再興のために里犬の血統を交える決心をして、どんな思いで頭を下げに来たと思っているのかしら! それをこのクソジジイが、よくもわたくしに恥をかかせてくれたものだわ!!」
                            「じゃあ、長老殿がスマッシュをお前さんの婿にさせようとしてるのは」
                             刀から手を離さないまま視線だけで長老の顔色を探る。じっと押し黙っている長老の目つきはうつろで、まるで
                            「ふっ、犬族の長といえども所詮老いさらばえた老犬一匹、我が一族に伝わる秘術にかかればわたくしの意のままよ」
                            「長老さまは妖術で操られていたわけですね。どうりでいつもと様子が違うはずですわ」
                             ファーリンも身構えた。
                             山犬の少女の内側から妖気が膨れ上がり、ファーリンとユリワカマルを威圧する。
                            「あなたたちをここから帰すわけにはいかないわ。我が一族再興のため里犬の優れた血統を必ず手に入れて見せる。そしてこの里ごと我が一族が犬の民を支配するのよ!!」
                             見る間に少女の可愛らしかった顔がゆがみ、目がつり上がり、めりめりと骨が音を立てて変形を始める。まばたき一つした後にはもう、目の前にいるのは少女ではなく一匹の大きな山犬に変じていた。
                            「非力なキツネごとき!」
                             初めにその牙と爪に狙いを定められたのはファーリンであった。
                            「ファーリン!」
                             しかしユリワカマルの方が一手速い。
                             抜刀しながらファーリンの前に躍り出た。初撃で山犬の喉を打ったが、相手も身をかわしたため毛皮をかすめるにとどまった。
                            「ユリワカマルさん伏せてください!!」
                             反射的にユリワカマルが姿勢を低くした直後、ファーリンの唱えた爆炎の呪文が山犬を炎で包み込んだ。
                             山犬は、ぎゃっと悲鳴を上げながらもんどり打って、縁側から庭へと転げ出た。
                        
8
                            「兄貴ー、いい加減機嫌直してくださいよ」
                             スマッシュの弟分がどうなだめてもすかしても、スマッシュはふてくされたままそっぽを向いて寝っ転がっている。ときどきつまらなさそうに尻尾で床をはたく。ファーリンとユリワカマルが出て行ってからずっとこんな調子だ。これは長引きそうであった。
                            「兄貴ってば」
                            「―――」
                            「もしかして、俺が兄貴より鍋をかばったことをまだ怒ってるんですかい?」
                            「――お前があのわからず屋の長老のクソジジイを説得してきてくれたら許す」
                            「そんなムチャな」
                             困った兄貴分である。
                            「あ、そーだ、兄貴、俺のお気に入りの一冊を貸してあげますから! じゃーん! 『実録桃尻娘総集編~今夜はもっと下から攻めてスペシャル☆~』」
                             こんなこともあろうかと準備しておいた秘蔵本を懐から取り出す。するとスマッシュがこちらを振り向いてじろりとにらんできた。
                            「あ、あれ? お気に召しませんかね?」
                            「お~ま~え~な~、オレは今まで各地を旅してありとあらゆるエロ本を手にしてきたんだぞ! エロ本のために命を張ったことも一度や二度じゃない! 今さらそんな田舎臭いビニ本ごときで」
                            「じゃあ見ないんですか?」
                            「見るに決まってるじゃないか」
                             結局見るんじゃないの。と言いたいところだが、ともあれスマッシュの機嫌が持ち直したので弟分はほっとしたのであった。
                             エロ本に萌え萌えしている兄貴分を観察していても仕方ない。スマッシュの弟分は席を外した。
                             と思ったらすぐさま引き返してきた。
                            「兄貴!! 兄貴ぃっ!!」
                            「おおっ! おっ! くううっ! むふふ――なんだよいいところなのに」
                            「エロ本読んでる場合じゃないですよ! 長老の家が大変なんですよ!」
                            「じーさんちがどうしたんだよ、にひひ」
                            「あーもう!」
                             こうなったら力ずくでもと、弟分がスマッシュの肩をつかもうとしたとき、外の見張り番まで飛び込んで来た。
                            「スマッシュ! スマッシュ来てくれ!! 長老の家が!!」
                             さすがのスマッシュもただならぬ様子を察してやっと腰を上げた。戸口を出てみると、里の男たちが集まっている。スマッシュ捕獲隊の頭目もいた。
                            「なんだよお前ら、今夜はオレを外に出さないんじゃなかったのか?」
                            「それどころじゃないんだ、あれを見ろ」
                            「む?」
                             頭目が指差した先をスマッシュは見た。長老の家がある。それはいい。問題は家の奥の庭から火の手が上がり、火の粉を吹き上げて屋根の上を赤く染めていることであった。
                            「げえっ! なんじゃありゃ燃えてるじゃねーか!」
                            「どうする?」
                             と頭目がいささか情けない声を出している。
                            「どうするもこうするも火を消さなきゃならねーだろ! お前ら頼んだぜ!」
                            「スマッシュ、お前は」
                            「オレはじーさんを助けに行くんだよ!!」
                             スマッシュは忍者刀を引っつかんで長老の家へ走った。戸口を破るようにして土間を上がり、奥の部屋へ入ると真ん中辺りに長老が倒れている。
                            「おいっ! じーさんしっかりしろ!」
                            「スマッシュ――!」
                             名前を呼ばれて、スマッシュは、はっとそちらに視線を走らせた。庭の方からであった。同時に刀を抜き放った。
                             庭には毛皮に背中の豪勢な炎をまとわせた山犬の化け物がいた。炎を照り返して不気味に輝く牙と爪をむき出しにし、ファーリンとユリワカマルに襲いかかっている。ユリワカマルが背にファーリンをかばいながら、どうにか刀でそれと押し合っていた。が、押され気味だった。
                            「く――くそっ」
                            「ユリワカマル!!」
                             スマッシュは大きく床を蹴って庭へ舞い降りるなり、見上げるほどある山犬の体をうんと上段から
                            「スマッシュ、お、恩に着る」
                            「おい、一体何があったんだよ!?」
                            「その山犬の化け物がお前の許嫁の正体だったってことだ!」
                            「なにいっ!? マ、マジかよ!?」
                             地面に投げ出されていた山犬が、スマッシュに見つめられると悲しげにほえた。
                            「く、くちおしや――こんな姿を見られてはもう」
                            「―――」
                            「せめても――せめても、長老めお前への恨みだけでも! 晴らしてくれるわ!!」
                            「おい!! やめろ!!」
                             山犬がやにわに身を起こし、部屋の中で倒れている長老に飛び付いた。スマッシュは取って返したがほんの一呼吸ばかり遅い。長老をかばうのが精一杯で、刀を構える暇はない。
                            「オレはこんなじーさんかばって死ぬのかちくしょー!!」
                             そのまま黙って食われれば格好が付くのに最後まで決まらないのがスマッシュのスマッシュたる
                             だが、こんなところであっけなく死なないのもまたスマッシュたる所以であった。
                            「させるか!!」
                             山犬の背後へ一気に間合いを詰めたユリワカマルが、深く沈んだ構えから抜きざま、初太刀で斬り上げる。山犬がひるんだところへ続いて渾身の二の太刀がその体をなぎ倒した。
                             ユリワカマルは山犬がついに動かなくなったのを確かめてから、
                            「大丈夫か」
                             とスマッシュと長老へ身を寄せた。肩を揺すってやると、スマッシュは気の抜けた声で言った。
                            「た、助かったぜユリワカマル――じーさん抱えて死ななくてよかった。どうせ死ぬなら可愛い子ちゃんの腕の中で死にたいぜ」
                             無事のようだ。ユリワカマルは
                            「まったく、締まらないヤツだな」
                            「スマッシュさん、ユリワカマルさん、ご無事ですか」
                             遅れてファーリンも駆け寄ってくると、二人の無事を喜び、そして倒れている長老と山犬の容態を確かめ始めた。
                        
9
                             家の屋根や壁に多少火が移ってボヤを起こしたものの、里の男たちが手際よく消し止めてくれたので大事には至らずに済んだ。
                             長老の方は気を失っていただけで特にケガもないので、そのうち気が付くだろうとファーリンは言ったが、それでもそばについているスマッシュはそれなりに心配そうにしている。
                            「おい、じーさん、おい起きろよ」
                             ぺちぺちと顔をたたいたりしてみる。
                            「う、うう、スマッシュ――」
                             起きたのかと思いきや、どうやらうわ言のようである。
                            「スマッシュ、お前の花婿姿を見るまでは死ねん――お前が腰を落ち着けてくれればわしも安心して――」
                            「じ、じーさん、そんなにオレのことを心配して」
                            「安心して若い嫁をもらって老後をエンジョイできるんじゃが」
                            「って、このスケベジジイ! 起きろ、起ーきーろ!」
                             揺さぶられて長老は目を覚ました。とぼけたようでもそこは犬族を束ねる長、周囲を見回して状況を飲み込むと、何があったか大方を察した。
                            「すまなかったのう、スマッシュ、ファーリン殿、ユリワカマル殿、わしが不甲斐ないばかりに皆に迷惑を掛けてしまったわい」
                            「じーさん、今までのことは――」
                            「覚えておる。その」
                             と、ファーリンに抱えられて回復の呪文で治療を受けている山犬を
                            「山犬の娘の術に操られて、スマッシュ、お前には随分心ないことを言ってしまった。ファーリン殿もユリワカマル殿もご無礼お許しくだされ」
                            「別に気にしちゃいないさ」
                             スマッシュと同じく長老の頭元に座っているユリワカマルが代表して答えた。
                            「だが長老殿、元はといえば今度のことの原因は、長老殿がその山犬をつれなく追い返したことにもあるみたいじゃないか。逆恨みといえばそれまでだがな」
                            「うーむ、その一件はわしも覚えがあるが、まさか恨まれているとは思わなんだ。追い返したつもりはなかったのじゃが」
                            「というと?」
                            「つまりの、その娘が里の男を婿にほしいと言ってわしのところに来たのは、もう五、六年も前の話なんじゃ。その頃その子はまだまだ幼い子供じゃったからな。お前さんにはまだ早いとだけ言ったんじゃが」
                             長老がもう一度目を向けたのにつられるように、スマッシュとユリワカマルも山犬の少女見た。
                             ファーリンの呪文によって傷が癒えていくと、山犬の化け物そのものだった風体が少しずつ元の半犬半人の体へ戻った。すっかり治った頃には、ファーリンやユリワカマルが最初に会ったときのような少女の姿になっていた。
                            「え?」
                             とスマッシュが間の抜けた声を上げた。
                            「誰だ? あの可愛い女の子は?」
                            「だからお前の許嫁――いや元許嫁だよ」
                             ユリワカマルが言った。
                            「なっ!?」
                             スマッシュは勢いよく長老を振り返ってにらんだ。
                            「なんだってぇーーーっ!? あの山犬が実はこんなに可愛い子だったなんて!! だってじーさんによく似た娘だって言ってなかったか!?」
                            「いやまあ、操られておったせいでもあるが――しかし結構似ておるじゃろう?」
                            「どこが!?」
                            「ほれ、耳の付け根の毛の逆立ち方とか」
                            「それって他は全然似てねーってことじゃねーか!」
                             ぴょん、と跳ねるように立ち上がると、興奮気味に尻尾を振りながら少女の方へ擦り寄っていく。後に残された長老とユリワカマルは顔を見合わせ、
                            「ユリワカマル殿」
                            「な、なんだい」
                            「わしが言うのもなんじゃが、本当ーにあんなスケベ犬がよいのか?」
                            「なっ、何の話だ! 何の!」
                            「――まあ何の話かはともかく、一応フォローもしておくとじゃな、スマッシュもあれでも見所がないわけではないんじゃ」
                            「知ってるさ」
                             スマッシュが、ぴたっ、とそばに座ったのとほぼ時を同じくして、山犬の少女が目を覚ました。
                            「おお気が付いたかい、マイフィアンセ!」
                             少女は目を開けた途端に飛び込んできたスマッシュのにやけ顔にかなり驚いたらしく、思わず脇のファーリンにすがり付いている。
                            「ひいっ!!」
                            「いやー、オレは君のことを誤解していたんだ! 君がオレの許婚だなんて嬉しいよ。子供は何人くらいほしいんだい? オレ? オレはそうだな忍者村を作ってテーマパークにできるくらいは――」
                             よしときゃいいのに少女の手をしっかり握って頬にすりすりなんかしたスマッシュは、案の定彼女からきついアッパーカットを一撃頂いて伸びてしまった。
                            「うっ、ううっ! きっと一族を再興してやるわ! 自力で!!」
                             と、痛い目に遭った上にセクハラまで受けた哀れな山犬の少女は「自力」のところにやたら力を込めた捨てゼリフとともに山野へ逃げ帰っていった。
                            「なんだかちょっとかわいそうなことをしてしまった気がします」
                             ファーリンが申し訳なさそうにつぶやくと、
                            「いや、こんなスケベ犬なんかとケッコンしなくて済んだんだ、これもあの娘のためさ」
                             とユリワカマルが言い、伸びたままピクピク
                        
(了)