太陽を仰ぐ友

 ある日、ファラジがいつもどおりアルトの邸宅へ家業の手伝いに来て、その日の客人たちをもてなす支度を召使いたちに指示していると、
「ファラジ」
 とアルトが呼ぶ声がしたから、青年は飛び跳ねんばかりに喜んだ。太陽のように輝かしいその人に対面するその都度、青年は歓呼して応じるのだった(つい今朝方会ったばかりでもだ)。
「あれでも、今日は宮殿へ行くはずだったんじゃ――?」
 とファラジが声のした方を見ると、アルトは応接間の入り口のところにいて、そばに肌の白い美貌の青年を連れていた。見知らぬ場所でそわそわしている美青年の肩をアルトは軽くたたき、
「ファルダク、彼はファラジ。私の――まあ弟のようなものかな」
 とファラジのことを紹介した。
「は?」
 と呆気あっけにとられているファラジにも、アルトは「ファルダクだ」と紹介した。
「ファルダクのことは――話は聞いてるだろう。総督の令息で、あー、いろいろあって今は都に逗留とうりゅうしてるんだが」
「それはもちろん知ってますよ。スルタンに謁見して気の毒な目に遭われたそうですね」
 ファラジはうなずき、
(それにあなたは、その人に色欲のカードを使いましたよね?)
 とも、口には出さずに心の中で付け加えた。
 アルトは、ファルダクに家の手伝いをさせてやってほしいのだと言う。
 ファルダクは、アルトに手を置かれた肩がむずがゆいような顔をして、白磁の細面をほんのり赤らめていた。アルトが説明するところによると、何か手助けをしたいとファルダクの方から申し出てきたそうだ。
「メギにも話はしてある。ファラジ、君は今ではこの家のことについて私やメギ以上に、誰よりもよく知っているだろう。彼にいろいろ教えてやってくれないか」
 アルトに頼られ頼まれて、それを拒むという考えが頭をよぎることさえファラジにはありえないのだった。
「――あなたがそう言うのなら」
 アルトは用件が済むと、そそくさとラピスラズリの宮殿へ出仕してしまい、後に残された青年二人は気まずかった。
「み――右も左もわかりませんが、できるだけお役に立ちたいと思いますので。何でも言いつけてもらえたら」
 ファルダクの方が先に沈黙に耐えかねて、身分にそぐわぬへりくだった物腰で「よろしく頼みます」と言った。
 ファラジは、なんとも形容しがたい、あえて言うならの境地とでもいうような表情で、しばしファルダクの端正な顔立ちを見つめた。予期せずして現れた恋(?)のライバルだか泥棒猫だかを前にして彼が何を考えているのか、その表情からは全く読み取ることができなかった。
「あの――」
 とファルダクが再びバツの悪さから口を開きかけたとき、突然それを制してファラジは明るい声を上げ、
「そうだねじゃあ、さっそく手伝ってもらおうかな。ついて来て、今日のお客さんたちのお茶と水煙草の好みを教えるから」
 と親切に言ってくれたが目は全然笑っていない。
(な、なんだかちょっと怖いな、この人――)
 ファルダクは内心びくびくしながらも、大人しくファラジの背中に付き従った。


「茶箱はこれ。水煙草はこっち。茶葉は五種類、煙草は四種類。銘柄を書いた札を提げてあるけど、匂いを嗅いで違いを覚えておいて。すぐ覚えられるよ」
 ファラジの教え方は丁寧で隅々まで行き届いていた。あの客人にはこのお茶と煙草、別の客にはお茶に駱駝らくだの乳を足すこと、また別の客はお茶はいらない煙草だけ――ファルダクが全て頭に入れるまで根気よく付き合ってくれたし、客人たちと歓談するコツや都の最新の話題なども教えてくれた。
 それからこの家の中の事情についても少々。
「なによりもメギには敬意を払わないといけないよ。実際立派な夫人だからね――アルトがあんなことになっちゃって、メギだけ逃げ出すことだってできたのに、そうせずに彼と一緒に運命と戦うことを選んだんだから」


 夕刻、アルトは宮殿から帰ってきた。
(さて、家の方はどうなったか――)
 メギは昼間ファルダクのことを話したら機嫌を損ねて他出してしまい、まだ帰っていなかった。たぶんファトナかアディレにでも不満をぶつけに行って、そのままお茶会だか買い物だかになだれ込んだものと思われる。
 メギに代わって家のことを切り盛りしてくれているファラジは、その点不満めいたことは言わないし、まさかファルダクをいじめたりもしないだろうが――
 アルトは恐る恐る家の中の様子をうかがった。心配に反して、家人たちの様子は和やかで彼らが今日一日を平穏に過ごしたことがわかった。
 ファルダクは応接間にいて、そろそろ帰ろうと思っていたところだと言う。
「あのねアルト、今日は大きな商談が二つもまとまったんですよ」
 と嬉しげにアルトに報告した。薄幸の青年は昼間よりもずいぶん快活になったようだった。
「それはすごい」
 とアルトは手放しで褒めた。
「それにね――客人の中に私の故郷を知っている人がいて、先頃の父母の様子を教えてくれました。皆変わりないみたいです――」
「心配していたが、上手くやれたようで安心した。君は忍耐強い。立派だ、ファルダク。これからも私に力を貸しておくれ」
「もちろん――」
 とファルダクは喜び勇んで返事をしようとして、そのとき、部屋の外にファラジがひっそりと立っているのに気づいた。
 ファラジは室内の二人に声をかけようともせず、ただアルトの背中だけをすがるような目で見つめていた。
「―――」
 ファルダクが言いかけたことを急に飲み込んだので、アルトも彼の目線の先を追い、ファラジの姿を見つけた。
 ファルダクは、別にそのまま黙っていてもよかった。アルトの称賛を独り占めしてもよかった。だが、そうしなかった。
「アルト――何から何まで彼に手ほどきしてもらったおかげなんです。ファラジが教えてくれなかったら、私は都で今一番流行っている書物の題名だって言えなかった。私の故郷のことも、彼がそれとなく客人から聞き出してくれました」
「そうだったのか」
 アルトは喜んで、ファラジをそばに呼び寄せ、青年の手を取って賛辞と感謝の言葉をこれでもかと浴びせかけた。
「ありがとうファラジ。本当に君は私の自慢の兄弟だ、本当に」
 アルトにとっては何気ない言葉と彼の熱い手のひらが、青年を震え上がらんばかりに狂喜させる。――実際、体が小刻みに震えていて、アルトが手を離して家の奥へ夕食の手配に行ってしまうと、ファラジはへたり込まないように椅子の背につかまった。
「わっ――だ、大丈夫? ですか?」
 とファルダクが驚いて寄り添うと、ファラジは、
「大丈夫大丈夫――」
 と手をひらひら振り、上気して赤くなった目元をにこっと細めた。ファルダクは初めてファラジの笑顔を見た。
(あ、笑った)
 ファラジは笑うと年相応に若者らしく見え、人懐っこい犬のようで、ファルダクから見ても可愛かった。
 ファラジはすっかり浮かれた調子で、
「嬉しいなぁ、私まで褒めてもらっちゃった。あなたっていい人だね」
 とはしゃいでいた。
「そうだ、せっかくだから夕食をごちそうになっていきなよ。メギもまだ帰ってこないし、アルトも一人じゃ寂しいだろうから」
「あなたも一緒なら、そうします」
 とファルダクは答えた。
 ファラジは少し驚いたようだが、
「うん――」
 と、承知した。
「じゃあ、私もそうしようかな。なんといってもこの家の料理は絶品だから。でも、食事を一緒にはいいけど、寝室を一緒にはいやだな。アルトに今夜は三人でしようって言われてもちゃんと断ろうね」
 ――アルトが青年たちを夕食に招くために戻ってくると、ファラジは上機嫌でにこにこしているし、ファルダクの方は頭の天辺から足の先まで真っ赤になっている。
 ついさっきまでの二人からは想像もつかない光景に、はて? とアルトは首をひねるばかりだった。

(了)