にわか捕物控

 草木も眠る丑三つ時うしみつどき、である。
 スッ、
 と開いた襖 ふすまからスマッシュは鼻先をのぞかせると、廊下に誰もおらず静まり返っていることを確かめた。襖の隙間から滑り出て、やはり、
 スッ、
 と閉めた。足音を忍ばせて歩きだす。
 その後を少し遅れて追う影があった。こちらはスマッシュほどは足下が確かでない。
(バカ犬のくせに、腐っても忍者ってことか?)
 内心いくらか悔しく思いながら、ユリワカマルは壁伝いに手探りで暗い廊下を進んだ。
(それにしてもこんな夜更けにどこへ行く気だ)
 宿の人間も皆寝静まっている刻限だ。ファーリンも客間で眠っている。ユリワカマル一人が、スマッシュがこっそり部屋を抜け出したことに気付いた。
(スマッシュのやつ――まさかとは思うが――
 ユリワカマル、スマッシュ、ファーリンの三人がこの町にとどまっているのは、近頃世間を騒がせている盗賊がこの地に潜んでいるとうわさに聞いたからだ。
 随分あくどいやつで、豪商の宅に押し入っては家財を根こそぎ奪い、さらには火を放って逃げるという。もともとは畏れ多くも城下で暴れ回っていたのだが、改方あらためかたの探索の手がねぐらへ伸びるすんでに他の土地へ逃れてしまったらしい。
 ちょうどその頃、相変わらず城下でぶらぶらと遊び人をしていたユリワカマルは、船着場の番兵からスマッシュとファーリンらしい二人連れを見かけたと聞き、
「そいつらの名前は尋ねなかったのか?」
「いえあっしは。ただ狐族の娘さんと犬族の剣術使いとお見受けしたまでで」
 そんな変な組み合わせはあの二人の他にはそうそういまい。
 ユリワカマルはすぐに二人を探した。ちょうど向こうもユリワカマルを探していたらしい。すぐに見つかった。
 三人は町の宿屋で再会した。
「お久しぶりですわ、ユリワカマルさん」
「おれの方こそな、ファーリン。それにバカ犬も一緒か」
「なんでオレだけバカ犬呼ばわりされなきゃならねーんだ!」
 ファーリンとスマッシュも相変わらずといった様子であった。
 ユリワカマルは嬉しさを隠せないように前髪の隙間からのぞく左目を細めている。
「今度はまた何の用事だい?」
「あら、用がなければ来てはいけませんか?」
「いやそんなことはないさ。遊びに来てくれるのは嬉しいが――ファーリンは大事な務めを放り出してふらふら出歩くようなことはしないだろ?」
「お前と違ってな」
 スマッシュが茶々を入れてユリワカマルににらまれた。
「けっ」
 と悪態をついているスマッシュは、ユリワカマルとファーリンのまるで若い男女のようなやり取りが面白くないらしい。
 実のところファーリンは狐の民を訪ねる用があって来たと言う。
「なるほど、じゃあスマッシュは用心棒気取りってところだな」
「気取りじゃなくてオレはボディガードなんだよ! ファーリンちゃんの!」
「ふん、しっかりやってくれよ。ファーリンがケガの一つもするようなことがあったらおれが許さないからな」
「なんでお前が」
 ケンカになる前にファーリンが口を挟んだ。
「ところでユリワカマルさん、近頃ご城下で何か事件でもあったんですか?」
「わかるかい」
「ええ、港の警護も厳しかったですし、ものものしい雰囲気のお侍様を何人も見かけました。それに町の商店にも活気がないようですわ」
「ああ、実はな」
 ユリワカマルは城下で騒動になっている盗賊のことを知る限り話した。
 盗賊がこの地から離れたとの知らせが入ったのはそれから二、三日あとのことで、スマッシュとファーリンはまだ城下町を発ってはいなかった。せっかく頼もしい仲間がそろっているのだ。となればやることは一つ。
 御城の中で、
「姫様がまたご相談役の制止を振り切ってどこかへ旅立ってしまわれたそうだぞ」
 と噂されるようになるまでに時間はさほどかからなかった。


 はっきり姿を見た者はいない。が、くだんの盗賊は人間ではないという話が三人の耳に入っている。
「犬族ではないか」
 と話す人もいた。月光と火事の明かりの下、町の瓦屋根伝いに逃げていく盗賊の姿を目撃した者は、その頭に大きな二つの獣の耳と、後姿に揺れる長い尻尾を見たそうだ。
「同じ犬族にそんな不心得野郎がいるとは思いたくねーが」
 スマッシュは柄にもなく真面目な顔つきで、金色の尻尾を不機嫌そうにぴくぴくさせながら言っていた。
 暗闇を先に進むスマッシュを追っているユリワカマルは、そんな様子を思い出し、
(まさかスマッシュが盗賊の仲間――なんてことはないか)
 と勝手に心配して勝手に安堵あんどしている。
(もしかして同族が盗人ぬすっとかもしれないからって、一人で片付けに行くつもりじゃないだろうな。男らしいまねをしてくれるじゃないか、スマッシュのくせに)
 ならば助太刀してやらねばなるまい。
 スマッシュは来るなと言うかもしれないが、ここで引き下がっては男が、いや女がすたるというものだ。
 勢い込んで、しかし足取りはこっそりとスマッシュをつけて行く。
 スマッシュが立ち止まるとユリワカマルも足を止めた。スマッシュはそばの柱に掛けてあった火の消えた手燭てしょくを拝借して再び歩き始めた。
 やがてかわやの前までやって来た。
――?)
 ユリワカマルは首をひねった。出掛ける前に手洗いを済ませておくつもりだろうか。
 スマッシュが厠の中に姿を消したので、仕方なく外で待っていると、
「ぬおおっ!?
 奇声が聞こえた。
 驚いて振り返ると出所はスマッシュがいるはずの厠の中である。
「おいスマッシュ、どうした!?
 ユリワカマルが無事を確かめようとしたそのとき、また変な声がした。
「こっ、こりゃたまらねえ――いやいや」
―――
「ううっ」
――おい」
「うおっ、いいのか、いいのかここまで!?
―――
「なんてこったこんなお宝が転がってるとは、もうこの国に定住しちまいたいぜオレ」
――おいっ!!
 居合術にけたユリワカマルの身ごなしたるや電光石火のごとくである。厠の戸に手を掛けて開け放つ動作に一分の隙もない。
「うおっ!! な、なんだぁ!?
 中にいたスマッシュは心底驚いたようである。
 しゃがみ込んで背を向けていた厠の戸口から急に風が吹き込んだ。
 手に持った手燭の炎が激しく揺らぐ。
 もう片方の手の中には思わず目を釘付け――いやそむけたくなるような女性のあられもない姿がでかでかと描かれた春画本が一冊。
「ユ、ユリワカマルか!? お前なんでこんなところに」
 ユリワカマルはそれには答えず、
 すい、
 と体を沈めて右手を腰の居合刀へ運んだ。
「おいっ!? なんだいきなり!!
「この、バカ犬!!
「なんでそうなるんだよ!?
「やかましい! お前は一度おれの刀のサビになれ! スケベ犬!!
「お前こそ男子トイレをのぞいておいて」
「人の気も知らないで!」
 ユリワカマルは刀から手を離した。さすがに一刀の元に斬り捨てるのは思いとどまったらしい。
「は! 刀がけがれるわ」
「さっきと言ってることが違うじゃねーか」
「うるさい!!
 まったく、と内心ぼやいた。
(おれの覚悟はなんだったんだ一体)
「おいユリワカマル」
「なんだよ」
「だからお前、なんでこんなところにいるんだ?」
――お前がこそこそ部屋を抜け出すのを見て、もしかすると盗賊の仲間なんじゃないかと思ったのさ!」
「失礼なやつだな、オレがそんなことする男に見えるか?」
 ユリワカマルは馬鹿にしたような目つきでスマッシュを見下ろした。
「見えない」
「なーんか馬鹿にされたような気がするのは気のせいか?」
「お前にしちゃ察しのいい」
「くっそ、やっぱり馬鹿にしたんじゃねーか!!
「ふん」
 まあ夜中のことであるし、真剣勝負なんかして大騒ぎしては近所迷惑だろう。二人ともそれなりに聞き分けたようである。
「なんだよ、ちくしょー――
 とスマッシュはぶちぶち文句を垂れながら元のように春画を眺めている。
 が、どうにも背中の辺りがむずがゆい。こらえきれずに振り返った。
 ユリワカマルは厠の前に立ったままでいる。
「ユリワカマルお前、いつまでそこにいるつもりだ? 落ち着かねーだろ」
 あ、
 と何やら思いついたらしい。怪訝けげんそうに眉をひそめ、
「もしかしてお前も見たいのか? これ」
 と、春画本を突き出してきたから、ユリワカマルは真っ赤になった。
「誰が見たいか! 見せるな! おれは女だぞ!?
 もう部屋に帰ろう。と思った。帰って寝よう。それがいい。
(こんなバカ犬に構ってられるか)
「先に戻る!」
「待てよユリワカマル」
 引き止められ、ユリワカマルは素直に足を止めた。
「なんだよ」
「いや、これのことはファーリンちゃんには内緒に」
 これ、とは言うまでもなく春画本のことである。
 ユリワカマルは深いため息をもらした。うんとも否とも答えず、ぷいときびすを返して行こうとした。
「おい、頼んだぜ、ファーリンちゃんには――
 とスマッシュがユリワカマルの後姿へ念を押そうとしたときだった。
 スマッシュの耳がぴくりと動く方が一瞬早く、続けて、

 カンカンカンカン――

 と、町の変事を知らせる鐘が甲高く鳴り始めた。
「早鐘だ」
 ユリワカマルは、にわかに顔つきを厳しくしてスマッシュを顧みた。
「おい」
「おう」
 スマッシュは春画本を懐へしまい、
 ふっ、
 と手燭の火を吹き消すなり走り出す。瞬く間に闇に覆われた廊下をスマッシュが駆け抜け、それを先導にユリワカマルも続いた。


「どこに行ってたんですか、スマッシュさん、ユリワカマルさん」
 ファーリンも騒ぎに気付いて起き出し、スマッシュたちが部屋へ戻ったときには早々に身支度を整えていた。宿の者や他の泊まり客も大方が目覚め、宿中が何事かとざわついている。
 三人は合流し、表通りへ飛び出すなり、スマッシュが鼻をひくつかせた。
「物の焼けるにおいがするぜ」
――あそこです、火事が」
 ファーリンの指差した先、宿からほど近いところの空が朱に染まっている。
 そちらへ駆け出そうとしたスマッシュをユリワカマルは引き止めた。
「まあ待て。逃げるために火をつけるのは盗賊がよくやる手だ。ということは、今から火元へ行ったって犯人はとっくに逃げてるさ」
「そうですわね。でもどこへ逃げるつもりなのかしら」
 今夜は風がある。幸い乾いてはいないが、宙を舞う火の粉が流されているのが見える。
――風上だ。風下には火消しが集まる」
 三人は風上へ向かった。
 最初に家々の屋根の上に踊る影を発見したのは先頭を行くスマッシュで、
「見つけたぜ、あれだな泥棒野郎は!」
 威勢よく近くの塀に飛び付き、背の忍者刀を下ろして下げ緒の端を口にくわえ、つばへ足を掛けると身軽に屋根瓦へ登った。
 ユリワカマルはファーリンの手を取って堀端へ出た。橋の下につないであった舟へ二人で飛び乗り岸を離れる。走るよりこちらの方がよほど速い。
「おいこら! 泥棒猫――いや犬か? なんでもいい、待ちやがれ!!
 スマッシュは先を行く影へ怒鳴った。が、影の方はこちらをちらっと振り返っただけで返事の一つもない。
「こらーっ!! 無視すんな!」
――弱い犬ほどよくえる」
「へっ、街中だからな『街角で吠えぬ犬はない』ってんだ」
――それを言うなら『我が門で吠えぬ犬はない』だ!」
 ちなみに意味は、どんなに弱い犬でも自分の縄張りでは威張ることを指す。
「お前みたいなアホ面の犬には『犬に論語』辺りがお似合いだ」
「『犬の老後』? そうだな、オレはやっぱり老後は若くてピチピチの女の子に面倒見てもらって――
「論語だ、ろ、ん、ご! だいいちなんだその老後の予定は、うらやましい!」
 スマッシュだけならともかく相手までボケ出したらツッコミ不在ではないか。
 ツッコミ代わりというわけでもないだろうが、ふいに二人の足下そっかから鋭い氷の刃が見舞われた。
「おわっ!?
 スマッシュは慌てて身をかわした。氷刃が盗賊の影の行く手を阻むと同時に、
「スマッシュさーん! わたしが足止めをしますから避けてくださいね」
 ファーリンたちが舟で追いついて来たらしい。ユリワカマルと一緒に堀から上がってきた。
「撃ってから言わないでよファーリンちゃん」
 ともかく、援護のおかげでようよう盗賊と対峙たいじと相成った。
――本当に犬族だったとはな」
 スマッシュは背の忍者刀へ手を掛けた。
 盗賊も腰へ手を回した。覆面をしていて顔つきは定かでないが、背格好はスマッシュと近い。身ごなしも似ていた。盗賊自身、スマッシュをまじまじ見て同じことを感じたらしい。
「お前も同郷か――嫌だな」
「こっちのセリフだ! なんで泥棒なんてやってやがるんだ?」
「今どき忍者だけで食っていけるか!」
 思いのほか切実な理由らしかった。
 盗賊は腰から長いケンカ煙管ぎせるを抜き右手に構えた。
「剣じゃねーのか」
 とスマッシュが問うと、
「オレは殺しはやらん」
 と、盗賊は答えた。
「殺しはやらないったって、お前放火までしておきながら」
「火をつけたのは人目を集めてオレや仲間が逃げやすいようにするためだ。火事になった家の中には誰も残ってはいない。今夜の風なら周りに飛び火することもない」
「はーん、それで剣は持たないってわけか。馬鹿じゃねーの」
「なんだと!?
「あのなぁ、本当に強いやつってのは、真剣を構えてても殺さねーように戦えるんだって。剣の切れ味を忘れたやつに人の痛みなんかわかんねーだろうしな! だからお前泥棒になんか落ちぶれちまうんだよ」
――黙れ! アホ面のくせに説教がましいこと言いやがって!!
 盗賊が踏み込んでくるそぶりを見せた刹那せつな、スマッシュは背の刀を抜き一撃を受け止めた。押されたが踏ん張り、相手もほどほどで一旦引いた。
「別に説教したつもりねーんだがな――もし萌え萌えなかわい子ちゃんだったら一晩中でも説教したいけど」
 口ではとぼけたようなことを言いつつ、前のめりになって斜めに斬り上げた。相手がかわしたと悟るや、さらに踏み出して剣先を突き込む。
 盗賊はスマッシュの突きを煙管で横殴りに払った。
「おっと」
 よろけたスマッシュを追撃しようとしたが、
「こっちだよ、こっち!!
 と背後から同じスマッシュの声が聞こえてわずかに気を取られた。
 スマッシュはその隙を逃さず、体勢を立て直して斬り込んだ。手ごたえはあった。が、斬った、と思った盗賊の体は、次の瞬間には真っ二つに両断された足袋に変わって宙を舞っていた。
「アホでも忍者は忍者か」
 盗賊はスマッシュとの距離を広げながら言った。片足しか足袋を履いていない。
 二人とも機をうかがい合っている。
 頃合い、と勘がささやく。ともに一気に間合いを詰めた。
 スマッシュが仕掛ける方が早い。横一文字の白刃一閃が盗賊の振り下ろした煙管の雁首がんくびねた。
 が、盗賊の動きは止まらずスマッシュの眼前まで踏み入った。斬られた煙管の鋭い切り口でスマッシュの懐を深く突いた。
「ぐっ!?
 スマッシュは体の均衡を失い屋根を滑り落ちた。と同時に、
「スマッシュ!!
 屋根伝いにユリワカマルがこちらへ血相変えて駆け寄ってきた。一体どこからよじ登ったのか知らないが、下でファーリンが、
「ユリワカマルさん! 気を付けて!」
 と心配そうにしているところを見ると、制止を振り切って来たらしい。
 盗賊は虚を突かれた。
「アホの仲間か!? ――女?」
 気配で気付いたか、それとも犬の嗅覚でか。なんにせよそれは油断になった。もっとも油断がなくとも結果は変わらないだろうが。
 風のように飛び込んだユリワカマルは抜き打ちで盗賊を斬った。初撃の強烈さに盗賊は目をきながら、なすすべなく倒れ、屋根を滑り落ちる途中瓦に引っかかった。
 その近くにスマッシュもうずくまっていた。こちらは自力で瓦につかまる力が残っていたらしい。ユリワカマルは刀を納め、うめいているスマッシュのそばに膝を着いた。
「おい、しっかりしろ! すぐ下りてファーリンに手当てを――
「うっ、ううっ」
「傷が深いのか?」
 スマッシュがやけに弱った様子なので急に不安になり、傷口を診ようと懐へ手を掛けた拍子に、
「く、くそっ、オレのお宝がぁ」
 ぽろり、
 と前合わせの隙間から真ん中に穴の空いた春画本が出てきた。穴は貫通はしておらず、春画本に守られたおかげでスマッシュ自身は無傷だった。精神的にはよほど大ダメージを食らったようではあるが。
「あのゲイジュツ的乳や尻が――門外不出秘蔵の一冊になるはずだったのに――いてっ!!
「ケガがないならさっさと起きろ! バカ犬!!
 ユリワカマルはスマッシュの頭を一発はたいてから腰を上げ、倒れている盗賊の方のケガの具合を調べ始めた。
「大丈夫です、命に別状はありませんわ」
 屋根を下りた後はファーリンに治療を任せた。
「急所は外したんだ、大した傷じゃない。首領が捕まれば盗賊の仲間もじきに芋ヅルみたいに捕まるさ」
「そうですね。あの、ところでスマッシュさんはどうかしたんですか?」
 スマッシュは道の端っこにしゃがんでまだめそめそしている。
「ファーリンが気にすることじゃない。まあ、なんだ、あいつにとっては大事なものをなくしたそうでな。でもあんなもの、なくした方がよっぽどよかったんだ」
「まあ、そうなんですか? だけどスマッシュさんがあんなに落ち込んでるのを見ると、ちょっとかわいそうですわ」
―――
 ユリワカマルはしばしスマッシュの男泣き(?)している背中を見つめていた。そのうち、何か思いついたのか柳眉をぴくりと上げた。
「スマッシュ、お前も過ぎたことでそうくよくよするな」
 と、肩を並べてしゃがみ込み慰めた。
「お前の秘蔵の一冊、だったか? の代わりになるかは知らんが、おれが明日いいところに連れてってやるから」
 ユリワカマルは、後ろのファーリンには聞こえないように十分声をひそめた。
「面白いものが見れる場所だぞ」
――面白いものってなんだよ?」
「色白むっちりの裸体が朝から晩までくんずほぐれつ」
「なにっ!?
 さっきまでのしょげ返った顔はどこへやら。ほとんど条件反射なんじゃないかと思えるスマッシュの情けない面にユリワカマルは九割方あきれつつ、残り一割ほどは、
(やっぱりスケベ犬はスケベ犬だな)
 と思ってなにやらほっとした。


 翌日。
 よく晴れて暖かい日中、ユリワカマルはスマッシュを約束の場所へ連れてきた。
「ほんとにこんなところにそんなパラダイスがあるのか?」
 スマッシュが疑わしそうにしているのも無理はない。ユリワカマルと一緒に歩いているのは大勢の人でにぎわう表通りで、いかがわしい雰囲気などまったくない。
 ファーリンは途中の橋のたもとへ待たせておいてある。
「ここだ」
 とユリワカマルが立ち止まり、スマッシュは目の前に建つ建物を見上げた。
 立派な三階建てにせり出した大屋根。間口も奥行も随分ある。中はかなり広そうだ。ひらけた入り口ではやって来た観客から入場料を取っている。行商人なども集まってにぎやかなことである。
「ここか? 全然そんな感じじゃねーけど」
「外からじゃ見えないだけで、中に入れば裸でがっぷり四つだから安心しろ」
 ユリワカマルは入り口で木戸番をしている男を呼び止めた。
「なあ、今日は確か一番の売れっ子が出てるんだよな? 色が白くて、むっちりもち肌って評判の」
「それにスタミナも強くて一日中でも組み合えるほどで、そりゃもう見ごたえがありますよ。えへへ」
「だそうだぞスマッシュ、楽しんでこい」
 ぽん、とユリワカマルはスマッシュの背を押した。
「お前が妙に親切なのがどーも気になるが、まあいいか。いざ男のパラダイス! 天国はここにあったのかーっ!!
 ユリワカマルはスマッシュと別れ、橋で待っているファーリンを迎えに行った。
「あっ、ユリワカマルさん。スマッシュさんは」
「ちゃんと案内してきてやったよ」
「わたし知りませんでした」
 ファーリンはおっとりほほえんだ。
「スマッシュさんがお相撲好きだったなんて」
 ユリワカマルはにやりと口の端を上げて笑った。
「今日は一番人気の横綱の取組もあるんだってな。きっとスマッシュも嬉しがってえてるだろうさ今頃」
 実際、
「ちくしょーユリワカマル!! てめえだましやがったなああぁぁぁっっ!!
 と土俵の脇の客席で犬族の忍者が涙をのんで雄たけびを上げているのが目撃されたという。
「ははははは!」
 ユリワカマルは明朗にファーリンへ笑い掛けた。
「さて、バカ犬が戻ってくるまで、おれたちは甘い物でも食べにいかないか? ちょうど近くにあんみつのうまい店を見つけたんだ」
「まあ素敵。楽しみだわ」
 二人連れ立ってのんびりと歩きだす。橋の上の風が得も言わず心地よかった。

 これにて、一件落着。

(了)